外伝 吸血鬼の旅 後編
「それで? 盗賊退治とやらの条件は? いつまでにやれ……とか言われているのか?」
「えっと、特にそういうことは……」
「つまりは何も考えていないわけか……まあ、それならそれで好都合だ」
先天的に吸血鬼の特性を持つ人間の子供、マルスを相手に指導者の真似事をすることにした俺は、まずマルスの目的である盗賊退治について尋ねた。
その結果、どうやらこいつの居候先……村長とやらは、具体的なことは何も決めずにマルスを盗賊退治に送り出したらしい。
恐らく、成功すればそれでよし。失敗しても厄介者がいなくなる……という程度の考えなのだろう。いっそ死んでくれた方がいい、などと思っているのかもしれんな。
とはいえ、それならそれで好都合。
もし時間制限があればまずは村を見捨てさせる説得に時間を取られるところであったが、それなら盗賊退治を成功させるための準備とでも言えば納得するだろう。
その間に村が滅びようが人が死のうが、俺には関係が無い。俺の目的は指導者としての経験を積み、それを自らの成長に繋げること。最終的にマルスがどうなろうがマルスの村がどうなろうが、どうでもいいことだ。
「ならば、マルスよ。お前にはいくつかやってもらうことがある」
「え? その……それをやれば、盗賊を退治してくれるってことですか?」
「いや? 俺はそのような細事に一々関わるつもりはない。盗賊とやらを狩るのはお前の役目だ」
「えぇ!? 僕が、ですか?」
「そうだ。なに……その身体に流れる血の力をきちんと活かせば、人間の盗賊風情敵では無い。その方法を教えてやろうというのだ。有り難く思え」
「はぁ……?」
マルスはよくわかっていない様子であったが、まあこいつの意見は聞いていない。
どうせ、俺が何もしなければ一人特攻して玉砕するだけと諦めているような身の上なのだ。ならば一々事情など気にする必要もないし、どんな目に合わせても問題あるまい。
というわけで、マルスに稽古を付けることにしたわけだが、さてどうするか。
だからこそやるわけだが、俺には指導者としての経験など無い。ならば、やはりこの方面では俺よりも一日の長があるあの男のやり方を模倣するのが最適か。
具体的には――
「え? え? え? えぇ!?」
「狼狽えていないで登るか下りるかしろ。途中で落ちたら死ぬかもしれんから気をつけろよ?」
荒野のとある場所にある崖の断面から出っ張っている足場に置き去りにし、そこから自力で脱出させてみたり。
「がぼぼぁごば!?」
「もっと血の力を意識しろ。真の力を目覚めさせれば、我らに呼吸などいらぬ」
村では生活用水として使っているという水場の中に、重りと一緒に縛り上げた上でたたき落としたり。
「止めて! 助け――」
「叫んでいる暇があれば目を逸らすな。本気ならもう千回は死んでいるぞ」
ただの木の枝を武器に見立てて、本物の武器であれば確実に死ぬくらいの攻撃を延々繰り返す実践稽古をつけてみたり。
「うがががががが」
「もっと血を安定させろ。死ぬぞ」
俺の血を注ぎ込んで、吸血鬼としての覚醒を促してみたり。
「死んじゃう! じんじゃう!」
「これは中々火加減が難しいな……」
炎で加熱した鉄板の上で、足がつくと火傷する状態をつくり延々と腕力だけで身体を支えさせてみたり。
「許して! 何でもするから!」
「何でもするなら全力で走れぃ!」
転移魔法で海まで出向き、浜辺で腰まで水に浸かった状態で全力疾走マラソン(スピードを緩めたら容赦なく魔法でお仕置き)させてみたり。
「わかんない! 全然わかんないから助けて!」
「空を飛ぶのは吸血鬼にとっては呼吸に等しい。……そろそろ飛ばんと地面に激突するぞ?」
上空一万メートルほどから捨ててみたり。
「う、腕がぁ。腕がぁ……!」
「速く上がれ。回数追加させられたいか?」
滝の中を両足縛った状態で崖登りさせてみたり。
「頭が、頭が痛い……」
「魔法理論なんぞ半日で覚えろ。こんなの初歩だぞ」
偶には身体を休めて、魔法に関する理論の座学を行ったりした。
……なお、座学に関してはあの男の過去情報には参考になるものがなかったので、俺なりの我流である。
他にもいろいろやったが、そんな生活を三ヶ月ほど続けたところ……ふむ。
「少しはマシになったな。俺としても中々楽しかった」
