第47話 ロクシー・マキシーム
「……なあマキシーム会長さん。一つお願いがあるんだけど?」
「あら、何でしょうか? もちろん、シュバルツ様のお願いならばどんなことでもお引き受けしますが」
優雅に微笑む我が借金の主、ロクシー・マキシーム。彼女には破格の条件で金を貸してもらっている代わりに、いつもこき使われている。
まあ別に後ろ暗い仕事をさせられているとかそんなんではないので別に文句はないのだが、それでも俺はこの人が何となく苦手なんだよね。
でも、頼れる人なのは間違いないんだ。
「実は、今ちょっと厄介な事件に遭遇してるんだ。アンタと同じ領分であり、同時に全く違う人間が起こしたね」
ロクシーの能力は間違いなく本物だ。ゲーム知識を今ではそこまで信じていないと言うか信じても痛い目を見るだけだと信じている俺だけど、この人の才覚はこの身をもってその有能さを理解している。
できる限り関わりたくない――借金的な意味で――人だけど、今俺が抱えている案件を片付けるには最適な相談相手だ。
こんなところで会ったのが幸運だと思って、一つ頼みごとをしてみるのが最善。俺は、そう決心した。
「事件ですか? それならばそちら様の方が専門家なのでは? それに、吸血鬼殺し様が苦労するような事件にワタクシどもなど……」
「その恥かしい二つ名は止めてくれ。それに、まさか魔物退治に力を貸してくれなんていわんよ」
この人、俺がその二つ名嫌がってるの分かっててこんなこと言ってるんだよね。だから苦手なんだ。
でも、ロクシーは手広く様々な商売を手がけている。なんたって、この人ゲームにも登場した勇者に協力する大商会の会長様だからな。
しかも、よく勇者が主人公のRPGでツッコミ入れられる『世界を救おうとしている勇者様から金取るなよ!』ってお約束をきっちり守るタイプの商売人だ。
だから、当然のようにこの町の裏事情にも詳しいはず。表も裏も関係なくあらゆる情報を武器にする。それがこの人の戦い方だからな。
「聞きたいのは、この町で活動している悪徳高利貸しについてだ」
「あら? ワタクシというものが在りながらそんなのに何の用が?」
「……この町の住民がそいつの被害に苦しんでいてな。放置はできないけど、俺個人じゃできることが限られていてね。手っ取り早く黒幕を調べて欲しいんだよ」
「なるほど、相変わらずお優しいですね。ですが、ワタクシがそんな雑事に動く理由はありませんよね?」
まあ、そうだろうな。この人は絶対に義憤とか正義感とかじゃ動かない。この人が行動するのは、常に自分の利益だ。
だからまあ、俺が提供できるメリットを提示するしかないよなぁ。
「さっき、頼みたいことがあるとか言ってたよな?」
「ええ。いつものようにお仕事を頼みたくて」
「それを引き受ける。それと、もう一つ何でも引き受けるってのはどう?」
「……なるほど。最初の一つはいつもの契約延長ですが、そのほかに依頼料として仕事を一つ引き受けてくれると?」
「ああ。それで手をうってくれないか?」
ロクシーへの借金は、他の金貸しの条件に比べると信じられないくらい良心的だ。ここからの資金提供のおかげでリリスさんの研究が捗っているのだと言っても過言ではないほどに。
でも、その素晴らしい契約を延長する為には一つ無償で仕事をこなさなければならない。初めからそう言う契約内容なので、まあ文句はないんだけどさ。
でも、ロクシーの仕事は非常に疲れる。なんと言うか、魔物の巣で激戦を繰り広げたほうがマシってのが個人的な感想だ。
だからできればあまりやりたくはないんだけど……現状他に手がないんだよな。まさか義の心で動いたアレス君に「無理だから諦めよ?」なんて言えない以上、俺が頑張るしかないだろう。
「……よろしいでしょう。ワタクシはこれから十日ほどこの町に滞在する予定ですが、詳しい話をお聞かせ願えるのならば、三日もあればこの町に巣食う悪徳商人の名前も誕生日も一日のスケジュールも、何なら初恋の相手から履いているパンツの色まで調べてさしあげますわ」
