第53話 暗躍する敵
新章開始。
「ああ……あぁぁぁ……」
男のうめき声。今にも死にそうな、亡者のようなか細い声が狭い部屋に反響する。
その声の主は、まさに亡者だ。乾ききった干物みたいな体を動かし、何かを抉り出そうとするように自らの胸を掻き毟っている。しかし既に全てはがれてしまった両手の爪では何の意味もなさない。ただでさえこの上ない苦痛を味わっているのに、更に自らに痛みを与えるだけの亡者のダンスでしかない。
僕はそれを、顔色一つ変えないで、変えないように意識しながら見続ける。自分が至るかもしれなかった末路から、目を背けずに。
「……実験は失敗か」
「はい、父上」
僕の隣で、見慣れた黒いローブ姿の父上が淡々と感情を込めずにそう言った。
その言葉には一切の動揺がなく、目の前で起きている地獄のような光景にも何も感じていないようだ。いや、僅かながら、失敗した事実への苛立ちが込められているのかもしれないか。
いずれにしても、父上に哀れみや後悔、同情と言った感情はないようだ。僕の兄であり、自らの息子でもある人間が悶え苦しみながら壊れていく姿を見ても。
「やはり失敗作は失敗作。過剰な期待をするべきではないな」
「……兄上は優秀な術者でしたよ」
「改造までして優秀レベルでは話にならん。まして、このスチュアートの血を引きながら凡俗共と比較できる程度ではな」
僕の父上――イーグル・スチュアートははっきりと言い切る。この悪魔に魂を売ったとしか思えない残虐な男にとって、その他大勢の中では上位程度の力にしか到達できなかった兄に価値などないのだ。
そんな話をしている内に兄が――兄だった何かが崩れ落ちた。移植された魔物の細胞を許容できず、グズグズと腐った肉塊に変わったのだ。
「完全な死亡を確認。原因は魔物細胞の拒絶か。人間に移植しても問題ないよう調整したはずだが……やはり取り込んだ魔力に耐えられなかったのが原因か」
「自分以外の魔力は、毒に等しいですから」
「わかっている。だが、その成功例がある以上は必ず解決法があるはずだ。低級モンスターから作った強化細胞の移植実験はお前でも成功していることだしな」
「――ッ」
父上の言葉を受け、思わず左腕を押さえてしまう。
僕の左腕は、既に人間のものではないものが混じっている。極小さなものを埋め込まれただけだけど、火を操る魔物の細胞が移植されているのだ。
その力を何とか自分の一部として取り込むことに成功し、僕は今でも人間として、クルーク・スチュアートとしての自分を保っている。
でも、この実験に失敗すればああなるんだ。自分の体すらも維持できずに、腐った肉の塊になるんだ。
「怖気づくな。この研究は魔道の未来を背負うものだ。我々に後退は許されん」
「……はい。父上」
父上は、まるで善良な父親のように僕へと言葉をかけた。今まさに、自らの欲望と研究によって自分の息子を殺したその口で。
「しかし、強化魔物技術を応用した人体強化は順調なのに、どうしても魔物細胞の移植はうまくいかんな。素体の問題かと思ってスチュアートの優秀な肉体を使ったと言うのに、同じ結果で終わるとは」
父上は僕の体を弄繰り回し、高等技術である二重詠唱を膨大な負荷を無視すれば使えるようにした。その時のデータを見つつ、父上は淡々と実験結果を呟いた。
僕は天才的な炎の魔術師だ。僕の兄達だって、優秀な魔術師だ。
でも、そんな僕達を父上は日々自分の研究の実験台にしている。魔物を強化する技術を使って人間を強化し、更に魔物の力そのものを取り込むなんて狂気としか思えない実験の為に。
全てはあの大魔術師、人類最強の魔法使いと謳われるグレモリーに勝利するために。最高にして最強の魔術師は自分、イーグル・スチュアートであると証明する為に。
