第81話 シュバルツ一家
「久しぶりだな」
「元気にしていましたか?」
「ええ。父上と母上もお元気そうで何よりです」
執事さんに案内されて、俺たち三人はシュバルツ邸の応接室に通された。
そこで待っていたのは俺の父親ガーライル・シュバルツと、母親のレリーナ・シュバルツ。実家なんだから特に何も必要ないんだけど、久しぶりなせいか妙に緊張するな。
「ふむ、そっちの子供らが手紙に書いてあった……」
「ええ。アレス君とカーラちゃんです」
「あ、アレスといいます! よろしくお願いします!」
「……カーラよ」
親父殿にはきちんと手紙で近況報告していたので、二人の事は既に知っている。だから問題なく二人が誰なのかすぐに理解してくれた。アレス君が緊張でガチガチになっているけど、こればっかりは慣れてもらうしかないな。
まあ、身内の俺が言うのも何だが、ガーライル・シュバルツと言えば文句なしで騎士ってカテゴリの中で最大最強の存在。対抗馬はメイのお父さんくらいって規格外の存在であり、どんな辺境の住民でも知っている超有名人だ。
騎士に憧れを持っているアレス君からすれば、目にするだけでもまぶしい大スターに会ったようなもんなのかな?
(でもカーラちゃんは随分大人しいな。いや、むしろ何か警戒している……?)
対照的に、カーラちゃんはまるで戦地のど真ん中にでもいるような緊張感を醸し出している。
視線は親父殿のみに向けられているけど、どうかしたのかな?
「ね、ねえレオン」
「どうしたの?」
親父殿たちには聞こえないように小声で――この距離じゃどんな小声でも聞こえているだろうけど――カーラちゃんが俺に話しかけてきた。
間違いなく親父殿には聞こえていると思いつつも、俺はカーラちゃんの望みを汲んで小声で話す。すると、ちょっと怯えた声でカーラちゃんは自分の心境を語ってくれたのだった。
「ね、ねえ? あの人がレオンのおとー様なのよね?」
「そうだよ」
「あ、あれって本当にニンゲンなの? とてもそうとは見えないんだけど……」
俺はその言葉を聞き、カーラちゃんが怯えている理由がわかって妙に納得してしまった。
恐らく、カーラちゃんは生まれついた吸血鬼としての目で親父殿を見たのだろう。俺も使うからわかるけど、吸血鬼の魔力視は相手の実力の判断基準にかなり便利だ。内に隠しているものまでは見えないけど、その魔力の流れと力強さを見るだけでもそこそこ相手の強さがわかってしまう。
今は特にその手の力なんて使っていないから俺には見えないけど、まあ見なくてもわかる。俺もガキの頃よりは成長したつもりだし、事実強くなったからだろう。昔はわからなかった親父殿の強さが、肌で感じられるのは。
(……こうして話しているだけでもわかる。親父殿が内に秘めている力の膨大さが。抑えているんだろうから最大値はわからないけど、より精度の高い魔力視なんて使ったら相手が人間であることすら信じられないかもしれないな)
記憶の中の親父殿よりも歳をとっているが、まだまだ健在だとわかる気迫。昔よりもちょっと痩せたようにも見えるし、顔に皺が刻まれているのも事実。
だがそれでも、親父殿は強い。その力の上限が見切れないくらいに強い。もし敵意を向けられればいろんな体液ダラダラ垂らしかねないこの生物を目の当たりにすれば、カーラちゃんが怯えても無理ないと思う。
こんな気を放つ人間なんて今まで一人も――いや、一人いたか。アレス君の産まれ故郷で出会った旅の人がこれクラスの潜在エネルギーを感じさせてたな。今にして思うと、あの人何者だったんだろうか?
