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千獄の天歌  作者: よしふみ
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第2幕   疫神・シカノカミ/姥捨て峠の病死体

蓮華姫の姉・琥珀……死してなお、『兵器』として陰陽師シドーの道具とされた姉を救い、怨敵シドーを仕留めるべく、蓮華は天歌たち『天狗党』の面々とともに旅に出る。


そして、シドーを追い東の地にやってきた猛将ラカン、そしてキツネ族の姫・玉藻。


『天狗』と謳われる天歌、そしてラカンの追跡に対し、陰陽師シドーは苛烈な罠を用意する。

うつくしき黒髪の少女、メノウ。シドーの義理の娘にして、優秀な彼の弟子であった。


凶悪な魔剣、そして邪悪な病の神……。

魔道深まる、第2幕。おたのしみください。

第二幕   疫神・シカノカミ/姥捨て峠の病死体



 とある廃寺でのことだ。男は座禅を組んでいた。体中が重だるくて、痛みもあちこちにある。燃えるような熱があるし、汗が滝のように流れつづけていた。

 ああ、修行不足なことだ。蛇骨洞での修行では、足りなかったのか?あの屈辱にまみれた30余年の歳月は、自分に何ももたらさなかったというのか……?

 ……いや、そんなことはなかろう。

 むしろ、こう考えるべきだ。この程度の『呪い返し』で済んでいるのだぞ、ショーグンの血族数百名の命と呪怨でくくられた、『シナズヒメ』と同等の魔王を使役しながら!

「そう、ワシは……最高の力を手に入れたのだ!これぞ、修行の成果だ!……くくく!我が大願を果たす日は、近いぞ!」

 陰陽師・シドーはそう言いながら床から起き上がる。一瞬、ふらりと立ちくらみがしたが、まあ、問題はない。彼は、忌々しげに口から唾を吐く。いや、それは唾だけではなく、どす黒い己の血が混じったものだ。

「琥珀姫め……龍神の末裔たるそなたの霊威は素晴らしいものだ。よもや、このシドーの五臓を、たった一晩の内に病で腐らすとはな……だが、まだまだ甘い。呪病はのう、切り取ってしまえばよいのだよ。メノウ!霊刀を持って参れ!」

 シドーはかたわらに控える女陰陽師にそう命令する。メノウと呼ばれたその黒髪の少女は静かにうなずき、シドーのもとに近寄ると、着物の前をはだけて素肌を見せる。シドーは好色そうに笑い、メノウの白い身体をその長い指で触り、若い肌のもつ弾力を楽しむ。

 メノウは義父から受けるその行為を楽しめてはいないのだろう、両の眉を近づけて、感情の乏しげなその顔に、わずかながらの嫌悪感を露わにした。

「あいかわらず、いい女だなぁ……拾ってやったときは、まだ六つのガキだったというのに。今では、すっかり一人前の女になりおって!……さあて、今日も産ませてやるぞ、最高の霊刀をなぁッ!」

 シドーが何事か呪文を唱えると、彼の手が紅くかがやく光に包まれた。メノウはこれから始まる痛みに耐えるため、唇と瞳をギュッと閉じる。メノウはその敏感極まる若い肌に、悲鳴をあげたくなるほどの熱を感じた。

 霊力を帯びたシドーの手のひらが、メノウの肌に触れたのだ。そして、男は一気に少女の腹のなかに痩せた手を埋没させる!

 メノウが、小さく悲鳴を漏らした。シドーは狂気をはらんだ声で、ヒヒヒ、と笑い。痛いか?とメノウに訊いてくる。メノウは、言葉にして返事をすることなく、ゆっくりと、だが確かに頭を縦に振った。

「そうか。痛むか?それも当然よのう。身体の中をかき回され、肉のなかに封じた刀を取り出すのだからなあ……痛くて当然だ。メノウよ。せいぜい苦しみ、魔剣を喜ばせてみい」

 男の手がメノウの体のなかで強く握られる。メノウは臓腑を握りつぶされるような錯覚を感じ、痛みと苦しさと吐き気を催す。だが、耐えねばならない。ここで気を失い中断でもしてしまえば、霊刀『シカノカミ』は彼女の体内から取り出せないからだ。義父のためにも、自分のためにも、この作業を何度も繰り返している余裕はなかった。

「ほら!抜くぞ!」

 その言葉にメノウは思わず目を見開き、ビクリと体を揺らす。どれほどの痛みがあるか、よく理解しているからだった。彼女は歯を噛み、その激痛に耐えようとしたが、乱暴に体内から太刀を引き抜かれた瞬間、あまりのつらさに意識は飛び、床の上に力なく倒れた。

 一つだけ残ったシドーの瞳がギョロリと動き、義理の娘の生死を興味薄そうに観察していく。多少の出血はあるが、まだ死んではいないようだ。それどころか、すでに腹の傷がふさがろうとしている。

「あと、五回……いや、六回はこやつの『鞘』としても使えそうだな」

 義理の娘が死ぬまで、あとどれぐらい自分の道具として役に立つか。シドーはそのことを冷静に勘定し、満足する。他の女ならばとっくの昔に狂うか、死んでおっただろう。それなのに、我が『娘』ときたら、まだまだ余力を残しているか。

「うむ。見事ぞ!それでこそ、拾ってやった甲斐があるというものだ!お前の献身のおかげで、『シカノカミ』のヤツ、すばらしい霊威を放っておるぞ!」

 シドーは子供のようにはしゃいでいた。自分が復活させた古代の魔剣……それが乙女の血肉を喰らい、夜空にかがやく銀の星のような煌めきを放っていることが嬉しくてしかたがないのだ。彼は熟練した剣士のように、その太刀を華麗に操ったあとで、唐突にピタリとその動きを止める。

 彼は儀式に取りかかることにしたのだ。『邪魔者たち』が来るより先に、治療を完了させなくてはならない。シドーは敵を認識している。東から自分を追いかけてきているであろう猛将ラカンとキツネたち……そして、焔に呑まれたタツガミの里にて、彼のことをにらみあげていた、あの少年。

「……『天狗』か。たんなる山賊かと考えていたが……霊馬さえ操るとは大した力よ。リョウゼンの気も消えてしまったとなれば、あやつめ、『天狗』に喰われおったか」

 シドーはリョウゼンを過小に評価もしなければ、過大な評価もしない。リョウゼンという男はそれなりの手練れだった。術の研鑽よりも政に長けていた都の主流派陰陽師たちの中では、まちがいなく一番の術者。

 外法や禁術の知識さえも豊富であり、その能力は30人のサムライと同等な強さを発揮するであろう。むろん、油断さえしていなければの話ではあるが……。

「……あやつも、いささか貴族としての生活に慣れすぎておったからな。慢心につける薬など、さすがのワシも持ってはおらんしのう」

 まあ、油断しなかったとしても、あの凶暴な山賊に勝てたかどうか。あの霊馬……おそらく、北方山脈の古戦場に封じられていたはずの『深谷王』。それを自在に使役するということは、古代の英雄たちに比類する力をもつ蛮勇と霊馬に認められたからだろう。

「あやつは凶星。アヤカシに愛されるほどの猛者か」

 ……あやつもラカンと同じく、ワシを追いかけてくることだろう。戦いを望む者の、野心的にまでギラついた瞳。まるで血に飢えた獣のように、あやつはワシを見ておった。それだけでも十分。

 あれはラカンと同じ瞳だ。戦いに取りつかれた根っからの修羅であろう。『獲物』と見定めた者を忘れることなど、あやつらには出来まい。シドーは、ニタリと唇を歪める。

「来るがよい、ラカンに山賊よ!……ワシの術の集大成をもって、歓迎してやろう!」

 そのためには、まず!

 シドーは勢いよく『シカノカミ』を己の腹へと突き立てる。自殺行為、などではない。彼ほどの術者に操られる霊刀は、切るべきモノしか切ることはない。シドーが切ったのは、霊力で呪いを集めさせていた『はらわた』の、ほんの一部分だけだった。

 彼はゴホリと黒い血を吐きながら、『シカノカミ』を腹から抜いた。そして、しばらく激しく咳き込んでいるうちに、彼の口からは、『シカノカミ』により切り裂かれたはらわたの一部がゴホリと出てきた。

 それは禍々しい呪詛を放つ、腐った臓腑である。琥珀姫からシドーに返ってきた『呪い』。それが、この肉の切れ端には集中していた。はらわたの一部を失ったシドーであるが、先ほどまでの苦しみはすでに消えている。

「さすがは『シカノカミ』だ。呪いだけを見事に切り裂いてくれおった……さあて、我が臓腑よ。我が身を離れてしまったが、最後にもう一度だけ、ワシのために力を貸せぃ!」

 シドーは再び『シカノカミ』を使う。その霊刀の刃を手で握り、わずかな切り傷を作ってやると、そこからあふれた血を臓腑の切れ端に垂らしていく。

「……さあさあ、『疫神』よ。病苦を司る、邪悪な土地神よ!……ワシの呼び声に応え、姿を成し、その猛威を振るうがいい!」

 肉片がシドーの術に応え、その姿を変えていく……それは、まるで産まれたばかりの赤子のように小さく、そして、赤黒い不気味な色をした人形……いや、それはゆっくりと立ち上がろうとしている。シドーはその様を見て笑みを浮かべ、もう一つ術を仕掛けた。

 彼が取り出した13枚の霊符たちが、人形の肉体にペタペタと張り付いていく、まるで、包帯を巻かれたケガ人のような姿へと、その腐肉の小人は変わっていった。

 小人は巻かれた霊符のすきまから黄色く濁った瞳でシドーをじいっと見つめていたが、突然、風のような速さで駆けはじめると、古寺の障子を突き破り、外へと飛び出していった。小人が床板に残した足跡をシドーは観察する。そして、彼は満足を手にするのであった。床板が呪病により、またたく間に腐っていく様子をその瞳に納められたからだ。

 彼はうなずく。よき悪霊を生成できた!……己が作品の出来に納得した彼は、いつまでも気絶したままになっている義理の娘を起こすことにした。

 シドーはつま先で床に倒れたままのメノウを突いて、仰向けに転ばせる。彼は呪文を唱え、その呪いを帯びた言葉が彼女の意識を覚醒させる。シドーは、目をパチクリさせているメノウのはだけた胸の上に、『シカノカミ』を投げ置いた。

「……よいか、メノウよ。『シカノカミ』を預ける……それを使い、疫神を操れ。ラカンと山賊どもをここで待ち伏せするがいい……『死都』へと至るには、死霊海岸を越えるか、この寒村への道を辿るか二つに一つよ……海岸には先んじて鬼を敷いておる。メノウ、お前はここで、命を賭けてでも、ワシの邪魔をするヤツらを止めるのだ。わかったな、可愛いメノウよ。お前は、ここでワシのために命を捨てるのだ」

 死んでもいいから、時間を稼げ。

 その冷酷極まりない命令を受け取った少女は、それでもこの男に対する恋慕ゆえに、満足げな微笑みを浮かべていた。呪いなのか、真実の感情なのかはメノウ本人にさえ分からないが、毎回、『シカノカミ』を産まされる度に、シドーへの忠誠は深まっていく。男として彼を見ているのか、父親として見ているのか……師匠として尊敬しているのか。

 どれが正しい感情なのかは分からない。

 しかし、どれが正しい答えであったとしても、この少女はシドーのことを愛しているには違いがなかった。だからこそ、彼女はその媚びるような表情のまま返事をするのだ。

「はい。わかりました、シドー様ぁ……っっ♪」



 リョウゼンを倒してから、すでに二日が経過しようとしていた。タツガミの里の生き残った者たちに山賊たちも手を貸す形で、焼け焦げた瓦礫を除去したり、死者を弔ったりと過密なスケジュールのもと、復興作業に追われていたのである。

 死者の弔いも、とりあえずは終わった。呪いがかかりゾンビへと変貌する死体が大量発生することを大牙は心配していたのだが、どうにかゾンビへと化ける前に、ほぼすべての村人たちの遺体を火葬にすることが叶ったようである。

 ただし、4、5人ほど行方の知れない者たちがいるのだが……彼らがどこかへと逃げ延びてくれているのか、それともゾンビと化して、その辺りをうろついているのかまでは分からなかったし、そこまでを心配してやれる余裕もなかった。蓮華姫と山賊たちには、討たねばならない『敵』がいるのだから。

「……姫さま、どうかお気をつけて下され。シドーは邪悪な陰陽師……あのリョウゼンよりも力量は上なのかもしれません」

 おトヨばあは、旅立つという蓮華姫を心配そうに見つめていた。だが、蓮華姫は安心せよ、と屈託のない顔で宣言する。厚手の着物を着込み、薄い胸元には牛の皮でつくられた頑丈な胸当てがまかれていた。そして、あの長い水色の髪はツインテールにまとめることで、動きやすさを追求した!……そうだ。

 とにかく、戦支度を調えた少女は、おトヨばあに語った。

「だいじょーぶ。私には、頼りになる天下無双の夫もいる!半人半妖の大牙殿に、大妖怪の娘のお里殿までおるのじゃ!……おお、それに深谷王よ!お主も、頼りにしておるぞ!」

 蓮華姫は霊馬の首にやさしく触れてやりながら、そう言った。深谷王はまんざらでもなさそうに彼女の手を受け入れる。龍神の霊力がわずかに宿るその指先からは、魔に属する者たちには、なんともたまらぬ温もりが伝わってくるのだ。

「よくがんばってくれたのう、軍馬であるはずのお前に瓦礫を引かせたり、隣の里にお使いに出てもらったり……プライド高いお主のコトじゃ、耐えがたい屈辱であったろう?」

『……フフ。安心して下さい、蓮華姫よ。ここは、我らが主の城となる場所……戦のためにも、まずは『砦』を建設せねばなりませぬから』

「ふ、復興作業というか、軍事業務として見ておったのか……」

 とにかく物騒な解釈を好むのが、この霊馬であることを、少女は受け入れてやるつもりでいた。なにせ大層な長生きである。『年寄り』とは、ガンコで己を変えないものだから……そういう気持ちで、深谷王白夜のキャラクターを受け入れてやることにしたのだ。

「どうあれ、ありがとう。助かったぞ!」

『お褒めにあずかり光栄ですな。ですが、本日からは、私の真の力が発揮されるでしょうとも!この脚は……戦場を駆け、魑魅魍魎を打ち払い、邪軍を踏みつぶすためにある!』

「おう、期待しておるぞ!……とまあ、こんな力強い馬まで揃っておる。もう、妖怪大集合って勢いじゃ!こんな集団に、誰が太刀打ち出来るというのだ?」

「……フフ。たしかに、皆様、恐るべき力の持ち主たちでございまする。ワシのような年寄りが、今さら心配する必要はなかったのかもしれませんなぁ」

「……ううん。そんなことないよ。心配してくれて、ありがとう!」

「……姫さま?」

「みんなが心配してくれてる。そう思うと、この旅を早く終わらせて、ここに帰ってきたいと心から思えるの。私は、このタツガミの里の姫だから……必ず、ここに帰ってくるね」

「ええ!もちろんです!ここは、あなたの故郷……そして、あなたが継ぐべき里でございますから……そう、可能な限り早く『お世継ぎ』も―――」

「そ、それは、おいおい、そのうちに!お、おい、深谷王!そういえば、天歌殿たちはどこにいったのじゃあ?……お里殿は、ぞっとするほどの量のおにぎりを作っておったが」

『……ああ。天歌殿たちは、あの美しい池のほとりにおられるでしょう』

「そっか。こんがり童子も来ていたしな」

『私の背に乗れば、送って差し上げますが?』

「じゃあ、頼む!」

 少女は着物のすそをたくしあげ、細くて白い足を弾ませて、馬の背へと飛び乗った。馬はやさしく鼻を鳴らし、少女のためにその強靱な脚を動かしはじめた。おトヨは目をパチクリさせながら、遠ざかっていく蓮華姫の背中を見守っていた。

「……ふむ。急かしすぎてしまったかのお?」

 少女にとって『子作り』しろという話題は、面と向かって言うべき話題でもなかったのかもしれない。老婆はそのことを反省する。

「すっかりとたくましくなってしまわれましたからな。もとよりのおてんばに加え、今の蓮華さまは、里の者を率いるに相応しい鋼のような精神をお持ちになられた。一人前の大人としてあつかってしまいましたが……まだまだ14の娘っ子ということを、失念しておりましたのう……」



 ―――天歌と大牙はタツガミの里の奥にある、うつくしい湖のほとりにいた。彼らの目の前には、ひとりのこんがり童子がいる……焼けつく肌を冷ますため、こんがり童子は水のなかではしゃいでいた。

「……この子さ。この村で焼け死んじゃった子たちの怨霊も、吸収しちゃってるよね」

 大牙はそう言った。天歌には、それほど深く霊力を読み取る眼力もないので、大牙の頭のなかにある分析を想像することはできない。それでも、彼なりの感性で、このこんがり童子が今までと異なっていることには気がついていた。

「おう。こいつ、ドジョウが嫌いだったのによ……昨日から、ドジョウ探してら」

「……天歌は、どうしてこんがり童子と『話』ができるの?」

「はあ?んなもの、言葉以外でも、いろいろ分かるだろ?見た目とか、筋肉の動作とかでよ、そいつが何したいかぐらいのこと、手に取るよーに分かるもんじゃないか?」

「……あいかわらず、達人過ぎてて共感しにくい答えだよ」

「変か?」

「いや。君はそれでいいはずさ……じゃないと、この子が『蓮華ちゃんを助けて』って言っていたことにも気がつけなかっただろうから」

 アヤカシであるタヌキのお里にも出来ないことを、この少年山賊はやってのけた……それはそれで、恐るべき洞察力だと大牙は考えている。なぜ、それが出来るのかは理解できないけど、天歌がフツーのヒトじゃないってことは、つねづね感じてることだしね。