「できれば名前と居場所だけにしてくれ。てか、前々から思ってたんだけど、アンタ本当に商人だよな?」
「もちろんでしょう? 商売とは戦争であり、そして戦争を制するのは戦略であり、最適な戦略を決めるには情報が不可欠。ワタクシはその基本を忠実にやっているだけですわ」
ロクシーは、自信満々にそう言いきった。
……まあ、それが本当にできるからこそロクシーは世界最大の商会を僅か一代で作り上げられるんだろう。
その情報収集能力が高すぎてどこぞの諜報機関顔負けの仕事になっちゃってるけど、役立つんだから気にしないでおこうかな。
敵に回したら、マジで怖い人だって事実をしっかりと胸に刻みつつね。親父殿とは別のベクトルで勝てる気がしない人だ……。
「では、詳しい話を伺いましょうか? ああ、それと、こちらの仕事はそちらの問題が片付いてからで結構ですわ。期間はそうですねぇ……二回分纏めて三日ほどでどうでしょう?」
「……了解。じゃ、詳しい話するから、後よろしくね」
事が片付いてからの三日間。それは非常に鬱になるお話だが、とりあえずロクシーに任せておけば情報だけなら何とでもなるだろう。流石にその後は俺が騎士として動かないといけないけど、とりあえず情報待ちだな。
そう言う事で未来のことを考えるのはやめ、俺は明らかに不正の匂いがする今回の件をこの商人様に話した。そして、とっととアレス君と一緒に自分の宿に戻るのだった。
「アレス君。闇雲に動いても捕まらないぞー」
「はい!」
そして翌日。ただじっと宿屋でごろ寝しているのも不毛なので、俺とアレス君は揃って町の近くの草原に来ていた。
目的は狩りだ。町の狩人さんの話によれば、この辺りは動きの早い草食獣が生息しているとのことなので、アレス君の修行がてら狩りに来てみたのだ。
リリーアちゃんの一家は、現在深刻な食糧不足に悩まされている。その根本たる原因の排除に打てる手は打ったので、後は対処療法として栄養つけてもらえればなーなんて考えだ。
「クソッ! このっ!」
狙いの草食獣は、シカに似た動物だ。普通のシカとは違うドリルみたいに捻らせた角が特徴であり、主に鍋の具とか焼肉にして食われる。味もいいし栄養価も高い、中流階級の庶民のご馳走らしいな。
ただ、捕まえるのはちょっと大変だ。地球産のに比べて大分身体能力が高いみたいだし、決して捕らえられない相手ではないが今のアレス君では苦労するだろうな。
まあ、一人前と呼ばれる戦士からすれば捕らえるだけなら難しくはない相手でもあるんだけどさ。
普通の猟師さんは罠とか使うみたいだけど、戦士として戦うハンターなんかだったら真正面から矢で射抜けるだろうし、騎士クラスならば素手でぶちのめすくらいの事はできるだろうからな。
「当たんないよもう!」
でも、予想通りアレス君にはちょっと厳しいようだ。元々体格に合わない大人用の剣を持っているから重心が崩れやすいし、速度も鈍っているのだから当然だけど。
とは言え、戦闘センスはやはり光るものがある。誰に教えられたわけでもないのに、シカっぽい獣の動きに合わせてアレス君の体が動いているくらいだ。基礎能力が低くて攻撃を当てる事はできていないが、独自の鍛錬だけであの子は気影の洞察能力の入り口にたどり着いている。
俺が敵の動きを先読みして動くなんて技術を身につけたのは、見習い騎士試験のときのこと。親父殿の鍛錬を受けて7年くらいたった頃のことだ。アレス君のおじいさん、カスモさんはアレス君に剣の手ほどきなんてしていないらしいから、才能だけで俺の7年分の鍛錬に近い領域にいるってことになるな。
(これはアレス君が凄いのか、それとも俺の成長が遅いのか……。多分両方だな)
重い剣を持っているせいで速度がでないアレス君は、シカっぽい獣に攻撃を当てられない。だからこそ先読みの能力を、気影を読む能力が必要になってくる。
