第62話 聖都マーシャル
「あー、いい湯だねーっと」
宿に備え付けられた、いい感じの湯加減となっている風呂に浸かりながら俺はほっと一息ついた。
そして、だらけながらもこの町に来てからのことを思い返す。いい加減に話が前に進むといいなーと言う感想と共に。
俺とアレス君がミハイに襲われ、そして何故か撃退できてから既に一週間が過ぎている。
俺たちは当初の予定通り、一日休んですぐにダッシュで聖地マーシャルまで向かい、その日の夜にはマーシャルの宿に着くことに成功した。ペースが今までよりもちょこっとだけ速かったからアレス君が軽く死んだが、問題はない。
そして、俺たちは次の日の朝に聖地マーシャルを支配する団体、女神教と接触を持った。
この女神教ってのは、まあつまり例の聖剣を作った女神を崇める宗教団体だ。宗教団体なんて言うと凄まじく怪しい連中のように感じるのは多分俺が特殊だからだろうけど、一応国教なので信頼していいはずだ。
ここ、聖地、あるいは聖都と呼ばれるマーシャルも国の重要拠点の一つだしな。政教分離の概念的にどうなのかって気はするが、まあそんな概念自体存在しない世界でどうこう言っても仕方がないだろう。
実際、何かあったらまず教会に頼るのがお約束だからな。魔物や悪漢に襲われて傷を負った場合、教会に寄付さえすれば治療して――流石にゲーム時代と違って死者蘇生は無理だけど――もらえるし。無料じゃないのかよと言いたくなるけど、神官だって飯は食うのである。
他にも、旅人に一晩の宿と質素な食事を提供してくれたりもする良心的な団体だ。流石にニナイ村の村民全員の受け入れとか、その規模の施しは無理だけどさ。
まあとにかく、この王都にも負けない規模を誇る大都市は、そんな女神教の総本山なわけだ。
そんな場所に何しに来たのかといえば、もちろんニナイ村で入手した聖剣の神殿への転移玉の保管を頼むことだ。
この町は聖域がすぐ近くにあるだけのことはあって物凄く清らかかつ強力な結界が張られており、魔に属する者は入ることすらできない堅固な拠点なのである。ようするに聖剣の神殿と似たような場所だな。俺も、この結界の中では吸血鬼化の能力を発動できないくらいだ。
だから俺はすぐにこの町の最高権力者、つまり女神教教皇とコンタクトを取ろうとした。この町でもっとも堅固な例の場所に、教皇権限がなければ入ることすら許されない場所にこの転移玉を保管して欲しいと頼むために。
でもまあ、巨大な組織ってのは動きが遅いなんてお約束はここでも生きており、教皇との面会が叶うのは最速で二ヶ月後とか言われてしまった。一応緊急事態なんで何とかならないのかと頼んでみても、教皇様が動くことが緊急でないことなどないと門前払いだ。
とは言え、俺はこれでも国王直属の騎士だ。その権力はこの国内ならばかなり強く、ごり押しするのは難しくない。あくまでも人間の指導者は国王であり、教皇もその部下って立ち位置だからな。
そんなわけで『近い内に面会許可を得られるようにしてくれ』とごり押ししてみたのだが……その結果はまあ、今も転移玉を手元に置いたまま風呂入っていることからもわかるように現実は厳しかった。国王命令ならばともかく、国王直属騎士団の一人くらいではあんまし効果なかったのだ。
(教皇の名は軽くはない、か。特別扱いして欲しかったらそれなりの理由を用意せよとはまあ、また簡単に言ってくれる)
教皇の時間を俺の都合で使わせる為には、それなりの理由が必要。それが女神教の回答だった。まあようするに、教皇が直接会うに値する功績をもってこいってことだな。
幸いにも不本意ながら人類を脅かす吸血鬼を倒したって名声はあるし、不可能ではない。マーシャルは聖域結界に守られてるから魔物も手出しできないけど、外に出れば相変わらずの魔物天国だからな。大都市だけあって人の出入りの激しい町だけど、その分道中での魔物被害も多いわけだ。
