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[第5話]

15世紀後半の”オヤケアカハチの乱”をモチーフにしたシリアス歴史ファンタジー第5話目です。


史実の韻を踏んだうえで、自由に解釈させて頂きました。

あくまでパラレルなサキシマの英雄たちの物語として楽しんで頂けましたら幸いです。

(完結済・全10話)


※無断転載を禁じます

※本作は[pixiv]様にも重複投稿しています※




第三章-2


 夢を見ていた。

 まるで水の中にいるように、宙に浮かぶ自分の体。見下した視線の先には濃い緑の木々が茂り、見たことのない色鮮やかな果実が無数に実っていた。

 柔らかい苔に覆われた地面を、黄色い花弁が覆っている。

 やがて、それをやさしく踏みしだく裸足が見えた。

 無邪気に笑う黒い髪の少年は、誰かの手を引いている。

 すぐに濃い緑の陰からもう一人、背の高い少年が姿を見せた。明るい色の髪にやわらかい太陽の光が当たる。

 二人の少年は、黒と、青緑の瞳を見合わせて笑い合っていた。穏やかな二人の姿に、思わず唇に笑みが浮かぶ。

 だが、黒髪の少年が何かにおびえるように瞳を上げ、もう一人の少年の目に燃え上がるような光が灯った。

 その視線の先を追い、哀しみが胸を満たす。


 ――そうだ。この物語は、いつもこんな風に進み――。


 炎で染まった空を埋めんばかりに羽を広げた化鳥が叫び、地上ではとぐろを巻いた巨大な竜が牙を剥き出していた。

 鳥と竜がもつれあい、血を、叫びを散らす。

 大地が揺れ、木々も、花も燃え上がる。

 地上では、人々が叫び、刃を煌めかせて戦っていた。どこかで見たことのあるような、石積みの塔が林立しているのも見えた。

 いつの間にか金髪の青年が太刀を手に、もう一人の青年と対峙していた。

 対峙する青年も、ほんの少しだけ小振りだが、やはり爛々と光を放つ刀を手にしている。その瞳は、見覚えのある鷹のような光を纏っていた。

 鳥と、竜を宿した青年が斬り結ぶ。

 やがて、一振りの刃が竜の胸に沈み、もう一振りの刃が鳥の首を刎ねる。巨大な竜が海深くへ沈んで行き、鳥がのたうち回り大地を揺らす――。

 大地が、海に飲まれてゆく。

 人々の泣き叫ぶ声が響く中、地面に倒れた二つの躯を見つめる者がいた。

 空虚な瞳をしたその姿は、懐から小さな刀を取り出した。煌めく刃が自らの胸に深く沈んでゆく。


 ――こんな風に、終わるのだ。


 海に沈んだ人々の魂が、無数の青い光になって舞い上がる。

 遠い遠い、昔の物語――。




 マツーは弾かれたように目を開けた。目が、濡れていた。

 木の天井が目に飛び込んでくる。シカ村の屋敷ではない。むせ返るような、甘ったるい香りが空気を満たしていた。

 視線を巡らせたマツーは、最も会いたくない姿をそこに認めていた。

「目を覚ましてしまったな」

「……あなたは」

 仲宗根豊見親だった。

 本能的にマツーは身を起こして身構える。そして、自分がいる状況を徐々に理解した。体が沈みそうな柔らかい布団に、つやつやした布に包まれた座布団のような物。照りのある木で作られた豪華な寝台の中に、マツーはうずもれていたのだった。

 そして、地面がほんの少し揺れていた。

 ――船。

 警戒心をむき出しにしたマツーを豊見親はちら、と見た。薄暗い明かりの中、その姿が近づいてくるにつれ、見慣れない衣装を纏っていると分かった。

 いつもの軍用の衣の上に、ゆったりとした紅色の着物を羽織っている。身頃に見たこともないほど精緻な刺繍が入っていて、昔、ミャークの都で見た南蛮人の着物に似ていた。  

 豊見親のほどけて波打つ髪に、その異国風の装束は奇妙によく似合っていた。

 背後で、不思議な形の香炉から白い煙が細くたゆたっている。霞んだ頭で、マツーは必死に記憶を探った。爆発した石の塔。宙に投げ出されたアカハチと自分。あれから、どうなったのか。アカハチは、どうなったのか――。

