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illusion  作者: 海東翼
3/10

第3話『休日はテニスでもご一緒に』



 また次の日の朝。

 ピピピピピ……と目覚し時計が鳴り響く。

 平凡な日々の幕開けだ。と思った次の瞬間だった。

 目覚し時計が――鳴り止んだ。


「……おはよう……ふふっ♪」


 突然耳元で囁かれて、ビックリしながら目を開けると、目の前に"彼女"の顔があった。


「うわああああっ!!」


 まさか、昨日あんな別れ方をしたなつこちゃんが、今日も来るとは夢にも思わなかった。

 でもちょっと、安心した。


「な……何してるのさ……君は」

「驚かせようと思って。ほら、私は女で、アンタは男でしょ? 色んな起こし方があるじゃない?」


 と言って、固まった。


「あ、ち、違うわよ!? 全く変な意味じゃないからね!?」


 そう言いながらも勝手に人の横で寝っ転がっていたのだから、おかしな女の子だよ、ホント。


「……で、昨日は大丈夫だったの?」

「……えっと、さすがにお咎めなしってわけにも行かなくて、放課後は真っ直ぐ家に帰るように監視されるようになっちゃったのよね……」

「よくそれだけで済んだね」

「……まあ、パパは私の事……半分諦めてるから……」

「え……? 何か言った?」


 小声で何かを言ったようだけど、聞き取れなかった。


「な、なんでもないわ! とにかく、これからも毎朝この通り、アンタを起こしに来れるってわけ」

「なんでそれをいつも通りみたいに言うかな。昨日突然始めたことでしょ……」


 僕らが出逢ったのもつい一昨日の話だというのに。


「あと、昨日もらったぬいぐるみなんだけど……パパには、私が自分で取ったって嘘ついておいたから今は私の部屋に置いてあるわ」

「あのゲームまみれの部屋に?」

「いいえ、違うわ。私の寝室よ。あのうさぎをアンタだと思って、ギューって抱きしめて寝ているわ。…………あ、あれっ? ち、違うわよ!? そういう意味じゃないからね!?」


 そういう意味じゃないって、どういう意味なんだろう。

 僕がプレゼントしたことを大切に思ってくれてるってことなのかな?


「何にしてもありがとう。あの時UFOキャッチャーにチャレンジしておいてよかったよ。あのぬいぐるみをプレゼントした時の君、すごく嬉しそうだったもんね」

「そ、そうだったかしら……?」

「大切にしてあげてね」

「そうね……、毎晩抱きしめることにするわ!」


 この子の中ではあのぬいぐるみは完全に抱きまくらになっているらしい。


「ところで、例のメイドさんは今日も来てるの?」

「ええ、下に居るわ」

「またお茶してるの?」

「今日は違うみたいよ? アンタのお母さんと一緒に朝食作るって言ってたわ」

「え、それってつまり……?」

「今日の朝食はアタシもご一緒させていただくわ」


 ……母さんの勘違いがより強まりそうだった。


「ところで……」

「何かしら?」

「いつまでベッドの上に居るの?」

「…………この時期、スカートって寒いのよ?」

「だからって人の布団の中で暖まるのはダメだよ」

「はーい……」


 ようやく布団から出てくれた、制服姿のなつこちゃんだった。


「それじゃあ、朝食できたら呼びに来るわね」


 そう言って部屋を出ていくのだった。


「もしかして、これから毎朝こんな感じなのか……?」


 誰に問い掛けたわけでもないので当然誰からも返事はないが、階段を軽やかに下りていくなつこちゃんの足音が返答なのかもしれない。……と、妙に詩人っぽいことを考えてみたりした。