そして、そんな父上だからこそ親子の会話なんて望んではいない。父上が僕に語りかけるのも、何か意見を出せと言っているだけなのだから。
「やはり、人間の器では魔物の魔力は強すぎるのでは? 特に、今回使ったのは飛び切り上等な魔物なのでしょう?」
だから、僕も自分の頭で考え付く推論を述べる。それだけしか、しない。
「もっともな意見だな。今回使ったのはバジリスクとか言う外陸種の亜種だ。生贄を使った召喚儀式で呼び出したのに制御に失敗し、騎士風の人間に狩られたところを回収したらしい」
「生贄……」
「ああ。魔物は人の魂に引き寄せられる。奴らは人を殺し、その魂を汚すことを目的にしている節があるからな。その性質を利用し、魔法陣による転移装置を作り上げ、大量の魂をエサに外陸種を呼び出す術式を完成させたのだ」
何の罪もない人間を、ただ強力な魔物を呼び寄せる為だけに使った。そんなシステムを作り出したことを、父上は何の罪の意識もなく、むしろちょっと自慢げに語った。
「だが、愚かなことに制御に失敗したらしくてな。既に魔物のコントロールに関しては有る程度の成功を収めたはずなのだが……」
「魔物が強力すぎて許容限界を超えたのでは?」
「私もそれは考えた。だが、たかが騎士一人にやられた程度のモンスターだからな……まあ、術式を使った魔術師共が未熟だったのだろう」
父上はそう結論し、部屋の隅の机に置かれていたビンを手に取る。中には真紅の液体が少量入っており、なんとも魅了される輝きを宿している。
その正体は、血だ。それも、ただの血ではない。生物の体内に入った瞬間肉体を改造し、そして魂を汚すことで自らの支配下に置く猛毒“吸血鬼の血”だ。
「吸血鬼化した人間のサンプルから抽出したものだが……やはり成功の鍵はこれにあるだろう。未だ一例だけとは言え、人間が魔物の能力を獲得したのだからな」
「……レオンハート・シュバルツですか」
レオンハート。かつて、ほんの短い時間とは言え僕の相棒だった少年剣士。あれから出会う機会はなかったけど、噂だけは聞いている。
今の僕と同様中級騎士となり、各地で素晴らしい功績を残している英雄であると。人類の新たな救世主であると。
そんな彼こそが、この魔物の力を人に植え付ける悪魔の研究の発端だ。
見習い騎士になってすぐ、彼は吸血鬼によってあの猛毒を流し込まれた。だが、未だにその理由を解明できてはいないが、彼は自分を失わないまま力だけを手にして見せた。
ならば、自分にも同じことができるのではないだろうか? 父上はそう考え、そしてすぐさま行動に移した。本来ならば強化魔物計画で培った技術を応用した強化魔術師計画であったが、そこへ更に魔物の力を融合させる第二計画が加わってしまったんだ。
「あのシュバルツ家のガキはこの吸血鬼の血を受けてなお自分を見失ってはいない。その理由は不明。しかし、この血が人体をどのように支配しているのかは概ね判明している」
「魂の隷属、ですか」
「そうだ。人間は肉体を脳の指令によって動かしている。だが、各々の性格と言う奴は、あるいは矜持とか性質と言う奴は魂によって決定される。これは魔術師にとって常識とも言っていい事実であるが、この血はその魂を『吸血鬼への隷属』へと書き換える。決して譲れない、拷問されてでも見失わない自分の根幹を自らへの隷属に書き換えるのだ」
「そうなれば、どんな存在であろうとも吸血鬼の奴隷……」
「本来の魂から歪ませることで知性に大きな影響も出るがな。その辺の調整まで考えて作られた血が使われているか否か。それが下等種となるか従者となるかの違いだ」
父上は、最近の吸血鬼事件によって手にした様々なサンプルを元に構築した持論を語った。
僕も、この考え方は間違ってないと思う。様々な実験の結果から考えて、吸血鬼の血は肉体的な治療が一切意味をなさない魂に干渉する毒だと見て間違いはない。
