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千獄の天歌  作者: よしふみ
2/6

第1幕   蓮華姫婚姻譚/こんがり童子と龍の姫君

―――猛将ラカンによりショーグン家が滅ぼされてから一年後……。

東の地はますます混迷を深めていた。人里近くをうろつく魔物、死ねばゾンビとして蘇る人々。

死さえも安らぎをもたらさないこの混沌とした大地で、天歌たちは山賊として生きぬいていた。


政情不安な東の地を支配するため、ミカドは強力な陰陽師を代官として送り込んでいた。邪悪な野心と醜い心をもつ陰陽師、リョウゼン。


彼女はある野心のために、14才の少女を妻に招こうとしていた―――。

その不幸な少女の名前は『蓮華』。家族のために父親よりも年上の男に嫁ぐことを選んだ娘である。

ためいきを吐く彼女に、一体のアヤカシが近づいていた。

『こんがり童子』。

戦火に巻き込まれて死に、未来永劫の苦しみに囚われた、あわれな子供たちの霊魂だ。


呪いうずまく東の地にて、龍の血を引く姫君と、哀れな霊が出会うとき、血にまみれた慈悲無き戦いが始まるのでございます!


第一幕   蓮華姫婚姻譚/こんがり童子と龍の姫君



 ―――雨が降っていた。小粒だが、とても冷たい雨が。少女は牛車の窓から曇り空を見上げた。灰色の雲が世界を覆っている。忌々しい。ただでさえこんな小さな車のなかに押し込められてその窮屈さに気が狂いそうだというのに、こんな天気ではますます気が落ち込んでしまう。天候までも私のことを裏切るのか?……それとも、私の心を反映しての『涙雨』なのだろうか……?

 少女はとても美しい着物を身につけていた。西の都から取り寄せられたというなめらかな絹で織られたその異国風の着物。14の少女だ、着飾ることは何よりも楽しいことで、事情が違えばこの衣装だって喜んで身につけたことだろう。だが、この深刻な現実を前にすれば、少女は笑み一つ浮かべることも出来ない。

 彼女はお嫁に行く。

 この旅は西の都から東の地に派遣されてきた、新たな代官のもとへ嫁ぐためのものだ。

 ―――少女は唇を噛む。こんな屈辱、あんまりだ。

 『政略結婚』、そのよくある一言でこの婚姻を片付けることも出来るが、当事者からすればなんと生々しく残酷なことか。『蓮華』は父親よりも年上である50才の男に嫁がされるのだ。西の都の貴族で陰陽師の家系らしいが、その中年の風貌からは高貴さを感じることはない。だらしなく肥え太ったその体はまるで豚のようだ。

 その大きな顔と下品なほどに大きい口はガマガエルのようでもある……そして、なによりも少女に嫌悪を抱かせたのは、あの好色そうな目だ。

 自分の体をじっと見つめるあの視線……胸や足をまさに舐めるようにジロジロと見つめてくることが気持ち悪くて仕方がなかった。男を知らない少女にも、あの陰陽師が自分を品定めしていることが分かった。

 それは、とてもおぞましいことだと彼女は思う。だが、その先に待ち構えている具体的な悲劇までは想像が追いつかない。まあ、近いうち、あのガマガエルはその邪な欲望を満たすだろう。今夜には、あの男の屋敷に牛車はたどり着いてしまうのだから。

「……サイアクだ」

 冗談でなく死んだ方がマシだと少女は考えている。しかし、それを選べば一族に迷惑がかかるだろう。いや迷惑どころか、一族ごと滅ぼされるかもしれない。

 猛将ラカンがミカドを裏切り、西の勢力にも大きな混乱が生じた。

 キツネや貴族たちの少なくない数がラカンになびいたという。ミカドは野心に見合うほどの器を持ってはいなかったのだ。ショーグンを滅ぼして手に入れた王の座から、すでに転がり落ち始めている。

 だからこそ、ミカドは凶暴になった。暴力に頼れば統治は叶うものだ。ミカドはいつ自分に反乱を企てるか分からない東の地に対して、手駒である陰陽師どもを新たな代官として派遣して、その監視を強めている―――。

 代官たちは東の地の支配を強めるため、反抗的な勢力に対しては村ごと焼き払うなど容赦がない。この政略結婚は、凶暴な代官の手から蓮華の一族を守るための『保険』なのだ。もし、蓮華が自殺すれば、彼女の一族は代官に滅ぼされるかもしれない。

 だから、蓮華は己のプライドに従って死を選ぶことも出来ず、この牛車の中に閉じ込められている。あの豚ガエルへの供物として、豚ガエルが選んだ服を身につけて、それどころか、数日前から体を洗う石けんの種類さえ指示されている。あの男が好む香りをつけさせるためだ。

 豚ガエルのオモチャにされているのだ。邪悪な欲望を満たすためだけの奴隷にされようとしていることぐらい、少女にだって察する知恵はある。

 蓮華はくやしくてたまらない。それでも両親や姉のすまなさそうな顔を思い出すと、蓮華はこの過酷な運命に渋々と従うほかなかった。

「……姉さま」

 少女は姉が持たせてくれた小さな袋を開く。金平糖。カラフルな色合いの甘い星々がそこにはあった。幼い頃から好きな菓子で、もちろん今でも好きだった。少女の白くて細い指がそれを一つつかみ、ちいさな口に運ぶ。甘い。甘いモノは不思議な力をもっている。どんなに不幸な時でさえ、ちょっとだけ幸せな気持ちにさせてくれるのだから―――。

 ……雨が降りだしたおかげで、この悲惨な旅は小休止している。牛車をあやつる豚ガエルの部下たちは、ここから少し離れた木の下で休憩中だった。

「……このまま、旅が終わらなきゃいいのに……そしたら、豚ガエルに嫁がなくてすむ」

 不幸な蓮華はそうつぶやきながら、口のなかにある金平糖をカリッと噛んだ。甘くて幸せな感触を舌に覚えるが、それでも笑顔にはなれない。蓮華を護送する豚ガエルの部下たちは、蓮華を怯えさせるような言葉をずっと聞かせていたからだ。

 ―――リョウゼンさまはお嬢ちゃんみたいな幼い子が大好物なんだ。たっぷりと可愛がってもえるぞ。すぐに『跡継ぎ』を作れるさ。

 ……吐き気を催さざるをえない言葉だ。蓮華は服の上から自分の腹に触れた。あの豚ガエルの子供を自分が身ごもる?……身震いするほど恐ろしい話だ。そんなこと絶対にイヤだ、死んでもイヤだ……だが、そうなるしかなさそうだという現実も理解している。だからこそ、金平糖でさえも、自分の瞳からあふれる涙を止めることが出来なかった。

 ―――なかないで。

「……え?」

 少女はその『声』に気がついた。それは耳で聞いた音ではなく、心のなかに直接的に伝わってきた『声』だ。龍神の霊力を持つ者のみに届く、不思議な言葉だ。うつむいていた顔をあげ、少女は牛車の窓から外を見る。小雨の降る中、ひとりのアヤカシがそこにいた。

 額には青く燃えるちいさな炎。そして、全身は黒くて目も口も鼻もない。その子供のように小柄なアヤカシの名は、この東の地では有名だった。

「……『こんがり童子』じゃないか。どうした、こんな雨の中に……もしかして、体を冷ましに出てきたのか?」

 こんがり童子はコクリと頭を垂れた。少女は、そうか、と言った。

「私にとっては涙雨だが、お前にとってはその身を癒やしてくれる恵みなのか……良かったな。そして……ありがとう、慰めようとしてくれて」

 こんがり童子は腕を広げて雨をその身に受け止める。表情が無いから笑っているかまでは蓮華には分からない。でも、なんだか嬉しそうにピョンピョンと跳びはねている様子を見ると、少女は微笑むことが出来た。

「―――このバケモンがあああ!!」

 怒鳴り声と共にはなたれた蹴りがこんがり童子を吹っ飛ばす。こんがり童子が水たまりのなかに倒れ込む。豚ガエルの部下どもだ。連中がこんがり童子に気がついた。男たちは地面に倒れたこんがり童子の体を踏みつけ、蹴りつける。

「や、やめろ!な、なんてことをするんだ!その子は、こんがり童子!戦で焼け死んだ子供たちの霊だぞ!未来永劫、体を焼く痛みに苦しみ続けるしかないのに、私のことを哀れんでくれた!……とても優しくて、とてもかわいそうなヤツなんだ!」

 男たちは少女の叫びに一瞬だけこんがり童子を痛めつける足を止めるが、それも一瞬だけのこと。すぐにこんがり童子へのリンチを再開する。

「や、やめろ!このバカども!」

「は!東の地のガキどもなんざ、死んだ後も苦しめばいいんだ!」

「な、なんだと!?」

「テメーらがミカドに逆らって反乱を企むから戦になったんだよ!反逆者のガキどもなんざ、永遠に苦しんで当然だろうが!いいざまだ!ミカドもお喜びになるぜ!」

「……ゲスどもがッ!」

「嬢ちゃんよう。立場が違えば、きっと嬢ちゃんもこうするはずだぞ?」

「ふざけるな!」

「ショーグンがミカドを倒していたら?西の都はオレらのガキで出来たこんがり童子であふれていたに違いない。そしたら?……テメーらは、オレらのガキを嬲って楽しむんだ。想像するだけで虫酸が走るぜ……ッ!」

「ま、待て!」

 少女の制止を聞かず、男はこんがり童子を刀で突き刺した。こんがり童子が苦しそうにもがいた。だが、口がないから声は出ない。苦しんだところでそもそも死霊、死ぬことは出来ないのだ。男たちは楽しそうに笑い続ける。

「もう止めてくれ……その子を逃がしてやってくれ」

「バカ言え。戦に参加できなくて、つまんねえんだ。こんな遊びぐらいなくちゃ……」

「……戦?」

「……おっと、口がすべるところだったぜ。あんたにゃ関係ねえよ、お姫さま」

「……私を運ぶ任務がつまらないのなら、さっさと終わらせればいい。今すぐ出発しろ!後で豚ガエルに―――リョウゼンさまに言いつけるぞ?……お前たちがサボっていたとな。豚ガエルは貪欲だ!お前らに払う給料惜しさに、お前らを処刑するかもな?」

「……このガキ……クソ、野郎ども!出発するぞ。さっさとこの下らねえ仕事を終わらせるとしようや…………なあ、お姫さま。リョウゼンさまはド変態だ。テメーは、今夜からずっと家畜みてえにみじめな目に遭わされるんだよ、リョウゼンさまが飽きるまでな」

「……フン。どうとでもするがいい。とっくに人生などあきらめておるわ」

「いい心がけだぜ。マジでヒデー目に遭っちまえよ」

 捨て台詞……というわけでもないだろう。豚ガエルはきっと自分のことを酷い目に遭わせるに違いないのだから。牛車が再び動き始めた。少女にとっての地獄へと向かって車輪が回り始める。

 少女は窓からこんがり童子を見た。血まみれで苦しそうだが、死ぬことはないだろう。なにせ、もう死ねないのだから……蓮華は涙をこぼしながら、金平糖が入った袋を窓から投げた。

「……すまない。私のせいで苦しめてしまって……ごめん。そして……ありがとう、私のことを哀れんでくれて…………せめて、お前がいつか成仏できることを祈っててやるからな……ずっと、祈っててやるから…………ごめん……ごめんな、こんがり童子……っ」



 牛車は止まることなく進む。泣き疲れた蓮華は頭をぐったりと垂れたまま、戦について考える。なんで、ヒトはこんな残酷なことを出来るのだろう?

 ……敵と味方に分かれてしまうだけで、なんであそこまで残酷になれるのだろう?殺したり、呪ったり、村ごと焼いたり、子供を殺して遊んだり……世にこれほどの不幸を振りまいてまで、尊い身分のクズどもは、どうして己の野心を満たそうとするのだろう?