なんてことを思いつつ、とりあえず俺はカーラちゃんに安心するように言う。弟子でもない人間にいきなり攻撃してくることはないし、怯える必要はないと。
言われたカーラちゃんから警戒心が完全に消えたわけではないが、とりあえず納得してくれたのかやや雰囲気が和らいだ。しばらくここに住むんだし、早く慣れてもらいたいな。
「……ふむ。ともあれ、よく帰ってきた。今日の為に特別に宴の準備をしてある。今までの旅の疲れを癒すといい」
「ありがとう――」
「宴! ご馳走!?」
カーラちゃんが落ち着いたのを見計らって親父殿がねぎらいの言葉と共に今日の宴について話してくれたのだが、その瞬間カーラちゃんが復活した。
そういや、ここまで我慢したら好きなだけ美味しいもの食べていいよって連れてきたんだっけ。もう我慢の限界なのかもしれないな。
「ああ。キミのことはレオンから聞いている。キミがどれだけ食べても大丈夫なよう、沢山用意しているよ」
「おばさん、久しぶりに頑張っちゃったんだから。楽しみにしててね」
「わかったわ! 早く食べましょう!」
母上はカーラちゃん相手に形式ばった言葉遣いは不要だと判断したのか、砕けた口調で話してくれた。今日の料理を用意したのは自分であると。
シュバルツ家の基本は『自分の事は自分でやるべし』である。
お客にまでそのルールが適応されることはないが、シュバルツに嫁入りした母上は元貴族の令嬢でありながら炊事洗濯何でもできる立派な主婦なのだ。
もう40過ぎているのだが、まだまだ心も身体も若々しいね。息子的には少しあれなのだが、まあ老け込むよりはずっといいだろう。
「そうね。でもちょっと時間がかかるから――そうね、お菓子でもご馳走しましょう」
「お菓子? 甘い奴?」
「ええ。甘いお菓子も沢山用意しているわよ」
「早く行きましょ!」
そんな会話をしながら、母上は嬉しそうに席を立った。執事さんも協力してくれるはずだが、カーラちゃんの相手と食事の準備を両方やってくれるつもりらしい。使用人が極端に少ないシュバルツ家の嫁としての心得なのかもしれないけど、本当に勤勉な人である。
嬉しそうなのは……多分カーラちゃんのおかげだな。俺が小さな内に旅に出ちゃったこともあって、子供の世話に飢えているのかもしれない。
「うむ。では堅苦しい挨拶はこのくらいにして、各自夕食までは好きにするといい。もう部屋は用意してあるし、休むなり何なり自由にしなさい」
「は、はい!」
「アレス君……別にそんな緊張しなくてもいいって」
カーラちゃんは母上にくっついて部屋を出て行った。ご馳走が楽しみで仕方がないらしい。
対してアレス君は親父殿の言葉に反応して席を立ったが、その動きは魔力切れ寸前のゴーレムみたいである。そろそろ正気に戻って欲しい。
「フフフ……ではゼッペル。その子の案内はお前に任せていいな?」
「はい、畏まりました」
「キミの部屋はレオンの部屋の隣だ。整備は既にしてあるが、何か必要なものがあればゼッペルに言うといい」
「あ、ありがとうございます!」
アレス君は親父殿の言葉に首が外れるんじゃないかと言う勢いで頷き、そのまま執事さんの後ろについて部屋を出て行った。ちょっと心配だけど、まあ執事さんがフォローしてくれるだろう。
「フフフ……元気な子供達だな」
「ええ、見てて飽きないですよ」
部屋に残ったのは、俺と親父殿の二人だけ。久しぶりに親子で一対一なわけだが、その口火を切ったのは親父殿だった。
話の内容はアレス君とカーラちゃんのことだ。既に二人の特徴や事情なんかは手紙で説明してあるけど、実際にみた印象はどうだったのかね?