 この足音が軽やかである限り、彼女はいつまでも前向きに寝起きドッキリを仕掛けてくるのだろう。







 平日は、朝になつこちゃんに起こされた後は、至って平凡な一日を過ごす。

 彼女とは近いようで遠い、すごく微妙な距離感だ。

 しかしあれから数日が経った今からすると、もうちょっと長く話していたいとも思う。朝だけしか会わないっていうのはちょっと寂しい。

 だが休日は行動制限も緩くなるらしい。


 今日は、そんな僕らが出逢ってから初めての休日だ。

 ――ガチャッ


「フンフフーン♪ 今日も驚かせちゃおうかしら」


 なつこちゃんが鼻歌交じりに部屋に入ってきた。

 果たしていつ気づくだろうか。――僕が布団の中に居ないことに。


「では、お邪魔します……」


 布団の端を持ち上げ、ゆっくりと入っていく。

 僕はそれを、クローゼットから覗く。

 ……なんか今の僕、ちょっと変態っぽいな。一応僕の部屋なんだけどな……。


 しかしこれは、逆ドッキリを仕掛けるためだ。

 布団の中には僕と同じくらいの大きさの抱き枕を置いてある。そして今日は、いつもかけている時刻にアラームをセットしていない。

 僕の予想では……『あれ? おかしいな、そろそろ目覚ましがなる頃なのに……。ねえ、起きて』って僕を揺さぶろうとした時に初めてそれが抱き枕だと気づく。そこに僕が登場して『テッテレー♪ ドッキリ大成功!』ってなるはずだ。


「……うーん♪ むぎゅ……う?」


 ……ん? なんか様子がおかしい。


「な、何よコレ……抱きまくら……?」


 な、何故分かったんだ……!?

 謎を解くためにも僕はとりあえずクローゼットから飛び出すことにした。


「ワー!」

「きゃあ!?」

「ドウダ、ビックリシタカー」


 驚かす側だというのにこちらも少し驚かされてしまったので、思わず棒読みになってしまう。


「ビックリしたわよ、寝ているのがまさか偽物だとはね……」

「なんでわかったの……?」

「え? それはだって、抱き心地が全然違う……」

「…………」

「えっ、あっ、今のはウソ!!」


 ど、どういうことだ……!?

 この子、毎朝僕に何をしていたんだ……!?


「あの、そろそろハッキリさせておきたいんだけど、君は毎朝……僕に変なことしてないよね?」

「へ、変なことって何よ!?」

「その……エッチなこととか」

「な……! そんなことするわけないじゃない!!」


 お互い顔を真っ赤にしてしまう。


「……さっきアンタ、ハッキリさせたいって言ったわね? 分かったわ、正直に言うわ。私は毎朝、寝ているアンタに抱き着いていたのよ」


 そうだったのか。……って納得できるはずがない。


「な、なんで……?」

「その……私……物心ついた時から一人で寝たことしか無いのよ。だから一度アンタに抱き着いて寝てみたの。そしたらクセになっちゃったのよね……」


 この子、常識がなさ過ぎる。


「あのね、女の子が知らない男にそういうことしちゃダメなんだよ?」

「知らない男じゃないわよ」

「知ってる男でも同じ。好きでもない人にそういうのはダメ。僕だからいいものの、男は皆野獣なんだから、大変なことになるよ」

「……言わなきゃダメなの?」

「え……?」


 それってまさか……。


「私はアンタのこと……」


 やっぱりコレって……


「好きか嫌いかで言ったら好きな方なんだからね!」


 すごく微妙な好感度だった!