 ―――西の都を滅ぼせば、東の私たちは西の都のこんがり童子を痛めつけるのだろうか?……否定したいが、たぶん、さっきの奴らみたいに笑いながら童子を嬲る連中はたくさんいるのだろう。だって、どっちも同じ人間なのだから。昔も未来も、西も東も南も北も関係なく、いつだって、戦になればこんなものなのだろう。

「……『シナズヒメ』が世界を呪ったのも、分からなくはないな……この世界も人間も、みんなサイテーだ……私も、いつかきっと呪いに取りつかれる。世界のことも人間のことも、ゆるせなくなる気がしてるもん……」

 夕刻も深まり、小雨はいつのまにか止む……牛車はとうとう豚ガエルの町にたどり着いたようだ。新たな代官に怯えて、静まりかえる町のなかを嫁入り牛車は進んでいく。だが、とある川にかけられた小さな橋の手前で牛車は止まる。男の怒鳴り声が聞こえた。

「貴様、何者だああ!」

 蓮華は何事かと窓から外を見た。少女の目の前を何かが飛んでいく。あまり大きくはない物体……さきほと蓮華を脅すような言葉を吐いた男の『頭部』だった。

「ひぃっ!」

 少女は思わず窓から飛び退いた。な、なにが起きた?なんで豚ガエルの本拠地で、ヤツの部下が殺される!?……蓮華の心には恐怖と共に、興味も湧いていた。自分が置かれている状況を確かめたいと少女は願った。彼女は窓に額を押しつけて外の様子をうかがう。

 ―――それはひとりの少年だった。彼は縄でひとくくりにした無数の太刀を左肩に担いだまま、右手にもつ刀をビュンと振る。少年に斬りかかろうとしていた男が腕を斬られ、その場にうずくまった。

 少年はつまらなさそうな表情を浮かべ、その男の顔面を蹴り上げた。バキリという太い木が折れるときのような音が響いて、男の首があらぬ方向へと曲がる。蹴り殺したのだ。

「……あーあ……雑魚ばっかりかよ。オレさま、ガッカリー……」

 少年は肩に背負っていた刀たちを放り捨てる。それだけではない、右手に握っていた刀までポイッと無造作に投げ捨てていた。『素手』になった少年は、弱者を挑発する。

「なあ、オッサンども。テメーら西からわざわざ出向いてきたバカ代官の護衛だろ?……ちょっとは、オレのことを楽しませてくれねーか?」

 その人殺しは少年だ。返り血を浴びた顔だが、まだ子供らしさを失っていない愛らしい顔だということが見て取れる。

 ただし、満月のようにかがやくその黄金色の瞳は、鋭くて、まるでケモノのようだ。その服装も実にワイルドである。壊れた鎧を改造したものか、肩や手足に部分的な甲を仕込んだ着物を身にまとう。サムライ……ではない、山賊だろうか?

「賊がああああ!」

 男が少年目掛けて走る。少年は大上段から振り下ろされてくる斬撃を避けなかった。避けるまでもなかったからだ。少年は振り下ろされてきた刀を両手で挟んで受け止めた。

「ば、バカなァ……わ、ワシの剣を白刃取りだとぉお!?」

「……天と地ほどの技量の差があれば、こんなことぐらい朝飯前だわなァ」

 少年がニヤリと笑った瞬間、兵士の股間を彼の前蹴りが直撃していた。悶絶しながら倒れる兵士から白刃取りで取った刀を手に奪うと、少年はそれを一振りしてまた一人斬り殺していた。少年の恐ろしいまでの実力を見て、兵士たちは怯えきる。

「う、嘘だろ。白刃取りなんて簡単にできるはずねえよお……ッ」

「な、なあ。あ、あいつ、もしかして『天狗』とかいうヤツじゃねえのか?……各地で暴れ回っている、さ、山賊の『天狗』だァ……っ」

「テングじゃねえよ。テ・ン・カ!……天歌さまだって、何度言ったら分かるんだ!」

 少年は残りの兵士たちに斬りかかっていく。彼はこの男どもでは戦いを楽しめないと判断したのだ。目新しい技も見れなかったし、陰陽師もいないようだ。ゴミはさっさと片付けちまおう。逃げ惑う兵士たちを次々に切り捨てた後で、少年は、ふう、とため息を吐く。

「……つまんねーな。まあ、金平糖以下の価値しかねえ命じゃ、こんなもんかね」

 天歌は牛車に近づくと、刀を一降りして怯えていた牛を仕留める。今夜はコイツの肉を楽しむつもりだ。焼いた牛はおいしいからなぁ……ああ、そういえば忘れるところだったな。天歌は牛車の戸をつかむと、力ずくでそれを引っぺがす。

「うひゃあ!」

 全力で戸を押さえつけていた蓮華は、思わず悲鳴をあげてしまった。あまりにも力の差に開きがあることがその瞬間に理解できた。それはそうだろう、大人の男たち7人を瞬く間に殺すような怪物だ。可愛らしい顔をしているが、その体躯が鍛え上げられていることは少女にも分かる。こ、このまま酷いことをされるのだろうか!?

「わ、私を、こ、殺しちゃう気か!?」

「はあ?殺さねえよ?」

「じゃ、じゃあ、え、えっちなことをする気だな!?」

「しねえよ。ガキだろ、お前?」

「が、ガキってなんだー!わ、私には蓮華という立派な名前があるんだ!それに……あんただって、まだ子供でしょ!?」

「こないだ16になりましたー。すっかり大人でーす」

「大人はそんなセリフ言わないもん!」

「ぬう。そうかもしれんが……まあ、別にいいや。お前……いや、蓮華だったな。いいか、蓮華、テメーは自由の身だ。そこから出してやるよ」

 少年の手が少女の腕をつかみ、牛車の中から引きずり出していた。少女は状況が飲み込めず、目をパチクリさせている。少年は手持ちぶさたなのか猫毛気味の黒髪を掻く。

「……なんで?私のこと……たすけて、くれるの?」

「ああ。そういうことになるな」

「どうして?」

「頼まれたんだよ」

「頼まれたって?……そんなの、一体、誰に?」

「テメー、こんがり童子に金平糖を恵んでやったみたいだな」

「え?」

「あれはオレの育った寺にいたガキどもでな。みじめな捨て子どもの死霊が集まったヤツなんだよ。魔道堕ちした大牙の偽お経じゃ成仏させられやしねえから……ヤツの願いを聞いてやることで、供養にしてやろうと考えていたのさ」

「あの子の『願い』?……そうか、私をここから助け出そうとしてくれたのか」

「そういうわけだ。お前はもう自由だ」

「……自由?……ふ、ふふ……あの子には感謝してもしきれぬが、私は自由にはなれん」

「どうしてだ?」

「……政略結婚というやつだからだ。私がここから逃げれば、家族や里のみんなに迷惑がかかってしまう……豚ガエルに―――リョウゼンのヤツに殺されてしまうかもしれない。そんなの、ダメだよ……」

「ふーん。それなら、リョウゼンってヤツもこの機会にぶっ殺しておくか」

「え?ちょ、ちょっと待て、そんなの、さすがにムチャクチャだろ?」

「……じゃあ、テメーは豚ガエルの嫁になるなんて笑えねえ未来を受け入れるのか?」

「そ、それは……」

「受け入れたくねえ運命とやらに従う義理なんざねえんだよ。オレはこないだの戦で悟ったぜ?……人間も世の中も下らねえもんだってな」

 ……私と同じようなことを考えてるな。蓮華はふとそう思った。少女の心に芽吹いた共感に気がつくこともなく、山賊は己の主張を展開する。

「ショーグンもミカドもラカンも、自分の欲のためにオレたちを巻き込んだ。自分が『王』になって好きなように世の中を支配したいってだけでな。んなもんに付き合わされて、大勢が殺し合いをさせられて、どいつもこいつも虫けらみてえに死んじまったのさ―――」

 少年は悲しそうな瞳で少女のことを見つめてくる。少女にはその理由が分からない。ただ、その黄金色の瞳は自分のことを見ているわけではないのかもしれいないと直感的に彼女は悟った。

 私の姿に『誰か』を重ねているのだろうか?……少女がそんなことを考えているうちに少年の瞳は強さを取り戻す。悲しみから、怒りという感情へと移ろっていた。

「―――そう。虫けらみてえだったぜ。焼け落ちた寺で見つけたガキどもは……まっ黒焦げに焼けちまったあいつらは、何かに怯えているみたいに手足を丸めて……虫けらみたいに転がっていやがった……ふざけんじゃねえよ」

「……お前は、その子たちを守りたかったんだな……そうか、あのこんがり童子は……」

「……あいつらは死んだ今でも苦しんでいやがる。未来永劫、身を焼かれる苦しみにつきまとわれるそうだ。下らねえ……それが、あいつらの運命だって言うのかよ?あんなものが運命だって言うのなら……オレは、もう、そんな下らねえものに囚われたりしねえ!」

 天歌は笑う。その笑顔は躍動的だ。まるで束縛から解き放たれた野獣が、原野に帰還したことの喜びを天に向かって吼えているような……少女は少年の笑顔の奥底に『獣』の姿を見つけていた。

「好きなように生きてやるんだ。オレは誰も支配しないし、誰からも支配されねえ!ムカつくヤツはぶっ殺して、欲しいものをこの手で奪う!そういう人間らしさを極めるんだ!」

「……あはは。恐ろしいヤツだな、お前は……そういう生き方を『人間らしい』と見定めるなんて。私には、ちょっと出来そうにない。お前の理屈は、私では理解できん」

「そうかもな。お前がオレを理解できないのと似たようなもんだろう。オレだって、お前が自分よりも大切にしようとしている『家族』ってものを理解できねえしな」

「……そうか、お前もこんがり童子たちと一緒で『捨て子』なのか」

「ああ、たぶんな。親兄弟なんて、見たことねえし」

 ―――この男は愛情を知らなさすぎるのかもしれない。少女はそんなことを考えて、すぐに首を振った。いや、そうじゃないよ。愛情を知らないわけじゃないはずだ。とんでもない行動じゃあるけど、こんがり童子の『願い』を聞いて私を助け出そうとしてくれているのは事実だから。愛情や哀れみを知らぬケモノならば、そんなことをしないだろう。

「……(お前は、ちょっと壊れちゃっているけど、極悪人でもないんだな)」

「なに笑ってやがる?……まあ、いい。待ってろ、リョウゼンをぶっ殺してくるわ」

「ちょ、ちょっと!……強いからって、いくらなんでも一人じゃムリだろ」

「いや、あと二人ほど腕の立つ仲間がいるんだが―――」

 天歌はリョウゼンの屋敷へと続く道へと視線をやった。蓮華も彼に習ってその方角を凝視してみる。薄闇の彼方から、荷車を引いた馬がこちらにやって来ているようだ。

「……あれが、『天狗』殿のお仲間か?」

「天狗じゃなくて、天歌だっつーの」

「そうか。で、彼らが天歌殿のお仲間たちか?……ずいぶんとニヤニヤしておられるが」

 ニヤニヤしている山賊どもが、少年と少女の前にたどりつく。

「―――やあ!天歌、今日もたくさん斬り捨てちゃって、健康的だねえ!」

「―――うはは。死体の山やなー!天ちゃーん、うちらのほうも大漁やったでえ!」

「……大漁?お前ら、リョウゼンをもうやっちまったのかよ?」

「いやいや。僕みたいな繊細な人間はそういう乱暴なことしないよぉ」

「そやでー?うちらは天ちゃんみたいに武闘派とちゃうもん。クールな怪盗やもーん」

「結局、どういうことだ?」

「それがさー、ほとんどリョウゼンの屋敷にヒトがいないんだよ。だから、天歌がお姫さまを救出してるうちに―――ああ、君がうちのこんがり童子に優しくしてくれたお姫さまだね?僕は大牙。最近、『赤鬼塚の大牙』って呼ばれている破戒僧さ」

「そ、そうか。よろしく、大牙殿……私は蓮華だ」

「蓮華ちゃんか。ええ名前やなあ。うちはお里っちゅうんや。これ秘密なんやけど、うちは西の大妖怪『ぼたんだぬき』の一人娘やねんで?まあ、よろしゅうな!」

「よ、よろしく、お里殿」

 ……酒臭い破戒僧に『賞金首』のアヤカシが仲間か。なんだろう、なんか妙に納得できちゃうな。蓮華はそんなことを考えながら、うんうんと二、三度うなずいていた。

「……で。テメーら、リョウゼンたちがいないってのはどういうことだ?」

「そのままの意味。ゼロじゃないけど、ほぼ皆無……だから、もー盗みたい放題でした!さすが領民を家畜扱いしている暴君だけあって、いい酒揃えていたよー♪」

 大牙は戦利品である酒瓶を掲げて天歌に自慢したあとで、手元に取り直すとその高級酒に愛おしそうにほおずりする。

「坊主の態度じゃねえな」

「いいんだよう、破戒僧だもん♪」

「まあまあ、天ちゃん。こんだけ盗賊稼業が上手く行くと、嬉しくもなってまうわー♪ほれほれ、見てみい?たくさん、たーくさんあるでえ、金目のモンがぁ♪」

 たしかに、大漁らしい。馬が引く荷台には他にも金銀財宝がたくさん積まれていた。天歌はそれを物色しながら文句をつける。

「なんだよ、武器がねえじゃないか?……連中、陰陽師の家系なんだろ?魔剣だとか、霊剣だとか宝剣だとか……そういう宝を盗ってこいよ」

「それがなー、どうもおかしいんや。天ちゃん喜ばせてやろうと思ってな、武器庫にも入ったんやけど、ほとんど空。値打ちがありそうなものはぜんぜん無かったな」

「……武器庫が、空?……おい、バカども。浮かれている場合じゃねえだろ」

「え?…………あ。そ、そうか。確かにそうだね。武器庫が空でリョウゼンもいないってことは、ヤツがまたどこかの村に兵隊と一緒に出かけたってことか」

 大牙がその言葉を吐いた瞬間、蓮華の背中に悪寒が走った。彼女の紅い瞳が地面に転がるあの男の生首をにらみつける。かつてその頭が胴体とくっついていたころ、男は確かにこう言った。『戦に参加できなくて、つまんねーんだ』。その後、『口をすべらせるところだった』とも言った―――。

