第59話 不本意な決着
……体が動かない。指の先まで力を使い果たしたみたいだ。それに、頭も全く働かないな。物凄くぼんやりとして、考えに全く集中できない。
何なんだ? 何が起きているんだ?
「今の俺の吸血鬼の血……決して抗えるものではない」
ぼんやりとした思考の中に、ちょっと前に聞いたセリフが蘇ってくる。
ああそうだ、首から何かを入れられたんだ。その何かは俺を侵し、壊そうとしたんだ。
その感覚を、俺は知っている。昔流し込まれた猛毒だ。必死になって耐えた、かつて受けた体を変え、心を砕く闇の固まりだ。
でも、違う。これは違う。あの時のとはレベルが違う。俺を壊そうとする意思が、怨念にも似た狂気の桁が違うんだ。
それから……それからどうしたんだ? 戦いで負けて、首をかまれて毒を流し込まれた。そこまでは覚えてるけど……そこからよく思い出せない。
ただ、戦ったような気がする。何も考えずに、首に噛み付いていた何かの頭を鷲づかみにしてぶん投げたんだ。
その後、俺は剣を放り投げて素手で誰かを殴った。ほとんど自覚してないけど、何か凄い威力だった気がする。
そのまま俺は戦って、殴って、蹴って、何かをボコボコにした。あれは悪なんだから、それでいいはずだ。
って、ん? 悪って何だ? 俺って、そんなこと一々考える人だったか?
いやそもそも、俺って誰だ? レオンハート・シュバルツ……でいいのか? 本当か?
(わからない……俺は? 私は? 僕は? どれだっけ?)
自分がわからない。でも、俺……が一番しっくりくるな。やっぱり俺は俺だ。
さて、じゃあ俺、名前をレオンハート・シュバルツという人間は誰だ? 何をしていた? 何をした?
よくわからない。ただ、誰かも思い出せない“悪”を滅ぼそうとしていた気がする。俺はその為に作られたんだから、それが当然なんだから。
……ん? 何か今変なこと考えたか? どうも何か引っかかる気がするんだが……わからない。俺は今、何を考えた?
(あー、沈む。どこかに落ちる……)
自我がどんどん溶けていく。それは快感を伴う感覚であり、同時に死を予感させるようなものでもある。
肉体ではなく、心が、魂が消えていくような感覚。俺じゃない俺に変わっていくような、なんとも不思議な感覚。
手に残っている何かを殴った感触すらも、俺じゃない誰かのものなんじゃないかと思えてくる。全身から放ったような気がする、俺には絶対に使えない強大な力なんてまさに俺じゃない誰かが使ったと考えたほうがしっくり来るくらいだ。
「もう……いい、かな」
俺が消える。でも、それに無理して逆らう必要あるのか?
そんな風に考えたら、なんだか楽になってくる。もうこの、悪を抹殺すると、善を守護すると清らかに叫んでいる俺じゃない俺に全て任せちゃってもいいんじゃないか――
『師匠を、離せ……』
(ん? 何だ?)
もう眠ろう。そう決心したとき、誰かの声が聞こえてきた。
これは誰の声だったか。確か、俺が守らなきゃいけない誰かだったような……。
『う、わぁぁぁぁぁぁぁ!?』
(ッ!? 悲鳴!)
暗く沈む意識……いや、むしろ明るすぎて飲み込まれ、消えそうな意識に伝わってくる悲痛な悲鳴。
まだ小さな子供が上げていいようなものじゃない、命を削られる音。それが、俺の意識に届いたんだ。
(……こりゃ、寝てる場合じゃ、ねぇな)
あの悲鳴を聞いたとき、俺の体に、魂に力が戻った。ああそうだ、寝ている場合じゃない。
俺は、俺だ。それを忘れるなんて俺は今まで何をしていたのか。この強烈で神聖すぎる感覚はどこからきたのか。謎は多い。
でも、そんなの後回しだ。だって、弟子がピンチ何だもんな――
「全く、人の弟子に好き勝手やってくれたみたいだな……」
「……ありゃ、もう起きちゃったの?」
目を覚ましたら、何か縛られてた。そして、すぐ近くに無茶なダイエットに成功した様子の――体の大部分が吹き飛んで豪いことになってるミハイが転がっている。
何だ? 何が起きたんだ? そもそも、俺なんでこんなとこで寝てたんだ?
