死と困惑の隣で
――平成30年 03月 30日 金曜日 朝9時52分――
すぐ近くに人の遺体がある。
先程の攻撃は実際に死者をだしたのだ。
外の様子や他の場所の状況は杳として知れないが、多くの死人が出たのかもしれない。
青木という警視はなぜか交番から出ようとして亡くなった。
災害対策マニュアルやJアラートでも部屋の中に固まっていた方が安全だと言っているし、彼女自身も先ほどそう言ってなかっただろうか? あるいは正道と桜子が気を失っている間に外に出て、崩落に巻き込まれてしまったのかもしれない。
さっき桜子の呼びかけに応じ、他の声は上がらなかった。
後の二人の警官も外にでてしまっているのだろうか、正道は自分の身近に他にも遺体があるとは考えたくもなかった。
彼の胸にしがみついていた桜子はだいぶ落ち着きを取り戻しているようだ。
「他の人も居ないのか。ここには俺たちしか。入り口は塞がってるし……」
正道はつぶやきを零す。
「……なんとか、なんとかキミを助けたいな」
決意表明だ。前述よりも少しだけ声が大きくなり、彼女の腰に回した左手にも力がこもる。
彼女は顔を上げて、正道の顔を下から覗き込むようにして、
「私、あなたを痴漢にしようとしたのに……何度も助けてくれて――」
凄く嬉しいと正直に言うのはこんな体勢で密着しているので、少し恥ずかしい。
正道は彼女が口籠もったの感じて何を伝えようとしていたのかなんとなく解った。
「え、と、その、さっきはごめん、キ――、くち、当たっちゃったりしてさ」
「そ、それは今謝らなくてもいいです」
充満する血液の臭いは鼻が馬鹿になってしまったのか二人とも感じなくなっているのかも知れない。
彼女がもう大丈夫だと思ったこともあって、腰に回していた手を解いて、
辺りを見渡し、すぐ側の倒れているパイプ椅子を起こそうとすると、
彼女もそれを見て正道の胸に寄せた体を離す、彼の胸にあてていた手のひらを離すのは少しだけ勇気が必要だった。ゆっくりと立ち上がり、彼が椅子を起こすのを助ける。
「座りますか?」
「うん、何をするにせよこの足をちょっとどうにかしないとね」
起こされた椅子に座るために少し立ち上がるのにも無性な痛みを感じたが、
心配して背中に手を添えてくれている彼女がいるからこそなんとか動くことが出来る。
「よっと、……くっそ痛いなコレ」
出血は止まっているのだろうか、それさえこの暗がりの中ではよく見えない。
桜子も彼の容態を一番に気にする。
「応急処置、少しでも出来るといいですよね。私、何かないか見てきます」
と座っている彼から目線を外し横を向く彼女に少し慌てて正道が話しかける。
「あ、一人であまり遠くには行かないで」
正道の顔に目線を戻しこくりと頷く。
「はい」
女子高生の割にはしっかりとした、凜とした女性の返事だ。
彼女は携帯のライトで床を照らして今度はすぐに、
「あ、私のバッグあった」
と、すぐそこだったので正道も見ることができて、床にはいかにも高校生がぶら下げてそうな補助バッグが転がっていた。スマホゲームのキャラクターのマスコット人形が付いている。
彼女はバッグを屈んで拾い上げる前に、ふと自分の下腹部に手を当てている。
その様子に、
「お腹、痛いの? どこか打ったとか」
と正道が問いかけると、こちらに向き直る。
下から照らされる彼女の顔には少し困った表情が浮かんでいる。
「え、あの、その――」
正道からすれば臓器などに異常があったのではないかと気が気ではない。
「――あの、さっき青木さんのその、亡くなってるところとか見てしまって、凄く怖くて、
その、少しおしっこを漏らしちゃって……」
最後の方は消え入りそうな声だったが、周りが静かなので聞き取れた。
「あの! 今日はナプキンしてるから、そんなでもないんですけど、なんとなく気持ち悪くて……」
こういうことを他人に言うのは相当恥ずかしいだろうなと思い、返す言葉が考えられない。
桜子は何事も無かったようにバッグを取り上げて正道のところまでもって来て、チャックを明けて中身を見ている。
「なんか、ごめん」
正道が結局それだけ返すと、彼女は首を横に振って、
「ううん、日向さんの怪我に比べたら全然で、でも伝えるの恥ずかしくって。私ばかみたい、こんな時に」
「そんなことないよ。男に言いにくいでしょ、そんなこと。どういう状況だってさ……」