 少女のなかで不幸なパズルが組み上げられていく。豚ガエルが狙う村はどこだろう?戦を仕掛けるのならば『人質』を使うのが卑劣な豚ガエルのやり方だ。では、『人質』とは?……考えるまでもない。

「……は、計られた!政略結婚じゃない。私を『人質』にして私の里を攻めるつもりだったんだ!最初から、私を利用して、私たちの里を滅ぼすつもりだったんだ!」

「……なるほど。外交する風に見せておきながら、本丸は奇襲攻撃っちゅうわけか。一族皆殺しか、蓮華ちゃんだけでも生き残るのか……どっちがええかって持ちかければ、徹底抗戦はやらずに投降しよるかもしれんな。少なくとも、そうすれば血筋は残る」

「私はあんなヤツの子供なんて産まない!ああ!……父さま、母さま、姉さま……っ」

「うーん……さて。とんでもないことになってきたね。天歌、これからどうするの?」

「……そうだな」

「た、たのむ!天歌殿!」

 少年の足に少女が抱きついてくる。少女は涙で濡れた瞳で少年のことを見つめてきた。見つめるどころか、睨みつけるような勢いだ。それだけ必死なのだろう。

「……蓮華、オレさまに何を頼むってんだよ?」

「……おねがいだ。私の里を守るために、リョウゼンと戦って欲しい」

「……戦うのは構わないが。テメーの里を守れるかどうかは正直わからねえぞ。ここに来るあいだ、オレらはヤツの軍とすれ違わなかった。そいつは、ヤツがここを出発して時間が経ち過ぎているってことだぜ。小さな里なら、攻め滅ぼすのに時間は要らねえ」

「わ、わかっている!それでも……それでも、戦って欲しい!」

「あのなあ、蓮華ちゃん。天ちゃんは戦闘狂やけど、さすがに軍隊一つと戦うにはうちらも付き合わなきゃムリや。うちらは見ての通りの少人数。『守る戦い』は……かーなり苦手なんやで?」

「それに、敵が君の家族を人質にしている可能性もあるよ。そうなったとき、君は僕たちにリョウゼンと戦えと言うことが出来るのかな?」

「そ、それは……っ」

「これって厳しい言い方やけど、うちらにはメリットがない。天ちゃんは戦うのが好きやからアレやけど。うちと大牙はそれほど戦闘狂ってわけでもないんや。命張るのに見合うほどの『見返り』が、無いやろ?」

「……う」

「冷たいことを言うようやけどな、たぶん……一番幸せな道は、逃げることやで?」

「―――に、にげる?……父さまや、母さまや、姉さまを見捨てて……逃げる……?」

 そんなことを認められるわけがない。少女は水色の髪を振り乱すほどに首を振った。

「いやだよ!そ、そんなこと、絶対にやだ!」

「それはそうかもしれんけどなぁ……せめて銭になれば、やる気も起きるんやけどー」

「お、お金……っ」

 金などあるわけがない。金になりそうな嫁入り道具は先んじて運ばれているし、私はほとんど身一つで運ばれて―――『身』、一つ……。

 少女の心が可能性を見つけた。それはあまり分があるとも思えない考えだ。だが、今はそれに賭けるほかない。父さま、母さま……このようなはしたない取り引きをする娘のことをお許し下さい……っ。

「……て、天歌殿っ」

「なんだ?」

 蓮華は天歌の黄金色の瞳を見つめる。媚びる―――とは、どうやればよいのか。プライドの高い少女は今までそんな行為をしたことがない。男を喜ばせるにはどういう態度を取ればいいのか考えるなんて、お嬢さま育ちの蓮華には無縁なことだ。

 手とか、握ればいいのかな?……少女の指が恐る恐るといったように少年の手に触れる。男に触ったこともなかった蓮華はたったそれだけのことでも顔を赤らめてしまう。恥ずかしいし、少し怖かった。だが、お願いしなければならない。

「て、天歌殿。お金なんて、私は持っていないんだ。私にあるのは……あ、あるのは、こ、この身体だけだ……だ、だから、わ、わたしを天歌殿に……あ、あげる!」

 少女の発言を聞いてお里と大牙が凍りつく。この子、なんてこと言い出した?

「ほう。どこかのお姫さまのテメーが、山賊ごときの『女』になるってか?」

「そ、そうだ!この蓮華が、天歌殿の、お、『女』になってやると言っておるのだっ!」

 なんてはしたない言葉を口走っているのだろう。蓮華は顔を赤くしたまま、それでも言葉をつづける。

「お、男の人は、私みたいな娘に劣情を抱くのだろう?私みたいな可憐で汚れのない乙女を、欲望のままにむさぼるのが楽しいんだろうが!知っているんだぞ、豚ガエルや天歌殿が斬り捨てたサムライたちが、私のことをいやらしい目で見ていたこと……私は、絶対に、どう考えても美少女だしな!」

 蓮華は迷うことなく断言した。龍の血を引く証である水色をした長い髪、雪のような白い肌。紅玉のような瞳が輝く顔は人形のように整っていて……すらりと伸びた手足と、わずかにはふくらんだ胸は男心をくすぐる魅力を宿してもいた。たしかに美少女である。

「そ、そんな美少女の私を、す、好きにしていいと言っておるのだ!ま、まだ子供と言われればそうなのだが、そのうち時が経てば私は間違いなく絶世の美女になる!私の姉さまがそうなのだから、私もそうなる!天歌殿、私の願いを聞いてくれれば、おぬしは地上で最もうつくしい女を娶ることが出来るんだ!」

「ハハハハハッ!……『地上一』とは自信家じゃねえか!」

「う、うるさい。たしかな美少女だろうが、私は……」

「たしかにそうだな。だが、地上一を謳うほとプライド高いヤツが男なんかに従うか?」

「おぬしはフツーの男じゃないだろ。力ずくで地上一の女のプライドをへし折ってみればいい。それに、私の従順さを疑うな!……私は家族のためなら、死ぬよりつらい豚ガエルの妻になることさえ受け入れるような女だぞ」

「……ああ。そうだったな。気に入ったぜ。テメーのことをオレさまの女にしてやる」

「う、うむ。い、今このときから蓮華は天歌殿の、お、お、おんな……です」

 初恋もしたことがない少女は、頭のなかが沸騰しそうな気持ちになっていた。自分がとんでもない約束をしたことだけは分かる。身体を売ったのだ。自分はこの天歌という少年の所有物になってしまった。

 これからは彼が望んだときに身を差し出すことになるのだろう。具体的にそれがどういうことなのかはサッパリだが、とてもいやらしいことをされるであることは明白だ。それを考えると恥ずかしさで死にそうになってしまう。だ、だが、今はそれどころじゃない。

「契約は成立したな!天歌殿、リョウゼンの軍勢と戦ってくれ!」

「ああ任せろ。約束は守るぜ。さーて、そういうことだ、大牙、お里。オレさまはリョウゼンの野郎を仕留めに行ってくるが、お前らはどうする?」

「……あはは。そりゃ一緒に行くよ?僕は、天歌の数少ない友達だからねえ」

「まあ、霊力の高い娘やしな。天ちゃんとのあいだに子供ぎょーさん作らせたら激強軍団誕生か……?よーし、未来に投資するつもりで、うちも行ったるでー!」

「ほんと、命知らずな連中ばかりで、オレさまは楽しいぜ?」

 天歌はにやりと笑うと指笛を吹く。ぴいいいい、と天高く響いたその音に導かれるように、街道のはるか彼方から一頭の巨大な馬が走ってくる。蓮華はギョッとしてしまう。霊力のある彼女にはそれが普通の馬ではないことがすぐに分かったからだ。青白い霊気をまとったその白い馬……古めかしい飾り鎧を身につけた軍馬が少女の前で立ち止まる。

『―――姫君よ、そう怖がらずともいい』

「う、馬がしゃべった?」

『私の名は『深谷王白夜』……ここよりはるか北の山奥に生を受けて三百有余年。百の戦場を駆け抜けることで霊威を獲た、黄泉の軍馬である。つまり、ただの馬だ』

「た、ただの馬とは思えないけれど……よろしく、深谷王」

「自分だけで深谷王に乗れるか?」

「ふふ。バカにするなよ天歌殿。こう見えてもおてんばだ!」

 少女は着物の裾をたくり白い足を出す。少女は小柄な体特有の身軽さで深谷王という巨馬の背にピョンと飛び乗った。蓮華はどうだと自慢げに笑う。深谷王は『お見事』という言葉で蓮華を歓迎した。

「よーし、馬には慣れているみたいだな。ほら、こいつを使え」

「え?弓……」

 天歌は馬上の姫に弓矢の一式を手渡した。

「テメーは弓を使えるんだろ?そいつは、小型で馬上でも使いやすい。使えるな?」

「え?う、うん……弓には自信あるよ?……でも、なんで分かるの?」

「意外かもしれんが性欲だけで生きているわけじゃねえんだぞ、男って生き物もな。テメーの身のこなしを見ていれば分かるんだよ、弓術で鍛えられた体ってことぐらいな」

「……な、なんか、すごいかも。ねえ、男の人ってそうなの?」

 近くにいた男として視線を向けられた大牙は、大きく首を横に振る。

「ちがうよ。天歌が特殊なだけだから」

 そりゃそうか。と納得している蓮華の目の前に天歌が乗ってくる。深谷王ほどの巨馬になれば天歌と小柄な蓮華が二人乗りしても問題はない……ただ、少女は照れた。自分の『男』となった少年の背中は、思っていたよりもずっと大きくてたくましいことを知る。

「―――テキトーにつかまっていろよ、蓮華」

「う、うん。テキトーにつかまっておくよ……そなたの背中に」

「家族のために覚えた弓なのか?」

「え?……うん。世の中、ムチャクチャだから。ちょっとでも守るための力が欲しくて」

「そうか。オレたちも戦うが、テメーもその弓で戦ってみせろ」

「もちろんだ!」

「いい返事だぜ、それでこそオレさまの女だよ。深谷王、戦火の臭いを嗅げるな?」

『ええ。もちろん。今宵はただ一つだけですが』

「じゃあ、そこに向かってくれればいい」

『了解です……では、いざ戦場へ!』

 ―――深谷王が走りはじめる。それは蓮華の知る馬とは明らかに異なる走りだ。風のようにとは、まさにこのことだろう。力強く地を蹴る蹄の音を響かせながら、青白い霊気をまとった軍馬は恐ろしいまでのスピードで戦場へと向かって走る。

 少女は少し怖くなり、少年の胴体に腕を回す。これから戦場に行く……家族のことが心配だ。深谷王はおそらく他のどの馬よりも速く地上を駆け抜けてくれるはずだが、間に合うのだろうか―――。



 ―――わずか数十分のうちに深谷王は蓮華の見覚えのある峠にたどり着く。帰郷を果たした彼女は、夜空にただよう雲が紅くかがやいているのを見て悲鳴をあげた。彼女の里が焼かれていた。雲はその戦火に照らされて、血のような赤い色に染まっていたのである。

「ああ、そ、そんな……っ」

「まだあきらめんな!……っ!誰か来るぞ」

「え?あ……あれは、おトヨさんだ!ひどい、ケガしてる!!」

 峠を一人の老婆がよろよろと駆け下りてくる。その肩には矢が刺さっているようだ。蓮華は深谷王からあわてて飛び降りて、彼女の元へと向かう。

『ぬ。馬の足音!騎馬武者が来ます!』

 深谷王の言うとおり、峠を越えて騎馬武者が姿を現す。その数は二。殺戮に酔いしれる彼らは、ただただ殺すことに取りつかれているようだ。捨て置けば死に至りそうな深手の者にさえ、槍を打ち下ろそうとしている。怯えた老婆が道に倒れ、騎馬武者は笑う。

