聖戦
「──が、ア──ッ!」
俺は教室の床に、二、三度バウンドした後、強制的に肺を叩かれ息を吐き出した。
「……いったい、なんなんだ?」
言いながら、起き上がると、そこには無残な教室の姿があった。
机や椅子の大半は倒れ、原型がわからないほどバラバラになっているものもある。しかし、あの衝撃を直接受けたのは、どうやら、俺だけらしかった。他の人間に、傷を負った様子は見られない。
が、瞬間。
それらは、時を戻すように元に位置に戻り、全てが修復された。
まるで、魔法を使ったように。
「…………」
呆然と、俺がその光景を見ていると。
ちょうど隣に立っていた酒井さんが、手を差し出した。
「ごめんなさい。私が張った結界を超えて、相手に一撃を撃たせてしまったわ。もう、修復したから安心だけど──では、行きましょうか」
「はっ、え、ちょっと待て。行っても良いけど、その前に教えてくれ。これは、いったいどうなってんだ? 酒井さんは何を知っているんだ?」
それに、酒井さんは小さく微笑んで。
「それは、移動中に説明するわ」
目的地に向かって、ほとんどの生徒が登校していない校舎の中を歩きながら、俺は酒井さんの話を聞いていた。
酒井さんによると、この一連のパンツ騒動は、どうやら、神様の悪戯ともいうべきものだったらしい。
今日の、零時。
突然、パンツを履けなくなった人間が、この学校の生徒の中から現れたらしい。そして、同時に、その生徒たちは魔法とも名称すべき不思議な力を手に入れたのだ。
パンツを履けなくなったことを代償に、それらの力を手に入れたのなら、とても面白い等価交換だが──しかし、当然、これでは終わらない。
というか、このまま、パンツを履けないままでは終われない。
なら、終わる方法は?
そう、この現象に巻き込まれた生徒の一人であるという、酒井さんに訊ねると──この現象を止める方法は、至って、簡単なものらしかった。
「問題は、これがゲームの形式であることよ」
「ゲーム?」
「そう、ゲーム。何故だかわからないけど、今日の零時、私たちは下着を履けなくなった。そして、同時に、何故か知っているの、これはゲームだって」
「じゃあ、さっき、教室に集まっていたのは……」
「私たちサイドの、同じ現象に陥ったこの学校の生徒たちね」
「そうなのか」
……マイケルって、俺と同じ学校の生徒だったのか。
なんか、一人だけ違うだろ。
「私たちは、アダムサイド、よ」
「アダムって……さっきも、俺を見て同じことを言っていたよな」
「ええ、私たちは何故かパンツを履けなくなったけれども、その中でも、パンツを履くと破ける人間がいるのよ。それを、アダムとイブと呼んでいるの」
「イブ?」
「あなたと全く同じ現象に見舞われている人間が、この学校にもう一人いるってこと」
「なるほど」
だとしたら、その生徒はかなり不憫だ。
俺と同じく。
「私たちと、アダムとイブの違いは、それだけじゃない。私たちは、これらのゲーム内容を知っているけど、アダムとイブは何も知らないってこと。このゲームの勝機はそこにあるわ」
「だから、俺は何も知らないってことか」
あの時あそこで、ゲーム攻略の会議をしていており、酒井さんは、俺がイブサイドの人間だと思ったらしい。
で、スパイと疑った、と。
「でも、私たちはイブサイドよりも一歩前進したわ。なんてたって、こっちは、大将のアダムを手に入れたんだから」
「……さっきから、ゲーム、ゲームって言っているけど、肝心のゲーム内容は何なんだ?」
「単純よ。何も知らないはずの、アダムとイブを遭わせて……」
「遭わせて?」
「何かすればいいのよ」
「要するに、肝心なところはわかってないんだな」
「しょうがないでしょう! そこまでは、元々知らないんだから。でも、取り敢えず、私たちは、イブを探し出せばいいのよ。それだけわかっていれば十分よ」
「……イブを探し出すねぇ」
イブ。
もちろん、その名称ぐらいは聞いたことはあるが──アダムが、俺であることを踏まえると、やはり、イブは女子生徒なのだろうか。
「……でも、どうやって探し出すつもりなんだ?」
酒井さんの話を聞く限りでは、アダムとイブはこのゲームのことを知らないのだ。
アダムに配役された俺は、偶然によって、このゲームの存在を知ることができたが──同じように、イブが知る可能性は皆無と言っても良い。
つまり、イブはこのゲームの存在を知らない。
そんなイブを、この学校の中からどうやって探し出す、というのだろうか。
