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召喚……?

「相変わらずドブネズミみたいな髪ね。いい染料でも紹介しましょうか?」

 腕を組むようにしてふんっと鼻を鳴らすニナには特徴がある。

決して他の人間の前ではそんな台詞を口にしたりしないし、言う時は決まって――坂道の下。

 どうやら一度坂道の上からファウリーを押して怪我をさせたことをそれなりに気にしているらしい。

気にするくらいならもう止めればいいのに――

ファウリーは内心で「またか」と呟き、ニナを避けて歩こうとした。


「無視する気? 生魚のファウリー」

「へんなあだ名つけてるのってまさかニナじゃないでしょうねっ」

 さすがにカチンときてしまった。


ナマザカナって、何だってそんなおかしな名前にするんだ。

「あーら、生魚がお気に召さないのであれば、魚介類のファウリー」

「……」

 屈辱。

ファウリーは口元がひきつるのを感じた。

できるならば軽やかに相手を無視して通り過ぎたいのだが、ニナときたら行く先を塞いでいるし、言われたくないことをべらべらと喋り続けている。


「あんたがぎりぎり落第しないのは、食堂のおばちゃんに気に入られてるからって噂は結構信憑性が高いわよね」


――違うわよ。


と、実は結構言い切れない為にファウリーはぐっと言葉を詰まらせた。

召喚実習で魚介類を出すファウリーは、課題をこなせないという点で確実に落第候補生だったが、それでも召喚することができるという能力を買われて、ギリギリ落第せずに今年二年への進級を果たしていた。

 学園長じきじきに言われてしまったのだ「本来であれば、課題をこなせていないのだから落第と言われてもおかしくはないのです。けれど、ファウリー・メイ――あなたの能力は決して低いものでは無いという教員達の総意がある。今回は二学年に進級を許します」


ただし。

そう、ただしと学園長は続けた。

「今年度中に海鮮以外の生物を召喚しなさい。

そうでなければ、召喚師という道をすっぱりと諦めてもらうことになるでしょう」


 白髪のふくよかな女性学園長は結い上げた髪を一度撫でつけ、そっと溜息を落とした。

「あなたの海鮮召喚術は実にすばらしいものです。ただ、本来定められたものではないものを召喚することは大変危険を伴うと判断します。判りますね、ファウリー・メイ」


 あたしだって、好き好んで魚介類を召喚している訳じゃないわよ。

ちゃんと課題の通りに、小型魔獣のリリックス――手の平サイズのスカンクのような生き物――を召喚しようとした訳だし、その為の薬草も全てきっちりと計って間違わずに用意した。

 だというのに、出たのはサンマだった。


サンマ……旬のサンマはとっても美味しいですね。

あたしだって大好きだ。


「今日出た学食のサンマ、あんたが出したってもっぱらの噂よ」

 ニナが勝ち誇った調子で言うが、それもまた事実なのでファウリーはぐぐっと拳を硬くした。

 サンマが大量だったわよ!


