おもしろい問題を出せば、おもしろい解答を引き出せます
普通の国語の先生は、定期考査で、こんな問題は出しません。
ちょっと変な先生だから、こんな問題を出しました。
そうしたら、日ごろは作文など、イヤがる子が、字数の多い解答をどんどん書いてくれました。偏差値的な
学力は十分じゃないので、漢字を使う所をかなで書くなど、幼稚さもありますが、自分の思いを、これだけ表現できたという点を、大いに認めてやりたいと思います。
カチカチ山
生徒が興味を持てる文章の一例として、太宰治の「お伽草紙」という短編集から、「カチカチ山」をプリントで読解し、定期考査の時、その「感想を書きなさい」という問題を出しました。
1年の男子クラス2組への問題で、以下のような解答がありました。(漢字で書いた方がいい所を、ひらがなで書いてあるのは、漢字を知らないからです。偏差値がそれくらいの生徒でも、内容的には、きわめてユニークな発想を示す解答もあります。お楽しみ下さい。
たぬきのように生きるのは、やめよう。きっと、兎のような人が、しかえしにくる。
このカチカチ山は、おくがふかい。狸の年は作者の年をあらわしているし、自分のことを、かなりざいりょうにしているのかなーと思った。読みだすと、つぎが読みたくてしょうがなくなる。自分にも似ているところがあるような感じがした。別のおもしろいのも、読んでみたい。
読んで行くうちに、兎と狸と、どっちが悪いヤツなのか、わからなくなってきました。狸は、狸汁にされないために、命を守るために、おばあさんを殺しました。すると、兎は、狸の背中に火をつけたり、火傷に唐辛子をぬったり、やりすぎじゃないかと、ぼくは思います。けっきょく、作者のいいたいことが、ぼくにはわかりませんでした。
自分の知っていたカチカチ山とちがって、狸や兎のことをくわしく書いてあるのがおもしろかった。狸が単純でバカなところや、兎がいじわるなところに、太宰治の考えがよく出ていると思う。
この話を読んで、女にはトゲがあるので気をつけようと心から思ったし、ウソをついたらシッペ返しがくるということもよくわかった。
狸と兎の関係がよくわかった。例えば、狸は兎に、かたおもいをしている。けれど、兎はひどく嫌っている。狸の性格は、ばかで、まぬけで、どんかんで、おおめしぐらい。それを、兎は、すべて嫌いで、狸がそばにくるのもいやがる、など。
これは、狸と兎を人間のように書いていたから、わかりやすくなっていたのだろう。そこが作者のすばらしいところで、ふつうに、童話のカチカチ山を読んでも、そんなことは考えつかないと思う。
カチカチ山には、こんな内容がふくまれていたのかなあと、興味深くなった。もし子供たちに、この話をする機会があったら、この狸の一生を、おもしろおかしく教えてやりたい。
この世に、アルテミス型の女の人は、いるだろう。だが、まだ、見たことはない。見てみたい。見ない方が幸せかもしれないが。こんな女には、ほれたくない。だが、見たら、ほれてしまうかもしれない。そんな自分がなさけない。
女の中には、アルテミス型の心はあると思うが、こうまで書いてあると、本当にこわいものですねえ。
男の中にも、狸のような心があると思うが、こんなに書いてあると、あきれてしまいます。こんな心にはならないように、気をつけようと思います。
カチカチ山が、こんなにえぐい話とはしらなかった。作者のいうとおり、こんな本は、絶対発売禁止になるだろう。子供むけのお伽噺というものではないような気がする。
狸がおじいさんにつかまって、しばられた時、おばあさんに声をかけてロープをはずしてもらい、逆におばあさんを殺して婆汁にして食べてにげる。
それを知った兎は、かたきをうとうとして、いろいろやって、最後は、泥舟で狸をおぼれさせて殺す。
結局、どっちも人殺しじゃないか。
たぬきが一回わるいことをしただけで、ここまでされたら、たまらない。うさぎもたぬきに、そうとうわるいことをしているではないか。作者は、うさぎがたぬきをいじめていることを書いて、自分が楽しんでいるのではないか。おもしろがりすぎている。これだけやると、おもしろさをとおりこして、いじめの勉強をしているみたいだった。だから、自分には、ふつうのカチカチ山の方が、おもしろいような気がする。
