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召喚試験

ぱちぱちと瞬く目を凝視し、ファウリーはやっとそれを理解した。

まるきり親しげにひらひらと手を振ってくる割烹着にマスクマン――垂れ目の男は、右手人差し指でマスクを引きおろして「昨日はどうしたんですか?」と、籠の中にごんごんっとイカを放り込んだ。

 そうか……変態とか変質者じゃなくて、学園に在籍している料理人でしたか。

では、あの自分の口を塞ぐように「判りませんか?」などと言っていたのは、マスクの真似で、鞄から引っ張り出したのは仕事の時に着用している割烹着。


色々駄目な変態バリエーションを妄想してしまったとをファウリーは恥じた。


「――もしかして本当に判らなかったんですか? ほぼ毎日挨拶しているのに」

 あきれ返る口調で言われたが、割烹着にマスクをしている人間など、ソレを外してしまえばまったく判るものではないだろう。

 ファウリーは腹立たしさを覚えたが、ほぼ毎日言葉を交わしていたことじたいは事実であった為「すみません」と一応誤っておいた。

 判るわけないでしょ! 

このボケナスっ。


 と、子供の頃であれば怒鳴っていたところであろうが、さすがにレイシェン以外の大人の男を怒鳴り散らしたことはない。


 そして本日「トーラル」という尾のふっさりとした狐のような魔獣を召喚するべく召喚術を行使した挙句、しっかりと赤点を申し付けられた蟹を前に、イラっときた。

 三匹の蟹はあっという間に割烹着の二人組みに確保された。やたら足が長くて、生徒の数名が「うぎゃー」と騒いでいた大きな蟹だが、三匹程度では生徒達のお昼としてまかなえないのだろう、割烹着のもう一人が、あからさまに「ちっ、しけてるなー」と口にしていたのをファウリーはしっかりと耳にいれている。


――もしかして、そんな気はしていたが、ファウリーの魚介類シリーズはめちゃくちゃ給食費を浮かせる為に活用されだくった挙句、アテにもされているようだ。

「その蟹、どうなるの?」

「あ、ファウリーさん食べます?」

「いらないけど」

 魚介類ではなくてむしろ肉が欲しいお年頃だ。

「三匹ですから、教職員の食事ですね」

 あっさりといわれ、ファウリーは頭を抱えたくなった。

こんなにも学園に貢献しているというのに、自分はといえば落第寸前のありさまだ。そう、落第。もう「魚介類以外を召喚しろ」という学園長の言葉の締め切りがやってくる。

指定されている日付は無かったが、中等科二年も終わりを告げようとしている。

 ファウリーは暗澹たる気持ちで肩を落とした。


 放課後、一人残るようにと告げた教諭の眼差しは、哀れを示す色を濃くしていた。

毎日のように恐れていた、その日がとうとう来てしまったのだと――ファウリーにも判っていた。



***


キンクマ――クロ――はハっと息を吸い込んだ。

「うーっ、ちくしょうっ」

また、まただ。

ほんのちょっとした時間に、思わず考えてしまうのは以前目撃したものだった。

部屋の片隅にある寝台に座るファウリーと、それに覆いかぶさるようにして一瞬だけ――唇を触れ合わせたレイシェン。

 ほんの一瞬、ただかすめただけの唇。

ファウリーはびくんっと身をすくめたが、ただ驚いただけでこれといった反応を返すこともなかったし、レイシェンにいたっては、ちっともそのことに触れることもしなかった。


 自分の目で見ていなければ、本当にソレは起こった事象であるのかも怪しい程だが、悪魔は確実にソレを見てしまっていた。

 なぜあんなことをするのだろう。

悪魔は人間界に来て長いが、そのへんをうろうろとしている訳ではない為、男女間の機微には生憎と疎い。

 ただ、レイシェンがファウリーに触れるのはおもしろくない。レイシェンはあれいらいなんとなくファウリーに触れる回数が増えた気がする。

 おかげでなんだかもやもやとしっぱなしだったが、悪魔は眉を潜めてじっくりと考えた。

 

唇で確かめる行為……口。

そこでやっと悪魔は理解し、ぽんっと閃いた。

「レイシェンの野郎っ、ファウリーを食う気だなっ」

 味見か!