「そりゃ楽しいでしょうね! このドS吸血鬼!」
虐待を受け、引っ込み思案な性格になっていたマルス少年は自我を確立した立派な戦士になっていた。
やっている最中に性格が変わったような気がするが、まあ強気になったのなら問題は無いだろう。強いことはいいことだ。
それに、泣き言を言おうが暗くなろうが問題は解決しないからな。言うだけ無駄という真理に辿り着いただけでも立派な成長である。
少々悔しいが、あの男の育成マニュアルは中々高性能だと認めざるを得ない。
今でも俺からすればまだまだ未熟だが、三ヶ月前とは比べものにならない性能を有するに至ったからな。これなら旧魔王軍でも立派な戦士として認められたことだろう。
「さて、それでは、そろそろ実戦で試すとするか」
「実戦? また野生の獣の巣にでも放り込むつもりですか?」
「いや、そろそろ盗賊退治に行かせてもいいかと思ってな」
まだ寝ている間に猛獣の巣に放り投げたことを根に持っているのかこいつは。
そもそも吸血鬼が寝るなというお仕置きも兼ねてのことだったのだが、本来のプログラムだと魔物の巣に放り込むところを加減したのだから、むしろ感謝して欲しいところだ。あの男は容赦なく自分の弟子を魔物の中に投げ込んでいたらしいぞ?
……にしても、盗賊退治と言われて何をキョトンとしているのだこいつは?
「盗賊……?」
「そもそもそれが目的なのではなかったのか?」
「……ああ。そういえば、そんなこと思っていたような気も……ここ数ヶ月が濃すぎて忘れていました」
マルスは何やら達観した表情のまま、当初の目的をすっかり忘れていたと何も悪びれることなく告白した。
……俺が言うのもなんだが、それでいいのかお前? もうとっくに滅んでいるかもしれんが、お前の村を襲っている連中なんだぞ?
「いいんじゃないですかね? 村長とか盗賊とか、こんな巨悪がいると知ればどうでもいい小悪党じゃないですか」
「誰が巨悪だ」
これでも、かつては世界に刻まれた正義の力を持っていた身なのだぞ?
というよりも、この俺を人間風情と比べるではない……というべきか。
「いいから行くぞ。この三ヶ月はひたすら基礎能力の向上に努めてきたが、やはり実戦の勘は実戦でしか養えん。ついでに血の味も覚えてこい。俺ほどの力となってしまうとほとんど影響がないが、本来吸血鬼が強くなると言うのは他者の血を取り込むことを指すのだからな」
「あんまりそういうのに興味は無いんだけど……血とか、不味そうだし」
「一度吸えば考えも変わるだろう。……もっとも、俺も長いこと吸血は行ってはいないが」
吸血とは、従者を増やし自らの力を高めるために行うものだ。
しかし、今の俺にとっては並の人間の血などいくら取り込んでもほとんど影響はないし、従者などいても邪魔なだけ。栄養補給という意味ではやる価値がないわけではないのだが、修練を積んでからは自らの魂から生成する魔力だけで十分だからな。
「よし、ではさっさと行くか。自分の手で殺戮を行うのもまたよい経験だぞ?」
「まあ、いいですけど……一応、最初はそのつもりだったわけですし」
よしよし、もう盗賊の群れに一人で向かうと言われても動揺しなくなったな。
吸血鬼たるもの、戦いに出向くのに恐れなど抱いてはいかん。常に余裕を持ち、強者としての誇りを持って挑まなくてはな。
「では、行くぞ。アジトの場所はわかっているのだったな?」
「ええ、まあ……今でも変わってなければですけど」
「よし。ならば、その場所を頭に思い描け。転移魔法で飛ばしてやろう」
人間には難しい術も、この俺にかかれば簡単に使えるものでしかない。
対象のイメージを読み取り空間転移するくらい、容易い。
…………………………
……………………
………………
そうして、俺はマルスのイメージを元に空間と飛び、目的地の上空に出た。
そこには――
「……いるな。ぞろぞろと虫けらが」
「そうですね……。ざっと数えて、四十人くらいですか……」
「うむ……?」
空から観察してみれば、いかにも盗賊といった汚らしい人間共が、みすぼらしい掘っ立て小屋に住んでいた。
どうやら、雨風を最低限防ぐために組んだ即席の陣地……のようなものらしい。俺ならばこんなところに住むのはゴメンだが、素人がアジトを作ろうと思えばこんなのが精一杯なのか……?
