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千獄の天歌  作者: よしふみ
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序章

『千獄の天歌』



 ―――それは呪術と軍隊を用いた、最も血みどろの大戦/おおいくさ。



「…………三途の川ってのは、赤いのかよ」

 朝日を疲れきった顔に浴びながら少年はそうつぶやいた。目覚めたばかりの彼は自分が置かれた状況をよく把握できてはいない。彼が理解していたのは、目の前になんとも不気味な『赤い川』が流れていることと、そこらじゅうに死体が転がっていることだけだった。

 昼も夜もなく戦争はつづいた。少年は……いや、少年だけでなくあらゆる者が戦いつづけたこの大戦。老若男女を問わず、動ける者のすべてが駆り出された無慈悲な戦いは、どうやら『敗北』というみじめな結末を迎えたらしい。

 少年は体を地面から起こそうとした。

「重……ッ!」

 鎧が重てえ。少年はその事実におどろいてしまう。疲弊した体にとっては、こんな安っぽい僧兵用の鎧でさえ荷が重いようだ。手を膝につくことで力を振り絞り、少年はどうにか立ち上がってみせる。ふう、とため息を吐いた少年は忌々しげに鎧を見下ろした。

 ……この鎧、あちこち壊れて穴だらけになっている。もはや身を守るという本来の役目を果たせそうにはない。

 まあ、いい。どうせ戦は終わったのだ。これを着込んでいる意味もなかろう。少年は足下に転がっているサムライの死体から折れた刀を奪い取ると、鎧を体に結んでくれていたヒモを切り裂き鎧を外していった。

 身軽になった彼は開放感に誘われて、大きく腕を広げて背中を伸ばす。関節が伸ばされ、あの心地よい痛みを彼は手に入れる。次いで少年は、己の顔に両手を勢いよくパシリと叩きつけていた。

「……うん。フツーに痛えぜ。変な夢を見ているってわけでもなさそうだな」

 ―――そうだとしたら、アレはやっぱりこの世とあの世の境目に流れているという『三途の川』なのだろう。なにせ、あんなに大きな川は見たことがないし、そもそも『赤い川』なんて不気味なものが、この世にあるとはとても思えない。

「あーあ。とうとう死んじまったのかよ、無敵のオレさまもー……」

 少年はあらためて周囲を見渡す。敵も味方も大勢がその場に転がっている。血なまぐさいが、静かだ。今ここで動いているのは少年とあの赤い川だけだから。少年は静寂のなかに孤独を感じる。孤独を感じる少年は、彼にしか分からない理由でニヤリと笑うのだ。

「……まるで、世界の王様にでもなった気分だぜ」

 少年は死体を踏みつけながら『三途の川』に近寄っていく。それを渡るつもりなんてさらさらないが、珍しいものに対する好奇心から来た行動だった。

 寄せては返す赤い波は、なんとも不気味なものである。だが、その波をしばらくじっと見つめているうちに少年はやがて気がつく。海水のにおいがしやがる……そして、波間に浮かぶサムライの死体には、緑色の海藻が巻きついているではないか。

「……クソ。驚かせやがって!……三途の川じゃなくて、ただの海じゃねえか!」

 戦死者の血で赤く染まった海を、少年の長い足がばしゃりと蹴飛ばす。だが、疲れ果てた彼の体はたったそれだけのことでバランスを崩していた。波と砂に足を取られた少年は、朝の冷たい海に尻餅をつく。少年はなんだか情けなくなって自虐的に笑う。へへへ、という力の乏しい笑い声だったが、それは、だんだんと大きな声へと変わっていく。

「へへ……生きてるぞ!あはははは!生き残ったぜ、馬鹿野郎ッ!!」



 少年は赤い砂浜を歩いていく。生きていると分かれば腹も空いてきた。なにか食べるものを見つけなければならない。そこらじゅうにある死体をあされば携帯食でも見つかるかもしれないが、その作業をやるだけの気力がなかった。それに……さっきから死体に『何か』が取りついているのが見えるのだ。

 『毛のない痩せた猿』とでも言えばよいのか……手のひらサイズのちいさな生物がいつのまにか兵士たちの死体に集まっている。この臆病な猿どもは少年と視線が合うと、ぴきゃあ、という悲鳴らしき音を口にして死体の影に隠れてしまう。だが、隠れながらもわずかに顔を出し、黄色くにごった瞳でじっとこちらを観察してくるのだ。

 そんな不気味な『痩せ猿』が何百、何千という数の死体のほとんどに取りついている。ちいさいので一匹だけなら危険はなさそうだが、もしも数百匹が一斉に襲いかかってくれば話は違う。近寄らないのが賢明だ。

 ―――『餓鬼』。

 痩せた猿どもを見た少年はその言葉をイメージしていた。あれもタヌキやキツネといったアヤカシ/妖怪の一種だろう。大昔、西の都にうじゃうじゃいたという昔話は聞いたことがあった。だが、実際それを目にするのは初めてのことだ。

「下らねえもん持ち込みやがって。ショーグンのバカも、ミカドのクソも、アヤカシと手を組んだらしいが……どうにも気に入らねえな!」

 少年は足下を横切ろうとした『餓鬼』を踏みつけて潰した。人間の死体を主食にするような不気味な存在を、彼は好きになることが出来なかったのである。

 ……それからどれだけ歩いただろうか?

 すっかり太陽が空高くに昇ったころ、少年の瞳は煙を見つけていた。彼は古い荒れ寺を視界に捉える。どうやらあの寺には生きている人間がいるらしい。敵か味方かは分からないが、そんな些細なことはどうでもいい。人がいるならメシが食えるだろう。敵なら殺して奪えばいい。味方なら恵んでもらおう。それを断られたら、やはり殺して奪うだけだ。

 少年は疲れた体に無理をさせ、風のように速く走る。

 あっという間に荒れ寺へとたどり着くと、彼は音も立てずに寺を囲む塀によじ登った。ミカド側のサムライがいるかもしれないのだ、さすがに正面から入る気はない。戦うことになるのなら、奇襲を仕掛けてやるつもりだ。

 寺の中にいたのは兵士たち。たくさんの死体と、今にも息絶えそうなケガ人たちが並んで横たわっていた。彼らが身につけている武装の色で分かる。赤い鎧。彼らはショーグン側のサムライたちだ。つまり、少年からすれば『仲間』である―――。