 床の上をぴちぴちと飛び跳ねるサンマの体はたった今海から無理やり引っ張って来られたという様子で傷ひとつなく銀色の艶やかさ。

 きっと市場に出せばなかなかの高レートでさばけると思われるが、ファウリーの実習中は食堂の下っ端が何故か待ち構え、嬉々としてその魚を回収していった。籠で二つ分。


――毎度毎度、扉のところで大きなケースを抱えてまっているあの男はいったい何者っ。

嬉しそうにニコニコと「ファウリーさんっ」とかほざいているあの料理人が憎い。

 ファウリーはぎりぎりと奥歯をかみ締めた。

「なんとか言いなさいよ、魚屋ファウリー」

「レイシェンに振られたって本当?」


――よし。


 ファウリーは「覚えてなさいよーっ」と叫んで逃げていくニナを冷たく見送り、深く深く、嘆息した。


 何故魚介類しか召喚できないのか。

それは心底自分が知りたい謎だ。

先日もぱぱであるパードルフに泣きついてみたものの、パードルフ自身が理解できないと苦笑した。

「ファウリーは才能があるよ。それは間違いない。けれど力のコントロールが難しいのかもしれない」

 このままでは召喚師としての免状を受けることはできない。

この先もずっと、ずぅっと監督官がいる場でしか召喚ができないのだ。


 ファウリーは一定の速度で歩いていた足を速め、逃げ込むように自宅の玄関を入るとそのままの勢いで階段を駆け上り、三階の自分の寝台に飛び込んだ。

 悔しくて嗚咽が漏れる。

才能はあるのだと、皆が言う。

才能はある――けれどそれだけだ。


 能力のコントロールができなければ、召喚師として認めてはもらえない。

認められなければ、召喚術を行使することは許されない。それをすれば――即刻牢獄に入れられてしまうのだ。


「どうしてよぉぉっ」


 子供の頃から自分は天才だと信じていた。

いつかそのうちにコントロールが利いて、きちんと召喚を行えると思っていた。


それが――いつの間にか十六歳。


 ファウリーが声を必死に殺して肩を揺らし、泣く様子を、本棚の上から真っ黒い毛玉が見下ろしていた。


ざ・ま・あ・み・ろ。


 ケッと喉の奥を鳴らしながら、それでも悪魔はなんだか居心地の悪い感情に眉を潜めた。

ファウリーが泣いている。

 それは自分が望んだ光景だ。

八つのガキの分際で、大悪魔である自分を召喚しくさった糞ガキ。その糞ガキに復讐する為に今までせっせと下らないことに精を出してきたのだ。

 どれくらい下らないかといえば、いちいちファウリーが作り上げる召喚門を押さえ込み、出てこようとする魔獣ではなく海産物シリーズをかわりに召喚してやるという親切の押し売りだ。

 下らないことは重々承知している。

下らないからこその復讐なのだから。


 そうして、その復讐が実り、ファウリーが泣くのは心の底から歓迎してしかるべきだ。

 ファウリーが召喚術を行使するたび、せっせと繰り返した日々はこの涙の為ともいえる。


オレ様すげぇい。


「……」


 くふっと喉の奥で嗚咽を繰り返し、枕に顔を押し付けて小刻みに震える十六歳の少女を眺めながら、本日は耳のでかいきつねのような格好に扮して尻尾でもって棚の裏の掃除に励んでいた悪魔は、その大きな耳がだんだんとへたりと沈むのを感じた。


***


「昨日はよくもやってくれたわね」

 相変わらずニナは坂の下にいる。

もういっそ趣味なの?