「……モンスター能力を持った先天技能者か。どんな子かと思っていたが、想像よりもずっと明るい子だったな」
「ええ。正直もっと暗い目をしていてもおかしくないんですけど、底抜けに前向きですよ」
話の主題になったのは、カーラちゃんだった。アレス君のこともいろいろ気にはなっているだろうけど、抱えている事情的にやはりあの子の方が優先されるのだろう。
俺はちょっとした暗号形式まで使った手紙でカーラちゃんのことを親父殿に伝えてある。
恐らく吸血鬼の特殊能力を持った忌み子、一般的には生来の才能である特殊能力を持った異能者を総称して、先天技能者と呼ばれる者だろうと。
そのためか、さっきの会談で親父殿はややカーラちゃんのことを注意深く観察していたように思える。カーラちゃんがちょっとビビッていたのも、その辺が影響しているのだろうな。
「もしかしたらと思っていたが、杞憂だったか」
「何がです?」
「いや何、もしかしたら吸血鬼の勢力が送り込んできたスパイかも――とも思っていたのだが、あまりの邪気のなさに考えすぎだったかと思ってな」
「あー、なるほど」
親父殿の言葉に、俺はちょっと苦笑いで頷いた。
まあ確かに、このご時勢で吸血鬼の能力を持っているなんて聞けばそう思うだろう。カーラちゃんが吸血鬼の力を持っているって判断できる外見的特徴は全く無いとは言え、情報隠蔽のマジックアイテムでも使っているんじゃないかと疑うのは当然の反応だ。
ただまあ……どう観察しても演技とは思えない、あの無邪気な笑顔を見てなおそんな勘ぐりし続けるのは無理だよなぁ。心の99%が猜疑心で出来ているような人種じゃない限り疑いは晴らすだろう。
と言うか、もしカーラちゃんが腹に一物抱えて演技している本物の吸血鬼だとしたら、人類は武力を比べることなく滅びるだろう。政治戦だけで完全敗北しそうだよね。
「まあ、あの子のことはとりあえず問題ないだろう。どう見ても素直な女の子のようだからな」
「俺もそう思いますよ。そのうち身の振り方を考えさせないといけませんけど、今は自由にさせておこうと思います」
「うむ。それと男の子――アレス君だったな。彼はどうだ? 初めての弟子を持った感想は」
ここで話題が変わって、親父殿はアレス君の話を振ってきた。凄くいい笑顔である。
こりゃ、完全に楽しんでいるな。息子が初めて弟子を取ったことが嬉しくて仕方がないって感じだ。
……正直、ちょっと恥ずかしい。
「凄い才能の持ち主、ってのが初めに言うべき事ですね」
「ほう、お前にそう言わせるか」
「そりゃまあ、俺が習得に一ヶ月はかけたような技や魔法を一週間でマスターするくらい朝飯前。下手すれば戦闘中に敵の技を模倣することで習得することすらしてますよ」
「……なるほど、天に愛された力の持ち主と言うことか」
「ええ。心根は真っ直ぐな正直者ですし、きっと良い騎士になるでしょう。……真っ直ぐすぎて騙されないかちょっと心配ですけど」
「ま、その辺は大人が見てやればいい。お前もまだまだ子供だが、師となった以上はそうも言ってられんからな」
親父殿の妙な説得力を持った言葉に、俺はハハハと乾いた笑いをあげた。
……幼少期にいろいろやらかしてすいませんした、親父殿。
「ま、あの子の実力は今度じっくり見させてもらうとしよう。それでは、お前も休むといい。今日は長旅の疲れを癒すんだな」
「ええ。では失礼――っと、その前にもう一つ」
「ん? なんだ?」
話を終えようとしたとき、俺はふと思い出して親父殿を引きとめた。
……飯までは多少は時間あるだろうし、せっかく帰ってきたんだからこれやらないとな。
「父上。食事までの時間、お手合わせ願えませんか?」
俺は、親父殿に挑戦状を叩き付ける。正式なガチバトルってわけではないにしても、戦わないかと提案したのだ。
いやだって、これほどの力をビリビリ感じさせられるんだ。昔全然歯が立たなかったときからどれくらい自分が成長したのかも気になるし、戦いたくなるのはもう仕方がないだろう。
普段の俺はここまで好戦的じゃないと思うんだけど……やっぱ、親父殿だけは特別だよな。
なんて一人で盛り上がっていたのだが、しかし親父殿は少し考える素振りを見せた後首を横に振るのだった。
「……いや、止めておこう」
「え?」
「お前も旅からようやく帰ったばかりだ。まずは五日後の試験に集中した方がいい」
「いやまあ、そりゃそうなんですけど……」
俺は親父殿が断ったことにかなりビックリしていた。
正直、親父殿の方から『旅の成果を見せてみろ』とか言って斬りかかって来ていてもおかしくないのに……どうしたんだ?