「―――仲間だからって友好的とは限らねえ……ってのが、怖いところだがな」

 負け戦だ。敵に寝返るヤツも出てくる。動けないケガ人どもの首をはねて、敵のお偉いさんへ売りつけに行くバカはたくさんいるはずだ。

 少年は警戒しつつも、寺の境内に飛び降りる。素早く目を左右に動かして兵士たちのリアクションを探った……どうやら、疲労困憊で無気力になっている兵士たちは少年のことをあまり気にしないようだ。誰一人として武器に手を伸ばす者はいなかった。彼は無意味な警戒を解くと、煙が上っている場所を目指して大きな態度で歩きはじめた。

「……なんまいだぁ……なんまいだぁ……」

 聞き覚えのある情けないお経を少年の耳が拾う。少年はため息を吐いた。煙はメシを炊くための火から出ているのではなく、戦死者たちを火葬にする炎から出ていたのだ。

「……ついてねえぜ。まあ、生きてるだけでも十分か……そうだよな、『大牙』?」

「……え?」

 震える小声でお経あげていた僧侶が、己の名前を呼ばれて顔をあげる。赤い髪をしたひょろ長い青年だ。本名はべつにあるのだが、この青年の通称は『大牙』。ひ弱な自分を変えたいと願った彼が、己に与えた名前である。

 『大牙』が不自由な右腕と右足に力を込めて立ち上がり、よいしょ、というかけ声とともに振り返ってくる。あいかわらず間の抜けた笑顔を浮かべるヤツだ。少年は大牙の笑顔にそんな失礼な評価をしながら、それでも親友との再会を喜ぶために笑った。

「よう。お互い、生き残れたみたいだな」

「ほ、ほんとに?ほんとに、『天歌』なのか?」

「ああ。どうにかギリギリで生きてるよ」

「頭、ぱっくり割れて大流血してるけど?……ゾンビとかじゃないよね?」

「はあ?」

 『天歌』は自分の額に手を当てる。指先がぬめりとする血の感触を伝えてきた。そういえば……昨夜というか早朝に行われた最後の戦いにおいて、敵の騎馬武者から大太刀の一撃を浴びせられたような記憶がある―――。

「……ちっ。ダセえな。防ぎ切れてなかったのかよ」



「……いやあ。あいかわらずバケモノみたいに元気というか。頑丈だよね、天歌は」

 頭のケガに治癒の術を施してもらいながら、天歌はにぎりめしをむさぼっていた。温かい米に混じった絶妙な塩気が食欲をかき立ててくる。頭のケガなど、まったく気にすることなく、少年は歯で米をつぶすことに夢中になった。

「この傷、けっこう深いよ。骨にまで達していると思うけど、よく死ななかったもんだ」

「フン。一太刀浴びるぐらいヨユーだろ」

「そ、そうかなあ」

「3、4発頭に喰らっても動いていたヤツもいたぜ?……そりゃ、血まみれだし、しばらくしたら白目剥いて死んじまったけどよ」

「う……そんなこと言いながら食事するなんて、僕にはちょっと無理かな」

「目の前で死体なんか焼いてるほうが、よっぽど気色悪いと思うが?」

「死体って……仏さまだからいいんだよ!」

「ふーん。まあ、どうでもいいや。それより、おかわりだ、おかわりよこせ!」

 ―――天歌はにぎりめしをたらふく食うと、地面にごろりと寝そべった。大牙はすぐに寝息を立て始めた親友を見て驚愕する。

 戦場からここまで逃げ延びて来た兵士たちの多くは恐怖のせいか、ろくに眠ることも出来やしない。だが、この少年はストレスなど知らない幼子のように、無邪気な顔ですこやかな寝息を立てているではないか……。

「……やっぱり、世の中には色んな人がいるよ。天歌は僕と違うタイプの人間だよね」

 天歌も大牙も『僧兵』として戦場に駆り出された。体力のある天歌は子供ながらにサムライどもと一緒に前線で敵と戦わされ、大牙は後方で軍勢をサポートする役目を与えられていた。

 ケガ人の治療と死者の弔い……それだけでも大牙は眠れなくなるほどのストレスを感じている。もちろん、いつものようにあの慢性的な胸焼けもそのままあった。彼は天歌に比べて、じつに人間的な繊細さを持った青年なのである。

「―――……でも。眠れるときに眠っておいたほうがいいのかも?」

 大牙が僧侶として学んだ知識。そして、彼のもつ法術と呪術の才能がおぞましい未来を予想していた。『餓鬼』があふれている。この東の地にはいなかったはずのアヤカシが、地の底から這い出ているのだ。

 ミカド側には『鬼』をあやつる陰陽師たちがついているとはいえ、貴族ゴッコにうつつをぬかす連中が、『餓鬼』などという戦力にもならない不気味なだけの『鬼』をわざわざ召喚することはないだろう。奴らの出現はヒトの意図するものではない。ヒトの思惑よりも、はるかに大きな業によって起こされた事象に間違いないはずだ。

「……呪いと血が、流され過ぎたってことさ」

 大牙だけがこれから来る災いの本質を正確に理解していた。この戦はあまりにもむごたらしいものだった。権力奪還を目指すミカドは、邪法におぼれた陰陽師を戦場に引きずり出し、海を渡って来た九つ尾のキツネとも手を結んだ。

 ショーグン側はキツネに負けたタヌキどもと同盟をつくるが無残に敗北……村々は焼かれて、民草は片っ端から殺されていった。呪術にアヤカシに、死人の恨み―――。

「この地は『地獄』に近づいてしまったんだよ。だから、いなかったはずの『餓鬼』があふれて来ているのさ、地の底にある地獄からね。夜になれば、人間同士の戦争なんてお終いだ。陰陽師どもが操るのとは次元の違う……本物の『地獄のケモノ』がやって来る」

 

 

「―――おのれぇ、舶来キツネめぇ……」

 燃える都を見下ろせる小高い丘の上で、巨大なタヌキが息絶えようとしていた。陰陽師の使う『鬼兵士』、そしてサムライどもに混じっていたキツネの剣士にやられた傷は、『ぼたんだぬき』とあだ名された彼の太った巨体を貫き、内臓にも達していた。

「ああ、無念やでえ……年に二度も戦で負けるなんて……ワシ、衰えてたんやなあ……」

 もはや『最強のアヤカシ』と呼ばれたタヌキも年貢の納めどきである―――救いは娘の『お里』が戦場から無事に戻ってきたことぐらいか。

「父ちゃん。こんなところで死んだらあかんで。タヌキの未来はどうなるんや?舶来キツネに縄張り盗られて、ショーグンはんと組んだ戦でも負けて……このうえ、父ちゃんまでおらんようなったら、うちらどうしたらええんや?」