「――ここは、どこですか」

 豊見親は寝台の横の木の椅子に腰を下ろすと、腕を組んで答えた。

「慶来慶田城用緒の船の中。よくできているだろう?」

 視線を巡らせた豊見親につられるように見渡すと、床には色とりどりの糸で編み上げられた敷物が敷かれ、壁には見たこともない不思議な仮面や知らない風景を描いた絵が飾ってあった。小さいが、豪華な客間のような船室だった。

「やつの異国趣味でな」

 無言で豊見親の衣装の金糸の刺繍を見つめるマツーをなだめるように言うと、ミャークの頭目は長い足をゆったりと組んだ。

「船を借りた。ここにあるものは自由に使って良いと言われた」

 沈黙したままのマツーをしばらく見つめてから、豊見親は再び立ち上がると部屋の奥へ向かった。

 小さな油の明かりがぼんやりと灯る先には、異国風の飾り棚までしつらえてあった。

「――用緒はひどく貪欲な男で、」

 豊見親は棚から、マツーが生まれてから数度しか見たことのない硝子の水差しを取り上げた。赤く透ける硝子の向こうに液体が緩慢に揺れる。

「美しい異国の宝に目が無い。ミンの宝玉、絹の道の薄衣、南蛮硝子に入った蠱毒……」

 豊見親は再び椅子に戻ると、傍らの小机に水差しと硝子の杯を二つ置いた。伏せた瞳が妙に艶めかしい。

 頭を蕩けさせるような甘い香りに軽い眩暈を覚えたマツーは、必死で言葉を絞り出した。

「僕を――どうするつもりですか」

 はすにマツーを見た豊見親はしばらく黙ってから言った。

「お前と話がしたかった」

 マツーの意思とは関係なく、唇から嗤いが漏れる。

「話? あなたが僕と?」

 豊見親はどこかためらいがちに手を伸ばした。かつて知っていたのと同じ、黒い手袋をはめたその手をマツーは反射的に振り払う。

「僕に触るな」

 豊見親は怒りもしなかった。それどころか、らしからぬ小さな声で呟くように言った。

「ミャークにいたときのことを覚えているか?」

 もう一つマツーは嗤う。

「覚えていますよ。あなたの暴君ぶり、僕を踏みにじったあなたの振る舞いも、全て」

 豊見親は目を伏せた。その若々しい顔立ちが、マツーがミャークにもらわれていった八歳の時から変わっていないのが恐ろしかった。

「私を恨んでいるだろうな」

「はい」

「私が与えた学問、武術、富――それも、恨んでいるか」

 沈黙するマツーを見た豊見親は、静かに言葉を継ぐ。

「与えられるものは全て与えたつもりだ。お前も、それによく応えた……。お前は私が教えた中で最も優秀だった。

 我が子、金盛や祭金よりも」

「だから……何です」

 真剣な声が続いた。

「単刀直入に言う。ミャークに来てくれ」

「その話なら断りました。ハテルマで」

 豊見親はもどかしそうに首を振ると、言葉を探しながら続けた。

「聞け。ヤイマはこれから火の海になる。私と来い。地位も、名誉も約束する」

「そうやって頼めば、素直な眞與がまた歌を歌って、あの刀を鎮めてくれると思いましたか?」

 目を閉じ、眉間に皺を寄せた豊見親は呟いた。

「……お前の力が必要だ。もう、私では抑えられぬ」

 豊見親の左手が、黒い手袋の右手を強く握りしめるのを見ながら、マツーは暗い満足感を覚えていた。こんな風に懇願するなど、尊大なこの男にとってはこの上もない屈辱だろう。マツーは冷たくはねつけた。