「楽しみは、最後に残しておくべきだしな」
「へ?」
「なんでもない。とにかく、今は試験のことを考えるのだな」
「はあ」
親父殿はそれだけ言って退室してしまった。
仕方がないので、俺も部屋から出る。そして、これからどうしようか考えるのだった。
(うーん。帰ったらとりあえず親父殿と戦うつもりだったんけど……まあ仕方がないか。試験が終わってからゆっくりやればいい。でも、夕食まで何しようかな)
俺は長い廊下を歩きつつ、これからどうしようか考える。
久しぶりに自宅のトレーニング施設を使ってもいいんだけど、何か毒気が抜かれてしまってそんな気分でもない。
何かもっと時間を潰せてやらなきゃいけないことは……ああ、そういや、あそこ行かなきゃいけなかったか。
(気になってることも多いし、夕食前に行っておいた方がいいな。『リリス錬金術工房』に……)
◆
「お邪魔しま……?」
一応アレス君に宛がわれた部屋を確認した――心を落ち着ける為か、一人で瞑想していた――後、俺はシュバルツ邸の敷地内にある錬金術工房へと足を運んだ。
ここは昔、俺が薬草ポーションなんかを作った工房をリリスさん主導で改造した場所だ。何代か前のシュバルツ当主が興味本位で作ったのはいいんだけど、まあ俺と同じく途中で挫折して放置されていた場所である。
そこをベースに、リリスさんが自分がやりやすいように機材なんかを揃えて改造したって聞いている。もちろんそれをお願いしたのは俺であり、経費は俺持ちであるから事実上俺の所有物件って言っていいだろう。好き勝手するために、親父殿からこの辺りの土地を購入してるし。
まあ要するに、俺がオーナーでリリスさんが社長の工房ってことになるのかな? 規模はちっちゃいけど。
(何だ、この謎の息苦しさは?)
工房に一歩足を踏み入れたら、妙な雰囲気を感じる。まるでアンデッドの住処になっている墓場にでも来たような空気の重さだ。
しかし魔力的なものとか毒的なものが影響しているわけじゃない。この感じは、そう言ったのとは異質な何かだ。
「あー……? 誰ですかぁー?」
「えっと、その……」
キョロキョロと記憶の中にあるものより随分立派になった工房を見渡していたら、不意に工房の奥から声がかけられた。
その声の持ち主はアンデッドのオーラを放っているというか、綺麗なゾンビとでも言ったほうが説得力ありそうな深い隈が刻まれている。声も疲れが滲み出ているような暗さだ。
(えっと、従業員……かな?)
流石にリリスさん一人じゃ手が足りないから、何人か雇っているとは聞いている。だから多分この男性もここの工房で働いている人だろう。もちろん人件費はオーナーの俺持ちである。
現場の事はさっぱり分からないから採用なんかは全部リリスさんに丸投げして、俺はただ金だけ出している状態だ。だから正直従業員の顔も名前も知らないんだが……従業員だよね? やや精気を感じるアンデッドの類じゃないよね?
「ここは関係者以外立ち入り禁止ですよぉー……」
「あー、一応関係者ですよ?」
「えー? マキシーム商会の方ですかぁ……? 今リーダーが発掘に出てるんで、出直してもらえませんかぁー?」
「は、発掘?」
地獄の底から響き渡るような声で喋る男性は、リーダーは発掘にでていると言った。
リーダーってのは多分リリスさんだろうから、出かけているってことなのかな? しかし発掘って何だ。
(……とりあえず、誤解から解いていくかな。ちょっと話しかけたくない雰囲気を感じるけど)
俺は、自分がマキシーム商会の人間ではないと説明することにした。
ここの設備は大体マキシーム商会から格安で買っているから勘違いしたんだろうけど、俺は一応ここのオーナーなのだ。
「俺はレオンハート・シュバルツ。ここの当主の息子で、この工房の出資者だよ」
「えぇー……レオンハートぉ……? ああぁー、オーナーですかぁー……」
「う、うん」
……てっきり『オーナーとは知らずに失礼を!』的なリアクションが帰ってくるかと思ってたんだけど、相も変わらず気だるげな様子で返されてしまった。
と言うか、この目の下の隈からして……単に物凄く疲れているだけなんじゃないか、この人?
(一体この工房の労働条件はどうなっているんだろうか……? まさか所謂真っ黒企業的なことになってないよな?)
緊急ニュース! シュバルツ氏の経営する工房で過労死!
……なんてニュース流れないよね? 何かいろいろ終わる気がするんだけど……。
「あぁー……。リーダー呼びますかぁ……?」
「えっと、そうねお願い」
「了解でーす……」
そう言うと、気だるげな男性は天井を見上げてから無言で魔法を発動した。多分通信魔法だろう。詠唱破棄で発動できるとは、相当使い慣れてるな。
「あー、えー、はい。レオンハートって人が来てますよぉ……」
(……どうしよう、呼び捨てにするなって怒るべきなんだろうか?)
「ええ、了解でーす……」
通信が終了したのか、男性はこっちに振り向いた。その光を失った目を向けないで欲しい……。
「リーダーはすぐ来るそうなんで……こっちで待っててくださいよぉ……」
そう言って、男性は工房の隅にある椅子とテーブルを指差した。休憩所かな?
