足を動かして
――平成30年 03月 30日 金曜日 朝10時45分――
から
――平成30年 03月 30日 金曜日 朝10時55分――
僅か十分間の出来事
正道は突然明るくなった地下街を見回した。
少女の父親が巻き込まれた通路以外に潰れた経路は無いらしく、辺りにはそこから漂う人々の血と配管が壊れたことで溢れ出した地下水の、入り混じった臭いが立ち籠めてはいるものの、反対側の地下街の店舗街はただ人が居なくなりもぬけの殻となった店が連なっているだけだった。
――正道の頭を過ぎったもの。
「――通電火災……ガスもか」
奥手には食事を提供する店もある。危機感に見舞われ思わず桜子と繋いでいた手に力が籠もる。
彼女も釣られるようにして、眼前のめちゃくちゃに破壊された通路から目を離し、不気味な静けさの地下街の方に目を向ける。物音は自分たちの音と流れる水の音だけ。
「……私も、聞いたことあります。それ」
正道の言葉を受けて、
「火事になったら大変!!」
と腰を上げる。
正道も彼女に倣って立ち上がろうとするが足が言うことを聞かない。
「あ、日向さん、日向さんはその子を見ててあげて下さい!」
少しだけ彼と繋いだ手を解く時に慎重になりゆっくり解いてから、ローファーのつま先でキュッと音を立てつつ立ち上がり、桜子は腕捲りこそしなかったが意気込んで、誰も居ない地下街の方をじっと見据える。
「私、一人で行ってきます。ガスとか出てたら止めてくるし、火が出てたら消化器で消してきます!」
己を鼓舞するように少し大きめの声で正道の瞳を上から覗き込んで告げる。
「扇谷さん、でも、もしこの子みたいに傷ついた子や、亡くなった人が居たら……」
正道は心配そうな顔で見上げている。
「もし怪我をした人がいたら、ここに連れてきますし。亡くなった人がいても、もう大丈夫です! 私には貴方と、あと、この子も居ますからっ」
そう少しだけ気を張った笑みを作った彼女は、明かりの下で改めて見ると目鼻立ちが整っており、女子高生と言うには少し大人びた雰囲気をしているように正道は感じた。痴漢冤罪を仕掛ける女子高生とはもう思えない、彼女の意志は見て取れる。
「わかった。……でも気をつけて」
それだけゆっくりめに言うと、
「はい!」と、彼女は元気よく返事して明るくなった通路を飲食店の方へと躊躇なく駆け出した。
正道は桜子が綺麗に拭いてあげた少女の髪を撫でながら、
「早く戻ってくるといいな」とこぼした。
桜子は少し見得を切ってしまったけれど、これ以上遺体を見ることは避けたいとは思っていたが、守るべき者と共に居るべき者がある以上、この危機を逃れるために自分の出来る事ならばしようと胸に決めていた。と言うより、正道に助けられた時からそうだったのかも知れない。ほんの数時間前とは自分自身がまるで別人の様になっていた。
「すみません! 誰か居ませんか!」
誰も居ないサンマルクカフェに桜子の声が響いた。
しかしあの崩壊までは確実に人が居た様相は残している。
衝撃で散乱した飲食物。机の下や横にある客の荷物。食べかけの食事。
本当に人間だけが居なくなってしまったようだ。
「――もう避難したあとなのかな?」
見慣れぬ光景に戸惑い、また遺体にいきなり遭遇しても耐えられるようにと、慎重に足を進め店舗奥の厨房にまで辿り着く。厨房にも人の姿はなく、先の衝撃でずれたのであろう、斜めになった状態でコンロから落ちかかっている鍋からはまだ湯気があがっていた。
見回したところ幸い火が出ているところはなかった。
ガスや電気の元を辿ると、店舗の事務室の壁に配電盤と思われる電気設備を見つけた。
電機は得意では無いがそこを開けた桜子は、ランプが〝非常〟のところに点灯していることを確認した。配電盤の蓋の裏にはマニュアルがぶら下がっており、急いで流し読むと、
『非常の際にはガスは自動で切断されます。加熱用の電熱機器も同様です。』
