[第6話]
15世紀後半の”オヤケアカハチの乱”をモチーフにしたシリアス歴史ファンタジー第6話目です。
史実の韻を踏んだうえで、自由に解釈させて頂きました。
あくまでパラレルなサキシマの英雄たちの物語として楽しんで頂けましたら幸いです。
(完結済・全10話)
※無断転載を禁じます
※本作は[pixiv]様にも重複投稿しています※
第三章-3
「どうだ?」
イシガキ島の沖、揺れる甲板の上で、潮風にかき消されまいと声が放たれた。その問いに、投げるような声で答えが返ってくる。
「悪くないね。農民どもは、オーハマのあたりで立てこもっているみたいだ。それなりに数も多いし士気も高い……。でも、所詮は烏合の衆さ」
ぽい、と放り投げられた地図を器用に二本の指で受け止めると、武装の仲宗根豊見親は目を落とした。
「ふん……フルストバルの石塁か。籠城となればそれなりに面倒だな」
こちらも豪奢な戦装束に身を包んだ慶来慶田城用緒が笑う。
「そうだね、どこまで楽しませてくれるかな。せっかくの機会だから、僕も新しい火薬の威力、存分に試させてもらわないとね」
それに――、と用緒が視線を投げた先にいるのは、船の舳先に腰かけた君南風だった。海風が長い衣の裾を煽っている。
「君南風殿。あなたの鳳凰も、さぞや見ものでしょうね」
君南風が、視線を遠くに投げたまま低い声で呟く。
「男というものは、いつの時代もどうしてこう野蛮なのかのう。儂はもう、うんざりじゃ」
用緒の軽やかな笑いが響く。
「それは実感が欲しいからですよ。命を賭けるときだけ、僕達は生きていることを実感できる」
キミもそうだろう、と言葉を投げた先の豊見親が唇の端を上げた。
「それは少し違うな」
へえ、とからかうような用緒の声に、豊見親が続ける。
「私たちは狂っているのだろう。血を見ずには生きていけぬ程にはな」
また一つ用緒の笑い声が上がった。
「そうだね、僕たちは同類だ。だからキミが好きだよ」
乾いた用緒の笑い声に、豊見親が喉の奥で笑う音が重なる。
あとは――と、用緒は後ろを振り返った。
「あとは、あいつらにうまく働いてもらわなくてはね」
その視線の先には、シュリの大船団が海上にそびえるように浮かんでいた。忠臣・仲宗根豊見親の報告で、農民を扇動する大逆の徒・オヤケアカハチの征伐のために遣わされた王府の大軍だった。
「まさかあれだけの数を出すとはね。尚真王も本気だな。
だけど、気に食わない……あいつら、僕らをただの道案内だと思っていやがる」
視線の先には、シュリの武将が甲板で拳を振り上げ、部下に何やら言っているのが小さく見えた。
シュリで王府軍と合流し、ケラマの島々からクメの島、ミャーク、そしてタラマの島を経てヤイマへ――。ミャークの航海術とイリオモテの造船技術なしにはありえなかった旅路の中で、シュリ王府軍の尊大さは目に余るものがあった。「田舎者」、「野蛮人」――そんな囁き声は自尊心の高い用緒には耐えがたいものがあったに違いない。
手の中の短剣をもてあそぶ用緒をたしなめるように、豊見親は低い声で言う。
「早まるなよ。それでも彼らは必要だ。兵の数、武力――」
わかってるさ、と不機嫌に返す用緒を取りなすように、明るい声が割って入った。
「そうですよ。あんなやつら、使えるだけ使えばいいんです!