「うわあああああああああああああッ!!」

 蓮華が叫びながら弓を引いていた。彼女の白い指が矢を離す。矢はしなりながら風を切り裂き、鎧武者の頭をズガリという音とともに射抜いた。

 相棒が殺されたことに驚いたもう一人の鎧武者は、新たな敵に対して身構えようとする。だが、すでに手遅れだ。深谷王と天歌はすでに鎧武者のすぐそばへと近づいていた。天歌が大太刀を振るう。鎧武者は腕と銅を切り裂かれながら馬上から落下していく。

『お見事です。天歌殿はもとより、蓮華姫さまもかなりの腕ですな』

「なんだ、蓮華姫って?」

『私は武人と姫君しか背に乗せないのですよ』

「あいかわらず、よく分からんヤツだ。だが、オレさまの『女』はいい腕してやがる。アヤカシと同じで、夜の闇の中でも目が利きやがるぜ」

『……あの姫は、龍神の末裔でしょうからな』

「……こ、殺しちゃった……ッ」

 初めての殺人を経験した少女は、確かめるようにそうつぶやいた。殺人の凶器となった弓を持つ手が震えてしまう。ヒトを射る覚悟……それを想定せずに鍛錬を重ねてきたわけではない。それでも、命を奪うことを想像しての訓練のと、実際にそれを達成してしまったことは等価ではない。

 弓をにぎり、矢を引いたその小さく白い指たちは血に穢れてしまったのだ。主を失い困ったようにさまよう馬の背に、少女の殺した男はいまだに座したままである。騎馬武者の死体は頭に矢を突き立てられたまま、だらりと両腕を垂らし、天を仰いでいた……。

 少女の心臓がばくつき、呼吸が、ぜえぜえ、と荒くなっていく。今までの自分とは、違う存在になってしまった気がしてならない。ヒトゴロシだ。人の世のなかで、最も忌み嫌われる存在に彼女はなってしまった―――。

 ……だが、乱世は少女に苦しみ悩む時間をあたえてくれはしない。老婆が悲痛なうめき声をあげたことで、少女の動揺はかき消されていた。揺れていた少女の瞳が、自らの故郷をにらむ。炎に焼かれる大切な場所がある。

 ……そうだ、『こんなこと』で怯えている場合じゃない!自分は、里を救うために戻ってきたのだ!体の震えが止まり、揺れていた瞳には強い意志のかがやきが戻る。

「おトヨさーん!」

 少女は老婆に駆け寄った。老婆は初め誰が近寄ってきたのか分からず怯えた声をあげたが、自分をのぞき込んだのがあの蓮華であることに気がつくと、あああ、と感極まった声をあげた。老婆は少女のことを枯れ木に似た老いた腕で強く抱きしめてくる。

「れ、蓮華姫さま!蓮華姫さま!よ、よくぞ、よく……ご無事で」

「うん。おトヨさんも」

「ええ……ああ、とんでもないことになってしまいました」

「わかってる。リョウゼンだね」

「あ、あの鬼畜めは……ああ、許せねえですだ!里を焼き払い、皆を殺していたぶりおった……ッ!お、オラの孫たちまでも……ッ!の、呪いの『贄』にするだと……ッ!!」

 老婆は怒りに狂う。心優しいおトヨがこんな顔をするのか、と蓮華は衝撃を受けた。

「もう、いつ死んでもええと思っていました大年寄りのオラですが、今日だけは死ねないですだ!あの鬼畜どもを楽しませるために死ぬのだけは、絶対にイヤじゃあ……ッ!!」

「だいじょうぶ。おトヨさんは死なない。私がぜったいに死なせないよ。ちょっとガマンして、矢を抜くから」

「は、はい」

 少女は老婆の左肩から矢を抜いた。痛くして、ごめんね。少女はそうつぶやきながら、矢を抜いたことで出血が酷くなった方の傷口に、治癒の術を老婆に施していく。霊力が白きかがやきとなり、奇跡の力が老婆の傷をまたたく間にふさいでみせた。

 そのやりとりを見ながら天歌はよろこぶ。蓮華が見せたその能力は、自分にとっても価値がありそうだと確信したからだ。老婆は泣きじゃくりながらも、少女に伝えてきた。

「うう、オラだけがこうして助かってしまいました……さ、里の者たちもがんばったのです。それでも……もうしわけない、姫さま。お屋敷は、すでに敵の手に落ちてしまいました。お、お館さまも奥方さまも……おそらく」

「……そんなっ!じゃあ……姉さまは?」

「わ、わかりませぬ」

「……そう。なら、急いでみんなを助けに行かなくちゃ」

「ええ。そ、そうしてくだされ。オラはこれだけ手当していただければ、もう十分です」

 おトヨがよろつきながらも立ち上がったころ、おーい、という声をあげて大牙が馬に乗ってやって来た。天歌は、おそいぞ、と文句をつけるが大牙は口を尖らせて反論する。

「深谷王と一緒にしないでよ。この馬だって、僕の霊符で強化してようやく……」

「言い訳してんじゃねえよ。お里のヤツはもう来てるぜ」

 天歌が近くの林に身を潜める女を指差した。彼女は里であばれるリョウゼン軍をこっそりと弓で狙い撃ちしている。いまだ一人の敵も倒していない大牙は、ばつが悪そうだ。

「僕だってがんばったんだよ。でも、大妖怪の一人娘は術者としても優秀なの!」

「それならお前も人間代表としてもっと腕を磨け。負けんなっつーの」

「……ううっ。なんだか厳しいな」

「おい!男どもー!戦闘中なのはうちだけか?話し込んでないで、さっさとリョウゼンどものところに殴り込みかけんかい!まだ生きてる村人たちがおるんやで!」

「まだ生存者がいるだと?……そうか。そいつらをここに集めるように誘導できるな?」

「ああ。僕の『虫の知らせの術』をつかえばね」

「お里と大牙はここでそいつらを守れ。殴り込みはオレに任せろ!おい、蓮華!」

「うん!私が屋敷まで案内する!リョウゼンを倒し、皆を救うんだ!破戒僧殿、お里殿、おトヨさんのことを頼んだぞ!」

 少女が坂を駆け下りながらそう叫んで、深谷王の背へピョンと勢いよく飛び乗った。深谷王はいななきの声をあげ、意気揚々と戦場のまっただ中を目指して坂を駆け下りていく。

「…………れ、蓮華さまには、とても言えませんでしたが」

「え?」

 老婆が大牙を前にしてボロボロと大粒の涙を流していた。誰かに聞いて欲しい言葉があるのだろう。僧侶の姿をしている大牙は適任だと感じたのかもしれない。老婆の告白は続いた。大牙はうなずき、彼女の心の叫びに付き合うことにする。

「……琥珀さまは、と、とても口には出来ない目に遭わされて……すでに―――」

「……そうですか。大変でしたね、お婆さん」

「……うう。ど、どうして、こんな年寄りだけが生き残されたのか……ッ!」

「……きっと。見届けるためだと思います。この地に『天狗』はやって来た。リョウゼンは、夜明けを迎えることなど出来ぬでしょう。あいつ、あれでかなりお節介ですから」



 戦場の中心部は血と炎につつまれていた。あちこちに村人たちの無残な遺体が転がり、人々の住んでいた家々は炎に焼かれ、十数時間前まではそこにあった穏やかな暮らしは原形をとどめないほどに歪んで壊れてしまっていた。

 地獄のケモノやアヤカシ、山賊や軍隊などに踏みにじられる乱世においても『タツガミの里』は平和だった。それなのに、リョウゼンという男の暴挙のせいで、この有様だ。

 蓮華は歯を食いしばる。悲惨な光景は彼女の心を深く傷つけているが、戸惑うことも止まることも彼女は選ばない。彼女は戦うためにここに戻ったのだから。

 涙で瞳が熱かった。ほほを焦がす熱風よりも、瞳が熱い。深谷王の背に乗って、変わり果てた故郷のなかを走る少女の心は、悲しみと怒りで爆発してしまいそうだった。それでも、弓を引く。笑いながら殺戮と破壊を楽しむ兵士どもの姿を、彼女は許せない。

 それは酒に酔いしれた中年の男。口につけたひょうたんから酒をラッパ飲みしながら、彼は地に伏した獲物を弄んでいる。

 返り血を浴びたその男は、物言わぬ死体となった若い女の腹を、刀の尖端でぐりぐりとえぐり続けていた。彼女は妊娠していたので、男は胎児を取り出して見物するという遊びを思いついたらしい。その禿げた頭に蓮華の放った矢が刺さった。男は、即座に黄泉の世界の住人と化す。

 蓮華の紅い瞳が、地面に倒れる男の姿を冷たく見下ろしていた。

「……ゲスが。地獄で閻魔に引き裂かれてしまえ!」

「くく!やっぱり、いい腕してんぜ、蓮華よ……気に入った!」

「―――敵か?」

 兵士たちが襲撃に気がついた。彼らは焔の海を渡ってくる巨大な馬と山賊をにらんだ。山賊は笑っている。若いが、殺しを楽しむ男の貌だということがサムライたちには理解できる。彼らは刀を抜き、その脅威に備えた。

「来やがれ、山賊があ!」

「ああ!もちろん行ってやるぜ、クソ雑魚どもッ!!」

 馬が戦場を駆け抜ける!天歌の剣が兵士の首を刎ね飛ばし、深谷王の蹄がもう一人の兵士の胸を蹴って殺した。血潮が業火のなかに飛び散り、つぶれた兵士のうめきが数秒だけつづき、やがてそれも終わりを迎える。

 兵士たちが死んだことに安心したのだろう。燃える家屋のなかから、子供がよろよろとしたふらつく足取りで外へ出てきた。

 やけどを負った子供の名前は小太郎といった。今にも死にそうな子供を目にすると、少女は戦いよりも救助を願った。止まってくれ、天歌殿。その願いを山賊は聞き届けてやった。馬から飛び降りた蓮華姫は、ふらふらと歩く小太郎に駆け寄り、その華奢な腕で抱きしめてやる。小太郎はくしゃくしゃになった顔で、おねえちゃん、とつぶやく。

「ああ、小太郎、小太郎!そうだ、蓮華が帰ったぞ!よく、生きていてくれたな!」

「蓮華お姉ちゃぁあん……みんな、みんな、死んじゃったよおォオ!」

「……うん。でも……仇は討つよ。天歌殿、屋敷はもうすぐそこだ」

「じゃあ、馬はもういらねえな」

『え?な、なんですと?』

「深谷王よ、この子をお願いしてもいいか?背に乗せて、丘の上まで運んでおくれ」

『私、武人と姫君しか乗せない主義なのですが…………わかりましたよ。そんな美しい瞳で見つめられたら、雄として断れません。少年、約束しなさい。いつか私を満足させる武人になるということを』

「馬がしゃべってる?なんか、怖い……」

「馬だって器用なヤツはしゃべるもんだぜ?」

「そうなの?……お兄ちゃんは、誰?」

「天歌だ。死にたくねえならこの馬に乗れ。テメーが生き残れたら、ムカつくヤツを幾らでもぶっ殺せる技をそのうち教えてやる。いいな、深谷王。こいつは未来の剣豪だ」

『……ええ。貴方がそうおっしゃられるなら』

 小太郎は蓮華と天歌に手伝われて深谷王の背に乗せられる。どこか不満げな顔をしたままだが、深谷王はゆっくり歩き始めた。ゆっくりと歩くのは、負傷している小太郎を気遣っているのかもしれないし、里のなかにいる兵士があらかたいなくなったという状況を考えて余裕ぶっているだけなのかもしれないな、と天歌は考えた。

 ―――そう、多くの兵士が戦場から離れはじめている。自分たちが来たのとは反対方向にある丘の上を天歌はにらみつけた。

 そこには撤退し終えた兵士たちが集まっている。燃える里を見下ろしながら……いや、オレのことを見ていやがるな。天歌はその連中に興味を惹かれる。強い連中だ。少なくとも、今この村にいるリョウゼンの配下とは段違いに。

 戦場の狂騒に呑まれることなく、まるで訓練された猟犬みたいに命令を待って静かに待機していやがる。このサムライたちともし戦えば、それなりに自分を楽しませてくれるだろうと天歌は見積もった。それに……。

 のっぺりとした白いサンショウウオにも似た異形の怪物……陰陽師のつくる『鬼兵士』が4体はその戦列に並んでいるではないか。あれは手練れのサムライでも一対一では苦戦するほどの戦闘力を有していることを、天歌は経験で理解している。

 強い連中だ。しかし……。

 なぜだ?こちらの存在を察知していながら、あの連中が戦場を放棄する意味がよく分からない。戦っても勝てないと考えているからだろうか?