と言う一文を発見し胸を撫で下ろした。
それでも念には念をと、業務用の電子レンジなどの裏に手を突っ込み太いコンセントを抜いたり、
鍋をコンロから降ろす事は道を戻りつつ手早くしておく。
「……これで大丈夫かな」
厨房を出てレストランフロアを出て、店舗の出入り口まで戻って来たところで、
「あっ」
ふと思い立つ。ここならば正道と少女に温かいご飯を持って行けるんじゃ? と思った。
でも誰も人は居ないからお会計とかはしようがないし。これって俗に言う火事場泥棒なんじゃ……。
でも、正道の怪我の容態を考えると、何かしら口に入れて貰った方が良いに違いない。
そう思って踵を再度店舗の奥へ向けようとしたが、先程はなんともなかったのに、もう一度、誰も居ない店舗の奥へ行こうとすると少し恐怖している自分に気がついた。
胸に手を当てて、
「あれ? おかしいな、さっきは怖くなかったのに――」
心臓が忘れていたかのようにドキドキし出して、もう一度店舗の奥に行く勇気は結局湧いてこなかった。
(――はやく日向さんのところに戻りたい――)
店舗の入り口まで戻ったらもうそれしか頭の中には無かった。今は自分の気持ちに素直に従うべきかなと思いつつ、彼のところへ舞い戻ることにした。
正道は桜子が戻る前に、足を引き摺りつつも少女の父親から遺品を得ようとしていた。
亡骸の手からなんとか指環を抜いて来て、少女のところまで戻りったところで、人の気配を感じて振り返ると、桜子が丁度走って戻ってきたところで、
「――遺品ですか」
少し肩で息をしながら問いかけてくる。
「大丈夫だった?」
いずれ遺体は回収できるだろうが、彼女との結びつきがあるものは必要だ。
形見にもなるだろうと思った。
少女の指にはその指環は大きすぎて薬指ではなく人差し指に付けてあげた。
その様子を見ていた桜子は、先ほど大泣きして居たのに、
頑張って火が出ていないか見てきてくれた。少し気持ちが落ち着いたようで、
「はい、火事とかは大丈夫みたいでした。――日向さん気が利きますね」
正道に柔らかい笑顔を見せて少女の隣で膝を折り、横たわる少女の涙が流れた頬に指を沿わせつつそう言った。
「うん、なにかあればなって……」
すると、
「ん――」
少女が目覚めた。
二人が上から覗き込むと、少女は少し驚きながら、
「あ、お兄さん。お姉さん。わたし……」
自分の状況を理解するのにゆっくりと時間を取って、少女は違和感を感じたのかおもむろに右手を持ち上げ、人差し指に付けられた指環を見た。
「……これ、お父さんが付けてた……」
正道も桜子も最初の一言で『大丈夫?』と声を掛けていいものかと悩んでいた。
父親を眼前で失う衝撃など計り知れない。声の掛け方が解らない。
「うん――きっと大切な物だから」
正道が少女の視線から指環を見つつ応えると、少女は大切そうにその指を左手の掌で包んで、
「……あの、ありがとう。助けてくれて」
二人に向けて言った。
急にほろりと来たらしく、桜子は目頭を押さえ、
「よかったぁー」と声を殺して呟いた。
「ほんとに」正道も安心して少女の頭を撫でた。
少女も少しだけ安心したようで笑顔とまで行かないが、顔が明るくなった様に見えた。
「わ、わたし、徐っていいます。あ、その、台湾人と日本人のハーフです。お兄さんと、お姉さんはなんて呼べば?」
少女の日本語は流暢で全く違和感は感じないけれど、先ほどの〝叫び〟が聴き取れなかったのはそのせいもあったのかと少し思いつつ、自分たちの事を自己紹介してないなというところも思い出して、
「ああ、俺は日向正道。まさみちでいいよ」
「私は、扇谷桜子、私もさくらこでいいよ?」
二人が優しく話しかけると少女はこくりと頷き、
「正道お兄ちゃんと、桜子お姉ちゃんね。ほんとにありがとう」
身体を起こして辞儀をした。
――こうして生存者は三人になった。




