第4幕 天を目指すモノ/蛮勇羅刹の屠龍姫!
龍の血を引く姫君たちの、壮絶なる闘いが始まる!
シドーの邪術によって操られる姉の遺体。彼女に永遠の安らぎを与えるべく、蓮華姫と愛馬・深谷王は闘志を燃やす!
激怒するラカン。その鬼神のような力は千獄の地に終わりをもたらせるものなのであろうか。
終局!過酷な運命を背負ったモノたちが交差し、命を散らす……。
第4幕。血湧き肉躍る、復讐劇。おたのしみください。
第4幕 天を目指すモノ/蛮勇羅刹の屠龍姫!
死都の中心には、朽ちかけた城があった。かつてのショーグン家の砦の一つであり、かの『シナズヒメ』の居城とされる場所だ。屍龍と一体化したシドーは、ついにその場所へとたどり着こうとしている。霊馬たちに追いかけられ、何本もの矢で射られて消耗してはいるが、破滅的なダメージとまではいかなかった。
そのシドーが呼んだのか、何匹もの『鬼兵士』が蓮華姫たちの道をふさごうと現れる。それらは霊馬目掛けて突進してくるが、霊馬たちはその突撃をひらりと巧みに躱し、馬上の女たちはそのオオサンショウウオ似のバケモノたちに、矢を放つことで仕留めていく。
黒麗刃が鼻をヒヒンと鳴らす。彼女は横目で白い霊馬に視線をやった。
『この式神たち、ずいぶんと動きが雑になっているね。前に戦ったときは強かったよ』
『ええ。霊場の破壊が進んでいるのでしょう。大地の気が乱れていきます。その余波で、これら肉人形らの動きも緩慢なものへとなっている』
「ふふ。玉藻たちはよくやってくれているようだな……あとは、私たちがアレを仕留めればいいだけか!」
『鬼兵士』を排除したラカンは黒麗刃を加速させる。蓮華姫も負けじと愛馬に早駆けを命じた。弱体化していた『鬼兵士』たちであったが、シドーの役には立っていたのだ。わずかながらにも、シドーが逃亡するための時間を稼いでみせたのだから。
怒れる姫たちから遠ざかることに成功した屍龍は、いかにも頑丈そうな石垣へと飛びついていた。大きな体を左右に揺らしながら、石垣を登り、屍龍はその焼け落ちた砦のなかへと侵入していく。その砦……ラカンには見覚えがある。蓮華姫はうなった。
「おのれ!……ヤツめ、どこぞの建物へと上がり込んでしまったぞ!」
「―――つまり、ここが終点ということだ……やはり、この砦が『シナズヒメ』の御所なのか……あの日。千獄が開いてしまった場所……帰ってきてしまったな。おい、左から回り込むぞ。そうすれば、この砦の中へは馬でもたやすく入れる!」
『わかったよ。行こう、深谷王。あと少しで追いつけそうだ』
『ええ。なぜか敵の気配がありません……妙ですが、これは好機』
「なんだか馬たち……仲が良いのう」
霊馬たちは足並みを揃えて走った。本性を露わにした黒麗刃は、本気の深谷王に勝るとも劣らない疾走を見せる。まるで競走だ。お互いの走りを競わせて、楽しんでいるようだと蓮華姫は感想を抱く。『対等な存在』。そういうものに惹かれるのか……。
強者こそ、そんな存在と出会うことが難しい。強者ゆえの孤独だ。それを癒やしてくれるのは、敵味方を問わず、同じ高みにいる強者のみ……。
―――だから、天歌殿はラカンを気に入っているのかな……。
蓮華姫の視線にまったく気がつかないまま、馬上のラカンはこの都が燃えていく光景を思い出していた。赤い色。すべてがその破滅的な色に彩られていた。サムライたちの血であふれた海。嘆きと共に燃えていく都。地上の炎に照らされて、赤くかがやいた夜空……。
憎悪に駆られた殺戮の果てに、世界は死であふれていた。
彼女はミカドの命令で多くの住民を虐殺した。『跡形無く偽りの都を焼き払え』。その命令に彼女は従った。ミカドが王権を復活するためには、ショーグンを殺すだけでは足りない。彼らが造りあげた国そのものを破壊し尽くさなければ、権力は確立できなかった。
だから、殺し尽くして破壊し尽くしたのだ。
サムライの国を、サムライである私が滅ぼした……。
……もし。もしも、私がそうしなければ、この千獄は生まれなかったのか?……幾度となく自問してきた言葉だが、彼女が納得できる答えはまだ見つかっていない。
『時代の流れ』だった。そう残酷に言い捨てることも可能かもしれない。仮に私がやらなくても、別の誰かが、たとえばサカキなどが―――あれを行っていたことだろう。物量に勝る西の勢力は、必ずやこの都を攻め滅ぼしていたはずだ。
そして、滅亡に瀕したショーグン家は、一族郎党すべてが自決し……その呪詛と流れた血によって、哀れな姫を『究極の魔物/シナズヒメ』へと変貌させた。その姫の絶望がこの地を千獄へと変えてしまったのだ―――。
「……この有り様。私のせいではないと、断言したくはないところだな」
「……ラカン。おぬし、東の地を攻めて滅ぼしたこと、後悔しておるのか?」
深谷王の背の上から、蓮華姫はラカンへと問うた。東に住む民として、『西からの侵略者たち』は当然ながら友好的な存在などではなかった。もちろん、そう問いかけた蓮華姫の表情もやさしくはない。侵略者どもが来なければ、蓮華姫は家族を失わずにすんでいたのだから。ラカンは少女の敵意を認識しながら、しずかに苦笑する。
「フフ……今となっては、そう認めざるをえまい。これほどの災厄を世に招いた。その事実を悔いぬことなど、誰が出来ようか?……私は、この国最大の災いたちの一つだ」
「災いたちの……一つ?」
「多くの野心が渦巻いている……私も邪悪な存在だという自覚はあるのだが、私以外にもいろいろといる。これらは皆、獣だ。最後の一人になるまでは、争いが終わることは無い。ゆえに……私は勝利を目指す。私は、他の邪悪よりも、己のほうが信じられるからな」
「……傲慢だな。酷い支配者よりは、自分のほうがマシだろう?って、言ってるように聞こえる。そもそも、誰も戦わなければよいだけじゃ……なぜ、それが出来ん?」
「ヒトの本質とは邪悪だからだ」
ラカンはまっすぐな瞳でそう断じた。それは蓮華姫が望んでいた言葉ではなかったせいだろう。蓮華姫は思わず怯んでしまう。蓮華姫は、ラカンに苦しんで欲しかったのかもしれない。東の地を破滅へと導いた張本人の一人に、苦悩することを望んでいたのか。
だが、ラカンは迷うことさえしていなかった。
「覚えておけ。欲に駆られればヒトを殺すのが、ヒトの本質だ。そもそも、ヒトはヒトを殺すことを楽しめもするのだ。私や、そなたの天歌のようにな」
「わ、私の旦那を悪人呼ばわりするな!……ああ見えて、やさしいところだってあるぞ」
「そう。やさしいところもあるから……なおさら、災いを大きくすることもあるのさ」
―――ラカンさまは、おやさしいですから。
―――見捨てられないと思います。
―――サムライは、サムライを見捨てられないものですわ。
あの日、玉藻と交わした会話をラカンは思い出す。あの欲深いミカドに全てを渡せば良かったのか?サムライたちを滅ぼそうとしている、あの厄介な老人に従えば良かったとでもいうのか?誰も彼も、片っ端から処刑してしまえばよかったのか?全てのサムライを、サムライであるこの私が殺せばいいのか?
そうすれば、この国は平穏だったのか?
そうすれば、私は笑えるか―――?
