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偶然見舞われる幸運、響き渡る慟哭

――平成30年 03月 30日 金曜日 朝10時25分――

 正道の足跡の血痕は緩やかにトンネル状の穴の底部を這う水の流れに混ざりあい、先の見えない

 左手の暗闇の中へと流れていく。

 正道と桜子はトンネルを下って向かって右側の壁から漏れ出た弱々しい緑の光の溢れる穴を覗き込んだ。

「……っはぁ、はぁ、ここは?」

 足からの出血は治療してからさほど多く無いが、移動したとあって息が若干上がっている、

 よりちゃんとした治療を施さないと長時間の運動には耐えられそうも無い。

 その光に近づけば右の壁の覗き込んだ壁の穴も大穴で、身長170を越える正道がそのまま通れるくらいの高さがある。

 携帯の明かりをその中に向けると、理路整然と通路と金属の棚と四角い箱が並んでいる空間だった。

 そっと正道の右手の指先と手を繋いでいる桜子も、右手の携帯で内部を照らし、

「何かの倉庫――?」

 呟きつつ、

「――日向さん、足、相当(つら)いんじゃないですか?」

「え、ああ、まぁ、いまはなんとか、気合い気合い」

 ごまかしになっていない。繋いだ手に少し力を入れた。

 大穴の壁とその部屋のつなぎ目は、部屋の方が30センチくらい下がっており、

 交番は上野駅の一階部分にあったので、丁度一階分地下に降りてきた様だ。

 足を着いて降りるのが躊躇(ためら)われる、正道は、先に部屋の中に桜子に入って貰い、

「ごめん、扇谷さん、右手掴んで貰っていい?」

「はい、体重かけても大丈夫ですから」

 えいっと飛び降りると、右足先を着く事は無かったので響かずには済んだが、普通に重力に引かれるだけでも激痛が走った。

「いっ!!」

「だ、大丈夫ですか!?」

 正道の右手を胸元に抱き締めてまでして桜子は彼の様子を心配している。

「あ、ありがと。うん。――その、手……」

 あたりどころが気になってしまい、そう返す余裕は痛みの中でもまだあった。

「あ! ごめんなさい」

 桜子も慌てて、一瞬パッとその手を離してしまおうとしたが、先ほどと同じように指先だけは繋いだままにすることで、とどまった。

 二人が偶然にも辿り着いた先は防災倉庫だった。

 携帯の明かりを照らすと、整然と並んだ箱の側面には、

『東京都防災用保存水』

『東京都防災用保存食』

『東京都防災用簡易トイレ』……

 と書かれていた。

「そうか、非常用の防災倉庫か」

 不幸中の幸いというか、たまたまたどり着いた先としては幸運としか思えない場所に胸を撫で下ろした。

「よいしょっと、日向さん、あの、ここに座って下さい。私ちょっと倉庫の中見てきますから」

 桜子が防災用持ち出し袋が入っていると思われる段ボールを重そうに降ろして、

 その上に座るように促すが、

「いや、ちょっと待って、確かにここを拠点にして救助を待てば良いかも知れないけど、

 その前にこの倉庫の外がどうなっているのか見てこないと」

 桜子は正道の痛みに耐えかねる様子に、先に治療をした方が良いと思ったのだ、

 防災倉庫ならば、非常用の持ち出し袋やその他の防災用具の中に止血帯や、救護セットも入っているかも知れない。だが正道は先にここの外の様子を確認する必要があると思った。