カチカチ山は、子供のころ見た絵本のままであってほしかった。おばあさんがたぬきに食べられてしまうとか、思ってもみなかった。そのたぬきをうさぎがこらしめてくれて、すっきりした。たぬきが年をごまかしたりしていたけれど、男のくせに、年をごまかしてうさぎとつき合おうとするなんて、信じられない。男なら、もっと自分に自信を持って、うさぎに立ち向かってほしかった。
童話のカチカチ山と違って、兎と狸がいろいろな感情を持っていて、ひとつひとつの動作までくわしく書いてあり、とても読みやすかった。これなら絵がなくても、文を読んだだけで、ひとつひとつの場面が、頭の中にうかんでくる。おもしろかった。
兎をあんな風に悪い性格に書いたら、子供たちが、ほんとうの兎を、悪い動物だと思いそうなので、やめた方がいいと思う。それと、狸の弁当、すごく気持ち悪いからやめてほしい。狸の、純粋に兎が好きだという気持ちに、兎もちょっとこたえてやるように書いた方が、俺は好きだ。
子供にはしげきが強すぎるみたい。僕もブルブルふるえながらよんでいました。
狸は悪役になっているが、一番の悪役は、やっぱり兎だと思います。初めの狸はいやだったけど、さいごの狸は好きになった。あの兎は、男の心をわかっていない。狸は兎のことが好きになっただけで兎にころされた。うさぎのせいかくをもう少し変えた方がいいなと思います。
狸の性格もよいとはいえないが、この話では、何といっても、兎の性格がどうもいけない。狸を殺すなら、さっさとナイフかなんかで一突きにすればいいのに、いちいち、まわりくどいことばかりして、まるでなぶり殺しをしているように、ぼくには見えた。
ちっちゃいころは、たぬきをやっつけて、めでたしめでたしみたいに思っていたけれど、今度は、たぬきがかわいそうに思えてならない。たぬきは、自分が食われそうになったから、ばあさんをたおして逃げただけであって、何も悪くない。それにくらべて、うさぎの、たぬきの殺し方は、むごい。とても、童話の世界じゃない。背中をやけどさせて、そこに唐辛子をぬり、あげくのはては、溺死させる。こんなもの、小学生や幼稚園児に見せてはいけないと、思ってしまった。
カチカチ山と言えば、悪い狸を兎がやっつけるという、ごく一般的な考えしか持っていなかった。けれど、この話では、兎の方が極悪人かもしれないという気になってくる。
男ごころ、女ごころなどは、自分たちにも、あてはまるところがあるかもしれない。
太宰治という人のカチカチ山は、けっこうおもしろかった。読みがいがあった。うさぎの心が、つめたく、ざんにんにえがかれているのにくらべて、たぬきのほうは、ちょっとぬけているところがよかった
「薮の中」
黒澤明の映画「羅生門」の原作は、八割方、この「薮の中」(芥川龍之介)です。なんと、これが教科書に載っていたのです。授業で、読んだ後、定期考査の時、「作者に言いたいことを手紙のように書いてみなさい」という問題を出しました。そしたら、以下のような、おもしろい解答がありました。
私は犯人をしっかりと知りたかったです。なんか、女の人がはんにんという形になっていると思ったけど、もっと奥が深そうな感じがします。本当は、どうなのですか?
ゆうれいがにんげんにとりつくなんて、実際ありそうじゃないし、なんか、納得いきませんでした。
犯人はいったいだれですか?
だれの言うことが本当ですか?
女の人は、結局、どうなったのですか?
こんなアイデアは、普通、なかなか浮かんでこないと思います。人間の心理をすごくうまく読んでいるような気がします。自分の心まで読まれているような気がします。おもしろいだけじなく、考えさせられる作品でもあると思います。最後に、犯人と事実を、私だけに教えてください。
本当のことを正直に述べているのは、一体、誰なのですか?
それぞれ、自分を悲劇のヒーロー、ヒロインのように思われたいので、ウソをついているように思います。
この話は、最後、どうなっていくのですか?