現在の研究は、魂への影響を遮断した改良型吸血鬼の血を作り出すこと。あるいは、魂への干渉力のない他の魔物の一部から吸血鬼の血同様の肉体変化を起こす薬を作り出すことの二つをテーマに上げている。
今回の実験は後者の理論に乗っ取ったものだが、父上の本命は吸血鬼の血から人間強化薬を作り出すことのはずだ。魔術師としての力以外を認めない父上ならば、身体能力以上に純粋な魔力が強化される吸血鬼化の方に関心があるはずだから。
「魂は魔力を増幅させる。より力のある研磨された魂は、魔力を飛躍的に高める。これもまた常識だ」
「吸血鬼の血は、その魂を歪めることで強化する」
「その通り。魂を直接強化する技術は未だ確立されていない未知のもの。これもまた研究しがいのあるテーマだな」
吸血鬼の血で強化されるのは、肉体だけではない。魔力を使うものにとってその力の根幹である魔力のブースターである魂までもが強化されるのだ。
だからこそ人は鍛錬を積み、体と共に精神も鍛える。一念を持って己を鍛え上げたとき、また魂も磨かれる――と言うのが定説だ。
父上を見ていると、その一念が清廉なものである必要はないと但し書きを入れたくなるね。
「……やはり、魂への影響がないタイプはやるだけ無駄かもしれんな。どうせやるなら効果の大きいものの方がいいだろう」
「………………」
自分の息子を犠牲にした研究を、無駄の一言であっさり切り捨てる。これが父上なんだ。
「やはり、吸血鬼の血は美しい。薬として文句なしの完成度を誇るものだ。何としてでもそのすべてを解明し、そして支配してやらねばな」
自分の血族には関心を示さないけど、ガラス瓶に入れられた赤い液体には素直な賞賛を述べている。
そう言えば、ちょっと前も『対象者の魂に隷属を刻み、同時に強化改造する。実に見事で無駄がない』って褒めていたっけか。
僕も研究助手をやらされている立場から言えば、その意見にはしぶしぶながら賛成なんだけどさ。
そして、だからこそレオン君は異常なんだ。
肉体面だけの強化が行われたのかもしれないけど、やっぱり魂への干渉が吸血鬼化最大の強化ポイント。本物の吸血鬼を迎撃したとなれば、少なからず魂にも影響は出ているはずなんだ。
それなのに、何故彼は人としての理性も矜持もまったく失っていないのか。魂への影響がまったく出ていないのに力を高めたのか。
それが、父上が求める最大の謎なんだ。
「やはりシュバルツのガキが有する光属性の魔力が鍵なのか? しかし現状、数少ないながらも集めた光属性のサンプルに魂への干渉を防ぐ効果は見られていない。もしや、シュバルツのガキ自身の体、あるいは魂が通常の人間とは違う要素を持っているのか?」
「違う要素、ですか?」
ぶつぶつと自分の考えを整理するように口にする父上に、僕はついそんなことを聞いてしまう。
レオン君個人に魔物による魂への干渉をガードする何かがあると結論された場合、もしかしたら父上はレオン君を実験材料として欲しがるかもしれないと思ってしまったから。
「現状では不明……としか言えん。まだ光属性の研究が完全にすんだわけではないし、全ての可能性を検討したともいえんからな。だが……手は打っておくべきか」
父上は、そんな僕のほんの僅かに残された良心なんて気にも留めずに通信用魔道具を手に取った。そして、父上の部下へ――公的な国立魔法研究所の部下ではない、怪しげな犯罪集団の部下へと連絡を入れた。
「私だ。かねてより打診されていた新型強化魔物の戦闘実験だが、対象をあのレオンハートにしたい。……なに? 揃えるのには時間がかかる? だったらまず少数を出して個体性能チェックだ。その後で集団運用を行え――なんだと? 勝てるかわからないだと? 馬鹿かお前は! 確かに、遺憾ながら我らの駒は未だシュバルツやクンの当主クラスには及ばん。ならば、せめて未だ未熟な若造の首一つ取れるくらいのことは言って見せろ。いいな、これは命令だっ! 何なら強化魔術師の実験体も投入して構わんっ!」