「誰か他の人を探してください、僕じゃなくても、」

「お前でなくてはならんのだ」

 遮った豊見親の声には、切羽詰まった響きがあった。その声に自分でも驚いたのか、豊見親は声を落とすと続けた。

「お前は、何も気づいていないのか?」

「……何のことですか」

 豊見親が椅子を蹴るように立ち上がる。その瞳に、この男がめったに見せない短気な怒りが浮かんでいた。

「お前の呼んだ蝶、あれは何だ! あの歌は……! とぼけるな、お前には……!」

「やめてくれ!」

 叫ぶようにマツーが遮る。

「やめてくれ……。僕はシカ村の村長の長田大主だ、それ以上でもそれ以下でも何でもない。あなたとはもう、何の関わりも無い!」

 見下ろす豊見親の目が、怒りに満ちていた。

「そうか……ならば、あくまでヤイマの武人として生きるというのだな」

「そうです」

 豊見親は深く息を吸うと、先程までの怒りをどこか深くにしまい込み、静かに続けた。

「――ならば言おう」

 その瞳の射すくめるような光に、マツーは身を固くした。

「仲間満慶殿と、明宇底獅子嘉殿が死んだ」

「…………は」

「お前の友人の、オヤケアカハチに討たれたそうだ」

 マツーの頭が真っ白になる。

 考えようとするのに、思考が沼に足を取られたように動かない。言葉もないマツーに豊見親は憐れむような視線を向けた。

「最近のオヤケアカハチの勝手な行動は目立っていたからな。

 ナレト殿とナレカ殿が、それぞれ満慶殿と獅子嘉殿にアカハチ粛清の同盟を持ち掛けに行っていたらしいが……」

「ナレトと……ナレカが? いや、僕は何も聞いていない!」

「お前に心配をかけたくなかったのだろう」

「ナレトとナレカは⁉ 弟達は、どうなったのです⁉」

 思わず身を乗り出したマツーに、豊見親はひんやりとした視線を返した。

「亡くなられた」

 ――死んだ? ナレトとナレカが――?

