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痛みを堪えて地底へ

――平成30年 03月 30日 金曜日 朝10時08分――

「ふう、ふう、はぁー、痛かった」

 一通りの応急処置が終わってパイプ椅子の上で正道は額の脂汗を手で拭った。

 その様子を見守っていた桜子も小さく息を吐いた。

「あの、私何もできなくて」

 今度はバッグから小さいハンドタオルを取り出して、彼の額に手を伸ばして汗を拭う。

「あ、ありがとう」

「ううん。お水、飲みますか?」

 訊ねてペットボトルを差し出してくれる。

 何があるか解らない、水は最低限しか使わないようにしなければ。

 けれど、女性と子供は最優先しなければという考えが先に立つ。

「俺は大丈夫。扇谷さんこそ、飲んでもいいよ」

「はい、じゃあ少しだけ」

 彼女はほんの一口だけこくんと水を飲んで、ペットボトルの封をした。

 彼女の差し出してくれたハンドタオルはそのまま拝借し、濡れた傷周りや手を拭いた後で、

 トンと、治療を終えた右足で床を付いてみると、先ほどより幾分楽になったとは言えやはり激痛が走る。痛みに背中を丸めて、

「親知らず抜いたときよりも痛いかも……」

 と漏らすと桜子が優しく正道の背中を撫でた。

 次に慎重に、ほぼ左足に体重をかけて、そのまま体を起こして立ち上がってみた。

 なんとか立つことは出来た。

「よおし。俺の鞄はっと」

 それだけの動作でかなり息が上がっている正道に、桜子はかける言葉がない。

 やめて下さいとも言えない。心配して彼を追うように手を伸ばすと、正道がその手をしっかり取る。

「大丈夫。けっこうガッチリ嵌まってるみたいだから、コレ。痛みに慣れちゃえば動けそうだ」

 正道の手は汗で濡れていた。桜子はそっと握り返し、正道の右前に立って、

「無理はしないで下さい」

 と懇願した。

「うん。ありがとう」

 少し握った手に力を入れて伝えた。


 付近を見渡すと正道の鞄もすぐ側の机上のトレイの中にあった。

「俺の鞄、ノートパソコンとか、あんまり役に立たなそうなものばかりだな」

 椅子を机の隣まで持って行き、正道がそれに座り、桜子は右隣に立っている。

「あ、でも携帯と充電器とかは使えるか、扇谷さんてiPhone?」

 取り上げられていた携帯も鞄と一緒に保管されていた。

「はい」

「よし、ラッキー。俺もだった。

 そうだな、革の鞄なんて邪魔だし、重くなければ扇谷さんのバッグに、

 俺の弁当も入れて貰って良い? それでこれは置いていこう」

「大丈夫ですけど、パソコンは? 大事な仕事の情報とか入ってるんじゃ……」

 問われて一瞬逡巡するが、

「命の方が大事だし。全然大したものないから、大丈夫。

 それにMacBookだから本体はあとで保証して貰えるんじゃないかな。

 ごめん、これだけ預かって」

 緑の弁当箱を受け取り、その際ふと、先ほどキスをしてしまったことを思いだして、桜子が訊ねる。

「あの、このお弁当、彼女さんに作って貰ってるんですか?」

 透明なケースの蓋越しの弁当の中身は意外にもバランスが良くて綺麗で、

 ご自身で作ってるんですか? と訊ねればよかっただけだったのについ踏み込んでしまった。

「え? いやいや、彼女とか居ないし、一人暮らしだし、自前だよ。

 弁当男子? とか言うほどでもないけど。クックパッドとか見てね」

 答えて、正道もそうか、と質問の意図に思い至り、

「あ、そいえば〝さっき〟の、俺の方こそ大丈夫だった? 彼氏とか居たらものすごい怒るよね……」

「……いえ、ううん。私も、居ないから大丈夫です。ごめんなさい、気を遣ってもらっちゃって。

 このお弁当凄い綺麗。私も自分で作ってるんですけどへたっぴいで」

「そっか。いやいや、大したことないって。そうだな、ソレ食べれるとこまで、無事に移動できると良いよね」

 彼女は受け取ったお弁当箱を抱えて、

「そうですね」

 少し心を許した顔で返答してから自分のバッグにそれを詰めた。

 正道は自分の携帯とその充電器はズボンのポケットに入れ、今度は交番の左奥手の方を見やった。

 桜子もつられてそちらを見る。

 先ほどの突風はあちらの闇から直上の遙か遠くにある空の割れ目に流れていった。

「――入り口が塞がってて、上があんなに遠いとなると、さっきの風が吹いてきた方か」

 構造物の裂け目の上空遙か遠いところに穴が開いていて空が見え、そちらを二人で眺めてから、

 桜子が携帯の明かりを先の突風が吹いてきた方へ向ける。

 こんなことになる前は壁があるだけだった交番の左奥手は壁が無くなり、

 その向こう側に巨大な空間が出来ているようだった。

「人が通れる位の穴になってるんでしょうか……」

「どうだろう……。よく知らないけど、バンカーバスターミサイルっていう兵器は、掘削して掘り進んでから爆発するみたいで、さっきのは爆弾とは違ったもの凄い音と嵐みたいな風は、それだったのかも」