 ……状況不利と考えて撤退するのなら、頭のリョウゼンを逃がそうとするはずだが、集団のなかに豚ガエル/リョウゼンらしき人物はどこにもいない。

 そのかわり、騎馬集団の中心に隻眼の男がいた。痩せてはいるが背の高い男。残った一つの目はやけに鋭く、その左目が天歌をじっとにらんでいる。

 コイツが連中の『親玉』に違いねえな。直感で天歌は悟った。隻眼の男が片腕をあげる。すると、騎馬武者たちはきびすを返してこの地に背を向けた。どうやら、彼らはリョウゼンのためにこれ以上戦うつもりはないらしい。

「……この軍勢、『頭』が二人いたというわけか」

「天歌殿?どうかしたのか?」

「……いや。今はリョウゼンの外道をぶっ殺す時間だったな。いくぞ、蓮華」

「うん!」

 天歌と蓮華は戦場を駆ける。しばらく行くと、田舎の里には不釣り合いなほどに大きな屋敷があった。里を見下ろしたときに目をつけていたが、やはりここか。天歌は門の前にいる二人の兵士に向けて加速する。

 その襲撃はあまりにも速く、蓮華は天歌がいつ抜刀したのかも分からない。少女の瞳が見届けたのは、ただ銀色の閃きが兵士たちのあいだを走り抜ける動きだけ。天歌が刀を鞘に収めるのを待っていたかのように、兵士たちの体がどさりと地面に倒れていく。

 奇襲された兵士たちは、自分たちが斬られたことも知らぬままに死んでいた。死んだ彼らは未知の敵に備えて、集中を欠かさぬ真剣な表情を崩してはいないままだ。

 兵士たちは敵の接近に気づく間もなく、斬られて即死したのだ。『ほとんど正面からの奇襲を許す』という、ありえないほどの失態を演じながら……いや、むしろ、それを為し得た天歌のほうこそが『デタラメな強さ』なのだと蓮華は解釈する。警戒しようがしまいが、天歌の剣は防げないのだ。

「……ていうか、見ることさえも叶わないのか」

 まるで『風』だな。蓮華はそんなことを考える。それを浴びれば涼しさを感じるのではなく、問答無用で死を与えられるという恐ろしすぎる風だが……。

「……当たりみてえだな」

 天歌は敵の気配を感じ取っていた。いや、そんな些細なものではない。それは『宴』の音だ。酒のにおいと、太鼓をトントン叩く音が響いてくる。まったく、身分の高いヤツってのは理解不能だ。雑兵が命がけで戦っている最中でさえ、遊んでやがるのかよ?

 ―――そもそも。戦場で歌っていいのは、こんなくだらない音楽だとでも……?

 天歌の口が笑う。

 だが、あの黄金色の瞳は一切笑ってはいなかった。

 少女が初めて少年を心の底から『怖い』と感じた瞬間だった。

 蓮華は悟る。あまりにデタラメな強さの前に、天歌が『大量殺人』を実行しているという恐ろしい事実を、彼女はどこか現実として捉え切れていなかったのだ。

 なにせ、それらは現実離れした光景であったし、この少年があまりにも簡単に人の命を殺めているので、『殺人者』という重大な事実を認識しきれなかったのだろう。

 だが、この瞬間、現実離れした光景が、少年の見せた感情によって色づけされたのだ。

 そう。今までとは違う。あの少年は『怒っている』のだ。

 あの笑みは友愛を象徴するものではけっしてない。怒れるオオカミどもがそうするように、上唇を剥き、するどい牙を露わにして、攻撃を宣告しているに違いない。リョウゼンのしでかした『何か』に対して、彼は敵意をむき出しにしているのだ。たぶん、『私たちのための怒り』だと少女は思った。

 ……いや、たんにそう期待したかっただけかもしれない。

 少女がこの少年の形をした邪悪の心を推し量ることは難しいだろう。彼は恐るべき殺戮者だ。人を斬り殺すことに、何のストレスも抱かない危険な山賊だ……そんな人物の心の内など、無垢な少女の心で想像できるわけがない。

 だから、確かめるように少女はその言葉を口にする。

 その怒りの矛先が、届くべき者に向かうように導くため。

「……お願いだ。リョウゼンを討ってくれ、天歌殿」

「……おう。まかせとけ」



 ―――腹立たしいその宴の音を頼りにして天歌は進む。屋敷のなかにも武装した兵士が何人もいたが、天歌は悲鳴をあげさせる暇も与えないスピードで兵士たちに死を与えていく。機械的な殺人だ。見つけ次第、音もなく接近し、首元に刀をそえて喉を切り裂き……殺すだけ。返り血を童顔に浴びながら、天歌は宴の会場を目指して進んだ。

 場所を気取るのは簡単なこと、太鼓の音をたどれば、そこは大広間だ。

「なにやつ―――ッ?」

 広間を守っていた男の腹を、天歌の刀が貫いた。男はあまりの痛みに言葉を失い、天歌はその男の胴に蹴りを入れながら刀を引き抜く。

 血とはらわたをまき散らしながら、男は鶴の描かれたふすまにもたれかかる。当然、ふすまに大の男を支える力などあるわけがない。男はふすまごと宴席の場へと倒れ込んでしまった。太鼓を叩いていた小男がその手を止め、サムライどもが酒の杯を口元から離し、裸にされた女たちは唐突に現れた死にかけの男に怯えて、悲鳴をあげる―――。

「な、なんだ、これはいったい……!?」

 両脇に裸の女をはべらせた太った男―――リョウゼンは何が起きたのかまだ理解してはいない。彼は目の前に転がってきた部下のことをじっと見ていた。その部下は飛び出たはらわたを押さえ、死にたくねえ、死にたくねえ、とつぶやきながら意識を失っていく。

 人が死に行く様を見物することを、このリョウゼンという邪悪な男、もちろん嫌いではない。だが、都からわざわざ連れてきた手練れの護衛が、なぜ、無様に死んでいくのか?それについて酒の回った頭ではすぐに理解することが出来ないようだ。

「―――テメーがリョウゼンだな?」

 天歌が宴席の場へと乗り込む。蓮華姫も彼につづいた。リョウゼンは自らの新しい幼妻を発見すると、その太りすぎた腹を揺らして笑った。

「おお!我が花嫁の蓮華姫ではないかぁ!あいかわらず、可憐なことよのう!」

「誰が貴様の花嫁か!……我が一族を裏切り、里を焼き滅ぼした……この恨み、晴らさぬままでは死ぬに死ねんぞ!」

「ふはは!ああ、『そんなこと』で怒っておるのか?」

「そんなこと、だと……ッ」

「たかが田舎豪族など、都の貴族からすれば何の価値もない屑よ。まったくの交渉ごともなきまま、ただちに滅ぼされることがあっても、その血筋を貴族に交わらせる光栄を賜ることなど、本来はあり得ぬこと……蓮華姫よ。よろこべい!」

「な、なんだと!?」

「そうだ、我が新しき妻よ、心よりよろこべ!そなたの家の血は、ワシと交わることで未来永劫、『尊き身分』となり得るのじゃぞ!そなたの腹で、ワシの子を育むことでなァ!」

 邪悪な陰陽師は舐めるような視線で、蓮華姫の華奢な肉体を見つめてくる。彼は楽しくて仕方がないのだ、この可憐な若い肢体を舐め尽くし、姫の腹のなかに自分の種を仕込む瞬間が近づいているのだから。そのニヤニヤとした顔を見て、蓮華姫は激昂する。

「誰が貴様の子など産むものかッ!!」

「ほうほう。それではワシに戦いでも挑むつもりか?……その野猿。少しは腕が立ちそうだが、ここにいるサムライだけでも六人だぞ。ワシ自身も、かなりの術者で―――」

 血に飢え、怒りに衝動する獣が、高貴な者とやらの言葉などに耳を傾けるわけもなかった。天歌はなんの構えもないままに、ただ歩いた。リョウゼンの傍らに寄っていた手練れのサムライたちが主の前に躍り出る。

 鍛錬されたこの者たちには分かったのだ。目の前にいる少年が、尋常ならざる者であることが……戦いと武術鍛錬により研ぎ澄まされた彼らの本能が告げる。逃げたほうがよい。コレは、次元の違う相手ではないか?

 もはや、冷や汗どころではない。脂汗が全身からにじんでくる。日に焼けた肌に、闇のように黒くて青い髪、満月のような黄金色にかがやくその瞳。今夜だけで、アレは何人殺しただろう?右手に握る太刀は、ヒトの血と脂で汚れ、赤と銀色に煌めいていた。

 どれほどに返り血を浴びてきたら、それほどまで着物が黒く染まるのか?髪やほほについた血は、けっしてこの少年のものではない。そうだとすれば、少年自身が出血多量で死んでいる。その血化粧の由来が、この少年の被害者なのは明白なことであった……。

 死臭と殺意を帯びた山賊を前にして、彼らが逃げなかったのはサムライとしての矜持ゆえのこと。忠義。それを尊び、その美学に殉ずることをサムライたちは良しとしたのか。

「リョウゼンさま!……ここは、お逃げ下さい!」

「どうか、こやつを常世の者とは思いませぬよう!」

「―――いいから、さっさと、かかって来やがれよッ!!」

 良質な戦士を前に、獣はガマンならぬといった貌でそう命じた。そうだ、それはもはや命令に等しい。天歌は獲物に命じたのだ。お前たち、腕が立つのは分かっている。だから、さっさとオレさまと戦って楽しませろ、と。

 この命令に反すれば?

 ……一方的に殺されるだけではないか!その現実を悟ったサムライ二人は、呼吸と足運びを合わせて、天歌目掛けて左右から同時に襲いかかった!

「参るぞ!クソ餓鬼ッ!」

「天狗に授けられたと伝わる、我らが斑尾流の奥義、とくと味わえいッッ<」

 サムライたちは『つがい』のようだ。天歌はそんな感想を抱く。よく似た左の構えと右の構え。それらを同時に繰り出すことで、お互いの『穴』を補うように動いているらしい。そんな印象を抱きながら、天歌はその身を躍らせる。

 ―――二刀流!

 蓮華姫は瞬きすることなく、その舞踏を見続けていた。すぐれた霊力と、そして弓術鍛錬のたまものなのか、このとき才ある少女には『天狗』の動きを目で追うことが可能だった。門番らを屠ったときほどの神がかった高速ではなかったことも要因であろう。

 そう、その動きは『舞い』に等しい優雅な所作だ。踊りのようによどみなく、山賊は抜刀したのだ。彼は身をひねりながら腰裏の小刀を逆手で抜き、左から来た男の刃をそれで受け止めつつ、さらには反対の手に握った太刀で右からの刀による強打をも防いでみせた。

 サムライたちは驚く。

 熟練した武人である彼らには分かったのだ。少年の筋力がとてつもなく強いことも、そして、岩のように硬いその守りが、一拍の間も置かないままに脱力し、風のようなやわらかさへと変質したことも。

 ……二人同時に『受け流される』か。

 ……見事だな。これでは、どちらが天狗の剣なのか……。

 サムライたちは天歌に踊らされる。重心が揺さぶられ、そのまま体勢も崩される。彼らの瞳が捉えたのは、自分たちのあいだで躍る、恐るべき剣士。剛力と風の軽さを宿す獣。

 銀の閃きが、サムライたちに降りかかる。肉も骨も臓腑さえも。それらが見事に切り裂かれていくことを彼らは知覚していた。天歌の放った左右の二刀は、それぞれに獲物の胴と首の付け根に打ち込まれていた。

 肉が裂かれ、腱が弾け、動脈が潰れて、命が壊れる。

 サムライたちは斬り殺されるということを自覚しながら、死ぬことでしか味わえぬ境地を体験していることに喜びを抱く。斬るとは、斬られるとはこういうことであったのか!

