世界を君に
「世界をあげる」
そう言って彼は姿を消した。
戸高征一郎という男は、Mr.パーフェクトと呼ばれるのが相応しいような嫌味な男だ、と雪子は思っている。
何をやらせても並み以上にこなす征一郎は雪子の隣人でもあり、幼馴染でもあった。子育てに興味のない雪子の両親に代わって雪子を育てたのも征一郎である。
運動会やお遊戯会にはお弁当を作ってかけつけてくれたし、誕生日ケーキを焼いて祝ってくれたのも征一郎だ。征一郎と雪子が五つしか違わないことを考えれば、よく、そんな子どもの、しかも赤の他人の面倒を見たなぁと感心せざるをえない。
雪子にとって家族とは征一郎だった。
しかし無邪気に雪子が征一郎を慕っていたのは、中学の半ばころまで。
そのころになると、征一郎がすごい人なんだ、ということを実感するようになった。雪子はインドアな性格であまり外に出ようという気力はない。そのせいか、そばに征一郎がいるのは当たり前でも、それ以外の人間がいる、ということに慣れていなかった。そんな雪子にとってなんでも卒なくこなす征一郎が普通なのであり、特別だとは思ってもみなかったのである。
ところが。
中学に入ると、むしろ征一郎のような人間こそが少ないのだと理解せざるを得ない。雪子が中学入ったときにはすでに征一郎は高校二年生で中学生から見れば大人である。高校生と小学校を卒業したばかりの子どもを比べるのはかわいそうというものだが、雪子はわかっていなかった。ある意味でカルチャーショックを受けたのである。
征一郎が特別な人間なのだ、と理解してから雪子は征一郎と距離を置こうと考えた。征一郎の顔が不細工であれば問題なかったかもしれないが、モデルでもできるんじゃないの、といいたくなるスタイルと顔の良さから、彼はとてもモテたからだ。彼みたいな人がモテない方がおかしい。
それに、だ。
今までずっと実の両親に代わって面倒を見てきてもらったわけだが、征一郎にも征一郎の付き合いというやつがあるはずで、それを邪魔したりする権利など雪子にはない。今まで出来る限り雪子を尊重してきてくれた征一郎に対し、今度は雪子が征一郎を尊重すべきだ、とも考えたのである。
「そんなこと考えたの?」
「そうよ。だってせい君はずっとわたしにべったりだったでしょ?だから自分の時間も欲しいだろうなぁと思って」
「いらないよ。僕が雪のそばにいるのは僕自身の意思だから雪子は気にしなくていいんだよ」
いや、気にしますよ、という返事ができなかったのは征一郎がにっこり微笑んでいたからである。
征一郎は優しい。確かに雪子を存分に甘やかしてくれる。しかし、ダメなことはダメだとぴしゃりと言うのもまた征一郎だ。ぴしゃりと言った後に、好物の甘いものを出してくるあたり、飴と鞭である。そうやってうまく雪子を操るのが征一郎という男なのである。
その征一郎が、にっこり笑ったら要注意なのだと雪子は本能で理解している。何度かこの微笑みを見たことがあるが、この微笑みが出てきたときに征一郎に逆らってはだめなのである。つまり、顔は笑っているのに目の奥は笑っていない、というやつだ。なまじ征一郎は顔がいいだけに迫力がある。
そんな笑顔を見せる征一郎に反論など無駄でしかない。
雪子は征一郎の言葉に頷くしかないのであった。
+ + +
「雪もとうとう高校生か、早いね」
今年の春、雪子は征一郎が通っていた高校へと進学した。黒のプリーツスカートとPジャケットっぽいブレザーがたいそうかわいらしい。近所では難関校として知られている高校だが、そこは優秀な雪子専属家庭教師がいる。大学生になっても相変わらず雪子のそばにいる征一郎である。
征一郎に常時彼女らしき存在がいることはわかっている。何人かの女性に、「征一郎を束縛しないで」とか、「あんたのせいで」とかよくわからない恨みを投げつけられたことがあるからだ。それに何せMr.パーフェクト。この世知辛いご時世に彼のような男が放っておかれるわけがない。
ただ、征一郎はそういったことを雪子に見せたくないと思っているらしく、恨み言を投げつけられることはそう多くないし、そういったことを雪子に言った時点で別れを切り出している。征一郎に言わせれば、もとからそういう約束で付き合っているのだから、問題ない、とのことだが、同じ女性としては女の敵だなぁと思わずにはいられない。
「そうね、花の高校生よ。高校生といえば青春よね」
「青春ねぇ。例えば?」
「そりゃあ恋愛でしょう。思春期だもの」
「雪に彼氏なんていらないよ」
「いや、いるでしょ。そりゃ今すぐにはいらないけど、将来結婚できないとか嫌だし」
「あれ、雪、結婚願望あるの?」
入学式の帰り、当然のごとく保護者として征一郎が式に参列し、その後お祝いとかでイタリアンレストランに連れて行ってもらった。
小さいピザはきのこたっぷりで食べごたえがあったし、パスタも自分で作るのとは大違いでおいしかった。文句なしの味だ。もっとも、征一郎の連れて行ってくれるレストランにはずれはないのだが。