「なんだかよくわかんないけど、とりあえずお前は敵でいいんだよな?」
……記憶が混乱している。今まで自分が何をやっていたのか思い出せない。何か夢を見ていたような気もするけど、全く思い出せない。
でも、今わかっていることもある。それは、魔法で作ったんだろう鎖で俺を縛り上げ、そして我が愛弟子を縛り上げて電撃拷問してくれてる見慣れない男が目の前にいるってことだ。
いや、まだ幼さを残す少年を鎖で縛り上げて電流流すってどういう事だよ。もし手元に通信を可能にする文明の利器があれば即お回りさんに通報したい。
って、この世界では俺がその系統の職業なんだっけか。ちょっと違う気もするけど、これはもう殴っていいよな?
「よっと」
「……大分衰弱していたように見えたけど、あっさり立ったね」
鎖をジャラジャラ鳴らしながらも、俺は勢いをつけて立ち上がった。
体にダメージは……なさそうだな。ミハイにやられまくったはずなのに、何で無傷なんだ?
「でも、止めておいたほうがいいよ? 僕は捕縛魔法に関しては自信があるんだけど、それは特に頑丈さを追求したタイプで――」
「フンッ!」
「へ?」
バリンッ! と言う音と共に、腕力で鎖は砕かれた。何重にも魔法の鎖が巻かれてたからちょっときついかとも思ったんだけど、案外簡単に割れたな。
「お、おいおい。人間の腕力なんかで砕けるわけが……」
なにやら引きつった笑みで、謎の男が戦慄している。実際砕けたんだからそれ以上のことはないと思うんだが、なにやらショックを受けてるらしいな。
いやまあ確かに、ちょっとやそっとじゃ砕けないような感じもしたんだけど……なんだろ? 一週間一切睡眠をとらなかったのかってくらい妙にだるいと言うか疲労感が凄いのに、力だけはあふれ出てくるんだよな……。
「ん? その、目は……」
「目?」
「……なるほど、吸血鬼の身体能力か……」
目と言われて何となく意識を集中してみれば、いつの間にか吸血鬼化していた。道理で力があふれ出てくるわけだ。
それも、実に黒々しい闇属性の魔力。俺本人の魔力がほとんど感じられないのに、吸血鬼の血から引き出される魔力がガンガン注がれてるね。
「そこまで赤々しく目が輝くとは、もはや人間かどうかも怪しいね」
「なんだと?」
「見たところ、目だけではなく体の端々まで深く変化している。ここまで高純度の変化だとは聞いていないんだが……」
男はぶつぶつと何かを呟き、自分の世界に入ってしまった。
しかし体の変化だと? 別にいつもと同じ……じゃあ、ないな。何だこれ? 爪メッチャ鋭いんだけど。
(よくよく全身に気を回してみれば、強化率と言うか変化率が跳ね上がってないか? 今までの吸血鬼モードとはレベルが違うぞ……?)
吸血鬼の血を体に回すことで、俺は一時的に吸血鬼の力を手に入れることができる。それは今まで通りなんだけど、前のは外見にほとんど変化の無い、精々目が赤くなるくらいの吸血鬼っぽいものになっただけであった。
だが、今はより肉体が魔物に近づいている気がする。爪が鋭く伸び、口の中を触ってみれば犬歯まで鋭く伸びている。もはや牙だ。
身体能力も――上がってる。軽くシャドーボクシングもどきをやってみるが、拳の速度が体感で倍になった気がするくらいだ。
いったい何が起きたんだ? まるで、力の源が外から埋め込まれたような……ん?
「どこに行く?」
「い、いやー。ほら、僕って戦う人じゃないし、そろそろ帰ろうかなーと思ってね?」
俺が自分の変化に戸惑っていると、いつの間にやらあの男はアレス君に伸ばしていた鎖を――ついでにミハイを縛っていたのも――捨てて、逃げ出そうとしていた。
当然見逃す理由はないわけだが……さて、そもそもこいつは誰なんだ?