大事なのは結果です! そうでしょう、豊見親様?」
場違いな程明るい笑顔の少年が、豊見親の顔を覗き込んでいた。
日に焼けた肌に白い歯が映えている。豊見親がタラマ島で船に乗せた少年、オゾロだった。
その屈託のない様子に、用緒が呟く。
「……まったく、お前は能天気でいいね」
「はい! わたしは豊見親様を信じていますから!」
明るく笑うオゾロとあきれ顔の用緒の様子に、豊見親の頬も自然と緩む。
島同士の相互依存――互いが互いを食らいあい、時には利用し、支え合う。そんなおなじみの光景には様々な思いが交錯しているのだった。
「さあ、おしゃべりはそこまでじゃぞ」
冷たい声で呟くと、君南風が波間の向こうを顎で示した。
「もう一人――おかしなやつがやって来おった」
白波の立つ荒れた波間に、小舟が近づいて来ていた。
目を細めて見つめていた用緒が、やがて笑い声を漏らす。
「はは……あいつ、本当に来た」
豊見親は眉間に皺を寄せた。
「用緒。逃がしたな」
睨み付ける豊見親の瞳を、用緒は笑いを含んだ瞳で飄々と受け止める。
「さあ……? 何のことかなあ」
「痴話げんかもそこまでじゃ。さあ、来おったぞ」
小舟は今、三人の乗った軍船に横付けしていた。
揺れる小さな舟の上で、一人の青年がこちらを見上げていた。結んでもいない長い黒髪が、風にあおられて白い顔にまとわりついている。
「眞與! 何をしに来た!」
波に煽られながらも、マツーが小舟から必死に怒鳴り返す。
「仲宗根豊見親殿! この長田家当主信保、この戦を止めに参った! どうか船に上げて頂きたい!」
用緒が嗤う。
「やだねえ、背伸びしちゃってさ。本当に嫌な奴だよ」
黙れ、と言い放つ豊見親に肩をすくめると、用緒は首を振りながら船室へと引っ込んでしまった。
その間に、軍船から降ろされた縄梯子を伝って、マツーが甲板に降り立つ。その姿は豊見親が知っているものより幾分やつれ、そして精悍な光を帯びていた。ぼろぼろになった着物の袖から、傷だらけの手が覗いている。
「よく……ここまで来たな」
幽閉されていたイリオモテから、彼らのいるこのイシガキの沖まではかなりの距離があったはずだ。ようやく眞與も漢になったか、と豊見親はひとりごちる。
豊見親の問いには答えず、マツーは断固とした調子で言った。
「仲宗根豊見親殿……オヤケアカハチは私の竹馬の友にございます。その妻、クイツ姥は我が妹。私のいう事を邪険にすることはありますまい。どうか、説得の機会を私にお与え頂きたい」
長田大主殿、と豊見親は低い声で問い返す。
「説得とおっしゃるが、いかにされるおつもりか。オヤケアカハチをはじめとする農民達は、今や戦の鬨の声を上げている。あなた一人が行ったところで、矢的になるのが関の山でしょう」
マツー……長田大主は断固として首を振る。
「どうか、少しの間だけ攻撃を待って頂きたい。必ずオヤケアカハチを説得します。あなたとて、無駄な死傷者を出すのは本意ではないはず」
思案気に黙り込んだ豊見親は、やがて短く言い切った。
「一両日。それ以上は待てませんな」
良いでしょう、と長田大主は決然と返した。
二人の瞳がほんの少しの間、火花を散らす。それは、二人の対等な男同士の対決だった。
やがて、豊見親が小さく笑って目を逸らす。
「期待しているぞ、眞與――」
強い光を宿した瞳で、長田大主は頷いた。
夕闇が迫り来る中、マツーは砂浜で一人立ち尽くしていた。
陽の光を惜しむように鳥達が鳴き交わしている。目を閉じてしばらくその平和な声に聞き入ってから、ようやくマツーは目を開けた。