 大牙はこの事象を深く考えることをやめることにした。

 今日は旅立つ日だ。もっと、いろいろと考えを回すべきことがらが幾つもあった。たとえば、今度の『敵』についてだ。

「それでさ、シドーってのは、どんな感じ?君は、ヤツを一瞬だけでも見たんだろう?」

 大牙としては天歌の洞察力には絶対の信頼をよせている。彼が一瞬でも見たというのなら、かなりの情報を手に入れているにちがいないと考えていた。天歌は、しばらく間を開けた後で語りはじめる。

「……あいつは、かなり強いだろうよ。リョウゼンの何倍も強い。なにより、ヤツほど間抜けでもないだろう。実戦慣れしていて、お前ぐらい狡猾かもしれん」

「ちょ、人聞き悪い言葉で僕を評価しないでよ?狡猾って、悪口だからね!」

「とにかく、アレは邪悪で危険なヤツにちがいない……それに、ヤツは何かを達成したいらしいな。オレたちがいることを知っておきながら、あの夜はオレたちのことをムシした。リョウゼンが狙われていることを知りながら、あいつのために時間も兵士も使わなかった。何かの目的があって、それを成し遂げるためには、他のことに気を回す余裕はないのさ」

「目的ね。『シナズヒメ』を斃して、この東の地をミカドに献上したいんじゃないの?」

「……そんなことして楽しいかよ?」

「うん。フツーの貴族や陰陽師やサムライは、それやるだけで大出世だよ、たぶん」

「あいつはフツーじゃねえと思うぞ?……ミカドの命令?出世?……そんなものより、もっと面倒な目的でもあるんじゃねえか?」

「……たとえば、どんな?」

 天歌が目を細める。めんどくさがっている時はいつもこの顔だった。

「陰陽師の考えることをオレが分かるとでも?連中には坊主のお前のほうが近いだろ?」

「ぼ、僕は、どちらかと言えばフツーの発想しか出来ないもん」

「なんだよ、山賊のくせに今さら常識人ぶってんじゃねえよ」

「そういうつもりじゃないですけどね?手足にバケモノくっつけたあの夜から、常識人になんてなれないってことぐらいは理解してますから!」

 大牙は変な拗ね方をした。しかし、天歌はその大牙の態度にうなずきで応じる。

「うむ。自分を知るのはいいことだぞ。大牙、お前は立派なバケモノだ!」

「……それ、本気で悪口じゃないつもりでしょ?……僕のこと、ガチのバケモノとして褒めてるよね?悪徳破戒僧として、褒めちゃってますよね?」

「―――んで、テメーなりにヤツの目的は何だと思うんだ?悪知恵の回るテメーが、それぐらいのこと考えてないわけないだろう」

 天歌の指摘は当たっている。大牙が誰かに質問するときは、その質問に対する答えをある程度完成させているか、それに至る途中であることしかない。大牙とは、謎の存在を見過ごせるタイプの人間ではないのだ。大牙は地面に座り直しながら、語り始める。

「……んー……たとえばだけどさ、『シナズヒメ』討伐という名目を立てればさ、ミカドの資金や軍勢を好きにできるんだよね?」

「まあ、そーだろーな」

「……だから、シドーってヤツは、その資金と人材をつかってさ、この千獄の地でなくちゃやれない『実験』をやろうとしている……ってのはどうかな?」

「死体で手足すげ替える実験していたお前がそう言うと、説得力のかたまりだな」

 天歌はそう言いながら、呪文の記された包帯にくるまれた大牙の右腕と右足に交互に視線をやった。たしかに、大牙は『合身の術』を完成させるために、本来なら丁重に弔うべき兵士たちの死体をつかって、夜な夜な手足をすげ替える術を研究していた。

「ほんと、仏門に反する坊主の親友をもって、オレさまうれしいぜ」

「……それは悪口だよね?……べつにいいけど。でも、僕が思いつくのは、それぐらい。この土地は呪いと血に満ちあふれてしまっている。おそらく現世のどこよりも地獄に近い……いや、下手すれば、ここは地獄よりもはるかに無秩序めいているのかもね」

「おいおい、地獄よりも悲惨だってのかよ?」

「うん。ゾンビみたいに自由に動き回れる亡者やら、地獄からあふれて来た獣たち……そこらの森のなかにわんさか隠れている餓鬼や、こんがり童子みたいに仏道輪廻から外れた怨霊の集合体。それに、人間やアヤカシたちの呪術が飛び交っている……こんな無秩序はないよ。それだけに……特別な場として、『新しい術』を発明できるかもしれない」

「……よし。その線で決まりだ」

「……え?ちょ、そんな決めつけていいの?」

「この地で人体実験やってたお前が言うんだ。間違いねえよ」

「それ、人聞き悪いから、あんまりヨソで言わないでよね……」

 頭脳労働は大牙のすべきことである。天歌はそう確信していた。適材適所。賢く邪悪なことを推測できるのは、同じように知能と邪悪を兼ね備えた者だけである。ゆえに、大牙がシドーの考えを推測できる。山賊の頭領はその確信のままに思考を進めていた。

「んで。それで、一体ここではどんなスゲー術が出来るってんだ?」

「……え?」

「テメーはいつか言ったな。『シナズヒメ』を産んだ呪術が、この世で最強の術だと。それをリョウゼンとシドーはやってのけたらしいぜ?蓮華の姉貴が龍の血を引いているからか?……でも、この村だけじゃ、『シナズヒメ』を作った数百人の呪いには足りん。それに、英雄たちが黄泉から盗んで来たっていう十三振りの冥刀たちもねえ」

「……そういう触媒が少ないのに、『シナズヒメ』を『再現』できたから……最高の術を彼らは超えたんじゃないかってことを指摘してるのかい?」

「ああ。そんなだ、多分」

「……超えたかどうかは分からないよ。『シナズヒメ』と蓮華ちゃんのお姉さんが戦ったわけでもない。戦うと『シナズヒメ』が、あっさりと勝っちゃうかもしれないしね。たとえ、その逆でも、ただ戦闘力が上なだけってことの証明にしかならないかも」

「はあ?ケンカ強い方がえらいんじゃねえのかよ?」

 シンプルな世界観を持つ天歌らしい答えであった。大牙は静かにその価値観を否定する。

「……そうでもないんだ。『シナズヒメ』は、この世を『千獄』にしちゃった……ということがスゴいの。世界を地獄以下に塗り替えるなんて、とってもスゴいことでしょ?」

 ―――悪気は無いのだろうが、世の中が地獄以下の有り様になったことを、『スゴい』って喜べるあたりがコイツの常人じゃない部分だろうな。天歌はあきらかに好奇心の虜になっている友人を見つめながら、それについての指摘を避けてやることにした。言えば、コイツはどうせ拗ねるだろうしな。

「……まあ、そーだろうな。たしかに世の中は、すっかりと変えられちまった」

「うん。でもね、蓮華ちゃんのお姉さんが『シナズヒメもどき』になっても、世界は暗黒に向かってはいないよ。そう考えると、彼らは『シナズヒメ』を再現したというか、『シナズヒメ』の力を一部、琥珀さんの亡骸を使って取り出したってだけなんじゃない?」

「……どういうこった?」

「えーと。たとえばこの湖が『シナズヒメ』だとするでしょ?世界を地獄以下にしちゃった暗黒パワーだよ。そして、この湖の水をお椀ですくったら?……それは『シナズヒメ』とまったく『同じ』だよね?飲めるし、お米も炊ける。『水』としての限定的な機能の面では同じと言える……でも、お椀一杯と湖一つが『互角』と言えるかどうかは分からない。より大きな視点から見れば、やれることや物理的法則は全く異なって―――」

 ―――あいかわらず、分かりにくい説明をしてくれやがるぜ。天歌はこの親友が好む、たとえ話というものがあまり好きではなかった。彼は、細かなやりとりがつくりだす緻密な推測よりも、もっと大雑把な答えを好む。

「……ふん。けっきょく、テメーが予想しているのはどーいう術なんだよ?」

「え?……うーん。『シナズヒメ』というか、冥府魔道の力を借りることで、『世の中の理を塗り替えるための術』……そういうのなら、術者が命を賭ける意義はあるかもね」

「世の中の理を変える……か。へへ。ぜんぜん、ピンと来ねえな!」

 術や呪いにくわしい大牙とは違い、天歌は武術のことに特化した体育会系である。術の開発に命をかけるという概念さえ、彼には共感することが難しい。大牙は彼なりにより良い説明の方策を考えて、再び語りはじめる。

「えーと、かつて『シナズヒメ』が使った呪いのシステムの基盤がこの地には残っているはずじゃないか?そこは分かるでしょ?つまり、この世を千獄に変えてしまった仕組みが、この地にはまだ存在しているはず。だから、シドーは、それを奪って不正にいじくろうって考えているのかもしれないってことさ。『シナズヒメ』に代えて、呪いの術式の中に『ニセモノ』である琥珀姫さんを差し込めば、システムを奪えるかもってことで―――」

「おい、オレの頭が悪いの知っているだろう?かんたんに話せ!結論だけでいい!」

「ええ。それじゃあ、つまらないじゃないか……」

 呪いの主導権を奪うために、その中心であり鍵/キーである『シナズヒメ』の『模造品』を琥珀姫さんで作ったなんて、『ステキな発想なのに』?大牙は残念そうな顔をしている。

 ……『合い鍵をつくって、夜中、金持ちの倉庫に盗みに入り宝を奪う』……盗賊に例えれば良かったのだろうか?そんな反省もしてみたが、どーせ天歌には面倒くさいと断じられるのは目に見えていた。

「―――つまり、この世を『地獄』に変えることが出来るなら、逆に『極楽』にも変えられるんじゃないかってことさ。そしたら、みんなが楽しく幸せに暮らしていけるんじゃないの?もし、そんな術を完成させられたなら、とってもスゴいことだよね?」

「……たしかにな。だが、『世の中を変える術』ってのなら、あいつはそんな風には使わねえだろ。一目で分かる。あいつの目は平和が嫌いなヤツの目だ。燃える村や、苦しんで死んでいく人間を見て、喜べるよーな外道に違いない」

「うわ、すごい偏見。チラっと見ただけの人に対してやっていい評価じゃないよね……でも、そんな術が完成したところで、たしかに、ロクなことへ使いそうにはないかな」

 あの丘の上にいたシドーらしき人物のことを天歌は思い出す。

 やたらとギョロついた目。アレはオレのことをにらんでもいた。だが、そもそもだ。あいつはこの里からさっさと立ち去ることを決めていたはずなのに、あの場でじっと燃える里を見物していたんだぞ?その理由は何だってんだ?

 ……んなもの、燃える里を見て『楽しかった』からに決まっているぜ。焼け死に、兵に斬り殺される村人を見物することが、リョウゼンの宴に顔を出して酒や料理を食らうよりも、あいつにとっては楽しみだったんだろう―――天歌はそう結論づけた。

「―――見るからに性格が悪そうなヤツだったからな。『極楽』どころか、逆に、この世を、もっとヒドい有り様にでもしたいんじゃねえの?」

「……ああ、そうだね。それも術者の野心を満たしてくれる結果かもしれない……もしかして、シドーって、『第六天の魔王』にでもなりたいのかも?」

「お前もそんな願望あるしな」

「え?」

「意外そうな顔してんじゃねえよ。手足にアヤカシくっつけて、火まで吹けるようになった男じゃねえか?」

「そうだけど……僕って、そんなに邪悪かなぁ?」

「死体の手足ぶった切って、付け替える実験していたことのある破戒僧で、そのうえ山賊までやってるという半分以上アヤカシの人物は、まさか正義のカタマリだってのか?」

「えぇ……そう言われると、自信なくなっちゃうよ」

 大牙という人物は社交性に欠くような人物ではけっしてないが、己の知的好奇心がやや邪悪な側面を帯びていることを理解していないという精神的弱点もある。自分が異端な考えを好むという現実をきちんと認識できないのだ。

「悪気もなく邪悪な考えが浮かぶ。それこそがお前の狂気であり才能だ。スゴいぞ!」

「うわ。なにそれ……褒められてる気しなーい……」

 半分は褒めているし、半分は褒めていない。そんな配分だからな。その言葉も天歌は口にすることはない。追い詰められれば胃を痛める。それが、大牙だからだ。少年山賊は親友の内臓に気をつかってやったのである。

「―――しかし、『魔王』か……うーし!なんだか、やる気出てきたよなあ、大牙ァ!」

「そ、そう?なんだか珍しいね、正義の心にでも目覚めたのかい?」

「はあ?山賊にそんなものあるわけねーだろ?敵は想像していたよりずっと強そうなんだぜ!……楽しくならんわけがねえさ。『魔王狩り』……そう歌になるのも悪くない!」

「……はは。ほんと、僕らの頭領は、思っていたより大物なのかも……」

「おーい!天歌殿!大牙殿ぉお!」

 遠くから蓮華姫の声が聞こえる。彼女は深谷王に乗ったまま、手を振っていた。

「……君の可愛い奥さんがやって来たね。アヤカシの王族の一柱に乗って」

「魔族みてえだろ?」

「言うに事欠いてそれはないってば!可愛い美少女じゃないか。深谷王だって……ゾンビ馬みたいなモンというか、リアル・モンスターだけどさ、従順じゃないか」

「ああ。気に入ってるぜ、深谷王のことはもちろん、蓮華のことだってよ。なにせ、あいつは見た目がいいからな!」

「……人格を褒めてあげなよ。蓮華ちゃん、いい子でしょ?」

「おう。貧乳なのが玉にキズなんだけどな」

「誰が、貧乳かあああああああああッ!」

 夫の失言に激怒した蓮華姫が馬上で弓を引く!天歌は己の頭目掛けて飛んで来た矢を、かんたんに手で叩き落としていた。

「ははは!耳もいいな!」

「……あのねえ、そんな夫婦喧嘩してたら、そのうち死んじゃうよー……」

 バケモノばっかりだ。大牙はそんな感想を抱いた。まあ、そんな考えをしている当人もかなりのバケモノそのものであるのだけれど……。



 その日、天歌と大牙、そしてお里に蓮華姫はタツガミの里を出発した。彼らが目指したのはそこよりずっと北……『死都』である。

 かつてはショーグンの都として栄えた土地だが、一年前にラカンにより焼き払われて以来、そこに住み着く生者はいないとされる。ゾンビに地獄のケモノたちがうろつく、死霊と悪鬼はびこる危険極まりない廃都……ゆえにそこは『死都』と称されていた。

「―――半年ぐらい前に、一度挑戦したことがある」

 一行は死都へと向かい北上をつづける。そんなおり、深谷王の背の上で、天歌は蓮華姫にそう語った。蓮華姫は驚いてしまう。彼女はすぐ目の前にある夫の背中に問いかけた。

「なぜじゃ?あそこは、とても危険というではないか」

「危険だからいいんだろ」

「う。ゾンビや悪鬼との戦いを求めてか?」

 夫の戦闘狂癖を理解してやるべきかどうか蓮華姫は迷う。『戦う』ということは勝利ばかりが手に入るわけではない。手痛い失敗の可能性もつきまとう。最悪の場合、愛する妻を残して死ぬことになるわけだし―――。

「いや、戦うのも目的だが、どちらかというとショーグン家の残した財宝ってものにこそ興味があったんだよ。上手く行けば、宝刀や霊刀、魔剣の類いをゲットできたからな」

「まったくもう……命あっての物種だろうに」

「言っておくが、それを言い出したのはオレじゃなくて、お里だからな」

 それは意外に思えた。『生き延びるんや』と口癖のように言い続けるあのタヌキが、そんな危険な土地に挑もうとするとは意外なことだ。少女は腰から上をくねらせて、後から追ってくる二頭引きの馬車を操るお里へ問いかける。

「お里殿ぉ、なーぜ、そんな危ないことをしようとしたのじゃー?」

「んー?……魔道にもコツがあってやな。混沌としているように見えても、自然界と魔道は切り離せん間柄なんよ。月に支配されて潮の満ち引きがあるように、死都の死霊・悪鬼の群れも、弱体化するリズムというものがある。それらは月と星の並びで占えるんやで」

「すごい。賢いんだね、お里殿は」

「にしし。まあなあ、ぼたんだぬきの娘やもん!……って、調子こいて死都に潜り込もうとしたら、どこぞの陰陽師が派遣した調査隊みたいな輩と鉢合わせしてもうてなぁ……情報と財宝の取り合いが起きて、うちら殺し合いになったんよ」

「……うわぁ、欲深い話じゃのう」

「まあ、戦いになったらこっちのもんや。なにせ『天狗』に赤鬼に、ぼたんだぬきの令嬢さまやで!ケンカでうちらが負けるわけないわ!」

「あはは。目に浮かぶようじゃの」

「そう。あいつらぶっ殺したまでは良かったんや。せやけど、あいつらなぁ……最後にイヤな置き土産残して死によった」

「陰陽師の置き土産か。うーむ。なんとも不気味な響きじゃのう」

「不気味というか、厄介なもんやったで。やつら大地の気の流れを乱しおってな。そしたら、ゾンビや地獄の悪鬼どもがうじゃうじゃ這いずり出てきて、そらもう生き地獄やあ!正直、深谷王がおらんかったら、うちらあの日、悪鬼に喰われて死んどったで……」

 お里はあの日の惨状を思い出したのか、ぶるぶると頭を振って、わすれてまえー、とつぶやいている。仲間たちの冒険を聞かされた蓮華姫は、うれしくもあり、その冒険に参加していないことが少しだけ残念にも思えた。少女はそのさみしさをごまかすために笑顔をつくり、大切な仲間のひとりをほめてやる。

「お手柄だったね、深谷王。おかげで、私は嫁ぐ旦那を失わずにすんだようじゃ」

『天歌殿だけなら生き延びたかもしれません。残りは死んだでしょうな』

「あはは……でも、そんな危ない場所に近づいているんだね。シドーたちは、死都の周辺で月を待っているのかな?お里殿みたいに、悪鬼どもの動きを読むために?」

「さあて、どーやろなぁ……基本的にはそういう発想やと思うけど。他の段取りを見つけててもおかしないわ。なんせ、陰陽師どもには組織力がありよる。何組も調査隊を派遣して、情報をかき集めてたんやろうし……なにより、『切り札』もあるからなぁ」