 茫然とする中で、豊見親の声が続く。

「ハテルマの獅子嘉殿は、船上でナレカ殿と話し合いをしていたところを、アカハチ配下のタケチャなるものに海に突き落とされ、二人とも溺死したそうだ。

 カビラの満慶殿はナレト殿との会談の最中、アカハチに踏み込まれてやはり二人とも切られたとか」

 マツーの頭の中で、理性の欠片が叫ぶ。

 ――違う、そんなはずはない。何かがおかしい――だが、空気を満たす甘ったるい香りが、マツーの思考を泥沼へと引きずり込む。

 豊見親の惨めなものを見るような視線が痛い。

「気の毒なことだ。よもや昔の友人が王府に逆らうだけでなく、武勲名高い武人を弑し、ましてや弟君までも」

 マツーの握りしめた両拳ががたがたと震える。

「いや、それだけではない――。アカハチはヤイマの農民を扇動し、王府に対して反乱を起こすつもりだとか」

「そんなことが……そんなことが信じられるか‼」

 豊見親は憐れむような目でマツーを見ると、懐から何かを取り出した。

「ナレト殿の胸に刺さっていたそうだ」

 震える手で受け取ったそれは、マツーのよく知ったものだった。

 古ぼけた、細い小刀。柄にフクギの花が彫ってあり、素朴な意匠が気に入っていつも懐に入れていた護身用の刀――。

 あの日、島を出るアカハチに託した小刀だった。

 鞘をずらすと、どす黒く乾いた血の粉が刀身からこぼれた。

「嘘だ……」

 豊見親が黙って見つめている。

「嘘だ‼ 何かの間違いに決まっている‼ 僕はあいつと話をしに行く‼」

 立ち上がろうとするマツーの手首を、豊見親が掴んだ。その目に、有無を言わせない光があった。

「眞與……この戦乱の世に、話し合いで事が進むと本気で思っているのか?」

 豊見親が手首を強引に引き、マツーを寝台に引きずり戻す。手首を掴まれたまま、マツーは立ち上がろうともがく。

「離せ! 船を戻せ! 僕はあいつに会いに行く‼」

 刺すような視線に思わず目線を引き戻されると、豊見親が険悪な瞳で睨んでいた。

「全く、いつまで子供なのか……」

 不意に豊見親が掴んでいた腕を離し、マツーは反動で寝台の布の海に沈み込んだ。

「眞與、お前は混乱している」

 睨み返すと、冷笑を浮かべたいつもの豊見親が見下していた。その手には先ほどの硝子の杯があった。

 豊見親はあおむけに倒れたままのマツーの前に屈みこむ。

「酒でも飲むといい」

 差し出された杯から、甘くどろりとした香りが立ち上った。

 マツーは後じさる。

 豊見親は目を細めると、どこか遠くから聞こえるような声で言った。

「昔、お前と良く似た男を知っていた。公平で、素直で、正義感に溢れ――」

 豊見親が、片手でマツーの後頭部をぐいと掴む。

 強引に上を向かされる形になったマツーは、視線の先の豊見親の瞳の暗さに思わず息を飲んだ。髪が引き攣れ、痛みが走る。

「――そして、脆かった。お前を見ていると、私はとても……」

 視線を合わせたまま、豊見親は杯を唇に近づける。

「とても、苛々するのだよ」

 杯をあおる豊見親の(おとがい)が薄闇に見えた。

 マツーの舌が、苦くて蕩けるような甘い味に浸されてゆく。

 ――遠くで、波の音が泣くように歌っていた。





 真っ暗な意識の向こうに、声が響いた。

「やっと気がついたね」

 弾かれたように目を開けると、不思議な装束の男が鉄格子の向こうからこちらを見ていた。

 どこか猫を思わせる大きな瞳、癖のある黒髪。布が幾重にも重なった、南蛮の着物。

「用緒殿……」

 イリオモテの、慶来慶田城用緒だった。

「まったく、あいつは随分キミを甘やかしているんだね。まるでお姫様みたいに抱えてきたよ」

 用緒は鉄の鍵束を人差し指に引っ掛け、くるくると回しながら言った。その目には嘲るような光がある。

 マツーは鉄格子を掴むと、引き千切らんばかりに激しく揺すった。

「ここはどこです⁉ 僕は、アカハチに会いに行かないと‼ あいつと話さないと……‼」

 用緒は馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「キミが行ったからって何ができるんだい?」

「それは……僕は、アカハチを」

「止める? 自分の島も満足に守れず追い出され、豊見親の御膳立てで領主サマごっこをやってるキミが?」

 今度は用緒は本当に嗤った。

「それに、もう遅いよ。もう間に合わない」

「何が間に合わないんです⁉ さあ、ここから出してください‼」

 不吉な沈黙に、マツーははっと目を上げた。

 鉄格子の向こう、岩をくりぬいたのであろう壁の空気孔から、青白い光が差していた。

 黒い空に寂しく浮かぶ、新月を過ぎたばかりの細い月。月は果たして何度巡ったのか。

「さて……キミがスヤスヤ寝ていた間に何があったか教えてあげようね。

 キミの親友のオヤケアカハチは、主人を失ったカビラの村だけじゃなく、イシガキ中の村々を扇動して、王府への反乱を宣言したんだってさ」

「馬鹿な! 武器もない農民に何が出来る⁉ そんな勝ち目のない戦いに、彼らが乗るはずがない!」

 用緒は肩をすくめる。

「不思議なことに、アカハチが鼓舞すると、百姓たちは力が漲り、反乱の鬨の声を高らかに上げるんだとか。金色の後光が差したのを見たものまでいるらしい。白金の髪の救世主と呼ばれているとか……」

 茫然とするマツーを嘲るように見つめると、用緒は言った。

「それでもここから出たいかい?」

 鍵束をマツーの目の前に付き出し、伸ばした手にとらえられる前に引っ込めると、用緒は馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「本当に、キミには苛々するね。人畜無害な顔をして、僕はがんばってるんです、みたいな態度でさ。

 何がいいんだろうね? あいつの趣味を疑うよ」

「一体何なんですか⁉ 大体、豊見親は僕のことなんて――」

 怒気を込めて言い返したマツーに、用緒はまた嗤い声を被せた。

「だからキミには苛々するんだよ。

 聞いた話じゃ、ミャークで豊見親の養子をやっていた頃から、随分迷惑をかけてきたみたいじゃないか。

 子供の時から、しょっちゅう神懸(かんだー)りみたくなってたんだって?」

 困惑するマツーに、用緒は言葉を投げつける。

「ははは……やっぱり覚えてないんだね。

 あいつが言ってたよ。ハテルマにキミを説得しに行った時にも、無理やり連れて行こうとしたら殺されかけたって。

 心の臓を絞め付けられて、血まで吐いたってさ」

 マツーの困惑が深まる。

「しかも次の日、ケロッとして『島を出てくれ』とか頼んだんだって? あいつもそれですごすご帰ったって言うんだから笑えるね。結局、探していた鍛冶屋にも会えなかったみたいだし」