否。そんなわけがあるか。
「……やさしささえも、邪悪と化すことがあるのさ、龍の姫よ。何も憎しみや怒りだけが滅びを招くわけではない」
「……意味が分からないよ。おぬしは、こんがり童子たちにさえ、そんな言葉が吐けるのか?お前たちがつけた戦の炎で焼け死んだ子供らにも……永遠の苦しみの中にある、かわいそうなこんがり童子たちに、その苦しみの理由を、涼しい顔で説明できるのか?」
「……それは―――」
蓮華姫はラカンの返事を待たなかった。聞きたくもなかったからだろう。どんな答えであったとしても、ラカンの考えを今の彼女は知りたくないのだ。そもそも、答えを求めて問いにしたわけではない。たんに己の感情をぶつけるためだけに、問いかけるような言葉を使っただけだった。
「―――ラカンよ。お前は、その耳で聴くべきなのじゃ。あのみじめで哀れな……救いの道のない、かわいそうな子らの魂が放つ叫びを、聴ければ良かったのじゃ」
「……そうだな。どうあれヒトは、苦しむ者の声に、反応せずにはおれぬ生きものだ……まあ、今はこんな話をしている場合ではない。あの屍龍め……中庭に陣取ったか」
「そうだ。今だけは仲間だ。シドーを討つまでは、お前を憎む心は封じておく」
「ああ。そなたの矢は、なんとも心強い。背中を預けられるぞ」
「私に射られぬように気をつけよ」
「こう見えて、そなたを信じているから大丈夫だ」
「私のことを信じる?」
「フフフ。なにせ、そなたは『暗殺』を楽しめるような性質ではないだろうからな。どうせなら、私の目を見ながら殺したいだろう?だから、そなたは、私の背中を撃たない」
「……ふーん。私のことを、よく見抜いてくれるじゃないか」
殺伐とした人間関係を見せる馬上の女たちに、霊馬たちは苦笑を禁じ得なかった。
『やれやれ。あんな強敵を目の前に、ぺちゃくちゃおしゃべりか。人間どもは余裕だね』
『揺らめき輝く心……それこそが、ヒトの魂の持つ魅力でしょう』
「……説教臭いぞ、黒麗刃。分かっている。戦いに際して気は抜かん」
「うむ。私の憎しみは、シドーへと一直線だ!」
『ふふ。そうそう、イライラしているときは、暴力で発散するのが一番だよ』
砦の中庭にたどり着いたシドーであったが、その完全に焼け落ちたショーグンの屋敷跡の前で意外なモノと遭遇していた。
『……ほう。これはうつくしいものだな』
それは『塔』であった。空へと向かい、高く高く伸びた、血なまぐさい『塔』。そうだ、それはあまりにも血なまぐさい。なぜならば、それは何人もの死体でつくられた『塔』であったからだ。
『おそらくは、廃墟から探し出した砦の鉄柱を軸に……ヒトの身を捻りあげて、無理矢理に『編んで作った』のか。うむうむ。ワシには、これは思いつかなんだ』
シドーの鋭敏な鼻がその『塔』から放たれる香りを嗅ぐ。
『ふむ。まだ解体してからそう長い時間が経っていないようだ。この腐敗を誘う瘴気に満ちた死都において、新鮮さを保っている……?ふむ、なるほど。臓器をつなげておるのか?血管でそれらをつなぎ合わせ、無理矢理に生命を保っている……』
そう。この血なまぐさい人肉の『塔』の『材料』たちには、まだ息があった。ぜひぜひ、小さいが苦しみに満ちた呼吸の音があたりに響いている。シドーは耳を澄まし、皮を剥がれ、手脚と背骨を曲げられ、複雑怪奇に組み合わされた人間どもの声を聞いた。
―――ころして、ころしてください。
―――たすけて、いやです、しにたくない。
―――いやだ、いやだ、いやだ……。
シドーはゆっくりと瞳を開き、鼻で笑う。
『道具風情が、ワシに慈悲など請うでない。貴様らなど、最初からただの贄に過ぎん。この日のためだけにワシが用意した生命だ!そんな下等なものが、ワシにすがりつこうとするでない……苦しみ、呪詛を唱えつづけよ。我が『弟子ども』よ』
そう。それはシドーの弟子たちで作られた『塔』であった。けっして助かるはずもない深手を負わされ、それでも邪悪な術で生命をつながれているだけの哀れな陰陽師たちのカタマリであったのである。
屍龍と一体化しているシドーは、その『塔』の上に一羽のカラスがとまるのを見た。彼の眼力が、それの正体を即座に暴く。
『―――メノウ。魔道の域に達したか』
カラスが巨大化しながら身をひねり、またたく間に黒髪の美少女へと姿を変える。天歌と死闘を繰り広げた、あのメノウであった。彼女の瞳が金色のそれに変貌していることにシドーは気がつく。
あれは、冥府魔道の気を宿す者の目。
ラカンに、『天狗』……千獄に認められた覇道の化身。その境地に、我が娘はたどり着いたのか。塔の上にいるメノウは、シドーに向かって、ゆっくりと頭を下げた。
「……シドーさま。メノウ、帰還いたしました」
『ふむ。あの地で果てろと命じたはずだが……まあ、冥府魔道を開眼したというのなら、貴様にもまだまだ利用価値が生まれたな。だが、なぜ、ワシの弟子たちを殺した?』
「フフ……まだ生きております」
『たしかに。だが、あくまで生きているだけだ。もはやそいつらには何も出来ぬ。死ぬまで苦しみ、呪いをあげるだけだ』
「ええ。これは、『暗黒の太陽』、完成させるための呪いでございます」
『……ワシに嘘まで吐くようになるとは、こざかしいぞ、メノウが!』
屍龍が業火を吐き、『塔』ごとメノウを焼き尽くしてしまう。だが、メノウの声が空に響く。シドーは別に驚きはしなかった。最高の『道具』が化けた―――もはや、メノウはシドーにとって『作品』だ。己の魂そのものの模倣品といっても過言ではなかろう。
『シドーさまぁ。私は開眼したのでありまする……そのカラスは、ただの分身。私は、あなたの声を聞きたいのです……断末魔の叫び……ただ、それだけを聞きたい』
『……ワシに手を貸すどころか、ワシを破滅に追い込むか。覇道の修羅に、龍の姫……それらとワシの戦いを高みの見物―――いい身分になったことだ』
『キャハハハハ♪ああ……楽しみ。ラカンの手の者どもは、多くの霊場を破壊しました。貴方の術の完成は遅れます……それに、あの天歌は、サカキ様を喰らいました。そのうちに、ここへと追いつくでしょう。どちらが勝つのでしょう?興味深い、実験ですね―――』
『……魔道に心を喰われたか。まあ、よい……貴様への仕置きは後だ』
屍龍がゆっくり背後へと振り返った。シドーは決戦をしなければならない。怒りに狂う乙女たちを仕留めなければ、むしろ、彼の方が仕留められてしまうだろう。
『……いよいよ正念場。逃げ切れぬなら戦い切るのみのこと』
屍龍が座するその中庭に、霊馬たちはたどり着いていた。馬上の女たちはシドーのことをにらみつけている。鬼のような、獣のような……いや、あれぞ戦士の貌。ならば、シドーもまた若き日、達人たちを殺滅していた頃のような、荒い闘志をたぎらせるのだ。
「シドー、覚悟ぉおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」
蓮華姫の叫びと共に、破魔の矢が放たれる!シドーは己に迫り来るその矢が、今までよりもはるかに強い霊力を帯びていることを知る。もはや、その魔の威力、手で打ち払うなどという容易いやり方では防げるはずもない。シドーの両腕が交差された。
ズガシュウウウウッ!