作者が読者に何をつたえたいのか、わからなかったので、教えてほしいです。
あの女の人がどうなったのかということも。
内容もよくわからなかったし、犯人もわからない。どうせ書くのだったら、内容もわかりやすく、結果もわかりやすく書いてほしいです。
結論はどうなのか? 主な人物は誰なのか? この作品を書き上げたときの感想は?
この作品は女のこわさを書いたものだと感じました。いろんな証言が出てきたけど、やっぱり私は、殺され
た本人の証言を信じます。「夫を殺して」とたのむとか、この妻、サイテイだと思いました。
質問です。自分が殺したと自供した男は、殺された本人の証言が出て、無実になったんですか? 本人は自分の自殺だと言っていますけど。
悪党や男の人がいう限りでは、女の人は、男の人よりも、悪党の方が好きになったのかもわからない。それなのに、なぜ身をかくしてしまったのか。
誰が本当のことを言っているのか、誰がうそを言っているのか、さっぱりわからない物語だっだ。
こんな本に出会ったのは初めてだったので、おもしろかったです。
最終的な犯人はだれなのですか? すごく気になっています。
少し文が難しかったけど、事件を、いろいろな人から、いろいろな方向から見ているところが、おもしろかったです。
なぜ、こんな奇妙なことを思いついたのですか? なぜ、死んだ人が話せたのですか?
だれの証言が正しいのだろう?
私的には、一番最後の、みこさんの口から出た言葉が正しいのかな、と思いましたが。
なぜ、人を殺してまで、その女を手に入れたかったのか。
犯罪者になってしまったら、これからの人生がメチャクチャになってしまうとわかっているのに。
これから、もっといい人が現れるかもしれないのに。
実際、誰が犯人なのですか? その、分からない所が、この話のおもしろい所だとおもいますが、やっぱり
気になります。そう思わせるのがあなたの「ねらい」なのでしょうか。
よくこんなおもしろい話を考えついたなあと尊敬しています。
殺された人の「れい」が、のり移ってしゃべっている人がいたけど、ほんとうに、そんなことができるのですか。
いろいろ推理してみました。まず、妻は盗人から蹴倒され、盗人が夫の所へ行くのを見て、逃げた。
盗人は夫のなわをほどき、解放し、自分は
逃げた。夫は妻の言葉がショックで自殺。あとからもどってきた妻が、それを見て、刀を抜き取った。その時、逃げたはずの盗人が、たまたま、その場面を見て
「妻が夫を殺した」と勘違いして、まだ好きだったその女のために、自分がやったと主張した。という具合に、いろいろ考えてみました。けど、どれも納得がいきません。誰が犯人なのか教えて下さい。
人間は自分をよく見せようとして、ウソやおもいこみの言葉を口に出します。きっと、あなたは、「人の話は、半分信じて、半分信じるな」と言いたかったのではないですか?
殺された男が、他の人にのりうつって、自分はあの女に殺されたと言っていた。でも、女の方は、殺された男が、自分を殺してくれと言ったから殺したと言っていた。そして、あとを追って死のうと思ったけど、
死ねなかったといっている。どうも、あやしい。私は、あの女がうそをついていると思う。
何がきっかけで、こんな物語を作ったのですか? 同じ場所にいた人なのに、みんな違うことを言っている。そこらへんが印象深かったです。まだ他に、こんなおもしろい話があれば、読んでみたいという気持ちになりました。
どうして人をかばって、自分が殺したとか言うのか。殺した人は、殺すしかなかったのか。
はじめまして、こんにちは。あーいうおくのふかーい物語は、どういう時に思いつくのでしょうか。
学校でまだ先に進んでいない時に、家で読んでしまいました。こういう、読み手をハラハラドキドキさせる物語は、私も大好きなので、これからも、がんばって書いてください。
「こんな問題を出したら、採点が大変でしょう?」と言われたことがあります。符号で答える試験より、読む時間はかかります。しかし、個性豊かな解答は、読んでいて楽しいので、イヤにはなりません。
誤字などは赤ペンでなおしてやりますが、減点はしません。
字数が多いほど、いい点をつけてやります。
私の採点傾向がわかると、次の機会からは、たくさん書くようになります。