「――【縛術・拘束する車輪群】!」
俺が一歩謎の男に向かって足を踏み出すと、男は即座に魔法を発動させてきた。
フラフープみたいな形をした魔力が多数俺に向かって飛んできている。脅威には感じられないが……元々ダメージを狙ったものじゃないなありゃ。多分、拘束系だろう。
そう考えた俺は、対策として極自然に右腕を突き出した。そして、全身を力強く巡る闇属性の魔力に命じたのだった。
「【特殊能力発動・低級死霊作成・鎧骸骨】」
「はぃぃっ!?」
俺の全身を巡る魔力が黒い霧となって大気中に霧散し、そして一つの形を作り上げた。鎧を纏った動く骸骨。スケルトン系のモンスターが出現したのだ。
禍々しい黒い鎧に骨の体を包んだこいつは最弱一歩手前の、ノーマルスケルトンがちょっと頑丈になったくらいの力しかない。攻め手としては本当に最弱レベルで、受け手としてもまあ俺が本気で一発殴ればそれで消滅するだろう程度だ。
でも、今はこれで十分。敵のはなった魔法を俺の代わりに食らうのがその役割なんだから、そこそこのガタイさえあれば問題ないのだ。
「そんなの、あり?」
「あり……なんだな?」
鎧骸骨は無数の拘束輪をその身で受け、あっさりと動きを封じられた。
しかし、それであの魔法は全て受けきったのだ。十分役割を果たしたと言える。もう用事はないし、さっさと魔力供給を切って消してしまおうか。
(……消えたな、当然のように)
何となく、感覚で理解できた繋がりのようなものを切ると、あっさりと骸骨は消滅した。
本当に、自分がやっているのでなければ使い慣れているように見える光景だな……。
(俺が吸血鬼の能力で持ってたのは、魔力視認と身体能力強化、それに燃費の悪い再生くらいだったはず。アンデッド作製みたいなスキルまでは使えなかったはずなんだが……)
吸血鬼が緊急回避や身代わりに使ってるのを見て、便利そうだし俺にもできないかなと思ったことはある。でもそれは失敗した。そこまでの力は持っていなかったのだ。
なのに、今はあっさりとできた。それも、ほとんど無意識に、転んだから受身を取ったーくらいに自然にやってのけちゃったのだ。
「あ、あはは……さよなら!」
多分と言うか、確実にミハイに追加で吸血鬼の血を注がれたのが原因だろう。
そう結論付けてとりあえず納得したところ、再び男は逃げ出していた。正直足遅いと呆れちゃうくらいの速度で、無防備に背中を見せながらの逃亡であった。
「ま、とりあえず逃がさない――ん?」
取り押さえようと足に力を入れた瞬間、突然男の前に空間の歪みのようなものが発生した。
明らかに魔力で引き起こされた現象。しかし男にその様子はなかったから、誰か別の仲間がいたのか?
「おおっ! グッドタイミングだよリップちゃん!」
男は空間に生じた黒い穴――多分転移系の魔法――に、躊躇なく飛び込もうとしている。
どうやら男に勝ち目はないと判断した仲間が退路を作ったらしいな。実に的確かつ素早い判断だとは思うが……逃がさんよ。
「加速法」
「助かった――あ?」
加速し、近寄り、殴る。ただそれだけのことで、男はあっさりと気絶した。穴の中に飛び込もうとしていた頭を上から適当に加減して殴ったのだ。
ちょっと威力が強すぎたのか、殴った勢いのまま頭が地面にめり込んでしまっているが、まあ死んではいまい。少なくとも、胸が呼吸で動いているしな。
(……穴が塞がったか。どこかでここを監視している? どこだ……?)
男を行動不能にしたと同時に、空間の黒い穴は塞がってしまった。
多分俺に攻め込まれないようにとの判断だろうが、穴を作ったタイミングといい確実にこっちを監視しているのだろう。
その手の魔法が幾つか在るとは知っているが、さてどこにその基点があるのか。その手の魔法は大体使い魔との視覚共有だったり映像を受信する媒介を飛ばしているものなんだが……。
「……ま、いいか」
流石に、見渡しただけで見つかるようなところにはないだろう。そう言ったものを見つけるのは専門外だし、今も監視されているとは限らないんだ。
当面はこの男の奪還を警戒しつつ、アレス君の治療とミハイの捕縛の方が優先だな……あ。
「ミハイ……どこに行った?」
俺が謎の男に構っているほんの数秒の内に、いつの間にかミハイが消えている。あの体じゃいくら吸血鬼でも動けないと思うんだけど、いつの間にいなくなったんだ?
