小川の向こうは次の村
夜じゅう休まず歩いた。
意識が朦朧とするなか、いつの間にか倒れ込んで眠ってしまったらしかった。
夜明けの薄明かるいなか草でかぶれた顔が痒くて目が覚めた。
少しずつ意識が覚醒して…ゾッとした。
良く生きて朝を向かえられたと自分でも思った。
視界の隅が小さく点滅していて何だろうと思ったら倉庫の中のウサギが13匹になっていた。
まさか寝ながら戦って自分で倉庫に入れたとか?
そんなの有り得ないでしょ…どんなに思い出そうとしても昨夜の記憶は欠片も甦らなかった。
朝から無駄に体力を使った気がする。
大きなため息を1つ付いて、よっこらしょ、と勢いを付けて立ち上がったら背中でクシャ、って音がして何か揺れた。
「え?」
振り返っても見えないから両手を背中に回してみる。
ん?
リュックサック?
両手を前に戻して肩に紐を探した。
探しながら頭の中はハテナマークが飛んでいた。
昨日までは何も背負ってなかった、はず。
絶対じゃないけど、背負ってたら分かったと思う。
細い紐を手繰って背中から下ろして見るとリュックサックじゃなくて、紐を絞るだけのナップザック?らしかった。
何で急に?
念のためじっと見て調べてみた。
え?
これって本の魔法の袋と同じだ。
物の量と重さが50分の1になる優れ物だった。
倉庫からウサギを出して袋へ入れてみる。
今度は出してみた。
「使えそう」
無意識に呟いた独り言が空しくなって、袋からウサギを出して倉庫に戻した。
でも誰が?
剣と言いこの袋と言い、誰かが助けてくれてる?
出来るなら助けるんじゃなくて日本に戻して欲しい。
顔が痒くてお風呂入って薬塗りたいし、急にお腹も空いてきて気持ち悪くなってきた。
何か食べたくても倉庫にはウサギしかない。
焼いたら食べれると思うけど剣で解体する勇気は無いし、火を起こすマッチもライターも焼くフライパンも無い。
恨めしい気持ちで前に見える景色を目指した。
多分今頃は8時30分を過ぎたばかり。
会社員の体内時計は正確だから誤差は少ないはず。
何時もなら駅から会社に向かってる時間。
今日で3日目。
明日の朝までに帰れなければ、会社は首になる。
この状況だから仕方無い、と自分を誤魔化したいけど無職になる不安は忘れられそうに無かった。
とぼとぼと歩き出して直ぐに後ろからカタンカタンとリズミカルな音が聞こえてきた。
必死に音の元を探がしたら、空の荷車を象くらい大きな見たこともない動物が引いていた。
荷車の先頭には手綱を引くおじいさんが座っていた。
気が付いたら、私は全力で走り出していた。
「待ってー、待って下さーい」
必死に大声を出して、大きく両手を振った。
それなのに、おじいさんに私の声が聞こえなかったのか、ズンズンと荷車は走って行ってしまった。
呆然と荷車を見送った私は崩れるように地面に膝を着いた。
立とうとしたけど重い靴で無理して走ったから、両足がプルプルしてて直ぐには立てそうもない。
情けなくて前に両手を付いた。
ぶつける宛もない怒りが沸々と沸き上がる。
何で私がこんな目に…。
こんな所に誰が連れて着た!
怒りが向かう1番はそこだった。
この時を後から思い返すと、軽く鬱だったかも。
疲れきってる体に鞭打って、荷車が向かった方向へと歩き始めた。
進む方向を変えたのは荷車の行った先に村か町があるはず、って思えたから。
無さそうだったら、戻ってきてまた塔らしい景色に向かって歩くしかない。
こんな時は正確な状況判断とか本にはあるけど、私にはどっちが北かも分かってないから意味無いし。
もう一杯一杯で冷静に考える余裕は少しも無かった。
どれくらい歩いただろう。
草原の先に森が見えた。
あそこまで行けば、果物が成ってるかもしれない。
自然歩くスピードが速くなった。
森はそんなに大きくなくて、鬱蒼とはしてない分果物が成る木も見当たらなかった。
ガックリした気分で森の中を歩けば、水の流れる音が奥から聞こえてきた。
水がある!
