第64話 悪魔の侵攻
主人公に出番がない。
教皇様、私、そしておまけの領主クラメス。この三人のいる謁見の間に届いた凶報を前に、私は一人立ちすくんでいた。
しかしそのまま固まっていられるほど私の立場は軽くはない。急いでこの部屋にも取り付けられている遠見のマジックアイテムを使って、聖都周辺を確認する。
するとその話を、突如悪魔の軍勢が現れたという報告が真実であると証明するように、漆黒の体をもった悪魔の軍勢がこの聖都の結界を囲っている様子が映し出されたのだった。
「……メメーさん、現在動かせる神官兵はどのくらいでしょうか?」
「近隣の魔物被害が減ったことで、ここ数日は疲労も少ないですな。しかし、動かせるとなると数は限られます」
「何故です? 疲労が少ない、万全の状態であるというのならば多くの兵力を出せるのでは? 悪魔相手ならば、我々の使用する神聖魔法が有効ですし」
「…………」
……言いづらいが、言わないわけにも行かないか。
何故神官兵を大々的に動かして悪魔討伐に向かわないのか。その理由は、大きくわけて二つだ。
一つは、この町の守備として相当数を残さねばならないためだ。
悪魔と言うのは狡猾な頭脳の持ち主であることが多く、この非常に目立つ行動が何かの陽動作戦である可能性は極めて高い。存在そのものが闇の塊であるような悪魔は浄化されてしまうために結界の中に入れないが、他の――例えば獣系のモンスター辺りなら多少の弱体化を受けるくらいで活動可能だ。事実、町の周囲で被害を出している魔物は複数いる。
この聖都の結界は二層構造になっており、町を覆う強力な守護結界と、更に聖都周辺を広く覆っている浄化結界の二つに分かれている。今回悪魔達が展開しているのは浄化結界の周辺であり、町からは離れている位置だ。
そんな場所にわざわざ目立つように構えたのであれば、何らかの意図があるようにしか考えられない。となれば、いつ奇襲を受けてもいいように防衛の戦力を外す事はできないだろう。
そして、もう一つの理由は悪魔達の力そのものだ。
悪魔と言うやつは、単純に強い。我々が使う神聖魔法は対アンデッド、対悪魔に特化した魔法属性。ならば普通の人間の兵よりは神官兵の方が優位に立ち回れるのは間違いないが――それでも、本物の悪魔と互角以上に戦えるものなど早々いないのが現実なのだ。
せめて一体二体程度ならば何とでもなるが、100なんて数で徒党を組まれては数合わせ程度の力しか持たないものなどあっさり殺されてお終いだろう。
そうならないような、神官兵の中でも一人で悪魔と渡り合えるような強者の数は本当に限られている。それが数を用意できない理由だ。
ようするに、神官兵をただ出しても無駄死にするのがオチだということ。魔法を扱い、範囲殲滅を得意とする悪魔種なんてものと戦いになるだけの実力者が少ないのだ。
その辺のことをやんわりと教皇様に伝えると、しばらく考えられてからその美しい口から言葉を綴られたのだった。
「では、冒険者などはどうですか? 彼らは戦闘の専門家でしょう?」
「難しいですな。元々神官兵たちとて戦闘の専門家。更に対悪魔の専門家でもあるのです。そんな彼らよりも強い者、となると極めて少ないでしょう」
まあ、厳密に言えば戦闘に特化しているというわけでもないのだが、それは冒険者――武力を持った旅人たちも同じだ。
少なくとも、この神殿に勤める神官兵の錬度は一部を除いて高い。最近若いのを中心としたちょっと困った集団が出てきているのが困りものであるが、まあそんなのを除いてもその辺の冒険者よりも弱いという事はないのだ。
「では……騎士、はどうですか?」
「騎士、ですか?」
「ええ。この聖都は守護騎士を不要としていますが、今は緊急事態。人類最強の精鋭部隊と呼ばれるフィール騎士団に応援を頼んでもいいのではありませんか?」
騎士……騎士か。確かに、見習いや下級騎士程度ならばともかく、中級騎士以上の者に勝てる神官兵はほとんどいないだろう。呼べるのなら是非呼びたい戦力だ。
普段は王家に不必要な借りを作りたくないから騎士に頼らない方針をとっている聖都だが、こんな緊急事態にそんなことを言っている場合ではない。
が、それが可能かと言うと……難しいのも、事実だ。