一方的に自分の言いたい事だけを喋り、父上はすぐに通信を切ってしまう。やはり、レオン君を力ずくで研究材料にするつもりらしい。
確か、今父上が作っているのは集団運用を前提にしたモンスターだったはず。その戦闘実験ってことは……数の暴力、ってことか。
(……すまん、レオン君。僕に出来ることは、何もないんだ)
かつての相棒に、せめて心の中だけでも祈る。産まれたときから自らが最強の魔術師になるための良質な実験台として生きてきた僕に、父上の行動を止める力はない。
だからせめて祈る。どうか、どんな手段でもいいから生き残って欲しいと――
◆
「――瞬剣・双牙っ!」
常態加速法によって通常よりも僅かに速度を上げた状態で、スキルにより強化された二連撃を放つ。
敵はオーガの出来損ない見たいな奴。いつものように走りこみがてら道を進んでいたら、いきなり襲い掛かってきた魔物。
強さとしては、マッドオーガよりは弱いオーガ種としか言えない。何オーガなのか不明な歪な姿をしているのが気になるが、少なくとも俺の敵ではない。
多少速くなっただけで俺を見失い、自分の両腕が斬りおとされてることにも気がつけないようなボンクラなんてな。
「アレス君! 君は自分が生き残ることだけに集中しろっ! これも修行だっ!」
「はいっ!」
攻撃を緩めることなく、両腕を失ってほとんどの戦闘能力を失ったオーガっぽい鬼の心臓を貫く。
これでこの鬼の魔物は殺したが、しかし安心はできない。何故ならば、襲ってきたのはただの異形オーガではなく、軍のように統率を持ったオーガの群れなのだから。
(一体一体確実に殺すっ! アレス君も防御の技だけなら中々立派になってきたけど、このレベル相手に長時間はまだ無理だ!)
俺一人ならば、何とでもなる。ゆっくり時間をかけて確実に殺していけば総勢20体ほどの鬼の群れも問題なく倒せるだろう。
だが、アレス君は無理だ。まだまだこの鬼と正面から切り結べる力はないし、身を守るので精一杯のはず。だから、急いで殲滅しないといけない。
剣を振るうものとして、集団への範囲攻撃を苦手とする俺なりの全力で。
「フッ!」
「いいぞ、正面からは決して受けるなよっ!」
「はいっ!」
鬼の軍勢の武器は、歪な棍棒だ。これに関しては普通のノーマルオーガが持っている棍棒と同じものだと思う。
何の特殊能力もないし、一番小さい個体でも二メートル半はある巨体が振るっていることを除けば気にするほどの物でもない代物だ。まあ、実際でかぶつが腕力任せに振り回せばただの丸太でも脅威なわけだけど。
そんなものを、今のアレス君が正面から受け止めれば確実にぶっ飛ばされる。と言うか俺でも吹っ飛ぶ。だから、攻撃されれば避けるか側面を叩いて弾くしかない。
その手本はこの戦いの中で見せているが、アレス君は今のところよくやっていた。俺の剣を見よう見まねで模倣し、自分に向かってくる致死性の圧力を全て弾いているのだ。
「ある意味最高の修行かもな、こんな戦いはよっ!」
修行は基礎が一番大切だ。どんな戦いを経ようとも、それを蓄積する身体がなければ徒労に終わる。
だが、今のアレス君にはしっかりと作り上げた身体がある。まだまだ成長途中の未熟な体だが、それでも戦いの中で得るべきものを吸収できるだけの下地は作ったつもりだ。
ならば、こんな戦いは窮地ではない。この鬼共がどうしていきなり襲ってきたのかは不明だが、それも笑って修行の一環にできなきゃ騎士なんてやってられないだろ。
それに――自分である程度戦える保護対象を守りながら戦うなんて、守護者としての修行としては軽すぎるくらいだしなっ!