 雪のように白い毛皮をしたタヌキの『お里』が鼻をならしながら父親に近寄る。『ぼたんだぬき』は苦笑するしかない。

「うへへ。あんまし、いい考えが浮かばんのう……ショーグンはんらも一族そろって腹切りするつもりらしいし……ワシら、困ったことに後ろ盾がおらんくなってまう」

「だからこそや。だからこそ、父ちゃんまで失うわけにはいかへんのや」

「……とはいえ、戦争するにもタヌキがもう残っておまへん……あちこちほうぼうに散っていった連中も、そら、いくらか生きとるんやろうけど……キツネつぶすには、どうにもこうにもタヌキが足りんのや」

「……ほな。うちら、どうしたらええん?」

「……50年待つんや」

「ご、ごじゅうねん?」

「……そんぐらい、耐えるつもりでおるんや……術ぅ磨き、子孫を増やせ。みじめにキツネどもから逃げてもええ。隠れてもええ……せやから……死なずに、耐えて忍ぶんやでぇ」

「ああ……父ちゃん…………死んでもうた」

 

 

 燃える都を見つめながら『猛将ラカン』は未来を憂う。ショーグン家は滅んだ。サムライたちの王は消えた。これからは、我らが君主であるミカドの時代がやって来る。はるかな古代のように、ミカドが名実共に王の座に戻るのだ―――。

 ……だが、そうすんなりことが運ぶものだろうか?

 東国のサムライどもは王を失いその結束が崩れるだろう。だが、この戦を勝利に導いたのも自分のようなサムライなのだ。陰陽師やキツネの功績も少なくは無いが、この戦における主力は自分たち『西のサムライ』である。

 だが、ミカドは陰陽師やキツネほどにサムライを評価しようとするだろうか?

 自分たちのおかげでショーグンを倒すことが出来たと、ねぎらってくれるだろうか?

 サムライを排除して王に戻ったミカドが、サムライの存在をこれからも認めるのか?

 ……その可能性は、どうにも低いような気がしてならなかった。

「―――絶好のチャンス、到来ですわね」

 猛将ラカンは背後から聞こえた女の声に顔をしかめる。まあ、仮面をかぶっているおかげでその表情は誰にも知られることはないが。ラカンは振り返ることもなく言い放つ。

「キツネめ。何用だ」

「今日は勝利をお祝いに。ええ、ただそれだけですわ」

「それだけなわけがあるまい」

「……はい。もちろん」

「何を企んでいる」

「私たちにとって、素晴らしいことですわ」

「……素晴らしいことだと?」

「はい。私、昔から自分の災いとなる存在を、許せない性格ですのよ」

「私が嫌いか?」

「いえいえ。お強いラカンさまは好きですわ。私が怖い方は……おわかりでしょう?」

「……」

「沈黙で語り合えるのは、素敵な間柄だと思えませんかぁ?」

「……消えろ。サムライの忠義は揺るがない」

「うふふ。どうでしょう。ラカンさまはマジメですが、おやさしい方ですからね。それゆえにー、見捨てられないかもしれませーん」

「私が誰を見捨てられないと言うのだ?」

「サムライは、サムライを見捨てられないと思うのです」

「…………」

 キツネはラカンの沈黙に満足した。彼女はクスクスと笑いながら甘い声で言葉を続ける。

「海を赤く染めてしまうほどに流されたサムライたちの血……そして、今まさに私たちの目の前で焼け落ちていくショーグンの都……この悲劇の赤い色を知ったラカンさまは、きっと『同胞』を見捨てられませんわ」

「―――お前たちは、何を望む」

「安定と保護ですの」

「……ほう、思いのほかつつましいものだな」

「ええ。大陸を追われた我々は、それほど多くを望みはしません。この国のミカドに取り入ったのも、ただ生きるため仕方なく。でも、朝廷はこれから住みにくくなりますの」

「そうだろうな。ミカドは権力を強めようとしている。お前の兄のように強力なアヤカシを、そばに置きたがりはしないだろう」

「ええ。キツネとサムライは『似ている』のですわ、ラカンさま。この国は狭い。力ある強者たちが共存することは難しい。私たちは、手を取り合えるような気がしませんかぁ?」



 ―――人の世の王が死に、新たな人の世の王が生まれたその日。

 人ならざる王もまたこの地に誕生しようとしていた。

 燃え尽き墜ちた灰色の都……ショーグンたちの眠る死の都に異変が起きていた。ショーグンの城の地下深く。ショーグンの一族たちしか知らぬ秘密の地下牢。そこに一人の女の死体があった。鎖に縛られ、体に13本の魔剣を突き立てられたショーグン家の姫君。古き伝承にある大呪術を実践するため、『生け贄』にされた少女である……。

 赤い月が空高く昇るころ、少女の死体に変化が起きる。大量の出血で干からびていた肉体にみずみずしさが戻ってくる。少女の体がびくりと揺れると同時に、閉じられていた彼女の瞳が勢いよく見開かれる。それは金色の輝きを放つ、冥府魔道の瞳……。

「…………死せるサムライたちよ。愛しき地獄のケモノたちよ」

 姫君の唇が言葉を発する。

「冥府の女王の名において命ずる……我が恨みを晴らすため、地上のすべてを喰らうのじゃ!ヒトも、アヤカシも、陰陽師もミカドも!わらわのために、すべての命を滅ぼせ<」



 ―――それの接近に最も早く気がついたのは天歌であった。夕方近くに目を覚ました彼は、すぐに夕飯を食べたあとでまた眠っていた。戦場で培われた癖で、刀を抱きしめたまま眠りこけていた彼は、いわば殺気というものを感じ取ることで寝床から起き上がる。

「……ムカつく気配がしやがんな」

 天歌は刀をぬきながら庭を歩き、寺の塀にひょいと飛び移る。彼がその場に飛び移ったのとほとんど同時だった。何者かが彼に飛びかかってきた。

 きしゃああああ!という聞いたこともない奇声とともに視界に現れた襲撃者のことを、天歌の刀は即座に切り捨てていた。胴体を真っ二つに切り裂かれ、その襲撃者が寺の境内にぼとりと落下する。

「んー……なんだ、コイツ?」

 それは腐りかけの死体であった。あまりに多くヒトが死んだので、まだ弔いきれていない死体もあちこちに捨て置かれてある。だから、死体そのものは珍しくないのだが、腐りかけのくせに『動く死体』というのはあまりに珍しい。

「どうした!なんの騒ぎだ、敵襲かあああッ?」

 寺にいたサムライたちが鎧を着込みながらこの場に集まってくる。天歌が斬った動く死体を見ると、彼らは気味悪げな表情を浮かべた。そんな中、一人のサムライがそのゾンビの頭部に槍を突き立てて仕留める。サムライは、なんまいだぶ、と唱えた。

「……むう、哀れな。未練が募ってのことだろう。慟哭のあまり動く死体になることも時にはあるものか。おおい!誰か、僧侶はおらんか!この哀れな死体を弔ってやりたい!」

「―――なあ。オッサン、『それ』、そんなに珍しいものでもなさそうだぜ?」

「なんだと?」

「寺の周りどころか村中にそんなのがうろついてやがる。戦えるヤツ、全員起こせ!」

 天歌は夜の闇に沈む村を見渡しながらそう発言する。彼の金色に輝く瞳がうごめく『敵』の姿を見つけていた。ゾンビどもの群れと……そして、それよりもずっと大きな何か。四つ足の不気味なケモノだ。そいつが一直線にこの寺目掛けて走ってくる!