「騎士に応援要請をするのは賛成です。しかし、恐らく足りないでしょう」
「何故です?」
「はい、やはり騎士を持ってしても悪魔は強敵。それなりに高位の騎士が複数人連携を取れる状況でなければ戦力を動かしたりはできないでしょう。これからの悪魔達がどのような動きを見せるかにもよりますが、転移魔法を使ってもそれだけの人数を揃える時間は恐らくないですな」
いくら騎士が強いといっても、一人で悪魔の軍勢に特攻できるほどの猛者はそういないだろう。そして、貴重な戦力を無意味に使い潰すような真似を国王がするはずがないのはわかりきっていることだ。
確実に勝てると判断できるほどの、悪魔の軍勢を相手取れるほどの数を揃えている間に戦いが始まってしまう公算は高い。
いっそかのガーライル殿のような、単騎で軍を超える逸脱者を派遣してもらうのも手だろう。悪魔の軍勢が攻めてきたなんて状況ならば大義名分も十分だ。
だが、恐らくその申請は通らない。先ほど私も考えた陽動の可能性を王都が考えないわけもなく、となれば最強の守護騎士であるガーライル殿を簡単に出すわけにもいかないだろうからな。
「ならば……私が前線に出ましょう。悪魔達相手なら私が――」
「それはなりません!」
教皇様の発言に、私は思わず声を荒げて否定してしまう。そんな無礼な口をきいたこの舌は後で引き抜くとして、とてもそんなことを受け入れる事はできないのだ。
確かに士気高揚の為に指導者が前線に出る事はある。王家も最低限の武勇を持たない者は王位に就くことを許さないというし、場合によっては教皇様が前に出るのもいいだろう。
だがそれでも、こんな状況で前に出ることなど認められるわけもない。万が一にも教皇様がお倒れにでもなられればそれで全ては終わるのだ。例えこの命を賭してでも、それだけは止めねば――
「いやー、流石は教皇様。見事な心意気。この、クラメス感服いたしましたぞ」
「ム、なんだお主。今は大事な話をしているのだが?」
こんなときに、阿呆のように突っ立っていた例の貴族が突然揉み手つきで、媚びた不気味な笑顔つきで声を出した。
生理的嫌悪感は置いておいても、今は忙しいからお前なんぞに構っている暇はないのだが……。
「もちろん承知しておりますとも。そこでこのクラメス、教皇様のお力になりたいと思いまして」
「なに? よもや、お前が戦うというのか?」
思わずビックリして言葉が乱れてしまう。この男にそんな気概があるとはとても思えないのだ。
そしてその予想は、きっと的中しているのだろう。この男の醜悪な顔に浮かぶ、自己保身に走った貴族特有の嫌な笑みを見る限り。
「いえいえ。正直なところ、とても私どもの戦力では悪魔100体なんて馬鹿げた戦力に対してできることなどありません。しかしながら、教皇様のお役に立つことならばできると思いますよ」
何を狙っているのかはわからない。どうせ碌なことではないのだろうが、無視するわけにもいかないので話を続けろと無言で促した。
「教皇様の覚悟、しかとこのクラメスの耳に入っております。しからば、私がこの聖都まで連れてきた軍勢を使い教皇様の護衛を、と思いましてね」
「護衛?」
「はい、敵悪魔の場所まで我々が教皇様を無傷でお連れします。その上で教皇様には歴代最高と謳われる神聖魔法の腕前を存分に振るっていただければ、と……」
「…………残念ながら、却下ですな。もしその作戦を実行するにしても、我々神官団で教皇様はお守りするのでね」
否定しながらも「なるほど」と、私は心の中で頷いた。つまり、こいつは逃げたいのだろうと。
教皇様を護衛する、なんて都合のいい言い訳に過ぎない。歴代最高とされる教皇様の神聖魔法の力なら、確かに悪魔の軍勢にも対処できるだろう。その全てを葬る事は難しくとも、眼前の敵全てを滅ぼすくらいのことは容易いはずだ。
そうなれば、逃げられる。突如悪魔に包囲されたなどと言う絶体絶命の状況から。護衛などといいつつ、本心は教皇様に護衛してもらいたいだけと言うことか。
ならば――
「貴殿にそれほどの覚悟があるのならば、どうか神官団と共に戦ってはいただけませぬかな? 神官団だけでは少々心もとない戦力ですが、悪魔祓いを成功させた貴殿の軍勢ならば心強いのですが?」