「……それ、喜んでいいの?」

「ええ、もちろん。滅多に居ないわよ、私が嫌いじゃない人なんて」

「……まあいいか。寝ている間に君が何をしているのかも判明したし」

「そうよね……今までごめんなさい」

「いいよ、過ぎたことだし」

「ありがと、許してくれて♪」


 この時僕は、なつこちゃんにハッキリ『抱き着くのは禁止』と言っておかなかったことを後々後悔するのだった。







「で、いつも通り朝食食べてるけどさ、今日は学校休みだし、一緒に登校するわけじゃないでしょ? 何するの?」


 朝食時のなつこちゃんの席は何故か僕の隣である。

 僕の正面には母さん、その隣にはなつこちゃん家のメイドさんもちゃっかり参加してらっしゃる。


「今日は、テニスというものをチャレンジしてみたいと思っているわ」

「まさかのスポーツか……。でもなんでテニス?」

「テニスというのは、ボールがコートの外側をグイーンッて曲がったり、スマッシュを打った瞬間、ボールが爆発したりするのよね?」


 それは残念ながら、現実では起きない。


「それ、マンガの世界だよね……。君ってゲームだけじゃなくて、マンガにもハマってるの?」

「いえ、マンガは読まないわ。けどインターネットは頻繁に開くわね」


 ネットで得た情報ってわけか、さすがネトゲお嬢様。……おかげでテニスの認識がおかしくなってるけど。


「言っておくけど、実際はそんな派手な技とか出ないからね」

「そうなの? でもスポーツは身をもって経験をすることで初めて理解できるものだと聞いたことがありますわよ?」


 今サラッとお嬢様口調が出たな。

 時々こういう風にお嬢様っぽさが出るから、なんだかドキッとしてしまう。


「そうだね、やってみようか」

「ええ、楽しみね。……黒影」

「コートの手配は既に完了しています。道具の準備も出来ております」


 このメイドさん、黒影さんって言うんだ……。

 メイドさん特有の物腰の柔らかい感じもあるし、キリッとしたクールな雰囲気も纏っている不思議な人だ。


「それじゃ、さっさと朝食を食べて行くわよ!」

「え……、そんな早く行くの?」

「あったりまえじゃない! 善は急げと言うでしょ?」

「いや、もっと暖かい時間帯にしようよ……」


 冬の寒さは厳しいというのに、どこまで活発なんだこの子は。

 そう思っていると、いつの間にかメイドさんが僕のすぐ横にいることに気づく。

 メイドさんは僕の顔に近づき、耳打ちしてきた。


「お嬢様が積極的に身体を動かそうと提案してきたのはこれが初めてです。どうかお付き合いください」


 耳元でそれを伝えた後、素早く席へと戻っていった。

 そうか……こういうの、なつこちゃんにとっては珍しいことなんだな。


「……わかったよ。食べ終わったらすぐに準備するよ」

「ええ! じゃあ私はそれまで車で待ってるわ!」

「もしかして、あの高そうな車で行くの?」

「ええ、そうよ。結構遠いのよ。歩いて行ったら2時間くらい掛かるわ」


 なぜそんな遠い所なのだろうか?