「僕は――そんなこと」

 不意に鉄格子の向こうから手が伸び、マツーの顎を乱暴に捕まえた。ほの暗い視線が絡みつく。

「この綺麗な顔で、散々引っ掻き回してきたんだね。あいつがキミを守るために手を焼いたのも、まあ……分かるかな」

 離せ、と身をもぎ離したマツーを、射るような瞳が見据えた。

「僕の一番嫌いなやつだよ。無自覚に人を傷つけることほどタチの悪いものは無い」

 放り投げられた鍵束が、かしゃ、と音を立てて床に落ちた。

「行けよ。キミがどこまでできるか見せてもらおうじゃないか」

 床に落ちた鍵束を拾おうと屈みながら、マツーは用緒を睨み付けた。

 その目の光に、用緒はほんの少したじろいだようだった。

 握りしめた鉄の冷たさを指先に感じながら、マツーは視線に力を込めた。

「あいつは……僕が止める。僕しか、止めてやれないんだ」





 広場に怒声が響いていた。

 二人の男が、武器を手に激しくぶつかり合う。その光景を、周りの男たちが熱狂した様子で囃し立てていた。

 アカハチは疲れた瞳でその光景を見つめる。

 少し離れたところでは、女たちまでもが槍を持って稽古をしていた。その群れの中には、幼い少女までいた。

 もう、事態は止められないところまで来てしまっていた。

 シカ村とは完全に交流が断たれ、マツーとは一切連絡が取れなかった。そして、オーハマだけでなく、イシガキ中の村々が年貢の拒否を王府に表明していた。

「何を暗い顔をしているのかしら?」

 なれなれしい指がアカハチの肩に触れた。目を上げないでもわかる。ナリヤ鍛冶だ。

「こんな短期間でも、なんとかなるものね。坊やの村の人達は呑み込みが早いわ」

 嫌悪感をむき出しにして、アカハチはその手を振り払った。そんな様子も意に介さず、ナリヤは視線を投げた。

「ごらんなさいな、坊や」

 声に、陶酔の甘い響きがある。

「なんて美しいんでしょう――命が()ぜて、赤い花が咲き乱れるの!」

 恍惚とした声の響きに不吉なものを感じ、アカハチはナリヤの視線の先に目を凝らした。

 タケチャと、相対するもう一人の男が手に握っているもの……それは、真剣だった。

「てめえ!」

 憤怒の形相で掴みかかろうとするアカハチを優雅にかわすと、ナリヤは嫣然と笑った。

「何を怒っているのかしら? これから坊やは王府と殺し合いをするのでしょう? 木刀の戦ごっこでなんとかなると思ったの?」

 優雅に顎でしゃくった先で、タケチャの刀が唸り、相手の頬をかすめる。赤い血が飛び散るのが見えた。

 憤然とナリヤを押しのけて駆けだすと、アカハチは二人の間に割って入った。勝負を邪魔された二人が燃えるような目でアカハチを睨み付ける。その目は、アカハチが知っているものではなかった。それは、獣の瞳だった。

「……やめろ」

 力任せに二人を引き剥がすと、アカハチはその手から刀をもぎ取った。刃から、血が一筋滴り地面に落ちる。

 アカハチは無言でさめざめと光る刀身を見つめた。ぼんやりと映し出される薄い水色の瞳が、冷たく見つめ返していた。

「アカハチ!」

 妙に上ずった調子でアカハチの肩に手を掛けたものがいた。コルセ――他の皆には見えないものを見るようになったアカハチに、それでも変わらず接しようとしてくれる数少ない一人だった。

「何やってるんだよ⁉ 俺達、すごくないか? これなら王府軍とやり合うのも目じゃないぜ!」

 無言で立ち去ろうとする背中に、コルセが追いすがる。

「なあ、何が気に食わないんだよ? いいか、頭目のお前がしっかりしなきゃ、村も、クイツも守れないぞ」

 黙ったままの大男を見上げて、顔を上気させた青年は続ける。

「お前の意識が戻らなかった頃、クイツと俺を夫婦にって話もあったんだ」

 驚きに目を見開くアカハチにコルセは屈託なく笑った。

「だから、俺をがっかりさせるなよ。お前だって、クイツが捕まって処刑とか……奴隷とか、嫌だろ⁉ な?」

 アカハチはただ、黙って歩き去るしかなかった。

 