「にしても、三ヶ月以上もこんなところに居座るものか? 見窄らしさでは大して変わらんかもしれんが、お前の村とやらを占領した方がまだマシなのではないか?」
「いくら何でもここまで酷くはないですよ……でも、確かにそのとおりですね」
場所は山中。あり合わせの素材で無理矢理作ったような住居は、もし地震でも来れば一発で崩れることだろう。
加えて、こんな立地では虫に食われることは避けられないし、風通しも最悪。到底人間が長期間住まうには不向きだ。
「これは、何かあるらしいな」
「何か……?」
「見てみると良い。一人、毛色の違う人間がいるようだぞ?」
俺は視線だけでマルスに方角を示した。
マルスはそれに従い、俺の視線の先を見る。すると――
「……村長?」
「ほう? あれがお前の居候先の家主か」
一人だけ、悪臭を漂わせる襤褸切れを纏っていない男がいた。
年の頃は、およそ四十かそこら。随分羽振りが良いらしく、こんな辺境の民にしては恰幅が良い体をしている。
何故盗賊に襲われている村の長が一人でこんな場所にいるのかは……一緒にいる、盗賊の中ではマシな装備をしている男との会話を聞けばわかるのだろうな。
俺は、ちらりと横のマルスを見て小さく指を振った。
「……ほれ」
「いま、何したんです?」
「簡単な風の術だ。連中の会話を拾って届けてやる。俺には不要だが、お前にはまだ聞こえまい?」
俺の聴力ならば術など使わなくても会話を拾うことなど簡単だが、マルスにはまだ難しいだろう。
『おい、マルスとかいうガキはまだ見つけられねぇのか?』
『は、はい。申し訳ありません。あの忌み子、各々方の元に行くように命じて出て行ってから突然消えてしまいまして……』
『だったら、お前らが一緒に連れてくれば良かったじゃねぇか! もう三ヶ月だぞ! 本当は逃がすつもりだったんじゃねぇのか?』
『い、いえ! あのような不気味なガキ、かばうようなことは決してありません! 我々の契約にも一切の嘘はありません!』
『どうだかな。俺の手下共にもマルスってガキを探させてはいるが、手がかりなしだ。こりゃ遠くまで逃げちまっているんだろうな……ったく、旦那との約束までもう日がねぇってのに』
『だ、大丈夫ですとも! 村から街に出向くための馬車に乗ることはできませんし、いくらあのガキが化け物だといっても足でそこまで遠出するのは無理なはず……』
『だったら、どっかで野垂れ死んでいるってことか? まあ、実験体とやらに使うには生死を問わないってことらしいから、見つかれば俺はどっちでもいいんだけどよ』
『……全く! あのガキ、育ててもらった恩を忘れて逃げるとは……きちんと躾けたので、逆らうことなどできないと思っていたのに……』
『まだまだ甘かったってことだろ? もし生きてたら、俺様が本当の教育って奴を見せてやるよ。お前も見たいだろ? 俺らみたいなならず者にわざわざ依頼してまであのガキを消したいなんて言うくらいなんだからよ』
……ふむ、なるほどな。
断片的な情報だが、おおよその関係は理解できた。
「どうやら売られたらしいな、お前」
「……というと?」
「そもそも、あの盗賊とやらを雇ったのが村長という人間だったらしいぞ? 目的はお前を盗賊の手で始末すること。盗賊側は盗賊側でお前の身体を何らかの理由で欲していたらしいが……まあ、そこはどうでもよいだろう。とにかく、村が占領されていない理由もこれでわかった。あの自称盗賊にとっては、村自体は攻撃対象ではない。あくまでも依頼に従ってお前を攫いに来ただけで、村自体には興味が無いのだろう。最初に攻めてきた時、お前はどうしていたんだ?」