彼女の手元の明かりに向かってそう呟くと、下から照らされている彼女の口許が小さい声で、
「やさし……」
と呟いた。
見た目軽そうなバッグには器用にいろいろなものが押し込まれているらしい。
彼女はしばらく手を動かしてから、
「あの、私、女子バスケット部でマネージャーやってるんですよね。
それでバッグの中にいつも……、あった! 消毒液と絆創膏」
「わ、助かる! ありがとう。色々持ち歩いてるんだね」
正道が反射的に言うと、下から照らされている彼女の顔も笑顔になる。
「あと、ペットボトルのお水と、体操服のジャージと、タオルと、お弁当とかあります」
どれもこの状況では命を繋ぐのに役立ちそうだ。
「あ、俺もさっき取り上げられた鞄に、今日の弁当はいってるんだった。どこかに転がってないかな」
「ええとー」
と腰を浮かせて探し始めようと彼女がしたので、それを制して、
「あ、とりあえず先に足をどうにか」
「そ、そうですよね」
まず正道は自身の首のネクタイを取って膝下に結ぼうとする。
「携帯のイヤホンのケーブルとかありますけど」
「いや、キツすぎると壊死しちゃうし、ネクタイくらい幅がある方がいいんじゃないかな」
「そうか、そうですよね」
「あ、痛くて手に力入らないや……」
「わ、私やります」
正道からネクタイを渡して貰い桜子が結いつける。
「キツい方がいいですか?」
「うん固結びしちゃって」
「わたしも、こういうの怖いんですけど、んっ――」
大怪我におっかなびっくりしながらも彼女はきちんとネクタイを膝下に結びつけた。
「ごめんなさい、私のお父さん病院の医院長なんですけど、私ぜんぜん今までこういうことやったことなくて……少し位勉強しておけばよかったかも」
「そうなんだ。いいよ全然、しっかり結べてるし。だいぶ楽になった。そうだ、ソーイングセットとかって持ってます?」
「え、ええっと、はい」
バッグをまさぐってソーイングセットを取り出す。
「よかった、助かる。このズボン切っちゃう。あっても邪魔だし、血が固まっても重いだけだし、
不潔になっちゃうからさ」
結び目から下の足のところを指示して、正道はソーイングセットから裁縫ハサミを取り出し、
スーツのズボンに刃を入れていく。
すでに血が固まりだしているところがあって、そこを切るには力を入れなくてはならなくて、
バチンと大きな音がする。
桜子はその音と、ライトを当てているので徐々に明らかになる傷口の見た目に恐怖感を覚えた。
携帯を持つ手が少し震えているのを見て、
「なかなかグロいよね、俺もこんな大怪我ってしたことないし」
自分でも参りつつズボンを引き裂いて取り外す。
幸いなことにその貫通した鉄の棒以外の箇所には怪我は全くなかった。
「ふう。お水、借りて良いかな。後で飲むことになると困るし、少しだけ使わせて?」
「はい。そうですよね、いつ助けが来るかもわからないですし」
彼女からペットボトルを受け取って、開栓し、傷口に水をかけた。
かけた勢いに関わらず激痛が走り体が思いっきり撥ねる。
「ぐ!!――」
彼女は彼の様子に思わず彼の腿に手を添える。
「あり、がと、やっぱかなり痛いわ」
指先で丁寧に傷口周辺を洗い流すと、皮膚とその下の脂肪と骨が割れて鉄の棒が飛び出している様子がよく見えるようになった。正道は自分でもその様子に少し震えそうになるのを堪える。
桜子がおろしたての真白いタオルを
「使って下さい」
と差し出すが、
「いや、それはまだ使い道あるだろうから、取っといて。血でぬらしちゃうとさ。消毒液を」
言われて消毒液を手渡す。
「これは使い切っちゃってもいいかな?」
元々使い古しで半分くらいしか残ってなかった。傷の状態から見ても相当使わなければならないだろう。
「はい、でも痛いんじゃ?」
「多分相当ね。でも、まぁなんとかなるでしょ。ヒッ!!」
ピュッと少し鉄が突き出ている箇所にかけただけで悲鳴を上げている。彼女もたまらなくなって顔を背ける。
「くっそ、反対側もあるのに、これかよ」
しばらく悲鳴とも鳴き声とも着かない声が続いたがなんとか消毒液をかけ終わった頃には、正道は疲れ果てていた。
「はぁ、はぁ、やばかった。反対のふくらはぎの方は穴は開いてるけど鉄は出てないみたい。
出血は酷いけど」
それからふくらはぎ側に桜子の持っていた絆創膏を何重にも重ねて張り込んだ。
流石に鉄の棒が飛び出ている側は引き抜くことは出来ず、そのままにしておくことにした。