シドーの腕を、蓮華姫の矢は貫通していた。右と左、どちらの腕の肉も骨も貫通し、そこでようやく止められた。片腕だけでは、その威力、とまることなく彼の額を射抜いていたことであろう。
『……ククク!竜宮に反応しておるのか?……さすがは、龍の血脈!さらには、猛将ラカンか!……ワシだけでは、手に余るじゃじゃ馬どもだ。おい、琥珀姫。貴様にも働いてもらうぞ、お前は、お前の妹を始末せい』
ドロリ。屍龍の『右眼』と化していた琥珀姫の死体が、そんな生々しい音を立てて排出される。蓮華姫は、地上に叩きつけられた姉の死体を見て、ねえさま!と思わず叫んでいた。死者は―――その声に反応する。
「なッ!?」
死体であるはずの琥珀姫の上半身が起き上がっていた。両腕で地面を押すようにして、彼女は上体を反り返らせる。そして、失われた『下半身』が復活する。彼女の腹と背中が割れていく。そして、不気味な黒い脚が幾本も彼女の体の奥底から這い出してくるのだ。
蓮華姫はそれが何なのか、ようやく想像が追いついていた。あの脚……八本ある。鎧のように硬質で、そして太い毛が生えている……あの蟲だ。
「く、クモ……ッ<姉さまが、いちばん嫌いだった、クモの姿に……ッ」
『そうよ!これぞ、化生の術!当人の恐怖の象徴へと変化させ、ワシの傀儡として操る術よ!琥珀姫は、クモのアヤカシ……名付けて『黄泉蜘蛛』と化すのだッ!!』
「シドー、貴様ッ!貴様ぁあああああッ!どこまでも、姉さまをッッ!!」
『ワシに構っておる場合か、龍の姫?……貴様の姉であったアヤカシ、貴様を襲うぞ?』
「なにッ!?」
『ぎしゃあああああああああああああああああああああああああッッ!!』
クモの下半身と、死体の上半身……そのようなものが組み合わさった巨大なアヤカシ『黄泉蜘蛛』が蓮華姫に襲いかかってくる!巨大な八本の脚が地面を削りながら、かつて琥珀姫であった存在が少女に迫る。
だが、蓮華姫は矢を射ることが出来ない。もはやアヤカシと成り果てようとも、その上半身は……その顔は、たしかに姉である琥珀のそれなのだ。少女は必死に呼びかける。
「姉さま……姉さまッ!」
黄泉蜘蛛はその呼び声に応じることはなく、敵意に満ちた叫びをあげ、巨大な前脚を持ち上げた。その脚の尖端には太い爪があった。深谷王が反応する。
『―――躱します!つかまってください、蓮華姫さま!』
「う、うん!」
深谷王がその場から跳ねて退き、クモの前脚が地面に深々と突き刺さる。
「ね、姉さま!ほ、本気で私を殺そうと……ッ」
『集中して下さい、蓮華姫さま!これは、かなりの強敵!』
だが、蓮華姫の動きは悪い。衝撃のあまり、覚悟がゆらいでしまっていた。戦う覚悟、強き精神で固めなければならないその志が、今、崩れかけている―――。
黄泉蜘蛛が、かつて琥珀姫であったモノの口が、何かを吐き出す。それは、糸のカタマリ。糸はまるで研ぎ澄まされた鋼のように光りかがやいていた。深谷王はこの糸が獲物を切り裂く鋭さをもつと本能で理解する。逃げなければ―――だが、逃げ切れぬ!せめて、蓮華姫さまの矢で打ち払ってもらえれば……ッ!
ザシュウウウウウウッ!
漆黒の馬が深谷王の前に躍り出で、黒髪のサムライが振るった大薙刀の一撃が、糸のカタマリを切り裂いていた。
『深谷王、貸し一つ作ったよ』
黒麗刃はにやけながらそう呟く。だが、彼女の背に乗るサムライの表情は険しい。ラカンは蓮華姫をにらみつけると、鋭い語気で怒鳴りつけた。
「―――情けないことだな、蓮華!」
「な、なんだと?」
「貴様は姉をシドーから解放するためここに来たのではないのか?」
「……ッ!」
「その戦士が、怯えてどうする?迷ってどうなる?貴様の嘆きも苦しみも、彼女には一つの救いにもならん!その真実、分からぬそなたでもあるまい!ここは、戦場だ!戦う覚悟がないのであれば、さっさと立ち去れ!そなたの姉上、私が救ってやる!」
「―――……誰が」
涙目をこすり、蓮華姫はラカンをにらみ返していた。
「……誰が、立ち去るものか!姉さまを救うのはお前なんかじゃない、私だ!」
「ほう。姉に矢を射ることが、そなたに出来るのか?」
「やってみせる!……私を、舐めるな!タツガミの里の蓮華を、舐めるな!征くぞ、深谷王!走り回りながら、距離を保て!矢にて、姉さまのアヤカシ……射抜いて倒す!」
『はい!さあ、来なさい、黄泉蜘蛛!私の脚に、追いつけるものならば!』
深谷王が蓮華の声に従い中庭を駆ける。黄泉蜘蛛は、その挑発に反応し、すぐさまその白い霊馬を追いかけて走りはじめた。黒い霊馬はフフンと笑う。
『面倒見のいいことだね、ラカン。あの娘の臆病風、払ってあげるなんて』
「……それで戦力になるのならばいい。私たちにも、討たねばならぬ敵がいる」
ラカンはシドーをにらみつける。
「……シドーよ、貴様は私を本気で怒らせたな。あのサカキへの仕打ち、私をどれだけ怒り狂わせてしまったのか、教えてやろう」
『フフフ!いいぞ、教えてもらおう!冥府魔道に愛された英雄が、どれほどのものか。竜宮から漏れる龍の気を浴びた今のワシと戦えるものか。試してやるぞ、ラカン!』
屍龍がラカンと黒麗刃を目掛けて突進してくる。恐ろしい勢い。今までよりも、ずっと速い。さらには屍龍の体から生えた桜の枝たちが、まるでムチのようにしなり、五月雨のようにラカン目掛けて降り注ぐ。
黒麗刃は華麗なステップで躍り、それらの攻撃をかいくぐってみせる。
『甘いぞ、大陸の霊馬!』
ドラゴン・ブレス!巨大なアゴが開かれ、黒麗刃目掛けて炎の津波が放たれる!この火炎にはたまらず、黒麗刃はあわてて後退する―――だが、屍龍は追い打ちをかけるため、さらに霊馬を追いかけた。
『逃すか、ラカン!』
「―――逃げるわけがないだろう?」
黒麗刃が素早く踵を返す。そして、まるで矢のような速さで屍龍めがけて突撃してくる。その唐突な突撃/カウンターに屍龍は反応できない。そう、黒麗刃の動きにつられて追いかけてしまっていたがゆえに、躱すことは出来ないのだ。
『行くよ、龍!』
「思い知れ、ラカン!」
霊馬はその紫色にかがやく角に霊力を込めながら、そしてラカンは大薙刀を握る手に力を込めながら、人馬一体の黒き疾風と化して、屍龍の横を通り過ぎ去りながら、強烈無比な薙ぎ払いを打ち込んだ!
ザシュウウウウウウウウウウウウウウウウッッ!!
屍龍の巨大な左前脚がその一撃の前に切り裂かれていた!いや、脚だけではなかった。太い腹の肉と、何本ものあばら骨さえも、この人馬一体の攻撃は切り裂き砕いたのだ!
『バカな!たった、一撃でだと?』
「……言っただろう?私は、本気で怒っていると!」
『……ククク!……面白いのう!ならば、ならば、これはどうだね、猛将ラカン!』
残った前脚を屍龍は地面に突き立てた。シドーは両手で印を組み、ニヤリと笑う。
『龍の気をおびし、桜の森よ!地の底より出でて、すべてを貫けええええええいいッ!』
シドーの奥義が発動する!固い大地を突き砕き、するどく尖った桜の枝と太い根たちが次々に生えてくる!まるで、それらは槍のように尖っている!黒麗刃はその数と、その範囲に驚愕する。辺り一面だって!?九尾にだって、これだけの術、使えないよ―――ッ!?
「くっ!」
大薙刀が華麗に舞い、ラカンは自分たちに迫る桜の木々を切り裂いて、打ち砕いていく。だが、桜の木はあまりにも硬い!そして、多いのだ!やがて、ラカンの大薙刀が砕けてしまう。ラカンが奥歯を噛みしめた。
『―――まずい、よ、避けきれない!』
『ぎゃしああああああああああああああああああああああッ!』
黄泉蜘蛛と蓮華姫の戦いもまた激しいものであった。黄泉蜘蛛は次から次に糸をのカタマリを吐き出してくる。深谷王は必死にステップを刻んで避けながら、馬上の蓮華姫はやわらかく身をくねらせながら破魔の矢を撃ち放つ。
幾本もの矢が、黄泉蜘蛛の脚に突き刺さっていく。かなりのダメージを与えてはいるはずだが、アヤカシの生命力の強さは底なしか。動き自体を妨げてはいないらしい。対して、逃げ続けなければならない深谷王の疲労は大きい。
「……すまぬな、深谷王。勇敢なるそなたの戦い方は、これではなかろう」
『戦とは臨機応変にあたらねばならないものです。問題はありません』
「……そうか。武装が万全ならば、このパターンを繰り返していければ、やがては姉上を斃せるだろう……だが、次で最後だ。もう、矢はこれ一本しかない」
『……ならば―――』
「―――うん。『天狗党』らしく、正面突破だ!力でたたき伏せるぞ!」
深谷王は驚いていた。こんな小さな体の姫君が、これほどの勇敢さを見せるとは!認識を改めなくてはなりません。彼女はただの姫君ではない。彼女は、主の妻というだけでは収まらない存在。この姫もまた、天歌殿と同じく、私の真の主である―――。
「どうした、まさか臆したわけじゃあるまい?むろん、私に遠慮するのもナシじゃぞ!」
『……ええ!もちろん、参りましょう、蓮華さま!』
「征くぞ、深谷王!」
深谷王の体が大きく傾き、加速する。蓮華もその運動を助けるために彼の背で身を屈めてやった。黄泉蜘蛛が敵の見せる新たな動きに警戒を示す。彼女はその歩みを緩め、観察するために間合いを取ろうとしてくれた―――。
……いや、黄泉蜘蛛は悟ったようだ。深谷王の動きが、己に対する突撃の予兆であることに。黄泉蜘蛛は、その太い脚たちを次々に地面に突き刺していく。それを支えにして、蓮華姫と深谷王の『特攻』に備えるつもりらしい。
「フフ。さすがは、姉さま。私のことを、よく理解して下さっているな」
『ならばこそ!琥珀姫さまへお見せいたしましょう!貴女の意志のきらめきを!!』
「うむ!……姉さま、お覚悟!」
深谷王が突撃を開始する!地を蹴り、身を震わせ、首を振り、彼にとって作り出せる最速を体現する!馬上の蓮華姫は矢と弓を持つ手で、深谷王のたてがみを掴んだまま、首の動きへ合わせて手を前後させた。それは東に伝わる馬術である。こうすることで、馬はさらに荒々しく加速してくれるのだ!
