暗転の瞬間から救いの瞬間――宏琇――
――平成30年 03月 30日 金曜日 朝9時??分――
から
――平成30年 03月 30日 金曜日 朝10時45分――
の間の出来事
今日はパパとのデートの日だった。
私とパパは血が繋がってない。
私はママの連れ子で、台湾人の母親と中国人の父親のハーフで、パパは日本人でママの再婚相手だったのだけど、ママが浮気してそれで去年お別れしてしまった……。だから私はママがあんまり好きじゃない。
折角日本に来て、親子で頑張っていくんだってところに現れた素敵なパパをないがしろにするなんて。女としても許しがたい。
しかも日本は離婚の調停が厳しくて、ママがパパを拒否したことになってるから私はパパに普通に会うことすら難しい。
でもパパが小学校の先生に掛け合ってくれて。
たまに今日のように内緒の休みをくれて。
それでパパとこうやって東京でデート出来るはずだった。
なのに――。
上野駅地下の日比谷線銀座線連絡通路で、最初のアラームが鳴った。
パパはスマホを持ってるけど、私はママに預かったお子様ケータイしか持ってない。
でも今日はママにGPSで居場所を知られるわけにはいかないから電源を切ってあった。
周りの人たちの携帯も一斉に鳴り出して、朝の地下鉄の通路に居た大勢の人たちが皆してスマホを取り出していた。
「パパ、何かあったの?」
「いや、ここんとこ多いんだ、またミサイルの警報だって」
格好良いスーツ姿のパパは私を安心させるように大きな掌で頭を撫でてくれる。
私は小学五年だけど、成績はクラスでトップだし、身長も上の方だし、こういう世界情勢にだって詳しい。
「またなの? 最近日本も危ないのね。ママよりも怖いかも……」
「はは、上手いこと言うね」
「うーん、でもパパに会うのもすぐダメって言うし、やっぱりママも怖いかも」
私はパパとママの関係は解ってるつもりだ。というよりこういう問題は誰より私が一番解るはずだ。
二人の関係はとっくに冷え切っている。けれど連れ子なのに私のことをパパはとても大切にしてくれた。パパを不安にさせたくないから私はこういう冗談を気さくな笑顔でパパに言う。
「ふふ、かなわないな~」
そういってパパは優しく私の髪を撫でてくれる。
あのママから受け継いで唯一役に立ってるのはこの綺麗な髪くらいだろう。
私はいつかパパのお嫁さんになりたいと思っている。いつもパパは、
〈冗談だろ? こんなに可愛いお嫁さんなんか貰えないよ~〉
と言うけれど、血は繋がってないんだし、私はパパのことが昔はパパとして好きだったけれど、最近はちゃんと一人の男性として好きなのだ。
だから今日だって一番映えて、大人に見えるお姉さんコーデをしてきたし。
もっとパパに見て欲しいし、もっと私と一緒に居ることを楽しんで欲しいなぁ。
――そう思っていたところを遮ってまたアラームが鳴り響く。
「なんなのー? もう、迷惑~」
パパと腕を組んでくっつきながら、パパのスマホを覗き込む。
「そうだなぁ。困ったもんだ」
パパはママより3歳若い28歳で、身長は180センチ。
いいとこの商社勤めなのに、他の日本人男性と同じで弱って眉毛を八の字にしてスマホを覗く姿はなんとも情けない。私がカノジョになったらもうちょっとぴしっとして欲しいなー。
ほんとは優しくてイケメンなんだから。
そう思った矢先の事だった。
どこか遠くからもの凄い大きな音が聞こえ、次の瞬間にパパは私を抱き締めた。
親子とは言え娘が11歳にもなれば、パパも私が一人の女性だと認識してくれているようで、普段は熱烈なハグなんかはしてくれないから、非常事態の中であることと奏上してその行為に胸が高鳴った。
「……ぱ、パパ!?」
「大丈夫だ、パパが一緒に居るから」
ぎゅっと抱き締められて、その私たちを見ている周りの人の視線も感じて少し恥ずかしいけど、それでもとても嬉しかった。
しかしそれ以上に、周囲の人たちにはその轟音による動揺が広がっていた。
轟音は大きくなり、やがて地下道自体が揺れ始める。
「今度は地震!?」