「む、いや、それは、ちょっと……」
言葉を濁し、この貴族は額からドバドバ脂汗を流して私の要請を拒絶した。もっとも、最初から微塵も期待してはいないがな。
意趣返しと言うわけではないが、本当の危険に晒してやろうかと言えばこの手の輩は黙らせることが出来る。それだけだ。
「これは我らの問題。助力はありがたいのですが、今の要請を聞き入れてもらえぬのならば退室を願いたいのですが?」
「む、むぅ……。了解した」
頭に青筋を浮かべ、私を殺しそうな目で睨みながらもこの男は踵を返して出て行った。
これでようやく静かに話が出来るというものだ。まったく、あんな男と同じ空気を吸わせて教皇様が病気にでもなったら私は首を括るぞ。教皇様と同じ空気を吸いたければ、最低でも一日三回は風呂に入って10回は歯を磨かねばならんのだぞ、私の個人的なルール的に。
「しかし、それではどうするのですかメメーさん? 現在の聖都にある戦力では悪魔を倒すことも追い払うこともできないのでしょう? 唯一それが出来るかもしれない私がここで一人篭るのでは、民に示しがつきません」
「わかっております。わかっておりますが……」
貴族の男が出て行った後、教皇様は深刻なお顔で私に強く問いかけた。自分の出陣を止めたければ、何か代案を出せといわんばかりに。
手札をどう切っても勝利への道は閉ざされている。現状維持でも敵が結界を破れずに均衡状態に、と言う可能性もあるのだが、それは楽観が過ぎるだろう。
最悪を想定し、何らかの手段で結界を破って侵攻してくると思って行動せねばならない。人類ではまともに敵対などできないだろう、上位モンスターである悪魔を相手にだ。
「……最悪、防戦ならば神官団でも何とかなるでしょう。打って出るのではなく、より強い結界が張られている聖都周辺に篭城する形で戦えばそう簡単には負けません」
「負けない、ですか。では、勝つ事は?」
「それは……」
半実体、と呼ばれる悪魔に疲労の概念はない。その身体は邪悪な魔力によって構成されており、生物的な機能を持っていないのが悪魔の特徴なのだ。
そんな悪魔相手に援軍の当てがない篭城戦など、いずれ人間側の体力が尽きて敗北する事は目に見えている。教皇様はそれがわかっていらっしゃるのだろう。
何かもう一つ必要なのだ。敵を滅ぼせる、英雄の一矢が。並み居る悪魔を吹き飛ばせる、絶対的なジョーカーが。
(……レオンハート・シュバルツは……いや、ダメだ。教皇様の補佐役として、そんなバクチには出られん)
一瞬この町にいる英雄級の人間が頭に浮かんだが、軽く頭を振って否定する。
吸血鬼の力。そんなものに頼るようでは本末転倒だ。私は私の誇りにかけてそれに頼る事は許されない。
「……何もないのですね?」
「しばし、しばしお待ちを……」
「なりません。今、時間は黄金に匹敵します。それはメメーさんもわかっていることでしょう? だから私に暴れさせ……コホン。私こそが前線に出て民を守らねばならないのです!」
教皇様はちょっといい間違えたのか咳払いした後、力強くそういいきった。
おぉ……教皇様が輝いておられる。最近の執務にお疲れであったそのお顔に神々しい笑みを浮かべ、まるで疲労を感じさせない生き生きとしたオーラを放っておられるのだ。
そんなに、そんなに民のことをお考えに……やはりこのお方こそ我々の指導者に、教皇の名に相応しいお方です。
しかし、だからこそそんなギャンブルに貴女様を賭けるわけには参りません。同じ賭けるのならば、もっと相応しいカードがありますが故に。
「教皇様のお気持ちはわかりました。しかし、それは認められません」
「……では、どうするのですか?」
「神官団を進軍させます。総大将は……私が勤めましょう」
私もかつての教皇選挙の候補者にはなった男だ。教皇様の足元にも及びはしないが、神聖魔法の心得もある。
同じ特攻隊ならば私のほうが相応しいだろう。最悪、民と教皇様のための道を切り開くくらいのことはできるはずだ。
教皇様に出陣していただくのはもはや避けられないかもしれないが、そのお力さえあれば確実に勝利できる。せめて、その段階までは持っていってみせようぞ……!