重い靴で走り出した。
森が終る所に幅1メートルほどの小川が流れていて、その先に前の村とは違うしっかりした塀が見えた。
村だろうか、町だろうか。
塀の中に目印にしていた塔は見当たらない。
どうしよう…。
前の村の事が無ければ無防備に飛び込んでる。
でもあんな思いをした後では怖さが先で足が進まなかった。
少し迷ったけど、このまま歩き続けるのはもう無理。
警戒しながらでもあの塀の村か町に行くしかない。
そう覚悟を決めてから、屈んで小川を覗き込んだ。
そんなに深くは見えなかった。
深くてもふくらはぎくらいに見える。
血が着いてるはずの顔が気になって水に写そうとしたけど、覗き込む角度が悪いのか上手く写せなかった。
仕方無いから両手を洗ってすくった水を1回飲んで、その後何度も何度も顔を洗った。
気が済むまで顔を洗って、もっと水を飲もうとしたけどすくう手が止まってしまう。
ここで飲み過ぎたら今度はトイレに困る。
もし目の前の村か町が前の村と同じなら…その恐怖が水をすくう手を止めさせた。
トイレがある所まで量を飲むのは諦めよう。
村か町へ歩き出し掛けて足が止まる。
もし血の付いた服を不審に思われたら何て説明しよう。
言い訳を思い付けないまま服を見下ろした。
「え…え、嘘…」
信じられなくて、思わずウサギに裂かれた肩口へ手をあてたら痛みは無くてごわごわの布の感触しか無かった。
服を引っ張って引っ掛かれた場所を目で確かめてみた。
「何で…」
言葉が出なかった。
ウサギに襲われて引っ掛かかれたのも服を裂かれたのも現実じゃなくて夢だった?
そんなはず無い。
首元から手を入れて引っ掛かれた場所を触ってみたら治りかけの瘡蓋の感触があった。
「…現実だ、良かった…」
自分の記憶は間違ってなかった、内心ホッとしてる自分に複雑な気持ちがあった。
意識の片隅に、もしかしたら自分が狂っててこんな有り得ない夢を見ているのかも…って恐れが消えなくて現実な事に安堵してる自分が此処に居た。
「よし、行こう」
大きく息を吸い込んで前を向いた。
少し幅の狭くなってる場所を渡って、塀へ向かう。
何時でも出せるようにイメージしながら剣を倉庫に隠した。
外から見た感じは清潔そうな村か町に見えた。
塀の中は思ったより広くて、30件くらいの家が中央の広場を囲むように建っていた。
やっぱりゲームクリアの表示は出ない。
クリアの条件を満たさないと帰れないのかも。
がっかりしたら大きなため息が出た。
見ると前の広場には屋台が2つ出ていた。
食べ物があるとは限らないのに、屋台を見たらお腹がグーって鳴いた。
売っているのが食べ物なら、ウサギと変えてくれるか聞いてみたい。
警戒しながら塀の中に足を踏み入れた。
「珍しいね。冒険者だよ」
屋台で何か買っていたおばさんが私を見てきた。
「あんた1人かい?仲間は?はぐれちまったのかい」
私が何か言おうとあわあわしてるうちに、おばさんがポンポン捲し立てた。
「そんなに汚れちまって」
おばさんは哀れむように私の格好を見た。
ドキンと心臓が跳ねる。
もしかしたら私が見落としただけで血痕は消えてないのかも!
何か言おうとしても動揺が口を開かせてくれなかった。
「腹が減ってんだろ?あんたも買うと良いよ」
おばさんが前を開けてくれたけど動けなかった。
「そんな埃だらけになって、何処へ行ったらそんな汚れられるのかね」
呆れてるおばさんの言葉から血痕が付いていた訳じゃないと知ったら安心で体から力が抜けた。
「買うなら早くしてくれ」
でっぷり太ったおじさんに急かされて屋台の前へ移動した。
屋台で売っていたのはドイツのパンみたいな固そうな塊でおじさんがごついパンナイフで塊を切り分けていた。
「あの、お金が無くて…」
倉庫からウサギを出そうとしても出てこない。
悪戦苦闘してる私は完璧に変な人だったと思う。
「何だ、金無いのかい。悪いね、家も恵んでやる余裕は無いんだよ」
おばさんは買った塊を持って去って行った。
「あの…、狩った物となら交換して貰えますか」
私は並んでるパンを見ながら、売ってるおじさんに必死になって聞いた。
「ああ、持ってきたならな」
おじさんの口調は意地悪かった。
諦めてもう1つの方の屋台を見ると、おじいさんが鍋とか袋とか雑貨と小間物を売っていた。
小振りな荷車に売り物を乗せて移動しやすくしてる。
あ。
魔法の袋は売れないだろうか。
もしおじいさんが袋を買ってくれたら、パンを買う事も出来そうに思えた。
背中から袋を下ろしておじいさんに見せようとした所で、ハッと思い止まった。
せこいOLのゲーム知識だけど、絶対ウサギより魔法の袋の方が高価なはずだった。
倉庫から出せないなら1度村から出て外で倉庫からウサギを出して此処まで引き摺って来ようか。
外へと歩き出そうとして閃いた。
ウサギを倉庫から袋に移して、移した袋から出すなら出来るかも。
倉庫に袋を近付ける所をイメージして、その後にウサギを袋に移すイメージを続けたら、ゴトリ、と何かが袋に入った感触があった。