「……あのときは、近くの馬小屋に隠れてましたね」
「ハハハ、なるほど。それでお前を発見できず、仕方が無いから人質救助と盗賊退治という名目で救援を呼ぶことすら許さずにお前を向かわせ、連中に引き渡すことにしたわけか」
そんな回りくどい手を使ったのは、恐らくマルスの中にある力を内心恐れていたからだろう。
虐待のような仕打ちをしていながらも、本当に命を奪うようなことをすれば反撃されるかもと恐れていたのだ。
心をへし折り従順な奴隷にしながらも、最後の一線を越えてしまえば反撃されるかもしれない。そうなれば、自分は殺されるかもしれない。
その不安を解決するために、あんな連中を雇ったというわけだ。
本当なら自分の手で確実に連れて行けば良いものを、マルス一人で盗賊のところまで行かせるなんて不確実な方法をとったのがその証拠。
いやまったく、人間とは度し難いな。まあ、あの女神の楽園から帰還したのは良くも悪くも我が強いものばかりだから、そんな奴が台頭してきてもおかしくはないのだが。
「さて、疑問は解決したところで……マルスよ」
俺は会話を拾っていた魔法を切り、何を考えているのかわからない複雑な表情をしているマルスに話しかける。
いや……何を考えているのかはわからない、は嘘だな。確かに表情からは読めんが、こいつが今考えていることくらいはわかる。
しっかりと教えてきたからな。自らに無礼を働いた愚か者に対して、どう対処すれば良いのかは。
「――蹂躙せよ。お前の力を見せつけてこい」
「――そのつもりです」
マルスは浮遊を解き、ゆっくりと地に下りていった。
この三ヶ月で、吸血鬼としての力の使い方は教え込んだ。そして、それ以外の能力も鍛え上げ、使いこなすための訓練を積ませてきた。
所詮は三ヶ月の付け焼き刃だが、それでも身体に流れる吸血鬼の血が目覚めているかいないかでは――
「あ? なんだこのガキ?」
「おい、こいつお頭が言ってた――」
「シネ」
――別の生き物だ。
マルスは内から湧き上がる破壊衝動に従い、闇の魔力を解放。偶々近くにいた盗賊共を闇で飲み込み殺した。
……自分でやるのは最近億劫になっていたが、やはり見世物としては中々愉快だ。絶対的強者が弱者を一方的にねじ伏せる姿はな。
「なっ!」
「おい、敵だ!」
「武器を――」
「――アアアッッ!!」
突然の強襲に慌てふためく盗賊共を、マルスは心のままに殺していく。
虐待の中で育てられた闇の心。あの男ならば獣心を抑えるように育てるのかもしれんが、俺はより純粋に闇を高めさせた。
吸血鬼の力は闇の魔力。闇は、押さえ込むものでは無い。より強く、より激しく研ぎ澄ますものなのだから。
復讐したいのならばすればいい。殺したいのなら殺せばいい。心の制御など、その次だ。憎しみを、恨みを抱えたまま大人しく理性を守るなんて、疲れるだけだろう?
「ひ、ひぃ!? マ、マルス! 貴様、今までどこに――」
「あ、あれがマルスってガキなのか? おい、どういうことだ! 話が違うじゃねぇか!!」
騒ぎを聞きつけて、村長と盗賊の頭が姿を現した。
話が違う、か。それはそうだろうな。
今のあいつは虐待に怯え震える子供ではなく、このミハイ・イリエの教えを受けた吸血鬼の戦士なのだから。
「クソが! 本物の化け物かよ! おい! あいつを連れてこい! 騎士共をぶっ殺したあいつならあの化け物もやれるだろ!」
盗賊の頭は、何か切り札を持っているらしいな。
先ほどの話から、騎士が来たというのも村長の大嘘なのかと思っていたが……それ自体は本当のことだったのか?
