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ざわりと、会場がゆれたかのように感じられた。

本日の夜会は妃殿下の主催したもので、その理由は――おそらく気に入りの花が咲いただの何だのという他愛のないものだ。

 もしかしたら、飼っているネコが子供を産んだのかもしれない。

その程度の、何の意味もない集まり。

 幾人もの貴族が招かれたその場で、それは人々の視線を引いた。

黒いローブに身を包み込んだ薬師。そのローブを止めるための黒銀のメダルは狼。国の守護を担う者として特別に賜るものだ。

この国でもひそかに噂される存在ではあるが、その姿を人前にさらすことは滅多にない。普段は軍部の奥で薬師としての仕事に従事しているといわれている、ラドック・ベイリル。その姿をはじめて見たものでも、それが「黒の薬師」であるというのは肌で感じ取れた。

 元来人目のつく場所を好まない薬師の姿に、初めて見たものはその容貌に驚いただろうし、幾度かその姿を見たことのあるものでも、身奇麗なその様子に驚かされることとなったことだろう。

 そして、彼の背後にはまるで正反対にオフホワイトの軍装に身をやつした金髪の娘。

男装の麗人と溜息が漏れそうなほどのすがしい様子でリルファ・ディラス・デイラは警護官として付き従っていた。


――もったいない。

 生真面目な調子でラドック・ベイリルの背後に控えつつ、リルファはこそりと溜息をついた。

宮廷の東に位置する第二ホール。それは比較的小さなつくりのホールであり、一般的にいえば「内輪の集まり」に使われる場所だ。

それでも、リルファの暮らす兵舎寮の全てを合わせても釣りがきそうな広さであるし、おかれているシャンデリアは数多の水晶がはめ込まれ蜜蝋の光を反射している。

 蜜蝋にオイル・ランプによってホール内はまるで昼間よりも明るいのではないかと思えるほどの光に満ちているし、飾られた花々は見事に季節を裏切っている。

――兵舎の光源はたいてい獣油なのだから、雲泥の差だ。

だが、これが貴族、これが王族というものなのかもしれない。

 リルファの叔父はまがりなりにも貴族ではあるが、あいにくとリルファは貴族ではない。むしろそんなものではなくて良かった、吐息をついた時、先を行くラドックが足を止めた。

 自然とリルファも足を止める。

一旦視線を上げかけたたが、リルファは慌てて視線を下げる羽目に陥った。

そこにいたのは、フェリン・アーガルタ・ティア・シェイレルダン――この会の主催にして、この国の妃殿下その人だったのだ。

 隣国の王室から嫁いだという彼女は、淡い銀のような不思議な髪と、そしてけぶる睫毛の下に菫の瞳を震わせた。

 リルファを驚かせたのは、彼女の衣装だ。

他の婦人方がその派手さを競うかのように数々の文様、数々のフリル、色彩に彩られているのに対し、彼女の様相はむしろ質素と言っていい。

 淡色、そして単色。

ふわりと柔らかな薄緑の、体の線がはっきりと出ないタイプのドレスだ。

淑女――という単語が浮かびそうな。

 水鳥の羽根で作られた扇で口元を覆い、実に艶やかな声で微笑を落とす。

結い上げられた銀糸の髪には、真珠の粉でもまぶしてあるかのようにきらきらとしたた輝きが振りまかれた。

「来ましたね、ラドック」

「お招きにより」

ぼそりとラドックが応える。誰にでも不遜な態度をとる男ではあるが、さすがに妃殿下の前では軽く頭をさげた。

――それにしてももう少し挨拶のしようがあるのではないか、とリルファは自らのことのように心配になってしまった。

それと同時によぎるのは、あの噂……この二人はカンケイがあると……

不穏なことを思い浮かべ、リルファは喉の奥を震わせ、考えを打ち消した。

 妃殿下の背後にはラドック同様護衛の姿、幾人もの騎士が従えられている。

勿論彼らも剣帯を許されていた。

フェリン妃殿下は扇をついと動かし、その先端でラドックの顎を持ち上げた。

「まったく、普段よりそのように身奇麗にしておれば良いものを……もったいのないこと」

「仕事に支障はありません」

「まぁ良い、今宵は楽しむと良い。

言うておくが、私と挨拶が済んだからといってそうそうに引き上げるでない。せっかく若く美しい娘達がそろっておるのだ。良き相手をおさがし」

 