 というかそれよりも、あの高級車に乗って行ったら目立って仕方がないのだが。

 しかしこの子は自分の意見を曲げないからなぁ、言うだけ無駄だろう。ここは素直に従おう。


「……ごちそうさま。それじゃ準備してくるね」

「もぐもぐ……もぐーもがー」


 ちょっと何言っているのかわからなかったので振り向いて見てみると、どうやらなつこちゃんはご飯を食べながら喋っていたらしい。

 とてもお嬢様とは思えない行動だよ……。


 準備を終えて家の前に止めてあった車に乗り込むと、中に携帯ゲーム機で遊んでいる少女がいた。――というか、なつこちゃんだ。


「……ゲームしてたんだね」

「ええ。今ラスボス戦よ」


 なぜ今そんな大事な局面を迎えているのだろうか。

 僕はこの広い車内の中でどこに座ったらいいのかわからないので、とりあえずなつこちゃんの隣に座ることにした。


「見て見て! レベル上げ頑張ったから敵の攻撃ほとんど通じてないわよ♪」


 嬉しそうに画面を見せてくる。

 ……しかし携帯ゲームの画面を二人で見るとなるとかなり距離が近い。体温も伝わってくるような至近距離だ。


「ここで必殺スキルを一斉発動するのよ。フフン、なかなか酷いでしょ?」

「あはは……そうだね」


 僕は苦笑いで返す。

 それとは対照的になつこちゃんはとにかく嬉しそうだ。……そして、満面の笑みで猛攻撃を仕掛けられたラスボスは、跡形もなく消え去っていった。


「こういうゲームって、エンディングの後もわくわくするわよね! 隠し要素が開放されたりするし」

「そのゲームもそうなのかな?」

「どうなのかしら。私、プレイ中のゲームの情報は見ないようにしているから、わからないのよね」


 なら今、現在進行形でワクワクドキドキしているのだろう。

 ……しかし、今までの冒険の名シーンであろう画像が数々流れるエンディングは、たった今見始めた僕には全くわからないものだらけで、あまり面白くなかった。


「僕、スマホでゲームしてるね……」

「ちょっと待って!」


 スマホを取り出したら、手で制された。


「見てて。説明してあげるから」

「えぇー……」


 退屈な時間はまだまだ続きそうだった。

 そして、なつこちゃんがクリア後のダンジョンを探索している様子を見ているうちに車は駐車場に入っていき、停車した。


「着いたみたいだね」

「えー、今いいところなんだけど……」


 テニスをやろうって言い出したのはなつこちゃんなのに、どういうことだ。


「じゃあ僕、先に行ってるね」

「あ、ちょっと待って! すぐ終わりにするから!」


 小学生みたいなやり取りを繰り広げながら二人で車を降りると、そこには何面ものテニスコートが広がっていた。


「コートはいっぱいあるけど……誰もいないね」

「当然よ。貸し切りだもの」

「か、貸し切り……」


 聞いたことはあるけど、実際に体験することは無いだろうと思っていた言葉だ。

 コートの大きさや、お嬢様のやることの大きさに圧倒されてポカーンと口を開けて立ち尽くす僕のもとにメイドさんがやってきた。


「ではこちらのテニスウェアにお着替えください」

「本格的ですね……」

「形から入ったほうが良いと思って用意させたのよ」


 なつこちゃんが答えた。

 テニスウェアを受け取った僕となつこちゃんは、それぞれ更衣室に入って着替え始めた。

 テニスシューズは渡されなかったのだが、それは恐らく、靴ずれをしないように……なのだろう。本格的に始めるわけでもないので、細かい部分は自由らしい。


「着替え終わった?」


 更衣室のドアの向こうから訊かれる。

 早いな、なつこちゃん。普通、女子のほうが時間掛かるものなんじゃないのかな。


「うん、今行くよ」


 僕はシャツのボタンを止め、更衣室を後にした。

 そしてなつこちゃんの姿にビックリする。――いや、正直ドキッとした。

 普段なつこちゃんは綺麗なブロンドの髪をクルクルクルっとカールさせた状態で下ろしているのだが、今は動きやすいようにポニーテールにしているらしい。

 それが新鮮で、正直言って可愛い。

 しかもテニスウェアがとても似合っている。


「? どうしたの?」

「あ、いや……似合ってるなぁって思ってただけだよ」

「ほんとっ?」

「うん。ホント」


 照れているのか、なつこちゃんの頬がちょっと赤くなっている。

 しかしテニスウェアのスカートって短いんだね。おかげでものすごく目のやり場に困るよ。


「それにしても早かったね」

「ええ、黒影に手伝ってもらったからね」


 なるほど、そういうことか。


「ちなみにテニスウェアのスカートは、"スコート"って言うんだってさ」

「へーそうなんだ」


 僕なんかは一生使わない言葉だと思うけど。……っていうか、スカートと一文字しか違わないのか。

 ところで、そういう情報を聞くと思わず目が行ってしまうのだけど、どうしたらいいのだろうか。


「し、しかし寒いよね……この格好」


 気持ちを切り替えるために話の方向を変えることにした。


「そうね……半袖だものね……。早く始めた方が良さそうね」

「うん。行こうか」


 コートへ向かうと、メイドさんがネットの横にいた。僕らの方を見てお辞儀している。

 どうでもいいけど、あの人はこの場でもメイド服なんだな……。この光景はちょっとシュールだよ。


「ラケットはこちらに用意しています」


 とメイドさんが言った瞬間、黒いスーツと黒いサングラスを着用した姫条家の使用人が、これまた黒いバッグを手に持って現れた。

 ……この間ゲームセンターで合った人ではないな。


「んー……私、ラケットの選び方とか知らないから直感で選ぶわね。……うんっ、コレに決めたわ!」

「じゃあ僕も適当に……」


 ラケットを選んだ後、黒ずくめの使用人からテニスボールを受け取り、初心者同士のテニスが始まった。


「まずはラリーね。行くわよ……そーれっ!」


 なつこちゃんはトスしたボールを綺麗なフォームでパコーン!と軽快な音を立てて打ち込んできた。

 僕はボールの軌道をよく見て近づき……バウンドした後にタイミングを合わせてラケットを振る!

 ――パコン!

 ボールは遥か上空へ消えていった。


「わあすごいじゃない! 消える魔球ね!」


 それは野球じゃなかったっけ?

 それはともかく、僕にはテニスのセンスは無いことが判明した。


「ごめんね、もう一回お願い」


 ――ヒュー……ストンッ

 僕が言った直後、落ちてきたボールがなつこちゃん側のコートでバウンドした。……かと思ったら、ネットの方へ吸い込まれるように転がっていった。

 それを見て、その場に居た全員が凍りついた。

 ……ただ一人を除いては。


「キャー何今のっ! 本当にすっごい技なんじゃないのっ!?」


 目をキラキラさせてネットに寄ってくるなつこちゃん。


「たまたまだよ……」


 僕はあまり気にせずに、もう一度ラリーに挑戦することにした。


「よーし、行くわよ! そーれっ!」


 ――パコンッ!