一応対人戦と違って、獣の動きの先読みはわりと簡単なのだ。何せ四足歩行なだけに移動方向は読みやすいし、嫌らしくフェイントをかけてくることもない。だから、しっかり体と目を見れば次の動きが簡単にわかるのだ。
そして、アレス君はそれを感覚で理解している。だからこそ、獲物の動きに合わせて動けているのだ。まだまだ読みが甘いから、完全にあわせることはできていないけどな。
(何せ、獣の動きは読みやすいけど、逆にこっちの動きを読む能力にも長けているからねー)
アレス君はシカっぽい獣の動きを読んで動いているが、その動きをシカっぽい獣は本能で察知して避けているのだ。野生の獣の知覚を舐めてはいけない。
それが結構読み合いの練習になるんだよねー。これは俺も旅の中で狩りをする最中に知ったことだけどさ。
「やっ! このっ! あ、おしい!」
シカっぽい獣とアレス君との死闘は続く。獣だって食われてたまるかと反撃してくるし、わりと命がけの修行だ。
まあ、こうして俺がついて見ている以上はそこまで危険じゃないけどさ。ジジイや親父殿みたいに、いきなり弟子を山の中に捨てていくなんてことは俺には怖くてできないよ。
(さて、ちゃんと今日中に捕まえて、リリーアちゃん母娘に豪華な肉料理振舞えるかな?)
昨日渡した食料は今日一日分くらいはあるはずだけど、アレス君が拾ってきた女の子の問題なんだから、やっぱり自分の手で助けないとね。
ま、逃げ出そうとする度に俺の意識で作った気影で足止めするから、いつかは捕まえられると思うけどさ……。
◆
「お嬢様、こちらがこの町で現在活動中の違法商人のリストです」
「ご苦労様」
絢爛豪華……から三ランクほど落ちた中堅どころの宿の一室。そこで、ワタクシはシュバルツ様から受けた仕事の報告を受けていた。
その内容を簡単に纏めた書類を側近兼護衛である戦士の一人から受け取る。既に集めてあった情報とは言え、命じてからワタクシの元に届くまで一時間もかからないとは中々やるじゃない。
やっぱり、ワタクシの部下は本当に優秀ね。優秀じゃない者がワタクシの側近になれるわけもないんだから当然ですけど。
そんなことを思いつつ、ワタクシは渡されたリストを流し読みする。……大半は見知らぬ小悪党、偶に名前を知っている犯罪グループの構成員と言ったところですか。
とりあえず、あのシュバルツ様が手を出せないような大物はいないようですわね。
「では、この中からシュバルツ様の言っていた母娘を騙している者を洗い出すとしましょうか」
「既に取り掛かっております」
「よろしい。約束の期限は三日ですが、二日以内にクリアしてちょうだいね?」
シュバルツ様との約束は三日後。でも、三日全部を使って情報収集しているようでは失格ですわ。
情報の価値を高めるのは、鮮度と信憑性。いくら期限以内に情報を集めても、裏を取る時間とシュバルツ様に売りつけるタイミングを見計らう時間がないのでは意味が無いのよ。
「それと、これも参考にしなさい。リストの中からこの件には無関係であると思われる者に丸つけといたから」
ワタクシの記憶の中ある犯罪者達の手口と、今回の手口を照らし合わせた結果、こいつは違うと結論できる者は予め除外しておく。
確実ではないですけど、こんな人の出入りが激しい町では犯罪者も多いですからね。とても全てを真正直に調べている時間など無いのでショートカットできるところはしませんと。
「ありがとうございます、お嬢様。これで、恐らく一日と半日もあれば大体の目星はつくでしょう」
「そう? 今回連れてきていた“影”は何人だったかしら?」
「護衛をあわせて、30名ほど連れてきています」
「そうだったかしら? それだけいればすぐに終わるわね」
現在手元にある自分の戦力を確認し、ワタクシは優雅に微笑む。
ワタクシがマキシーム商会を立ち上げると決意した際、必要だと思ったワタクシだけの手駒。それが“影”。
戦闘能力ではなく、諜報能力に特化した技術を持つ盗賊系スキルを修めた者達。ワタクシは、そんな特異な力の持ち主こそが商売と言う名の戦場では最強の武器になると信じた。