波打ち際に進むと、足が濡れるのも構わず弾ける水に手を入れる。やがて、その手の周りに青白い光の粒が一つ、二つと浮かびあがった。闇夜に弾ける夜光虫のようなその光は、薄闇の中で段々とその姿を増やし、やがて一つの塊になって水から宙に浮かびあがった。
その青白い光の球はマツーの眼前でゆらめき、やがて形を変えた。
青白い、燐光の蝶。その夢幻の生き物は光る鱗粉を残しながらマツーの周りを飛び回った。
「久しぶりだね」
羽音をさせながら顔の前にとどまる蝶にマツーは話し掛けた。
「昔はよく、泣いているときにこうして慰めてくれたっけ」
蝶が嬉しそうに青い光を放ちながら舞う。薄闇に、声が響く。
「でも、アカハチが来てくれて、僕は寂しくなくなった……」
マツーは長い睫毛を伏せた。
「こうして、君たちを呼ぶことはもう無いと思っていた。でも、もう一度だけ、僕を助けてくれるかい」
物言わぬ蝶がまるで逡巡するように飛び回り、そしてやがて暗さを増した空に飛び去ってゆく。
その優美な羽ばたきを、マツーは無言で見守っていた。
「――あれは――」
アカハチは暮れゆく空に目を凝らした。
ずっと昔に見たことのある、青白い光。少年のマツーの周りを飛び回っていた、燐光の蝶。手のひらほどの大ぶりの蝶が、柔らかく光を放ちながらアカハチの目の前に舞い降りようとしていた。
だが、蝶はアカハチの体の周りをくるくる、と光の残滓を残して飛び回り、誘うように薄闇の少し先へと飛んでゆく。
妖のたぐいだとは思わなかった。
「あいつが……マツーが、呼んでいるんだろ?」
答えなど必要なかった。アカハチに、迷いはなかった。
やがて、鬱蒼とした茂みを抜けた先に、その砂浜はあった。
普段は人も通わないのだろう。自然のままの白い砂の上に、赤紫色の花が這うように咲き乱れていた。そして、その浜の先に、見慣れた後ろ姿があった。
束ねただけの黒髪が、やわらかい潮風になびいている。
そして、あの懐かしい歌声が小さく響いていた。
喉の奥で歌う柔らかい音が、海風に溶けてゆく。まるでその声に誘われるように、アカハチはその姿に近づいていった。
「よお……」
マツーの瞳がやわらかく見つめ返していた。
「やっと会えたね」
やさしい目をしたまま、マツーは遠くに視線を投げた。随分と変わってしまったアカハチの外見にも、マツーは眉一つ動かさなかった。
「ここ、よく似ているだろう? ハテルマのニシの浜に」
本当だな、と返してアカハチも視線を同じ方向に向けた。
橙色の太陽が、水平線にゆっくりと落ちて行こうとしている。
二人はどちらともなく砂浜に腰を下ろすと、子供のように膝を抱えて夕陽に見入った。
波の音だけが響いている。
やがて、マツーが口を開いた。
「怪我はしなかった?」
「ああ」
「元気にしていた?」
ん……と曖昧にアカハチは答える。
「色んなことがあった」
ほんの少し、マツーが下を向く。
「そうか……。僕もだ」
また、波の音だけが響く。
「クイツは?」
その言葉に、アカハチは驚く。
「お前のところに帰ったんじゃないのか?」
吃驚した顔でマツーが見つめ返し、首を振る。
やがて言葉を探すようにマツーは瞳を巡らせ、そして言った。
「二人で探そう、クイツを」
「……マツー、俺は、」
言葉を切ったアカハチは、そこで口をつぐむ。何も、言葉を続けることができなかった。
「アカハチ、戦をやめよう」
そう言い切ったマツーの瞳は、まっすぐだった。視線を逸らさないまま、マツーは懐からそれを取り出した。それは、アカハチが血相を変えて探し回ったあの小刀だった。