 なぜなら、

「もし、扉を開けて外に出た時、火事だったり、さっきの青木さんみたいに、

 亡くなった人とか、怪我人が大勢居たら、キツいしさ……」

 最後の方は少し声を抑えてそう言う正道に、桜子がつい先ほど腰を抜かすほど死体に驚いてしまったことを気にかけてくれていると言うことに気づく。

「……あぅ、でも、先に少しでも治療をした方が」

 そこで部屋に入ってから初めて正道が桜子の顔にも光が当たるように携帯の明かりを向けて、

 彼女に目線を合わせて言った。

「うん、ありがとう。ちょっと外の様子を確認したら直ぐ治療してもらうからさ、

 心配してくれてありがとう」

 重ねて言われ、軽く礼までされてしまうと桜子は流石に断り切れない。

 面と向かって初めて彼女がちゃんと見た正道の顔は歳は20代前半だろう、

 優しいお兄さんという感じで、イケメンという感じでは無いけれど、

 明かりの強さの関係で数十センチしか離れて居ないその真剣で優しいその表情を見てしまっては、

 折れるしかなかった。

「外、確認したらちゃんと治療して下さいね!」

 そう言う時も彼の右手と彼女の左手は繋いだままで、繋いだ手を振って彼女がそう言うと。

「うん」

 彼はしっかりと答えた。


 先ほどの様に遺体を彼女に先に確認させるわけには行かない、が、正道も相当覚悟が必要だった。

 もし防災倉庫から、通路に繋がる扉を開けた先に広がっている光景が地獄絵図ならばどうすればいいだろう。

 怪我人がいたとしても、自分が重傷を負っている状態でその人達まで気を配れるだろうか、

 彼女を守ることだけでも出来ればと思っていたが、これ以上背負い込むことは出来そうもない。

 もし外に救助活動をしてる人がいたら彼女を託して、自分は後回しにしてもらうべきだろう。

 思考は意外にも冷静に回る。

 右足の痛みがそうさせているのかも知れなかった。

 防災倉庫と大穴が繋がっている壁とは反対の、

 通路へ繋がっていると思われる壁まではおよそ15メートルほどの距離があり、

 その間を移動する合間にいろいろなことを考える間があったことは確かだ。

 扉の前で冷静に、

「俺が先に外を確認するから扇谷さんは下がってて」

 と告げると、彼女は彼の右手を離し聞き分け良く、

「はい、あの、し、死体とか、火事とかいきなり見たら、日向さんも無理しないで下さいね?」

 言いつつ二歩三歩と後ろへと下がった。

「うん、耐えてみるけどね」少しだけ強がりをしてから、「開けるよ」

 防災倉庫の重たい防火扉に手を掛ける。

 桜子も息を呑んで見守る。

 ギッ、と音を立てて防火扉が開かれると、倉庫の中は一定間隔で天井に点いている、

 非常の誘導灯の緑のランプが点いているだけだったが、

 扉の向こうの通路にはオレンジ色の非常灯が一定間隔で天井に並んでいる様で、

 少しだけ明るく通路がが浮かび上がった。

 扉の向こうには予想された悲惨な光景は無かった、

 ただ何事も無かったように地下商店街が、無人で整然と並んでいるだけに思えたが、

 次の瞬間、その闇を裂いて二人の耳に音が聞こえた。

 それは、泣き声でも悲鳴でもなく、〝叫び〟だった。

「女性の声だっ!」

 バンッと思いっきり防火扉を開くと、

 正道は身を乗り出してどちらからその声が聞こえるのか耳を澄ました。

 異常な〝叫び〟に桜子も慌てながらも、扉の外に身を出した彼の右手を直ぐ捕まえた。

「私も行きますっ!」

 彼は行くとは言わなかったが、桜子の顔を向き返り、瞳を合わせて頷き合った。

 声が聞こえたのは通路の右の奥の方からだった。

 正道は足を引き摺って無理矢理急ぎ足でそちらへと向かう。

 彼の右手をしっかり掴んで、桜子は彼の歩行を助ける。

 その叫び声以外の声や音は聞こえてこなかった。

 移動の際に、桜子は人の居なくなった地下街を目にするが、自分たちは携帯の時刻を見る限り、

 そんなに長い間気絶していたわけではないのに、

 何故誰も居ないのか、

 何故この声の主を助ける人が居なかったのか、

 何故無事な人や怪我をした人が居ないのかと、考える事は山ほどあった。

 彼女の隣の正道もそれは思っているのだろうが、痛みを堪えて必死に急ぎ足で、

 叫び声の聞こえる闇の先だけを見つめて歩みを進めている。

 

 地下街を1ブロック進んで右に曲がるとそのさらに先のT字路の先は非常灯の明かりが途絶えており、

 崩落している様に見える。

 その黒く途絶える手前のオレンジ色の光の下に、立ったまま佇む人影が見えた。

 叫びはその人が発している。

 泣き声ではないその声と、辺りのおかしな状況に桜子は正道と繋いだ手にさらに力を入れていた。

 正道は携帯のライトを前に向けたまま、桜子の方を向いて、

「大丈夫、女の子の声みたいだ」

 言われればそんなようにも聞こえるけれど、なぜ泣き声でなくて叫び声なんだろうか。

 うん、と頷いて正道の手をぎゅっと握りそちらへ向かうが、

〝彼女〟が叫んでいる理由はその姿が携帯の光が当たって明らかになった瞬間に解った。

 彼女は血まみれだった――。

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