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示されたテラスへと出るカーテンを手の甲で押し開くと、確かに先ほど妃殿下の背後で控え、ラドックを襲おうとした内の一人がそこで待っていた。

 オフホワイトのリルファの軍服とは違い、純白の騎士服の青年は口元を皮肉気に歪め、こそりと溜息をついた。

その唇から零れ落ちたのは――嘲笑めいた皮肉交じりの言葉。

「護衛対象から離れましたね」

 しまった。

と、思ったが後の祭りだ。


「罠ですか?」

 リルファが冷ややかに言うと、青年は目元を和ませた。

「いえ。ただ意外だっただけです。ダグラスが警護しているのですから、大丈夫ですよ」

いったい何が言いたいのか判らない。リルファは顔をしかめた。

ダグラスが言っていたような色気のある楽しい話では無いということだけは理解できたが。


「どのようなご用件でしょう」

 告白されるとまではさすがに思っては居ないが、当初の甘酸っぱいようなふわふわとした感覚がずぶずぶと消えうせていく。

自分の愚かさと共に。


「手合わせ、願えますか?」

――色気なんて欠片もないですよ、ダグラス隊長。

リルファは大きく息をつき、がっくりと肩を落とした。

「申し訳ありませんが、それに応じる理由が私にはありません」

「私への攻撃はナイフの一撃のみでした。それを避けたら、貴女はコーリルの剣を受け流し、身を沈めて床を蹴り上げ、その跳躍のみでこちらへとやってきた。

 剣は鞘にいれたまま振り込み、私は刀へと手を掛けた」

そこで中断されてしました。

 青年騎士は冷静にその場で起こったことを反芻し、ひたりと鳶色の瞳をリルファへと向けた。

「もう一度手合わせを願いたい」

「それは騎士として正々堂々と戦いたい、と?

それだけの理由ですか」

リルファはあきれ返った。

「私にはそんなことをする理由がありません」

「何の利益も無いことはできかねると?

では――何か条件をつけましょう。

妃殿下の室内護衛官の任務への推薦などはいかがです? 今より随分と貴女向きな仕事でしょう」

 それは確かに魅力がある。

だが、リルファは受ける気がない。

「申し訳ないですが、失礼いたします」

 頭を下げて身を翻そうとした途端、背後の男は動いていた。

ふっと床を蹴る気配、素早く背後を取られそうになってリルファは身を沈めて横に飛んだ。

 片膝をつくようにして相手をにらむと、にっこりと微笑まれる。

「敵前逃亡は負けとしますよ」

「だからっ、別に負けでいいですよっ」

「私が勝ったら、貴女を貰い受けましょうか」

「は?――」

リルファは間抜けな声を上げた。

「負けを認めたのであれば、今宵私の寝室においでなさい」

「ばっか言わないで下さいよっ」

 リルファはかぁっと頬が熱くなるのを感じた。

「ではまじめに戦うべきです。いきますよ」


――ダグラス隊長!

これはなんですか?

色気のある話なんですかっ?

リルファはダグラスを脳内でののしりながら、腰の細剣をすらりと引き抜いた。

 色気と言われればそうかもしれないが、ちっとも楽しくもなんともない。リルファは舌打ちし、瞳を眇めた。

 リルファの持ち味はその素早さだ。

身の軽さが全てに勝る。だが、力技に掛かればそれが半減してしまうのはどうしても否めない。だからこそ、彼女は基本武器を今は鞭へと変えたのだ。

 長くしなやかな皮鞭を自在に操り、敵から武器を取り上げ、その身に打撃を与える。屈強な男といえども、近づくことのできない敵に体力を消耗させる。

――だが、今その鞭は無い。

いくら基本武器が鞭だとしても、夜会にそれを腰に下げて出るわけには行かない。

 十数分もの間体を動かし、相手の剣を避け、受け流し、隙をついていたリルファだったが、さすがに息が切れはじめた。

最近は鞭に頼りすぎていた為にか、どうしても自分の動きが鈍く感じられるし一撃一撃に後悔と焦りが含まれる。こんな考えでは駄目だと自分を叱責しようにも、どうしてもくりだす剣には躊躇が生まれた。

相手はどう考えても敵ではないのだ。


 まるで剣舞でも舞うように、青年騎士は細剣を繰り出してくる。

リルファはそれを余裕を持ってかわすこともそろそろ危うく、刀身に揺れる飾り帯が切られ、肩口が裂かれた。

「敗北をお認めなさい」

 息があがりそうになるリルファとは違い、余裕ある男の言葉に、リルファは床をけってトンボを切ると額の汗を拭って微笑んだ。

「まだ、いけますよ」

「怪我をさせないようにやるのは結構至難なのですが」

「――お気遣いなく」

「意外と私は優しいですよ。勿論、寝所ならなおさらね」

 淡々とした言葉は性的なほのめかしをするくせに、それは逆に冷淡に聞こえた。

「傷ついた体を抱く趣味は無いのですよ」

 ぐっと騎士が剣を持つ手に力を込めた。

来る――っ。

 リルファは相手の剣筋を見定めようと目を凝らした途端、だんっとその場に乱暴な音が響いた。

 耳に入り込んだ途端、それが二人の間で発したものでないという異音だと理解して咄嗟に体が身構える。ぱっと二人の体がばね仕掛けの玩具のように跳ね上ががり、離れた。

 とっさに視線がテラスとホールとを隔てるカーテンを見れば、ラドック・ベイリルが冷ややかな視線を騎士へと向けていた。


「これは何事だ?」

「――これは薬師殿」

 騎士はするりと剣を返し、背に隠して礼をとってみせるが、生憎とすでにリルファには礼節を思い出せる程の余裕はなかった。

「リルファ・ディラス・デイラ。おまえは俺の護衛官だろう。それが主を離れてこんな場所で何をしている?」


――ええ、ええ、本当に、何をしているのでしょうね?