小刀をアカハチの前に差し出すと、マツーは静かな声で続けた。
「これでお前がナレトを殺したと言われたよ。でも、僕はそんなこと信じてない。お前はそんなことはしない」
「マツー……」
マツーは首を振る。
「分かってる。ナレトも、ナレカも……獅子嘉も、満慶山も……。
お前は殺してない。僕は、ちゃんと分かってる」
言葉が続く。
「そして、皆……もう、帰ってこないんだ。死んでしまったら、絶対に。でも、僕たちはまだ生きてる」
だから、とマツーは身を乗り出し、アカハチの瞳を覗き込んだ。
「もうやめよう。この先に待っているのは、後戻りできない殺し合いだけだ」
その真剣な目が、潤んでいた。
「僕はずっと嫌だった。ミャークの混血児と後ろ指を差され続けて。
でも、今はそれで良かったと思ってる。僕の役目は、ミャークとヤイマの懸け橋になることだったんだ。
僕と、お前とで……一緒にヤイマを治めて行こう。僕たち二人なら、きっと上手く行く」
ミャーク――豊見親。その言葉に敵愾心を駆り立てられる自分のささくれた心と、マツーの純粋な瞳の落差が、アカハチは苦しかった。
「…………マツー」
ここで、そうしてしまえばいいのだと、アカハチの心が囁いていた。反乱軍など投げ捨てて、王府に下ってしまえ、と囁きが続く。
「……マツー、俺は、」
水平線に夕陽が姿を隠し、最後の陽の光が燃えるように空を照らした。夕陽を浴びた二人の瞳が絡む。
アカハチは、差し出された小刀に手を伸ばし、大きな手で包むように受け取った。マツーがやわらかく笑った。アカハチも、笑おうとした。
――だが。
アカハチの胸の中で、あの化鳥が全てを引き割くように叫んだ。瞬時に凶暴な熱が体の中で弾け、頭の中が煮えるように熱くなる。
「……やめろ」
「アカハチ? どうしたんだ?」
「やめろ‼」
気がついた時には、薄闇に白刃が煌めいていた。
ナリヤがアカハチのために特別に打った、両端に刃のついた長棒――その片端がマツーの頬のすぐ横をかすめ、砂浜にめり込んでいた。
アカハチは茫然と、自らが叩き付けた刃の先を見つめる。
「どうしたんだよ……」
怯えたマツーの声に、アカハチの心臓が早鐘のように打つ。
「何で……使いを追い返したりしたんだよ」
――違う、これは自分の声じゃない。
「長田大主はオヤケアカハチを怖がって、ヤイマ中を逃げ回ってたんだろ?」
操られたかのように、手が砂にめり込んだ凶器を握り直す。
「イリオモテまで逃げて、慶来慶田城と義兄弟になって、打倒アカハチの同盟まで結んだんだろ?」
――違う、これは自分の意思じゃない。
「大喜びで、沖まで王府軍を迎えに行ったんだろ?」
――違う、これは俺じゃない――‼
「どうしてそうなるんだ⁉ お前、言っていることがおかしいぞ!」
アカハチは抑えの効かない声で絶叫した。そして、振り上げられた刃が、マツーの脳天に叩き付けられた……はずだった。
凶刃を受け止めたのは、黒い刀の鞘だった。マツーの前に立ちふさがったその姿に、アカハチは憎悪の視線を向けた。
「仲宗根豊見親――!」
マツーが血相を変えて叫んだ。
「つけてきたのか⁉ 僕を信用してくれたんじゃなかったのか⁉」
刃を弾き、豊見親が距離を取って構え直す。
「お前を死なせるわけにはいかん」
アカハチの口から空虚な笑いが漏れた。
「やっぱりな……」
口から洩れる言葉も、刃を構え直す腕も、アカハチの制御の効かないところに行ってしまっていた。頭の中で、あの化鳥の叫びが鳴り響いていた。