そしてすぐに、俺の返事を待つことすらなく工房の奥に引っ込んでしまう。何なんだろうか?
(……追いかけたい気もするけど、とりあえずリリスさんを待つか。なんだか深入りすると不幸になる気がする)
旅の間に磨かれた危機察知の勘に従い、俺は素直に椅子に座って待つことにした。茶の一杯も出ないが、まあ自宅の敷地内でそんなもん出されてもあれなので別にいいか。
しかし発掘とか言ってたけど、近くにいるのか? この辺にそんなことできる遺跡とか鉱山なんてあったかな? と言うかあったとしても戻るのにはかなり時間かかる気がするけど。
(ま、リリスさんがすぐ戻るって言ったんならすぐ戻るだろ。信じて待つとするかね)
俺は椅子に座ったまま目を閉じ、瞑想を始める。こんなときはイメージトレーニングでもするかな。
……よし、せっかくだから仮想親父殿とのイメトレで行こう。未だに勝てるイメージできないんだけど……。
と言う感じでしばらく時間を潰していたら、ギィと言うやや立て付けの悪そうな音と共に工房の扉が開かれたのだった。
「ああ、レオンハート様。お帰りなさいませ」
「ええ、ただいま戻りまし……?」
俺は入ってきた女性を見、つい言葉をとめてしまった。
入ってきたのは、予想通りリリスさんだ。昔と同じく小柄な体格で、海を連想させる青い髪を伸ばしている。……ついでに、胸元が記憶の中のリリスさんとは比較にならない戦力の増強が為されている。メイの奴とは豪い違いだ。
いや全く、人類の成長ってのは喜ぶべきことだよね!
……なんてのが俺の精神を安定させる意味も込めた冗談付きの印象だけど、やっぱ誤魔化せないよなこれは。
だって、そんな成長を霞ませてしまう特徴が二つもあるんだから。
「えっと……それ、どうしたんです?」
「え? ああ、これですか? お屋敷で発掘してきた戦利品です!」
今のリリスさんの特徴その1、背中の巨大なリュックサック。
記憶の中では純粋な魔法職だったリリスさんなんだけど、まあ身体強化をすれば荷物を持つくらいはできるだろう。できるだろうが……その漫画のような、人一人圧死させるには十分と確信できるような大荷物をどっから持ってきたんだ?
と言うか、お屋敷で発掘と言う言葉に違和感を感じるのは俺だけなのだろうか?
「ま、まあいいや。それよりも……その隈は……?」
「え? なんのことですかー? アハハハハ……」
リリスさんは、俺の記憶に残っているおどおどした態度なんてすっかり忘れ去ったようにケラケラ笑った。
いやでも、これ絶対性格が改善されたとかそんな話じゃない。これは、間違いなく寝不足でおかしなテンションになってるだけだ……!
「リリスさん。最後に寝たのいつですか?」
「えーと……210時間と35分ほど前でしょうか?」
「今すぐ寝なさい! 死ぬよ!?」
あっさり言い放たれたけど、それはいくらなんでも死ぬだろ。
まあ鍛えている俺なら十日くらい寝ずに戦い続けることも可能だけど、インドア派のリリスさんじゃ流石にきついだろう……。
「大丈夫ですよ大丈夫。グレモリー様と共同開発した『72時間寝ずに研究できる薬』を三回分飲みましたからね! 計算上後5時間25分は睡眠をとる必要はありません!」
「何その怪しさしか感じられない薬は! と言うかその単純計算当てはめていいの!?」
いかん。これは絶対やばいものを感じる。何なんだ72時間寝ずに研究できる薬って。
あのグレモリーのジジイが関わっている以上、多分味は別として効果はあるんだろう。栄養ドリンクの類なんだろうけど、しかし72時間三回分って発想は無茶が過ぎるとド素人の俺でもわかる。
思えば、さっきの男性もその怪しい薬の力で頑張っていたのだろうか? 一体何が彼らをここまでやらせるのか……?