 戦いに命を捧げてきたこの男たちは、ある種の自己満足に浸りながら、永遠の闇のなかへとその意識を沈めていった。

 ……歪んではいるが、けっして不幸なことではないのかもしれない。なぜかというと、死に行く彼らの表情は驚きにあふれているからだ。何か彼らの価値観にそぐった確信のもてる感動に触れながら、そのサムライたちは死んでいた。

 血しぶきの赤い軌跡が部屋中に飛び散り、この場にいるすべての者が、戦慄する。

 達人とも称されたサムライが二人、たったの一瞬だ。たった、一瞬で―――。

「……なかなか楽しかったぜ?この一瞬、千や二千の小判なんか、比じゃねえなァ!」

 左右の刀をヒュンと振って鳴らし、その刃についた血と脂を適当に処理しながら、天歌は再び歩いた。リョウゼンに向かってである。リョウゼンが怯えた声で、コイツヲコロセエ!と叫び、彼の部下たちはパニックに陥りながらも天歌に向かって突撃した。

 ―――残念なことだ、と天歌は思う。

 このサムライども、腰が引けてやがるじゃねえか?……恐怖に駆られた勢い任せの剣では、本気で斬る気にもならんというのによ!……天歌は一人目に小太刀を投げつける。喉にその刃が刺さり、サムライは目を白黒させながら絶命していく。

 二人目の斬撃をかわしながら、足をかけて床に転がしてやった。三人目の攻撃はかいくぐりながら胴を斬り捨てて斃し、四人目とは二度、三度と刀をぶつけ合わせていく内に、威力で相手のバランスを崩させて、続けざまに放った切り上げで首を掻き切ってやる。

「危ない!天歌殿!」

「―――知ってるよ」

 天歌が蓮華の叫びにそう応えながら宙に舞う。床に転ばせた男が、天歌を背後から斬りつけようとひっそりと近づいていた。

 だが、床板の軋みでその動きを悟っていた天歌は、宙に舞うことでその斬撃を躱してみせたのだ。そして、それだけでもない。宙にいながら身をひねらせて、攻撃まで放つのだ。血塗られた刀はそのサムライの肩を深々と切り裂いてしまう。

「ぬおおッ!……宙にありながら、刀を振るうだとお?ば、バケモノめぇ……ッ」

 深手を負わされた男はゆっくりと後退する。天歌はそれを殺すことも出来たが、あえて追うことはなかった。その必要もないからだ。

 シュバンッ!

 蓮華姫の放った矢が、見事にその男の胸を貫いていた。蓮華姫は、凜然とした顔で吐き捨てる。

「背中から斬りかかるなど、武士のすることか!」

「ククク!いいねえ、さすがはオレさまの女ってカンジだよ」

 天歌は蓮華姫の言葉と行いをいたく気に入る。戦いを重んじる彼にとって、少女の見せた戦いへの気迫は、評価すべき態度にちがいなかった。

 リョウゼンは……すっかりと酒の酔いが冷めてしまっていた。彼のかたわらに控える全裸の女たちは、恐怖で青ざめてしまっている。

 この太った陰陽師は、ふう、とため息を吐くと、ねっとりとした、しかし邪悪さを秘めるすわった目つきで少年と少女をにらみ上げた。

「……まったく。戦の勝利を祝う宴を、台無しにしてくれおったのう。そやつらは、長きにわたってワシに尽くしてくれた忠僕なるぞよ?……それなのに、殺してしまいおって」

「案ずることはないぞ、リョウゼン。貴様もすぐに黄泉比良坂で家臣どもに出会えよう」

「ふぉふぉふぉ!……姫よ。そなたもまだ若いのう。先ほど、その野猿のためにうつくしい指使いで矢を放っておったが、あの矢で射るべきはワシじゃった」

 そう言いながら、リョウゼンは自分のそばにいた女を懐から取り出した短刀で貫いた。そして、逃げようとしたもう一人の女の足を捕まえ床に引き倒すと、彼女のことも狂ったように短刀で突きまくり、殺してしまった。

 はあはあ、と息を荒くし、女たちの返り血に身を汚す狂気のデブ陰陽師を見ていると、さすがの蓮華姫も薄気味悪くてしかたなかった。

「き、貴様、なにを、しているんだ……ッ」

「のう、姫よ。そなたは陰陽師を舐めておる。ワシら陰陽師はサムライほどに刀を上手くは使えん。その野猿とまともな戦いをすれば、またたく間にミンチ肉にされるだろうとも。だがのう、陰陽師ってのはぁ……この世で最高の呪術者なのよ!!」

 リョウゼンが笑いながら何かの呪文をつぶやく。太い指で印を組み、彼は邪悪な呪術を展開していく。二つの女の死体から流れ出た血が、ゆっくりと床を這う。まるで命あるヘビのように。赤い蛇たちが目指したのは、サムライたちの死体である。女の血が触れた瞬間、死体がビクビクとうごめき始める。天歌はニヤリと笑う。

「ほーう。死体を使うのか、クソ外道の陰陽師らしいじゃねえか」

「ククク。よいか、クソ餓鬼。陰陽術の真髄、とくと味わってもらうぞ」

「へえ。そいつは、実に楽しみなことだ」

 うごめく死体が破裂し、肉の塊たちが宙に舞う。6人のサムライで出来た肉の塊が、天井に張り付き、それらはお互いを求め合うよう、螺旋を描くようにしてねじりながら絡まり、一つの巨大な肉塊へと姿を変えた。血と肉と臓物でつくられた、気色の悪い人型怪物。

「な、なんと不気味な!死人で人形をつくりおったのか!」

「その通りよ!名付けて『式神・累々丸の術』!……鬼にも勝る、豪腕の式神よ!」

「クク!この霊威、敵と認めるのに不足はねえ!さあ、かかって来やがれッ!」

「言われずとも、そうしてやるとも!さあ、その無礼な野猿を殺せい!累々丸よ!」

『ぎゃしゅうううああああああああああああッ<」

 累々丸が不気味な声で叫び、天歌目掛けて飛びかかる。視界をおおいつくさんばかりの巨体だ。つかまれば、ロクなことにはならねえだろうな。天歌はその攻撃を横っ跳びで躱しながら、太刀を振るってみた。刃は通る。とてつもなく固い肉をしているが、それなりに切り裂けるじゃねえか!……問題は、斬ったところで血も出やしないところか。

「ハハ!殺せぬぞお!累々丸はな、少々斬ったぐらいでは殺せぬぞお!ふひゃははは!」

 累々丸が握りしめた拳の先から、骨でつくられたのであろう白い爪を伸ばし、その豪腕をまた振るう。天歌はその爪を刀で受けてみる。ああ、とんでもなく重たい打撃だな!天歌の体が浮き、やや後方に押し込まれてしまう。蓮華姫が悲鳴じみた声をあげた。

「て、天歌殿ぉッ!?」

「下がってろ、貧乳姫!いらんケガすっぞ!」

「だ、だれが貧乳か!」

 そう言いつつも少女はどこか安心する。天歌の顔が嬉しそうに笑っているからだ。どうやら、心配しなくてもいいんじゃないか……?彼女はそんな考えに至る。

「……いいねぇ。いいじゃねえかよ、累々丸とやら。そんぐらいのバケモンじゃねえと、オレさまも、やる気でねえっつーもんだよなァ!」

 少年は床を蹴り、その赤い肉の巨人目掛けてダッシュする。リョウゼンは嘲り笑う。

「阿呆め!正面から式神に挑む愚かが他にあるか!死ぬがいい!」

『ぎゅるるらあああああああああああああああッ!!」

 累々丸がその巨大な爪の生えた、丸太のように太い豪腕を思い切り振り下ろしてくる。天歌は、避けない。太刀に身を隠すようにして、その強烈無比な打撃を受け止める!

「て、天歌殿おおおおおおおッッ!?」

 少年の無双ぶりを知っている蓮華姫の目から見ても、それはあまりにも無謀な行為としか思えなかった。巨人の打撃を受け止めた天歌の体が、ぐいっと床に押し込まれる。天歌の膝が曲がり、背中は強く前傾する。爪は刀身に受けられてはいるが、その巨大な重量は天歌の肉体に容赦なく降りかかるのだ。

「フハハハハハッ!笑わせてくれるのう、野猿よ!よいのう、貴様の骨が軋む音!そのまま、潰れてしまうがいい!潰れた貴様の前で、ワシは姫をむさぼってやろうぞ!」

「ま、まだ言うか、この豚ガエルが!おい、天歌殿!私の夫であるのなら、その程度の肉塊ごときに負けるはずがないであろう!さっさと、仕留めんか!」

「……ったく。外野がキャンキャンうるせえよなあ、累々丸……っ」

 たしかに、ちょっと舐めていたかもしれん。天歌はその点については反省する。だが、このまま膝を屈し続けることなど、武に愛された獣の誇りが許さない。少年は、歯をがぎぎと噛みしめながら、己を潰そうとする巨重に抗っていく。少年の足と身体がゆっくりと伸び上がって、累々丸の豪腕を押し返していった。

「ま、まさか!累々丸の重さを、力を、返すだとッ?そ、そんなことあるわけが……ッ」

『がぎゅるうううッ!?』

「―――ハッ!舐めんな、肉ゴリラぁああああああッ!!」

 ザブシュアアアアアアアアッ!!

 天歌の力ずくの剛剣が、累々丸の太い右腕を切り裂いていた!リョウゼンは呆気に取られる。そんなバカな!蓮華姫はニヤリと笑い、犬歯を輝かせる。やってしまえ、天歌殿!

「うおらあああああああああああああああああああッ!!」

 獣が腹の底から咆吼し、破壊の衝動のままに躍動する!腕を失い動揺する累々丸目掛けて天歌は太刀を大振りで叩き込む!胴体深くその剛刃は食い込み、深手を与える!累々丸が反撃しようと左腕を振るうが、少年はそれを躱した。

「力で勝った。速さでも勝つ!」

 その発言のとおり、今度はスピードに頼ることで他愛もなく累々丸の豪腕をかいくぐり、腹を斬撃で切り裂きながら駆け抜けていく。

 累々丸はダメージが蓄積しすぎているのか、とたんに動きが遅くなる。術者であるリョウゼンの霊力が、天歌殿の武が持つ威力に怯み、術が揺らいでいるのかもしれんな。蓮華姫はそう考える。そして、それは事実に相違なかったのだ。

「『鬼兵士』を超えたワシの式神が、累々丸が、こうも、たやすく壊されるだと……っ」

「まだまだ終わりじゃねえぞ、累々丸ゥッ!!」

 まさに野猿のような身軽さで、少年の身体が累々丸の背に飛び移る。彼は太刀を累々丸の首に沿えて、背筋力と己が身の重さを合わせることで断首の大技を仕掛けたのだ。

 術を使えぬ天歌とて、この魑魅魍魎の跋扈する千獄を生きぬく身。魔道の仕組みもそれなりに覚え始めている。

 ゾンビや骨で組まれたアヤカシどもがそうであるように、『形式的な死』を刻むことでそれらを操る霊威は削がれる―――大牙が彼に教えた、呪術の理だ。

 つまり、『殺せば死ぬ』のだ、たとえ不死としか表せぬモノが相手であろうとも。バケモノの肉も心臓もない部分だったしても、気を込めて『胸』を突けば殺せるのだ。

 『形式的な死』、それは『心臓を貫くこと』もそうであるし、『首を切り落とすこと』もまさに『形式的な死』そのものである。死を刻みつけられた呪術体は、その存在自体を禁じられ、滅びることになるのだ。

 ゆえに。累々丸もその断首の技に全力で抗おうとした。爪を刃に引っかけて、必死に首を刎ねられぬようにと対応する。

 だが、必殺の機会に喰らいついた天歌に隙などあるはずもなかった。そうでなければ、この千獄の地で無敵の山賊、『天狗』などと呼ばれるわけがない。彼は獣のように吼えたくり、その必殺を行うために全身に力をたぎらせるのだ。

「うおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああッッ!!」

『じ、じにだぐじゃいいいいいいいいいいひひいっ!!』

 死して間もなく蘇らされ、そして、すぐさま再び暗黒の黄泉へと突き落とされる。そのことを累々丸の『原料』であるサムライの霊魂たちは嘆き悲しんだ。陰陽師は、その恨みがあまりにも大きく、己の技量では操りきれないほどの霊威を持ったことに気がついた。

「ま、まずい!じゅ、術を解かねば―――がぐうッ!?」

 リョウゼンの太い腹に蓮華姫の放った矢が刺さっていた。彼は吐血し、その場にしゃがみ込んでしまう。

「く、くそう、こ、小娘がああああ!」

「東の女を舐めすぎだぞ、リョウゼン。それに、わらわは天狗の妻じゃしのう」

 致命傷を負ったリョウゼンを見下ろしながら、少女は嬉しさを貌にあらわす。なんともうつくしく、そして、冷酷な微笑みで。

 ―――故郷を焼いた外道だ、みじめに苦しみながら死ねばいい!少女は報復の快楽に身をひたらせながら、敗北必至の陰陽師に言い放つ。

「あれほどの呪術体が滅びれば一体どうなるものか……?楽しみじゃのう、リョウゼン」

「く、くそおおおおおおおッ!!」

『いやじゅわあああああああああああああああああッ!!』

 断首の大技が完成を迎えていた。天歌の背中が反り返り、剛剣の刃は累々丸の太い首を一瞬で切断してしまう。不気味な肉塊が悲鳴をあげる。それは頭部からではなかった、身体のあちこちにある、原材料たちの口が、それぞれに苦しみと恨みを吐き散らしている。

 天歌の心は、そんな怨嗟の声ごときに揺れることなどない。ただ、勝利の歓びにつられて口元を歪ませるだけだ。なかなかの強者だったぜ。そいつをぶっ殺せた!こんなに楽しい時間は久しぶりじゃねえかよ!