きっかけはそう、まだマキシーム家が吹けば倒れるようなただの貧乏下級貴族でしかなかったときのこと。
貴族と呼ばれる者には、時に血生臭い手段に訴え出る必要があるときもある。暗殺、と言う手段にね。
だから、大半の貴族の家では子飼いの暗殺者がいる。もちろん暗殺なんて闇の手段を使わない正道を貫く貴族も多くいるけど、そう言った場合でも暗殺者を誰よりも知る暗殺者は最高のカウンターとして機能するのよ。
むしろ、貴族なんて暗殺されやすい肩書名乗りながら暗殺者を飼っていない者の方が珍しいわね。
そして、我が家はそんな暗殺者の教育に力を入れていた。民にすら見放されるほどに領内を飢えさせておきながら、私の父も祖父も、暗殺なんて邪道で権威と権力を手にしようと目論む愚か者だったのだ。
ワタクシは商売人としても貴族としても完璧な存在であると自負しているけど、あえて汚点を挙げるのならば産まれた家が愚か者の家系だってことくらいかしら。
……とにかく、ワタクシは優秀だったのよ。誰にはばかることも無いくらいにね。
だから、父は早くからワタクシを正当後継者と定めて次期当主としての教育を行った。女であるワタクシを政略結婚の駒として使う手もあったでしょうけど、あの愚鈍な父にしてはいい判断だったわね。あの男の生涯で賞賛すべき事は、教育方針とワタクシを誕生させた事実だけであると言っていいでしょう。
そんな教育の最中に、マキシーム家が飼っている暗殺者達の訓練を見る機会があったのよ。正直、当時の幼いワタクシから見てもかつてのマキシーム家は一人二人暗殺したくらいで力を得られるような状況ではなかったのだけど、とにかく優秀な暗殺者を育てようと躍起になっていたわ。
まあ、本当に優秀な人間は当時のマキシーム家を即座に見限って逃げ出していたから、質はあまりよくなかったけどね。
(暗殺者としては三流、よくて二流にしかなれない。そんな才能の持ち主しか残っていないのに、一体あの人たちは何に希望を持っていたのかしらね?)
極稀に才ある暗殺者候補――子供を手に入れても、優秀ならば自分の後継者にしようと逃げ出す一流暗殺者がついでに連れてってしまう。そんな悪循環にすら気づかなかったせいで、ワタクシが見たときにはいろいろ悲惨な状態でしたわね。
暗殺者は、直接戦闘能力で言えば戦士に遥かに劣る。だから闇の中からの一撃必殺を旨とするわけだけど、貴族の子飼い暗殺者が相手にするのは同じ暗殺者である場合が多い。
手口をお互いによく知っているために、カウンターアサシンがいれば結局直接戦闘になっちゃうのよねぇ……。
(ワタクシの前で訓練していたのは、気配を消す能力ならば一人前だけど、直接戦闘能力で言えばアサシンにすら適わない半端者ばかり。無理やり集められたのだから当然だけど、そもそも戦いには向かない気質の者ばかりだったのよね)
そんな、直接戦闘を行えば近しい能力と言える暗殺者にすらボロ負けする。戦闘の才がない落ちこぼれと呼ばれる者ばかりだったのよ。
でも、ワタクシはその中に光る才があると見出した。直接戦闘には向いていなくとも、気配遮断と言った隠密能力だけなら一流の領域に立っている者達を見た瞬間にだ。
その瞬間、ワタクシは己の生きる世界を決めた。この商人としての世界での勝利を確信したのよ。
(暗殺者、なんてカテゴリで見れば三流。気配を消して一撃必殺に出ても、力がなさ過ぎて一般人すら殺しそこないかねない攻撃の拙さ。……だからこそ、ワタクシは即座に彼らを暗殺者にする訓練なんてばかばかしいものを止めさせた。そして作り出したのよ、ワタクシの成功を支える最高の部隊“影”をね)
暗殺者としての技術の中からそっくり攻撃の能力を除外して、その空きに諜報能力を詰め込んだ存在。それが“影”の正体。
このワタクシ、ロクシー・マキシームの成功と栄光を支える基盤たる情報収集に特化した集団として生まれ変わらせたのよ!