大人が立っていられないほどの揺れになってきて、私はパパの胸にしがみついたまま通路に二人で座り込んだ。
そしてパパが上を向いたのと、直ぐ近くから何か異常な音がしたのは同時だったと思う。
それまで私をきつく抱き締めていた腕を急に解いて、パパは私をその場に立たせた。
「えっ、パパ!?」
「ここにいちゃいけない! 逃げよう!!」
パパも床に膝を突いて立ち上がろうとした瞬間。
私たちの居た通路の天井が崩落した。
パパはそれに一早く気づいて、私をより大きな通路の方に突き飛ばした。
「きゃっ――」
轟音が金属の音に変わったと思った直後に、パパは元々通路だった場所を塞いだ落下物に体ごと押し潰されていた。私はパパとは数十センチしか離れて居なかった。
落下物と床の割れ目に挟まれているパパに慌てて縋り付き、なんとかその手を取ったが、既に掌には血が付いていた。
「パパ、そんな、嘘でしょっ!? パパ、パパ!! やだよ、こんなの!!」
パパは鋼材の下で最期の力でうっすら眼を開け、私の手を優しく握り返して、私が無事であることを確認してから、
「――宏琇、生きて」
と、呟いて微笑みながら瞼を閉じた。
直後に更に上から重みがかかったのだろう、パパの身体が潰されていく音がして、手を繋いだままの私にパパの身体から溢れた血がかかった。
途端に私の中で何かが壊れてしまったんだろう。目の前で起きたあまりにも一瞬で、最悪の光景に、頭も、体も、心もついて行けなかった。他の人がどうなったかは覚えて居ない。ただその場に立ち上がって、感情に任せて叫び続けた。
やがて周囲の明かりも消え、目の前が真っ暗になり、
パパの血の匂いに包まれて、私も死ぬのだという感情の滂沱に身を委ねていたのだが、
その後いつの間にか、そんな私を包むものがあった。
何か判らなかった。ただただ優しい、パパでもママでもない、人の温かさだった。
壊れてしまってもいい、死んでしまってもいいと思っていた私の心に、
何か暖かい光がするりと入り込んできて、私はパパの最期の言葉を思い出せた。
『生きて』というパパの瞳に似た瞳が私を覗き込んでいた。
ただ、私の心は既に限界で、その優しい光に縋って、その人の胸に飛び込んだのだった。
* * *
――少女が眼を覚ます前――
桜子は少女の顔に付いた血液を、ペットボトルの水で濡らした真新しいタオルで優しく拭っている。
少女の頭には枕がわりに彼女の体操着入れの袋をあてがっていた。
「――危なかった、俺もパニックになるところだったよ」
少女の横で桜子の左手と指を絡めて右手を繋いで、右足を立てて床に座った正道は
額の汗を左手で拭った。冷や汗とも脂汗とも取れない嫌な汗だった。
「――私も危なかったです」
しっかり繋いでしまった手を解く事が出来ず、少し恥ずかしい桜子は右手でせっせと少女の血を拭いている。
「綺麗な子……」
血液を拭いてあげると、その子の顔は整っていて、大人っぽくて、思わず桜子がそう漏らすのも解る気がした。幾つなんだろうか、見た目ではさして桜子と変わらない様にも見えてくる。
桜子もそう思いつつ、亡くなった少女の父親とはどういう事でここに居たのだろうか、何故少女だけが生き残って他の人達がいないのだろうかと思う。
「一体他の人たちは――」
正道も同じことを考えていたらしく彼が言葉を発した時、周囲に電気的な音が聞こえた。
二人して顔を上げると、ブーーンと言う音を立てて地下街に明かりが一斉に灯った。
非常灯ではなく通常時の照明だ。
「補助電源に切り替わったのか!?」
正道と、桜子は二人ともそれまで暗いところに目が慣れてしまっていたので、突然の明かりの眩しさに眼を伏せた。
「まぶし」
「扇谷さん、大丈夫? 結構長い間暗いところにいたからね。……あ」
正道は眼を細めたまま周囲を見回すが、やはり動いている人は自分達しかいない。
しかし直ぐ新たな身の危険に気付いたのだった。
三人目の少女の名前は 徐宏琇(スー・ホーシュー Xu Hung hsiu)中国台湾ハーフの11歳女性。
父親(爸爸)は日本人男性である。彼女もまた偶然上野駅に居合わせこの攻撃に巻き込まれた。