 首を刎ねられた累々丸の身体が、びくりびくりと躍動しながらとろけていく。肉と肉をくくりつけてあった呪術がほどけ、その呪いは……術者であるリョウゼンの元へと向かうのだ。床板を、ヘビのようにのたうつ黒い血が、瀕死の陰陽師目掛けて這っていく。

「ひいい!く、くるなあああ!」

 呪いから逃げようと、リョウゼンは腹に矢が刺さったまま這っていこうとしたが、蓮華姫の放った矢が右脚を射抜くことで、そのみじめな抵抗さえも出来なくなった。

「お、おのれええええええッ!田舎の山姫ごときがあああああああッ!」

「人を呪わば穴二つとは言ったものじゃのう、リョウゼン……『呪い返し』。貴様の邪術の代償、どんなことになるものか楽しみでしょうがないぞ」

 リョウゼンの太い足に血のヘビが食らいつく。リョウゼンの顔が青ざめ、彼の知識が予感させた最悪の状況が始まってしまう。いやじゃああ!いやじゃあああああ!彼の叫びがこだまする。復讐鬼・蓮華姫はその様を一瞬たりとも見逃すまいと、目に力を込めてリョウゼンの末路をただじっと観賞するのだ。

「……苦しめ。苦しめ、リョウゼン。我が一族と里の者たちの恨み、身をもって償え!」

 天歌はそんなことに興味がわかないので、そこらにあった宴席の皿から鶏のもも肉を取り上げて、ガブリと噛みつく。焦げた醤油か味噌ダレか、なかなかに美味いじゃねえか!

「ぎゃああああああああああああああああッ!」

 陰陽師自身に返った呪いは、彼の身体に異変を起こす。まず彼の足からそれは始まる。肉がぐしゃりととろけ、ヒトとしての形状を保てなくなる。それでも痛覚は残るのだろう。体の肉が無限に裂けて崩れていくその痛みを、リョウゼンは味わうことになった。

「ぐぎゃああああああ!ばああああああああああああああッッ!!」

 天歌は涼しい顔でその悲鳴を聞きながら、のたうち暴れるリョウゼンに視線をやった。彼は戦う価値のなくなった敵に、ほとんど興味を抱けない。もも肉を歯で噛みつぶしながら、リョウゼンのことを下らない昆虫でも見ているかのような視線で見物していた。

「ふーん。呪いが逆流すっと、こーなんのか……みじめなもんだなぁ、呪いっつーのも」

「こやつのような鬼畜には、お似合いの末路じゃ!」

「オレはぶっ殺せればどうでもいいや。あとは、お前の好きにやりゃいいさ。お、こいつは豚のあばらかよ。南方の料理かぁ、貴族ってのはグルメだなー」

 やはり天歌はリョウゼンなどに興味を持てない、彼はサムライどもの残したメシに食らいつく。肉がいい。大暴れした後は、どうにも肉を食べたくて仕方がなかったのである。

 リョウゼンの姿はどんどん醜く変わり果て、そして、その痛苦も天井知らずにふくれあがる。彼は狂ったように叫びつづける。蓮華姫はただそれを見続けていた。

 ―――そのことが、この男にはどうにも腹立たしかったのだろう。彼にとって若い女とは、性欲を満たすためだけの道具でしかなかった。そのようなモノのくせに、自分を冷たく見下ろすこの小娘に対して、彼は嫌がらせをしたくなっていた。

「く、くひひひ!」

「何がおかしい、リョウゼン?醜く歪んだ貴様の体か?」

「ひひ、口の悪い娘よのう……愉快なのは、貴様たちのほうじゃ」

 蓮華はその言葉に眉をピクリと動かした。陰陽師は、少女の心に己の言葉が届くと分かり、うれしくなった。

「……ああ、ああ、愉快だったぞお、蓮華姫ぇ……そなたの故郷を蹂躙し尽くすのはなぁ!そ、そなたの父はのう、生きたまま火あぶりにしてやったぞ!山猿に相応しい、臭くてみじめなにおいを立てながら、そなたら姉妹のことをなあ、こ、このワシに、どうぞ、よろしくお頼み申す、と叫んでおったぞ!ふひゃひゃひ!滑稽、滑稽よ!」

 リョウゼンは嫌がらせをしたくなったのだ。もはや助かることはない命、この憎しみと苦しみを、誰かにぶつけてやりたくなった。誰しも一人だけみじめなのはイヤなものだ。みじめなときは、どうにも道連れが欲しい。

 蓮華姫はその言葉を聞きながらも、リョウゼンから目を離さない。苦しむリョウゼンの姿を一秒でも長く見て、あざけりの笑みを浮かべ続けることが、彼女に出来る最大の復讐だと信じているから。だが、リョウゼンはうれしそうな表情を浮かべ、言葉をつづける。

「そ、そなたの母はのう、自害しおったぁ……まだ若く、そ、それなりに楽しめそうだったのに……は、はは、勿体ないことじゃ……だが、その亡骸とてなあ……く、くくく!シドー殿の手にかかれば、呪いの材料よ」

「……っ!……貴様ら、母上の遺体をどうしたという?」

「ふひゃひゃ!それをなあ、埋葬させるか、それとも犬どもに喰わせてしまうか、その選択を琥珀姫にさせたのよう!」

「―――姉上に?……どういうことだ?」

「きちんとした弔いを望んだぞう、あの、う、うつくしい姫はなあ……その願いの代償として、自分が呪いの贄になることを、え、選んだのだよ」

「のろいの、にえ、だと……ッ」

「そ、そうじゃ!滑稽だったぞ!雑兵どもに犯され、手や足に釘を打ち付けられ!その舌を裂かれ、悲鳴が枯れ果てるまで嬲られた!最後には、溶けた鉛を飲まされてなあ、かわいそうに……身体の奥から焼けて溶けおったぞおお!ひゃははは!滑稽!滑稽よお!」

 蓮華姫が獣のような貌になる。奥歯どころか犬歯までを破壊せんばかりに、歯を噛みしめて、その長い髪がわずかながら浮かび上がるほど、その表情に憎悪と怒りをたぎらせた。それでも涙はガマンする。この鬼畜に、龍神の姫の涙を見せてやるなど吐き気がする。

「うひゃひゃ!ああ、たのしいぞお……未来を思えば、たのしいぞお!貴様の姉はのう、いったい、『何』になったと思う?」

「……っ」

 蓮華は口を開けない。その代わりといったように、天歌が豚のあばらを噛み砕きながら言葉を吐いた。

「……呪いで『兵器』をつくるってのは、なーにも、西のバカどもだけのお家芸ってわけじゃねえ。若い女を拷問して、生け贄にしてつくったバケモノは東にもいる。そうさ、ショーグン家の姫の成れの果て……『シナズヒメ』」

「うひひ……そうじゃぞ、山猿ぅ……わ、わしらはのう、わしと、シドー殿はのう、琥珀姫をつかって、それを作ったんじゃあ……琥珀姫は、苦しみながらも昇天出きんぞ。わしはそのうちに死ぬるが、あの姫は今や冥府魔道の長と、まったく同じ霊威を得た兵器じゃ……昇天できぬよ。そして、シドー殿の命令通り、『シナズヒメ』を斃すじゃろうて……」

「……『シナズヒメ』を討つために、姉さまの骸を利用したというのか」

「そ、そうじゃ!ミカドの命じゃからなあ。ミカドは東の地を欲しておる。最大の邪魔者は、裏切り者のラカンではない……ヒトでは斃せぬ冥府魔道の姫、『シナズヒメ』よ……じゃが、そなたの姉のおかげで、あれは討たれよう……そして、『シナズヒメ』を討ち取った『英雄』として、ワシとシドーの名は後世まで語り継がれる!わ、わしは……永遠の名声として、詩歌の中に生きるのじゃ―――」

 ずしゃり。

 豚肉を噛みながら、天歌が振り下ろした太刀がリョウゼンの頭を真っ二つにしていた。さしもの呪いも、これほど明白な死を刻まれれば消えてなくなる。この太った邪悪な陰陽師は、そのとき死滅したのである―――。

 だが、蓮華姫は納得できなかった。彼女は夫の顔をにらんでしまう。

「……天歌殿ぉおお!な、なんで、こ、殺したのだぁ!……そ、そいつ……もっと、生きながらえさせて、もっと、もっと……くるしめて、やりたかったのにぃ……ッ!!」

 少女がその場にしゃがみ込み、ボロボロと大粒の涙をこぼし始める。天歌は豚肉を飲み込む。リョウゼンを殺した理由?―――『なんとなく、腹が立ったから』としか彼には説明できない。では、なぜ、腹が立ったのだろうか?……彼は自分に問うてみる。そして、泣きじゃくる蓮華姫を見ていると、その答えが見つかったような気がした。

「……よく分からんが、たぶんテメーが泣いてなかったからだろうよ」

「……え」

「人買いのババアが言ってたぜ?涙も流せんようになると、人間はダメらしい。憎しみや怒りのままに、暴れてやりてえって殺気立つにも、涙ってのは必要らしいぞ」

「……それは、私のことを気遣っているという意味か?」

「さあな?オレにもよくは分からん。だが、テメーは泣くべきだろ?今は、わんわん泣いて、その後で、やらなきゃならねえことがある」

「私が、やらないといけないこと……そうだ。そうだな、そのとおりだ!」

 ―――仇の一人は討ち取った。だが、まだ終わりではない。『シドー』とやらだ。姉上をバケモノにして操ろうというシドーこそ、我が一族の真の敵!そして……。

「解放してやらねばならん!姉上の霊魂を!」

「ああ。そうだ。泣きわめいた後で、うぜえバカどもぶっ殺して、お前の姉ちゃん助けに行こうぜ?お前よりいい女ってのなら、クソ陰陽師の道具になんざしておけねえわ」

「……天歌殿も来てくれるのだな?……考えれば、当然だな」

「当然か?」

「なにせ、そ、そなたは私の夫だ!これは、我が一族の問題でもあるし、天歌殿は、我が一族の当主みたいなものだから責任がある!だって……私の夫だから……」

「くくく!めんどくせーのはゴメンだが、テメーといると強いヤツと殺し合えそうだからな!テメーの仇討ち、付き合ってやるぜ!」

「あ、ああ。なんとも、おかしな価値観だが、そなたの場合はもうそれでいいぞ、それで……なあ、天歌殿ぉ……」

「なんだ?」

「ちょっとだけ、足にしがみついていてもいいかのう?……ちょっとだけ、大きな声で泣くから、私のそばにいてて欲しい」

「まあ、そのぐらいなら構わんぞ」

「お、おお。そりゃそうだ……なにせ、夫婦だからな、私たち」

 その言葉をつぶやいた後で、少女は少年の足に抱きついた。

 しばらくじっとしていたが、やがて蓮華姫は震えながら大きな声で泣き始めた。少年はかつて年下の孤児たちにやってあげたように、彼女の頭を撫でてやる……。

 天歌は思う……自分の運命を呪っているヤツは、みじめなもんだ。弱っちく見えるし、たぶん、じっさいのところ弱いんだろうよ。

 でも、不思議なもんで、泣き終わる頃には前向いているヤツらがいる。ただ前を向いて、その下らん運命とやらをぶっ倒すために立ち上がるヤツがいるんだ。

 ……お前もそういう女だろう?