意識が途切れるまでの間、俺はあいつに歯が立たなかった。特に、あの槍みたいなのの能力は本当に強すぎた。だから確実にここで、最低でも武器だけは奪っておきたかったんだけど……俺に一切ばれずに、一体どうやってここからミハイを連れ出したんだ?
(気配は……ない。魔力の残り香すらないとなると、何らかの方法でここから完全に消えたと思ったほうがいい。転移系の魔法かな?)
吸血鬼の魔法への知識は人間なんかとは比べ物にならない。人間で言えば使えるのなんてジジイくらいって上位魔法も、吸血鬼ならわりと使い手いるからな。
そんな連中の未知の魔法となれば、本当に俺じゃお手上げだ。元々俺は襲撃者じゃなくて被害者なんだし、可能な限り素早く痕跡を消して此処から立ち去るのが吉かね。
「しゃあない。とりあえずこの男を縛り上げて――」
「おおぉぉぉ!?」
「え?」
ミハイを逃した以上、せめてこの正体不明の男だけでも捕らえよう。そう思って足元に転がっている男を見たとき、急に物凄い叫び声が上がった。
何事かと発生源――男を見ると、何か膨れていた。ぶくぶくと体に無理やり水でも詰め込んだかのように膨らんでいるのだ。
「い、嫌な予感……」
「ぶぼぉぉぉぉぉ!」
「ッ!? アレスッ!」
更に、男は一段階一気に膨らんだ。その姿に非常に嫌な予感を覚えた俺は、倒れていたアレスの元に走った。
その途中で落ちていた俺の刀――リリス式魔法刀を拾い、アレスを背にして剣を構える。そして今もなお膨れ続ける男を見て、俺は何が起きているのかを吸血鬼の目で知ったのだった。
(内部で急速に魔力が増幅。それに大気中の魔力まで濃縮して取り込んでいる……! これは、まさか!)
この魔力の流れ、過去数回見たことがある。そのどれを思い返しても最悪な気分になる、性質が悪いなんて言葉じゃ言い表せない禁断魔法の予兆だ。
(あいつがどこの誰なのかは未だ不明だけど、はっきりと言えることはある。あの野郎、正真正銘の狂人だ!)
体内で魔力をどんどん高め、許容しきれずに体がまた膨れる。
あの魔法は、名称を自爆魔法、または人間爆弾と言う。その名前だけで全て分かってしまうシンプルで最悪な魔法だが、効果は見ての通りだ。
人間の体内に予め魔力を吸う魔法の道具を作るときなんかに使う鉱石を埋め込んでおき、術者の意思で起動すると同時に爆弾にされた人間の内在魔力を吸って膨れ上がる。そして爆弾にされた人間が耐え切れなくなり、弾けたところで全てを吹き飛ばす大爆発が起きるって寸法だ。
その特性上、爆弾にされた人間は9割死ぬ。故に最悪の魔法と呼ばれ、人権なんて端から無視した外道の技である。
実際、使い所は後ろ暗い連中が敵も味方も含めた口封じのために使うか、捕虜にでも埋め込んで敵陣で爆発させるかくらいか。後はまあ、一人死んでも二人殺せばいいなんて境地にまで達してしまった極限状態の戦士に埋め込んだ歴史もあるらしい。
(あいつは自分の意思を無視して爆弾にされた様子はなかった。それならあんな風に冷静に戦ったり出来るわけがない)
人質でもとられ、脅されて爆弾にされたなんて話も聞かないわけじゃないが、あの男の様子を見る限りそれもないだろう。
つまり、あいつは何があったかはわからないが、自分で自分が爆弾扱いされることを許容していたことになる。
そんなの、どう考えても狂人の所業としか言いようがないだろう……!