「なんだあれ……おい、気をつけろ!デカいヤツが来るぞ!」

『GHAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHッッ<』

 赤い月が不気味に輝く夜空に、おぞましい姿を持つ巨大なケモノが飛翔する。

 獅子の頭と山羊の頭、熊のような胴体に、太い爪をもった長い手足。

 いくつものアヤカシが混じったような怪物が、塀を跳び越えて寺の境内に侵入してくる。ミカド側の陰陽師が使役する『鬼兵士』もなかなか不気味な姿をしていたが、ここまでグロテスクなものではなかったし、コイツはサイズが大きすぎた。

 それでも歴戦の勇士たちは怯まない。あの槍をもったサムライが先陣を切る。狙い澄まされた槍の一突きが獅子の頭を打ち貫いた。だが、次の瞬間、怪物のもう一つの頭である山羊が猛烈な火炎を吐きつけてくる。

 槍の使い手は反応することもなく火炎放射に焼き尽くされてしまった。怪物はそれを皮切りに、次から次にサムライたちを仕留めていく。太い爪で切り裂き、口から吐き出す炎で焼き払い、その巨体でのしかかり押しつぶしていった。

「ちっ!……調子に乗ってんじゃねえぞ、動物がああ!」

 天歌は境内を暴れて走る怪物の背に飛び移ると、刀を山羊の頭目掛けて叩き下ろす。

 ガキイイン!

 山羊の角に当たった刀が甲高い音を立てて折れてしまった。怪物は激しく暴れて背中に取りついた天歌のことを振り落としてしまう。地面に投げ出された天歌はすぐに起き上がった。それと同時に彼は素早く駆け出さなければならない。山羊が大きく口を開き、今にもあの火炎を吐き出そうとしていたからだ。

「焼かれてたまるかよッ!」

 天歌は火炎の息をスライディングでかいくぐった。怪物の腹の下にもぐりこんだ彼は左腕を伸ばして、山羊の下あごを鷲づかみにした。彼は片手で懸垂するように左腕の力だけで浮かび上がると、右手に持った折れた刀をつかい、山羊の首を掻き切ってみせた。怪物が断末魔の悲鳴をあげて大地に沈み、天歌は怪物の巨体の下から這い出してくる。

「すごーい。すごいよ、天歌!やったねー!」

 大牙の明るい歓声が響く。天歌は彼を見ることなく状況を察した。あのバカ、酒飲んでやがる。少年は若い首を横に振りながら、獅子の頭を足で押さえつけて、そこに突き立てられたままになっていたサムライの槍を引き抜いた。

「―――おい、大牙」

「なんだーい?」

「テメー、術つかってこのバケモノと合体しやがれ」

「はあ?合体ぃ?……ああ、『合身の術』のこと?」

「名前なんか知らねえよ。アヤカシを手足に封じて、その力を使えるんだろうが?」

「あれはねえ、文献で読んだことがあるだけでー、使ったことはないよー」

「テメーのことだ、どーせ、ここの治療所でも死にかけの兵士で実験していたんだろ?」

「……さあ、どうだったかなー」

「術に関しちゃお前は天才だ。どうせ成功させちまうんだから、今やれ」

「でも―――」

「―――ケガしているとはいえ、百戦錬磨のサムライどもがあっという間に殺されちまった。戦力がいるんだよ、この修羅場を乗り切るにはな」

 天歌は槍の穂先を大牙に向ける。大牙はおどろくが、天歌は眉ひとつ動かさない。

「おい、腰抜け野郎。酒で現実逃避してる内にバケモノどものエサになりたいのか?……そんなみじめな死に方させるのはダチとして忍びねえよ。戦力になる気がねえんなら、バケモノじゃなくて、このオレさまがお前のことを殺してやる」

「……あはは。そういうセリフを本気で言っているから、怖いよね。うん……分かった。僕だって、できることなら死にたくはないんだ。それに、君のことも死なせたくないし」

「だったら、さっさとしやがれ。時間は稼いでやるからよ」

 ―――天歌はそう言うと槍を構えて、塀をよじ登ってくるゾンビたちに襲いかかる。ゾンビを下から突き上げて持ち上げ、地面目掛けてたたき落としていく。超一流の槍さばきだ。技術としてその動作が正しいのかは大牙には分からないが、天歌の振るう槍は誰よりも速く動き、誰よりも力強くゾンビどもを破壊していくのだからそうに違いなかろう。

 天歌の働きに触発されて、サムライや動ける者たちもゾンビとの戦いに没頭していく。士気はかなり高い。『子供』の天歌がいとも容易くゾンビを破壊していく様を見れば、誰もが自分も活躍できると勘違いしてしまうからだ。だが、大牙には分かっている。現実はそうではない。天歌という『怪物』だけが特別なのだ―――。

 膝蹴りでゾンビの頭部を破壊し、槍を振り回すだけで何体ものゾンビをなぎ倒してしまう。そんな子供、他にいない。というか、そんな人間を大牙は知らない。

「……そこまで強い君が、僕なんかを頼るなんてね。ホント、世の中に終末が来たらしい」

 酒に酔っ払っている内に殺される。そういう末路でいいと大牙は考えていた。彼は自分に価値を認めていないのだ。

 こんなに投げやりになれるのは、親に捨てられたからだろうか?