「……姉さまのことだね」

「あー、言い方まずかったら、ごめん」

「いいよ。気にしないでつづけて」

「ふふ。健気な子やなあ……まあ、琥珀姫はんは龍神の血を引いとる。土地と強く結びついた龍の血をつかえば、大地の気の流れを短時間だけならコントロール可能になるんや」

「つまり、どういうこと?」

「悪鬼の群れを静かにも出来る。下手すれば、悪鬼の群れを従えることさえ可能かもな」

「え……そんなことが?」

「龍の血筋に、星と月の並び……あとは陰陽五行を知り尽くした高度な術者がおれば、地獄の軍勢をしばらくのあいだは操れる……せやから、陰陽師どもは死都に調査に入っていたんやろ。あれらは、軍事利用すれば、最高の軍勢やからな」

 死霊と悪鬼でつくられた、まさに『地獄の軍団』。そんなもので戦争をやろうだなんて……蓮華姫は怖くなる。ヒトはなんと罪深いことなのか。

「あれほどの大戦を経てなお、より大きな破滅のもとになりそうな霊威を探すのか。恐ろしいものよの、ヒトの欲深さは底なしじゃ」

「せやな。頭が下がる思いです。悪神のたぐいであるはずのタヌキでさえ、ヒトのマネなんてようやらんわーい」

 ヒトはアヤカシ以下なのか……蓮華姫はそんなことを考えながら苦笑する。たしかに、リョウゼンなんかと比べれば、お里殿なんて善良極まりないもんな。

「まあ、冥府魔道の力はデカい。ヒトの心では、どうやっても長くはあやつれんやろう。龍の血の力も無限やない。多くても、数刻のあいだしか、死都での安全は確保できん」

「―――その数刻のあいだに、シドーは『シナズヒメ』と戦うつもりなのか?」

 天歌がお里に質問する。お里は首をかしげた。

「さあ、どうやろうな?勝てたとしても、死都から戻れる余力までないやろ。特攻仕掛けるなら可能性が少しはあるかもしれんけど……そういうタイプ?」

「そんなに素直な人間じゃねえだろうな」

「ははは、うちもそんな気するわ。どうあれ、シドーとやらを始末するには追いつかにゃならん。そして、そいつが死都に入るための手段を持ち合わせているなら、その術使わせて弱ったところを仕留めるんが、いちばん賢い戦いってもんや」

「……つまり、シドーが姉上を使い、死都の悪霊たちを鎮めさせるのを待つのか?」

「そうやな。それをすれば、うちらを襲ってくるバケモノも減る。そして、術で消耗したシドーと琥珀姫はんを、さくっと討ち取れよう……うちは、それがええと思う。なにせ、その二人の力がどれだけのもんか分からんからな。うちらでも、楽勝ではないかもしれん」

「……たしかに、現実的な作戦なのか。文句は、つけられそうにないのう」

 とはいえ、蓮華姫からすれば姉をシドーに利用されるのを見過ごさなくてはならない作戦である。そのことは、彼女からすれば口惜しくもある。しかし、合理的な作戦ではありそうだ。未知の強敵と戦うのなら、少なからず消耗してくれていたほうがマシというもの。

 ―――だが、戦闘狂である彼女の旦那は、その作戦に全面的な賛成ではないらしい。

「戦いは難しくするとしくじる可能性も増えちまうぞ。『正面から行って倒す』。それが手っ取り早いぜ。可能なら、冥刀十三振りの一本ぐらい回収できたらうれしいが」

「……天ちゃん、ターゲットはシドーやで?『シナズヒメ』と戦おうとか、ダメやぞ」

「……わかってるよ。今回は、シドーだな」

 『今回は』。その言葉の裏にあるものは、次は『シナズヒメ』と戦いたいっちゅーこっちゃろ?……あんな恐ろしい目に遭わされたのに、懲りんヤツやなあ。

「なあ、大牙。お前からも天ちゃんに釘刺しとってな……って、お前、何してんのや?」

 お里は荷馬車の荷台で、なにやらゴリゴリと薬を練り合わせている青年を見つけた。ムカデや蛇の毒袋、そして乾燥させた毒キノコ……赤毛の青年は、なんとも毒々しい天然素材たちを調合中であった。

「お、お前……そのレシピ……なんや、ただの血止め薬かいな」

「うん。少しでも回復手段を講じておきたくてね。僕たちのうち、僕とお里、そして蓮華ちゃんは治癒の術をつかえるけど……天歌はそういうの使えない。それに、シドーほどの陰陽師なら、僕たちの術を禁じることも考えているかも?」

「たしかに。死都を目指し、『シナズヒメ』のコピーをつくるような男やしな……それなら、うちらの分まで作っとき!目標は100個やで!」

「そ、そんなに……?まあ、保存は利くから、作り置きしてても問題はないんだけどさ」

 大牙はぶつぶつと文句ありげだが、その作業を止めるつもりはないらしい。お里は考える。こういう他人の命令にすんなり従うヤツがおるから、天ちゃんみたいなムチャな人間がおっても世の中は保たれよるんやろーなぁ……。

「くく。やっぱり、いいコンビやで、この人間どもは♪」



 天歌たちの旅はとりあえず順調であった。術や深谷王の霊威により、荷馬車の馬たちでさえ、並みの馬の倍ほどの体力に強められていることで峠道を休まず登り切れるし、ゾンビや悪鬼のたぐいも日中の内はあまり出てこないものだ。

 そして、山賊どもにしても、わざわざ死都の近くに根城を構える酔狂な者はまずいないため、日の高いあいだは、その旅路を誰にも邪魔されることはなかったのである。

 問題は、夜になってからだ。

 一行は、お里と大牙の主張により、死都へと向かう二つのルートのうち、廃棄された村の近くを通る峠道を選ぶことになった。

 かつてショーグンとラカンの軍勢がはげしくぶつかった『死霊海岸』。血の海を作ったあの戦場跡には、数多くの死体がいまだに放置されたままである。あそこを通過する場合、どれだけ多くのゾンビと戦う羽目になるか分かったものではないのだ。

 日中に一気に駆け抜けることで、損害少なく『死霊海岸』を攻略することも可能だろう。天歌はそう考えていたが、日中に攻略すれば、死都にたどり着くのは夜中になってしまう。

 天歌の無尽蔵な体力ならともかく、こちらにはそれほど戦闘能力の高くない蓮華姫もいるのだ。『誰一人死ぬこともなく、シドーを倒す』ためには、消耗のより少ない廃村ルートを選ぶべきだと、お里と大牙から説得されたのである。天歌を含む、彼ら三人の行動は多数決で決められることが多い。二対一なら、天歌もその選択に従うのである。

「……もちろん、このルートのリスクもあるよ。タツガミの里と死都の位置関係からしても、シドーはおそらくこちらのルートを選んだと思うんだ。彼は僕たちを認識しているし、おそらくリョウゼンが討たれたことにも気づいているだろう。僕たちが彼の後を追いかけてくる可能性が高いってことを確信しているはずさ……つまり、この先の廃村に『罠』が仕掛けられている可能性は、とっても高いんだよ」

 大牙は錫杖を握りしめながらそう語る。残虐かつ狡猾であろうと予見されるシドーだ、どんなエグい『罠』を仕掛けてあることか分かったものじゃない―――。

「けっきょくのところ、どちらの道もとても危険なんだ。それならさ、せめて隠れられる建物があるだけ、まだこっちのほうがマシだと思うんだよね」

「……今さらになって、そんな分かりきったセリフを吐くってことは、テメーにも確たる自信のともなわない選択だったってことだな」

 天歌はあくびしながらそう言った。馬の背に揺られるのは心地よいものだったし、旅はこのときまで拍子抜けするほどに静かで安全なものだったから。死霊海岸でゾンビの群れと戦いまくる!……そういうノリがオレの性には合うんだがね?

 自信が無い選択だった。痛いところを指摘された大牙は、居心地悪そうに顔をしかめた。

「……そーだよ。だって、シドーの罠に正面から突っ込むんだからね?バカげてるよ」

「『天狗』らしくていいんじゃねえ?……いや、『天狗党』らしくてか」

「あまり舐めていたらいけないよ?陰陽師が危険なことぐらい、分かってるだろ?」

「舐めちゃいねえさ。どっちかっつーと、『楽しみ』だがな。鬼が出るか蛇が出るか……どっちもセットで出たらいいのによう?」

「……ああ、その考え方についていけない!僕は、まちがった選択をさせたんじゃ?」

 大牙は頭を抱えてしまう。血止め薬を100個も丸めた彼の手は、そうとうにおかしな臭いがした。だが、大きなストレスの影響を受けている彼には、そのような些細なことは気にならない。お里が悩める大牙に代わり、あらためて天歌に釘を刺す。

「なあ、天ちゃん。戦いに夢中になるのもいいけど、あんたのヨメのことも忘れるな?蓮華ちゃんを守らんとあかんぞ?あんた、その子の旦那さまなんやからな?」

「わ、私は、守ってもらわなくても、だいじょうぶだ!自分の身ぐらい自分で守れる!」

 プライドの高い少女は、そんな言葉をつかって強がってみせる。だがしかし、彼女の強がりを見抜けるほど、天歌は人間の心に精通した生物ではなかった。彼はその言葉を深読みすることないまま、素直に受け入れてしまっていた。

「そうさ。お里、このオレさまのヨメを舐めんじゃねえぞ?なにせ、龍神サマの末裔だ。想像以上の戦果をあげてくれるにちがいねえよ」

「お、おう!ま、まかせておけ!び、びびってなんていないもん!」

「……あかん。バカ夫婦や……おい、大牙ぁ、深谷王ぉ、やばくなったら蓮華ちゃん優先させて逃がすんやで?……このさい他はもう、ええわ。シドーとやらの罠、『天狗党』らしく、正面からド派手にはまってやろうやないか!」

「その意気だぜ、お里」

「ほめてんとちゃうぞー、やけくそになって言うてるんやからなぁ―――」

「ギイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」

 それは突然の大声であった。ゆるやかな峠道をのぼった先に見えつつあった、そのみじめに朽ち果てた廃村。風にカラカラと鳴る枯れた竹林に囲まれた、湿気て黒くなったかやぶき屋根の廃屋が並ぶその場所から、恐ろしい叫びの声は響いてきたのだ。蓮華姫は、小さな声で、ひっ!とつぶやき、旦那の背中におでこをくっつけていた。

 お里は口をぽかんと開ける。

「……うっわ。のっけから、悪いイメージついてもうたなあ……うち、あの村行くの、むっちゃ気が引けるんですけどぉ?」

「やれやれ、誰かがシドーの罠にでもかかったのか?……ククク!」

「な、なんで、笑うのだ、天歌殿?」

「ん?……いや、せっかく一晩中気の抜けねえ夜になるんだ。危険ゼロだったりしたら、集中する甲斐がねえってもんだ!どうやら、オレたちの警戒心はムダになりそうにねえ」

「よ、よろこばしいこととちゃうぞ、そんなもん……」

「ああ……僕は、まちがった選択をさせたのでは?……いいんだ、どーせ、僕なんてそんな愚か者さ。宇宙の真理に比べれば、とても、ちっぽけな存在に過ぎないんだよ……」

 悩める大牙が西に暮れゆく太陽を見つめながら、自分の近くに置いてあるひょうたんに手を伸ばす。それには彼手製の焼酎が入っていた。

「フフ。辛い現実なんて……酒でも飲んでないと、受け止められるかあああ!」

「お前もええ加減にシャキッとせんかい!この酒乱坊主があああッ!」

 お里が赤毛の生えた大牙の後頭部を思い切り叩き、彼の飲酒をやめさせる。このタヌキのレディーこそ、『天狗党』で最も頼りになる精神性の持ち主であることは、あまりにも明白な事実であった……。



 ―――ゆえに、彼女まで崩れてしまった場合。この山賊集団の心理的緊張もまた破綻してしまうのであった。

 シドーの罠が張り巡らされてあるであろう、その廃村。一行は、かつて村の長者のものであったと思しき大きな屋敷に乗り込み、そこで夜を明かすことに決めた。いろりに火を入れ、武器をそこらじゅうに並べ、深谷王と他の馬たちさえも土間に乗り込ませた―――外に放り出すのは可愛そうだと蓮華姫が主張したため……である。

 一行は小さく燃える炎の前で、タツガミの里から持ち込んだイノシシの干し肉を焼き、竹筒に仕込んでいた米を、そのままいろりの炎で炙ることで炊飯に成功する。

 そして、その晩餐は静かにはじまった。いつどこから敵が襲いかかってくるかも分からない状況だ。場慣れしている山賊たちはともかく、蓮華姫はこの緊迫した状況での食事がノドを通るかどうか心配であった。

 ……だが、若さと健康は彼女に偉大な空腹を授けてくれていたようだ。焼けたイノシシ肉の香りを嗅ぐと、少女の腹がちいさく、ぐう、と鳴ってしまう。ちいさな音であったが、静まりかえった状況でのことだ。周りの山賊どもに聞こえてしまった。

 イノシシ肉をいろりの火で炙っていた天歌が、じつに意地悪そうにニヤリと笑い、竹串に突き刺したその肉をヨメの目の前に差し出す。直火に焼かれたその分厚い肉からは、熱せられた脂が、あのなんとも言えない食欲をそそる甘いにおいをさせているではないか。

 ……おお、すばらしい出来のお肉じゃ!

 蓮華姫は感動する。これぞ、野山の恵みそのものではかろうか?深い森で遊び、たくさんの山の幸を食べて育まれたそのイノシシは、肉付きもよく、脂をたっぷりとその身につけていたのである。炎に溶けた脂がジューシーな肉汁となって、赤く焼けた身からあふれてしたたり落ちていく……少女のノドがごくりと鳴った。

「くくく。腹空かせた野良犬みてえな目ぇしやがってよ?受け取んねえなら、オレさまが食っちまうぜ?」

 少女は顔を赤らめたまま肉を奪うように受け取った。こ、こんなにおいしそうなお肉を意地悪な旦那などに取られてたまるものか!……だが、しかし!やはり、ひとこと言っておきたくなっていた。

「私は、野良犬などではないからな!お、お腹を空かせた、絶世の美少女じゃ!」

「いきなりどうした?」

「う、うるさい。野良犬あつかいされて喜ぶ女などおらぬわ!」

「そうか?野良犬ってのは、たいがい可愛いだろ?」

 ―――可愛い?

 不覚にもその言葉に蓮華姫は心を揺さぶられてしまう。思えば、このガサツな亭主に面と向かって可愛いなどと言われたのは初めてじゃ。

 精神的にいい女とか、顔はいいとか、貧乳なのが玉にきずとか、褒められているのかよく分からない暴言みたいな評価は受けてきたが、『野良犬みたいに可愛い』と評されたのは初めてかもしれんぞ……?ん?野良犬みたいに可愛いって、どーにも、褒め言葉の気がしてこんのう……?

「……どうした?食わねえのならオレが食うぞ?」

「だ、誰も食べぬとは言うておらんわ!」

 少女はくすぐったい思考の時間を放棄して、小さな白い歯でイノシシ肉に噛みついていた。彼女の口のなかに旨味たっぷりの肉汁が広がっていく。お腹を空かせた自称・絶世の美少女は、目をキラキラさせながらその味に夢中になった。ああ、たまらぬ!空腹には、たまらぬ味じゃああ♪

「ほーら、飢えた野良犬みたいに可愛いらしいもんじゃねえか?」

「ふぁ、ふぁへは、ふへはほはひふひゃ(だ、誰が、飢えた野良犬じゃ)!」

「ははは!そーだな、そうそう。お前は野良犬じゃなくてオレさまのヨメだったわ!」

 蓮華姫はお肉にかぶりついたまま、ギロリとした目で旦那をにらみつける。さすがは龍神の末裔か、それはなんとも言えない迫力を持っていた。だが、天歌には通じないようだ。彼は春の日差しを浴びて謳う小鳥たちのように、リズム感の欠如した適当な鼻歌を奏でながら、新たなイノシシ肉を焼くため、それに竹串を突き刺す作業を開始していく。

 


 ……いろりの火に焼かれた薪が、パキリという音を立てて、小さな火の粉を宙に飛ばす音が聞こえる。この静けさに溶け込むように、山賊たちはディナーをつづけた。皆が、悪くない心地になっていた。旅の疲れもあったのだろう、若い身とはいえ、馬に半日以上揺られるのは、かなり体力を消耗してしまう行為だ。

 そして、このイノシシが絶品だったことも大きい。やや塩気が強いところはあったものの、それがまた熱い白米にはたまらなく合うのだ。彼らは食事に没頭した。

 米を食み、肉を噛み……彼らの緊張はまたたく間に解けていく。

 食事を終えて、『食後のストレッチ』という胃袋にさほどやさしくもない趣味を終えた天歌は、このまったりとした食後の憩いを、ヒマだと感じたのだろう。

「オレ、さっきの叫び声をあげたヤツを探しに行ってみるわ」

 ……などと言い出したので、お里と大牙はそれを必死に止めなくてはならなかった。

「却下や!みんなで固まっておるんや!守備や、今夜は守備の時間!」

「そーだよ、天歌!せっかく、頑丈そうな建物に陣取れたってのに!」

「し、しかし、あの悲鳴をあげていた者を助けてやらなくてもいいのか?」

 蓮華姫のやさしい心がそんな言葉を口にさせる。だが、彼女よりずっと現実的な思考の持ち主である山賊たちは口をそろえてこう叫ぶ。

「ええんや!他人のことに、かまっとる場合かい!もしかしたら、あんなもん幻聴や!」

「いいんだよ!僕たちには、優先すべき使命がある!だいたい、夜の闇のなか、頭のおかしい陰陽師が罠を仕掛けているような場所に突入するなんて、バカげてるよ!」

「そ、そうか……うん。たしかに、幻聴だったのかもしれないし、罠に突入するなんていかんぞ。天歌殿、ほら、わ、私のそばに来て、座っておれ」

「こんなとこで抱けってのか?」

「そ、そーではない!人前で、すけべえなことを言うでないぞ、このバカ亭主!」

「へいへい」

「はい、は、一回でよい!ほら、つべこべ言わずに、私のそばに座っておるのじゃ!」

 蓮華姫は自分のとなりに夫を座らせる。少女は膝を横に動かし、少年にじわりじわりと少しずつ近づいていき、ピタリと体をくっつける。さすがの彼女もこんな場所は怖いのだ。

 山賊の少年は夜の探検を妻に禁じられ、なんだか拘束された気がしてつまらなかったが、まあ夫婦とはこういう厄介なものなのかもしれん、という答えにたどり着き、今夜ぐらいはこの幼妻の言うことを聞いてやるつもりになった。

「……なんや、のろけおって……って、おい、こら大牙!なに、酒飲んどるんやあ!」

 悩める青年は酒に頼ることにしたのだ。そもそもアル中気味であるこの若い破戒僧は、定期的なアルコール摂取がないと心の平穏を保てない。

「いい加減、ガマンできなくなってるんだよ!このままじゃ、戦闘が起きてもマトモな判断が出来る気がしない!ごめん、飲むよ!僕には、これがどうしても必要なんだ!」

 ぐびぐびぐび!