そんな危険な魔物を退治することで功績とする。そうやって教皇との面会を通すしかないのが今の俺の現状だ。
(本当ならもっと偉い人に丸投げしたいところなんだけどね)
ぶっちゃけ、直接王様に事情を話して対応してもらうのが一番早い。でも、王様に話を通すとかある意味教皇よりも厄介だからな。
まあ親父殿経由なら簡単にいけるとは思うんだけど、そうすると転移玉について事細かに説明しなきゃならなくなる。ついでにその保管場所も俺の手から離れてしまうわけで、不安が残る。そりゃ親父殿や国王が絡めば迂闊なことはしないと思うけど、事は世界の命運なだけにどうしても自分の目が届く範囲の話にしたいんだよなやっぱり。
親父殿は間違いなく強いし、国王だってすこぶる優秀だって聞いている。でも、敵の脅威を本当の意味では理解していないんだから。
「……さて、そろそろ出るか」
風呂ついでの考え事はこのくらいにして、俺は風呂場を出て服を着た。そして宿の借りている部屋に戻り、用意してもらっていた牛乳を一気飲みするのだった。
「ぷはー! やっぱ風呂上りはこれだな」
冷蔵庫なんてないが、魔法を利用した似たようなものならある。それを使うのは有料サービスだけど、やっぱり町にいる間はこれが欲しいね。
「き、気持ちよさそうですね師匠……」
「ん? ああ、うまいぞ。アレス君もお風呂上がったから入っちゃいなさい。牛乳用意してもらっとくから」
俺は部屋の中で休んでいた――この町についてから一週間休みなしで修行、具体的には近くで見つけたゴブリンの巣に単身捨ててきて昨日ようやく帰ってきた――アレス君に朗らかにそう告げる。
やっぱり一番風呂は譲れないけど、アレス君も一日の疲れを癒してくるといい。生きて帰ってきたご褒美に今日一日は休暇にしたから、そんなに疲れてないかもしれないけどさ。
今だって、精々俺が風呂入っている間膝に熱湯入りの桶を乗せた状態で空気椅子をし、ついでに両腕を真っ直ぐ前に突き出したままの姿勢にさせてたくらいだし。
「ふ、風呂ですか。そりゃ嬉しいですが、じゃあこの重りとってくれません?」
「ん? そうだね。風呂はやっぱり裸で入るのが一番だしね」
アレス君の要望により、俺は彼の体に撒きつけられている――左右の腕に3つずつ、両足に4つずつ、両肩に1つずつ、胴体に5つ装着されている――重りを外そうと鍵を取り出した。
この輪状の重りは、囚人拘束用――もとい、修行用の枷だ。それぞれにゲーム風に言えば相手を“鈍足”する効果のある、現実に則して表現するのなら物凄く重量が増える魔法がかけてあり、更に体にフィットするようにサイズを変える機能まである優れもの。しかも一度つければ鍵がなくては絶対に外せない親切設計である為、途中で心が折れても問題なく負荷トレーニングができるお買い得商品である。メイドインリリスさんなのでお手ごろ価格。
ちなみに重量は一つあたり成人男性一人分くらいで、今のアレス君は成人男性13人分、約900キロくらいの負荷がかかっているわけだな。
「あの、今日って休みなんですよね?」
「うん。一日聖都を観光した感想はどうだった?」
「いい町でしたけど……あの、一ついいですかね?」
「ん? なんだい?」
カチャカチャと重りを外しつつ、アレス君の話を聞く。
「なんで観光に潰れそうになる重り着けなきゃならないんですか……?」
「え?」
何を言っているんだろうかこの子は? 今日は修行なしなんだし、じゃあ観光ついでに筋トレでもすれば二倍お得じゃないか。
「あのですね、全く分かってもらえないようなんで言いますけど、これ着けるの物凄くしんどいんですよ」
「そりゃ、辛くなきゃ筋トレにならないだろ?」
「まず何で修行休みなのに筋トレしなきゃいけないのかから聞きたいんですけど……」
……? また不思議なことを言うな?