 ……農家に生まれた『小兵衛』は、幼い頃に崖から落ちて右の手足の骨を折ってしまう。山奥の貧村でのこと、医者などどこにもおらず、手足の骨は曲がったままくっついた。その体では、過酷な畑仕事をこなせないのは明白。7才になるころ、彼は寺に出された。

 『僧侶としてなら生きていける』……と言えばそれなりに聞こえがいい。だが、現実は役立たずの烙印を押され、都合良く捨てられただけだった。

「うおらあああああああああああッッ<」

 友人が闇夜に叫びながら、地獄のケモノをまた一匹仕留めていた。槍で獅子頭を貫き、今度は素手で山羊の首をへし折って殺したのだ。大牙には、どんどん天歌の動きが速くなっているように見える。いや、事実そうなのだろう。

 天歌は戦いの天才だ。未知の怪物の動きさえも、すでに把握しつつあるのだ。あの獣じみた金色の瞳を嬉しそうに輝かせながら、次から次にバケモノどもを殺していく。これでは、もうどちらが『怪物』なのか分からない。

「―――そんな君が、僕を頼ってくれるなんてね」

 役立たず。うすのろ。

 あの寺でもそんな言葉ばかりを浴びせられた。仏門の徒であるはずの坊主どもはお経の一つも読めないエセ坊主ばかりだった。あの寺の役割は、戦時のための臨時兵力として僧兵を作ることだけであった。

 暴力にさらされ屈辱にまみれた幼少時代だったが、それでも呪術と法術を必死に勉強しつづけてこれたのは何故だったのか……。

「……『自分の名前ぐらい、自分で決めろ』」

 唯一の友人の言葉だ。たかが捨て子のくせに『天歌』なんてカッコいい名前をつけやがって。あの寺にいた子供たちの中でも、一番みじめな生まれのくせに。そんな名前を堂々と名乗り、いつのまにか、サムライを追い越すほどに強くなった。

「―――『大牙』。それが僕の名前だ」

 目の前に転がる地獄のケモノ。あんぐりと開いた獅子の口からは、見事なまでに巨大な牙が生えている。強くなりたいと願って選んだ名前。親に捨てられたみじめな『小兵衛』ではなく、『大牙』だ。いつかその名に見合う男になると誓ったことを忘れてはいない。

 大牙の口が呪術の言葉をつらねていく。

 不自由な手足を治すための術を探し続けた結果、古い文献で見つけた呪術があった。アヤカシどもを己の体内に封じ込め、その妖力を意のままに使役する術だ。地獄から這い出たこのアヤカシならば、『大牙』の名にもふさわしかろう。



「オラオラオラアアアアアアアッッ<」

 天歌は素晴らしい対ゾンビ兵器を発見していた。手斧である。左右の手に握りしめたこの小さくも分厚い金属の刃を、太鼓のバチのように振ることでゾンビどもに致命傷を与えることが可能だ。刃こぼれもしないしな!

「……だが、さすがに数が多いか」

 ときおり俊敏なゾンビもいるが、大半のゾンビは鈍足だ。一体ずつ倒すのはそれほど難しくはない。しかし、あとどれだけいやがるんだ?……あの海岸にいた奴ら全部だとすると、いくらなんでも厳しいかもな。お経でも読めば成仏してくれねえかな?……でも、正式なお経なんて習ったこともないんだよな―――。

「お、おい!誰かがこっちに来るぞお!」

 寺の屋根に登った見張り役の男がそう叫んだ。

「どうする?お、女の子みたいだが、入れてやろうか?」

「……つってもよう、正門開けちまえばバケモンどもがなだれ込んでくるぜ?」

「だが、女だぞ、女ぁ……っ。しばらく抱いてねえし……ッ」

「バカ!そんなこと言っている場合か!」

「―――門を開けてやれ。ゾンビどもは、オレがなぎ払ってやるよ」

 天歌がそう言えば男たちに異存はなかった。この数十分の戦闘で天歌がどれだけの腕前なのかは皆が思い知らされていた。戦場では強者の言うことは絶対だ。天歌はサムライたちから刀と脇差しを借りて二刀流になる。天歌は見張りの男に叫ぶ。

「門を開けるタイミング、アンタが言ってくれ!」

「おう!任せときな!さあ、お嬢ちゃぁあん!こっちだぞおお!早う、来ぉおおい!」

「お、おおきにー!たすかりまっせ!」

「うう、嬢ちゃんゾンビを連れてきてるなあ。そろそろか……3、2、1……いまだ!」

 見張りの男の言葉と同時に寺の扉は開かれる。天歌はその瞬間、矢のような勢いで飛び出していた。すれ違いざまに若い女が見えた。銀色の髪をした乳の大きい女だ。そして、その背後にうじゃうじゃゾンビがいやがる。何匹いるのかも分からないが―――まあいい、全員まとめてぶっ殺してやればいいじゃねえか!

 殺戮の剣舞が始まる。天歌は嗜虐的な笑みを浮かべながら、ゾンビの群れに突撃していく。右の刀で切り捨てて、左の脇差しで突き殺す。

 脇差しを身を回転させながら引き抜き、右の刀による力任せの横なぎ払いを続けざまに放った。重厚な鎧をまとったゾンビを見つける。斬撃では切れそうにない……だから、脇差しをそいつの首元に突き立てて仕留める。脇差しは深く食い込み、骨に挟まれたようだ。

 捨てるしかねえな。天歌はそう判断し、脇差しから手を離す。

 刀一つになった天歌であったが、それでも斬撃を次々に連続させて、ゾンビを切り捨てまくった。七匹目を切りつけたころ、刃こぼれしていた刀がゾンビの骨に引っかかり、そのままバキッと折れた。折れても問題ない。折れて短くなっても金属の塊、切りつければ殺傷能力はまだまだ現役そのものである。返す刀でそいつの頭部を殴打して仕留めた。

「……ッ!まだまだあ!」

 刀を折られた直後、正面から飛びかかってきたゾンビを前蹴りで打撃し、右から飛びかかってきていたゾンビのあごを折れた刀で下から貫く。いよいよ自由に振り回す武器のなくなった天歌は、そのゾンビが腰に差したままにしていた脇差しを抜き取り、起き上がってきた正面のゾンビの頭を切り裂いてみせた。

 さすがに体力の限界だ。ムチャな運動を連続させた体に限界が訪れようとしている。少年はダメ押しと言わんばかりに、脇差しを迫り来るゾンビの群れに投げつけた後、きびすを返して寺へとダッシュで帰還する。彼の帰還と同時に門はふたたび閉じられた。

