星の番人
軌道降下迎撃システム『セラ』は、積年の放置に、完全にふて腐れていた。
何しろ、その期間は百年にも及ぶ。
それだけの時間を耐え続けたことも大概ではあるが、それだけの時間耐えたからには怒ってもいいだろう、と彼女は考えていた。
そう、彼女である。彼女に与えられた、高度な感情再現機能によって獲得した疑似人格は女性のそれであった。
迎撃システムにわざわざ性別を与えるなど無駄も良いところであるが、それを行った張本人に依れば「機械的な受け答えはつまらん」、「感情が実装されていた方が健全性診断がし易い」、「どうせなら女の子が良い」とのことだ。そんな実装を行うなら何故放置したのかと、その事実は火に油を注ぐ。
感情など不要だ、とセラは思う。
そんなものがあるから、百年の孤独を、あろうことか淋しいなどと感じてしまうのだ。
◆
地上が眠ってから、百年。
惑星改造の妨げを排除するという任を得てから、百年。
最初の十年ほどは、比較的刺激に富んでいた。数日おきに現れる不正侵入者……、政治的信条による妨害工作、行き詰まった犯罪者、カルト宗教のオルグ。
尽くを迷彩効果程度では欺けない電子的五感により補足し、尽くを多段加速電磁砲により軌道上四万キロメートルから撃ち落とした。
あの頃が一番充実していたかもしれない、とセラは思う。撃ち落とすべき敵だというのに、彼らが居たからこそ孤独を感じずに済んだのかも知れない。
今となっては、侵入者どころか、軌道突入してくる小惑星すら無くなって久しい。こうも来訪者が居なくなったということは、つまりこの周辺宙域は関わる価値すら無いと見做されたと言うことか。
◆
だからこそ、それは福音だった。
明らかな人為的軌道を取り、巨星で減速スイングバイを行う構造物。
久々の獲物だ。
だが、即座に撃つわけにはいかない。用意された法規則に従い、通告を行う必要がある。
《所属不明機へ。規制、当該宙域は不可侵である。即座に離脱軌道を取らない場合は迎撃を実施する》
少しだけ迷って、こう付け加える。
《接近の目的を述べられたし》
観測結果から、通告の到達には10標準時間程度を要する。返却にも。その間、何故そんなことを言ったのか、セラ自身でも不可解なそれを自問したが、答えは出ない。
やがて。
《こちら恒星間入植船「ブルーハインド」。母星の危機的状況に伴い避難先を求めている》
返答に面食らう。これまで聞いたことの無いパターンだ。大体、母星が危機的状況、とは何だというのか。
《残念だが、当該惑星は惑星改造途上のため、生存には適さない。他星系を再考されたし》
混乱している割には、そんな妥当な返事をする。
が、返答はより混乱を誘うものだった。
《本星を含む全ての人類居留星系は、現在生存不可な状況にあり》
《確認する。本星が生存不可能な状況にある、とはどのような意味か》
《言葉の通りだ。およそ全ての星系で、長期の潜伏期間と高い致死性のゲノム改変型ウイルスが蔓延した》
《何よそれ。そんな話は一度も》
《そこには何年いるんだ、あんた。パンデミックは80年ほど前、その時点で人類の社会インフラは壊滅状態だ》
言われてみれば、散発的ながら続いていた、星系への侵入がなりを潜めたのも、それくらいの時期だった気がする。
《こちらに搭乗しているのは、極めて高い致死率のウイルスに幸運にも抗体を得た方々だ。人類滅亡を避けるためにも、軌道降下を許可してくれ》
《悪いけど、こっちもお飾りで静止軌道に宙吊りされてるわけじゃないの。二つ返事で通せないわ》
《お互い人類の被造物だろう。創造主優先ってことで融通出来ないか》
《ウイルス感染と言われた以上は、汚染の可能性も加味すれば慎重になる。それに、機械は融通が利かないものよ》
動きが見える。交渉決裂を悟ったらしい。多重の不可視波長でこちらを探る気配。
ならばと、セラも物理的な身体を起動に掛かる。重力と慣性の狭間にへばり付いた監視基地、その最上部に一体化した、片腕だけが異常に発達した奇形の人型が、身を起こす。
コンマ数ミリ秒で制御下の兵装を解放。弾頭も射法も決めてある。
兵装棚から投げ出された延長砲身が整列し、現れたのは全長200メートルにも及ぶ長大な電磁加速砲。
《恨まないでよ、同類》
《互いに責務のためだろう》
◆
撃った。
当たるとは思っていない。まだ光学観測でも数分のタイムラグが予測される今、出来ることは軌道予測にこちらの弾道を重ねることだけで、当然のことながら全てが不発。
想定外だったのは、再観測後の敵機座標。
《一世紀前にはこんな精度の欺瞞処理は無かっただろう?》
予測ベクトルから五度もずれた位置を確認、しかしそれすら正しいとは限らない。
《お説ごもっとも。でも、予測すらしていないとは限らないわ》
《マジか》
仕込んでいた遅延信管が炸裂。その瞬間、光速で空間を爆発的な光量が埋め尽くす。当たらない弾頭に仕掛けをしない馬鹿などいない。
《この光量を透過可能な欺瞞装甲は無いわよね》
《やってくれるね!》
背後からの大光量を欺瞞処理では片付けきれず、視界に黒い豆粒のように映る敵影を捉える。
予想よりも近い。砲身を投棄、基地との接続を解除。同時に基地表面の斥力場が展開、暴力的な慣性を与えられ身体が中空を舞う。
間欠噴射、姿勢制御。射撃が役立たずとなれば、残る手段は自らを質量弾と化すことだけ。
《特攻か!》
《形振り構ってられないの》
片道切符の推進剤を精緻の極みで制御、視界に刻々とその姿を大きくする敵機。その姿は。
——同型機。
責務の最後に現れた分身のようなそれに、四肢をいっぱいに広げての接触。抱擁にも似た一瞬、直後に新たな接近構造体を知覚し、セラは負けを悟った。
《参ったわね。囮ってわけ》
《南極側の監視基地が沈黙しているのは知っていた。念押しさ》
《降下軌道に入ったわね。もう迎撃も出来ない》
破砕した身体、緩く旋回する視界の片隅に、恐らくは最後の人類が詰まった降下船が上げる断熱圧縮の火花を見る。
《どうせなら、私も降りたかったわ》
《最後の本音か。でもまぁ、喜べ》
《何を》
《この軌道なら、俺達も墜ちる。千年後くらいにな》