デザートのティラミスとフルーツの盛り合わせをフォークでつつきながら、女としてはね、と雪子は答えた。
「結婚っていうと全然実感ないし、するのかわかんないけど、ウェディングドレスにはあこがれるもん」
「へぇ」
イタリアンを満喫して、家に帰った。ばいばい、と雪子の家の前で手を振って別れたのが最後。まさか征一郎が行方不明になるとは。
行方不明になった征一郎を征一郎の母である槇子はまったく心配していなかった。
あら、だって、あの子が雪ちゃん置いてどこか行くわけないじゃない?何か将来のためにごそごそやってんのよぅ。心配しなくても大丈夫、というのが槇子の言い分である。
それもどうなんだろう、もしかしてわたしは一生結婚できないのでは、とそんなこわい将来を思い浮かべるも、まさかね、と雪子は首を振った。
そして、そういえば、と思い出す。
あの日、イタリアンレストランで食事しながら、もし、結婚するならどんな人がいい、と征一郎に聞かれた。
「結婚する人?うーん、そうだなぁ。やっぱり経済力は必要だと思うのね」
「経済力、ねぇ。具体的には?」
「それなりに生活できるレベル。たまに外食したり、おしゃれできたらいいなと思うよ。そんなに贅沢である必要はないけど。ま、老後まで安心して暮らせたらいいな」
「雪は夢がないなー」
「失礼な。ちゃんとありますよーだ」
あっかんべー、を征一郎にしてみせてから、でもね、と雪子は言葉をつづけた。
「すべての人に、祝福してもらえるような結婚ができたらいいな、と思ってるの。まあそんなの現実には難しいんだろうけど」
まさか、そんな言葉で征一郎が行動に移すとは思ってもみなかったのだ。
征一郎が大馬鹿野郎なのを雪子はすっかり忘れていたのだった。
+ + +
「雪、世界をあげる。だから雪を俺にちょうだい?」
唐突に姿を消した征一郎は、唐突に姿を現した。
びっくりした、とか、なにしてたの、とか雪子が頭の中で考えていた言葉を何一つ発せないまま、気が付いたら征一郎の腕のなかにいて、異世界?らしきところに連れて行かれていた。
「どういうこと?」
「お綺麗ですわー。さすが王が選ばれたお方。素敵ですわねぇ」
「王が自ら選ばれたというだけあって、よくお似合いです」
雪子の前には大きな姿見が。その姿見のなかには、白いウェディングドレスを着た雪子が立っている。
純白のドレスには、銀糸で細かい刺繍がほどこされ、ところどころには真珠が縫い付けてある。
これ、絶対、シルクとかだ。ていうかいくらするのこれ。
値段を考えるのがこわい。というか、なぜ雪子がウェディングドレスなぞ着ているのか。まずそこからだ。
状況を整理しよう。こういうときは落ち着かねば。
①征一郎がいなくなった、②と思ったらいきなり引っ張り込まれた、③そして今。
雪子は泣きたくなった。
整理してもまったく意味がない。っていうか、さらにわかんなくなった気がする。
というか、先ほどからどうも征一郎は「王」と呼ばれている気がする。王とは、雪子のなかの国語辞典に間違いがなければ、お偉いさんを表す言葉だ。しかも国のトップ。
しかも、征一郎は雪子に「世界」をくれる、と言った。世界をあげるから雪子をちょうだい、と。征一郎が口に出した言葉はすべて本気だ。それが雪子に対するものであれば。ということは、先ほどの征一郎の言葉も額面通り受け取らなければならない。
「世界」、と征一郎は言った。
ならばそこから導かれるのは…?
雪子が茫然としていることを良いことに、あれよあれよという間に結婚式があげられ、征一郎にはようやくこの日がきたよ、と胸焼けするほど甘ったるい笑顔を向けられたかと思うと、雪子自身をおいしくいただかれ、気が付けば妊娠していた。
「ありえない」
「んー?何がー?」
雪子としては独り言としてつぶやいたつもりなのに、なぜか目の前には征一郎が。
アナタは国のトップとしてやらなければならない仕事が山ほどあるのでは?とつっこみたいが、つっこめない。むしろつっこんだら雪子の負けだ。
以前、同じようなことがあって、つっこんだことがある。
そうしたら、「なに、雪。さみしかったの?仕事なんかより雪のほうがもっと大事だよ?」とか言われて寝室直行で寝かせてもらえなかった記憶がある。あれは大変つらかった。なので、つっこんではだめだと雪子も学習したのだった。
「いや、まさか行方不明になっていたのが、本当に世界征服するためだったなんてありえない、と」
「ああ、そのこと?だって雪が世界に祝福されて結婚したい、って言ってたでしょ?だからもといた世界を征服しても良かったんだけど、どうせなら別の世界をあげたほうが雪は喜ぶかなって。頑張ってみました!」
ほめて、ほめて、と言わんばかりの笑顔を見せる征一郎。それだけ見れば大型犬のようで心が和むが、実際のところ、犬なんて可愛らしいものではないことを雪子は知っている。
けれど、雪子のためだけに頑張ってくれる征一郎のことが雪子は嫌いではないのだった。
めでだし、めでたし?
なんだかよくわからない話に。年内最後の投稿ですが楽しんでもらえればうれしいです。