「ばぁぁぁぁぁ!」
更に膨らむ。もはやその姿は人間のものではなく、精神ショックを狙った異形系と思ったほうがしっくりする姿だ。
その最後の一押しにより、爆弾と化した肉体はついに限界を向かえ、膨れ上がった風船が割れる一瞬前の光景を見ているような感覚に襲われる。
次の瞬間、ついに人間爆弾はその強烈は破壊力を見せ付けたのだった。
「クソッ! ――【中位風竜の牙】!」
相手は人間。可能ならば死なせたくはない。でも、俺にこの状況でできることなんてない。
俺に出来ることは、せめて俺の後ろで気を失っているアレス君まで死なせるようなことにはしないこと。そう信じて、俺は手にした魔法刀から破壊の風を巻き起こし、爆風を相殺する。
強烈な破壊と破壊のぶつかり合いは、両者の合い打ちという形で幕を下ろしたのだった。
「……なんだったんだ、あれは」
俺は魔力を唸らせる魔法刀を一振りし、鞘に収める。そして、俺の後ろを除いてすっかり吹き飛び地表が見えている大地を眺める。
……あれは、なんだったんだろうな? 人間爆弾なんて、被害を出さない為に見つけ次第殺せなんて常識があるような超危険魔法を使うとか……。
「……今は、アレス君が優先だな」
悩んでいても仕方が無い。明らかに善良な一般市民ではなかったし、人間爆弾の使用許容とか法律に疎い俺でも死刑確定だとわかる所業だ。
俺はそう自分を誤魔化し、目の前で人が死んだ――肉片すら残ってないので確証はないが――事実を忘れる。既に人死も見慣れているなんて全く嬉しくもなければ自慢にもならない経験もあることだし、ここは報告書に書く内容だけ心のメモ帳に箇条書きにして後は忘れよう。
俺はそう区切りをつけ、とりあえずアレス君に起きてもらおうと軽く揺さぶる。でも、うめき声を上げるばかりで目覚める様子はない。
アレス君も最近は大分頑丈になってきたはずなんだけど、こりゃ相当やられてるな。気絶しても剣を放してないのは偉いけど、これじゃポーションで回復ってわけにはいかなそうだな……。
(しゃあない、道具袋の中から回復魔法の魔道書を出すか)
あれなら意識の無い人間相手でも回復させられる。ただ、道具袋どこにやったっけかな……。
確かアレス君に渡したと思うんだけど、見当たらない。その辺に落ちているとは思うけど、あの爆発で消し飛んでたら泣くしかないんだけどなぁ……。
「………………ん」
「お、起きたかい?」
戦いが終わって数時間。運よく道具袋を見つけてアレス君の傷を治し、しかし意識を取り戻しはしなかったので背負って俺は移動した。
もうすっかり日も暮れて、実に健全な深夜の時間帯だ。月が輝き、少し遠くを見渡すこともできない闇の世界。そんな時刻に、寝袋にくるんでおいたアレス君は目を覚ましたのだった。
「あれ……師匠? どうしたんですか?」
「んー? どうしたんだろうねー」
目を覚ましてすぐ、アレス君は俺を見て首をかしげた。
今の俺は、全身の力を抜いてだらけている状態だ。酒場の酔っ払い親父でもここまで無謀な姿を晒しはしないと断言できるくらいにだらけきっている。
町の外、それも夜の世界など人間が本来いていい場所ではない。次の瞬間には腹をすかせた野生動物や魔物に襲われても全く文句を言えないような状況な訳だから、常に一定の警戒をしていなければならないはずなのだ。
だというのに、今の俺の姿。五体を投げ出して木に寄りかかる形で座っている姿など、ありえないと断言していいだろう。その辺は口をすっぱくしてアレス君にも言い聞かせていることなので、だからこそアレス君はまずそれに驚いているのだ。
「えっと、師匠? あれからどうなったんですか?」
「んー、あれからってのがどこからなのはわかんないけど、お前を襲ってた変な男ならもういないぞ」
俺は非常に億劫ながらも、言葉を濁して危険はないと伝える。
アレス君はそれに一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに納得したように落ち着きを取り戻してゆっくりと立ち上がったのだった。
「師匠、勝ったんですね!」
「……まあ、勝ったな」
「流石です! ……でも、すいませんでした」
「ん? 何が?」
いつものように目を輝かせたと思いきや、急にアレス君は落ち込んでしまった。一体どうしたんだ?