「噂通りだ。長田大主はやっぱりミャークの飼い犬なんだな」
「アカハチ……⁉」
挑むような瞳でアカハチは豊見親の刀を顎で示す。
「なあオッサン……聞いたぜ、その刀にもやばいモノが憑いてるんだろ? 抜いて見せろよ」
豊見親が睥睨する。
「ミャークの仲宗根豊見親は人間じゃない、年も取らない魔物だっていうのは、その取り憑いてるモノのおかげなのか?」
「アカハチ! やめるんだ!」
今や豊見親の全身からも、険悪な気が発散されていた。
「ふん……狂犬は、どこまで行っても狂犬だな」
アカハチと豊見親の視線が交差し、そして斬り合うまで一瞬だった。
アカハチの刃が豊見親の頬をかすり、赤い飛沫が飛んだ。
そして、アカハチの腕には瞬きの間に豊見親の両手に握られた三又の刃――釵が突き立てられていた。
二人は互いを睨みながら飛び退る。
「やっぱりな! あんたその刀、抜けないんだろ!」
「お前のような小童に抜くまでもない」
再び視線が火花を散らし、そして二人は斬り結んだ。
マツーは茫然と斬り合う二人を見つめていた。
アカハチの白金の長髪が薄闇に踊り、豊見親の両手に握られた釵が鈍く煌めく。
マツーは無意識に、こめかみを強く抑える。
――沈む大地。そうだ、昔――……。
豊見親は防戦に徹しているように見えた。だが、アカハチの中では焦りが増していた。
もともとの剣術に加えて、ナリヤ鍛冶に仕込まれた棒術――小型の釵に比べて、攻撃範囲はアカハチの方が圧倒的に広いはずなのだ。それなのに、アカハチの刃は、一撃たりとも豊見親に当たらない。それどころか、豊見親は渾身の力で繰り出された攻撃全てを寸前で躱していた。
――動きを、読まれている。
常人離れした素早さで再び切っ先を交わすと、豊見親は低い声で呟いた。
「にわか仕込みの棒術で、私に勝てると思ったか?」
「黙れオッサン! さっさと刀を使ってみせろよ!」
挑発するアカハチを無視すると、豊見親は身を翻した。その姿が消えた――そう思った瞬間、アカハチの眼前に釵の切っ先が現れた。
瞬時にアカハチの目の前で身をかがめた豊見親が、立ち上がる勢いを使って首に釵を突き立てようとしていた。
「躱したか」
「てめえ……ふざけんな!」
力任せに叩き付けられた刃が、釵を弾く。その勢いに動じることもなく、豊見親は再び両手に釵を握り直した。
その感情を消した瞳に、アカハチの脳裏にナリヤ鍛冶の言葉が蘇る。
――殺し合い。
アカハチは悟る。今相対しているのは、いつかハテルマで戯れのように殴り合った相手ではなかった。敵の命を奪うことだけに集中する歴戦の武人――仲宗根豊見親だった。
そしてついに、豊見親が待っていたその瞬間が、来た。
焦れたように渾身の力で叩き付けられた棒を、豊見親の右手に握られた三又の刃が捉えた。そのまま勢いを利用して体をひねると、刃を絡め取られたアカハチの巨体が大きく体勢を崩す。
豊見親の瞳に薄く勝利の色が浮かんだ。そのまま長い足を跳ね上げると、足首でアカハチの首を捉え、地面に叩き付ける。 そして豊見親は、迷うことなくもう一方の釵を手に首筋に踊りかかった。
だが――釵が沈む前に、豊見親の体は弾き飛ばされていた。
身を起こした豊見親が冷たく見つめる空中に、あの化鳥がアカハチを守るように現れていた。
『これは天降の玩具。壊すな』
口からこぼれた血を拭いながら、豊見親が言葉を返す。
「ふん……。人形も半端なら、人形遣いも半端だな」
首をのけぞらせて鳥は一声笑うように鳴いた。
『そう言うな。お前のようには、使い慣れておらんのでな』