……その計画を実行に移す為に行動した最中、もし知られれば邪魔になるだろうと思っていた父と祖父が急な病で倒れてくれたのはラッキーだったわね。本当、家の“影”は戦闘以外ならば優秀だわ。
「“影”が30人。それだけいれば、一日でこの町のあらゆる情報を入手できるわね」
「はい。特に、あのシュバルツ様からのご依頼ですからね。達成できなければお嬢様が悲しむだろうと、“影”一同いつも以上に気合を入れて仕事しているでしょう」
「……それはどう言うことかしら?」
ワタクシは自慢の金髪を指で弄りながら、側近兼護衛の戦士を軽く睨む。
でも、全く彼は動じない。普通の人間ならば、特にワタクシに借りのある者ならばこれだけで萎縮してしまうものだが、気心知れた昔なじみである、ワタクシが産まれた時からワタクシを守っているこの中年男には通用しないのよね。
「お嬢様ももう立派な乙女。女性でありながら幼少の頃より商会の主としての根回しをし、そして短期間で見事に成功を収められたとは言え、もう18になります。そろそろ身を固める準備に入ってもよろしいのでは?」
「あら、ワタクシはまだまだこの商会を大きくするつもりなのよ? ワタクシの成功は確約された未来としても、商会そのものはまだまだ発展途上なんですからね」
「おや、これは失礼。ですが、やはりそろそろ恋人の一人でもですな――」
「……それで? 何で今までの話から急にそんな話になるのかしら?」
軽く威圧感を込め、再び睨む。それでこの男はこほんと咳払いして黙ったが、その咳払いの中に答えを込めたようだ。
事実として、言われるまでもなくワタクシには彼の真意がわかっているのだしね。
(……女性の結婚適齢期は20代前半。ワタクシにはちょっと早いけど、貴族の女性としては確かに結婚相手が決まっていないのは珍しいと言われてしまう立場なのは間違いないのよねぇ)
そんな常識を認識し、悟られないよう内心だけでため息をつく。貴族としての肩書故に考慮すべき未来について考えて。
でも、ワタクシはマキシーム領の民を飢えさせる気はないから、商売人としてだけではなく貴族としての自分も捨ててはいない。いくら辺境の何もない死んだ土地だとは言え、ワタクシが守るべき民であることに変わりはないのよ。
だからこそ、常に商談の為に各地を巡っている状態だから領地にいる時間は短いけれど、それでも信頼できるワタクシが発掘してきた部下と通信魔法を駆使して問題のない領地運営を行っている自負がありますわ。
そう、ワタクシに貴族として後ろ指を指されることなど何一つない。……ですが、やはり産まれた時から婚約者が決まっていても全く珍しくない貴族社会において、将来の結婚相手候補がいないと言うのは眉を顰められてしまう話であるのは事実なのよね。
もっとも、ワタクシがマキシーム商会会長として財を成し始めた途端に秋波を送ってくるような愚か者を相手にするつもりはありませんけど。
より正確に言えば、結婚と言う名のパイプによってワタクシの商会を乗っ取ろうとする賊には、ですわね。
「……ワタクシの商会は日々成長している。そこから発生する利権は、貴族と呼ばれる者達にとってもさぞおいしく見えることでしょう」
「はい。毎日のようにお嬢様との縁談話が持ち上がっております」
「貴族としての格は低いのをいいことに、ワタクシを商会ごと自分のコントロール下に置くつもりでしょうね」
財力はともかく、地位に差がある。それは確かにこちらが下手に出なければならないことですが、だからと言って個人の財産を奪っていいわけではない。