―――姉さまからたくさんのことをいただいた。
―――金平糖は甘くて。
―――弓術の師としてはとても厳しく。
―――馬の乗り方は、サムライよりも荒々しかった!
「うわああああああああああああああああああああああああッッ!!」
蓮華姫が咆吼する!まるで彼女の夫のように力強く!
『ぎしゃああああああああああああああああああああああああッッ!!』
黄泉蜘蛛が叫んだ!叫びながら、固定に使わなかった四つの脚を持ち上げ、己に突撃してくる深谷王へ突き刺してやろうと力を込める!
『―――我は、深谷王白夜ッ!我が脚は、我が身は、そんなもので止まるかあああッ!!』
牙を剥いて笑う深谷王が、跳ね上がり、黄泉蜘蛛目掛けて必殺の踏み砕きを仕掛ける。黄泉蜘蛛の前脚たちが深谷王を阻もうと恐ろしい勢いで閉じられてくる。深谷王の体に、蜘蛛のするどい足爪が刺さり、傷をつけていく。だが、戦士たる深谷王に怯むことなどない。肉を切られる痛みなど押し殺し、彼は蹄鉄の一撃を黄泉蜘蛛へと叩き込んでいた!
『ぎゃうううっ!』
その重すぎる一撃に、黄泉蜘蛛の体が沈み込む!さらに、深谷王は黄泉蜘蛛の脚の一つに噛みつき、力と体重を浴びせることでこのアヤカシを組み伏せてしまった!
蓮華姫はこの好機に反応する。素早く矢を弓にそなえ、それを引き、至近距離から姉目掛けて放った!破魔の霊力が込められた必殺の矢が黄泉蜘蛛の―――いや、琥珀姫の腹部へと命中するのだ!
破魔の矢は彼女の腹をやすやすと貫き、その勢いのまま黄泉蜘蛛の丸くて太い胴体をも撃ち抜いてみせた!貫かれた体内から、破魔の青き焔が燃え狂い、黄泉蜘蛛を内側から破壊していく……。
しかし、黄泉蜘蛛も意地をみせてくるのだ。脚をさらに霊馬の体へと強く絡めて、傷を深くしようと試みる。さすがの霊馬もこの攻撃と、黄泉蜘蛛の重量には耐えられず、地面へと引きずり倒されていた。
―――天歌殿なら、この程度では、あきらめたりしない!
倒された馬の背から、少女は飛んだ。
黄泉蜘蛛の脚のひとつが、少女の動きに反応し、襲いかかってくる。だが、その攻撃を蓮華姫は弓で受け止める。弓はまたたく間に破壊されてしまうが、足爪はその衝撃で軌道を狂わされていた。少女の体を、わずかにかすめただけである。
少女は姉の体に飛びついていた。
水色の髪は、蓮華姫とまったく同じであった。大好きだ。この髪も。その赤い瞳も。あのいつもの香のにおいも感じる。だからこそ、だからこそ、これで終わりにしてみせる。
「……姉さま。苦しみは、終わりです」
少女のちいさな手が、腰の裏に結わえていた小刀に伸びた。そして、彼女は逆手でそれを抜き……姉の胸に―――心臓がかつて動いていたとろこを目掛けて叩き込んだ。
『ああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!』
黄泉蜘蛛が……いや、琥珀姫が断末魔の叫びをあげる。蓮華姫の瞳から涙があふれていた。ごめんなさい。ごめんなさい。ねえさま。ねえさま……。
泣きながらも、蓮華姫は勇気を振り絞って、その刃をより深く突き立て、姉を仕留めていた。アヤカシに死が訪れていた。黄泉蜘蛛の脚が、ゆっくりと畳まれていく……それだけではない。破魔の焔に焼かれたその肉体は、青いかがやきにつつまれ、サラサラと崩れ始めてしまう。
「ねえさま……っ!ねえさまが……消えちゃうようッ」
『……あまりにも彼女は力を使わされ過ぎたのです……この清浄なる焔に包まれて逝けるのならば、これより上の救いは琥珀姫さまにはないのですよ』
「うう。そうなのか……そうなのかのう……そうなら、よいのじゃがのう……っ」
―――もしも、『暗黒の太陽』を発現させたがために、琥珀姫が力の大半を失っていなければ?この勝利はおそらくなかっただろう。ギリギリの勝利であった。そして、とほうもない悲しみをもたらす勝利でもある。
泣きじゃくる蓮華姫がそこにいた。
だが、あれほどの勇者でありながら、愛する者のために涙する。その揺らめきかがやく心こそ、とても素晴らしいものなのだと深谷王は信じていた。悲しくてもいいのだ。それが、愛を証明する行為であるのなら。
『お泣き下さい、蓮華姫さま……今は、そうすべき時なのですから―――』
『……ふふふ……ふははははははッ!どうだ、ワシの奥義はどうであったか、ラカン!』
シドーは周囲を見回すと、満足そうな顔を浮かべて大いに笑っていた。そこら中に、桜の木々と根が突き出していた。どれも、まるで『槍』のように鋭く先端が尖った、殺人樹木たちである。まるで、森である。そこかしこ、いたるところにその槍が生えていた。
己が奥義のもたらした破壊。それを堪能するように見回した。彼には確信がある。これだけの大呪術。組める者など、この世にどれほどいるという?……まちがいない。アーシヤ以来、誰もいなかったはずだ!