とりあえず、俺は寝る間を惜しんで命を燃やせとか、仕事ができることが人生の喜びとか、昼食を食べる奴は二流だとか、そんな洗脳教育を施した覚えもやらせた覚えもないんだが。
「と、とりあえずリリスさん。一旦研究はお休みして休んだ方がいいって絶対」
「休む……研究を……?」
「そうそう。寝ないと頭も働かない――」
「何言ってんですかレオンハート様!」
「ええっ!?」
凄まじい剣幕でリリスさんはテーブルを拳で叩き、ドカンと景気のいい音を響かせた。
な、何で今ので俺が怒鳴られるんだろうか? 極一般的かつ良心的なことを言ったつもりなんだけど……。
「いいですか! ようやく注文していた最新式の溶鉱炉の改造が終わったんです! これでようやくあの精霊竜の鱗の加工に取り掛かれるんですよ!」
「よ、溶鉱炉? 鱗?」
「そうです! ああ、金属にも似た性質のある竜種の鱗……固すぎて加工できなかったところを、工夫と改造を重ねて火力を何倍にも高めた新式高炉がようやく完成したんです! これでいよいよ加工実験に入れるんですよ! そんな大切なときに寝ていられる研究者がいると思いますか! いいえいるわけありません!」
「あ、はい」
よくわからないが、頷いてしまった。頷かないと命に関わる気さえする、恐ろしい気迫である。
と言うか、今聞いた最新式の高炉って、やっぱり買ったんだろうか? ……請求書を見るのが怖い。そしてそれ以上にリリスさんが怖い。
「レオンハート様が送ってくれた至上の素材……アクアバジリスクの鱗もよかったですけど、あれはその比じゃありません! 理論上は私の目指す完璧な刃を完成させられるはずなんですよ!」
「え、刃? 鱗で武器作るの?」
「その通り! 精霊竜やバジリスクの所属する竜種の鱗は金属に近しい性質を持っていまして、高温で加熱すると金属のように加工できるんですよ!」
「あー、ひょっとしてこの魔法刀って……」
「ああ、13号ですね。はい、それはレオンハート様が送ってくださったアクアバジリスクの鱗を溶かして作ったものですよ。魔力が篭った金属みたいなものですから、魔法刀を作るのにはもってこいの素材ですよね!」
……それで刀身が青いのか、この刀。ファンタジーだなぁ……。
「お屋敷を発掘しておもしろそうなもの見つけましたし、早速実験開始なんです! と言うわけで、後72時間ほど寝ている暇などありません!」
「もう一本追加するつもりですね……」
キラキラとした、下手な危険薬物の常用者よりもやばい目の輝きを見せるリリスさんを前に、俺は説得を諦める。
一応家の敷地内だし、倒れればすぐに救助できるだろう。いつの間にかリリスさんの帰還を知って奥から見ている従業員数名も似たような目をしているし、こりゃ完全に『死に場所は研究室の中と決めている』って狂人ばっか集めたな。
類は友を呼ぶというかなんと言うか……ついていけない世界だな。
「せめて身体には気をつけてくださいよ。一時のテンションで死んだらもう研究できなくなるんですからね」
「大丈夫です! 私達はそれぞれに【異常感知】の魔法をかけあっているので、誰か倒れたらすぐにわかるようになっています!」
「倒れること前提のスケジュール組まないで欲しいんですけども」
なんていいつつ、こりゃ今何を言っても無駄だと判断した俺は工房から速やかに立ち去った。
と同時に研究者達の熱すぎる会議の声が聞こえてきたし、揃いも揃って研究したくて堪らないんだろう。
彼らもプロなんだし、ホントに死ぬ前に休むことくらいきっとできると信じようかね……。
その夜、シュバルツ邸で開かれたささやかな晩餐会を終え、俺は久しぶりに実家でゆっくりと休んだ。
久しぶりに親父殿と話もしたし、後は数日後に行われる試験にあわせて修行と体調管理をしっかりやるだけ。たっぷり寝てたっぷり修行して、意地でも合格するとするか!
なお、金食い虫なリリス錬金工房だが、作り上げた技術をマキシーム商会に売ることで利益も出している。
しかし完成した技術の有用性とかイマイチわかっていないレオンハートと『研究こそが至高!』主義で成果にはあまり興味がない現場の人間たちが合わさった結果、マキシーム商会がウハウハになっていたりする。もちろんリターンは返してもらっているので、決して詐欺ではない。
ただ出費が収入を超えている(リリスが自重せずに道具をそろえているからなのだが、その諸悪の根源は失われた超技術的な物を遺跡からバンバン見つけてきて『これ作ってみて』と難易度や研究費考えないで無茶振りするレオンハートオーナーである)ってだけで。