 大牙がそのひょうたん酒を猛烈な勢いで飲み干していく。天歌が笑う。

「だいぶ、本調子になってきたじゃねえか?やっぱり、こいつは酒が入ってこそ本物だ」

「おお、大牙殿は、やはりアル中であったのか……繊細な性格は、酒に弱いのじゃのう」

「ああ!くそおおお!もー、あかん!やめや!マジメに鬼畜陰陽師の罠なんぞに備えるなんて、うちがバカやった!アホらし!もー、どーでもええわい!」

 そしてタヌキも大牙からひょうたんを奪い、それをグビグビ飲み始めるのであった……。



 ―――数刻後。

「殿様だーれやっ?」

 すっかりと酔っ払ったタヌキは、顔を赤くしながら不思議な遊戯の主催者と化していた。彼女曰く、『殿様ゲーム』というらしい。くじ引きで絶対的権力者である殿様を決め、他の者たちは殿様の命令に盲目的に従うというバカげた遊びであった。

 タヌキというのは、じつはとてつもない賭博運の持ち主でもある。賭けの類いをやらせれば、ヒトではなかなか勝てるものではない。そのことを知っている天歌と大牙は、ただ年長の酔っ払いに付き合ってやるつもりで、その理不尽な遊戯に参加してやっていた。

 酔っ払っているとはいえ、お里もある程度の自制心というか、自身の妖気が呼び寄せる圧倒的勝率を悪気に思う気持ちが残っているのだろう、さほどにヒドい命令をしてくることはなかった。せいぜい、鼻の上にのせた豆を、手を使わずに食べろとか……うちの肩を揉めやら、腰を揉めといった、下らない命令ばかりを女殿様は出してきたのだ。

「……うーん、さすがに20回も連続でお里殿が勝つにゃんて、おかしくにゃいか?」

「そういうお前は、なんだか語尾がおかしいぞ?」

 天歌はどこか、ぽけーっとした表情になっている幼妻に質問する。まさか、酒でも飲んだのか?……いや、そういうことはしてないだろう。便所に行くのも嫌がってるせいで、まったく水さえ飲んでいないぐらいだし。

「おかしくにゃんて、ありませぬ。蓮華は、年間365日ずっとこんな子ですにゃあ」

「コイツ、飲んでもない酒のにおいに酔ってやがんのか?」

「蓮華ちゃん、お酒に弱いんだね」

「はあ?んなことあるかい、『蛇』は酒大好きやねんぞ?」

「『蛇』ぃ?ちがうもん!私、そんなんじゃないにゃ!蛇じゃなくて、龍神だにゃあ!」

 そう大差もないような気がしたが、蓮華からすれば龍と蛇は大いなる違いがあるらしい。天歌は、怒った猫のようにフーフー言ってるヨメをなだめる。

「ほら、そんなに興奮してんじゃねえよ。落ち着いて座ってろ?てか、もう夜更けだ。そろそろ寝てろや」

「……天歌殿ぉ、みんなが見てる場所で、そういうお誘いはちょっと困るにゃあ」

 蓮華は顔を真っ赤にしながらそう言った。お里はニヤリとする。

「おお。さすがは新婚さんやなあ。うらやましいで、のろけやがってこんちくしょう。おーし、殿様命令や、蓮華ちゃんと天ちゃん、キスや!今ここでキスせえ!」

「だ、だめにゃ、お殿様!そ、そんにゃの、ひどいにゃああ……っ」

 蓮華は大げさに叫びながら、天歌の胴体に抱きついてくる。お里は、そんな蓮華の背後に忍び寄り、小さな声で耳打ちする。悪い安酒のにおいを天歌の鼻は感じた。

「蓮華ちゃーん、ふたりはもう夫婦やねんから大丈夫やでえ。かわいいもんやんか、キスぐらい?……なにも×××しろとか言うてるわけやないし」

「×××?天歌殿、×××って何にゃ?」

 大人向けの卑猥な単語の意味を、なんとも純粋な子供のような表情で訊ねてくる幼妻に、天歌はどう答えてやるべきか一瞬迷ったが、すぐにムシすることが最適だという判断に至った。彼は、少女を床に寝転ばせると、そのまま毛布をかけてやる。蓮華は目をパチクリさせながらつぶやいた。

「天歌殿ぉ、これから×××するのかにゃ?」

「そいつは気にすんな。もう、黙って寝てろ。お里、いい加減にしとけ」

「ええ?これから若い夫婦の歴史に大きな一歩が加わろうとしてんのに?」

「くそ、あいかわらず酔っ払うと面倒なヤツだぜ」

 それからしばらくのあいだ、お里は延々と天歌に絡んでいたが、やがて酒に負けるように深い眠りへと入っていく。気づけば、毛布のなかで蓮華姫も寝息を立てていた。

「……よーやく、エロ女どもが眠ってくれたぜ」

「あはは。お疲れさま、天歌」

 大牙が酒をちょろちょろ飲みながら、微笑みとともに親友をねぎらうような言葉を言った。天歌は鼻を鳴らして、若干の怒りをあらわにする。

「ふん。助け船も出さねえってのは、親友としてどうなのかね?」

「いい酒の肴になってね。君って、そう言えば寺の子供たちの面倒見も良かったよね」

「そうか?」

「そうさ。だから、こんがり童子さえも君に懐くんだろう。それに、小太郎くんだっけ?火傷していたあの子にも、刀の振り方を教えてやっていたじゃないか」

『……小太郎殿には、凄腕剣客になってもらわねばなりませんからな』

 深谷王がそう語る。

『私の背中に乗った男子は、例外なく武の達人でなくてはなりません』

「あいつはスジがいい。これから5年も修行すれば、かなりの使い手になるさ」

「……ほら。面倒見がいいじゃないか?」

「……ふん。どうだかね」

「……まあ、こういう夜も悪くないでしょ」

「本気か?天井や壁にあいた隙間から、餓鬼がちらちら黄色い瞳でこっちを物欲しそうにうかがっていやがるし……ときおり、みょうなうめき声や悲鳴も聞こえるってのにか?」

「……うん。ここは、たしかに罠があるみたいだね」

「んで。そろそろ向こうの出方を読めたのかよ?」

 天歌はこの破戒僧のことを信頼している。術の知識や警戒心の高さ、そして自分とは異なる思考方法……この友人の能力を、天歌は誰よりも評価していた。友人は苦笑する。

「まあ、細かいことまではさすがに分かんないけどさ……でも、向こうの大まかな戦略ぐらいは読めてはいるよ」

「どういうのだ?」

「……これだけ分かりやすく『気を抜いてあげている』。それなのに、ヤツらは何も仕掛けちゃ来ないんだ。あのうさんくさい叫び声もそうさ……まるで、こちらの警戒心を煽って、疲れさせようとしているみたいだ。だいたい、あんなもの、何の意味があるっていうんだい?聞かされたところで、フツーの人は近づくことなんてないよ……」

「オレは行ってみたくなったけどな?」

「君は、あまり一般的な思考をしない人だからね。あ、これ、褒め言葉だから」

「……なんつーか、言葉通りに受け止められねえな。まあ、いいや。んで、敵の腹は?」

「……けっきょくのところ、あの叫び声って、僕たちを罠に招き入れるためのエサにはならない。逆に、警戒心を惹起させることになっているよね。そのことを考えるだけでも、相手の考えはかなり読めてくる」

 大牙はいろりの火に薪をあらたにくべながら、己の考えを吐いた。

「つまり、ここにいるシドーの部下は、僕たちを『足止め』することだけが目的なのさ。『より慎重な行動をさせる』ことで、とにかく時間を稼ぐ……僕たちを攻撃することよりも、そっちを優先しているんだよ」

「なるほどな。だから、テメーは酒に酔ったフリしていやがったのか」

「ん……気づいてた?」

「オレさまは達人すぎるらしいからな。テメーは酔うと、しゃっくりするみてえに呼吸が揺れるときがあるんだが、今夜はそいつがねえ」

「……ほんと、とんでもない洞察力だよ。そう、酔っ払ったフリをしていれば、敵が攻撃でもしかけてくるかなあ、と思ったんだけどね。わざわざ罠に飛び込むよりもさ、襲いかかって来てくれたほうが、いくらか戦いやすそうじゃない?」

「ふーん。そういうのを見越して、タヌキも同じ演技してくれてんのか?」

「…………ばれてるん?」

 お里がパチっと目を開ける。そして、体をゆっくりと起こし、ちょこんと座り直す。

「『タヌキ寝入り』ってのは、上手なもんだな。心臓の音までゆっくりにしてたろ?」

「……お褒めにあずかり光栄やね。そうやねん。うちも油断したフリみせて、敵さんのこと誘ってみてたんやけど……この通り、ひとつも音沙汰ナシやで。敵さん、よほどの弱虫やないっちゅうんなら、時間稼ぎ優先のつもりみたいやね」

「つまり、襲撃してくるのは早朝だろう。僕たちが出発を考えそうな時間を見計らい……襲ってくるはずさ。そのときが僕たち自身一番疲れているだろうし、緊張感が解けている頃合いでもある……なにより、敵にとって『最も多く時間を稼げるタイミング』だよ」

「なるほど。バカなオレにも納得しやすい理屈だな」

 天歌はそう言いながら床に置いてあった刀に手を伸ばし、それを鞘から引き抜いた。刃が宿すギラつく銀のきらめき。それを観賞する山賊の唇が、ニヤリと歪んだ。

「……つまり、くだんの『罠』サンは、『死ぬ気で来やがる』ってわけだな。勝率が高い夜襲を選ばず、あくまでも時間を稼ぐのにこだわるってことはよ」

 天歌の言葉に大牙はゆっくりとうなずいた。

「そうさ。その刺客は、おそらく『生き残ることを目的としてはいない』。僕たちに殺されてもいいから、シドーのために時間を稼ぐ……そういう『忠臣』が敵になるんだよ」

「ふん。シドーってのは、そんなに魅力的なヤツなのかねえ?」

「どーやろな?悪い男に惚れてまうバカもおるんやで」

「なんだよ、お里。女が来るって読んでるのか?」

 お里は首を横に振る。

「べつにそういうつもりで言うたわけやない。でも、ヒトの愛情やら尊敬ってもんは、対象をまともに見えなくしてしまいがちやろ?」

「そういう意味での惚れるってか」

「うん。まあ、そりゃ女かもしれんけど……このさい性別なんてどうでもええこっちゃ。どうせ、凄腕の陰陽師かサムライしか向こうにおらんやろ?」

「罠を張るなら陰陽師だろうね」

「シドーの直弟子みたいなヤツかもしれんぞ。そういうヤツなら、使い捨てにする方もされる方も、心安らかなもんやで」

「……マジメなヤツが特攻しかけてくるってわけかよ?これまた千獄の地らしい悲惨な戦いになりそーだわ……ああ、ほんと、龍神の末裔サンが安酒なんかに弱くて助かったぜ。おかげさまで『余計な話』を聞かせずにすんだわ」

 天歌はそう言い、本当に寝てしまっている蓮華姫の頭を撫でる。蓮華姫はなにごとかムニャムニャと寝言をつぶやいた。おねえさまぁ、そう言ったみてえだな、と天歌は考える。

「コイツには憎悪が必要だ。憎しみは、攻撃性を裏切らねえからな」

 戦場で敵に対して怯む者たちを天歌は多く観察してきた。それらはべつに臆病ゆえの行動とは限らない。他人を傷つけたくないというやさしさや、いわゆる同情というもの、それらがあれば、人は己を殺そうとしてくる者に対してさえ、攻撃を厭うことがある。

「……もしも、敵に同情なんてしやがったら、コイツはいい矢を撃てなくなりそうだ。そういう緩いヤツは、戦場ですぐ死にやがる……余計なことは知らずに、憎しみと怒りのままに戦ってろ、蓮華。そいつが長生きのコツだ」

「あらあら。蓮華ちゃんのこと、やっぱり気にかけてるやんけ。むふふ。なかなか、ヨメさんおもいのいい旦那さんやなぁ、天ちゃんったら♪」

「……それに、コイツにはよく寝てもらわんといかんしな。しっかり寝て、この貧しい乳に少しでも栄養が回ってくれればいいんだが……」

「……前言撤回や。あんましうつくしくない夫婦関係見てる気がしてきたでぇ」



「―――……酒に酔って、眠っているの?」

 ひとりの少女が廃村の片隅にある古寺の屋根にいた。天歌たちが居座る屋敷からはかなり離れているが、陰陽師としてかなりの実力を持つメノウにとって、その距離はあってないようなものであった。

 彼女の左の瞳は、床に寝転ぶ蓮華姫の顔を見ていた……いや、正確には彼女の術で視界を奪われた何匹かの餓鬼たちが蓮華姫を見ている。餓鬼どもは、彼女に食欲をそそられているらしい。無垢な体はやわらかそうで、どうにも噛みちぎってしまいたい衝動に餓鬼どもは駆られているようだ。

 『奪い目の術』。他者の視野を奪うこの瞳術に関しては、メノウは超一流の使い手であった。彼女が左の瞳をまばたきさせると、ジャックしている餓鬼が切り替わる。今度は赤毛の坊主が映しだされた。さらにまばたきを繰り返すと、あくびをしているタヌキの女を見ることもできた。

「……警戒している様子はない。さすがに集中力が切れているのかしら?……まあ、これ以上の観察はムダなようね。私が一番知りたい男のことを、餓鬼は見たくもないらしいし」

 天歌たち自身やその食事のにおいに引きよせられた餓鬼たちではあるが、けっきょくのところ、まるで気弱なネズミのように人間たちへ近づけないでいる。

 餓鬼のような下らないバケモノであっても、『恐怖心』があるのだ。そして、今宵その恐怖心の多くは明らかに黒髪の少年へと注がれていた。ゆえに、餓鬼たちは彼に視線を向けることさえ、かたくなに拒んでいるのだ。

「アレは、そんなに殺気立っているのかしらね?……でも、凄腕なのは、最初から分かっていたことよ。ありがとうね、餓鬼さんたち。術を解いてあげるわ」

 メノウは瞳をつよく閉じ、呪文をひとことつぶやいた。それで、のぞき見の瞳術は消えてなくなった。もう情報収集は十分である。メノウには山賊たちとの戦いに備えて準備しなければならないこともたくさんあるし、エサにありつけなかった餓鬼どもがこれから何をするのかも彼女は理解していた。

 それゆえに、この瞳術を解除したのだ。汚らわしい雑魚鬼の視野からは、そろそろおさらばするのが一番である。食事のおこぼれにあずかれなかったあの餓鬼どもは、空腹に耐えきれず、そのうちネズミか虫に噛みつくだろうから。

 ……いや、この村にいたそれらはすでに食いつくしているかもしれない。とすれば、餓鬼どもがやるのは『共食い』だけだ。不気味な小人どもの共食い?……そんなものを、少女が目撃したいわけがなかった。

 メノウは寺の屋根から、境内目掛けてひらりと舞い降りる。ほとんど音を立てることもない、静かなる着地であった。彼女はフクロウのように、夜の静寂と相性がいいのだろう。

 メノウはかなりの高所から飛び降りたというのに、まったく体を痛めることもなく、静かに歩き、拠点としている古寺のなかへと入っていく……。

 闇のなか、彼女は座禅を組んで、湿った床のうえに座り込む。

 彼女は考える。

 メノウは敵の動きがあまりにもふざけていることに、かなり呆れてはいた。だが、それと同時に警戒を覚えてもいる。

 獣が狩人を『騙す』など、よくあることだと彼女は知っていた。たとえば鳥が野犬からヒナを守るとき、あえて負傷しているフリをして野犬を自身に引きつけることもある……物言わぬ下等な生物でさえ、ウソと策略と演技を用いて生きぬこうとするものだ。

 ―――では、この山賊どもはどちらだろう?

 ただの間抜けか、それともこちらの罠に対し、あちらも罠を仕掛けてきているのか……?