『……感じたぞ。肉を貫く、数々の感触をのう。猛将ラカン。乱世に生まれた反逆の英雄……大した強さであった!ワシを、このシドーをここまで追い詰めたのだから』
シドーは『暗黒の太陽』を見上げる。術はかなり進行している。もはや九割九分は完成したと言っていい。龍の気を浴びて、龍と同化しているワシの霊力も跳ね上がっておるのだ。いい徴候だ。
『―――ついに。ついに、この日がやって来たのだ』
陰陽師であるシドーには夢があった。それは、彼がまだ少年であったころに生まれた大いなる野心。すべては、あの日から始まったのだ……。
彼の師である、偉大な陰陽師アーシヤは、さまざまな仙術を駆使することで150の高齢に達していた。アーシヤはあの日、弟子たちのなかでも高位な者4名だけを呼びつけた。
―――陰陽の奥義を見せよう。
―――光と闇、時と空間。その狭間と究極を、見せてやろう。
そして、アーシヤは『世界』を見渡せる『穴』を開いた。弟子たちは、その『穴』から陰陽の極地を垣間見たのである。完全無欠な楽園の光景……無に等しい静寂なる調和。そして、罪人の叫びが止むことのない、暗黒混沌の大地獄―――。
弟子たちは感嘆した。
そして、シドーもアーシヤの見せてくれた『世界』に心を囚われていた。とくべつ彼の心を捉えて放さなかったのは、暗黒の『世界』の純粋さであった。それは、あらゆる悪が混じった黒なのだと子供心にシドーは悟る。
そして、その『世界』に魅入られた少年は、血眼になってその光景を心に刻みつけようとした。暗黒混沌の大地獄を観察しつづけていた少年は、やがて、その『世界』に君臨する『暗黒の太陽』を見つけてしまう―――。
少年のシドーは理解した。
地獄の空でかがやく『暗黒の太陽』。その存在こそが、地獄を生み出しているという法則に気がつけたのだ。それはヒトの心にある悪の願いを叶え続けていた。ゆえに、地獄はより地獄らしくなっていき、争いと苦しみが耐えること無く、荒廃していくのだ。
つまり、すべては『暗黒の太陽』のかがやきに照らされることで起きた事象なのだとシドーは理解したのであった。これがあるから、世界は地獄と化すのだ。その圧倒的邪悪の仕組みを認識したとき、陰陽師シドーは恐怖で狂いそうになり、しかし、しばらくすると、その魅力に底なしに惚れてしまっていた―――。
あれから、40年近くが過ぎ去っている。
『年を経てなお、想いは募るばかり。ワシの心を掴んで放さぬ……『暗黒の太陽』よ!』
じつのところ、シドーには『暗黒の太陽』で叶えたい願いがあるというわけではない。正確には、『暗黒の太陽』そのものにと生まれ変わり、あらゆる悪の願いを叶え続けて、この世を地獄にしてみたいという欲求があるだけなのであった。
彼は求道者だ。ただただ、理想を追い求めているだけの男に過ぎない。シドーが見た夢は、この世を悪意で満たし、その壊れて狂った世界を太陽となって、永久に観察し続けたいという滅びの夢であった。
『まだ、足りない。この千獄もそれなりに壊れているが……あの日見た『世界』には叶わない。もっとだ。もっと深い暗黒に染まることが出来る!そうだ、このワシが『暗黒の太陽』となりて、世にはびこる悪意をより深く、強くしてみせよう……』
―――こんな感情、常人には共感することなど、どう転んでも不可能である。そうだ、彼はとっくの昔から、狂っていたのだ。『邪悪そのものになりたい』。そんなことを、まだ幼い頃から願い続けてきた、生粋の狂人なのである。
およそその願望は常人には理解できるようなものではない。何が楽しいという?この世をわざわざ地獄に作り変えることが?……だが、この男にはそれがあらゆる願望に優先することがらなのであった。
「―――……悪しき夢に取り憑かれているのだな」
上機嫌であったシドーは、その言葉を耳に捕らえると、即座に表情を歪ませてしまう。
『……ほう。避けきれぬほど桜を打ち込んでやってはずだがな……』
収まっていく土煙をシドーはにらむ。ラカンの声の聞こえた方向だ。桜の木々が生えている。どうあれ、あそこにいるのでは無傷ですむわけがない―――。
『よくぞ生きぬいたものだ。だが、ラカン。生きているのなら、隠密に徹し、暗殺を試みるのが定石ではないか?この戦力差、分からぬお前ではなかろう?』
「ほう。バカが。まるで私たちが負けているみたいに言ってくれるな」
『……なんだと?』
次の瞬間。漆黒の閃きが世界を斬り捨てる!シドーの呼んだ桜の森が、ズタズタに切り裂かれてしまった。シドーは目を見開き、驚愕する。なんだ、今の斬撃は?ヒトの技ではあるまい……まるで、『シカノカミ』……ッ!
『……なるほど。化けたか、あの馬が』
切り裂かれて崩壊していく桜の槍の牢獄から、ラカンがひとり抜け出してくる。その手には巨大かつ長大な漆黒の『槍』が存在していた。彼女は無傷というわけではない。だが、彼女の眼光、表情ともに、力強い戦意と怒りが宿っている。
「……そう。枝に貫かれ、深手を負った黒麗刃が変化してくれた。この槍にな」
『それがお前たちの『とっておき』というわけか。いい技を隠しておったな』
「なにが、とっておきだ。死にかけた黒麗刃が、この形をただただ選び、私を生かそうとしてくれたに過ぎん……黒麗刃は、馬の形へ戻れるかどうか分からぬらしい」
『ほう。転生のような術であるのか。興味深いが、それは残念なことだな。ラカンよ、また部下の命を犠牲にして、生き残ってみせたというわけか』
「……そうだ。だが、ラカン。忘れるな。私は部下を犬死にさせたことはない―――なぜならば。なぜならば……」
ラカンが笑う。黄金色の瞳を爛々とかがやかせ、牙を剥き、獣のように走りはじめる。
『―――来るか!おもしろい、今度は魔槍ごと破壊してやるぞ!』
「私は、いつだって勝つ女だからだッッ!!」
再びシドーは桜の森を放っていた。だが、ラカンには余裕がある。初見の技というわけではない。彼女は素早いステップで大地から突き出てくる木製の槍の群れを躱しながら、そして、槍をブンブンと振り回す!魔槍・黒麗刃は漆黒の霊威をかがやかせながら、なんともあっさりと木の槍たちを切り裂いていく。
ラカンの技と、魔槍の霊威。
それが合わさった今、このサムライを止める術などこの現世にはない。
『バカな!ヒトの身であり得るか、そのような力―――ッ!!』
「聞き飽きているぞ、負け犬どものそんな悲鳴は」
嗜虐的な微笑みはゾッとするほどうつくしく。そして、その攻撃はあまりにも無慈悲なほどに破壊的であった。魔槍・黒麗刃と一体化し、ラカンは神速の突撃を屍龍の首もとに叩き込んだ!
魔槍の霊威により、その傷は深くなり、腐肉の奥底にある骨まで達し、それを穿ち、砕いてしまった。ラカンは深く突き立てた魔槍を、今度は躍動あふれる動きで横へとなぎ払い、屍龍の太く腐った首を、ブチリと引き裂いてやった!
龍が叫んだ!悲鳴をあげながら、大地に倒れ込んでしまう。
『ば、バカなああッ!?龍の首を、一撃で落とすなど……古の英雄どもすら超えるかッ!?』
シドーはその強さに絶望すら抱く。だが、ラカンは止まることを知らない。魔槍を自在にあやつり、突きのラッシュを次々と繰り出し、それらの一撃一撃が、致命的なまでに屍龍の肉を貫き、骨を砕いていくのだ。屍龍の体がどんどん崩壊していく。
「トドメだ!」
黒く長い髪をなびかせながら、最強のサムライが宙へと舞い上がる。魔槍でシドーを貫き、殺すために!もはや龍と化していたところで、その一撃を耐えうることなど叶わない。敗北は必至―――ッ!
『く、くそおおおおおおおおおッ!』
シドーはたまらず屍龍の頭部から逃げ出していた。抜け出した直後、黒麗刃は屍龍の頭部を深くつらぬき、頭蓋骨に巨大な亀裂を入れてしまう。屍龍は、もはや活動停止するほかない。魔槍の一撃により、その霊威は完全に打ち砕かれてしまったのだから。
屍龍の体が淡くかがやき、桜の花びらへと変わっていく。邪悪な呪術は消え去ってしまった。あとは、ただ死せる肉体へと戻るのみだ。
うつくしい桜吹雪。
その中で、シドーは立ち上がる。彼のダメージは深刻だ。霊威も削がれ、肉体的にも瀕死の重傷を負っている。どこで間違えた?……明白なこと。戦ってはいけなかった。天狗とも、ラカンとも。絶対に、戦うべきではなかったのだ。
『……琥珀』
シドーはその名をもつ姫を呼ぼうとした。だが、視界のはるか先で、その魔王に比類したはずのアヤカシ人形は、蓮華姫によって討ち取られてしまっていた。
「さすがに龍の姫だ。なかなかやる」
『……ぬうッ!術と呪い返しを受けすぎておったか……あんな小娘と駄馬ごときに!』
「さて。シドー。決着をつけようじゃないか」
『……ラカン。ワシと契約を結ばぬか?』
「ほう?」
『ワシは『暗黒の太陽』と成る。そして、そなたの願いを幾らでも叶えてみせよう。ワシが望むのは世界の退廃と邪悪への進化……そなたの呼ぶ呪われし乱世もまた、ワシの理想の一つでもあるぞ?』
「だから、私の力になるというのか?」
『そうだ。どうだ?』
「―――そんな戯れ言、耳を貸すわけないだろう?」
『―――だろうな』
ラカンが獲物に襲いかかる。シドーは両手に霊気をまとわせると、彼女の猛攻を防ぐために彼もまた全霊を尽くす!魔槍の突きを躱し、なぎ払いを手で受け流し、防ぐどころか正拳の一撃をもってラカンに守りの構えをさせもした。
このシドー、武の達人。正直なところ、若く力あふれる頃ならば、遠征で疲れ切っているラカンならば、たやすく倒してしまってもおかしくないほどの実力者。だが、彼は老いているのだ。そして、呪い返しに体を蝕まれてもいる。サカキと天狗とも戦い、その身に傷を負わされてもいる。黒麗刃の力で、肉体強化の戦術すらも無効化されていた。
勝てる要素などない。だが、武を志し修めたシドーは、あきらめを捨て去り、いちるの望みを掴むために、限界を超越した武術を見せつけるのだ!ラカンと十数手のあいだ互角以上に打ち合ったあげく、彼の体に限界は訪れていた。
「もらった!」
ザグシュウウウウウッッ!!
