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――ラドック・ベイリルは妃殿下フェリンの愛人だ。

 という噂があったのは、実はリルファも知っている。

根も葉もないのか、それとも事実であるのか誰も知らない。ただ、それが事実とすれば陛下や殿下がラドック・ベイリルを重要するのはありえない。

 それとも――黙認されているとでも?

秘匿された愛人?

 疲れの残る腕をゆるやかに揉み解しながら、ふとフェリンの瞳が脳裏をよぎった。

ラドックを見つめる少し悲しげな、けれど愛情すら滲ませる瞳。

そしてリルファへとむける、奇妙な――


 嫉妬?

彼女がリルファに向けていた視線はそうなのだろうか?

 嫉妬される覚えは無いが、ラドックに抱え込まれていたあの状況では無理もないのかもしれない。

だが……  

 ちらりと視線がラドック・ベイリルへと向けられた。

――夜会を抜け、そのまま馬車で運ばれる頃には自力で歩くことは可能であったし、現にリルファはラドックを私室へと送るために彼に付き従いこの場へとついてきた。

 本来であれば時刻も遅い、このまま頭を下げて退出を願うところであるが、ラドックが飲み物を要求した為、リルファはこうして室内に入り、湯が沸くまでの間静かに控えていたのだ。


「無様だな」

ふいに、ぼそりとラドックが言葉を漏らした。

夜会用のガウンは放り出され、今はその下に着ていたシャツにベスト、パンツにブーツという姿だ。

 寝椅子に座らず、寝椅子の背もたれに腰を預けるようにして腕を組んでいた男はいつにも増して冷ややかな空気を隠そうともしない。

胡乱に向けられる黒緑の瞳はどこまでも冷ややかだった。

「申し訳ありません」

 無様、という言葉にリルファは静かに瞳を伏せて頭を垂れた。

「あれが本来の戦闘であるならば、おまえはもうただの肉片というわけだ」

「――」

 傷つけることを目的とした言葉はずくずくと身をさいなむ。

この三年、日々体を鍛えてきた全てを否定されている気がする。いや――十四の頃から体は鍛えていたのだ。

 その全てを。

喉の奥からせりあがるものを、泣きそうになる自分を叱咤する。

震える唇を噛み、握りこんだ手のひらに力を込めて、泣くなどと無様な真似などできよう筈はない。

 それは自分の全てを否定する愚かな行為でしかないのだから。


「来い――」

顎をしゃくるようにして呼ばれ、リルファは一旦瞳を伏せてラドックの前に立った。

 どんな罵倒が降り注ぐのだろうと身構えたところに、ぐいっと胸倉をつかみ上げられて身が沈んだ。

 唇と唇が触れるぎりぎりに顔が近づき、瞳と瞳の距離とが近づく。

ラドックが唇を開く、唇の先端が――掠めた。


「二度とあんな無様な姿を晒すな。

おまえは俺の護衛官だ。

どんな汚い手を使ってもかまわん。たとえだれが相手であろうと最後にその二本の足で立っていろ」

「――」

「リルファ・ディラス・デイラ」

ラドックはきつい眼差しのまま短く告げた。

「命令だ」

「――はい」

 力ずくで引き寄せられていた胸元の手が振り払われる。

「俺は寝る。まったくもって不愉快な一日だ」

紅茶は? というべきか迷った。

ラドックは自分の襟首に中指を入れてタイを引き抜き、鋭利な刃物のような瞳をリルファへと向けた。


「俺に対して詫びる心があるなら、せいぜいその身を差し出してみるか?」

「――どうせよ、と?」

「なに、無理は言わん。おまえはそこで寝ていればいい」

 口角を上げて微笑み、だが次の瞬間にはその瞳は鋭さを見せ、返す言葉で叩き切られた。


「帰って、寝ろ」

 まったくもって意味が判らない。


 だが、一つだけ判ることがある。

ラドック・ベイリルは心のそこから憤りを感じていて――できることなら自分を八つ裂きにしてしまいたい程に気を高ぶらせているのだ。

 この場にリルファは留まるべきではない。

もし一秒でも退出の時期を誤れば、彼女は明日――軍敷地内のはずれにある「殉教者の墓」の住人になっていることだろう。

 リルファは蒼白になりながら頭をさげ、一番大きく頑丈な廊下側の扉の奥へと逃げ込んだ。


***


 パシンっと、小気味良い鞭の音が石畳を打った。

宮殿内にある妃殿下の為のサロン――その前庭にて、その余興は行われた。

 ラドック・ベイリルと妃殿下フェリンを前に、リルファ・ディラス・デイラと白の騎士ヒューイット・ナイサンダーの立会いは、内々に行われたのだ。