「……どうあれ、逃げ出すような連中じゃない。戦いを好むようね、彼らの首領は。結果として、時間を稼がせてくれるのは、ありがたいことだわ」

 そう。全てはそのためにある。『シドーのために時間を稼ぐ』……それが出来たなら、メノウはきっと満足して死ねるだろう。

 使命感という感情は、ときおり、その他のどんな感情にも勝る情熱を帯びることがある。その使命とやらが、道徳的に正しいことであろうと、はたまた間違っていることであろうとも、ヒトは使命を感じられれば、いかなる苦痛にすら耐えてしまうことがある。

 メノウという幸薄い少女は、義父の道具であることを望んでいた。

 そして、そのことがシドーに拾われて飢えをしのいだ、みじめな捨て子/自分に与えられた果たすべき使命なのだと信じてもいる。

 シドーが善でも悪でもまったく関係はない。シドーのために働くことだけが、彼女の存在意義なのだ。少なくとも、シドーは彼女に幼い頃からそう言い聞かせてきたし、メノウ自身もその認識に疑問を覚えたことは一度としてない。

「…………貴方は、『暗黒の太陽』」

 彼女は義父の口癖をつぶやいた。そして、義父があたえた痛みにさわる。

 そう、『シカノカミ』を産まされた腹の傷に、白くて細い指をあてがっていた。あれは、とてつもない苦痛をともなう行為で、自分の肉体が取り返しのつかなくなるほど壊れてしまう邪術であることも、高度な陰陽師であるメノウはもちろん承知している。

 事実、彼女の腹はヒトの子を宿すことはできなくなってしまっていた。『シカノカミ』に子宮をえぐられたせいで、彼女には胎児を宿す機能そのものが消え失せているのだ。壊れているのは生殖機能だけでもない。五臓六腑のすべてに様々なダメージを蓄積させており、彼女はこのまま魔剣と離れたところで、半年生きながらえることも難しいだろう。

 そんな目に遭わされても。

 いや、そんな目に遭わされたからこそなのか。

 彼女はシドーに深く執着している。盲目的にシドーをあがめるようにと調教されてきたせいか、彼女の認識のまんなかにはいつもシドーだけがいる。そして、自分自身のあらゆるものを代償にして復活させた古の魔剣、『シカノカミ』……それに対して、彼女は狂気じみた価値を付与してもいる。

「ああ。愛しい、愛しい、私の『子供』……」

 少女は分厚い布に巻かれたまま床に置いてあった魔剣を大切そうに抱き上げて、その布の包みを取り外す。朽ちて穴の空いた天井から差し込む、わずかな星明かりが、刃に映り、銀色のきらめきを放たせる。

 メノウはその刀身に赤い舌をなめくじのように這わす。その舌には痛みと、わずかばかりの出血が発生する。『シカノカミ』は、ずずず、と不気味な音を立てながら、少女の血をその銀色の刀身のなかへと吸収していく。

 メノウには、その怪奇的な光景が、まるで母親の乳を吸う赤子のそれに見えた。もちろん、『母親』とはメノウ自身のことであり、『シカノカミ』の『父親』はシドーである。彼女にとって、『シカノカミ』は義父とのあいだに産まれた愛しい子息であるのだ……。

 ―――ウマセテヤルゾ、サイコウノレイトウヲ!

 嗜虐の笑みととみに、義父は彼女にそんな言葉を聞かせ、あの出産を幾度となく強いた。いや、出産だけではない。彼女の身の奥底に、刀を『納めるとき』は、肉を切られ、内臓をかき混ぜられるような苦しみも味わうこととなった。

 幾度となく、産まされ、孕まされた。

 そのせいなのかもしれない。これほど、霊刀ごときが大切で愛おしいのは……。

「それとも、あのひとの血が通った子供を産めなくなったからかしら?」

 メノウには分からない。シドーからは様々なことを教えられた。陰陽術はもちろんのこと、弟子として、義理の娘として、実験材料として……彼女にはこなさなければならないたくさんのことがあり、そのなかにはあの男の戯れとして処女を失うことも含まれていた。

「……もう終わったことよね、『シカノカミ』……私には、ヒトの子は産めないけれど、貴方がいてくれるんだもの……さあ、仕事をしましょう。あの疫神は、いい働きをしてくれているのだから……今度は、私たちの番よ」

 口元に指をそえて、メノウは術を唱えた。『屍蘇の術』。この術はその名のとおり、命を終えたはずの骸に、限定的な蘇生を施す術である。

 彼女の目の前には多くの屍体が並んでいた。それらはメノウの式神となっている疫神が探しだし、この場へと運び出してきた屍体たちであった。

 ……この峠は『姥捨て峠』と名付けられている。

 その名のとおり、ここは年老いた者たちを捨てていく場所であったのだ。あるいは、若くても余命いくばくもなしと判断された病人たちもここに連れてこられて、山奥に捨てられてきた。そんな病人たちは、山のなかで恐怖に狂いながら朽ち果てることとなる。

 そして、その遺体は病の種類によっては獣に避けられてしまい、喰われることもなく長いあいだ放置されてしまうことにもなった……。

 そんな骸は、ときにミイラのように乾いていく……腐って土に還ることもなくなり、それらはただただ恨みと苦しみを保存するように、歯を剥き出しにした憎悪の貌となって乾き固まるのである。

 そのようなものは、ぴったりだ。

 呪いの『贄』としては、これほど都合のよい者たちはそうはいない。メノウの唱えた呪文により、死せる彼らは目を覚ます。そして、彼らはその乾き果てた肉体に刻みつけられたままである病と飢えに再び襲われるのであった。

 苦痛と絶望を思い知らされ、ギヤアアアアアアアアアアアアアアアアアア!と大きな声でわめくのである。天歌たちが幾度か聞いたあの叫びは、けっして罠にかかった生者の声などではなく、黄泉返りし病死者たちの苦しみの叫びであったのだ。

 メノウは嗤う。

 ……ああ、気持ちいい。

 ……なんて、心地よい歌だろう。

 みじめにのたうつ者を認識すると、いつでも心が晴れやかになった。それは、彼女自身がそんな扱いをシドーに受けるときもそうであったし、今度のように、彼女自身が暴虐者の立場となって、他者を苦しめるときもその快楽は同じであった。

 苦しみと、怒りと、悲しみと、絶望と……さまざまな痛ましい感情の交じった、死せる者たちの叫びの音を浴びながら、少女は楽しくてしかたがない。だから、嗤う。その幼さを残した貌に、邪悪な歓びを反映させながら。

「……私もなりたいのかしらね……あのひとみたいな……『暗黒の太陽』に」

 どうあれ。

 彼女は一晩をかけて十分な数の『兵士』を造りあげていた。呪いに満ちた、蘇りし者どもだ。彼らは生者が憎くて憎くてたまらないようだ。老いたからといって自分を捨てた家族を忘れていない。病に罹ったからといって、遠ざけ、獣のあふれる山に捨てていった同胞たちへの怨嗟は、死んで久しい今とて薄まることはけっしてない。

 あの若い山賊たちに、その憎しみは向くだろう。

 メノウはよく理解している。

 憎しみに囚われた者には、『誰だっていい』のだ。誰かを苦しめれば、すこしは満足する。いいのだ、それがたんなる八つ当たりに過ぎぬ理不尽な仕返しであったところで。誰かの苦しみは、自分の痛みを和らげてくれる特効薬であることには変わらないのだから。

 苦しみに囚われた者には、同じく苦しみにのたうつ者を生み出すことでのみ癒える傷口がある。哀れなメノウはそれを理解していた。

 彼女もまた、苦しみに囚われ、歪んでしまった女に過ぎないからだ。その清楚に映るうつくしさも、すでにシドーに陵辱し尽くされている。魔剣との交わりのせいでヒトの子を産むこともできない。自分の頭が壊れていることだって、メノウは分かっていた。

 彼女には何にもないのだ。

 たくさんの大切なものを壊されてしまったせいで、もはや、シドーの道具としての存在意義しか見当たらない。そうなるように育まれてきた、この十余年におよんだ調教と洗脳の果てに、メノウは『完成』した。彼女もまた不幸な少女に過ぎない。そして、彼女には救いの道などすでに残されていないし、そもそも彼女自身が救いを求めてもいない。

 彼女が求めているのは?

 他者を傷つけることのみ。

 己を燃やし尽くしながらも、その憎しみの炎をもってシドーの敵を殺すのみ。

 ワシのために、道具として死ね。

 ―――メノウに課せたその概念を、シドーは『愛』と呼んでいた。



 ―――昏い夜が終わろうとしている。夜明け前の深くて静かな闇が、その廃村を覆っていた。空気が冷えて冴えわたり、青い闇が支配するその空において、東の果てだけがわずかな陽光を赤くにじませていく……。

 天歌はかたわらにいる蓮華姫を見た。緊張した表情で正座したままになっている幼妻の髪を、少年の手が撫でてやる。このように犬猫子供のような扱いをされることを、蓮華姫は嫌っていたが、戦いに赴く前にそれをやられると、すこしだけ緊張がほぐれる効果があることを教えられた。

 うむ。なんだか悪いものではないぞ。ふれあうことで、心は少しだけたくましくなれるのかもしれないな。そうか。手とか、つないだりすればよいのか?……私と天歌殿はすでに夫婦であるからして、それぐらいは許されよう。今度は、そうしてみようか……。

 少女がそんな考えにたどりついたころ、少年の手が彼女の髪から離れていく。少女はなんだか名残惜しくも感じたが、戦が始まることを思い出し、きゅっと表情を引き締めた。

 ……足手まといになってはならんぞ、蓮華よ。足手まといの烙印を押されれば、里に帰れと言われるかもしれない!……私の討つべきはシドーなのだ!こんな村で、手間取っている場合ではない!

 自分の妻がなんだかやる気を出したことで、天歌は心のなかでのみ頷いていた。ほら見ろ、やっぱり犬みてえじゃねえかよ?連中、頭でも撫でてやれば、やる気を出すもんさ。

 黄金色の瞳で山賊の頭領は仲間たちを見回していく。

 ―――まったく、なかなかの役者どもだぜ。

 いろりを囲む山賊どもは落ち着いたものだ。大牙は座禅を組み、しずかに気を練っている。お里は温かい緑茶をのんびりと口に運びながら、敵の気配に気がついていないフリだ。

 そう。敵が忍び寄っていた。

 ほとんど無音の這いずりである。常人ならば気がつけるわけのない、死者の行進……それにより、この屋敷はすっかり取り囲まれてしまっている。あまりにも静かな包囲であったがゆえ、気配に敏感である馬たちでさえ気づかず、無警戒に飼い葉を食んでいるほどだ。

 ……むろん、馬たちのなかにも例外がいる。敵を察している深谷王は、その白い歯を剥き出しにして、霊馬であるよりさきに、オオカミにも似た巨大な『牙』を持つ『異形の馬』だという出自を示していた。

 異常なる者たちは悟っていた。半人半妖の破戒僧、タヌキの娘に、龍神の末裔……そして、それらのような霊力を持たない、ただの獣も当たり前のように異変を認識している。

 武に愛された獣は、いろりのそばに寝かせてあった二丁のナタを左右の手にそれぞれ握らせた。昨夜のうちに土間で見つけておいた、薪割りのための生活道具である。見た目はよくない。刃も、ところどころが錆び付いてはいるけれど、十分な破壊力をそれらは持っている。そう確信できる重さと厚みを、天歌は指で把握した。

 ……これは、信頼していい殺戮鈍器だぜ。

「―――さて。朝飯前の運動といこうかね?」

 


 戦いの兆しは何も無かった。まったくの唐突に血みどろの朝は動き始める。静けさを破り、疫神とメノウの呪術に操られた屍体どもが、うなりをあげて戸を破り、屋敷のなかへとなだれ込んで来た。

 ……ゾンビどもは意外に思ったかもしれない。

 彼らから仕掛けたハズだった。

 彼らの先制攻撃でなければ、道理の合わないタイミング。

 そのはずなのに、現実はそうはならなかった。躍動する若い山賊が、牙を剥き、笑顔を浮かべているではないか。襲いかかるゾンビの群れに少年は肉薄している……屋敷の戸を壊して、なだれ込んできたばかりの死者たちに、少年はすでに飛びかかっていたのだ!

 跳び膝蹴りがゾンビの頭を撃ち抜く。首が折れ、ゾンビはその場に倒される。死者たちは己の群れに飛び込んできたこの愚か者に罰を与えようと、腐った息を吐き散らしながら、少年に対して四方から近寄ろうとした。

 腕をつかんだはずだった。

 脚をつかんだはずだった。

 そのまま、力ずくに四肢を引きちぎってやり、生かしたまま柔らかい腹を食い破ってやるはずだった―――。

 だが。現実はそうならなかった。天歌は躍った。舞いのように軽やかなステップと体さばきでゾンビの襲撃を華麗に躱しながら、もちろん手痛い反撃をもって彼らを打ちのめしていく。

 タックルをしかけてきた者には、その腕へ空振りを与え、振り落としたナタで頭を破壊してやったし。正面から飛びかかって来ようと企む者には、左のナタを使った叩き下ろしで、飛ぶ前にその動きを命ごと破壊してやる。

 少年の体に触れた者もいた。だが、そのことがとくべつ幸運だったわけでもない。少年はすぐさまに身を回転させてその手を振りほどいてしまいながら、曲げた膝をそのゾンビのアゴに叩き込み、一発の打撃をもってその敵を仕留めてみせたからだ。

 屋敷の正面から突撃してきたゾンビたちの先方は、こうして、またたく間に撃破されてしまう。だが、ゾンビはこれだけではない―――。

「……へへ。数が多いぜ」

 天歌は壊れた玄関先から廃村を見回し、そのゾンビどもの異常な多さに対して、一言で感想を述べていた。60……いや、70体はいやがるのかね?

 敵は動き始めている。『圧倒的な物量』を活かすために、屋根裏に侵入していたゾンビどもが、眼下の若者たちを目掛けて梁から飛び下りてくる。

「知ってたわい!」

 お里がそう叫び、ゾンビたちのダイブをあっさりと躱す。彼女は術を使って、4匹のチビお里に分裂する。ゾンビたちが急に増えた獲物たちに翻弄される。どれが、本物なのか?答えとしては、どれも本物であった。

「くたばれ、亡者どもがああッ!!」×4

 4匹のチビお里どもが、それぞれの手に持った小太刀でゾンビどもに斬りかかる。攻撃は命中してダメージを与えるが、チビお里の腕力では一撃で亡者を祓うことは出来ない。

 ゾンビらは攻撃を浴びた体を動かし、小さな者たちへと腕を伸ばそうとした。そして、どろんという間抜けな音とともに発生した煙によって、その乾いた腕は空振りさせられるのだ。4匹に別れていたお里たちが、今度は1匹に戻っていた。彼女の長い指たちが、複雑な術の印を組んでいる。

「金剛雷撃の縛、喰らってみい!」

 目をらんらんと輝かせ、ぼたんだぬきの令嬢が、先祖伝来の雷術を放つ。ゾンビどもの足下から逆向きの雷電が激流した。青と金色にまばゆい光の点滅と共に撃ち放たれた雷たちが、ゾンビの体を焼き壊していく!

「―――さすが、タヌキの王族か。僕も、赤鬼ってあだ名を腐らせるわけにはいかない」

 赤鬼塚の大牙は、裏口から突入してきたゾンビどもに向かう。呪術が刻まれた包帯を取り捨てることで、その右腕の封印を解除し巨大な鬼の腕へと変貌させる。太い爪の生えた豪腕の一撃だ。その一振りをもって、三体ものゾンビを一発で打ち払う!いつもは地味に見えているが、この破戒僧……正真正銘のバケモノである。

 破戒僧の活躍はつづく。中庭から這い上がってきたゾンビの群れが、障子を破りこの場に侵入してくる。数が多いのは分かる。天歌ほどの動体視力はないゆえ、くわしい数は把握できない。そんな高度な技なんて僕にはないのさ。僕は、武に愛されてはいない。

「その代わり、酒が僕についているんだよ!」

 破戒僧が特別に醸成した酒を口に含む。ひょうたんから吸い上げたそれは、口のなかで燃える。いや、この酒、正確には大牙の胃袋が吐き出した地獄の火炎、それをさらに燃え上がらせるための燃料であったのだ。

 赤鬼塚の大牙が、強烈な業火の焔を口から解き放つ。紅蓮にうずまく業火の激流が、ゾンビを群れごと焼き払ってしまう!蓮華姫はパチパチと手を叩いた。

「うおー……お里殿も大牙殿も、バケモンじゃのう!さて、私たちも征くぞ、深谷王!」

『心得た!』

 深谷王がその身に蓮華姫を乗せ、戦場へと出陣する。土間を駆け抜けたその霊馬は、天歌のそばを通り抜け、玄関の周りにわんさか集まっていたゾンビの群れを、まさに文字通り蹴散らして突破してみせた。九本もの大丸太を同時に軽々と運ぶその馬力に、亡者どもが敵うはずもなかった。

 霊馬はいななきの声をあげ、亡者あふれる村を疾駆していく。蓮華は深谷王を見事に乗りこなしながら、弓を引き、放つ。屋根に登っていたゾンビを一体、姫の矢が射殺した。

『お見事です!』

「まあな!これぐらいしないと、龍神の名がすたる!……天歌殿!」

「おうよ!山賊ども!たたみかけっぞおおおおおおおおッッ!!」

 天歌の気合いにあふれた雄叫びが、戦場を熱く燃えさせる。お里と大牙がますますバケモノじみた力で暴れ回り、不死の霊馬とその背にいる姫は、蹄鉄の粉砕と神矢の狙撃で亡者を祓う。天歌はナタを亡者に投げつけて捨て去ると、腰に差した太刀を抜刀した。

「面倒くせえから、小細工抜きで相手してやるよ!来やがれ、雑魚どもがァッ!!」

 亡者が叫びをあげ、列を成して天歌に押し寄せてくる。天歌はその群れに対して、自ら突撃していく。正面からねじふせてやるよッ!華麗な技は捨てたのだ。鎧の防御力と体力に任せた特攻で、さっさと雑魚の数を減らすとしようかッ!!

 朝焼けの朱がね色を太刀に映しながら、刃の乱舞が亡者を次々と斬り捨てていく!しかし、亡者は群れだ。無数に伸びた亡者の手や爪が天歌に絡みつき、鎧の一部を壊してしまう。そして、肌に痛みも走った。

 ……だが、んなことは問題じゃねえんだよ!

 この程度のかすり傷で、オレは死なん!

 正面から、喰らい尽くしてやる!

 はげしく暴れて、どいつもこいつも、ぶっ殺しちまえばいいだけじゃねえかよッ!!

 ―――視界を覆い尽くしてしまうほどに亡者の数は濃密だ。いくら天歌であっても、これだけの群れを、どう攻略するのが最適解なのか推し量ることはできないだろう。だが、問題はない。多少の傷など耐えるのみだ、覚悟を決めた戦士に怯みはなかった。

 亡者の打撃が頭を打とうと、その爪が腕に絡みつこうと、どんなに体が痛かろうと、そんなことに構わず、ただただ剛剣を振り回せばいい。どんな圧力にも膝を屈することなく、地に倒れずに、ただただ破壊と前進をつづければいい!