実質狂言であった事件にわざわざ騎士を呼び寄せた理由は……まあ、どうでもいいか。
「闇よ、我が敵を貫け――【闇術・黒槍】!」
一方、マルスは村長や頭はあえて無視し、まずは雑兵共を片づけていた。
数の利を潰す戦略的な行為なのか、あるいは村長により大きな恐怖を与えたいという暗い願望からくるものか……ん?
「ギ、ギギギ……」
「来たか!」
……マルス一人に蹂躙されていた盗賊団は、一体の巨人を見て突如勝利の笑みを浮かべた。
盗賊達によって連れてこられたのは、身長二メートルは軽く超えている黒いオーラを放つ巨人だった。
顔には金属製の仮面が嵌められており、全身は邪気に覆われている。見るからに力自慢といった様子の筋肉質な身体は赤黒い魔術的な文様が脈動しており、どう見ても自然界にいる生物ではない何かであった。
それに、この匂いは……?
(……面白い)
俺は、それを見てニヤリと笑ってしまった。
ただの虐殺ショーかと思ったが、存外に興味深いものも出て来たではないか。
「……これは」
マルスもその異様さに気がつき、顔を引き締めた。
今までのような、勝ちの決まった殺戮ではない、命懸けの戦いになると悟ったのだろう。
「ギグガァッ!!」
黒の巨人は、意味不明な叫びと共にパワー任せなパンチを放った。
技術的には鼻で笑うようなお粗末なものだが――中々に速い。
「ぐわっ!?」
マルスは外見から予想できないスピードに反応できず、吹き飛ばされてしまった。スピードでもパワーでも劣っているようだ。
更に巨人は止まらず、倒れたマルスの上に乗り、殴りつけ、殴りつけ、殴り続ける。
相手の息の根を止めるまで止まらない怪物性……と言ったところか?
「が――」
マルスは拳の暴力から抜け出せず、必死に魔力だけで耐えている。
本来ならば身体の霧化などで抜ければ良いのだが、まだマルスはそこまでの特殊能力を操ることはできない。
つまり、サイズで圧倒的に負け、力でも自身に勝る相手のマウントから何とか抜け出さなければならないというわけだな。
さて、どうする? このまま何もできないというのならば、俺は何もしないぞ?
「――ぞく――」
黒の巨人は、最後のトドメだと今まで以上に拳を振り上げた。
このパワーならば、それを受ければいくらなんでも耐えられないだろうな。
「ギギガァッ!」
「――ほう!」
最後の一撃を前に、マルスの身体がブレた。
今のマルスには、振り下ろされる拳がスローモーションのように見えていることだろう。
殴られながらも必死に発動した、あの男から俺が盗み取り、そしてマルスに伝授した奥の手――加速法によって。
「えいやっ!」
加速状態となったマルスは、拳が振り上げられる前に、渾身の一撃を放つために少し浮いた黒の巨人の腰を脚力で跳ね上げ、マウントから脱出して見せた。
そのまま距離をとり、加速法を解除すると同時に再生能力を起動させ、今の連打で受けた傷を治していく。
人間であればそのまま死んでいただろう傷も、吸血鬼の再生能力があれば数分で完治する程度のものだ。身体に心配はあるまい。
「や、やはり化け物か……ですが、凄いですな、あの巨人は」
「ああ。俺も驚きだぜ。うさんくさい奴だと思っていたんだが、あんなすげぇ化け物をくれるってんだからちょっと言うことを聞くくらいはしてやろうってもんさ。あの騎士共の死体を渡したときも大層機嫌が良かったことだし、オーダーを受けていた特殊な能力を持った人間なんて差し出したらあれがもっともっと手に入るってな寸法さ。もしあのガキを引き渡せば、そんときはこの俺の盗賊団がこの辺り一帯の王様に成る日も近いってもんだぜ!」
今まで圧倒的にやられていたのに、黒の巨人が出て来た途端に形勢逆転。
その興奮のあまり、盗賊の頭は言わなくてもいい情報を村長に向けてペラペラと喋っていた。