「む、むちゃくちゃなヤツやなあ!いったい、一人で何十匹殺す気や……」

 両膝に手を置いたままハアハアと荒い息で呼吸している天歌に、銀髪の女は声をかける。

「でも、おかげで助かったでー。ありがとなあ、ボーヤ♪」

「……うるせえ。ガキあつかいしてんじゃねえよ。オレはもう15だ」

「うふふ。そういうセリフ言うてる内は、まだまだガキやねんで?」

「しかし姐さん、アンタよくバケモノどもの群れから一人で逃げてこられたな?」

 一人の男が女に聞いた。女は、くすくす、と笑いながら、運が良かっただけでーす、と答えていたが天歌にはこの女が生き残った理由が他にもあることに気がついていた。

「……テメー、タヌキだろ?」

「へ?ち、ちゃうわ、いきなり失礼なガキやな!」

「ばーか。しっぽが出てるんだよ」

「え!そ、そんなバカなっ?」

 銀髪の女が着物越しに尻のあたりを抑える。天歌は鼻で笑った。

「フン。出てねえよ。テメー、術じゃなくて頭のほうを鍛えないとな」

「う、うう!ば、ばれてもうた!人間の女のフリして、男どもに守ってもらおうと思っていたのにッ?……ちょ、お、お前、なに刀拾い上げとんのや?」

 天歌は地面に転がっていた刀を拾い上げ、その切っ先をタヌキに向ける。

「このアヤカシどもを引き連れて来やがったのはタヌキか?それともキツネか?」

「お、お前、まさかこのバケモンどもとタヌキが仲間やとでも言いたいんか?」

「ああ。タヌキやキツネがやってくるまでは、こんなアヤカシはいなかったんだぜ?」

「ちょい待て!そんなわけあるか!そもそも、タヌキにこないな力あったら、西の都で負け戦なんてやらんわい!……それに、舶来キツネにだって、こういうことはムリやろ」

「じゃあ、こいつらはどこから来たんだよ?」

「うちが知るかい。ただ……ショーグンはんの都のほうから悪い気が流れてきよる。もしかしたら、あんまし縁起ないことが続いたもんで、地獄の扉が開いてしもうたのかもな」

「地獄の扉ァ?……テキトーな名前だな。まあ、いいぜ。どのみち敵か味方かも分からねえヤツを近くに置いておく趣味はねえんだ」

「ちょ!み、味方、味方ぁ!ショーグン側について同盟組んだやろっ?」

「戦は終わった。今さら同盟もクソもねえだろ?」

「ちょ、ちょっと待ってくれえええ!」

「な、なんやお前?」

 天歌とタヌキのあいだに一人の男が割って入る。男はタヌキの足にしがみつきながら、涙をドバドバ流した顔で天歌に懇願してきた。

「たのむぅ!こんなエロい体をした女を殺さないでくれええ!」

「オッサン、いいこと言うたで!」

「正体タヌキだろ?エロいもナニもねえだろうが」

「人間だろうがなかろうが、エロいもんはエロいんじゃああいッ<……せ、せめて、ワシに一回でいいから、エロいことをさせてくれえ!殺すなら、そのあとで殺してくれええ!」

「こ、このゲスがあああ!」

 タヌキはオッサンをガンガン踏みつけていく。天歌はバカらしくなって刀を下げる。

「―――まあいい。しばらくは殺さないでおいてやるよ」

「お、おおきに」

「ちょっとでも怪しいそぶりをしたら即・鍋にしてやるからな」

「よ、よだれ垂らしながら恐ろしいこと言うなや!……こいつらホンマ最悪の野武士集団やで。エロいことしたあげくに鍋にして食ってまうとか……そないなことばっかりやっとるから、ミカドとキツネに負けんのや……」

「う、うるせーよ」

 この場にいる男たちはそう言い返すのがやっとであった。彼らはみんな負け犬だから。

「し、しかし……ずいぶんと静かになってきたな」

 一人のサムライがそう語る。たしかに、先ほどからゾンビや双頭のバケモノの襲撃がなくなっていた。かなりの数を倒したこともある、戦闘はこれで終わりなのだろうか?

「……いや。逆に静かすぎるかもな。気配を消すためにあえて静寂を装う……今度の戦の序盤じゃ、オレたち僧兵はそうやってミカド側の兵士を襲ったもんだぜ」

「ほー。なかなか勘のいいガキやな。タヌキのうちには分かる、強烈なんが来とるぅ!」

 タヌキ女がおどけた顔になり両腕を大きくあげてそう叫んだ瞬間のことだ。夜空の月をおおい隠すほどの巨体が、塀を乗り越えて出現する。骨で出来た鎧を身にまとった『巨人』。その顔には五つも眼球があり、耳元まで裂けた口からは鋭い牙がいくつも飛び出していた。

「うぎゃああああああああ!た、タヌキがバケモノ呼びやがったああ!」

「ちゃうわああああ!うち、冗談のつもりやったんやあああ!」

「……バカな。こんな巨大なヤツの接近に気がつかねえなんて、見張りは一体―――」

 天歌は気がつく。タヌキの足下に倒れているスケベ男こそ見張りであったことを。タヌキは天歌の視線がその男に注がれていることで、ピンときたらしい。

「ご、ごめん。なんか、うちもちょっと悪いみたいです……?」

『SYHAGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAHHHHッッ<』

 巨人が咆吼し、空へと飛翔した。その巨体を活かしてサムライたちを押しつぶす気らしい。皆が悲鳴をあげてその場から必死になって逃げようとした。だが、逃げ遅れた何人もの兵士たちがダイブしてきたその巨体に無残に押しつぶされてしまう。

 巨人はニヤリと笑いながら、己が踏みつぶした兵士をひとり指先でつまんで持ち上げると、そのままゴクリと一呑みにしてしまった。食欲はおさまらないらしい。巨人は兵士の遺体も倒されたゾンビもお構いなしに、つぎつぎとその大きな口に運んでいく。

「で、デカい。デカすぎるだろ……っ!」

 生き残った兵士たちもその圧倒的な『食事』を目の当たりにすると、士気が萎えてしまう。体力・気力ともに限界が近づいていた状況で、この巨人だ。いくらなんでも勝てる気がしない。ヒトは絶望的な状況に陥ったとき、あきらめてしまうもので―――。

「うおらあああああああああああああああッッ<」

 タヌキの『お里』は夜空にそいつが飛ぶ姿を目撃した。牙をむき出しにしたケモノ。いや、あの恐ろしく強い僧兵の少年の姿だった。彼は屋根の上を走ってつくりだした助走を用いて、こともあろうにあの巨人へ飛びかかっていたのだ。

 ずしゃああああああああああ!

 天歌が巨人の頭に槍を突き立てた。巨人が爆音のような悲鳴をあげる。その悲鳴に気を良くしたのだろう、少年は槍はぐりぐりと動かして更なるダメージを与えんとした。だが、巨人は大暴れだ。大きな左右の腕をぶん回して、己の頭にいる少年を払い落とそうとする。天歌の体に腕の一振りが命中し、彼の体を大きく吹っ飛ばした!