「うおらああああああああああああああああああああああああッッ!!」

 剣を振って、振って、振りまくった!狂ったように攻撃の手を緩めることはない。亡者の打撃が入ろうと、その爪で傷つけられようと、歯で噛みつかれようと、お構いなしに斬撃を放ちつづけるのだ!

 その戦いぶりはまるで炎のようだった。敵の群れごと、己が身さえ燃やし尽くすような、あまりにも壮絶な烈火の行進である……怨念に支配されたはずの亡者どもが、この躍動する殺戮者の姿に恐れを抱く。

 黄泉の国にさえ、『こんなもの』はいなかった。それは笑っていた。亡者を斬り捨てることが至上の喜びであるかのように。

 浅くもない打撃が入っても、突撃が止まることはない。まるで、痛みというものを感じていないかのようだ。何体かで同時に手足に絡みついたはずなのに、暴れ馬のような力のせいでまたたく間にふりほどかれて、報復だと言わんばかりに斬撃の雨が亡者に降り注ぐ。

 圧倒的な暴力が、理不尽なレベルの数的不利を力ずくでくつがえしていく……天歌は次々と亡者どもを斬り捨てていった。それは全てを焼き滅ぼすあの戦火のように、その剣はあらゆる者を死へと誘い、命を奪えば奪うほど、より激しく猛り狂っていくのだ―――。

 強かった。

 この山賊たちは、あまりにも強かった。

 千獄と呼ばれるこの悪鬼魍魎はびこる東の地にて、生きることとは即ち戦いである。一年のあいだ、『地獄以下』と称される劣悪環境を戦い抜いてきたこの蛮勇どもは、神がかった強さを獲得していたのである。



「―――腹が立つほど強いのね、『天狗』さん」

 ゾンビの群れ40あまりを斬り捨てた天歌は、さすがに鎧も服もボロボロである。そんな山賊の前に黒髪の乙女が現れていた。天歌は荒れた呼吸を整えながら分析する。

 ……五芒星の紋の入った白い着物……ってことは、陰陽師の正装かね?このタイミングで現れやがったんだ。まちがいねえだろう?……タヌキの勘は、やっぱり外れねえのな。

「テメーが、シドーの『女』かよ」

「……『女』?……フフ。そうね、そういう解釈もありかしら?」

 色白の女はどことなく嬉しそうだと天歌は感じる。『シドーの女』あつかいされて喜ぶってことは、コイツは『女』よりも下の立場かもしれない。そして、その女の目のまわりが昏く、全体的に痩せ過ぎていることから、なにかしら病気であるのかとも想像していた。

 ―――だが、舐めちゃいけねえぜ。コイツはかなり『仕込まれている』。陰陽術についてはもちろんそうなのだろうが、『そっち』じゃねえ。コイツの体は枯れ木みたいに細いもんだが……どうにも武術の気配を感じさせてきやがるぜ。

「テメー、何者だ?」

「私は、メノウ。陰陽師であり、シドーさまの『養子』でもあり、シドーさまの『弟子』でもあるの……平たく言えば、あなたを命がけで仕留めるために来た『暗殺者』よ」

 少女はそう名乗り、しとやかな所作で頭をペコリと下げた。天歌はその動きを見て、さらに確信を深めていく。よどみがない。大きな刀を腰に差しているというのに重心が完全に安定しているのか。刀に慣れ親しんだ体だ。コイツは、強いな。

 ……それはそうとして。

「……『暗殺者』ってのは、そう堂々と名乗るもんかよ?それに、正面から来るってのもなあ?……メノウさんよ、アンタ、オレさまのこと舐めてんのか?」

「うふふ。そんなわけないでしょう?単純に正面から行く。それが『最強のカード』だから選んだだけなのよ?あれだけの亡者を正面から叩きつぶしてみせた……そんな君に『数』は意味がなさそう。だから、『質』で攻めることにしたの」

「ほう、なるほどね」

「あら、お気に召さない?」

「おう。テメーが問答無用で襲ってこないどころか、わざわざ悠長に話なんざして、オレの体力が回復する時間をくれていることもな。テメーにとっては、シドーのために『時間稼ぎ』が出来て満足なのかもしれんが」

「……うふ。目ざといのね、私の目的に気がついていたんだ」

「―――あのなあ、オレを殺す気なら、もっと全力を出すべきだと思うぞ。テメーならオレをゾンビの群れごと焼き払うとか、色々やれただろう?」

 その『提案』を聞くとメノウは口元を手で隠し、笑った。

「まあ。それって、いいアイデア。とても楽しそうだね。機会があればやってあげる」

「……フン。必死で敵を殺そうとしているのなら、それぐらいのこと思いつかないはずがねえ。そういうことをしねえってのは、やっぱり舐められている気がしてならねえぜ!」

「プライドが高い。戦う相手が、君に対して手を抜くことさえガマンできないのね」

「たりめーだろ?手え抜かれた戦いなんざ、クソつまんねーだろうが」

「君も戦いに取りつかれているんだね……でも、そうだね。たしかに、もう少し暗殺者らしく策を使ってみるべきだったのかもしれない。あなたたち、びっくりするぐらい強いのだから。とくに君はムチャクチャ。とんでもない強さだわ……予想のはるか上を行く」

「……そういうテメーもかなり強えよ。オレには分かる、一流の気配だ。だけど……それでも、オレを超えてはいねえな」

「―――ええ。その認識、私も共感できるよ」

「それを分かっていて、オレと小細工抜きでやろうってのか?……まともに戦えば、テメーは死ぬんだぜ?」

「ええ、そうなるでしょうね。貴方が相手であれ、『あの女』が相手であれ……最初から、生き残れるなんておこがましいことを考えていないわ」

 ……『あの女』?天歌はその言葉に引っかかる。だが、それが誰なのかを気にする余裕はなさそうだ。今のメノウは天歌だけを見ている。それなら、こっちもテメーだけを見てやるのが礼儀ってもんだよな。

 メノウは安らかな呼吸をしていた。戦いに際して、ここまで緊張を放棄できるのは、覚悟があるからだ。死ぬことさえも厭わぬ。命に未練など一切ないことの証。

 これから始まるわずかな闘争の時間に、彼女は命を含むすべてを捧げるつもりなのだ。天歌はメノウの見せるその精神を軽んじたくはなかった。

「私は戦って死ぬわ。それが、シドーさまの『道具』として相応しい満足な末路だから」

「……『道具』ねえ。自分から、使い捨てにされるってのかよ」

「ええ、そうあるべきだから。それでも犬死にはしないわ。命がけで、あなたを仕留めてみせる。この霊刀の力を借りてね……そうよ、私の『シカノカミ』で、あなたを殺す」

 メノウがその長い刀を抜き放つ。長くて厚めであるその刃は威力を連想させた。そして、その武骨な刀身からは、黒い何かが煙のように立ち上っている。

 おそらくあの闇は、妖気というものであろう。霊感の乏しい天歌でさえそれを目視できる。それほどの禍々しさをこの刀は放ち、その『不穏な気配』を、天歌の動物としての本能が否応なしに『脅威』だと判断してしまうのだ。

「……何本か魔剣とも戦ってきたが……そいつは別格だ。あきらかに一番強い」

「ありがとう。『制作者』として嬉しいわ……それじゃあ、行くわよ天狗。私の命をあげるから、君の命を代わりにちょうだい―――」

 ―――来る。

 天歌は守りから始めることにしていた。彼とて魔剣の類いにはさすがに慎重にならざるをえない。尋常の剣とは異なり、それらはまったく未知の動きや能力を宿しているからだ。

 ゆえに、先手を取ったのはメノウであった。

 低い構えから彼女は走りはじめる。速い。そして、メノウは走りながら間合いをつぶし、斜め下方から『シカノカミ』を鋭い息とともに振り抜いてくる!

 ―――いきなりの大振り。さあて、受けてみっかね。

 好奇心。それが時には災いを招くことを天歌とて知っている。それでもなお、累々丸の時と同じように、彼はメノウと『シカノカミ』の一撃をあえて受けることを選んでいた。

 『シカノカミ』の刀身があやしい紫色の輝きを放つ……その刀身は、うごめく妖気に包まれたまま、天歌目掛けて放たれるのだ。その斬撃の軌道が狙っていたのは、彼の首。

 ―――『一撃必殺』、そいつをいきなり仕掛けてくるのか?その大振り、このオレに防がれたり外したら、テメーがカウンターもらっちまうんだぜ?……それなのに、それから始めるのかよ?……イヤな予感がしてきやがる。コイツは、大胆すぎるんだよな!

 ガキイイイイイイイイイイイイイインンッッ!!

 天歌の刀が『シカノカミ』とぶつかる。とてつもなく重い。踏み込みの鋭さと体のしなやかさ……それと、衝突寸前に素早く身をひねることで、これほどの重さを生んだのか。華奢な女の身では生み出すことの難しい威力。それを、このメノウは力ではなくスピードで生み出してみせたのだ。

 ―――ほんと、超一流の剣術家だな、メノウ……んで。どうだ?『お前』は何して来やがるんだよ、『シカノカミ』よ?

 刃と刃はぶつかり、せめぎ合っている。だが、この膠着が長引くほどに力ではるかに勝る天歌の有利は確実。だからこそ、天歌は慎重にならざるをえない。達人は、ムダなことをしたりはしないものだ。

 この状況を『作らされた意味』……それを求めるように天歌の黄金色の瞳は『シカノカミ』を見据えつづけている……そして、やはり魔剣は企みを持っていた。

「―――本当に目ざとい。確かめようとしているのね……そんなに『シカノカミ』のことを知りたいのなら、いいわ。教えてあげる」

「……なッ!?」

 メノウの魔剣から沸き立つ『闇』が、そのとき不気味にうごめいた。

 瞬間、天歌の本能が逆撫でされる。背筋に悪寒が走っていた。まずい、まずい、まずい!コイツは受けちゃダメな一撃だった!……武に愛された獣が選んだ道は、全力の回避!

 上体をとにかく反らしながら、彼の脚は大急ぎでバック・ステップを刻み、その首狩りの軌道から逃れようとした。だが、次の瞬間、鋼が悲鳴をあげる―――。

 バキイイイイイイイイイイイインンンンッッ!!

 天歌の刀が、折られていた。いや、刀が『斬られた』のだ。メノウの斬撃をはるかに超えた重さを持つその『闇』こそが犯人だった。

 『シカノカミ』の刀身から放たれた闇色の衝撃。それは、まるで黒い牙のようだった。刀から離れて飛翔するその漆黒のカタマリは、弧を描きながら、刀をも斬り裂き、天歌の首を目掛けて恐ろしいスピードで飛んでくる!

「くそがあああッ!」

 ……回避は、不完全ながらも間に合っていた。全霊のバックステップはどうにか斬首という末路を防いでくれていた。むろん、ギリギリ助かっただけのこと。この闇色の牙が天歌の首を斬り裂くことは無かったが、その代わりに左の肩をわずかに斬り裂かれる。木片と鉄と、熊の皮で組まれた山賊鎧を貫いて、牙は天歌の肌に噛みついていたのだ。

 鋭い痛みが肩に走った。深手というほどではないが、それなりに痛む。

「刀から離れて『飛ぶ斬撃』ッ!……それが『シカノカミ』の力かッ!」

「ええ。そうよ。ご明察」

 メノウは『シカノカミ』を構えなおす。躍動する『闇』は、その白刃へと帰還している。あそこに棲み着いているようだ、あの物騒な『闇』は……。

 ―――しかし、受け止められん剣とはな!

 ―――死ぬ気の特攻女には、相性抜群のアイテムじゃねえかよ!

「躱さないと死ぬわよ?でも、いつまで、避け続けられるのかしらねえ?」

 嗜虐者は笑みを浮かべる。メノウは嬉しそうに笑い、天歌目掛けてさらに踏み込んでくる。今度は上段から振り落としてきやがる!天歌は、猿のように素早く反応する。身をひるがえし、斜め前方に向かって飛び込むようにしながら前回りだ。

 黒い牙の斬撃が、天歌から外れ、大地を深く斬り裂く!地面がわずかながらだが、その霊威に圧倒されたのだろう、一瞬だけ揺れるのを山賊は感じ取った。

「アハハハッ♪今の、避けられるとは思わなかったわ!もしかして、剣を折ってあげたことが、貴方をより身軽にしたのかしら!」

 メノウは舞いのように身を躍らせて、横なぎ払いで地面から飛び起きたばかりの天歌を狙う。それは初太刀に比べれば、おそろしく速い攻撃というわけではない。だが、とてつもなく精密な軌道で首を狙ってきている。

 『防がなければ絶対に殺される攻撃』。だが、もしも刀で受ければあの闇の牙に首を刈られる……となれば、ただただ、その剣の軌道から逃げ延びるしか天歌に手はない。ゆえに、彼は全力で回避運動に集中する。天歌は襲いかかる斬撃を、猿のように俊敏なステップで躱せてみせる。『シカノカミ』と白刃と闇色の牙が、空を切った―――。

 闇色の軌跡が空に描かれる……まるで、空を焼いているかのように、『闇』は数瞬のあいだ何も無いはずの空中でゆらゆらと揺らめき消えていく。『何か』がいやがる……のか?

「よそ見してるなんて、余裕なのね!」

 メノウの極端な大振りが天歌へと再び迫ってくる。今度は下から上へと振り上げるような軌道だ。速く鋭いが……なにより、『闇』が今までよりはるかに躍動している!

「やばそうだな」

「ええ。怖いわよ!この一撃ッ!」

 『闇』が爆発した!それはまるで津波のように、天歌目掛けて押し寄せてくる!己に迫り来るその漆黒の壁を、天歌は再び躱す……が、完全には躱しきれない……?ゆらめく『闇』の波に、山賊の体がわずかに『焼かれる』。メノウの目が見開かれる。

「素晴らしい!……初見の技の間合いを、『見切った』のね?」

 そう。天歌は回避ばかりしているつもりなど毛頭なかった。隙があれば反撃に移ろうと、その機会を狙っていた。この『闇』の大波……たしかに恐ろしい威力を持っていそうだが、必要以上に跳び退かなければ、反撃を仕込むに相応しい隙がある、そんな気配を感じていた。

 ―――なにせ、『大振りすぎる』からな!

 必要最低限と見定めた距離だけ動き、ある程度のダメージは覚悟して『闇』の間合いに、あえて天歌は残ったのだ。まさに、肉を切らせて骨を断つ―――その血なまぐさいカウンターを狙ったというわけである。

 ―――天歌はその『空振り』のタイミングに合わせて、メノウへ組みつこうかと考えていたのである。肌を焼く痛みをもらったおかげで、その機会を手に入れた。

 しかし、メノウはすぐさま半歩だけ間合いを開き、天歌のタックルの射程からわずかに逃れていた。この距離でムリに仕掛ければ、メノウの剣に斬り捨てられていただろう……。

「……フン。テメー、いい勘してるじゃねーか」

「体の動きと呼吸を読めば、他流を読むこともたやすいでしょう?だから、君も私の『闇風』を避けてしまえる……すべての武術は、やはり、どこか似ているのね」

「……同感だ」

 そして、大切なのは、相手に攻略法を考えさせる時間を与えないことだ。天歌の信条と、メノウの戦法は共通しているようだ。彼女は再び斬りかかってくる。

 躱されることを彼女は予想しているのだろう。だからこそ、彼女は攻撃を連鎖させていくことを選んでいた。そして、それらはまるで舞いのように美しく、よどみなく攻撃はつなげられる。あの厄介な闇色の牙と一体となって、メノウの長い黒髪は華麗に躍動した。

 こうなれば、体力の消費を考えずに、とにかく全力で避け続けるしか天歌に道はない。

 ……しかし、コイツ。すさまじい練度だな。

 天歌はその闇の斬撃を必死にかいくぐりながらも、メノウの鍛錬に賞賛を与える。彼には手に取るように分かるのだ。これほどの淀みない動きを組み上げるために、少女がどれだけの月日を消費してきたことか―――。

 雨の日も雪の日も。お構いなしに剣を振り回しつづけたに違いない。そして、天歌の理解できる領分ではないが、おそらくは陰陽術にも相当な日々を捧げてきたのだろう。こいつの人生は、戦いの……いや、シドーの『道具』になるためだけにあったってことか。

「……『道具』」

 ……それは、どこか天歌自身の境遇にも重なることだ。

 日銭屋(金貸し)のババアに拾われた、その目つきと態度の悪い子供は、二束三文の値段で寺に売りつけられた。僧兵として、ショーグンの手駒の一人となるために。

 そして、バカみたいに戦いの訓練に明け暮れたことを覚えている。坊主どもは武術をまたたく間に飲み込むその凶暴なガキに、戦いを仕込むのに夢中になった。天歌は、それしかお前には価値がないのだと言い聞かされてきた。そして、その言葉を大して疑うこともなく、住職たちの『道具』として存在しつづけてきた。

 ……抵抗を感じてもいたのに、けっきょく言われるがままに動き、見たこともねえショーグンとやらのために戦場にまで行っちまった。寺に他のガキどもを置いていったままよ。そして、どーなった?……こんなに強いオレならよ、守れてたはずじゃねえのか?