八個目の重りを外しながらも俺は首をかしげる。修行休みなのと筋トレに何の関係があるんだ?
「そりゃお前、筋トレなんて修行の内に入らんだろ」
「え? じゃあ何なんですか?」
「そりゃお前、筋トレなんて食事睡眠と同じようなものだろ? 言ってみれば趣味だな」
これと言って意味もなく筋肉を鍛えている人も多い。それこそ、暴力を徹底的に否定している世界の人ですら筋肉を磨いているくらいだからな。
観光も筋トレも休息の内だ。うん、何も間違ってはいない。
「で、でもですね! 流石にこれはやりすぎだと思うんですよ!」
「なんで?」
「だってこれ、立ってるだけで地面にめり込みそうになるんですよ! 二階とかに登ったらそのまま床抜けますって! ここは一階だけど!」
「大丈夫だって、高々人間10人ちょい程度の重量で壊れるほど地面も建物も脆くないから」
よし、これで全部外れたな。体中汗まみれだし、筋肉もいい感じに酷使されて疲労している。これならいい風呂になるだろうし、快眠だろうな!
「いやいやいや! 十人以上の人間が一人の人間に乗っかってるんですからね! うまく体重を散らさないと普通に抜けます! それ以前に身体強化がなければ僕の体がバラバラになります!」
「いいじゃない、身体強化技術を高められて、更に体重のバランス操作まで磨ける。一石三鳥とはこのことだ。得したね」
重りを道具袋にしまいつつ、俺は爽やかに答える。正直ちょっとアレス君の気持ちも分からないではないけど、まあ命に危険がない以上修行ではないだろ。ただの準備運動の一環だ。
「……もう、いいです。ゴブリンに襲われないだけ楽だったと思います」
「うんうん。せっかくしばらく安全な場所に滞在する事になりそうなんだ。今のうちにガンガン鍛えておこうね」
とぼとぼと風呂場に向かうアレス君を、俺は笑顔で見送る。流石にいつ襲われるかわからない外で重りなんて着けられないから、こう言う機会は有効活用しないとね。
俺は自分の体に重量倍バージョンの重りを着けつつ、しみじみとそう思うのだった。
さて、明日はとりあえずアレス君を拉致って、またどっかの魔物の巣にでも置いてくるとしようかね。
「……女の子?」
そして翌日。俺はいつものように教団が出している冒険者向けの依頼を適当にこなし、討伐した獲物を荷台に載せて歩いていた。
後は町に帰る前に軽くアレス君の様子を見てから――早朝寝ている隙を突いて気絶させ、昨日退治した人食い狼と同種の魔物の群れの縄張りに置いてきた。殺気に気がついて食われる前に目を覚ましたようだし、問題ないだろう――風呂入って飯食って寝るだけだなーなんて思っていたのだ。
しかし世の中はそんなに甘くないらしく、俺はその途中で何故か地面にめり込みながら目を回して倒れている少女と遭遇したのだった。
◆
(血、血が足りない……)
アタシがあの途中で見つけたニンゲンからハクションの居場所を聞いてから三日くらい。空を颯爽と飛んでいたアタシは、力尽きて墜落した。
最後に血を飲んだのはいつだったかしら……。ずっと空高く舞っていたから他の生物と遭遇することもなかったし、もう限界よ。
海の上で落ちたときは水の中にいた変な奴を痛い思いして捕まえて、生臭いのを我慢して吸ってたけど、地上には本当に何もない。匂いだけならあんまりおいしそうじゃないけど血の匂いが漂ってくるのに、何にもいないのよ。
このままじゃ、吸血鬼だから餓死なんてしないけど、もう血切れで動けない……。
(ああ、アタシこんなところで干からびて終わるのね……。何でこんなことになったのかしら……)
アタシだって、自分の限界を見極めるくらいのことは考えていた。当然、残りの魔力で動ける時間はちゃんと計算していたはずなのよ。
なのに、この辺の空域に入った途端一気に魔力が減少して落っこちた。ちょっと地面にめり込んじゃうくらい勢いよく落ちちゃったのよ。痛かった。
アタシ達吸血鬼は死した体を動かす一族。その動力は全て魔力によって補われているから、魔力がないと本当に何も出来ない。つまり血を吸って魔力に変えないと、野垂れ死にはしないけど指一本動かせなくなっちゃう。
だから血の補給タイムのことだけは忘れずに頭に入れておいたのに、突然の魔力切れ。あまりにも不運すぎるわ……。
(この際、もう何でもいい。ちょっとでも血が流れていれば何でもいいから、この薄幸の美少女を助ける為に誰かアタシの口に入ってきて……)
そうアタシは吸血王様と魔王様に祈るけど、現実は無情だった。
このままだと、餓死とかはしないまでも徐々に思考するための魔力までなくなってしまう。そうなれば、外から魔力が補給されない限り意識すらなくなった吸血鬼の残骸に成り果てる。
そんなの、もう死ぬも同じよ。おとー様が助けに来てくれれば何とかなるけど、運が悪いとこのまま土に埋まって世界が滅びるまで永遠に眠っていたりして……。
(いやー! 誰か、誰かぁぁぁぁ!!)