 クスリと微笑み、妃殿下は扇を引き、ラドックの横を過ぎようとした。

ラドックも、そしてその背後にいるリルファも静かに頭を下げて彼女が立ち去るのを待つ。自分達の横を、騎士達が通り過ぎようとした途端――


とっさにリルファは腰に吊るした細剣を鞘ごと引き抜き、ラドックの前と騎士の間を遮った。


カシャンっという鞘の音がその場に響く。

驚くよりも先に体が反応していた。

ラドックへと突きつけられた剣先。それを遮る為に引き上げられた鞘。


 左手を後ろに回し、ラドックの体を押し、もう片方の手は――騎士の一人が繰り出してきた剣を受け、そして受け流すようにはじく。

第二激が来るのを床を蹴って交わす。

 辺りに悲鳴が響いたが、リルファはそんなことに頓着してなど要られない程の焦りに身を焼いていた。

もう一人の騎士がラドックに近づくのを感じて、胸の横に隠されているナイフを引き抜いて投げつける。その間にも当初の男からの攻撃がやまず、リルファは小さく舌打ち鳴らし、この場に鞭がないことを呪った。

 身を伏せて空いている手を軸に足を回す。驚いた男が体制を整えるより先に腕の力だけで床をはじくようにしてラドックの前に立った。

 肩で息をつく間もなく次の動きに移ろうとしたところで、パンッと高い音が響いたのはその刹那。


「おやめ」

女の言葉に騎士達はざっと引いた。

 声の主はフェリン――妃殿下は極上の微笑みを浮かべ「余興はしまいよ。楽団は酔いとろかすような調べを。淑女たちは鮮やかな舞いを――今宵を楽しみましょう」

 楽しそうな言葉と共に、場は何事もなかったかのように夜会という空気を取り戻す。

 あまりのことに、肩で息をつきながら、リルファは呆然と瞳を見開き、喉の乾きに小さく引き攣れたような声を漏らした。

「変わった余興だ」

と、ラドックがつまらなそうに言う言葉が、今の出来事を現実だと知らしめる。

「ふふ。おまえの護衛官があんまりかわいらしいから、少しばかりからかってさしあげようとおもったのよ? でもなかなか俊敏に動くのね」

――か、からかう?

 驚きの視線を妃殿下の背後に立つ騎士へと向けたが、彼らは平然としたものだった。

 カチリと音をさせ剣を腰に戻し、第一激を繰りひろげてきた騎士は一歩進みでてリルファの前で胸に手を当てた。

「鍔迫り合いは長引かせないほうがよさそうだ」

忠告なのだろう。

そのありがたさにリルファは嘆息し、敬礼した。

「心しておきます」

「護衛官、リルファ・ディラス・デイラ」

 フェリン妃殿下はくすりと小さく微笑み、リルファの名前を口にした。

まさか一介の護衛官ごときの名前を覚えていると思っていなかったリルファはたじろいだ。

慌てて膝をおって控える。


「私の薬師の護衛、心して勤めなさい。

よろしいわね?」

「はい、妃殿下――この身命をとしましても」

「ふふ、素敵ね。でも、花の命は短いものよ。お気をつけなさい」

フェリンは言うと、今度こそその場から離れていった。

「――どういう意味だろう」

 最後の一言に首をかしげていると、ラドックがニヤリと口角をあげ、

「いきおくれということだろう」

とぼそりと呟いた。

――確かに、今年二十四になるリルファは、一般的にみればそうとられてもおかしくない。フェリンなどは十四で隣国から嫁いできたのだから尚更だろう。


 くそぅっ。

リルファは口内でぼやき、ラドックの肩口を睨みつけた。

明らかに今の台詞でイキオクレは無い。

イキオクレと馬鹿にしているのは確実にラドック自身に違いない。


 妃殿下とその取り巻きがその場を去ると、次いで幾人かの貴族がラドックへと話しかけはじめた。それはもとより知り合いであったり、また誰かの紹介であったり、幾度か薬を処方した相手だったしく、ラドックにしては珍しく会話らしいものを続けていく。

