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詰め合わせギフトパック  作者: たまさ。
翡翠の護衛官
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4

翌日からで構わないといわれていた為、リルファはありがたくその言葉の通り翌日の朝に通常勤務――つまり、ラドック・ベイリルの護衛任務につくことにした。

 一週間という自由は二日を残して消え去った訳だが、それでも五日間というのは充実した日々だった気がする。

 少なくとも、四日の間他人と喧嘩らしい喧嘩をしないでいられたというのは喜ばしい限りだ。

 リルファはラドックの私室の扉の前に立つと軽く胃痛を覚えつつもノックし、当然のように応えが無いのは判っていたので、持っている合鍵でさっさと扉を開いた。

 ふわりと最近忘れていた薬草の香りが鼻腔を刺激し、泣きたいような気持ちになるのは何故なのか。

薄暗いなんとなく陰気な部屋。そして、寝台ではなくなぜかいつも寝椅子に眠っている部屋の主。

 上半身裸に薄い掛け布だけを引きかぶり眠り転げているラドックは、珍しく昨夜遅くにでも浴室にでも出向いたのか未だ濡れている上にかすかに石鹸の香りまでさせている。

 放置しておくと五日でも七日の間でも体を流すということをしないのだから困った男だ。

 リルファは暖炉に近づき火種を引き出して炎を強めると、水差しの中身を薬缶に入れて暖炉の上の鉄板部分においた。

 強い火力はほどなく水を湯にかえる。

手馴れた様子で紅茶を入れ、自分用にはホットチョコをいれた。


「相変わらずだな」

 ぼそりと不機嫌そうな声が耳に入る。

相変わらず、の枕詞がホットチョコを示すものであろうと理解したリルファは「カカオは高価ですからね。私のような一介の護衛官の口にはなかなか入りません」と肩をすくめた。

 もぞりと寝椅子の上のラドックが身を起こした。

ラドック・ベイリルの特徴の一つとして、彼は突然その目をぱかりと開けるのだ。まるでずっとおきていたかのように。

「リルファ」

「――なんです?」

 低い声に呼ばれた。

不愉快そうな声はこの男にとっては基本ベースだ。機嫌の良い状態というのはあまり無い。誰かをいじめている時がそれにあたるかもしれない。

 つまるところ、この男は相当趣味が悪いのだ。

「リルファ・ディラス・デイラ」

「だから、なんです?」

 なんだかムッとし、唇を突き出すようにして言えばラドックは上半身だけをあげたままの状態で、未だ湿ったままの前髪をかきあげた。

――その体の傷を目にいれ、幼い子供の頃に視線をそらしていたことを思い出した。

だが、今は違う。

 リルファはただ静かに、上半身を起こしている男の体を――左腹部に刻み込まれた蔦の刺青を見つめた。

 ラドックはリルファの視線など気づかぬ様子で、大きく息をつき、目を閉ざした。

そのしぐさがあまりにもラドックらしからぬものにうつり、リルファは何故か不安を覚えた。

「ラル?」

とたんにラドック・ベイリルはいつものラドック・ベイリルへと変化する。

「ラドック・ベイリルだ。

紅茶、よこせ」

 ぎろりとにらみつけられ、リルファは嘆息しつつ紅茶をもって近づいた。

「今日からまた護衛官として勤めさせていただきますから」

「勝手にしろ」

「――まぁ、もちろん勝手にさせていただきますが……あの、どうかされましたか? 顔色が悪いように思えますが」

 紅茶のカップをテーブルに置き、リルファはラドックの顔を覗き込んだ。

もともとラドックは室内型の不健康な人間だが、いつもより白い――むしろ青白い気がする。

 言われたラドックは更に不愉快そうに目元を険しくしていたが、ふいにしばらく考え込んだかと思えば、紅茶を一口のどの奥に流し込み、

「寝る」

と寝椅子にばたりと倒れこんだ。

「……寝不足ですか?」

――というか自分はどうしたらよいのだろうか?

 掛け布にくるまり寝やすいようにもぞもぞと動いていたラドックにおそるおそるたずねると、冷ややかな声が返った。

「おまえは護衛官だろう」

「了解致しました。では外で立ち番をさせていただきます」


 軍人らしく敬礼をすると、彼女の護衛対象は低くうなるような声で「うるさい、静かにそこで座ってろ」と命令しむっつりと口を閉ざした。

 意味が判らない。

やがて寝息が聞こえてくると、リルファは冷めたホットチョコを飲み下し、大きく息をついた。

 何をすることも無いので、とりあえず室内の掃除からはじめる。

五日間で溜まった埃を落としながら、できれば寝室で寝てくれればもっと楽だし、本人も埃がいかないのにと小さくぼやきが落ちてしまった。

 昼過ぎまでそうして片付けをしていると、遠慮がちなノックの音。リルファは寝椅子の脇をそっと通り重厚な扉を開いた。


「ああ、ここにいたんですか」

「大佐? どうされたんですか?」

上官であるマディルの姿に、リルファは危うく声をあげてしまいそうになった。

「薬師殿もこちらですよね? このたびの不手際の謝罪に来たのですが……」

疲れた様子のマディルに、リルファは声を潜めたまま「お疲れのご様子で、今は眠っていらっしゃいますが」

 起こす、という選択肢はありえない。

リルファにとっても、そしてマディルにとっても――ラドック・ベイリルは上位者に他ならないのだ。

「待たせて頂いてかまいませんか? 