それが許されてしまえば、権力者は合法的な盗賊と言うことになってしまいますからね。ですから、自分の家よりも格が低いとは言えワタクシの商会を無理やり接収することはできない。
そこで出てくるのが縁談話、と言うことですわね。
「貴族としての権力差で他家の財産へ干渉する事はできない。だったら身内にしてしまえばいい。なんとも浅はかなことですわね」
「自分の一族相手ならば権力によるごり押しが可能、というわけですね」
「そうね、だから今のワタクシは結婚なんて考えられないわけですけど」
ここまで育てたワタクシの商会を、どこの馬の骨ともしれない愚か者にくれてやるつもりなどない。
ですから全ての縁談を断っているわけですが、そろそろ身を固めた方がいろいろ楽なのも事実なのよねぇ……。
「そこで話を戻しますが、お嬢様のお相手にレオンハート・シュバルツ様は好都合なのでしょう?」
「……そうね。確かに、彼なら何の問題もないのよね」
レオンハート・シュバルツ。この国に生きるものならば誰でも知っている、生きる伝説の一族。
そのシュバルツの名前だけでも価値がありますが、本人の力と名声、功績も既に英雄と言って差し支えない若き騎士。しかもあくまでも騎士の家柄と言うだけで貴族ではない為に、権力による圧制の心配はほとんどない。
その名声を我が夫として迎えることが出来るのならば、商会にとってもプラスに働くでしょう。シュバルツ様自身愚鈍ではないどころか優秀な方なので、一個人としても欲しい人材ですしね。
おまけに貴族としての視点で見ても、貴族以外の人間を夫に迎えるのは眉を顰められるお話ですが、あのシュバルツ家の人間を一介の平民呼ばわりできる者など気の狂った狂人しかありえないでしょう。
総じて、今のワタクシの相手としては優良物件なのよねぇ……。
「それに、お嬢様自身シュバルツ様を好いているのでしょう?」
「あら? そう見える?」
「ええ。そうでなければ、せっかく大物に借りを作ったのにその度に返してもらうなんて真似はしないでしょう?」
「……そうねぇ。確かに、ちょっとばかりらしくないかもしれないわね」
借りは小さく貸して大きく返してもらうのが基本。特に、確実に未来の英雄として称えられるだろう逸材への貸しを作れるとなれば、相当大きな場面で返してもらいたいと考えるのが普通よねぇ。
でも、何故か言葉を交わすとつい虐めたくなっちゃうのよね。単純に能力面でも優秀だし、ついつい側に置いて弄りたくなっちゃうのよ。
「好条件での契約を延長する条件とか言ってお嬢様の仕事のサポートをやらせるなんて、明らかに貸し付けた相手の格を考えれば物足りない返済。ならば、側で見ていれば損得以外のなにかがあると誰にだって分かります」
「そうね。でもいいのよ。あの男、腕力以外の分野でも優秀だから」
ワタクシがシュバルツ様を使っているのは、単に仕事のため。それ以上でも以下でもない。
今は、それでいい。
「さて、無駄話はこのくらいにして、とっとと案件を片付けるわよ。シュバルツ様の依頼以外にも片付けなければならない仕事はいくらでもあるんですからね」
「畏まりました、お嬢様」
ワタクシ自ら出なければ下せない判断は山のようにある。いつかはワタクシなしでも回るようなシステムを作るつもりですが、今はワタクシが忙しなく働かなければならない時期。
だから、恋だの何だのなんて話は今は忘れましょう。あの方は救いを求めれば、貸しも借りも関係なくワタクシを助けてくれると信じているなんて、そんな馬鹿みたいな考えは忘れて……。
アレス君が狩らされたシカッぽい生物。戦闘力は頭の角を使った突進で下位の魔物なら殺せる程度である。