 正道は彼女の照らす明かりを頼りに、慎重に右足を引きずって壁だった場所に開いている穴の際まで歩みを進める。

 彼の右手を桜子は両手で支え繋いで、彼女も彼の横からその穴を覗き込むと、それは緩やかに奥に向かって下って行く巨大な横穴になっていた。

「縦穴だったらどうしようかとおもったけど」

 直径は優に5,6メートルあり、さながら地下鉄の一車線のようだ。

 鋭利な刃物で削られたかのような掘削面は土ではなく、剥き出しのコンクリや鉄の混じったものが階段状になっていて、上野駅の構造物そのものを掘り進んだ残骸のよう。

 穴の奥底からは不気味な風が先ほどと同じように吹き込んでおり、

 正道は器用にバランスを取って今度は自分の携帯を取り出し、その光を穴の奥底に向けてかざす。

 奥に向かって光が差すと、円筒上のトンネルの底の部分には水の流れが上から下に流れているのが見えた。先ほどから聞こえていた水の音はこれらしい。

 下る方は照らせど奥の方には遙かに闇に続いているが、反対側の上る方はというと直ぐにかなり上方向に折れ曲がっていて、そこから先は建物の瓦礫に完全に埋まっている。

「地面に、というか駅に当たって掘る方向が変わったのか、それであっちに行ったんだ」

「この穴、何処かに繋がってると思いますか?」

「うん、上野駅って地下四階に新幹線のホームあるし。地下街もあるから、降りていけば何処かに繋がってるんじゃ無いかな」

「降りていったら、地下にはいけますけど、地上には出れるんでしょうか……」

 不安そうにそう訊ねる彼女の疑問はもっともだ。

「さっきの風がこの穴、つまり爆心からだとしたら、ここから離れれば通路とか駅が無事な箇所もあるだろうから。それにここで救助が来るまで待ってるのは……すぐ側にご遺体もあるし、難しいよね」

「あ、そうですよね」

 単純にここに留まりたくないという思いは二人とも同じだった。

「ここを降りてってみようと思うけど大丈夫?」

 しかし、無理強いをするべきではないと確認する。

「はい、日向さんが行くなら私ついていきます」

 彼の隣で彼の顔を見上げ、桜子は力強く応えた。

「危なそうだったらすぐ引き返すから」

「はい」

 二人は慎重に大穴に入り、それぞれの携帯の明かりを頼りに緩やかに下る坂道を降りてゆく──。

 慎重に、転ばないように。

 穴の底面は水が流れるくらい平坦になっているものの、

 構造物が削り取られた形になっているので転んで手などを突いてしまっては怪我をしてしまいそうな鋭い断面になっている箇所もある。

 正道は足を引きずっているので余計慎重にならざるを得ず、二人とも言葉を交わす余裕が無い。

 桜子は先ほどから正道の右に立ち、優しく左手を彼の右手と繋いでいる。

 彼は右足が不自由なのだから、もっと桜子の方に体重をかけても良いのに、

 そうはしないので少し心配してしまう。

 足下を携帯で照らして居ると、彼の右足の通ったところには血の足跡が出来ている。

 大量な出血では無いけれど、うっすらと靴跡が残る程度に。

 かなり痛いはずなのにその事は顔にすら出していない。


 しばらく大穴を進んだところ、穴は緩やかに左へ曲がりながら下っていた。

「あ」

 次の瞬間二人ともが声を揃えて目線を上げた。

 足下を照らす携帯とは別の光が穴の先の壁から漏れていたからだ、

 弱々しい緑の何処か見覚えの明かり――。

「あれ、非常灯?」

「地下の階の何処かに繋がって――」

 きゅっと、正道が桜子と繋いだ手に力を入れたので桜子の言葉は途切れた。

 暗い穴は未だ左に続いているが、右の別の穴から差し込んでいるその光に吸い寄せられるように、

 二人はそちらへと進んだ。

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