化鳥が薄い青い瞳で振り返る。
『さあ下僕――お前に教えてやろうなあ。武器とはな、こう使うのえ』
化鳥――天降が輝き、光の粒になって両刃の棒に吸い込まれてゆく。そして、アカハチの手は、抗うこともできずにそれに吸い付いていた。
「さあ……遊ぼうぜ」
アカハチの口から出たそれは、天降の声だった。
「せいぜい楽しませてくれよ!」
振り上げた刃が、白い砂浜に叩き付けられた。地面が割れ、白砂が亀裂に吸い込まれてゆく。
飛び退った豊見親が着地した岩までもが、見えない衝撃で瞬時に砕け散った。
舌打ちを漏らした豊見親が、空中であの刀を抜くのも一瞬だった。
刃が煌めいた時――空気が重く、動いた。
遠い砂の上に降り立った豊見親は、だらりと抜き身の刀を持っていた。その刀身から、ぬめるような光が発散されていた。
「こうなっては、仕方あるまい……」
低く発せられたその声に、どこか底冷えのする思いがしてアカハチは一歩あとじさる。
鼓膜が震えるような振動と共に、空気がびりびりと揺れ、耳障りな音が――そう、あの化鳥のものと同質の、異形の叫びが――頭の中で反響した。
刃がぐい、とアカハチの体を引き寄せた。そのまま、刃を構えて豊見親に突進する。視線の先で、豊見親はゆったりと刀を振り上げ、そしておもむろに下ろした。空を切った刃の風圧がアカハチの肌を切り裂き、血の粒が舞い上がる。
化鳥に操られていてもなお、アカハチの脳裏に冷たい恐怖が走った。その無数の血の粒――それは、アカハチのものだけではなかった。白い砂浜の表面を埋めんばかりに、赤い粒がうごめいていた。それは、とどまることなく豊見親の刀身からこぼれ続けていた。
豊見親が再び刃を振り上げると、それが合図であったかのように赤い粒の群れがぱん、とはじけた。飛び散った血が、白い砂を赤い膜で覆う。
眼前に現れた真紅の血の海――そして、その水面がうごめき、現れようとする姿があった。
ゆっくりと、血の水面に長い首をもたげたその瞳は、やはり血のように紅かった。
胎児のような赤い膜に覆われたその姿は、血の海の中に立つ豊見親を背後から抱くようにずるり、と絡みついた。絵の中でしか見たことのない姿――巨大な竜――そう、脈動する血で形作られた竜が、アカハチを見つめて笑っていた。
「あんた……やっぱり人間じゃないんだな……」
どこか霞んだような瞳の豊見親は、背後の竜に腕を回して撫ぜると呟いた。
「それはお前も同じなのではないのか? 我らは傀儡だ。お前は天駆ける鳥の、私は海深き竜のな」
豊見親が視線を落とした血の水面の下で、他にもまだ何かがうごめいていた。
それに目を凝らしたアカハチは息を飲んだ。
うごめく無数の人の顔――叫び、涙を流す嘆きの顔が、赤いよどみの中でうごめいていた。
そしてその中に、知った顔が泣き叫んでいた。
「ナレト……ナレカ……?」
背筋を冷たいものが走る。
「あんたが老けないのは……その刀で切った奴の命を吸ってるから――なのか……?」
豊見親が、膜がかかったような瞳で見つめ返す。
「おまえもそうなる。じきにな」
茫然と立ち尽くしたアカハチはしかし、再び武器を構え直し、斬りかかった。
「じゃあ、そんな化け物刀、俺が使えなくしてやるよ!」
鳥と、竜を宿した二人が斬り結ぶのを茫然と見つめるマツーは、奇妙な声を聞いていた。
それは、頭の中で交わされる二つの声だった。
『久しいな、深き海の竜。よく鯖氏の末裔など見つけてきた』
嗤い声が返ってくる。
『お前こそ、よくも赤毛の生き残りを見つけたな、入来の鳥』