 なんでそんな綺麗なフォームでジャストミートできるんだろうか。

 実は経験者なんじゃないのか……と、ちょっと疑いつつ、もう一度ボールをよく見て打ち返した。

 ――パコンッ!

 また上空に消えた。


「たーまやーって感じね」

「花火じゃないんだから……」


 今度は落ちてきたボールをスマッシュしてみようと思ったらしいなつこちゃんが、ネット際に走ってきて上空を見上げている。


「あ……見えたわ!」


 ボールが落ちてきた。

 なつこちゃんはそのボールをラケットの中心で捉えた。……スゴっ!!

 そしてそのまま……ボールは地面に転がり落ちた。――と言っても一瞬なのでよく見えなかったから正確ではない。だがなつこちゃん側にボールが落ちているのだから、そうなのだろう。


「……どういうことかしら?」

「……僕にもわからない」


 ふとメイドさんの方を見てみると、何やら黒ずくめの使用人がメイドさんに耳打ちしている。

 そしてメイドさんは僕のそばまで歩いてきて言った。


「あなたはテニス経験者なのですか?」

「いえ……今日が始めてです」

「なら、プロに行くべきです」


 何を言っているんだろうかこの人は。


「たまたまですし、そもそもラリーが出来てないんですけど。っていうか、さっきのも何が起きたのかわからないですし……」

「お嬢様がボールを打とうとした瞬間、ボールがラケットの上で強力な回転を起こしたそうです。その結果、すぐ真下に落ちたということです」


 つまり僕は、バウンドしたら拾えない、そしてノーバウンドで打ち返すことも出来ない必殺のショットを放っていたということらしい。


「結局僕ら、まだテニスしていない気がするんですけど……」

「乗り気では無さそうですね。プロの道はやめておきますか」

「最初からそんな道は通る気無いんですけどね……」

「ではアドバイスを一つ。ラケットの向きを意識してみてはいかがでしょうか」

「ラケットの向き……? ありがとうございます。もう1回やってみます」


 ラケットの向き……か。さっきはどうだったっけ?


「それじゃあ行くわよ! 必殺! ダイナミックストリーム!」


 急に必殺技を叫び出したなつこちゃんだったが、実際はさっきまでと同じような綺麗なフォームでのサーブだった。

 ――パコンッ!

 よし、今度こそちゃんと打ち返すぞ……!

 ラケットの向きは……ちょっと上を向いてる。やや下向きにして打ってみよう。

 ――パコンッ!


「う、打てた!」


 ボールは真っ直ぐ前に飛んでいき、ネットを飛び越えてなつこちゃん側のコートでバウンドした。


「よーし、えいっ!」


 ――パコンッ!

 それからも、メイドさんに言われたようにラケットの向きを意識することでラリーを続けることが出来た。


 ……しかし、


「はぁ……はぁ……」


 あっという間になつこちゃんがバテてしまった。


「大丈夫?」

「はぁ……はぁ……わ、わたし……ふだん……運動……しないから、体力……ないのよ……」


 だそうだ。


「お嬢様、今日はもうお身体に障りますのでやめておいたほうがよろしいかと」

「はぁ……はぁ……そう……ね……これだと……一日持たない……わね」


 結局、テニスはラリーを数回繰り返しただけで終了となった。テニスコートの前に建っている小屋の時計を見ると、もうお昼頃だ。


「お腹空いたね」

「そうね……いっぱい動いたものね……」


 ベンチに座って休憩をとっていると、メイドさんがスポーツドリンクを持ってきてくれた。


「ではお二人様、お昼ご飯としましょう」


 そこから再び車で移動することになった。

 移動中はまたゲームの時間なのかと思ったら、なつこちゃんは膝枕を所望してきた。

 また憧れのシチュエーションとやらか……と思ったが、単純に眠かったらしく、すやすやと寝息を立て始めた。

 それから数十分後、停車した。


「なつこちゃん、着いたみたいだよ」


 いつもは起こされる立場なので、この状況はとても新鮮だ。……しかし声をかけても、肩を揺すってみても一向に起きる気配はない。

 こうなったら、これしかないか。


「覚悟したまえ!」


 ちょっと悪役っぽい言い回しをしつつ脇腹をくすぐってみる。

 しかしまだ起きない。なかなか深い眠りについてるな……。


「なつこちゃん、起きなよー」


 ……返答なし。

 ところで、無防備な女の子の身体に触れるのはまずいことなんじゃないだろうか。

 いや、起こすためだし、やましい気持ちは無い。

 でもこの状況を見た人はどう思うだろうか。


 …………。は、早く起こさないと! この子の使用人にでも見つかったら、殺される!

