オトナの理知
――平成30年 03月 30日 金曜日 朝11時07分――
――三人となったことでこれからを考えることに少し前向きになった。
正道はとりあえず先ほど通りかかった防災倉庫に何か役に立つ物があるはずなので、そこへ向かうべきではないだろうかと考えていた。徐と名乗った少女の手を取り桜子が立ち上がり、その後桜子は正道の隣に来て、正道にも手を差し伸べる。
「あ、あの日向さん」
言い難そうな顔をして、少し考え込んでいた正道の顔を桜子が覗き込む。
「ん? どうしたの?」
「あの、さっき私が行ってきたお店、喫茶店、サンマルク、と、その前のおにぎり屋さん。
何か食べ物持ってくれば良かったかなと思ったんだけど。あ、それと――」
確かにこんなことに巻き込まれてからなにも食べていない。
徐ともこれから一緒に行動するなら何か食べておくべきかも知れない。
徐は正道の脚の怪我に今気がついたようで眼を白黒させてから伏せている。
「それと?」
正道が桜子の方を向くと桜子は徐の顔を優しく見てから、
「私も日向さんのこと、正道さんって呼んで良いですか?」
徐が桜子の顔を見上げた。
桜子としてはこんなことになって、もう気が置けない仲なのだから徐が正道お兄ちゃんと呼ぶなら、自分も彼のことは名前で呼びたいと思った。――少し照れてしまうけれど。
「うん、いいよ。そうだね、徐ちゃんが、名前で呼んでくれるならお互い名前の方がいいか」
正道がにこりと笑って首肯すると。
「あ、だったらわたしも、名前がいいな。わたし、宏琇って言うの」
「ホーシュー? か。変わった名前だな」
「徐宏琇。スー・ホーシューは、大きな美しい玉という意味なの」
「そっか、綺麗な名前ね。よろしくね宏琇ちゃん!」
「うん! ありがとう! 桜子お姉ちゃん」
柔らかく微笑み合った後、改めて正道に手を差し出し手を取り合って、桜子の手を借り正道が立ち上がる。
「……正道お兄ちゃん、その足。さっきので、お怪我したの?」
破かれたスーツのズボンの下から露出している鉄筋からは未だ少し血が垂れていた。
「うん、でも大丈夫だから」
「すごい、痛そう」
「いや、でも、目の前で大切な人が居なくなっちゃった宏琇ちゃんとか、
普通の通学の最中にこんなことに巻き込まれちゃった扇……あ、桜子さんに比べれば大したこと――」
「あります!」
正道の右手を取った桜子はぶん、と大きく手を振って少し大きめの声で否定した。
「あの、宏琇ちゃんの前だからって、嘘もつかないでいいです。
私は貴方を痴漢にしようとしたんだから……ほんとにごめんなさい」
改めての謝罪の言葉だが、正道自身謝られるような事では無いと思っている。
ここまでの顛末も含めて、逆に桜子が居なかったとしたらそちらの方が乗り越えられなかっただろうから。
宏琇は、二人のやりとりを訊いてこの二人にも事態に巻き込まれたのには複雑な理由があるのだと察した。
「あの、わたし……」
訊いたらまずかった事だったかもと思い至り宏琇が呟くが、
「桜子さん、ありがとう。解った、もう嘘はもうつかない。
宏琇ちゃんは気にしないで? 俺が後で説明するから。
そうだな、とりあえずそこの奥のお店に行ってみようか」
左手でサンマルクを指さした後、正道はその手で宏琇の右手を取る。
正道の手はぼろぼろだし、宏琇の手はまだ少し血が着いている。
「あと、お店に行ってから防災倉庫に行こう。もし本格的なとこなら着替えとかもあるだろうから。
宏琇ちゃんもそのカッコじゃ――」
髪に着いた血液はあらかた桜子が拭ったがそれでもまだ血まみれで、でも父親の決死の代償という意味ではそれは特別なのかも知れず二の句が継げないでいると、彼の右に立っていた桜子は何やら思いついた様子で、
「あ、そうだ、私ジャージ持ってるから、宏琇ちゃん、あとで着替えよう?