「――15体目っ!」
瞬剣・首狩り。高速の一太刀を持って、敵の首を跳ね飛ばす。
残りはもう僅かだな。アレス君もこの戦いの中で対オーガの技術を会得しつつあるようだし、最初のいつ死ぬかわからない危うさはもうない。恐ろしい吸収力だとかなりビックリだけど、まあ成長が早いのはいいことだ。
さて、では最後まで油断せずに殺しつくすとしようか。
「怪我はない?」
「は、はい。大丈夫です。かなり手が痺れてますけど……」
「そりゃあまあ、仕方がない。出来ればどこかで休憩したいところだけど……流石にここで腰を下ろすのはなぁ」
見渡す限り鬼の死体と血の海。自分で作った光景とは言え、正直こんなところで一息入れたくない。
まあ、戦いの後の状態確認は最優先事項だからやるけどさ。今回の相手は俺の知るオーガとどこか違う感じがする未知のモンスターだったから、特に警戒しないといけないしな。アレス君も問題なさそうな姿を見るに、取り越し苦労だとは思うけど。
「それにしても、急に魔物が増えてませんか?」
「んー、確かに急にエンカウント増えた気がするけど……まあ、このくらいが普通だよ」
「そうなんですか……。今まではラッキーだったんですね……」
俺達が補給の為に寄った町を出てから、これで17回目の戦闘だ。
移動を始めてから大体4時間くらい経ってると思うし、戦闘時間も含めれば10分走ると一回魔物の集団に当たる感じかな。別に等間隔で出るわけでもないから考えても仕方のないことだけど。
俺が旅に出てから、魔物の出現ペースは大体こんなもんだ。だから、この状況もそれほど驚くことでもない。
強いて言えば何故か出てくる魔物が不思議な奇形ばっかりだったり集団だったりするのが気になるところだけど、俺の知識に穴があるってだけのことなのかね?
……まあ、ゲーム時代は10歩歩くたびに戦闘画面になってたくらいだし、全然普通のことなんだってことにしておこうか。考えても多分答えは出ない。何かしらの悪意のようなものを感じなくはないけど、そんなの一々気にしてたら生きて行けん。
「じゃ、アレス君。とりあえず血の匂いがしないところまで移動してから軽い武器の点検。その後またダッシュに戻るぞ」
「わかりました!」
しかし、このペースで魔物が出るときは本当に返り血が厄介だよなぁ。俺はもちろん、もう直接敵を斬った回数なんて2、3回しかないアレス君の服まで血でべっとりだよ。
こりゃ、鎧はともかく服は廃棄処分かもなぁ……って、ん? 何かこっちに飛んでくるな? 鳥か……?
◆
「グゥゥゥゥゥゥ」
「ミハイが血の棺に入ってどのくらいだ?」
「はい。丁度三日目になります」
苦しみに耐えるような叫び声の中、私の問いに偉大なる吸血王様の世話係である女性の普通吸血鬼がハキハキとした口調で答える。
今私がいるのは、吸血王様の居城の一室、継承の間。我ら吸血鬼の力の源たる血を、それも最上位の力を持つ吸血王様の魔力を込めた血を分け与えていただく為の装置『血の棺』が設置されている部屋だ。
「所詮伯爵級でしかない私が言うのもなんだが、よく男爵のミハイにそのお力を授けることに許可が出たものだ」
「確か、アナタ様の持ち込んだ案件からこの継承が許可されたのですよね?」
「その通り。かの伝説、我ら魔の一族を創造された神にも等しき絶対者たるお方を脅かすと言う聖なる力。それに関する話だ」
私が主導した、人間の村襲撃計画。それはレオンハート・シュバルツを名乗る人間によって阻止されてしまい、目的の物を持ち逃げされてしまう結果に終わった。
それ自体は私の失態であるが、別段慌てるほどのことでもない。所詮は人間なのだから殺して奪い取ればいいだけの話だ。何よりも、聖地とやらの存在が確認できた以上放置は出来ないが、あんな異常な力を制御しきれる人間なんぞまずいないだろうし、な。