もう口を動かす魔力も惜しいというか、残ってない。だから全力で心の中で叫ぶ。
(アタシに血を吸わせてぇぇぇぇ!!)
「えっと、大丈夫か……?」
そんな時、誰かの声がした。聞き覚えはない、男の声だ。
「行き倒れか? しかしこのクレーターはいったい……?」
不思議そうな声でそんなことを言いつつ、男はアタシのすぐ近くにしゃがんだ。そしてアタシの体を支え、上半身を軽く持ち上げたのだった。
(えっと……?)
「ほら、水だ。飲めるか?」
男は木で出来た筒をアタシの口元に差し出してきた。この匂いは、水かしら?
そう言えば、ニンゲンや他の種族は水を一番のエネルギー源にするんだったっけ? アタシは吸血鬼だから血以外のものは口にしても仕方が無いんだけど、これは助けてくれる意思表示よね?
つまり、このニンゲンの男はアタシを救おうとしているわけよね? つまり血を吸ってもいいってことよね! と言うか吸うしかないわよねこの状況!
「無理か? 意識はあるように見えるんだけど――」
「カプ」
「え? …………痛ダダダ!?」
必死に残っている魔力を使い、上半身を起こして木の筒を持っている手に噛み付いた。そしてそのまま牙を立て、躊躇なく一気に吸う。
一度喉を鳴らすたびに魔力が全身を流れていく感覚。ああ、これこそがアタシの求めていた……?
(え? 何この血? すんごく美味しいんですけど)
まるで血に直接魔力を流しているような、芳醇すぎる味わい。日常的に血に魔力を込める修練でもしてるんじゃないの?
それとも、これがニンゲンの血なの? ニンゲンは脆弱だとか劣等種だとかよく他の人達が言ってたけど、この血を持っているだけで十分価値ある種族と言っていいわよ。今すぐ内に持ち帰って飼いたいくらいに。
ああでも、おとー様が偶にくれたニンゲンの血はここまでじゃなかったわよね? じゃあ、この人が特別美味しいだけ? 強い魔力の持ち主はそれだけ美味しい血を持っているものだけど、ひょっとしたら偶々通りかかったこの人はそれなりに強いニンゲンなのかもしれない。
でもでも、今はそんなことどうでもいいわよね。今は、この血をとにかく飲まなきゃ!
「いやちょ、ええ!? マジ痛いっ!」
(うまうま)
「いや水あるから! 携帯食もあるから! それは俺の手であって食べ物じゃないからぁ!!」
ニンゲンがアタシを引き離そうとアタシの頭を押しているけど、気を使っているのかあまり力は入っていない。
逆にアタシはこんな美味しいものを逃がしてなるものかとがっちり牙を食い込ませる。絶対に放さないから――
「クッ! 完全に錯乱しているぞこの娘! ……仕方がない!」
(喉越しも中々――え?)