 ……ショーグンなんていう一度も会ったことのないヤツをじゃねえ。

 ……あの、こんがり童子になっちまったガキどもをよ―――。

「―――メノウ」

 触れれば即死である闇の斬撃をギリギリで躱しつづけながら、天歌は疑問を口にする。

「テメーは強い。オレさまほどじゃねえけど、もはやオレさまに近いレベルだ」

「そうかしらね?だったら、刺し違えることぐらい出来るかしら?」

「さあな。でも、そんなに強いのに……なんで、テメーはシドーの『道具』なんだ?」

「……私が、『それ』を望んでいるからよ」

 神舞のごとき優雅さで、隙間無く斬撃を連ねてみせながら、メノウは微笑む。天歌は何だか腹が立っていた。どういう理屈でこんなに腹が立つのかは彼にも分からない。でも、こんな剣ごときに逃げ回るのが、とてつもなくバカらしくなっていた。

「……下らねえや、テメーらの剣なんてよ」

 後退を止めて、山賊はメノウの剣舞の間合いに留まる。メノウはこの絶好機に素早く反応する。舞踏のリズムを急変させ、天歌を殺すための動作を作り出すのだ。

「死になさい!『天狗』ッ!」

「―――いや。ムリだね」

 天歌は折られた刀で『シカノカミ』を受け止める!火花が散り、金属の高鳴りの音が響いていく。メノウは確信する。『シカノカミ』は受け止められない!受けたら、刀身からあふれる闇の牙で、斬り裂かれてしまうのだから―――ッ!?

 理性を超える寒気であった。すべては刹那のイベント。それは、何が起こるかを想像することも出来ない短い時間のうちに起きて結末しようとしていた。それでも、メノウの優れた戦士としての本能は、不穏な気配をたしかに感じ取っていたのだ。

 『シカノカミ』がいつものようにその刀身から闇をあふれさせてくる!自分と刀をぶつけ合わせた愚か者を必滅するための『絶対攻撃』として、『シカノカミ』の本質である悪霊が実体化しようとしている……だが、悪霊は己をにらむ瞳があることを遅ればせながら悟る。黄金色の瞳だ。

 ―――思えば、アレはずっと『我』を見ていた。

 ―――メノウの剣舞とひとつになって暴れているすべての時間において、アレはじっと『我』のことを観察していたのか。なんのために?どうして?どうして?

 天歌を斬り裂こうと実体化した悪霊は、自分を見透かすようなあの瞳が怖かった。理由は不明だが、とにかく、このままでは気持ちが悪くて仕方がない。ゆえに、この不気味な人間をすぐに斬り殺そうとして、闇色の牙と変化していきながら―――『掴まれる』。

『―――ッ!?』

 悪霊が、天歌の左手の指たちに鷲づかみにされていた。天歌は右手の折れた刀で『シカノカミ』の刃を受け止めながら、その一方で、反対側の手により刀からあふれ出た悪霊を素手で掴んでみせたのだ。

 その指からはものすごい力が伝わって来ていた。悪霊は、まったく動けなくなる。闇に包まれていたその姿が、朝陽に祓われるようにして徐々に明らかになっていく……それは漆黒のイタチであった。天歌は鼻で笑う。

「……ふん。なんだ、アヤカシの一種かよ。捕まえてみれば、可愛いモンじゃねえか」

『ウ、ウソダアアアアアアアアアアアアアアッッ!?』

 悪霊が叫んだ。あり得るわけがない。まさか、『シカノカミ』たる自分が、ヒトの手にたやすく捕らえられるなど!

「あ、暴れないで、『シカノカミ』!集中が乱れれば、こいつは……ッ!」

「――――喝ッ!!」

 裂帛の気合いを込めた叫びでメノウと『シカノカミ』を射竦めながら、天歌は悪霊を刀から引きずり出すことに成功していた。その瞬間、魔力を失った刀が砕け散る。メノウが叫ぶ。しかのかみいいいいいい!!

「テメーはちょっとどいてやがれ!」

「きゃう!?」

 山賊はメノウの腹に蹴りを入れて彼女を吹っ飛ばした後で、左手のなかでみじめに怯える黒イタチをにらみつけた……。

『800年だぁ!我は、800年のあいだ存続する、剣士たちの怨霊の化身だぞおお!それを、それを、大した霊力さえ持たん、貴様のようなヒトの子ごときがあああああああ!!』

「テメーが偉いアヤカシだか悪霊だかは知らねえが……気に入らねえヤツはさ、オレさまぶっ殺すことに決めてんだよね。じゃあな、クソ雑魚野郎」

 サディスティックな快感に身を震わせながら、天歌の指が『シカノカミ』を握りつぶしていた。胴体のところで真っ二つにされた『シカノカミ』は、げほげほと血を吐きながら上半身だけで這いずり、天歌から逃げようとする……だが、その姿は朝陽を浴びることでどんどん溶けて消滅していく……。

『ちくしょう!ちくしょう!こんなヤツが、なんで、常世にいるんだああああ!我は、悪神たちの王の一柱!疾風斬滅の『シカノカミ』さまだぞおおお!』

 うざったそうに黒髪をかきながら、天歌は消えゆく『シカノカミ』を足で踏みつけて仕留めていた。『シカノカミ』は、朝露のようにあっさりとこの世から消滅していった。

「……うるせえイタチだぜ。さあて、メノウ。テメーの霊刀はぶっ壊してやったぞ?これからどうする?まだ、あきらめるようなタマじゃねえだろう?」

 メノウはゆっくりと立ち上がる。我が子のように認識していた『シカノカミ』を殺された衝撃は、彼女にはたまらなく大きい。怨憎の呪詛を叫びながら、大暴れしたいような気持ちもあるが……今は瞳からあふれる涙が熱くてたまらない。それでも、彼女はあのジトリとした目で涙越しに天歌をにらみつけてくる。

「……ふふ。恨めしいわ……憎いわね、『天狗』……私とシドーさまとで復活させた伝説の魔剣を、私たちの『子供』を……こうも容易く壊してしまうなんて……許せない!あなただけは、絶対に許さないんだから!……疫神!疫神よ!聞こえているでしょう!私の命を捧げるわ!悪鬼となって、こいつを殺しなさいッ!!」

 メノウはそう叫び、懐から取り出した短刀で、己の腹を突き刺した!

「切腹だと?……下らねえぞテメー、あれだけの剣士のくせに、逃げやがんのかよ!呪いの『贄』ごときになるつもりか!……そこまでするのか!?しねえといけねえのかよ!!」

「そ、そうよ……『道具』であること……そ、それだけが……私の価値だから……っ」

「違えだろうが、バカ女!テメーが呪いの贄なんかになるのが相応しいわけがねえ!!テメーはオレさまが認めてやるぞ、メノウ!テメーは、あんな霊刀に頼らずに、もう一度、ただの剣士としてオレと戦うベきだったんだ!テメーは、あんな剣より価値がある!!」

 地面に倒れ込んだメノウは、朝焼けの空を見ながら涙をあふれさせた。『シカノカミ』を失った悲しみ……だけではない。死に瀕する彼女の心には、空虚さが生まれている。なぜだろうか?

 なぜ、『道具』としての命を全うしようとしている今が、幼い頃からの本懐を果たそうとしているこの瞬間が、シドーへの『愛』に殉じようとしているこの素晴らしいはずの時間が、どうして、こんなに空しいものなのだろうか……。

「……あなたは、あんこくの、たいよう……?」

 メノウは震える声で心の中にいるシドーにそう訊ねる。シドーは答えない。その代わり、山賊が答えていた。

「ちげーよ!オレさまは『天歌』っつーんだ、バカ女。この青い空の果てまで、天上天下の三千世界すべてに、歌として伝わるほどの強さになりてえ!だから、ガキの頃に、自分でその名前に決めたんだよ!」

 ……メノウはかすれゆく意識のなかで、不思議な言葉を吐いた山賊を、驚きをもって認識していた。ああ、まるでシドーさまみたいな子……それでも、あの人とはまったく逆なのね。あなたは『暗黒の太陽』にはなれない……むしろ、その道を阻もうとする力……。

「……あなたにだけは、負けたくないわね……たのんだわよ……疫神」

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンッッ!!』

 メノウの血と命をすすり、シドーの臓腑より作られたあの小人が巨大化していく。その身の丈は10メートルほどあるのだろうか?巨人だ。その身をつつんでいた十三枚の霊符で隠しきれなくなったその姿は気色が悪く、たいへんに不気味なものであった。醜く焼け腐った、その黒ずんだ肉体。そして、その身が放つ圧倒的な『瘴気』!

 病の化身。

 それこそが、この疫神の本性である。

 疫神から放たれる邪悪な漆黒ガスが、あたりのものを手当たり次第に腐らせていく。家屋や土でさえ、その例外ではないし、生物はおろかゾンビでさえも、その呪いは飲み込んでいく。そう死霊であるゾンビどもまで、疫神の瘴気に呑まれてまたたく間に朽ち果ててしまうのだ……。

「……や、や、やばい!こ、こいつは本格的にマズいぞ!おおい、みんなあ!逃げるんやあ!コイツに付き合うとったら、全滅必至やでえええ!」

 お里はそう叫ぶ。大牙もその通りだろう、と考える。疫神……病魔の神々の集合体。手当たり次第殺しまくる、極めて無慈悲な悪神だ!こんなのと、まともにやりあっていたら、命が幾つあっても足りそうにないんだけどっ!

 ―――だが、新米山賊姫はベテラン山賊たちとは違う意思に支配されていた。

「二人とも、怯むでない!悪神は、怯える心につけ込んでくるはずじゃ!霊威に呑まれれば、逃げたところで呪いに追いつかれてしまうであろう!こうなれば、道など一つよ!」

「―――そうだ!コイツを、今すぐ、ぶっ殺す!!」

 深谷王に乗った蓮華姫は、天歌の名前を呼ぶ、少年は幼妻の声に応えるように、その霊馬の背中に飛び移った。そして、彼は蓮華姫に背負わせていた太刀を取り、馬上でそれを抜刀する。

『いい夫婦でございますな!戦場に赴く夫婦において、理想的な関係でありましょう!』

「古強者のお褒めにあずかり光栄だな。深谷王よ、私のことには構わず突っ込め!私だってチビで貧乳だが、重りぐらいの役には立つぞ!あのデカブツの脚にその牙で噛みついて、大暴れして引きずり倒してやれ!あとは、私の旦那がどうとでも仕留めてくれよう!」

「以心伝心だな。三日も夫婦やってりゃ、いろいろ分かってくるもんじゃねえか!」

『ふはははは!天晴れ!天晴れです!……我は深谷王白夜!疫神よ、いざ、まいる!』

 牙を剥きだしにして霊馬は咆吼する!その巨大な脚と体躯を躍動させて、瘴気の海のなかに迷いなく突撃していく。

 彼の脚が目指したのは、おそろしく巨大化していく疫神の右脚だった。彼は姫の指示の通りに、全速力で加速し、その大樹のような脚に体ごとぶつかり、巨人をぐらつかせることに成功する。

 彼自身のダメージもともなう体当たりではあったが、巨大な悪神相手に『突撃しろ』と命ずる蛮勇な飼い主たちのためならば、彼はいくらでも踏ん張ってやれるのだ。

『我が牙は、闇をも食い千切ると知れ!』

 深谷王は猛り狂う闘争心のまま、疫神の脚に牙を突き立ててやった!そして、そのまま首を振り、身を暴れさせ、巨大なる疫神を地面に引き倒そうと試みる。

『がひゅううううううううううううううううううッッ!?』

 鈍くさい疫神は、一瞬では何が起きているのか分からない。だが、さすがの巨体ゆえ、深谷王の馬力でもそう容易く引きずり倒されはしない。疫神は反射的に馬を追い払おうと腕を伸ばすが、天歌の太刀により、その手を逆に深々と斬りつけられてしまう。

『ぎゃむうッ!!』

 疫神が悲鳴をあげて深谷王へと伸ばそうとしていた手を引っ込めた。蓮華姫は喜ぶ。

「うむ!よいカンジじゃぞ、天歌殿!さあ、今だぞ!深谷王、がんばってくれ!」

 ぐるるるるるるうっ!!

 深谷王は鼻息を荒くしながら、必死に首を振り、脚で地面を押し込むが、彼の力を持ってしても疫神の巨体はなかなか引き倒せるものではない。

 ……ゆえに、お里は腕を天にかかげて、呪文を早口で唱えるのだ。

「―――降雷の術!」

 早朝の空に稲光がきらめき、一条の雷が疫神の頭に降り注いだ。まばゆい光に視界を白くぬりつぶされながら、山賊たちの耳と肌は大気を振るわす爆裂を体感した。すさまじい爆音であった。その音で今の雷撃の重みを皆が知る。だが、それでも疫神は倒れない。

「……ちぃっ。術練る時間足りんとこんなもんかい……そもそも雷繰りなんぞ、朝やる術やないしな。大牙、あとは頼んだで?」

「う、うん!やってみるさ……ッ!」

 大牙の無酸素運動が、その異形化した右腕にムチャを強いる。大きな爪が鷲づかみにしていたのは、倒れた民家の柱だ。いわゆる大黒柱。かなりの太さ、長さ、そして重量を兼ね揃えている。半妖の身ならばこそ、これほどの柱を持ち上げられるのだ。

「あ、あはは。ほ、ほんとに持ちあがちゃったよ……僕、もう人間じゃないなあ」

「おい、大牙!急いで投げたらんかい!アホ夫婦が巨人の足下でムチャしてんねんぞ!」

「わ、わかってるって……ばッ!」

 大牙が大黒柱を投擲する。まるで、投げやりのような放物線を描きながら、疫神の腹にその柱が突き刺さった。疫神がぐらつく、だが、まだ倒れない……。

「いい加減に、いさぎよく倒れるがよい!悪神も男も、しつこいヤツは大嫌いじゃ!天歌殿!私の体をもっと強く抱きしめてささえておれ!」

「いいぜ、そういうの、旦那の役目らしいしな!」

「ふふ!そうじゃ、絶世の美少女を腕に抱けるのは、その夫の特権よのう!」

 天歌に支えられながら、馬上で仰け反った蓮華姫が弓を引き、矢を放った。龍神の霊力を帯びた破魔の矢が、疫神のあごに命中し、疫神の頭部を激しく揺らす。天歌と深谷王がそのチャンスを逃すことは無い。

 引けええええ!と天歌は叫び、霊馬は笑い、その牙をより深く獲物に突き立てる!蹄が地面を削り取るほどに強く蹴り込まれ、そして、暴れ馬の脚力が、ついに疫神の足を引きずり、その巨大な体を地面へと倒していた。

「あとはオレさまに任せやがれッ!!」

 天歌は馬から飛び降りて、疫神の胸元に飛び乗ると、刀を散々滅多に振り回し、何度も何度も疫神の胸をえぐっていく!

『ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオウウウッッ!!』

 疫神が最後の意地を見せて、全身を激しくゆさぶって、馬の拘束を解き放ち、立ち上がる。それでもなお、天歌は疫神の首下に取りついている。刀はいずこかへと吹っ飛ばされていたが、彼は左手の指を、疫神の鎖骨に引っかけて体を支えていた。

 そして、彼はふくらはぎに巻き付けた布の内側に忍ばせている、南方伝来の肉厚ナイフを取り出すのだ。しかし、疫神は天歌の殺意に気がついたのか、彼のことを振り落とそうとさらに身を揺する。

「くそ、抵抗しやがって!……ん」

 天歌は修羅場においても冷静だ。戦場に『侵入者』がいることに彼は気がついた。黒い馬が一頭、村にやって来た。そいつは勢いよく、この場所を目指している。黒い鎧に身を包む馬上の人物は、投げ槍を構えているではないか。

 そして……その顔は仮面に覆われている。だが……いつか、見たな。少年は、今では『死霊海岸』と呼ばれているあの場所での邂逅を思い出す。戦の最終決戦だったあの夜、ヤツはオレに一撃入れてくれやがった。

「……猛将、ラカン」

「―――助太刀しよう!」

 ラカンは凜とした声でそう叫び、朱塗りの槍を馬上からぶん投げた。槍は恐ろしいまでのスピードで飛翔し、疫神の右目を深々とえぐり抜いた!疫神が痛みのあまり咆吼し、そして、苦しみに耐えるために身へ力を入れて固めてしまう。

 その硬直を、『天狗』は見逃さない。刃を口にくわえ、両腕両脚を躍動させ、天歌は疫神の首そのものに取りつく。左腕と胴体ででその首を締めつけてやりながら、少年はその口にあるナイフを右手に取った。

 逆手に握りしめたそのナイフを、天歌は思いっきり疫神ののど元に突き立て、叫びながら激しく揺さぶり、そこを掻き切ってやった!