その服だと……お父さんの血だから、悲しいでしょう?」
けれど途中で正道が言葉を濁した理由も拾って、自分なりに考えてこう口にする。
宏琇は自分の父親の血液に濡れた白色のワンピースを見て、
「うん。でも、お姉ちゃん、お兄ちゃん、これ、捨てないでもいい?」
自身が形見なのならばその一部もまた形見だ。
正道が繋いだ手をそっと優しく繋ぎ直して桜子を見遣る。
「うん。もちろん、お姉ちゃんの体操服の袋に入れて、持って帰ろう」
桜子が優しい声音で告げた。
「うん! ありがとう!」
宏琇は子供らしい柔らかな笑顔を初めて二人に見せた。
桜子が何気なく口にした〝帰ろう〟と言う言葉に本当にこの二人を無事に帰さなくては、
と正道は心に決める。
宏琇に正道の足をやたら心配されながらも、
二人が彼女のところに辿り着く前の事を少しだけ話ながら先ほどのサンマルクの前に移動する。
「あの、お店無人だから、どうすればいいかなってさっき思ったんです」
やや不安な表情をして桜子が横目に正道を見る。
「そっか、無断だと泥棒かぁ」
正道があっけらかんとした口調で言うので桜子は改めてどうしようと思うが、
「レジに行こう」
と正道が告げたので、三人で手を繋いだまま店舗の入り口付近のレジまで行く。
「よし、これなら解るな」
カウンター越しにレジを覗き込むと、正道はレジのキーを回して現金の入ったトレーを向こう側へ引き出した。もうここに居た人たちは逃げたのかも知れない。現金は手つかずで、かなりの金額がレジに入ったままになっている。背が低い宏琇は隣の正道を見上げている。桜子もどうするのだろうと覗き込んでしまうが、
「こうすれば泥棒にはならないでしょ?」
スーツの胸ポケットから財布を取り出して、一万円札をレジに入れトレーを閉じた。
チーンとレジから音が鳴る。
一万円も! と桜子は思う。
「正道お兄ちゃんすごい!」
隣の宏琇は素直に彼の行動を評価した。
「せ、千円とかでも良かったんじゃないですか?」
繋いだ手を不意に離されて手持ち無沙汰だった桜子は胸の前に片手を当てて問う。
「まぁ、こんな時だから、お店の人もお金はいっぱいあった方がいいだろ?」
繋ごう、と桜子に手を差し出される彼の手を取りつつ、
「正道さんってカッコイイんですね」
とボソリと桜子が言うと、
「そかな、ありがと」と彼は返した。
「さぁ、これで食べ放題だ! と言いたいところだけど、
テイクアウト出来る物で持ち運びできる物をちょっとだけ拝借することにしよう。
まぁ、コーヒーとかも保温瓶に入れて持って行けはするけど、
あまり荷物にならない程度にしないとね、宏琇ちゃんは何か食べたい物ある?」
宏琇がどれだけの時間泣いてたのかは知らないが、彼女もかなり消耗しているはずだと踏んだ正道は、
彼女が何を食べられるか訊いておきたかった。目の前で父親があんなことになっては、肉類は食べられないだろうから。
「……え、あの、パンとかかな。甘いのなら」
突然話を振られて少し悩みながらも彼女は明確に答えてくれた。
「よかった、桜子さんも甘いパンでいい?」
彼女もまた何人かの遺体と遭遇している。
「うん、そうね、こういうお店に来られたんだから、しっかり食べられるかなと思ったんだけど、
今はお肉とかは私も無理かな。甘いパンってあるのかな」
「二人とも無理しないでね。
……解った、一緒に探してみよう。うーん俺は頑張れば肉もいけそうだけど……」
「正道さんは、お肉とか、もっと高カロリーのもの食べた方がいいです。血が出ちゃってるし」
眉を下げて心配そうに正道の腕に繋いでない方の手を添えて桜子は伝える。
「まぁ、俺も肉は難しそうなんだけど、そうだなぁ、やっぱりここは飲み物にしておいて手前のおにぎり屋さんでも何か貰おうか」
確かにおにぎりならば何でもお腹に入りそうだった。
「おにぎり! わたし好き!」宏琇も乗り気になってくれる。
「そっか、その方が良いかも。
だったら、あの、正道さん、
私ちょっとだけど喫茶店とかでバイトもしてたから、
勝手がわかれば何か作れるかも。
パフェとコーヒーが一緒になってるフラペチーノみたいな飲み物とか」
桜子はとにかく二人に栄養価の高い物を口に入れた方が良いと言いたかった。
この際甘ければ高カロリーだろうか。
「すごい! 桜子お姉ちゃんパフェ作れるの!?」
それなりに傷ついているのに宏琇は明るい子供らしさを精一杯見せてそう言ってくれる。
正道はその努力も察して彼女の頭を手で撫でながら、
「じゃー、俺、桜子さんのスペシャルパフェで」
「わたしもー!」
二人の答えに空気が和らぐ。
「ふふ、解った。それじゃちょっと、そこの席で待ってて貰えます?
多分お店のタンブラーとかがあるからそれにいっぱい入れて、三人分作ってみるね。
あと、甘いパンもあれば探してみる。
あ、一緒には来ないで大丈夫。ここに居てくれれば。私は安心だから。」
先ほど誰も居ない店内に恐怖心を覚えた桜子だったが、二人がいるだけで何も怖いことはなかった。
店内の真ん中の席に二人に着いてもらい、一人すたすたとキッチンへ向かった。
「ありがとう!」
背中から正道に声を掛けられて振り向くと、宏琇もにこりと笑って頷いていた。