実は私室は空だろうと思っておりましたので、施設内をイロイロと回りすぎました。この後に時間を改めて探すのは時間のロスですから」

「えっと……まぁ、大丈夫です」

やはりこういう場合は寝室に寝ていてくれたほうが良かった。リルファは内心で思ったが、そのままマディルの為に扉を開いた。

 寝椅子はテーブルを挟むようにして二つ置かれている。その一つを占拠しているのはもちろん部屋の主である。それを前に「どうぞお座りになってください」と言うのは気がひけたものだが、他の椅子といえば奥にある執務用の椅子だ。これはラドック専用といわれれば確かにそうなので、他の人間に勧めるのははばかれた。

 リルファは薬缶の湯でもって紅茶をいれ、マディルの前においた。

その小さな食器のすれる音に、ふっとラドックの瞳が開く。

「――なんだ?」

 突然開いた瞳に、マディルは一瞬だけ動揺を見せたもののすぐに微笑みを浮かべて、

「護衛管理官として、このたびの不手際について謝罪に参りました」

「どれについて言ってるのか判らん」

 ラドックはむくりと身を起こし、不愉快そうに不遜な視線をマディルへと向けた。さすがに上半身裸のままというのもよろしくないので、リルファは続き部屋のクロゼットを開き、着替えの一そろいと共に黒いシャツをラドックへと手渡す。

 相手が誰であったとしてもそうなのだろう。

ラドックは憮然としたようすのまま、その場でシャツに頭を通した。

「クラウス・ヒューのことです。

貴方に対して剣を抜いた――立派な不敬罪、および反逆行為だ」

 その言葉に、リルファは大きく瞳を見開いた。

勿論、昨日のことは承知している。だが、自分の代わりに護衛任務についていた人間が、まさか主へと剣を向けているなどとは承知していなかった。

――護衛対象への抜刀……果たしてそれがどれ程重い罪であるのかを思い、リルファは身を震わせた。

「彼は現在、軍の独房に送致してあります。

守るべき護衛対象へと行った行動に……謹慎程度では済まされないとは熟知しております。上からの達しでは、貴方のお気のすむようにということでしたので」

――ひやりと血の気がひいていく。

 そんな台詞、猫にネズミをどうする?と聞いているようなものだ。

散々追いかけ、引っ掛け、転がし、ねぶり倒してその命を奪い去り、あふりと欠伸一つで放置する。

ラドックは唇を持ち上げ、ニヤリと笑みを刻んだ。

「その意味が、判ってるのか?」

「承知しておりますが、できれば寛大な措置を……」

 マディルの言葉に、ラドックは口を開いた。

黒い悪魔が次に何を言うのか想像はついたし、またその言葉にマディルが頭を垂れて従うのは目に見えていた。

 だからリルファはとっさに声を上げてしまった。

「掃除の手伝いをしてもらいましょう。

調剤室、薬草園、執務室、すべてやるのはなかなか手がかかりますからね! 立派な罰則でしょう!」

 二人の、四つの瞳がリルファをひたりと見た。

マディルは驚愕したように、そしてラドックは冷たく。

 ラドックがもう一度その薄い唇を開くより先に、もう一度リルファは言葉を重ねる。

「かまいませんね? ラドック様」

「――ああ、勝手にしろ」

 それきり、ラドックは興味を失ったようだった。

寝椅子から立ち上がり、前髪をかきあげながらリルファの横を通過してその奥にある執務室へと入っていく。

「リルファ、食事を何か運んでくれ」

それだけを残してぱたりと扉は閉ざされた。

しんっと、部屋に静寂が落ちる。

そして、それを破ったのはマディルの大きな溜息だった。

「デイラ護衛官」

「はい」

「いろいろと問題はありますが、貴女が彼の護衛官としてやれているのは事実です。それに、今回の件はおそらく貴女でなければクラウス・ヒューを救うことはできなかった。礼を言いますよ」

 ふっと、マディルの口元に微笑が浮かぶ。

「まったく、最悪は軍事法廷もなく薬殺を覚悟していたというのに、まさか罰掃除で済ませるとは思いませんでしたよ」

「ラドック様は面倒臭がりですから、考える時間を与えずに畳み掛けるのがコツです」

 ぐっと拳を掲げての力説に、マディルは微笑み、ふいにリルファの頭にぽんっとその大きな手をおいてくしゃりと撫でた。

 少し照れたリルファに、だがマディルはすぐにその表情を引き締める。


「貴女も気をつけなさい。

今回のようなことがあった場合、貴女を救える人間はいない。私がかばったところであの男がおとなしく従うとは思えない。

貴女を生かすのも殺すのも、あの男の手の内にあるのだと自覚なさい」

 ぴしゃりと叩きつけられ、リルファは唇の端を引きつらせながら「肝に銘じさせてもらいます」と小さく応えた。

「デイラ護衛官、食事を取りにいくのでしょう?

その間は私がここにいますから、その間にいっていらっしゃい」


マディルはころりと表情を柔和に変え、リルファを促した。


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