 リルファは肩で息を繰り返し、よろりと体を揺らした。

慌ててテラスの柵に手を掛ける。緊張が解けたのだろう、まったくもって恐ろしい時間だった。

 体が一気に弛緩し、間接部がガクガクと震えた。

ふぅっと大きく息をつくのと同時に、リルファはがくりと柵にも垂れて口元すら細かく震えだす。

青年騎士がソレに対してふっと息をつくように笑った。

「おやおや、私の勝ち、でよろしいでしょうか?

妃殿下――」

「そうね。こういう場合はそうなるでしょう。

よくやりましたね、ヒューイット」

 その声は、隣のテラスから聞こえた。

ぎろりとラドックが視線を向ける。

フェリンは優雅に扇で自分の口元を撫で、瞳を細めて自らの騎士を褒めた。

 胸元に手を当ててフェリンの賛辞を受けた青年騎士、ヒューイット・ナイサンダーは白刃をすらりと鞘に収め、そのままリルファに近づきその手首に手を掛けようとした。

 途端、ヒューイットの面前を針のようなものがかすめ、慌てて一歩退く。


「説明しろ。フェリン」

針の飛んできた方向へと視線をめぐればラドック・ベイリルが彼の主を呼びつけにした。

「まぁ、不敬罪? 貴方でなければこの騎士達に八つ裂きを命じるところよ」

ころころとフェリンは愛らしい声で笑って見せた。

実に、楽しげに。

「怒らないで、ラドック。

私の可愛い騎士、ヒューイットがその子と再戦したいというからやらせてみたのよ? 私が許したの」

「――まったく、くだらない」

 ラドックは嘆息し、乱暴に歩くと体力を消耗しきって自力でまっとうに立っていることすら危ういリルファの腕を引き上げてその腕に抱き上げようとした。

「あら、駄目よ」

くすりとフェリンがラドックを諌めるように声を掛ける。

「何だ?」

「その子は戦利品としてヒューイットにあげたのです。ヒューイットが勝ったら愛人にでも妻にでも奴隷にでも好きにして良いと私が許したの。

ですから、その子はヒューイットのものなの。

ラドックにはもっとしっかりとした護衛官をつけるわ」

 自分の主の言葉に、ヒューイットはラドックの手からリルファを受け取ろうと腕を伸ばした。


 耳に入り込んだ言葉に驚愕し、リルファの表情に動揺がはしる。

ラドックはぐいっと腕に力を込め、リルファを横抱きに抱き上げていた。

「フェリン、これは俺の護衛官だ」

 威圧的な言葉に、フェリンは一旦瞳を見開き、溜息をついた。

興ざめするように首を振り、それまでの会話を忘れたように淡い微笑みを浮かべてみせる。

あくまでも優雅なその微笑に、リルファはラドックに抱きかかえられているという現状に内心で混乱をきたしながら喉の奥を引きつらせた。

「ラドック。こうして会話をするのは本当に久方ぶり。

本来であればゆるりとお茶でもしたいのだけれど……」

「無駄話は辞めろ」

「――私を恨んでいて?」

 妃殿下の言葉には奇妙な色が滲んでいた。

悲しいような、懇願するような声。リルファはぼんやりと、自分のことを抱き上げている黒い薬師の顔を下から見つめた。

「俺は好きに生きている。お前が気に掛ける必要はない」

「――心配なのよ、ラドック。

恨みばかりをその身に負って、いつか破滅してしまうのではないかと心が痛む。

あなたがしていることは、本当にあなたがしたいことなの?

あなたが……」

 フェリンは言葉を苦しそうに滲ませ、いったんふるりと首をふった。


「ならばせめて私にできるのは貴方の身を万全に護ることだけ。

私がその道を行かせたのなら、私が護る」

 まるで恋人同士のようだ。

リルファは居心地が悪く身じろぎした。

「――護衛官にはもっと優秀なものをつけましょう?」

「くどい」

嘆息し、ラドックはふいにその視線をヒューイットへと向けた。

「まったくくだらん。

こいつの得物は元来細剣じゃないし、こいつの相手をする奴らはおまえ達のような騎士じゃない。違う土俵の上にこいつを立てて勝っただの負けただの、阿呆のすることだ」

「あら、得物さえ違ければ勝てたとでも?」

くすりと妃殿下は楽しげな声を漏らした。

「――ためしてみるか?」

 ラドックもニヤリと口の端を上げた。

自分のことが話されているというのに、まったく理解できない展開に、リルファは不安で一杯になった。


何より……ラドックと妃殿下との間の空気に。




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