「そんな楽し……もとい、危険な真似を貴方だけにさせることはできませんよ」
「いえ、これは私の役目です。なに、心配はありません。確かに数に不安はありますが、神官団の精鋭達とてそう簡単に負けるほど弱くはないのですよ」
私は作りえる最高の笑みを浮かべ、教皇様に安心していただく。
しかし教皇様は私風情の作り笑顔などでは全く納得はなされないようで、今すぐにでも反論の為に美しい口を開こうとしていた。
だが、その言葉を私が聞く事は無かった。再び伝令官が必死の形相で部屋に飛び込んできたのだ。
「き、緊急報告! 悪魔達が浄化結界に侵攻を、始めました!」
「なんだと!?」
その言葉は、私の読み通り、希望的観測など嘲笑うものなのだった……!
◆
「クソッ! あの親父と小娘め……! このワシを、領主クラメスを蔑ろにしおってぇ……!」
ワシは誰もいない部屋で、一人怒りの気を撒き散らしていた。側に使用人でもいれば気晴らしに殴っているところだ。
生意気にも教皇などと名乗る小娘を利用し、ワシの名を更に高める。今回わざわざ領地から出てきたのはその為であった。
失敗した悪魔召喚の儀式によって領内に発生したちんけな悪魔の有効利用として考えてきた策略であったのに、唐突な悪魔の軍勢などと言うもののせいで有耶無耶になってしまった。その上ワシの言葉を無視し、あまつさえ邪険に扱う無礼。全く許しがたい!
「大体、女神教などという不安定な組織がそんな力を持っていることが間違っておるのだ。教会は全て貴族の支配下に入り、ただ従っておればよいのだ!」
ワシは怒りのあまり、何の意味もない妄想を吐き捨てる。自分でもそれが不可能だとわかっているからこそ、より腹の中にムカムカしたものが溜まっていくようだ。
そんなときだった。誰もいないはずの神殿の客間の中で、突然誰かの声が聞こえてきたのは。
『その願い、聞き届けた』
「な、何奴!?」
一人になりたいと言ってこの部屋を借り受けたのだ。だから、ここにワシ以外がいるはずがない。
それなのに聞こえてきた声にワシは声を張り上げるが、声は全く気にせずに話を続けてきた。
『お前の思いはもっともだ。この世界は貴族に支配されるべき、そうだろう?』
その言葉を聞いてはならない。これは明らかに不審な者の声だ。
それはわかっているのだが、しかしその言葉はあまりにも心地よい。まるで、ワシの腹にたまったイラつきを優しく解してくれているようなのだ。
「そう、だ。この世界は、貴族によって、支配されるべき……」
『それなのに女神教、そんなものが幅を利かせている町。そんなものがあっていいのか? そんな間違いを正さなくてもいいのか?』
……間違い? そうだ、間違いだ。
この世界は貴族の、ワシのものなのだ……。ワシに逆らうものなど存在してはならないのだ……。
そんな間違い、貴族のワシが正さねばならないのだ……。
『我ならばそれを助けてやれるぞ? 力が欲しいだろう?』
「力……必要だ……。間違いを正す、力……」
『さあ、我に委ねよ……、汝の全てを……!』
その言葉に従い、私は身体の力を抜いて全てを受け入れた。
すると体内に何かが入ってきたような、力が漲ってくるような感覚が広がっていく。
はは、なんだこれは。まるで、ワシこそが神になったかのような高揚感は……!
『……フフフ。さあ、これでお前は無敵だ』
「そうだ、ワシは、無敵だ……」
『無敵になったお前なら何でもできる。そうだな?』
「ワシは、何でもできる……」
何でも出来る。ワシはなんでもできる!
よし、今すぐあの小娘を叩きのめし、おか――
『待て待て。物事には順序がある。無敵の貴族が自ら動くのは恥だろう?』
「む、そうだな。私自らが動く必要は……」
『だから、まずはお前の駒を用意しよう。私と共にとある者の場所へ行こう。きっとお前の力になってくれるだろう』
ワシは、ワシの中から聞こえてくる声に従って歩き出した。
どこに行けばいいのか、など聞く必要もない。考えなくとも頭の中に浮かんでくるのだ。ワシがいったい何をするべきなのかが。
『さあ、我に従え。そして向かうのだ、神官団の強硬派の下へな』
「強、硬派……」
『さあ、進むのだ……』
ワシは、声に従って真っ直ぐ歩き続けるのだった……。