魔槍の一撃がシドーの腹を深々と貫いた!そして、その突きは横へのなぎ払いに連絡して、彼の体を両断してしまうのである。
『ごぶふっっ!』
胴体をほぼ真っ二つにされたシドーが、血を吐きながら、後ろへとフラフラとよろめき、やがて地面に腰から転げていた。
シドーの瞳が天をにらむ。
『ああ……『暗黒の太陽』が……』
琥珀姫につづき、シドーの霊威さえも挫かれた。そうなれば、あの大いなる呪術を進める術はもうない。太陽を囲んでいた呪いの紋様たちが、ひとつふたつと崩れていく。『暗黒の太陽』の術、今まさに滅びを始めていた。
「……世界は救われたぞ、黒麗刃」
そうつぶやきながら、ラカンは魔槍を一振りし、地に伏したシドーにトドメを刺すために歩いた。その彼女に、数羽のカラスどもが襲いかかってくる。むろん、その程度の攻撃、ラカンに通じるはずもなく、カラスどもは黒麗刃の一振りで蹴散らされていた。
「……何のマネだ?……というか、誰だ?」
「―――初めまして、猛将ラカン。私は、メノウ」
黒髪、そして黄金色の瞳をもつ少女がラカンとシドーのあいだに割って入る。シドーは顔をしかめた。
『……助けに来たわけではあるまいな』
「ええ。もちろんですわ、シドーさま」
メノウは息も絶え絶えなシドーに微笑みとともに近づいていく。そして、シドーにとっての窮地に、また一人、致命的な宿敵がこの場へと到着していた。
「くそ!ぜんぶ、終わっちまってるじゃねえかよ!」
石垣をよじ登ってきた天歌が、舌打ちしながら中庭へと飛び降りる。彼はヨメの無事を確認する。ヨメは泣いていた……だが、あれだけわんわん大声で泣くのだ。元気な証だ。
「……太陽ももとに戻り始めてやがるし、オレの出番なさそうだ」
「そうだ。遅いぞ、天歌」
「……ああ。みてーだな」
天歌がラカンと合流する。彼は、メノウにも声をかけた。
「よう、メノウ。死にかけていたのに、元気そうじゃねえか?」
「フフ。あなたのおかげね」
「魔剣を壊してやったからか?」
「アレはアレで恨んでいるけど、私に価値をくれたことを感謝しているの」
「そうか。まあ、元気そうなら何よりだ」
「……お前たち、どのような関係だ?」
「朝、殺し合ってた」
ラカンは苦笑する。なんという男なのだろうか。一日中、殺し合いばかりか?さすがに呆れてしまうが、ラカンは天歌が腰に差している刀に気がつく。
「……決着をつけてくれたようだな。サカキは逝ったか」
「おう。戦利品だ。脇差しはくれたんだがな」
「お前が持つのに相応しい。取っておけ」
『……フフ。やれやれ。弱者とはこうも軽んじられるものか』
横たわり、死の淵にあるシドーは自嘲気味にそう発現する。強者たちに脅威と見なされなくなる……それは、かつて圧倒的な強者であった男からすれば、あまりにも屈辱的であった。だが、野心潰えた今、彼はもう多くを求めてはいなかった。
「……みじめなもんだな、シドー。術に頼らず、力と技で正面からやれば良かったのかもしれねえな?テメーは、そっちの方が強かっただろうによ」
『フフ、貴様らのような者どもに正面から戦うだと?……フフ。ワシが若ければ、そのような蛮勇もやれただろうが……老いるとは、心から始まるらしい。さて、メノウ。お前は何を求めてここに来た?』
陰陽師は義理の娘にたずねた。メノウの表情は明るくはない。
「―――復讐です。シドーさま」
『ほう。復讐』
「思い出しました。たくさんの記憶を……両親のこと、私にも弟と妹がいたこと。妹は飢饉で死に、弟と私は人買いに捕らえられ、それをあなたが買ったこと」
『救ってやったぞ?メシを食わせ、住むところを与えた。術も教え、鍛えてやった』
「……感謝すべきこともいくつかある。でも、許せないこともたくさんされた」
『ほう。穢されきったことを恨んでおるのか?』
「私のことなんて、どうでもいい……憎いのは、許せないのは虎徹のこと……ッ。あなたは、私の弟を、呪いの贄にした!」
『思い出したか?ワシが記憶を封じもしたし、お前自身が否定することを望んだ真実を』
「そう。あまりに辛い記憶だったから―――でも、今はハッキリと覚えている!だから、こうしてやるのよ!」
メノウがシドーに近づき、刀で彼の体を突き刺した。何度も、何度も、恨みと憎しみを込めて、メノウは泣きながら義父の体を刀で刺し貫いて、えぐった。
『……くくく。死にゆくワシをいたぶるか?……下らん自己満足よのう』
「うるさい!うるさい!死ね!死ね!死ね!」
『ハハハ!ああ、愉快。そういいながら、首を刎ねようともせん。お前は、その憎しみが終わるのが怖いか?だろうなあ、どうあれ、お前はワシに依存しておる。愛していようが、憎んでいようが、お前は、ワシの『道具』の域を越えられんようだ』
体をズタズタにされながらも、シドーはその痛みをまったく気にしていない。苦しいが、この程度、修行の痛苦に比べれば大したことはないのだ。それが、メノウには口惜しい。
「そんなことない!私は、もう、あなたの『道具』じゃない!」
『ああ、そのような気になろうとするのが、まさに自立していない証拠よ。お前にはワシがいるのだのう、メノウよ……このまま、ラカンだか天狗だかに首でも切られ、そのまま素直に死んでやろうかと考えておったが―――最後に、お前で遊ぶとしよう』
「―――え?」
強者には強者の弱点がある。圧倒的な優位。そして、『暗黒の太陽』の発動を防いだこと。それらのせいで、ラカンも天歌も明らかに余裕が出来た。油断というほどでもない。なにせ状況は逆転することなどありえないのは事実だからだ。
しかし。それはメノウをまた一つ不幸へと誘うことにはつながっていた。
『―――『ウツシノミコト』よ、起きろ』
シドーはただ一言つぶやけばよかったのだ。それで、すべては事足りる。次の瞬間、メノウの体から、何かが飛び出るのを天歌とラカンは目撃する。それは、矛だ。古き時代の刃がメノウの背中を突き破っていた。天歌が叫んだ。
「メノウ!」
「……てん……か……」
少女の体がその場に倒れ、シドーの胸に顔から落ちた。シドーはその少女の体を抱き寄せ、背中から生えた『ウツシノミコト』を大切そうにさすった。
「そ、そんな……『シカノカミ』のほかに……まだ、いたなんて……」
『ハハハ。ああ、なんとも可愛いヤツよのう、メノウ……おぬしはなあ、自分で思っている以上に、ワシの『玩具』なのだ』
「そ、そんな……」
『その『ウツシノミコト』。お前の弟を贄にして蘇らせた。お前が弟の死を悲しむから、せめてお前のなかに弟で作ったこの冥剣を埋没させてやったのよ。ワシは、やさしかろう?お前はなあ、弟にも苦しめられてきた。彼の怒り、悲しみ、それは呪いとなってお前を苦しめてきたのよ』
「……ひどい……ひどいわ……そんなの……」
『ああ。愉快。愉快だ。メノウ、お前は最高の『玩具』である―――』
そう言いながらシドーは息絶えていた。
天歌はメノウに駆け寄る。だが、心臓と背骨と内臓を砕かれているメノウもまた、死の淵にあった。天歌は蓮華姫を呼んだ!
