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詰め合わせギフトパック  作者: たまさ。
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母親

王道・番外

 諍いがあって、内乱があって。

それでも、自分の世界は平穏だった。

そんなものがあろうと、蚊帳の外で――君主が変わろうと、誰が死のうと、それはただそれだけのことでしかなくて。

 死も、争いも無縁の世界だと思っていたのだ。


それまで、すべてが順調であった。

結婚相手は陛下が定めた相手。確かに爵位は無いが、恩給に問題もなく、地位は無くとも力はあった。求められて嫁ぎ、子を成し――まったく、問題は無かった筈であった。

「私が、乳母?」

 それまで働いたことなど無かったというのに、突然そんな話を向けられた。しかもその話を持ち掛けてきたのが陛下だと言われれば、断ることなどできよう筈はない。

 夫は陛下とは昵懇で、それすら誇らしかった。

だからこのような個人的な話が舞い込むのだ。陛下の子の乳母とは名誉なこと――


 ばたばたと慌ただしい足音が聞こえるなか、破水を迎え呼びつけられた産婆が低い声で「そろそろだね。なに、あんたは経産婦――あっという間に産まれる」と告げていた。

 女の子が欲しかった。

もう五人目で、上の四人はすべて男であったから。

 吊るされた紐をぎゅっと強く握り、時折波のように訪れる痛みを逃しながら荒い息を繰り返す。

 時々誰かがぼそぼそとしゃべる声が耳に届くが、それどころではない痛みにゆっくりと息を吐いて、ついで歯を食いしばる。


「次も男だったら……」

「四人も用意したというのにっ」


詰るような言葉にぐっと歯を食いしばった。

なぜそのようなことを言われなければならないのか判らなかった。その時は自身のことを言われていると思ったのだから。確かに四人も男だった。だからといって次が男であろうとかまうものか。何が悪いというのか――その憤りのままに子を産み落とし、ふっと力が抜けきった。

 とたんに聞こえた赤子の元気な鳴き声に「よしっ」と誰かが言う言葉。ついで、言われたのは。


「――男の子だ」という言葉であった。


 今思えば、違うのだ。

四人も乳母候補がいて、それに疑問は持たなかった。違うのだ。

欲しかったのは、乳母ではなくて子。


 カーロッタがもし男を産み落とした時に、すりかえられる女の子。


それが、わが子であろうなどと――三か月の間知りもしなかった。


 面前でわが子をカーロッタによって殺され、衛兵が慌ただしくカーロッタを取り押さえる。カーロッタの子である女の赤子が遠くで泣いていて、わが子である筈の男の赤子は、今はもう赤い血にまみれて、伊吹もない。

 悲鳴が、誰のものかも判らない。

笑い声が、誰のものかも判らない。

ゆっくりと体温を変えるわが子を腕に――なぜと、なぜと叫んでも誰も応えてはくれず、どろりとした闇が、身を飲み込んだ。


「母さまっ」


 不安そうに、甲高い子供が呼びかける。

自らの子供の頃によく似た明るい髪色の娘。間違いなく、わが子だと判る。

赤毛がいやで、炭酸泉でよく髪を洗って色を落とす前の自分と同じ髪色。息子達に受け継がれはしなかった自らの特徴を備えた娘。


 呼びかけられると、泣きたくなる。


失ったわが子を――わが子だと思っていた子を、強く思い起こされる。

辛くて、辛くて。愛したいのに、抱きしめたいのに恐ろしい。

もう一度失ってしまうのではないかという思いと、この子を愛せばあの子をなかったことにしてしまうような気持でどうしようもなくなってしまう。


「母さまは、ルディ……お嫌い?」

泣きそうな娘を、壊れ物のようにそっと抱きしめて。絞り出すように囁いた。


「あなたを、失ってしまいそうで……怖いのよ」


 愛している。愛したい。

本当であれば、もう二度と手放さないようにずっと抱きしめてあげたいのに。あの子のことを忘れることができなくて。まるで裏切っているかのように身を苛む。

 長兄が壊れる寸前の母から妹を抱きとり、労わるように「大丈夫。この子は私が面倒をみるから、母さまはゆっくりと休んで」という言葉に甘えて――


 諍いがあって、内乱があって。

それでも、自分の世界は平穏だった。

そんなものがあろうと、蚊帳の外で――君主が変わろうと、誰が死のうと、それはただそれだけのことでしかなくて。

 死も、争いも無縁の世界だと、思っていたのだ。


「安心しろ。この子こそがお前と私の子。

死んだのは、カーロッタの子だ」


 差し出された女の赤子。

それを抱く夫は――いつもと変わらぬ笑顔でそこにいた。


――死神と、呼ばれた傭兵だと……幾度も聞いていたその言葉を、ただ聞いていただけなのだと初めて知った時、絶望にもう涙すら流れなかった。





 

 



本編では一度も出てこないミセリアさんでした。

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