……マルスをあの盗賊団が欲していた理由は、あの黒い奴の提供主が原因か。興味も多少はあるところだが――
「俺の時間を使うほどではないな」
この辺りの治安などどうでも良いし、あからさまに禁呪の類いを――というよりは、俺にも関係性の深い法を使っていることが丸わかりの黒の巨人のことも、俺には関係がない。
あの男ならばより多くの情報を集めようと盗賊の頭を締め上げるのかもしれんが、俺にはどうでもいいことだ。
「というわけで、そろそろ終わらせるとしようか」
「……どう、したんです? 手は、出さないんじゃ?」
俺は、息も絶え絶えといった様子のマルスと、追撃をかけようとしていた黒の巨人の間に降り立った。
マルス一人で終わるのならば手は出さないつもりだったが、まあ……仕方が無い。
俺も暇だったことだし、少しだけ手を貸してやることにしよう。
「ああ? 何だテメェ? 見たところそのガキの知り合いらしいが、この生物兵器・闇化生物の力を見てなかったのか?」
「見ていたとも。それがどうかしたのか?」
「へっ! ……このバカが!」
盗賊の頭は俺を見てもさほど驚いた様子は見せなかった。
自分の圧倒的優位を確信している状況では、何が起ころうが大して気にならない……そういえば、俺にもあんな時期があったな。
「そいつも一緒にやっちまいな!」
「ギガッ!!」
黒の巨人……闇化生物とやらは、先ほどマルスに向かってきたのと同じように、真っ直ぐ突っ込んできた。
俺は、それに対して特にアクションを起こすことなく拳を受けた。
「ハッハッハッ! テメェもそのままくたばりな!」
拳が俺に突き刺さったことがそんなに嬉しいのか、盗賊の頭は状況を正しく把握しないまま高笑いをあげた。
……まったくもって、弱者とは救いがたいものだな。
「……あ? おい、どうした闇化生物! なんで吹き飛ばさねぇ!」
そう、俺は拳を受けはしたが、その場から微動だにしてはいない。
何故避けないのか。何故防がないのか。その理由は――
「……貴方にとっては、避ける必要も防ぐ必要もないからでしょ。このドS吸血鬼」
「流石にわかっているな。……この程度、俺にとっては戦いになるほどの話ではない」
闇化生物とやらの力は、まだまだ未熟なマルスにとっては手に負えないものだ。
しかし、この俺――世界最強の吸血鬼、ミハイ・イリエからすれば、一々反応してやる価値もない雑魚なのである。
「目障りだ。消えろ」
俺は一言呟き、醜い巨人を視界に入れる。同時に、僅かながら光の魔力を生み出し、闇と共に瞳に込める。
それだけで、終わりだ。闇化生物は白と黒の球体に分解され、この世から消える。文字通り、指一本動かす必要もない。
「な、なぁっ!?」
「な、何が……?」
盗賊と村長が揃ってアホ面を晒しているが、どうでもよいだろう。
どうやら今以上の出し物はないようだし、これ以上俺自らが動いてやる必要はあるまい。
後はマルスがどうするか、だが……
「……はぁ」
「どうしたため息など吐いて」
先ほどまで漲らせていた殺気が、すっかりと霧散していた。
「いえ、ちょっと……やっぱり、貴方の力を見せられると……あんな連中に怒りを燃やすのが馬鹿らしくなっちゃって」
「ほう? ならば、どうする?」
「もういいですよ。盗賊は知りませんけど、村長は僕に出て行って欲しいだけらしいですし、そのアホ面を見ただけで気は晴れました。力も見せつけるだけは見せましたし、何かもう興味が失せちゃいました」
「……ま、お前がそれでいいのならば構わんがな」
元々興味の無い話だ。マルスが満足したのならば俺から言うことはない。
十分、実戦経験という意味では暴れたことだしな。
「村長」
「ひぃっ!?」