ぐっと小さな手を握りこみ、悪魔はむむむっと唸り声をあげた。

 むしろ悪魔がファウリーを食べたい。頭からばりばりと食べてしまえば、この場所に悪魔を縛り付けるものはなくなってしまうのだ。だが、大前提として「召喚主を殺害」することはできない。

 なんというジレンマ!

だからこそ、ファウリーに日々嫌がらせをして楽しんでいるのだが。


 ファウリーは実にうまそうだ。

まず、あの体液が甘い香りを発している。甘くてとろりとしていて、考えただけで口腔に唾液が溜まってしまう程だ。

 他の人間の血とは確実に違う。

キンクマ悪魔は学校の中庭の木の上で短い足を組みながら、ふつふつと怒りをかきたてていた。

 ファウリーは自分の獲物だ。

レイシェンなどに食われてしまってはたまらない。

それにしても、人間は人間を食うとは侮れない。人間を食べるのは悪魔や魔獣だけかと思っていたが、さすがレイシェンは良く判らない生き物だ。もしかしてあいつも悪魔なのではないだろうか。

 そう思えば、あのねちっこい感じの他人が嫌がることをやる様子は納得すらできる。


うんうんとうなずき、短い足を組みなおそうとしたが、キンクマ悪魔はごろりと転がってしまい、危うく木から落ちそうになった。

「……てか、この格好飽きた」

 何故ずっとキンクマなのかといえば、ただ単に思考回路が少しおかしいからだ。ふっと間があるとどうしてもファウリーに覆いかぶさるあの腐れ外道が浮かんでしまう。そうすると、怒りより腹立ちより――何故か虚無が襲うのだ。


魂が空っぽになるように。


そもそも、悪魔に魂などあるのか無いのか判らないのに。

 悪魔はまたしても不毛な思考に陥りそうになり、ぷるりと身を震わせ、今度は胴長の生き物にすることにした。


――人はそれを、フェレットという。


***


「実質、これは最終テストです」

実習担当のハービィ女史はやけに生真面目な口調で言った。

「ファウリー・メイ。魚介類でなければ何でも構いません。基礎課程の第一項――ネズミでもいいのです。召喚してみなさい」


放課後の召喚実習室には、何故かハービィ女史と――隣の医療塔にいる筈のレイシェンまでいて、ファウリーは思い切り相手をにらみつけた。

「先生っ。どうしてレイシェン先生がいるの?」

 一応、学校内では先生という名称必須。

思い切りイヤだが。

「ファウリー・メイ。普段の実習はレイシェン・ガードナー教諭に見てもらっているのですよね? あなたの心が落ち着くように、今日は来ていただきました」

「いつも通り――ではまずいかもしれないけれど、ゆっくりやってごらん」

 物分りの良い大人の顔で微笑むレイシェンを前に、ファウリーは口元を引きつかせた。


――ちっとも心が落ち着かない。


「今回は特別に三回召喚して構いません。いいですか、ファウリー・メイ――この措置はあくまでも、特別なのですよ」

 厳格なハービィ女史は言うと、ぱしりと机を叩いた。

「おやりなさい」


 リノリウムの床には、召喚術用の魔法円が基礎部分だけ記されている。

それに更に術式を組み込み、呪文を加え、用意されている薬草や魔法道具を合わせていく。そう、基礎は完璧なのだ。もう幾度も幾度も繰り返し、ここまでは何も考えなくともできるくらい、基礎は完璧。