 リルファはただ静かにその背後で控えていたものだが、重臣らしい一人が自分の娘を連れて現れると、なんだかその場が華やいだ。

「ベイリル卿、我が娘と一曲頼まれてくれないだろうか」

 好々爺の顔で言われ、ラドックは一旦眉を潜めたものの断る口実が無かったのか、面倒くさかったのか――たぶん後者――その女性と共にホールの中央部へと移動していってしまった。

 さすがにそんな場に護衛官としてついて行くわけにもいかず、リルファは壁際によってただ静かにその場を見守っていた。

 

一人の女性とダンスを踊ると、面白いように「次は私と」と声がかかる。魚で言えば入れ食いのような状況になんとなしに眺めていたものだが、ふいにちょいちょいっと肩をつつかれた。


「よっ」

「――ダグラス隊長。内部警護ですか?」

といいつつ、ダグラスが立食用の皿を手にしているのを思わず見てしまった。

皿の上にはカナッペだとかチーズだとかが盛り付けられているのだ。

明らかに警護と言うか、さぼりか。

「勤務は交代時間になったから、ちょいと覗き」

「……」

ほれ、と皿を示されたので、穴のあいたチーズに手を伸ばした。

「聞いた話によると、妃殿下の騎士達と一戦交えたって?」

「からかわれただけですよ」

「結構イイトコまでいったそうじゃないか。あいつら力技だから女の手にゃあまるだろうに」

 言いながら、ダグラスはニヤリ口元に笑みを刻んだ。

「ま、小猿は小猿らしい曲芸を披露したってトコだろ。いい余興だな」

まるでみて来たように言われてしまった。

 顔をしかめたリルファに、ダグラスはニマニマと口元を緩めた。

「ほら、これ」

 ひょいっとダグラスがポケットから引き抜いたのは、リルファが普段から胸の横に仕込んでいるナイフだ。しかも白いハンカチに包み込まれている。


「あ……」

「投げつけられた当人から伝言。

二階のテラスで会えませんか、だとよ」

「って、何いってんですか。仕事中に」

「おまえの主人は俺が見ててやるから、行って来いよ。こいつだって妃殿下に頼んで時間を作ってるんだからさ」

 色気のある話ってぇのはいいねぇ。

などと、やけにおじさんくさくニヤニヤと口元を緩める。

「色気……」

 思わず口にしたら頬が熱をもった。ついぞ聞かないような話題だ。

思わずもたもたとナイフを隠しに戻し、迷って迷って、

「じゃ、じゃあ、少しだけ……」

 思わずそう口にした時、リルファはほんの少し頬が赤くなるのを感じた。

「おぅ、行ってこい行ってこいっ。

接吻くらい出し惜しみすんじゃないぞっ。ちょっと触られたからって怯むなよっ」

「隊長うるさいっ」声を潜めつつ文句をいい、ダグラスが先ほど示した二階のテラスへと階段をのぼった。

その途中、ちらりとラドックを視界にいれたが、変わらずに女性の相手をしている。


――そう、あれで女好きなのだ。

 だが相手は貴族の令嬢だ。

あまり不穏なことをしなければ良いが……そんな心配をしてみたが、リルファはぷるりと一つ首を振った。

 今は自分のことだけを考えたっていいだろう。

色気のある話なんて、正直そうそうないのだし。


――接吻くらい……


 途端に、ダグラスのからかいの言葉が耳に蘇り、耳の先端が熱を持つ。

異性からの呼び出しなんて、滅多に……いや、はじめてかもしれない。



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