「僕、負けちゃって……」
「ああ……まぁ、仕方ないだろ。死んでなけりゃ問題ないし、アレス君が時間稼ぎしてくれたおかげで俺が起きるまでの時間が稼げたんだ。十分立派だよ」
アレス君は俯き、ちょっと暗い声でそう呟いた。
どうやら、アレス君はあの男に負けたことを悔やんでいるようだ。確かにあんまり強くないと言うか、そもそも戦闘者っぽくない感じの奴に負けたってのは心に来るもんだろう。
でも、世の中広い。敗北なんて珍しくも無いことで、一々気にしてたら生きていけないだろう。少なくとも無意味に負けたわけでもないんだから、今回の敗北を次に活かせればそれでいいのだ。
「……僕、本当に強くなってるんでしょうか?」
「え?」
「僕も、あの変な世界での戦いで成長したような気がしてました。でも、実際にはあっさり負けちゃって……才能、ないのかなって……」
アレス君は俯いたままながらも、両拳を強く握り締め、そして悔し涙を流した。
……どうしよう。思ったよりも深刻に悩んじゃってる。実際にはどうだか知らないけど、確かに自分の成長を実感できたところで鼻っ柱へし折られるのは落ち込むだろう。けど、ぶっちゃけ非常に贅沢な悩みだよそれは。
だって、アレス君が才能無いとか言われたら……俺はどうなるのって話だし。
「……ま、悩みは大体わかったよ」
「師匠?」
「俺はまあ、その悩みを解決する方法を知っている。安心しなさい」
「本当ですか!」
成長していないんじゃないかと、自分の能力を疑ってしまう。体はともかく根が凡人である自覚がある俺としては、まあ年がら年中悩まされていた命題だ。
そんな思いを抱いてしまう。その気持ちは本当によくわかる。だから……その解決法もばっちり教えてあげるとしようか。
「いいかいアレス君。その手の悩みはね」
「悩みは……?」
「悩んでいる暇もなくなるくらい鍛錬すればいいんだよ!」
力不足を嘆くときは、その力を高めていけばいいのだ。ようは強くなるまで修行すれば強くなるに決まっているのだから。
アレス君はそんな単純明快な回答に目を丸くしているが、しかしこれが真理だ。今の俺みたいに全身のエネルギー使いきった状態ならもう悩むことすら面倒くさくなるし、余計なこと考える余裕なんてなくなるくらい強制的に追い込んであげるとしよう。
「えっと、その……」
「今の俺はまあ、全身疲労で動けないだけだ。一晩寝れば回復するだろうから、また明日からびしばし行くとしよう」
「びしばし……」
ここにはアレス君を背負い、吸血鬼化を保ったままで走ってきた。
でも、当然と言えば当然なんだけど、人間である俺が永久に吸血鬼の力を使うことはできない。つまり吸血鬼モードの保持時間を過ぎて人間に戻った瞬間、俺はこんな感じの日曜日の親父モードになってしまったのだ。
何があったのかはさっぱり不明ながら、どうやら今の俺は人外の力を使わないと立ってることもできないほど消耗している。そんなわけでぐだーっとしているわけだ。
だから本当なら今すぐ修行でも始めてあげたいところなんだけど、今は無理。どんだけ疲労しても一晩寝れば全回復する自信あるから、明日まで我慢してくれアレス君。
「あの、ちなみにどんなことするんですか……?」
「んー? そうだねぇ……。大分アレス君も頑丈になってきたし、そろそろ準備運動は終わりでもいいかなーと思ってたし、ちょっと本格的に行こうか」
「じゅ、準備運動……?」
アレス君がなにやら戦慄しているけど、俺は気にせずに今後の鍛錬内容を頭の中で考えていく。
やっぱ、弟子を殺しちゃまずい。そう思って今までいろいろ手心を加えてきたけど、あんなアンデッドが自然発生する異空間で生き延びられる生命力があるんなら更に過激でもいいだろう。
そろそろ過保護は止めて魔物の巣に放り込むくらいのことはしてもいいかな? 後は基礎トレメニューを三倍くらいにして、組み手の手加減をちょっと止めるかな。そろそろ真剣解禁でもいいだろうし。
やっぱ、骨がへし折れて肉が切られる感覚くらいは知らないと話にならないしね。肉も骨も全部断たれても根性で立ち上がることができなきゃ戦士失格だ。
本当なら危険すぎてできないことも、魔法の力でたちまち回復できるからね。いやー、本当に魔法って便利。
「ここからなら、明日には聖都につけるだろう。そしたら本格的に修行開始と行こうか、アレス君」
「は、はぃ……」
いやー、正直師匠なんて柄じゃないと思ってたけど、何だかんだ言って楽しんでるな俺も。
さあ、楽しい明日を思って、今日はゆっくり寝るとしようか。一応魔物や動物避けの香と護符は張ってあるし、出来る限り早く回復することに集中するとしよう。
明日は全力で走って、日が落ちる前に聖都にたどり着きたいところだな……。