「正気に戻れ!」
「キャンッ!?」
体中に漲ってくる魔力の味わいに幸せを感じてたのに、唐突な頭への衝撃で現実に引き戻されちゃった。
こ、このニンゲン、アタシをグーで殴ったわね! アタシが何したってのよ!
「レディの頭をグーで殴るなんて何考えてんのよ!」
「俺の知っているレディは出会い頭に人の手を食べたりしません」
ニンゲンの男は今も美味しそうな血をドクドクと垂れ流す(もったいない)手をもう片方の手で覆って隠してしまった。けち臭いわね。
……まあいいわ。今の吸血で十分魔力は戻ったみたいだし、とりあえずは大丈夫ね。あの程度の量でここまで回復するとか、本当に芳醇な血だこと。また後で何とかして吸おっと。
「ったく、挨拶の前に人の手を食おうとするとか、ドンだけ飢えてんだよ。何? 行き倒れ?」
「失礼な。誰が行き倒れよ」
「こんな道端でぶっ倒れてたら普通は行き倒れと言うと思う」
……まあ、確かに倒れてたわね。間違ってはないでしょう。
何となくプライドが傷つく気がするから認めはしないけど、とりあえずこの話はもういいわ。
それよりも、復活したんだからさっそくハクションを探すとしましょう!
「ねえアンタ?」
「何? と言うか水飲まなくていいのか?」
「いいのよ、もう復活したから」
「……ふーん」
ニンゲンはちょっと不思議そうな顔をしてから、アタシが落っこちたときに出来た穴を見て何かに納得したように頷いた。
……何かしら? なんだか失礼なことを思われている気がするというか、顔に書かれている気がするんだけど。こう『ああ、この子空腹で倒れたんじゃなくてどこからか叩きつけられて倒れてたのか。そりゃ水はいらんだろうな。さっきの奇行は頭打ったのが原因かね?』的なことを思われている気がするわ。
「……ま、いいわ。それよりも、聞きたいことがあるんだけど?」
「ん? なんだ? って、その前に名前くらい名乗らない? ついでに人の手に噛み付いた謝罪とかも」
「ないわね。アタシの高貴な名はおいそれとその辺のニンゲン風情が知っていいものじゃないの。ちなみに、アタシは産まれてこの方一度も謝ったことが無いのが自慢なのよ!」
「前半はともかく後半は絶対威張ることじゃない」
吸血鬼としての誇りを胸に胸を張って宣言してやったけど、ニンゲンは呆れたようにため息を吐いて肩をすくめただけだった。
何故かは知らないけど、馬鹿にされているのは気のせいかしら? そんなことないわよね? アタシ吸血鬼だもんね?
……そんなことよりも、早く本題に入るとしましょう。アタシも暇じゃないのよ!
「コホンッ! ……アナタ、ハクションを知っているかしら?」
アタシはびしっと美しく指を突きつけながらそう尋ねた。しかしニンゲンは一瞬唖然とした後、目を片手で覆って天を仰ぐようなポーズをとって固まってしまったのだった。
「何よ? 質問には『はい』か『いいえ』で答えなさい」
「ああ、うん。そのハクションってのは、風邪でも引いたのか?」
「カゼ? だから何で風が出てくるの?」
あの時のニンゲンと同じようなことを言うのね。やっぱりニンゲンってよくわかんないわ。
しかもさらりと『はい』も『いいえ』もスルーされたし。
「あー、じゃあアレか? もしかして『実在の人物、団体には一切関係ありません』ってことか?」
「何言ってんの?」
「それはハクションじゃなくてフィクション……ゴメン。俺が悪かったからそんな目で見ないでお願い」
意味の分からないことを言ったから軽く睨んでやったら、妙に気まずそうにこのニンゲンは目を逸らしてしまった。アタシの眼力の勝利かしらね?