 ファウリーは冷たい眼差しで肩に掛かる鞄の重みを軽減するように、学生鞄の皮ベルト部分を握り締め、そっと嘆息した。


「訂正すると、何もしてないわよ。言っただけで」

「どうしてあんな酷いことが言えるのよっ」


いやいや、ニナ。

その発言はブーメランだから。

ものすっごい勢いで戻ってるから。


「あんたの趣味がものすっごく悪いのは判ったから、あたしに構うのやめてくれない? あたしだって好きでレイシェンの隣に住んでる訳じゃないし」

「なんて罰あたりなっ!」


罰あたりって……

「昔はっ、あんたがレイシェン先生の妹だからと思って優しくしてあげたのにっ」

 怒鳴るような言葉に、ファウリーは瞳を瞬いた。

 記憶をごそごそと探ると、確かに遥か大昔――ニナとは仲良く遊んだ時期もあったような気がしないでもない。

 言われれば「そうかな?」程度の記憶なので、「昔から意地悪だったよね」と誰かが訂正すれば「そうだね」と塗り替えが簡単な記憶だが。


「それは残念ね。あたしはあんな外面ばっかの男の妹なんて冗談じゃないけど」

「誰が妹になりたいって言ってるのよっ」

 きぃぃぃっと怒るニナはそのうちに血管が切れるのではないだろうか。

ファウリーはやれやれといつも通りにその脇をすり抜けようとしたが、本日のニナは怒り心頭らしい。

 がしりとファウリーの腕を掴んだかと思うと、今度は意地の悪い笑みを浮かべた。


「あんた、悪魔の子だっていわれてるの知ってる?」

「それは初耳だわ」

 おそらく言い出したのはニナだろうけれど。

「その真っ黒な目や真っ黒な髪! 悪魔の色だものねっ」


――別に黒は悪魔の色ではない。

ただ、いないだけ。

 黒灰の瞳に真っ黒い髪の人間は、この大陸にきっとファウリーだけだ。

子供の頃に幾度かパードルフに「何故自分だけ色が違うのか」と問いかけたことがある。


 パードルフはファウリーを膝に乗せ、その黒髪を指にからめて笑って見せた。


「ファウリーの髪はお母さんにそっくりだよ。とても綺麗な人でね。誰より強くて、誰より自信満々で――腰まである黒髪が艶やかで、オレはあの人が大好きだよ」

「じゃあ……お父さんは?」

 おそるおそるたずねると、途端にパードルフは不機嫌そうに瞳を眇めた。

「さぁ。知らないんだ。気づいたらあの人はファウリーを抱っこしてた。抱っこして、自分の宝物だと言っていたんだ」

ぎゅっとファウリーを抱きしめて、パードルフは明るい口調で言った。

「ってことで、あんまり腹立たしいからファウリーを貰ってきちゃった。そのうちにあの人が怒り狂って追いかけてくるかなって思ったんだけど――やっぱり色々難しいのかな」

 遠いから。

くすくすと笑うパードルフに、ファウリーは小首をかしげた。

「あの人が迎えに来たら、ぱぱがどれだけファウリーを愛してるか、あの人を愛してるかちゃんと説明してね? じゃないと俺殺されるかもしれないし。何より――」

 パードルフはちゅっとファウリーの額に口付けて、とっておきの喜びを分け与えるかのように囁いた。


「あの人が来たらもう二度と離さない。ずっと一緒にいてもらうんだ。そしたら、あの人と、オレと、ファウリーでちゃんと家族だね。ぱぱはパパになっちゃうね」


――あの時聞いたことは、あまり考えたくない。


 もしかしてそれは誘拐と定義されるのではないだろうか、とか。

深く考えると色々とまずそうなので、ファウリーは「いつものぱぱの冗談」として流すことにしている。


「聞いてるの、ファウリー?」

 不機嫌そうなニナの台詞に現実に戻され、ファウリーは嘆息した。

「悪魔でも何でもいいわよ。あたしはこの辺りの子供じゃない。レイシェンの妹でも、ぱぱの娘でもない。それで? それがどうかしたの?」

「っとに、可愛くないっ。本当に悪魔なんじゃないの?」

 

 ニナの激昂などいつものことで、ファウリーはふんっと顔をそむけて行こうとしたのに――顔を向けた先に人がいるとは、思わなかった。

ばふりと鼻から人にぶつかった。それは無様に。


「悪魔悪魔とうるさいガキだな」

「なっ」


 ぶふっと勢いをつけてぶつかってしまった相手を見上げ、ファウリーは黒灰の瞳が零れ落ちるのではないかという程見開いていた。

「黒髪黒目がなんだっつうんだよ、このタコ。

世間にはもっと奇抜な色がわんさかいるぞ。

毎日毎日、ガキは家帰って勉強でもしてろ」

 言われたニナも瞳を見開き、ついで本当に悪魔にでもであったかのように悲鳴を上げて逃げ出した。


 逃げ出したい気持ちは良く判る。

黒髪に黒灰の瞳を持つファウリーはこの辺りではもう認知されている。

いまさら、ニナのようにうるさく言ってくるものはいないし、何よりファウリーの保護者であるパードルフは有名で有力者で、そして厄介な相手であるから誰も好き好んで喧嘩を売ったりなどしない。

 けれど、やはりこの国で黒髪は異質だ。

ファウリーは自分と同じ黒髪を持つ青年をじっと見つめ「あ、ガイジン」とつぶやいた。

 それと同時に、やっぱり自分は「ガイジン」なのだという思いが飛来したが、それより先に手は動いていた。


「あのっ」

 がしりと相手のシャツを掴みあげると、それまで唇を尖らせていた黒髪の青年が、ギョっとしたように飛び退ろうとしたが、ファウリーに掴まれていた為に阻まれた。

「うわぁっ」

 相手のあまりの慌てっぷりにファウリーまでおかしな声があがりそうになったが、ファウリーは更に手に力を込めた。


「この間、会った人ですよねっ」

「なっ、なっ、うぉぉぉっ、俺何してんのぉっ」

 黒髪の青年は卒倒するような声をあげ、必死にファウリーの手を引き剥がして逃れようと暴れた。

「あのっ、ありがとうっ」

 ファウリーの口をついて咄嗟に出た言葉は、何に対してのありがとうだったのか――先日、手を舐められたのはお礼を必要とする事柄であるのか、それとも今……今はかばわれたのだろうか。

 

 まるで猫に見つかってしまった鼠のようにとびはね、ファウリーの手が離れた途端駆け出して行ってしまった相手に、ファウリーは落胆しながらそれでも必死に「あたしファウリーっ、あなたはっ」と名を尋ねてはみたものの、返ってくるものは無かった。


当然だ。

黒髪黒瞳を持つ悪魔には未だ名は無い。


***


 ぎょぉぇぇぇぇぇぇぇっ。


 悪魔は一足先にファウリーの部屋に飛び込み、ぼふんっとその姿を最近気に入りのイモリに変化させ――どっからどう見てもヤモリなのだが、家守などという名前は悪魔的に縁起が悪いのでイモリ――自分を落ち着かせる為に冷たい窓にぺったりとひっついた。

 小さな心臓が激しく鼓動している。

ドクドクドクドクという心音を間近で感じながら、うぉぉぉっと気分だけ頭を抱えた。


 何だって俺様ってばファウリーの前に立ってるんだよ。

駄目だろぉ。駄目だってばよ。

 ファウリーが虐められていようと俺には関係ねぇってのに。

無意識の行動にあうあうとうめいていると、遅れて帰宅したファウリーが自室に入り、鞄を机に投げ出し、そのままの勢いでばったりと寝台に身を投げ出した。


「うわぁーっ、すごい。やっぱり強く願えば叶うことってあるのね。

忘れないように日記に書いておかなくちゃっ」

 ぎゅうっとレイシェン作の枕を抱きしめて、ごろごろと寝台で転がるファウリーの様子を視界に入れて、先ほどまで動揺していた悪魔は――


 悪魔は――え、なにこいつ?  

なにヘラヘラしてんだよ。キショっ。


と、別の意味で冷静さを取り戻した。


勿論――この日の日記を盗み見て冷静さなど吹き飛ばす男がどこかにいるのだが、それはまた後日。



 

 


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