 しかし、一回目の召喚はものの見事に失敗。

現れたのは冗談のようなはりせんぼん……ハービィ教諭は「食べられないわね」と小さく呟き、レイシェンは「ぷふっ」と噴出し、腹部に手を当てていた。


二度目。

はじめと同じ手順で、心の中で一生懸命ネズミを思う。ネズミ。ネズミ。このさいハムスターでも何でもいいのにっ。

 苛立ちと焦燥に、ここに――自分の血を垂らしたいという強い欲求がよぎった。

今まで、手ごたえを感じた時は決まって自分の血を使ってきた。今日だって、召喚用液の中に血を垂らせば、いつもよりも精度があがる筈だ。

きっと。


 ファウリーはぐっと眉を潜め、ちらりとレイシェンを伺った。

――そっと呪文にかぶせて自然な動作で指先で唇にふれ、歯先で指を傷つける。傷みに顔をしかめて、口の血の味が広がった途端、


「ファウリーっ」

怒声にファウリーはびくりと身をすくませ、レイシェンは大またで近づくとファウリーの手を強く掴み、冷ややかな眼差しでねめつけた。

「ガードナー?」

「すみません、ちょと。怪我をしたようです」

 レイシェンは厳しい口調で言い、乱暴にファウリーの手を引き上げてそのまま――ぷくりと血が盛り上がる指先を、ぱくりと自分の口にくわえこんだ。

「なにすんのっ」

 ぎゃあっとファウリーが声をあげ、手を引き戻そうにもレイシェンはびくともしない。

強く指先を吸い上げ、おまけとばかりに指の輪郭を舌先で撫でる。

「ほら、完治」

 やっと自由になった手を守るように抱きしめ、ファウリーはわなわなと震えた。


「な、なっ」

「今は大事な時間だろう。一番早い治療だよ――傷跡も無いだろ」

 身をかがめ、レイシェンはひたりとファウリーを見た。

「ずるは駄目だ。そんなことで召喚できたとしても、ハービィ女史にはばれるし。ぼくも許さないよ」

 更に言葉を重ねようとするレイシェンを無視したのは、羞恥心からだった。

ズル――たしかにずるいことをしようとした。血を使ったからといって召喚できるとは勿論限らない。

 けれど、藁にもすがるような気持ちでズルをしようとした。


 ファウリーは乱暴にレイシェンを押しのけ、そのまま術式を完結させた。

もう駄目だ。

もう、無理だ。

自分はきっと召喚術士になれない。

もともとはレイシェンの鼻を明かしてやろうという理由だった。そんな理由だったから、罰が当たったのかもしれない!


 ファウリーはぐっと唇を噛み「いでよ、野に数多の眷属を持つ知能ある生き物!」と半泣きで叫んだ。


***


 我ながらハリセンボンはなかなかいい選択だ。

食えないし、滑稽だし。嫌いじゃないね。

悪魔は天井に吊るされているランプの上でてしてしと前足を動かした。

あやうくランプが揺れそうになるくらい、面白い。

 今日でやっとこの八年間の復讐が完結する。

ファウリーは三回とも魚介類を召喚し、そして召喚士の道は閉ざされるのだ。

召喚門はきっちりと閉ざしてある。

その上で嫌みったらしく魚を出してやる俺様超やさしー。


ざまあみろ!


……きっと、あいつはまた枕を抱いて泣くだろう。

声を殺して、肩を震わして。

だが、ここで復讐の手を緩めてなんてやらないぜっ。

俺にはやらねばならぬことがあるっ。


二度目は、そうだな――ハリセンボンときたらフグか? いやいや、ここは思い切ってぬめっとしたアンコウとかはどうだろう。

 ぬるぬるとして不細工で思い切り可愛いヤツだ。

 長い尻尾をふわふわと動かし、ニヤニヤと口元を緩めていた悪魔だったが、ふいに鼻腔をくすぐった香りに身をすくめた。

 甘くて、甘くて、どうしようもなく身を震わせる香り。

慌てて視線を下げた途端、悪魔のつぶらな瞳に飛び込んだのは、またしてもレイシェンだった。


レイシェンがファウリーの指先を――食ってやがる!


あの野郎。また味見かっ。

しかも、あの甘い血をっ。


 かぁっと頭に血が上っていくのを感じ、悪魔は思い切り爪を引き出した。

ファウリーがレイシェンを突き飛ばすが、そんなものでは生ぬるい!

この俺様じきじきに引っかいてやるっ。


ランプから颯爽と降り立った悪魔だが、おりた途端に掴まれた。


「ねずみーっ!」


はぁぁぁぁっ?

何言ってんだちきしょうめっ。

離せっ、離しやがれこの馬鹿ファウリーっ。




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