「蓮華!こっちに来い!これ以上、シドーのクソに、ヒトを殺させるな!」
夫に呼ばれた少女は、状況をあまり把握はしていないようだが、誰かが致命傷を負わされたらしいことを察すると、どうにか歩けるようになった深谷王をその場に置き去りにして、天歌へと走ってきた。
「……てんか……さむい……さむいよ……」
メノウは虚ろな表情でそう告げる。天歌はシドーの死体からメノウを奪うように抱き上げると、今にも死にそうなメノウを抱きしめてやった。
「……おい、死ぬな、バカ。せっかく生き残ったんだ。オレと戦って、生き残れるヤツなんて、なかなかいねえんだ。おい、どうすりゃいい?これ、抜いたほうがいいのか?そうじゃないのか?……クソ、どうしたらいい?」
「天歌殿!う……その娘か?」
「おう。どうにか、出血だけでも止められねえか?……コイツは、人間離れしたヤツだ。もしかしたら、それで助けられるかもしれん」
「……難しそうじゃが、やってみよう」
蓮華姫がその場にしゃがみ、メノウの傷口をふさごうと試みる。だが、『ウツシノミコト』がメノウの肉体の奥で暴れる。ふさがろうとした傷口はより開き、もっと激しい出血となってしまう。蓮華姫は、困った。
「……す、すまん。助けられそうにない……」
「……いいの……さいごに、シドー……じゃない男のヒトの腕のなかで……死ねる。それでいいわ……」
「バカか。んなことで満足してんじゃねえよ」
「……いいの。『道具』でも、『玩具』でもなくなってる……すくなくとも、あなたにとってはそうなんでしょう……天歌?」
「おう。メノウ。お前は超一流の剣士だぜ。だから……死ぬんじゃねえよ。もう一回ぐらい、オレさまと戦えって」
「……ふふ……もう、君の敵にはなれそうにないよ―――」
その言葉を遺し、少女の心臓は止まってしまう。
「……この娘……どんな不幸な生い立ちかは知らぬが、天歌殿に感謝しておったの」
「……感謝されることなんざ、してやった覚え一つもねえっつーの」
「お前にとって些細なことでも、メノウとやらにとっては大きなことであっただろう」
ラカンは静かにそう呟いた。
「……そんなもんかよ。オレには、よく分からねえぞ、メノウ……」
―――ともあれ。
これで、全てが終わったのか。
シドーを討ち滅ぼし、大呪術『暗黒の太陽』も封じることが出来た。東への遠征。その第一章は無事に果たせたようだ―――。
ラカンは、ふう、とため息を吐いた。さすがの彼女も疲れているようだ。
だが……。
だが、ここは千獄の地。
まだ、終わらぬ悪しき夢は残っている。
……ずずず。
「……ん?」
それは、小さな地鳴りから始まった。その地鳴りはどんどんと大きくなり、それに比例するように地面もまた激しく揺れ始めていた。
「な、なんじゃ?地震かのう?」
『……いえ。これは違います……下から、来ます!』
よろつく体を引きずり、この場へと駆けつけていた深谷王が皆に知らせる。
『―――地の底に封じられていたはずの、『シナズヒメ』の御所が……『竜宮』が、地表へと這い出そうとしているのです!』
「……なんだと?」
そう。終わらぬ悪しき夢。この千獄を始めた悪しき夢。
『シナズヒメ』が来る。
シドーの桜の森の術によって、無残に壊れ果てていた地表を突き破り、とてつもなく大きなサイズの建物が生えてくる!それは、まるで塔のような高さであるが、この世の建造物のあらゆるものが混じったような異形をしていた。
武家屋敷であり石垣で組まれた城塞であり、民家じみたものもあれば寺や神社と思しきものさえ混在する、とにかく、住居の連なりであった。そのような異形の塔が、大地を貫き、天を目指すように高く高くそびえ立つ!
「……な、なんだ、これは……っ!これが、竜宮?」
『ええ。魔界の城です!龍たちの、戦闘城塞!……頂点には、『シナズヒメ』が―――』
『―――わらわはもう、ここに来ておるぞ?』
そう。
『シナズヒメ』がこの場に現れる。それは豪奢な一重の着物に身をつつんだ、うつくしい娘。蓮華姫と同様の水色の髪、そして、冥府魔道の長たる証の金色の瞳をもつ魔物である。彼女は宙に浮いていた。穏やかな表情をしたまま、その場にいる戦士たちを見下ろしていた。天歌とラカンは、この魔物が放つ底知れない力に警戒心を呼び起こされる。
―――まずいぞ、勝てそうな気がしない。
やはり似ているその二人は、このときも共通の認識を抱いていた。
『……魔物の霊長たるわらわを推し量ろうとしたのう、さすがは冥府魔道の瞳を生まれながらに持つ修羅どもよ。じゃが、気にすることはない。そなたらは死なずともいい』
「……見逃してくれるってのか?」
『うむ。その龍の娘さえ残していけば、そなたらに興味などない』
「わ、私を所望するのか……ッ。な、なんのために」
『わらわの小さな夢のため。これは取り引きじゃ。すべて死ぬか。それとも、一人だけ犠牲にして助かるか―――どちらを選ぶ?』
「……ふざけてんじゃねえぞ?ヒトのヨメ、勝手に盗もうとしてんじゃねえよ!!」
「天歌殿……っ」
蓮華姫は感動していた。その言葉がただ嬉しかった。だが、『シナズヒメ』には交渉を長くやれるような根気はない。
『そうか。そちらの筋書きがお好みなら、わらわは一向に構わんぞ』
好戦的なそぶりも見せぬまま、『シナズヒメ』は術を唱えた。宙に浮く彼女の周りに十三振りの冥刀どもが出現する。天歌の顔が引きつっていた。音に聞こえた冥刀十三振り。そうか、どれもギラついてやがるぜ……ぜんぶが、『シカノカミ』以上のバケモノだ。
「……来やがれ!」
天歌がサカキの刀と脇差しを抜き、ラカンが魔槍を構える。冥刀十三振りが、刀たちが、天歌とラカン目掛けて恐るべき速さで飛びかかってくる。
「こういうことしやがるのか!」
「なるほど、厄介なことだ!」
刀と槍で、周囲から襲いかかってくる刀どもを打ち払う。
『ほう。しのぐか?わらわの十三振り、初見で即死せなんだサムライは、そうはおらぬ。じゃが、さすがにこの辺りがヒトの肉体を持つ者たちの限界よのう?二本の腕では、いつまでも十三振りを相手に出来るわけがなかろう?』
「くそ!」
ザシュ!ザシュ!ザシュ!
多勢に無勢というか、上空から襲いかかり続ける無数の刃たちに対応し続けるのはあまりにも難しいことであった。腕で操らなければならない武器と違い、宙を漂うその刀たちは、あまりにも自由自在に暴れてくる。
天歌の体を、冥刀どもが傷つけていく。ラカンもまた同じく劣勢であった。蓮華姫が悲痛な面持ちで叫んでいた。
「天歌殿ぉおおおッ!」
「くそ!逃げろ、蓮華!深谷王、そいつを連れて行け!」
「に、逃げられわけがなかろう!そなたを置き去りには出来ぬ!」
『姫さま!ここは、どうか、天歌殿の言葉に従って―――ッ!!』
ザシュ!ザシュ!
深谷王の後ろ足に、冥刀が襲いかかった。脚に深手を負った深谷王は、その場に倒れてしまう。蓮華姫が愛馬の名前を呼ぶ。駆け寄ろうとしていたところに、『シナズヒメ』が割って現れた。
「し、『シナズヒメ』……ッ!」
『なあに、怖がるな。痛いことはせんよ。明日の朝まではのう?』
そう言い、『シナズヒメ』は瞳術を発動する。その黄金色の瞳があやしく輝き、蓮華姫の意識は失われてしまう。崩れ落ちる蓮華姫のことを、『シナズヒメ』はやさしく抱きしめてやった。
『おお。可愛い娘じゃ……わらわの子の『器』にするには、もってこいよ』
「ヒトのヨメに、触ってんじゃねーよッ!」
天歌が冥刀十三振りの囲いを力ずくで突破し、『シナズヒメ』に肉薄する。だが、この魔物、じつに狡猾な女であった。蓮華姫を盾にしたのだ。これでは、天歌に手は出せない。その怯みを見て、『シナズヒメ』は嗤った。
『愚かなり。千載一遇の好機……見過ごしてしまうとはのう♪鈍ったな、天狗♪』
「天歌!後ろだ!」
天歌の背後から冥刀どもが降り注ぐ、ラカンは魔槍を振るって、何本もその刀たちを弾いてしまうが、致命的な斬撃を胴に受けてしまう。
「ぐふっ!?」
『ラカン。世を継ぐべき器が、他人のために命を賭けるべきではなかろうに』
「テメー!」
『天狗よ、お主にも飽きたぞ。そろそろ、沈め!』
降りかかる無数の斬撃を浴びて、ついに、天歌の体が止まってしまう。膝を突き、大地に倒れる。だが、無理矢理、上体を起こそうとする。
『まこと獣じみておるわ……じゃが、もう寝ておれ。トドメまでは刺さないでおこう。この女のことは忘れよ。貧乳女など、この世に星の数ほどおるであろうよ』
「……れん……げ……ッ」
嗤いながら、『シナズヒメ』は天へと昇っていく。その腕に、ぐったりとした蓮華姫を抱えたまま。天歌は出血のために、やがて意識を失い、大地に突っ伏していた……。
―――しばしの時が流れる。
倒れた天歌とラカン……そして深谷王。それらの傷は深く、出血は致命的なものであった。アヤカシである深谷王はともかく、天歌とラカンが生きているのはほとんど奇跡のようなものであった。
『こんがり童子』が現れたのは、彼らの命がまさに尽きようとしたそのときである。彼は天歌を揺さぶってみた。だが、天歌は返事をかえすどころか、意識を保ててすらいなかった。『こんがり童子』はどうすることも出来ず、途方にくれてしまうが―――。
そのとき。
メノウの背中を突き破った『ウツシノミコト』に変化が訪れる。神々しい黄金色のかがやきを、その矛は放っていた。『こんがり童子』は何事かと興味を惹かれたのだろうか。『ウツシノミコト』へ向かい、たたた、と足音高く走っていた。
―――なんだろう?