妙に顔が赤いのは……アタシが魅力的過ぎるからということにしておこう。うん、きっとそうよ。
「あのね、アタシはハクションってニンゲンを探しているの。わかる?」
「……まさかとは思ったけど、それマジで人名なのか? 命名のときに風邪でも引いてたのか……絶対そいつぐれるな」
はっきりさせてやろうと再び美しくポーズを決めて宣言してやったら、ニンゲンは遠い目をしてなにやら呟いている。
一体何がおかしいのかしらね? と言うか、仮にも吸血鬼に勝利したほどのニンゲンなのに有名じゃないのかしら、ハクションって。
「一応聞くけど、その名前であってるか? 何かの聞き間違いとか……」
「ハッ! ありえないわね。このカーラ様がそんなマヌケな間違い犯すわけがないわ!」
「ああ、カーラちゃんって言うのね」
「あ」
……し、しまったわ。これが昔本で読んだ誘導尋問って奴なのかしら?
このニンゲン、気の抜けたマヌケ面の割にはやるわね。これは強敵だわ。
「フ、フフフ……やるじゃない。見直したわ、褒めてあげる」
「そりゃどーも」
せっかく血の味以外にも見所があったとアタシが褒めてあげたのに、ニンゲンは頬を掻きながらちょっと微妙な笑みを浮かべるだけだった。
まったく、失礼な奴ね。ここは深々と頭を下げて感謝を述べるところでしょうに。
「それで、結局ハクションのことは知ってるの?」
「いーや、残念ながら知らないね。そこまで特徴的な名前の人物なら一度聞けば忘れないと思うけど、残念ながら覚えがない」
ニンゲンは頭を横に振ってからそう答えたのだった。
……やっぱりダメね、こいつは血が美味しいだけだったわ。仮にも希少な強者である同族のことくらい知っておきなさいっての。
ああでも、数日前のニンゲンみたいに知っていても黙っている可能性もあったわね。ここはやっぱり、一つ魔眼でも使っておくべきかしら?
「…………」
「なに? どうしたの? いきなり無言でジーっと見つめてるけど?」
「いえ……なんでもないわ」
……ダメね。何でかはわからないけど、アタシの勘が言っている。このニンゲンに魔眼を使ってはいけないって。
おとー様からもアタシの勘は褒められるし、信用していいものだもの。この、何となくこりゃダメだなーって感じる感覚は。
(だとすると、このニンゲンは相当強いってことかしら?)
流石に吸血鬼を倒せるようなニンゲンがその辺にいるとは思えないけど、それなりの強者なのは間違いないわね。少なくとも、魔眼系を無力化する何かがあると思う。
アタシの勘と血の味だけが根拠だから確証なんてないけど、少なくともこのニンゲンを図鑑で見たような弱小種族の平均レベルであるなんて思わない方がいいわね。
「はぁ、本当に知らないのね? ハクション」
「ああ。俺はハクションさんなんて斬新なネーミングの人は知らないよ」
一応確認するも、さっきと変わらない返答。やっぱり他を当たった方がいいかしらね。
そう思って諦め、他に行こうと思うも、ただ離れるのも悔しい。もう十分動けるとは言っても完全回復じゃないし、何かこの辺はいるだけで力が抜けていくんだもの。
ここはまた何かあったときに吸うためにも、このニンゲンにはマーキングしておいたほうがいいかしら?
「ねえアンタ」
「なんだい?」
「名前。名前教えてくれるかしら?」
本当は追跡の魔法とか使えばいいんだろうけど、アタシはその手の魔法を使えない。
だからせめて、ニンゲンの名前を聞いておきたい。それから探すこともできるでしょうし、アタシの名前だけ知られるってのも悔しいしね。
「名前?」
「そうよ、名前よ。アンタにだって名前くらいあるでしょう?」
「はいはい。名前ね。俺の名前は――」
そこでニンゲンはちょっと迷うように言葉を止めた。まるで、名乗っていいのか悩んでいるようね。
何かしら? 名前を名乗ると何か不都合でもあるのかしらね?
「……まあ、この聖域なら問題ないか」
「え?」
「いや、なんでもないよ。俺はレオンハート。レオンハート・シュバルツだ」
そうニンゲンは、レオンハートは名乗った。アタシはその名前を、しっかりと頭に刻む。
項目、美味しい血の脳内ページに……。




