召喚契約
突然現れたフェレットをがしりと掴み取り、ファウリー・メイは期待に満ちた眼差しで担当教官であるハービィ女史を見た。
そしてこの場の判断を任されているハービィ女史は決して同席しているレイシェンを見ようとはしなかった。
彼女の中には葛藤があった。
それは今までの人生の中でも十指に入る物凄い葛藤だ。
ファウリー・メイは召喚士として決して無能ではない。
その秘めたる能力は未だ開花されていないけれど、決して無能ではなく、今回の特別処置は本当に、ありえない程の破格の処置だ。
彼女の能力を殺してしまわないように。
――あの子がいると給食費が安く済む。
何度も何度も学園長はことあるごとにそう口にする。
そして教職員の食事は豪華にもなる。せんだってはおいしいロブスターを真っ二つにしてオーロラソースを乗せて焼いたものが実に絶品であった。
それもこれも、この黒髪の風変わりな娘のおかげ。
だが、今ここで言っていいものだろうか。
そのフェレット――残念ながら上から落ちて来ただけよ。
そう勤続ン十年のベテラン教官であるハービィにはきちんとソレが召喚によって出現したかどうかということを理解していた。
残念なことに、めちゃくちゃ嬉しそうにファウリーが握り締めて振り回しているその尾の長い生き物は……照明器具から落ちて来ただけだ。
ファウリー・メイの近くにいたレイシェンは知らないが、少なくともハービィにはそれが召喚されたものであるかないかは理解できているし、何よりその二つの目でしっかりと目にしていた。
突然上からしゅたっとおりたつひょろ長い生き物を。
「先生っ。これで合格ですよねっ」
きらきらと瞳を輝かせるファウリー・メイ。
決して逃すものかとしっかりとフェレットを持つ彼女に期待に満ちた瞳。
ハービィは厳格な教諭である自分に誇りを持っている。
ならば言うべきだ。
――ファウリー・メイ。この召喚は無効です。三度目の召喚をしてみてください。それで召喚獣が出現しないのであれば、残念ですがあなたには召喚科からの転科を命じます。
「ファウリー・メイ」
「はい、せんせいっ」
「……よくやりました」
ハービィは声を絞り出し、全ての事柄から背を向けた。
ハービィには判っていた。
この場に学園長がいたとしても、きっと同じことを言っていただろう。
「学園がもの凄く助かるのです!」
……そう、世の中に魔属性のない生き物を召喚できる者など、いない。
たとえ単純なネズミの召喚といえど、わずかなりとも魔属性のものしか召喚できない。
ファウリー・メイはその法則を全て無視する、ある意味超天才的な召喚士なのだから。
ハービィは厳格な教師だ。
決して、次はアワビの踊り焼きが食べたいなどと思ってはいない。
***
「おーれぇーは、ねずみじゃねぇぇぇぇ」
ぐるぐるに目を回していたフェレットだったが、突然覚醒した様子で思い切り叫んだ。
ネズミを召喚したと喜ぶファウリーが、決して逃がさないようにしっかりと握りこんだまま嬉しそうに「名前考えなくちゃー」とやっているところで、とうとうネズミ――ことフェレット形態の悪魔は爆発したのだ。
「今までの魚は喋らなかったけど、さすが魔獣っ。喋れるっ」
「喜ぶなっ、糞ガキっ」
自分を掴んでいる手をがぶりと噛んでやろうと思い切り体をよじると、ひょいっと首根っこを掴まれた。
「ファウリー、さっさと逆召喚して元の場所に戻しなよ」
ぶらんとフェレットをぶらさげたレイシェンが言えば、ファウリーは慌てた。
「え、やだっ。せっかく召喚したんだからっ」
「こんな魔獣、いつまでも召喚していたらファウリーの体にだって負担だよ?
召喚した獣は召喚主の生態エネルギーを媒体にしてここにとどまっているんだから」
もっともらしく言うレイシェンの言葉に、ファウリーは一学年の頃に習った箇所思い出した。
「でも、別にこれといって何も感じないし」
それもその筈。
そのイキモノはもう何年もの間ファウリーの生態エネルギーを食べて生きている。
日常と変わらぬ現状は、ファウリーにとって何の負担にもなっていなかった。
「とにかく、さっさと送り返して」
「やだ」
ファウリーはぐいっと乱暴にレイシェンの手からフェレットを奪い返すと、早口で唱えていた。
「我が声に導かれ訪れし闇の魔獣よ、我が名はファウリー・メイ。
偉大なる召喚師にして汝の主なり。ここに名を与え真なる契約を結ぶものなり――」
半ば自棄で口早に叫ぶと、ファウリーはフェレットの鼻頭に唇を押し当てた。
途端にフェレットは自らの内で血が渦巻く感覚を覚え、卒倒した。
名を与える!?
冗談じゃっねぇっ。
召喚主であるファウリーに名を付けられてしまえば、それはすなわち、本・契・約!
「汝が名は、名前、なまぇぇぇ、えええええっと、えっ、あ、もういいや。
あ、あ、あーちゃんっ?」
超適当!
しかも疑問系。
強制力の強い契約に体全体に圧力を受けながら、フェレットこと悪魔は――「ざぁぁぁけぇるなぁぁぁぁ」の悲鳴と共にその身に刻印を刻みつけられた。
何よりも強い誓約という刻印。
「あーちゃん? あーちゃん? なんだその適当な名前はっ」
あーちゃん確定!