フェリンは実に楽しげな様子で扇を揺らし、

「鞭が武器とは、また変わった趣向ね」

などと言っているし、ラドックは無言で用意された椅子にふんぞりかえっている。


「妃殿下」

ヒューイットは余裕のある態度で膝を折り、自らの主の前で頭を垂れると微笑んだ。

「この勝負こそは、公平なものとお認めにいただき、勝者には褒章をおあたえいただけますね?」

「勿論よ。ヒューイット。貴方が勝っても、そしてまたデイラが勝っても、望むものを与えてあげるわ。

私が約す――構わないわよね、ラドック?」

 ラドックは無言で唇の端を持ち上げた。

「では、今度こそ」

ヒューイットは立ち上がるとリルファへと微笑んだ。

「貴女を貰い受けましょう」

「――」

リルファは嘆息し、微笑んだ。

「では、私が勝利した暁には――ナイサンダー様にはフリルたっぷりのドレスを着ていただきましょうかしら?

 とってもよく似合いになると思いますわよ」

リルファは挑発するようににっこりと微笑み、その言葉にヒューイットが反応するより先にフェリンの声が響いた。

「はじめなさい」

 その言葉を合図に、ヒューイットが地面をける。

リルファは素早く鞭を振るうと、サロンの二階の柵に鞭を打ちつけ、その反動で二階に上がり、勢いを殺さず腰につるしたナイフを放つ。

 ヒューイットが舌打ちしながらそれを交わし、リルファは受身を取る形で地面に降り立つと、今度はヒューイットが避けた先に鞭を振るった。

「早い」

見ていた騎士から声があがる。

「ええいっ、ちょろちょろとっ」

ダグラスに小猿、曲芸といわれるリルファの身は軽い。相手の動きの先を読むように先手を打って鞭を振るい、近づいてはナイフ、そして果てには飾りかと認識されていた細剣を左手で抜き去り、逆手で腹を凪ぐ。

 わき腹の一撃をヒューイットは避けたが、避け切れなかったのか聖騎士の白い軍装がぱくりと刻まれ、それを見届けずにリルファは地面をけって真後ろに着地した。

「――なかなか良い動きをしますね」

「褒め言葉は嬉しいものですね」

「ですが、こちらもやられっぱなしではおわりませんよ」

言葉と同時にヒューイットの剣が舞う。

剣舞のような優雅なものに、力が込めれる。勢いのあるそれを受ければ、おそらくリルファのような細い相手は一撃だろう。

――手加減をせぬその攻撃を、リルファは一旦細剣を鞘にすらりと戻して鞘ごと引き抜いて受ける。

 刀身のみで受けては折られていたかもしれない。

だが力押しに弱いのは熟知しているリルファだ。ふいにふっと力を抜き、横合いに体を転がしてそれを避けると、一瞬バランスを崩した騎士の手元、剣に向けて鞭を振るった。

 からめとられた剣が跳ね上がり、リルファは素早く身を寄せるとナイフを逆手にしてその首筋にぴたりと当てた。

「見事です」

ぱんっ、と手が打ち鳴らされる。

その音の後に、どさりとヒューイットの剣が地面に落ちる。リルファが体制を戻そうとした途端、ラドックの声が響いた。

「かまわない。殺せ」

「――」

「リルファ、お前にはその権利がある。そして俺にもな。

かまわないからそのまま首の血道を断ち切り、殺せ」

 しんっとし静まるその場で、ふいにフェリンが笑った。

「かまわなくてよ、デイラ。お前がそう望むなら」

 リルファはすっと逆手に持っていたナイフをくるりと回し、自分のベルトの後ろに納めて一礼し、静かに静観していたヒューイットへと手を差し出した。

「ご教授、感謝致します」

「――」

「ただ今後は女を侮らぬことでございます」

リルファは微笑み、妃殿下の前で膝を折り「お目汚しを致しました」と身を伏せる。

フェリンは極上の微笑みを浮かべ手見せた。

「よくやりました、リルファ・ディラス・デイラ。

褒美を取らせましょう。なにを望む?――先ほどヒューイットに何事か言っていたようですが、それだけというわけにもいかないでしょう」

 褒美。

言われてもリルファには望みが無い。

少しばかり逡巡し「先ほどのことはお忘れ下さい。ただの冗談ごとですので――」

言葉にし、ちらりと主を見れば、憮然としたその顔がなぜその男を殺さないと告げている。

 だからこそ「褒美はナイサンダー様にはお咎めを向けなさらないということではいけませんでしょうか? これはただの余興にございます。敗者に罰が下されるようなことはないものと信じておりますが」