もし許されざる失態であったのならば、私の全てを賭けてでも即座に攻め込んでいる。だが、今私は人の世界から遥か遠くの吸血城にいる。
全てはあの人間、レオンハート・シュバルツを殺すのは自分だとちょっと前から公言し、貴族位にある吸血鬼とは思えないほど真摯に鍛錬を積んでいたミハイの小僧に手柄を譲ってやるために。
「吸血王様は慈悲深い。私の報告を聞いてすぐにミハイを呼び、そして血の棺の使用許可を出されたのだから」
「私はこの継承の間を担当してかれこれ300年ほどですが、私の知る限り血の棺を使った者は皆例外なく偉大な吸血鬼となっています。もっとも、オゲイン様が自らの目で選んだ方のみがこれに入るのだから当然ですがね。偉大にならない程度の凡俗では、決して選ばれないのです。……そのことを毎日毎日使用許可願いを出してくる者共によく理解してもらいたいのですがね」
「ふむ。キミも苦労しているのだね」
心の底から鬱陶しいとここにはいない大勢の誰かへ苛立ちを向けている彼女の苦労を察し、軽く労っておく。
吸血鬼の魔力の源は血だ。もちろん魂を磨くことで力を上げるのは他の者達と同じだが、吸血鬼は血を魔力の媒介として利用することで力を飛躍的に高めることが出来る一族なのだから。反面、肉体的には既に時を止めている死の一族だけにまともに成長することはできないがね。
だからこそ、吸血鬼にとっての成長とは高質な血を自らに取り込むことを指す。大半は他の生物から血を抜き取り、それを凝縮させることで高魔力を宿した血として取り込むわけだが、やはり最良なのは自分よりも上位の存在の血だ。
特に最強の吸血鬼たる吸血王様自らが作り出された血液ともなれば、ノーマルが一瞬で貴族位の力を得ることが叶うほどに強力と言われている。
だからこそ、毎日毎日この吸血王様の血を受ける為の施設担当である彼女に嘆願が届くのだろう。あくまでも設備の管理担当でしかない彼女にそんな権限ないことなど重々承知で、それでも僅かな奇跡にかけて。
(そんなことをしている暇があるのなら、少しでも自力で良質な血を精製し、自らの才覚を示すほうがいいと思うのだがね。同じ奇跡ならば、運よく吸血王様の目に留まることを願ったほうがよほど可能性は高い)
もっとも、奇跡が叶ったとしても願い通りに強力な力を得られるかはまた別の話だがね。
今もなお苦痛に満ちた叫び声を上げて赤黒い棺の中で苦しむミハイのように、圧倒的上位者の魔力によって自我も肉体も弾け飛びそうになる苦行を突破せねばならないのだからな。
「キミはこの継承の間担当になって長いと言っていたが、実際どうなのだね? 吸血王様の血を受けてなお死なずに出て行った者はどのくらいいるのかね?」
「そうですね……。やはり、単純に元が強い方ほど生存率が高いですね。伯爵級なら生還率五割くらいだと思いますよ?」
「……なるほど。では、男爵級では?」
「そうですね……。そもそも貴族位の中では最下級ですのでこの部屋の使用許可が出たこと自体稀なんですが、私の知る限り……」
「知る限り?」
「ゼロですね。オゲイン様に認められたのかは不明ですが、極稀にこの部屋に入った男爵級の方々は全員死亡しています」
「なるほど。ならば、ミハイにはぜひとも最初の達成者になってもらいたいものだ」
上位の力に押しつぶされない為には、やはり少しでも吸血王様に近い力を持っているほうが有利か。
当然と言えば当然だが、血の継承を行う為に入るこの小さな箱が何故“棺”と呼ばれているのかよくわかる話だ。弱者が力を求めて上位者に縋った結果が、力なきものに死を与える試練なのだからな。
「さて、ミハイは無事に力を上げることができるかな? それとも何もなさずに死ぬのかな?」