―――あたたかい光……?
―――さわりたいな。
恐る恐る。『こんがり童子』の焦げた手が『ウツシノミコト』へと伸びた。そして、その黒い指先が『ウツシノミコト』に触れる……。
『……僕の名は、『ウツシノミコト』……命を司る旧きアヤカシ。龍神たちとの盟約により、二度と目覚めることのなかったアヤカシさ……それでも、僕は目を覚ました。理由は分からないけれど……宿主となった姉弟の魂が、眠りから揺り起こしてくれたみたい』
『こんがり童子』にはその言葉の意味がよく分からない。童子は焦げた首を横に傾けていた。『ウツシノミコト』は、クスクスと笑う。
『ああ。いいんだよ。僕自身の物語は、僕だってよく分かってはいないんだから。僕の存在する意味はね、命をつなぐこと。哀れな子らの魂たちよ……その死にかけた者どもに何を望む?……このまま安らかな黄泉路へ送るべきかな?それとも……彼らを助けてあげたいのかな……』
『こんがり童子』は何度もうなずいていた。『ウツシノミコト』に童子の言葉は聞こえない。だが、彼は童子の願いの意味を把握する。
『そう。生きていて欲しいんだね?……フフフ。君たちは、いつの世でもやしいんだね。怨霊にもならず……ただただ、哀しくてやさしい……いつか、君たちに救いの終わりが来るように、願っているよ……』
『シカノカミ』が輝きを増し、その神々しい光に当てられた天歌とラカンと深谷王の傷がふさがっていく。『こんがり童子』は嬉しそうにピョンピョン跳びはねた。
『ふふふ。それじゃあ、僕はまた眠るよ……ヒトが死に過ぎる世では、僕はいるべき存在じゃあないんだ。お休み、かわいそうな『こんがり童子』……そろそろ君も冥府に戻るべきだよ……じゃあ、また、いつかね―――』
『ウツシノミコト』が砕け散ってしまう。黄金色の光は、きらきらと輝きながら、天へと昇っていく。その光を、『こんがり童子』はブンブンと手を振ることで見送った。
「……う」
天歌がうめいた。どうやら意識を取り戻したようである。『こんがり童子』は慌てて彼のもとへと駆け寄り、その顔をのぞき込んできた。黄金色の瞳がゆっくりと開かれる。天歌はその死霊を見つけた。
「……なんだ、まさか……お前が助けてくれたのか?」
ぶんぶん。『こんがり童子』は首を横に振る。天歌は、そうか、と返事しながら体を起こす。傷口は……八割方ふさがっているといったところか。治癒の術でもかけられたのか?どうやら誰かに助けられたらしいが……。
「……蓮華」
少年はその名を呼びながら、痛みと失血でふらつく体を無理矢理に起こした。『こんがり童子』が心配そうにして見ていたが……天歌は、どうにか立ち上がり、天をにらむ。天へと向かって伸びた、奇怪な塔……『竜宮』をにらむのだ。
「―――死にかけたが、やれやれ、どうにか助かったようだな」
ラカンもまた立ち上がっていた。
「咲夜……」
「……なんだ?」
「『シナズヒメ』をぶっ殺す。手伝ってくれねえか?」
「ハハハ。今まさに負けたばかりなのにか?」
「おうよ。だが、だいぶ『見た』。お前もだろう?」
「うむ。手も足も出ずに殺されかけたが、『見えた』。答え合わせといこうか?」
「ああ。おい、どいてろ『こんがり童子』。ラカン、かかってこい!」
ラカンが魔槍を構えたまま天歌へと走り込んでくる。天歌もまたサカキの刀を構え、ラカン目掛けて打ち込んでいく。とてつもなく激しい剣と槍のぶつかり合いが起きて、その迫力の壮絶さに、おどろいた『こんがり童子』が怯えてこの場から走り去ってしまった。
47手のぶつかり合いの後に……天歌とラカンはお互い武器を納める。肩で息をするほどに疲労してはいるものの、彼らなりにこの『特訓』に満足できたようだ。
「そう。こんなカンジだ」
「だろうな。あとは、実戦で見切るのみ―――」
「死ぬかもしれんが、いいのか?」
「かまわん。『シナズヒメ』は、いつか討たねばならない相手だ。お前がいなくては、おそらく勝てぬ相手であろう……今宵行かねば、お前との共闘は二度と無かろう」
「おう。たぶん、オレさまだけなら殺されるからな」
『―――……天歌殿』
深谷王が声をあげる。どうにも辛そうだ。彼は黄泉蜘蛛との戦いにおいても、かなりの深手を負っていた。命をつなぐことに興味がある『ウツシノミコト』ではあるが、万全な体調にまで戻してくれるというワケではないらしい。
『……私も行きます……黒麗刃のしたように、刀へと化けましょう』
「おい。黒麗刃は、武器へと化ければ二度と戻れぬかもしれないと言っていたぞ?」
『上等!……今、行かねば、私は自分でいられなくなってしまう!』
「へへ。心強いじゃねえか。気に入った。深谷王、連れてってやるぜ、化けろ!」
『はい!』
深谷王が強烈な光を放ちながら、いななきの声と共に変貌する―――それは、一振りの古びた刀である。鞘のなかに収まったそれは、古めかしい。
『―――傷が多いので。決戦のときまで、眠ります……一太刀。全霊力を、解放されたその瞬間に解き放ちましょう……―――』
「ああ。分かってるぜ。テメーの気性はよ」
天歌はその古びた刀を腰に差した。ラカンは魔槍の石突きで地面に何事かを描いたあとで、額の汗をぬぐい、天歌へと言葉を伝える。
「……では、参るぞ?……宿命の一つ。今宵、砕いてみせる」
「……おう。待ってろよ、蓮華」
そして。天歌とラカンは竜宮へと向かう。
ラカンの魔槍の一撃が、竜宮の入り口を閉ざしていた大きな門を叩き壊した。戦士どもは、そうして魔界の城へと侵入したのである。そこは、この世ならざる場所……邪悪な霊気に満ちた異界である。
「外から見たのと、だいぶ違うな……螺旋階段……それに、連絡する廊下が無数にあるってか?……おかしいな。外見と中身がまるきり違うぜ?」
「ああ。広さに高さに……まったく異なる。おとぎ話のように、時間の流れさえことなっているかもしれんぞ?」
「まったくもってあり得そうな話じゃねえか?……だが、要するに、登り切ればいいってことだろう?このバカみたいに長い螺旋階段をよ」
「そうだろうな。王者はいつも頂にいる。駆け上がればいいのであろう。もとより、私たちにはそれがお似合いだ。武骨なまでの正面突破!力ずくで、呪いも呪術も砕くのみ!」
「ククク!気性の激しいヤツだぜ。まあ、オレもまったく同じなんだけどよ!」
「……ん。ここにも死霊があふれているようだ」
『グルルルルうう!』
そう、この竜宮。おびただしい数の死霊戦士の守る砦。龍神たちの城なのだ。古代の鎧武者どもが、わらわらと様々な場所からあふれ出てくる。天歌はサカキの刀を構えながら、走りはじめていた。
「全部、斬ってる場合じゃねえぞ!とにかく、一直線!親玉やるしか、道はねえ!」
「うむ。駆け抜けるぞ!」
『しゃがああああああがががががががががッッ!!』
骸骨武者たちが上の階から下の階から、次々と現れ、怒濤の勢いで修羅どもに迫る。修羅の心はそれぐらいでは怯むわけがない。魔槍の破壊的な攻撃力と、流れ星のように素早い天歌の斬撃が、次から次に死霊を屠っていく!
「ふふ!それは明らかにサカキの剣筋……モノにしたか!」
「ああ。いい技は盗まなくちゃな、オレさまは山賊なんだからよ!さあて、走れ!とにかく、上だ!上に登るぞ!」