「ラドックの護衛官として甘いこと。

それは私ではなく、お前の主に言いなさい。今このときも、ヒューイットの命を奪わぬ私に食ってかかりそうな顔をしている」

 フェリンが楽しげに言うその言葉の通り、ラドックは剣呑な雰囲気をかもし出している。

リルファはラドックの元へと体を向け、騎士がそうするように恭しくひざまずいた。


「殺しておけ、リルファ」

低い声が命じる。

「その理由を私はもちません」

ラドックは鼻を鳴らした。

「――まったく、甘い。

貴様は俺の剣だろう。その男を殺せ」

 きつく突きつけられる言葉に、リルファは静かに応えた。

「いいえ。私は貴方様の盾にございます」

 護衛官は他者を傷つけることを生業としているのではない。護る為の者。

きっぱりと言い切るリルファに、ラドックは憎しみのような鋭い眼差しを突きつけていたが、やがて冷ややかに言葉を落とした。

「行くぞ」

 席を立ち、妃殿下に挨拶も無く立ち去ろうとするラドックの背に、リルファは慌てて付き従った。

「ラドック」

フェリンが呼ぶ。

楽しそうに柔らかな音色の声で。


「その娘、私には下さらない?」

「――」

「ふふ、冗談よ。

でも、ねぇラドック? 貴方がもう少し幸せに笑ってくれるなら、私は貴方のことはそっとしておいてあげたいと願っているのよ?」

「人を不幸と決め付けるな」

「そうね、そうよね……考えを改めるわ、私」

――不敬罪と、いつ言われるのではないかとリルファはびくびくとしていた。

なにといっても相手は妃殿下なのだ。

妃殿下のサロンを浮き足立つように離れつつ、リルファはラドックの背に低く声音を顰めて話しかけた。

「あまり不遜すぎはしませんか?

いくらラドック様といえど――」

命が幾つあっても足りませんよ?

といいながらも、ちらりと「愛人説」もちらつく。愛人ならば多少のことは許される? いや、だがそれは二人でいるときだけだろう。

 公衆の面前――少なくとも騎士達がいる場であの態度は危ない。

「問題ない」

ラドックは言いながら短くなってしまった前髪をかきあげた。

――どこをどう考えても「問題大有り」なのだが。

リルファが苦い顔をしながらその背を追うと、廊下の反対側から一人の少年と――その取り巻きとが歩いてくるのが視界に入り込んだ。

 それが今年八つになる、妃殿下の産み落とした王子であることに気づき、リルファは慌てた。

 思わず手を伸ばしてラドックに壁際へとよるようにと示そうしたのだが、それより先に幼い王子がぱっと顔を上げて駆け出していた。


「ラドック!」

「呼び捨てるな」

ひぃぃぃぃぃっ。

不敬罪!

 リルファは今度こそ首が飛ぶのでは、と我知らず自らの首を撫でてしまった。

いやいやいや、この場合首が飛ぶのはラドックだけで、自分は安泰――じゃないかもしれないのがコワイ。

 数名の付き人を従えた王子はにこにこと機嫌が良く、リルファの心臓がばくばくと鼓動を早めるのを無視するかのように愛らしい笑みを称えていた。

「ごめんなさい、ラドックおじさま」

「おじさまとか言うな」

「ああ! 内緒で、秘密、なんだよね。

ぼく約束したもの。ちゃんと守ってる」

「守ってないだろうが。フェリンならこの先のサロンにいるぞ」

言いながら、つまらなそうにラドックは子供を避けてさっさと歩き出した。

「たまには少し話し相手してくれてもいいのに!」

「つまらん仕事はしない」

「仕事って、おじさんのケチ」

 リルファは王子に頭をさげ、ひぃぃぃっと動揺する心でラドックの背に追いついた。

 背中にいやな汗がすぅっと流れていく。見てはいけないものを見てしまった気持ちで、できれば水に頭を突っ込みたい程だ。

 現状がまったく理解できないで混乱するリルファに、ラドックが珍しく自ら口を開いた。

 黙々と先を歩きながら。


「言うなよ」

「な、な、にをでしょう」

「フェリンは俺の腹違いの姉だ。これ以上は言わん」


――その背中はもうなにも語らないと示すように、かつかつと廊下を歩んだ。


「はぁぁぁ?

え、だって……愛人じゃないんですかっ」

 思わず頓狂に出てしまった言葉に、慌てて両手で口にフタをしたが――前方を歩く主は殺気すら滲ませつつ足を止めてリルファを睨みつけた。

「気色悪いことを言うな」


……って、あの、え……?

 リルファは混乱する頭の中で告げられた事柄を整理しようと懸命に努力したが――色々と無理だった。









白の騎士・了

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