だが、酒井さんは呆れたように、
「そんなの簡単でしょう」
「え、なんでだ?」
「パンツを履いていない女性生徒が必然的に、イブになるからよ。アダムサイド、または、イブサイドの人間は、このゲームのことを知っているから、集団で固まって相手を警戒する。要するに、パンツを履いていなくて、尚且つ、一人でいる女子生徒──それが、イブってわけ」
「──なるほど」
酒井さんの言葉に、頷いて。
ふと、あることが気になった俺は再度訊ねる。
「……そもそも、イブが学校に来なかったらどうするんだ?」
そう。今まで話しているのは、イブが学校に来た時の場合であって──来なかったら、イブを探し出すことはできない。というか、パンツが履けないのに、のこのこと学校に来るとも思えない。
けれど、酒井さんは、
「それは有り得ないわ」
「……どうしてだ?」
「それじゃあ、ゲームが成り立たないからよ。それは、アダムとイブに限ったことではないわ。私たちも。プレイヤーが登校しないと、ゲームが成立しないじゃない」
「……それは、そうだけどな……」
「その証拠として、私もあなたも今学校にいる。このゲームは、私たちの意思程度じゃ逆らうことはできないのよ」
確かに、そうだ。
パンツが履けない。履くと破れる。なんて、異常事態に巻き込まれながらも、俺はこうして学校に来ている。
それを素で許容するなんて、ただの変態だ。
……そうではないと思いたいだけかもしれないけども。
「では、作戦を話すわよ」
「作戦?」
俺がオウム返しに問い返すと、酒井さんはニヤリと悪そうな笑みを浮かべて。
「そう。イブを探し出すための作戦。それはね──」
午前八時。
予鈴が鳴るには、まだまだ早い時間帯。
そんな中で、俺は壁に背を預けて曲がり角に影を潜めていた。
耳に嵌められたインカムから声が聞こえてくる。
『ターゲット! 第三階段を登っていきます! あと数十秒の内に、ポイントAに辿り着くでしょう!』
『こちらも、ターゲットを確認! ポイントAまで、あと二十秒以内です!』
『くっ、ターゲットのパンツはまだ確認できませんっ! すみません、谷戸さん! お願いします!』
「ああ、まかせとけ」
頷くと、見計らったように、酒井さんの声が飛んでくる。
「良い? アダムサイドの運命は、あなたに懸っているわ」
「ああ、わかってるさ」
「じゃあ、準備は良いわね。──みんな、私たちの聖戦を始めるわよ!」
酒井さんがそう締め括った直後。
俺の視界に、一人の女子生徒の姿──ターゲットが映りこんで。
「──!」
猛然と、俺は地面を蹴った。
一歩目。──爆発的な加速によって、足の裏に熱が生まれる。
二歩目。──ほとんど滑空するように、身体の状態を低く屈めて踏み出す。
三歩目。──合わせるようにして低く降ろした手を、女子生徒のスカートを一気に巻き上げた。
俺の網膜に、その女子生徒の下着が……
フッ。目標確認──
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
容赦ない女性生徒の蹴りが、俺の鳩尾に突き刺さった。
錐揉み上に、まるでプロペラのように回転して、俺は顔から地面に突っ込む。
がばっと起き上がって、
「なにすんだ、お前は!」
「んなのこっちに台詞に決まってんでしょ! あんたこそなに朝からやってんのよ!」
キッと、俺を睨んでいるのは、見知った顔の女子生徒──上谷琴音だった。
朝起こしに来てはくれないが、一応小学生の時からの幼馴染である。
気のせいか、琴音には汚物を見るような視線で見られているような気がした。
こちらは、パンツを賭けた正統なる聖戦をしているというのに。
しかし、履いていることから考えてみると、琴音はこの聖戦に参加していないらしい。
「チッ、いちいち、パンツぐらいで大げさな。見たって、何も減りはしないだろう」
「減るわよっ! 私の中の大事な何かが!」
「はっ? 大事な何かってなんですかー? 俺にもわかりやすく教えてくださーい」
「くっ、そ、そんな態度とっても良いの? 私は、あんたをどうにもでもすることができんだからね!」
が、俺はおかしなテンションのまま。
「はっ、お前に何ができるの? できるものなら、やってみろ──」
数分後。
この学校の職員室で、一人の女子生徒に全力で土下座をしている一人の男子生徒の姿があった。
決して、僕が悪いんじゃないんです……
前の流れが悪いんです。
六野薫