すっかりと傷が回復しているマルスが話しかけると、村長と呼ばれた人間は哀れなほどに震え小さくなっていた。
……恐らく、普段見せていた姿とは真逆なのだろうな。マルスの目には、もう怒りも憎しみもなく、ただ呆れだけが宿っているほどだ。
「今までいろいろとお世話になりましたね。もう姿を見せるつもりはありませんが、もし僕の気が変われば、いつでも改めてお礼に来ます。そのことは、どうか覚えていてください」
「か……かは」
丁寧な言葉の中に、全く隠れていない脅しの言葉。
先ほどまでの暴れっぷりを思い返した村長は、そのまま白目を剥いて気絶してしまった。そんな小心者のくせに、何故虐待などするのか不思議なものだな。
盗賊共に関しては……まあ、どうでもいいか。ここまでやれば自主的に法の加護を求めて自首するかもしれないし、懲りずに悪事を繰り返すのならそれはそれで好きにすれば良い。俺には関わりの無いことだ。
「……さて、これで当初の目的は達したわけだが、これからどうするか決めているのか? 今のお前ならば、その辺の旅人には負けん力を与えたつもりだが」
「……そのこと、なんですけど」
マルスはそこで、何やら迷いを見せた。
いや、これは迷いというよりは……
「……また、僕を連れて行ってくれませんか?」
「何?」
……照れ、か?
「正直、貴方との生活は苦しいどころか一瞬一瞬が冥界に繋がっているとしか思えないくらいに辛すぎるもので、正直何度殺してやろうかと思ったかわかりませんけど、それでも……今までの僕の人生で、一番充実した毎日でした」
「言うではないか。あんな日々がそんなに楽しかったか?」
「いやきつかったです。でも……貴方という頂を知ってしまったせいか……その、僕も、そこに行ってみたくなったんです」
「……俺と同格の力が欲しいと? それは中々大変な道だぞ?」
「わかっています。でも、もう下を向いて生きるのは嫌なんです。だから……よろしくお願いします、師匠!」
マルスは、力一杯俺に向かって頭を下げた。
……師匠、か。正直真似事をするだけのつもりだったのだが、これはまあ、何というか……存外、悪くない響きだ。
「……フン。ま、俺の邪魔になると判断すればすぐに放り出すが、それでよければ勝手に付いてこい」
「――はいっ!」
おかしなものだ。少し前の俺ならば、こんな未熟者を連れて旅をするなんて考えられなかったことだ。
師は弟子を育て、弟子もまた師を育てる。それが師弟というものらしいが……育ったのかはともかく、心境の変化はあったということか。
こうして、俺の修行の旅に小さな同行者が付いてくることになった。
これからは、今までのようなあの男のやり方を薄め、比較的手加減を加えたものではいけないな。
この俺の弟子を名乗るからには、それに相応しい戦士に育てるべく更にグレードアップした俺独自の修行という奴を考えてやらねばなるまい。
そんな経験もまた、俺自身の修行にも活かせるはずだ。そう考えれば、こんな旅も無駄にはなるまい……という話だな。
「え゛? あれより辛い修行? あの、やっぱり考え直――」
「さて、いくぞ。まずはあの程度の敵に負けることの無いよう、基礎能力から徹底的に磨き直してやろう」
「あ――あ゛あ゛ぁぁぁぁぁっ!?」
新たに伴う、弟子という存在の悲鳴をBGMに、これからも俺の神の領域を目指す旅は続く――。
(にしても、あの闇化生物とやら……原材料は俺の推測に間違いは無いだろうが、それをさっ引いても似たような存在に、昔出会ったことがあるような気がするな……?)
ほんの僅かな、どうでもいい疑問を残しながら……。
ミハイ視点はこれでお終いとなります。昔の感想でミハイのその後に関しての質問がありましたので、今回書いてみました。
次回は完全なるおふざけ。