 大量の出血が朝陽に舞いあがり、戦場に血の雨として降り注いでいく……死を刻みつけられた疫神に、存在を保つことなどもはや不可能であった。

 ゆっくりと大地へと倒れていき、そのまま朝陽のなかへと溶けていく。病の毒を含んだ瘴気もすぐさま風によって清められ、壮絶な破壊の痕跡を道連れにして、その廃村に静寂の朝は蘇る―――。

「天歌殿!やったな!さすがじゃ、すごいぞ!」

 蓮華姫がそう無邪気にはしゃぐ。だが、深谷王は黒馬とその主が気になるようだ。あの槍の投擲……並みのサムライではない。それに、馬の背にいるのはサムライだけでもないらしい。金髪の少女がいる。あれは、アヤカシか……おそらく大陸渡来の、キツネ族。

「玉藻か……玉藻か、おのれはあああああああああああああああッ!!」

 ぼたんだぬきの愛娘が、仇敵の名前を叫ぶ。

 そして……。

 天歌は疫神に投げつけられた槍を回収し、猛将ラカンの前へとやって来る。少年は馬上のサムライに槍の柄を差し出した。穂先は自分のほうに向けてある。

「……あんがとよ。さっきの手助けには感謝しているんだ」

「そうか。お前は、思っていたよりも紳士的なヤツだな」

 ラカンはそう言いながら差し出された槍の柄をつかむ。だが、天歌は槍を放さない。

「―――だけどよ」

「だけど……どうしたという?」

「……テメーとは、あの夜の決着、つけ忘れてるままじゃねえかよ!」

 天歌は槍を引っぱって、ラカンを馬上から落とそうとする。だが、落とされそうになる寸前、ラカンはその身を躍らせて、天歌目掛けて殴りかかってきた。天歌はいいパンチをほほに受けるが、お返しに前蹴りを入れてラカンを突き飛ばしていた。

「くっ!……やれやれ。いきなり、これか?」

「……嫌いじゃねえだろ、ラカン」

 その指摘を受けて、ラカンは仮面の下で笑みを浮かべていた。立場も身分も異なるが、このラカンもまた、天歌と同様の戦闘狂なのである。天歌は槍を振り回し、武芸百般であることを示す。そして、ラカンも鞘から刀を抜き、すぐさま山賊へと斬りかかっていた。

「ど、どーなっておるのじゃ?いきなり謎サムライが現れたと思ったら、今度は天歌殿と喧嘩し始めてしまったぞ?」

『……ふむ。血の気の多い武人にはよくあることでしょうな。馬同士でもよくあります』

「そ、そういうものか?……面倒なことじゃのう」

「ちょっと!そこの無礼すぎなバカ山賊、ラカンさまから離れなさいな!」

 白馬の上で金髪の姫君がキャンキャン甲高く叫んでいた。蓮華姫はその瞳に宿る霊力をつかい、この異国風の着物を身につけた姫君が人ではないことを見破る。

 ふむ、この金色に揺らぐ妖気……異邦のアヤカシかのう?そんなことを考えていると、蓮華姫のすぐそばを巨大な白い獣が駆け抜けていく。白銀の毛皮に覆われた、大きな熊?……いや、タヌキだ。

『タマモオオオオオオオオオオオオオッ!』

 白銀の大タヌキが巨大な口を開き、金髪の姫に飛びかかった。慌てた姫は落馬してしまう。そして、その顔をゆっくりと上げたとき……彼女の様子は一変していた。さきほどまでの美少女はどこへやら。眉間に深いシワを寄せた、獣の貌がそこにはあった。

『里芋オンナアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』

 どろん!という音とともに煙があらわれ、あっという間に姫君は金色の大キツネに変貌していた。銀タヌキと金キツネが、お互いを威嚇し合う!牙を剥き、しゃあしゃあ、叫び合っているうちに、2匹はどちらからともなくお互いに噛みつき、大喧嘩を始めてしまう。

「うおおおお!霊力でピンと来たけど、アレ、銀色のほう、お、お、お里殿っ!?」

「……うん。アレがお里の本性さ。僕たちもバケモノじみているけど、彼女は正真正銘のアヤカシの王族だからね……キレると、怖いもんだよ」

 気がつけば大牙が蓮華姫たちの近くにやって来ていた。

「……ふむ。コレは一体どういう状況なのじゃ?」

「さあ?僕にだってよく分からない。天歌もお里も、あんまりフツーじゃないからね」

 ……大牙殿だって、ワケわからん腕しておるくせに……その言葉を口にしなかったのは、龍神の末裔である少女が不毛な皮肉合戦よりも、状況の解明を求めていたからか。この混沌とした状況に、中年のサムライが困った顔で参入する。日に焼けた肌と、鍛えあげられた筋肉をもつマッチョなサムライであった。

「ああ、やれやれ。まったく、お互い血の気の多い上司を持つと困ったものですなあ」

「誰じゃ、おぬし?まあ、私から名乗るか。私は蓮華。仮面のサムライと互角に切り結んでいるのは私の旦那さまじゃ―――ん?ご、互角ぅ!?天歌殿と、生身の人間が、互角ぅ!?」

「ほう。やはり、驚かれますか。拙者からすれば、あのラカン様と互角に戦える少年がいたことにこそ驚愕しているところですが……っと、決着がつきそうですかな?」

「え?」

 大牙と蓮華姫は慌ててその二人を見た。

 戦いは確かに終わろうとしていた。お互い、鎧はすでにボロボロ、体中ケガをしている。それでも、お互いが心底楽しそうなのだから困ったものだ。

「行くぞ、少年!」

 ラカンが風のような速さで間合いを詰めると、刀を振るい、天歌が握った槍を柄の部分で真っ二つにしてしまう。だが、斬られることをあらかじめ予測していた天歌には余裕がある。折れた槍の片一方をラカンに叩きつけて、その仮面にヒビを入れてやった。

 天歌はさらに接近し、隠し持っていたナイフをラカンの首目掛けて突きつける。そして、その動きはラカンの首を斬り裂く直前でピタリと止まっていた。

 なぜなら、ラカンもまた天歌の首根っこに、刀の切っ先を突きつけていたからである。仮面が割れて、破片となって大地に落ちていく。

 あらわになったのは、うつくしく長い黒髪と、黄金色の瞳であった。その肌は白く、顔立ちは整っていて……うん。えらく美形だな……?いや、『そう』じゃねえか。

「……へえ。あの猛将ラカン。まさか、『女』だったとはな」

「……悪いか?」

「いいや。そんなことは別に構わん。オレさまと『引き分けた』んだ、女だろうがアヤカシだろうが認めるしかねえよ」

「ほう。お前のような血に飢えた獣が、『引き分け』などで満足してくれるのか?」

「今日のところはな。このまま二人とも死んでもつまらん。感覚で分かるだろうが、オレとアンタは『同じ』なんだよ。まったく『同じ』」

「たしかに技量も発想も似ているようだな。お前とは決着がつきそうにない」

「ああ、それによ……アンタの『歌』は、まだ『完成』しちゃいねえだろ?」

「ほう。私の『歌』か。たしかに、この『国盗り』、道半ばではある」

「だらか、今日はガマンできるんだよ。オレたちが殺し合いをやるのは、アンタが『歌』を完成させた後でいい。どう考えても、そっちのほうが盛り上がるってもんだぜ」

「……ふむ。お互い、『未熟なごちそう』には、それほどそそられんというわけか」

「まあ、そんなところだな。オレも、まだまだ強くなれそうだしよ」

 そう言いながら戦闘狂どもは、どちらからというわけでもなく、ほとんど同時に武器を納めるのであった。その光景を見ていた蓮華姫と大牙は安堵する。状況もよく分からないまま人死にが出なかった。そのことを彼らは喜べる、なんとも良心的な人々なのであった。

「ああ、よかった!獣のように、ただ出会っただけで殺し合いなど……蛮行極まるぞ!」

「ほんとにね。ムチャクチャすぎる。理性の欠片もありゃしないよ……」

 胸をなで下ろす人々を尻目に、戦闘狂どもの心はじつに穏やかなものであった。今の彼らは、闘争心を由来とする感情ではなく、もう少し健全な好奇心によってお互いを観察している―――。

 男と女の違いはあるが、彼らはお互いの姿の中に自分を見いだしているのだ。天才的と称するのが最も適切であると感じる武術の腕……それをわずかな闘争の時間で、しっかりとお互いが確認できていた。これは武に愛された者同士の、なんとも血なまぐさい共感現象であった。ラカンの唇がゆっくりと動く。

「……山賊よ、名前を聞いていいか?」

「天歌だ」

「なるほど、わかった。一生忘れん。ちなみに、私の名前は咲夜という。一生覚えてろ」

「ん?……咲夜?ラカンじゃねえのか?」

「男としての通り名がそれだ。つまらんサムライや貴族どもの世界に身を置くためには、女であるよりも男であったほうが都合が良かったのさ」

「そーかい。まあ、覚えておいてやるよ」

「……あの悪神は、シドー一派の式神だな。天歌よ、お前はあいつと因縁があるのか?」

「その言い方だとアンタもかよ、『咲夜』」

「……ああ。あれは邪魔者でな。お前の言うところの私の『歌』。それの完成を邪魔してくれているのだよ。死都に入られる前に始末をつけようと考えていたが、あちらの戦力を読み損なっていたかもしれん。意外と手間がかかりそうだ。そちらは?」

「あいつの弟子でここまでやる。あいつからすれば使い捨てに出来るレベルのヤツでこれだ。シドーは、かなり手強いんだろうな。それに、手下から愛されているらしいぞ」

 ラカンは朝風に長い黒髪を揺らされながら、ハハハ!と豪快に笑う。

「どうしたんだ?」

「いやいや、天歌よ。お前には運命を感じずにはおられんな。天歌、私と手を組め。シドーを殺すまででいい。私たちの決着は、しばらく持ち越しておこう」

「おう。それで構わんぞ」

「わかった。それではしばらく共闘だな」

『はあああああああッ!?本気じゃないですよね、ラカンさま!こいつら、ぼたんだぬきの一派なんですよお!?』

『それはこっちのセリフや!天歌、本気とちゃうやろな!このキツネの兄貴は、うちらタヌキを西の都から追い出したヤツなんやぞ!?』

 絡み合う2匹のアヤカシどもが、それぞれの頭領へ目線を向けていた。

「そのキツネとケンカしたけりゃ続けろよ。オレは咲夜と組んだだけで、そのキツネのことは知らねえよ。気が済むまで戦えばいいじゃねえか?」

「うむ。それはいい。感情は、当人同士でしか解決できないものだ。玉藻、文句があるならタヌキを仕留めてみせろ。アヤカシの対立に、人が関わるのは道理ではない」

 火に油を注ぐとはこのことだったのか。頭領どもは争いをいさめるどころか、むしろ戦えと主張したのだ。すっかり頭に血の上ったアヤカシどもは、しゃあしゃあ!威嚇し合い、すぐに威嚇ではすまなくなって、より壮絶なケンカを始めるのであった……。

「て、天歌殿ぉ……止めなくてよいのか?」

 蓮華姫が天歌にそろりと近寄り、そう質問する。彼女はお里のことが心配なのだ。

「あいつは死なねえよ。それに、勝つことも負けることもねえだろう」

「そうだぞ、少女。そなたの天歌と私がそうであるようにな。あれらも互角なのだ」

 ラカンはそう言いながら、筋肉サムライに命令する。

「『シロキジ』。朝飯にするぞ、すぐに準備しろ!腹が空いてはシドーを追えんぞ!……おい、天歌。サムライのメシは嫌いか?」

「肉が多いなら文句はねえな」

「そいつはいい。私も仏道趣味は好かん。肉を多めに用意させる。いっしょに食え!」

「おう。そうさせてもらうわ」

「……さ、さっきまで殺し合っていたのに?なんで?どうして、こんなに仲良いの?」

 蓮華姫にはまったく理解できない。だが、彼女はとりあえず主張しておきたいことがあった。彼女は天歌の腕に抱きついて、そのちいさな胸を彼に押しつける。蓮華姫はラカンをじっとにらみつつ、挨拶する。

「ラカン殿!私は、蓮華と申します。見ての通り、天歌殿の『妻』ですから!」

 ラカンはニヤリと口をゆがめる。蓮華姫はその仕草がなんだか天歌に似ていることへ気がついた。この二人は何なのだろう?似すぎている。姉弟か何かなのだろうか?

「わざわざ人の夫を取ろうとは思わんよ。それに、私には女の許嫁も何人かいるのだ」

「え?そ、それって?……レズっすか?」

「ハハハ!どうだろうな?細かいことは気にするな。それより、メシだ。食べるものを食べなければ、育つべきものも育たんぞ!」

 貧乳をバカにされた気になって、蓮華姫は腹を立てるが、彼女の夫は爆笑していた。

 爆笑していた天歌であったが、そのうちメノウのことを思い出し、彼女が倒れていた場所へと視線を向ける。彼女の死体は……なかった。腹を切ったのだ、そう長く生きていられるわけがない。理屈で考えれば、そう結論せざるをえないだろう。

 ……捨て置くか。わざわざあいつの死を確かめる必要もねえわな。

 いい意味でも悪い意味でも。

 なにかしらの『奇跡』が起これば、またあいつと戦える日が来るかもしれんしな。

 朝食を楽しむためにも、天歌は希望を大切にしまっておくことにしたのである。



 大牙は見知らぬサムライたちと、いろりを囲んで食事を取る日が訪れたことに驚いていた。しかも、あの大戦において、『敵』として戦っていたラカンの軍勢となんて……不思議な縁もあるものだ。

 僕たち僧侶は彼を……いや、『彼女』を『呪い殺す』ために、あんなに寺を建てつづけ、仏さまに生け贄をささげながら呪った間柄だというのに……。

 どうあれ、彼らと『天狗党』は頭領同士の方針により協定を結んだわけである。

 いつまでそうなのかは知らないが、当面は『仲間』ということだ。大牙はこの状況を柔軟に受け入れることに決めた。

 敵が増えるのは問題だが、仲間が増えることにはとりあえず問題はない。そもそも、かつてはショーグン側の僧兵として戦に加わりもしたが、今の自分たちはただの山賊に過ぎず、政治的な争いとは、まったく無関係な身である。気にする因縁など、過去のものだ。

「……シロキジさんでしたっけ?おいしい朝ご飯、ありがとうございます」

 大牙はその大きな体の料理上手にそう礼を述べた。シロキジは、いやあ、拙者の料理の腕などまだまだですよ、と照れくさそうにした。

「お口にあったようで、つくった拙者としては嬉しいですな。新しい仲間をもてなすことが出来て、何よりですぞ」

「……ええ。僕たちもありがたいです。この料理の味と……そして、サムライの助力も」

 シドーという男は、自分が思っていたよりも、ずいぶんと大物だったのか。なにせ、あの猛将ラカンが、自ら手勢を率いて討伐しに向かうぐらいだから。

 大牙は、あらためてこの幸運に感謝を抱く。もしも、自分たちだけで死都に突入していれば、生きて帰ることは出来なかったかもしれない。たとえ、このラカンらとの友好が限定的なものであれ―――今は、ありがたかった。



 シロキジのつくった朝食はなかなかに美味いものであった。

 ラカンが天歌の要望に応えさせたのだろうか?牛の肉に、鳥のもも肉に……肉料理が多く並んでいた。蓮華姫は天歌のそばについたまま、まるで不機嫌なときの猫みたく、目をじっと細めながら鶏のもも肉に噛みついた。口惜しいが、なかなかいい味付けだと判断するしかない肉汁と風味が口のなかに広がっていく。

 ―――たぶん、ラカンのヤツも、肉が好きなんでしょ?……天歌殿と同じように!

 理由は本人にも不明であるが、天歌とラカンのあいだに共通点を見つけるたびに、蓮華姫は少しずつ苛立ちを強めていたそうな。恋心を知らなかった少女だ。嫉妬を抱くこともまた初めてのことゆえに、自分の気持ちを理解することが出来ていないのであった。

 ……朝食の時間がしばらく続いた後に、わんわん泣き叫ぶ二人の幼女がこの場にやってくる。銀髪の幼女と金髪の幼女だ。それぞれが、天歌とラカンのもとに泣きついてくる。

「天歌ぁ、うち、あの女、大っ嫌いやああ!うちのこと、さんざん噛んだああ!」

「うるしゃい!ラカンしゃま、あの女こそ悪党でしゅ!私の尻尾を抜けそうになるぐらい引っ張りやがったんでしゅよお!」

 幼女たちはわんわん泣きながら、それでもお互いの悪口を止めることはなかった。タヌキもキツネも妖力を使い果たしてしまえば、なぜか幼児化してしまう特徴をもつ、おかしなアヤカシなのである―――。

「……そうかそうか。うんうん、よかったなあ」

「てきとーにあしらうにゃあ!天歌のあほたれえ!」

「お里よ。べつに泣いていてもわめいてもいいから、メシだけは食っとけよ?」

「めしぃ……?」

「おう、そうだぞ。腹がいっぱいになったら、全員で一気に死都へ乗り込むんだ!……ようやく、シドーに会えそうだな。蓮華、お前の姉貴を助けてやろうぜ」

「……うむ。そうじゃな!そのためには、栄養じゃ、お里殿!」

 蓮華姫は幼女化したお里を抱き寄せて、自分の膝に彼女を抱え込むと、お里の小さな口に豚肉を詰め込んでいく。お里は、ふぎゃふぎゃ言いながらも、口に詰め込まれていく肉をどんどん飲み込んでいった。そうこうしている内に、お里の体はどんどん成長していく。

 手足が伸び、背が大きくなり……蓮華姫の薄い胸板にまつわるコンプレックスを逆撫でするかのように、お里本来の巨乳へと胸が急速にふくらんでいくのであった……。

「……おおう。タヌキとは、なんといういい加減な乳をしておるのか……ッ」

 蓮華姫はなんだか色々と腹が立って仕方がなかったそうだ……彼女は、ご機嫌ななめなのである。



 ―――そのころ。

 メノウはまだ生存していた。小刀でL字に腹を切り裂いたのだ、すでに失血死していて当然の時間が過ぎている。だが、彼女は霊符を包帯代わりにして、腹の傷を止血することに成功した。メノウはふらつきながらも、峠道を下っていく。

 その肉体の疲弊は大きいが、意識は己の手で傷つけた腹から発せられる痛みのせいで、はっきりと覚醒を保てている。彼女はその明晰な頭脳を用いて、己が実現している行動の原因を考えたいた。なぜ、これほどの重傷でありながら生きて歩いていられるのか?

 答えは明白なこと、つまりはシカノカミの『後遺症』だ。

 あの霊刀に何度も体内を浸食されたおかげで、彼女の血肉は半ば魔道のそれと化していたのだ。とっくの昔に、彼女はヒトではなくなっていたというわけだ。ヒトと呼ばれる存在の範疇を、彼女自身も気がつかないうちに超えていたのである。

「……シドーさまは……『暗黒の太陽』に夢中になり過ぎていて、私の変化に気がつけなかったのかしらね……」

 ……それとも。気づいていた上で、私を捨て置いたのかしら?……シカノカミを復活させられたから、もう私にそれほど興味がなかったのね。

「……それなら、むしろ、好都合かもしれないわ」

 魔道に墜ちたメノウには、やらなくてはならないことが出来ていた。

「……分かるわ。分かるわよ、『シナズヒメ』……あなたの叫びが、今の私には聞こえるわ……『逢わせてあげる』。だから、私にチャンスをちょうだいな……」

 メノウの体が闇色に染まり、彼女は一匹の大きなカラスへと変貌を遂げる。カラスへと化けたメノウは空へと舞い上がった。彼女は空を自在に旋回してみせたあとで、地上を見つめる。地上には、闇色の影がもうひとつあった……。

『うふふ。ありがとう、『シナズヒメ』。こんな私に力を分けてくれて……さあ、いらっしゃい、『坊や』。そろそろお家に帰りましょう?』

 地上の影は……『こんがり童子』は、メノウの言葉にゆっくりとうなずいていた。


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