 しかし起こす方法は、くすぐることしか浮かばない。


「うー、なんで起きないかな……」


 言いながらくすぐり続けていると、突然なつこちゃんが寝返りをうった。

 その際……ちょっと触ってしまった。何をとは言わないが。


「んん……」


 どうやら起きたらしい。……何をキッカケにかはわからないが。


「ふわぁ……」


 ちょっとパニクった僕は、声を若干裏返しながら「おはよう!」と挨拶した。


「うん……おはよう。どうしたの? 顔赤いけど」

「え? いや、なんでもないよ」


 何もなかった。そうだ、何もなかったんだ。と自分に言い聞かせる。


「そろそろよろしいでしょうか」

「うわあああ!?」


 突然背後から掛けられた声に、不自然なまでに驚いてしまった。


「お食事の準備が整ったのでお呼び致したのですが……そうですね……準備が整ったら店内へお越しください」

「「……?」」


 僕となつこちゃんは顔を見合わせる。

 ――って、よく考えたら膝枕したままだった!!


「こ、これは……違うのよ!?」

「……どうぞごゆっくり」

「すぐに行くわよ!」


 こうして、僕らは慌ててメイドさんの後を追い、店内へと入っていった。

 急いでいたので何の店なのか見てなかったが、用意されているものを見て、すぐにわかった。


「そばか……しかも天ぷらがこんなにある。すごい……」


 そばが出ているのだから、当然ここはお蕎麦屋さんということだ。


「いいのかな、僕も頂いちゃって……」

「いいのよ。お金なら腐るほどあるんだから」


 その言い方はどうなんだろうか。


「じゃあお言葉に甘えて……いただきます」

「いただきます」


 僕らは手を合わせて、そばを食べ始めた。

 その味には感動を覚えるほどだった。天ぷらもサックサクで、そばとの相性も最高だ。

 だが……僕となつこちゃんを同等に扱って良いのかな……?

 僕らが座っているお座敷には僕となつこちゃんの二人だけしか居らず、メイドさん達は違う席で食べている。……僕のことは全く警戒していないのかな。


「ここは貸し切りじゃないんだね」


 周りに一般客がいるのを見て、冗談混じりにそんなことを言うと、


「いえ、客はみんな私の家の者よ。人が居なかったら食事も美味しく感じないからって、いつも一般客を装わせているのよ」

「そ、そうだったんだ……。じゃあ、純粋な一般客はこの中で僕だけってことか……」

「まあ、気にしなくていいわよ。どうせみんな食事していることには変わらないんだから」

「う、うん」


 しかし、一般的な服装をしているあの人達全員がなつこちゃん家で雇っている人達だとは……全く思わなかった。

 もしかしてこの数十人の使用人達は、今朝からずっと僕達と一緒に行動していたのかな……?

 ……さっきの車内の光景をこの人達に見られたらどうなっていたか……想像したくない。


「お昼食べた後はどうするの?」


 沈みかけた気分を持ち直しつつ質問する。


「帰るわ。今日は午後から用事があるのよ……」

「へぇ……その様子だと、あんまり良い用事じゃ無さそうだね」

「そうね……正直気が進まないわ……」


 一体どんな用事なのだろうか。

 気にはなるけど、家庭の事情に踏み込むのは気が進まないからやめておこう。


「次こんな風にアンタと遊べるのは……来週ね」


 なつこちゃんは寂しそうに言う。


「でも、ほとんど毎日起こしに来てるじゃんか」

「ふふっ……考えてみたら、そうね」


 そう言いながら微笑んだ。

 やっぱり、なつこちゃんは笑顔がとても素敵だと思う。いつも突然ビックリするようなことを言い出すけど、いつも楽しそうだ。

 付き合わされる僕にとってはそりゃあ非現実的なことばかりで困ることも多いけど、この子の笑顔を見ると、なんだかそれも悪くないように思える。


 ……しかしそんな、いつも元気ななつこちゃんでも、時折悲しそうな顔をすることがある。

 そういう時は決まって、彼女の父親が絡んでいるのだ。




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