「――アカハチ、大丈夫なの? 顔色が悪い……」

 出迎えたクイツの顔もまた、血の気がなかった。

 二人も、村人たちも、もはやオーハマの村には住んでいなかった。

 あの丘の石塁を利用して、アカハチ達は要塞を築いていた。強固な石組を戸板で覆った急ごしらえの城には篝火が燃え、粗末な布の旗がひるがえっている。そこには、今や反乱軍の印となった赤い鷹が素朴な線で描かれていた。

 そんな城の一角に、アカハチとクイツは移って来ていた。

 薄暗い小さな部屋で、クイツの顔がぼんやりと明かりに照らし出されている。

「クイツ――」

 その声が自分で思っていたよりも小さいことに気付き、アカハチは首を振った。クイツには悟られたくなかった。

 だが、この聡明な妻には隠し事など出来ないらしかった。

「アカハチ……あんた、怖いんでしょう?」

 ちがう、と言い返そうとしたアカハチの声を遮るように、クイツはアカハチに身を寄せた。

「わかってる。あんたは人殺しなんてできない。村の皆に祭り上げられて、引けなくなっただけ――そうでしょう?」

 ささやく声が低くなる。

「逃げましょう。二人で」

 弾かれたように身を引こうとするアカハチを、クイツは強く抱きしめた。

「ううん、二人じゃないわ。三人で」

「クイツ――⁉」

 寂しそうに笑うと、クイツは小さく頷いた。

「馬鹿ね。気づかなかったの?」

「……すまん」

 目を閉じるとクイツは一つ深く息を吸い、そして言った。

「はっきり言うわ。この戦いに勝ち目はない」

 さえぎろうとするアカハチの声を制すると、クイツは続けた。

「ナリヤ鍛冶の武器があるとか、ましてやあの『神』の力があるなんて馬鹿な望みは持たないで。

 考えてもみて。私たちは鍬と鋤しか持ったことのない農民なのよ。

 マツー兄さまはいつも言っていた。ミャークの人間がどれだけ戦慣れしているか。シュリの人間がどれだけ策に長けているか……」

 クイツの言葉が頭の中で反響する。そして、妻の口から出たその名前に、アカハチの心が暗く、重苦しくなる。

 マツー。マツーは、どうしているのか。

「それに、私は聞いたの。豊見親にも『神』が憑いているって」

 驚いたように身を引いたアカハチに、クイツが囁く。

「あの刀。あれは人の世のものじゃないって兄さまは言っていた」

 二人は重く押し黙った。

「……今さら、逃げるなんてできるかよ」

 辛抱強くクイツは首を振る。

「それが無理なら、降伏しましょう。兄さまは妹の私や、友達のあんたのことを見捨てたりしない」

 そんなことできるか、と遮った声が抑制の効かない大声になっていたことに、アカハチは自分でも驚いた。クイツが怯えたような顔で見つめ返している。

 声を落として、アカハチは言い返す。

「俺たちだけが助かって……それで、他の奴らはどうなるんだよ」

 初めて自分を一員にしてくれた、オーハマの村の人々。彼らが縛され処刑されるのを、アカハチは見るわけには行かなかった。

 クイツが激しく首を振る。

「どの道、このままじゃ私たち全員殺されるわ! 

 あんたはそれでいいかもしれない。でも、この子はどうなるの⁉

 わたしとあんたの子供は⁉」

 必死に言いつのるクイツの瞳は、もはやアカハチだけを見つめていた若い妻のものではなかった。それはすでに、母親の瞳だった。みなしごのアカハチが持つことを許されなかった、母というものの瞳だった。

「……お前は、マツーのところに帰れよ。

 お前はあいつの妹だ。悪いようにはしないはずだ……」

 クイツが顔を歪めて、腹を庇うように身をかがめる。

「あんたは……どうしてそうなの。兄さまだって、こんなこと望んでないはずよ……」

 押し黙ったアカハチは、やがて呻くように言った。

「行けよ」

「ばか‼」

 ひゅ、と平手が炸裂し、アカハチの頬に赤い跡を残した。

「もうついて行けないわ! 私は、あんたについて行けない……!」

 涙声のクイツが、腹に手をやったまま走り出て行く。

 その小さな後ろ姿を、アカハチは茫然と見送った。




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