二つの声が嗤い合う。
『お互い、往生際の悪いことだ! 嬉しいぞ、こうしてまた人の世に介入できるとは――』
『そう、それに、まさかあの神人の――』
「……やめろ」
自分の声に、マツーは現実に引き戻された。
「やめてくれ‼」
目の前で、豊見親が刃をアカハチに向かって振り下ろしていた。
ぬめる血に足を取られてよろめき、防ごうとしたアカハチの長棒が一瞬遅れた。そして豊見親の刃がアカハチの首を真横から刎ねようとしたとき――マツーが二人の間に突進し、割り込んでいた。
豊見親の瞳が見開かれ、一瞬動きが止まる。そしてその刃が、突き出された棒の横を滑った。アカハチは、その隙を見逃さなかった。
――くぐもった声がした。
頬に生暖かい返り血が弾け、マツーは思わず振り返る。
視線の先で、飛び退った豊見親が前のめりになって俯いていた。
いつの間にか血の海から白い砂浜に戻った大地を、ぼたぼたと落ちる真紅の血が染めていた。
荒い息の豊見親の右腕が、二の腕のあたりからほんの皮一枚でぶら下がり、血が止めどなく零れている。
刃の先が掠ったものか、右腕を覆う黒い手袋が裂けて布の下の肌を覗かせていた。
マツーは思わず息を飲む。その腕は――いや、腕と言ってよいのか――肘の先あたりから萎み、血を吸われ切ったように茶色く乾いた肉が申し訳程度に骨にへばりついていた。そしてその表面に真黒な血管が脈打っているのが、おぞましさを際立たせていた。
蒼白の顔の豊見親は、それでも左手を伸ばし、地面に落ちた刀を拾おうとしていた。その指先が、震えていた。
弾かれたように振り返ると、獣のような目をしたアカハチが、荒い息に胸を上下させながら豊見親を見つめていた。
腕が、ゆるゆると刃を振り上げる。
「やめろ……」
豊見親の前に立ちふさがったマツーを見つめるアカハチの声は、ほとんど叫ぶようだった。
「なんで、そいつを庇うんだよ‼」
血まみれの豊見親の、傷ついた獣のような息遣いが響く。
「言っただろう? もう、殺し合いはやめるんだ……」
マツーは豊見親を振り返る。
「そうでしょう? もう勝負はついた。だから……」
だが、言い終わる前にマツーは殴り飛ばされていた。
衝撃に目を上げた先にいたのは――慶来慶田城用緒だった。
「この……大馬鹿者!」
拳を握りしめ、目を吊り上げた用緒は勢いに任せてマツーを砂浜の上に蹴り倒した。
「お前はどこまで阿呆なんだ!」
用緒の金切り声が続く。
「やっぱり心配した通りになったじゃないか! いいか、お前の偽善者面のせいで、犠牲が増えるんだぞ!」
唖然とするマツーの目の前で、用緒は豊見親を指差した。
「ここでアカハチが死ねば、戦は終わりだったんだ! 見ろ! ここまで面子を傷つけられたミャークだって、もう後には引けない!」
荒い息の豊見親がくずおれそうになっている。用緒は舌打ちをすると、神経質な声で叫んだ。
「オゾロ! 空広を連れて行け!」
砂浜の茂みに隠れていたのだろう、年若い少年が走り寄り、豊見親を抱きとめるようにして連れてゆく。
怒りの形相の用緒は、乱暴にマツーの手首を捕まえてひねり上げた。その力が、大きな瞳の童顔に不釣り合いなほど強いことにマツーは怯んだ。
「いいか長田大主! お前はこちら側の道具なんだ! 忘れるな!」
必死の抵抗もむなしく、砂浜の上を引きずられるように引っ立てられながらも、マツーは声の限りに叫んだ。
「アカハチ! 戦いをやめるんだ! 戦うな! アカハチ……‼」
視線の先で、白金の髪をなびかせた血塗れの青年が茫然と見送っていた。