「……敵が死ぬまで泣かなかった。テメーは、オレさまのヨメに相応しい、いい女だぜ」



 ―――夜が明けて、タツガミの里にも朝が来ていた。生き残った者たちは、蓮華姫の屋敷に収用され、疲れ切った顔のままだが、お里の作った朝食を口にしていた。おむすびと、たくあん。そして、温かな味噌汁という定番的なメニューである。

「お前ら、せっかく生き残ったんや!ちっとはメシでも食うて、元気だしい?辛くても、栄養さえ入ったら人間、生きてけるもんやで!ええか?生き延びるんやぞ!今日明日つらくても、ずっと先には楽しいことが待ってるはずやで!『忍』の一文字、忘れんなー!」

 ……お里の明るさはいくらかこの里の人々を救っているのかもしれない。

 死者のために、あの怪しいお経を上げながら、大牙はそう考えて微笑みを浮かべる。

 生き残ったのは、たったの十五人だけだった。

 彼らだけで里を復興するのは難しそうに思えるが、あのタヌキの姫はこの状況をも己の野心に利用しようとするだろう。そして、それはこの里にとっても、悪いことではない。彼らには人手と協力者が必要なはずだから―――そして、指導者も。

「……元気になったら、里を作りなおすんやで!天ちゃんが蓮華姫の旦那になった以上、この里はうちら『天狗党』の本拠地になるんや!忘れるな?お前らには鬼より強いうちらがついてるんやで!なーんも、あきらめんでええぞ!」

 しゃもじを片手に、憔悴しきった村人たちのあいだを歩きながら、お里の演説はつづいている。彼女は自信満々の態度をしていたし、じっさいに彼女はこの里の復興について十分な自信を持ってもいた。

「ええか?たしかに、タツガミの里は壊滅的や。でも、お前らは龍神の末裔なんやぞ……術の才能ある者も少なくはないし、体力も並みよりは強いはずやで。お前らには天ちゃんが剣を教てえ、うちが術を教え込んだる。そうしたら……強うなれる!ぜんぶ取り戻せる!二度と、奪われることはない!」

 タヌキの姫はニタリと笑う。大山賊団『天狗党』!彼女の脳裏にはその盗賊集団を完成させる壮大な構想があった。

「うちらとお前らで組めば、武と術を併せ持つ、クレイジーな戦闘集団の完成やで!……ククク!復興どころか、国盗りや!五十年後は、国盗りやでええ!うひゃひゃひゃひゃ!」

 ……『国盗り』。現実的なことだろうか?

 大牙は妄想を楽しむお里を横目で見つめながら思いにふける。天歌は『山賊』として自由に生きていくことを好んでいるし、実際、それ以上を望んでいないように見える。戦いにまつわることにしか興味はないし、人々をまとめるような者に必要とされそうな『知性』や『共感性』という点も明らかに欠く。さすがに、『王』という器ではないだろう。

 だが。

 だが、『豪族』になることぐらいは不可能ではないかもしれない。

 天歌は事実としてこの里の姫を娶ってしまった。そして、この村を滅ぼした邪悪な代官であるリョウゼンを討ち滅ぼしてみせたのだ。自分たちの怨敵を殺してくれた無敵の『英雄』と、自分たちの姫の婚姻を、タツガミの里の者たちは拒絶することはないだろう。

 天歌は名実ともにこの里の新しい主と言える。つまり、あの少年山賊はタツガミの里を治めるいっぱしの『豪族』になったのだ―――。

「銭貸しのババアに拾われた孤児ごときが大出世だね……この里を立て直すことに成功できたら、その時点でかなりの大富豪だよ……」

 でも、それもしばらく後のことか。どーせ、今のあいつはシドーとやらのことしか考えていないんだろうしなぁ……。

 厄介なことだ。戦いに明け暮れる友人を持つということは。サムライ集団一つを相手にした戦いを終えたと思えば、今度は邪悪な陰陽師を退治するために旅立つことが決まっている。まったく!なんて、血なまぐさい日々なんだろう?もっと、のんびり出来ないものなのか……大牙は木魚をポクポク叩きながら、はあ、と大きなため息を吐いていた。

 気苦労が絶えない……それでも、大牙は天歌と共に歩むだろう。赤毛の青年はこの山賊稼業に適応しつつあったが、何の目標もないまま放浪と強盗を繰り返す日々に対して未来を感じたことはなかった。だが、今、その日々に終わりが訪れようとしている。大牙は『目標』を見つけた気がしているのだ。

 そう。放浪の山賊であった日々に終わりを告げ、天歌を『豪族』にし、己はその相談役にでもおさまればいい。それが、大牙の抱いた夢である。

「……ここは、いい里だよ。水もあるし、土地に奉ぜられた霊力も強い」

 焼け焦げてしまってはいるが、丘と森に守られたこの土地は、守りを固めるには悪くない立地にある。だから、軍勢で圧倒的に勝るリョウゼンたちでさえ、蓮華姫を人質にして策略を用いたのだろう。

 力任せの正攻法でいけば、あいつらだってここをひと思いには攻略できなかったのかもしれない。つまり、乱世をしのぐ力をこの里は有しているわけだ。言い換えれば、僕たちは立派な『砦』を手にしたも同然―――。

「シドーとやらを討ち、ここに戻ることが出来れば……僕たちは素晴らしい『家』を手に入れられる……そんな気がするだろ、天歌?」

 たぶん大牙の親友は首をかしげるだろう。そんなもの、屋根と壁がある場所ならどれも一緒だと、マジメな顔で吐き捨てる光景が目に浮かぶようだ。それでも、あの修羅の少年は『家』を与えられるべきだと大牙は考えていた。

 あの神がかった力は、何かしらの『意味』を持つべきだと大牙は考えている。自分のためだけに使うには、もったいなさすぎるし……危険な気がしていた。でも、タツガミの里を『家』にすれば?

 ……いや、山賊団の『砦』でもいい。とにかく、『守るべきもの』を天歌は手に入れれば、あの力にも欲望以外の側面が加わるだろう。天歌が守り、天歌へ親しみを向ける人々。それは、この乱世において山賊では手に入ることのない幸福なのではないか―――。

「そうすることで、僕たちは……いや、君はヒトに近づけると思うよ。戦いと食事以外にも、人として生きることには楽しいことがあるって、君は学んだ方がいいはずさ」

 ……そうでなければ?

 そうでなければ、君はより深く死に魅入られてしまうだろう。

 戦いだけを求め、敵を探し、血を浴びるためだけに世界を彷徨い続ける……。

 それはきっと、誰もが得をしない結末へと行き着いてしまうにちがいないよね……?



 ―――それはタツガミの里から遠く離れた南の地。深い深い山奥の道のことである。甲冑に身をつつんだ騎馬武者たちが、早朝だというのに進軍を始めていた。

 先頭を行くのは黒い鎧を身にまとった、仮面のサムライ……猛将ラカンだ。この武人もまた東の地へと舞い戻ってきていたのである。

 西のサムライとキツネを連れ、戦いの地を再び東に移そうとラカンは考えていた。西の都は、まだまだミカドの勢力が強すぎる……とくにミカドを支える陰陽師の中には、恐るべき使い手たちも残っていた。

 ラカンはミカドの手足からもぎ取ることにしたのだ。ミカドの力を削ぐために、彼の下で働く強力な陰陽師どもを殺して回ろう。そのために、少数精鋭を率いて、ラカン自身がこの地に戻ったのである。このたび猛将が狙うのは、一人の邪悪かつ凶暴な陰陽師。

「……冥道呪術の大家……シドー。先代のミカドから、その邪悪さゆえに追放されたという大術者。異端な男と聞くが、はたして、どの程度の力を持っているのだろうな」

 ラカンの言葉に、同じ馬の背に乗るひとりの美少女が笑う。金色の長い髪と青い瞳をもつ、異国風の着物を身につけたその少女は、ラカンに耳打ちしてくる。

「ラカンさま。怖がる必要はありませぬ。あなたには私がついておるではありませぬか?キツネの力とサムライの力が合わされば、シドーなど、恐れることはありません」

「恐るべき相手でなければ、九尾の妹であるお前がついて来ることはしなかったはず」

「……もう、ノリ悪いんだから!『玉藻姫よ、そなたの愛があれば私は負けぬ!』……ぐらいの勢いでもいいんですよぉ?」

「……愛もなにも」

「あー!そんなこと言って!愛の力を信じない者に、神は祝福をあたえません!」

「ふう。ならば、私はそなたの神に嫌われているのかもしれんな」

「ええ?死ぬほど愛されてますってー?」

「だが、実際のところ出遅れてしまったぞ。東の地に入られる前に、シドーを討つつもりだったが……ヤツめ。どうやら、私たちの動きを悟っていたらしいな」

「この数週間のうちに何人もの陰陽師を殺してきましたからね。彼レベルの術者なら、己に迫った危険に気がついても不思議はありません。失敗と言うほどの間違いじゃございませんが、政治力よりも、術者としての能力を優先して狩るべきだったのかもしれませんね」

 そう。『大きな失敗』だった。ラカンはそれを痛感している。

 『名のある陰陽師』から狩っていったつもりだが、その多くは術者としての力量よりも、家名により出世した凡愚に過ぎない者たちだった。とりたて無能というわけでもないが、地獄のような戦場を駆け抜けてきた猛将からすれば、彼らの中に強者と言われる者たちはいなかった。アレでは、名の無い若手術者のほうがいくらかマシなほどだ。

「都の政に関わる者に、大した術者はいなかったからな。むしろ……シドーのように異端として追放されていた者たちのほうが厄介か」

 サムライの半分をラカンに奪われた形となったミカドは、失った戦力を補うためにかつて先代のミカドが追放した邪悪な陰陽師たちを復帰させていた。

「野心にギラつき、地位回復のためには手段を問わぬ連中だ……ぬるま湯につかっていた都の陰陽師とは、ひと味もふた味もちがうな」

「……けっきょくのところ、権力というものは必ずヒトを堕落させますわ。我々、キツネが大陸から追い払われたのも、タヌキどもがそんな私たちに負けたのも、己の立場に慢心し、力を研ぐことを忘れていたからに他ならないのです。朝廷の連中もそうですわ」

「フフ。どうにも耳が痛い話だな。ショーグンも牙を研ぐのを忘れなければ、ミカドの復権を阻止することも出来ただろうに……戦いから離れると、ロクなことがない」

「ええ。ですから、ラカンさまもたまには『運動』なさるとよろしいです。最近、政ばかりで、わずかながらに体重が増えてますから……シドーは、いい運動相手ですわ」

「そう容易い相手か?」

「ええ。小鳥たちのウワサによれば、私たちにとって都合のよいアクシデントも起こったようですからね」

「ふむ。リョウゼンでも討たれたか?」

「……っ」

 玉藻姫は絶句してしまう。ラカンは天を仰ぎ、ハハハと笑った。キツネの姫は口を尖らせる。せっかく驚かせてやろうと考えていたのに、看破されるなんて屈辱だ。

「……ラカンさま、絶対に神通力をお持ちでしょう?」

「ほう。適当に言ったのだが、勘が当たったようだな。しかし、アレもそれなり以上の術者という分析だったはず……誰に討たれた?」

「ふん。低脳な鳥たちのウワサ話に過ぎませんからね。あの子たちはヒトの名前など覚えません。ただ、また『天狗』だと騒いでいます」

「『天狗』?……報告にあった、アヤカシと徒党を組んだという山賊のことか」

「おそらくはそうだと思います。アレほどの手練れを討ち取れる実力者は、それほどいないでしょうからね」

「いや、世間を侮るべきではない。私やお前に匹敵する名も無き強者もまだまだ多く埋もれているだろう」

「……まさか?ご冗談を」

「私は知っているのだ。東の都を焼き払ったあの日、ある僧兵の子供が、鬼神のような強さを放っていたことを……サムライにすらおらぬよ。あそこまで血に飢えた闘争の申し子は……馬の上から放った一撃を浴びせてみたが、どうにも手応えが薄かった」

「ラカンさまの攻撃を生き延びた子供がいる……?サムライでも術者でもないのに?」

「才能というのはどこに転がっているのか分からん。あの子供が生きていたら、それこそくだんの『天狗』と呼ばれる程の武人に成長しているかもしれんな」

「もう。そんな偶然、あるハズないですよぉ」

「フフ。そうか。そうだな……しかし、誰であったとしても楽しみが増えたぞ」

「……まさか、ラカンさま」

「シドーを討った後で、『天狗』に会おう。私が欲しているのは強敵ばかりではない。優秀な戦士であるなら、我が軍勢に加わってくれれば、これほど嬉しいことはなかろう……敵になるというのであれば、まあ、それはそれでかまわん!面白そうだ!」

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