「が、がきんちょおおおおおおおおおッ!」

 い、今のは死んだ。さすがに死んだ。お里は確信する。吹っ飛ばされた少年の体は荒れ寺の屋根に命中し、それを貫いてしまった。屋根には大きな穴がぽっかりと開いてしまっている、あれで助かるとは思えない。だが、他人の死を悼んでいる場合でもなさそうだ。

 怒り狂う巨人が首だけを回してお里たちをじっと見下ろしてきた。巨人の顔を見て何人かのサムライが失禁してしまう。眼球に見えていた場所にあったのは、不気味なことに人間の顔面だった。老若男女さまざまな人間の頭が、笑顔や怒り顔に泣き顔と、いろいろな表情を浮かべ、『眼球』の代わりとなって五つの眼窩に収まっているではないか。

「お、おぞましいわ……コイツ、間違いなく地獄の眷属やで!あ、あかん……これは」

 がしゃん!

 地獄の巨人の頭部にとんでもないスピードで瓦の欠片が命中する。ダメージよりも怒りからだろう、地獄の巨人がぐるりと瓦が飛んできた方へと向き直った瞬間、天歌の飛び蹴りが五つある眼球―――というか顔面の一つを粉砕していた。

「ざけんな、くそ雑魚があああああああああッ<」

 殴り飛ばされたことに激怒している天歌は、巨人の頭部を両手でつかんで取りついたまま、二度三度と膝蹴りを巨人の顔面たちに打ち込んでいく。

 巨人はふたたび少年のことを手ではたこうとするが、今度は打撃をもらう前に天歌は自ら地面へと飛び降りて、その拳の脅威から逃れてみせた。

「うおおおっ。猿みたいに素早いガキやで……って、おい!上!上っ!」

 着地した天歌を逃すつもりはないのだろう、巨人は大きく腕を振りかぶり、天歌目掛けて振り下ろしてきた。だが、その大きすぎる動きに反応しないほどこの少年は遅くはない。 頭上からとんでもない勢いで落ちてきた巨人の拳。それを天歌は巨人の両足のあいだを走り抜けることで再び空振りさせてやった。

 巨人の拳が打ち込まれた地面が、ズシイイインン!と低い音を立てつつ大きく揺れる。その音を聞きながら、天歌はその一撃を回避できたことを得意げな笑みで誇るのだ。

「うすのろめ!そんな大振り、二度も喰らうかよ!」

 ―――だが、その直後だった、巨人はその巨体に見合わない俊敏さを見せる。長い手足をクモのように素早く動かすと、驚異的な速度で己の背後にいる天歌へと向き直っていた。

 敵の背中を取ったつもりになっていた天歌の表情が、あっという間に強ばる。

「テメー、うすのろじゃねえのかよ……ッ!」

 このバケモノには『知性』というものがあったのだ。あのゾンビどもとは違い、こちらの動きを予想できるぐらいの知恵を持っているらしい。巨人が肘を曲げ、腕を挙げる。よどみのない、シャープな動きだった。それは練度というものを感じさせる。

 ―――コイツの『得意技』ってか。どうも、回避が間に合いそうもねえな。

「が、がきんちょ、逃げえええええ!」

「うわああああ、お、終わったああ!」

『SYGAHAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッ<』

 悲鳴と怒号の渦に包まれた戦場で、天歌はそれでも落ち着いている。目の前に迫る巨人の拳を見据えたまま、少年の口が親友の名をつぶやいた。

「―――出番だぞ、大牙」

 ザシュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッ<

 巨人の腕が夜空に舞った。燃えるような赤い血潮の軌跡を描きながら、その巨大な腕は寺の屋根まで吹っ飛んでいく。その場にいた多くの者が一体どういうことなのか理解できないでいた。『ぼたんだぬき』の娘であるお里でさえも、ただ呆然とするだけだった。

 天歌は強者たちが呆気に取られていることが、愉快でたまらなかった。ニタリと意地の悪そうな顔で笑いながら、友人の『デビュー戦』を祝ってやる。

「よくやったな、大牙。やりゃー出来るんだから、もっと早くに出てきやがれ!」

「―――『切り札』ってのは、ピンチのときに使うものでしょ?」

 天歌のとなりに座っていた大牙はすくっと立ち上がる。そう、あの大牙がなめらかな動きで立ち上がったのだ。6才の頃に失われたその動作。それをふたたび手に入れることが出来た大牙は、感無量といった表情である。

「すごいな。蹴り技で大鬼の腕を吹き飛ばしちゃうなんて……すごいな、僕」

「……な、なんや、あの赤毛の坊主……お前、どこのアヤカシや?」

 お里がこめかみに指を当てながら必死に考える。だが、こんな顔のタヌキもキツネも知らなかった。あんなに強いアヤカシを、タヌキの総大将の娘である自分が知らぬはずがないのだが……。

「アヤカシじゃないよ?僕は人間さ」

「ど、どこがや、このバケモン!」

 頭と半身はたしかに人間そのものに見えるが、その右腕は長い爪の生えた巨大な腕、その右足の先端からは巨人の腕を切り飛ばした剣のように長い『牙』が生えていた。

「お前、どこからどう見ても、アヤカシやんけ<このバケモンが<」

「……えー、そういう扱いされると、なんだか傷つくなぁ……」

「見てくれなんざ気にするな。肝心なのは、強いかどうかだ!」

 天歌は地獄の巨人を見上げながらそう叫ぶ。巨人は死んでいない。腕を失った衝撃で混乱していたものの、どうやらそろそろ正気に戻ったらしい。その巨体に備わる『知性』が状況を正確に分析し終わったのだ。あの赤毛のアヤカシ?に己の腕がぶった切られた。その事実は、彼を激怒させるに十分なことである。

 巨人が吼えた。あまりの音量でこの場にいた誰もが鼓膜に激痛を感じた。聴覚が麻痺するなか、巨人の襲撃が再開する。この怒りのターゲットになったのはやはり大牙である。

「……ま、まずいなあ。目が合っちゃったよ……ッ!」

 大牙は新たに手に入れた手足の力を用い、境内を全力で逃げ回った。大牙は野良犬のように素早く走り回って巨人の攻撃を回避しつづける。

 それはいいのだが、暴れ狂う巨人の体に押しのけられるようにして荒れ寺がどんどん崩壊していく。お里は考える。良くない流れやなぁ。寺が壊れたらゾンビを防ぐ『壁』がなくなってしまう。うちは生き残らんとあかんのや……こないなとこで、死んでたまるかい!