「どうでしょう? 大体この血の継承は早くて二日、長くて五日程度で終わるものなので、案外そろそろ無事に出てくるかもしれませんよ」
「そう願いたいものだが……ん?」
そんなことを喋っていたら、血の棺から迸る魔力に変化が生じてきた。
今までは吸血王様の偉大な魔力が充満していただけだったのが、少しずつ別の魔力に変わっているのだ。その変化は一秒単位で進んで行き、瞬く間に血の棺を満たす魔力は吸血王様のものではない別の何かに変化していく。
これは、もしや……
「ふぅぅぅぅぅぅ……」
ゆっくりと血の棺が開き、そこから一人の男性が姿を現す。
力に満ちた、真紅の瞳。血の匂いを届けてくれる爽やかな風に流れる金の髪。力と自信と達成感に満ちた表情。破けてしまったのか申し訳程度の襤褸切れを纏った、引き締まったたくましい肉体。
私の知るミハイとは全く違うが、その面影を残した青年が姿を現したのだ。
「……お帰り、ミハイ。無事に生還したこと、心より祝福させてもらうよ」
「ありがとうございます」
「うん。にしても、随分変わったね? 確かキミ、少年の姿を好んでいなかったかい?」
この血の棺に入っていたのはミハイだ。だから、この青年の正体は間違いなくミハイだ。
だが、彼は確かに少年の姿をしていた。ひ弱そうな子供の姿のほうがいろいろと楽しいと、格下だと思っていた相手に蹂躙されたときの獲物の表情とかが好きなのだと言っていたはずだが、心境の変化でもあったのかね?
「いえ、単純なことです。子供よりも大人の方がリーチが長く、強い。それだけのことですよ」
「ほう、戦いの為に体を構成しなおしたのかい?」
「ええ。肉体の再構成はかなりの負担がかかりますが、吸血王様の魔力によって別次元の領域に上がる瞬間こそが相応しいと思いましてね」
「なるほど。まさに生まれ変わったわけだ」
いやはや、戦闘の為にそこまで打ち込める吸血鬼とはまた、珍しいな。大半の吸血鬼は生まれもった強大な力のあまり、階級を上げることには執着しても力や技を磨くことには執着しないものなのだがね。
「……うん。今の君は間違いなく男爵の域を超えているよ。子爵……いや、もしかすると私と同じ伯爵級に届いているかもしれん」
「ええ。自分でも信じられないほどの力の波動を感じます。……まあ、アナタにはまだまだ及ばないようですがね」
「フフフ。強大化した力に溺れて目を曇らせることもないか。優秀だよ」
同じ子爵級でも、今さっき我が領域に指先をかけた程度の新人と私を同列に考えるようならこの場で少々仕置きが必要だったところだが、彼は問題ないようだ。
その力を正確に測れる冷静さ。吸血王様の試練に耐え切ったことでより磨かれた魂と、肥大化した魔力。それは我が一族にとっても大きな力になることだろうね。
「では、行くのかい?」
「ええ。私は私に耐え難い屈辱を味わわせた人間への怒りでこの試練を耐え抜いたと言っても過言ではありません。この継承を終えたことで吸血王様の許可を頂いたことになりますし、すぐに出発したいと思います」
「よろしい。では、私の手の者が持っている情報を提供しよう。ターゲットの現在地を割り出す手がかりくらいにはなると思うよ」
「……感謝します」
我ら貴族位級の吸血鬼は希少戦力。血の継承を終える前のミハイは最下級の男爵級だったとは言え、それでも殺される恐れが1%でもある相手に無意味な戦いを挑むことは許されなかった。
だから、せめてもの手慰みに支配した下等種やら消耗しても大して問題のない普通種で攻撃すると共に試練を与え、あの人間の成長を促していたらしいからね。
いつか自分の手で殺すとき、より心に秘めた怒りを受け止めるに足る実力を身につけてもらうためにさ。
「待っていろ、レオンハート・シュバルツ。かつての屈辱、このミハイが返しに行くぞ……!」