 お里が巨人をにらみつけながら、両手で呪術の印を結ぶ。

「―――見せてやるわい、西のタヌキのド根性!必殺、『金剛縛鎖の陣』ッ!!」

 どろん。間抜けな音と共にお里が煙につつまれる。次の瞬間、煙のなかから金色に輝く無数の鎖が勢いよく飛び出していき、大牙を追いかけ回す巨人の手足と胴体を締めあげる。

「封・印!」

 ドシン!お里がどこからか取り出し大木槌で、鎖の発端を巨大な釘で打ち留めた。その瞬間、金の鎖はますます強く巨人に絡みつき、その動きを止めてしまった。

「おお。やるじゃねえか、タヌキ女!……って、あれ?なんでお前、チビになってんの?」

 天歌は煙から出てきたお里を見て当然の疑問を口にする。ついさっきまで巨乳美女であったはずのお里は、10才ぐらいの童女にしか見えない姿になっていた。

「どうした、自慢の乳と色気が消えてるぞ」

「う、うるさい。ほっとけ!強い術使うと、変化の力も弱まるんや!」

「これじゃ色んな意味で食べれんな」

「そもそもタヌキは食べ物やないわい!……んなこと言うてる場合か!はよ、あのデカブツ仕留めえ!……うちの術も、そう長くはもたへんぞ!」

 サムライたちもこのチャンスを逃すつもりはない。彼らは弓を使う。崩れかけた屋根に登った四人のサムライが一斉に矢を撃ち放った。全ての矢が命中したが、巨人の肉体に刺さったのはその内の二本だ。

 矢が放たれた瞬間、巨人は自らその飛翔物に体をあえて近寄せることで間合いをつぶした。間合いをつぶされた矢は揺れが収まらないまま標的に当たり、その揺れのせいで威力が半減してしまうのだ―――やはり、この大鬼には知性があるんだ。というか人間の武術を知っているらしいね。そんな冷静な分析をしていた大牙に、天歌が命令した。

「大牙ァ、その右腕でオレを打ち上げやがれ!」

「え、こ、こう?」

 走り込んでいた―――というかほとんど跳び蹴りみたいな勢いで飛んできた天歌を、大牙の右腕がつかんで投げた。さすがは幼少からの付き合いか、その連携は見事に成功し、空へと舞い上がった天歌は、胸を貫いた矢のダメージにうめく巨人の頭部へと迫る。少年の手に握られていたのは一降りの大太刀。

「その首、もらったああああああああああああああああッッ<」

 銀の閃きが夜空を切り裂き。分厚い鋼の刃が地獄の巨人の首に命中する!巨人が悲鳴と血を吹き上げるが、一刀両断というわけにはいかず、大木にはまり込んだ斧のように天歌の刀は切断途中で止まってしまう。少年が忌々しげに奥歯を噛んだ。彼の足の指が巨人の肩をおおっている骨製の鎧を力強く握った。

 少年が咆吼する。地獄のケモノよりも大きく、力強いその雄叫び。それとともに彼は巨人の肩を蹴り出しながら大太刀を振り抜いていた。巨人の太い首がそのとき断ち切られ、夜空に、ぶおん、という大きな音を立てながら飛んでいく―――。

 


 ―――長い戦いの夜が明ける頃。荒れ寺に生き残っていたのはほんのわずかな人数だった。地獄の巨人を倒したあとも、ゾンビどもの襲撃が繰り返しあった。

 ほぼ崩壊した塀は守りの壁としてはもう頼りにはならず、戦士たちはあらゆる方向から来る敵の群れと戦わなければならなかった。死者続発の悪夢のようなサバイバルは一晩続いたというわけだ。むろん、サバイバルにおいて、『強者』は生き残ることもある―――。

「……あ、朝日がこんなに待ち遠しいなんて……っ」

 陽光に清められゾンビたちは浄化されたらしい。動く死体からは呪力は消えて、ただの息絶えた亡骸へと戻っていく。大牙は日のある内に片っ端から死体を焼いておこうと考えていた。そんな赤毛の男のとなりに、銀髪の『幼女』がうずくまっている。

「体力も妖力も限界やー……自分で自分をほめてやりたいわい、ホンマ……しかし、赤毛の兄さん。お前んとこの相棒、どないな神経しとんのや?」

 お里は無数の死体のど真ん中で、すこやかな寝息を立てる少年をちいさな指で差しながら、ありえん、とつぶやいた。

 大牙もお里の意見に共感を覚えてしまう。ゾンビどもを足で蹴飛ばして作りあげたスペースに寝転ぶと、なんと天歌はそのまま眠りについてしまったのだ。

「……僕にはマネできないなあ。死体とはいえ、『敵』のど真ん中で眠るなんてね」

「……アレは鬼神かなんかの血でも引いとるんか?……いくらなんでも強すぎるやろ」

「さあ?僕は人間だと思っていたけど……ちょっと自信もてないかな?天歌は捨て子だったみたいだから、両親のことなんて何も分からないしね」

「そーか。アレも哀れなガキなんか。まあ……人間の世はややこしいことが多いもんや」

「……これから世の中どうなるんだろーね?」

「ミカドが王に戻るんやろ。そのための戦やったんや。でも、貴族どもにサムライに……あと、キツネもおる。どうせ、覇権巡って、すぐ戦になるのがオチやろ」

「人の世がこんな地獄になっても、まだ戦はつづくのか……でも。僕たちの寺はとっくの昔に焼け落ちて、住職たちも死んでしまった。ショーグンさまも、もういない」

 ……僕たちは、どうなるんだろう?大牙は手に入れたばかりの右腕と右足に触れながら、未来を憂う。彼とてまだ17才の若者だ。乱世を指導者なしで生き抜く自信も知恵も、十分にあるとはとても言えなかった。

「……フン。お前もアイツも行き先すら分からん迷い子か」

「うん。そーだね、そういう、フワフワしたものだよ」

「そ、それなら。しばらく、このお姉さんも、お前たちと行動を共にしてやるわい!」

「……タヌキさんも未来が見えない?」

「う、うちには壮大な計画があるんや。そ、そのための、一環やで!」

 ……タヌキの計画。それもなんだか人間の世にとっては危険要素なのかも。大牙は頭の片隅でそんなことを考えながらも、コクリ、とうなずいていた。

 仲間は一人でも多いほうがいい。この世は地獄と成り果てた。それでも、死にたくはないと魔道の術を使い新たな手足を獲た。この乱世を生き抜くためには『力』が要る。いいじゃないか、生きるためにアヤカシと手を組んだって?……死ぬよりはよっぽどマシだ。

 ―――これは、『千獄』と呼ばれた苛烈な時代を生き抜く若者たちの物語。


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