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ウィル・ヒギンズが観察中

ウィル・ヒギンズがナシュリー・ヘイワーズという存在をはじめてその視界にいれたのは、彼女が軍務試験にパスして三ヶ月の研修期間に入った頃のことだろう。

 女性登用は少なく目立つ、それに何より彼女は男達の間である種の話題をさらっていた。


――でかい胸が。


 ウィル・ヒギンズは別段性的嗜好は一般の部類だと思っている。胸がでかかろうが尻がでかかろうが、何がどうというものでは無い。それに女性という生き物に対してはあまり良い印象はもっていない。

 それは彼の兄が女性に関係するトラブルを力いっぱい弟であるウィルに丸投げした結果、知らぬ間に汚名を流布されているだけだったが、日々の積み重ねにより彼は「女性とは近づきたくないものである」と自らの中に沈殿していく思いを放置した。

 その近づきたくない存在である女性が自らの補佐官として任官したのは、まさに晴天の霹靂というものだった。

 かなり「うらやましい」とやっかまれたものだ。

むしろ変わっていただいていいのだが、人事部の知人は「ああいうのは台風の目になっても困る。女癖の悪い男に預ける訳にもいかないのだから、おまえが一番無難だろう」と苦笑していた。

 仕事上といったところで女性との付き合いなど不安と不満しかなかった。


 といったところで何がどう変わるものでもなかったが。


 ナシュリーとは仕事上でしか接点もなく、ウィルは会話を楽しむ性質ではないしナシュリーもぺらぺらと喋る人間ではない。

 一月も共に過ごせば、まるで空気のようにナシュリーという存在がそこにあるのは当然のようになった。

 彼女は黙々と仕事をこなしていくウィル同様、仕事はただ淡々と処理していく傾向があり、女性という細やかさなのかウィルが次に何をしようとしているのかを察知して先手を打って必要なものを用意してくれる。

 便利なアイテムのように普通にそれを受け入れられるようになるのに、さほど時間を必要とはしなかった。


 ナシュリーと仕事を共にすれば、自らの仕事も以前よりスムーズに進むことに慣れてくる。その余裕から、ふっとウィルはナシュリーを改めて見る時間ができた。


 身長は一般的な女性にしては高いほうだろう。だが、身長百八十のウィルとはそれでも相手の旋毛を見つけられるくらいの身長差がある。

 体にぴったりとした軍服は胸元がやけに目立つ。

そのことにはじめて思い当たり、そういえばそんな噂があったと思い出す。そう、その程度だった。

 直接じろじろと見るのではなく、半眼を伏せて観察しているとナシュリーが微笑むのがわかった。

「新しい資料が必要でしょうか」

 ナシュリーはそつのない女性だった。

どんな時も丁寧に接し、微笑み、動く。道端で卑猥な言葉を向けられた時に遭遇したことがあるが、ナシュリーはそれをやんわりとかわしていた。

 相手の男に対して不快な思いを抱いたが、受けるでなく悲しむでなくさらりとそつなくかわすのを見て安堵するような気と共に、その笑顔を惜しんで欲しいという奇妙な気持ちを抱いた。

 ナシュリーの微笑みは媚へつらうものではなく、あくまでもふわりとさらりとしたもので人の心を穏やかにしてくれる。だからこそ、世の男共は気安く彼女に声をかけるのだ。だがそれは良くない。相手の男が勘違いしてしまえばそれは彼女の害にしかならないだろう。

 上官としてそれは許容できることではない。

一度彼女にはもう少し自衛について話しあうのが良いように思うが、仕事の話しかしたことがない自分達だからどう話をふって良いものか。



それにもう一つ、気にかかるのは上官から命じられた特別任務のおりに入れ替わった兄のこと。

 

 ウィルとワイトは双子であるという特性を生かし、時折上官に別任務を任せられることがある。それを逆手にとり、ワイトは上官にねじこんでウィルと入れ替わり自分の仕事をウィルに任せることもある。

――つまり、彼等は時折自分達の場所を入れ替わることがあるのだ。

 今まで細心の注意をもって幾度か行われていたそれが災いすることはないだろうと思っていたが、にわかに不安を覚えるようになった。

「ナシュはかわいいなぁ」とクっと喉の奥でワイトが笑った為だ。

 ナシュが誰を示すことだか判らなかった。

何故なら、ナシュリー・ヘイワーズはウィルにとって「中尉」であるのだから。今まで名前をはっきりと認識することもなかった。


「なんだい、おまえはナシュの名前も判らないのかい?」


 ワイトは呆れた様子で肩をすくめてゆっくりといいなおした「中尉だよ。ナシュリーというんだ。親しい友人はナシュ、もしくはナッシュと呼んでいる。ああ、勿論私はそんな風には呼んでいないよ? 私は上官、ウィル・ヒギンズだからね」思い出し笑いをする兄は緩く腕を組んで壁に背をあずけ、首をかしげた。

「あの子ときたらとびっきり性格が悪いに違いないよ」

 その意見はまったく意味不明だった。

何故なら、ナシュリーはいつだって柔らかく穏やかな笑みを浮かべている。命じれば何でも端的に返事を返し、きびきびと良く動く。

 そのナシュリーの性格が悪い?


ワイトは時折とても不可解だ。

 しかし、ワイトは人の本質を見極めるのが得意だ。

その為に一本の針が刺さるようにその言葉はウィルの胸に残った。


 その後も幾度かワイトと入れ替わりをしてみたが、そのつどワイトは機嫌が良くなった。

一度などはまさか自分と入れ替わることでおかしな真似をしているのではなかろうかと危ぶみ、こっそりと仕事中の彼等を覗きにいったこともある。

 だが、その風景はいつもの自分とナシュリーのそれと変わらなかった。ただ黙々と書類を処理し、そして部下に指示を与える自分――に扮したワイトと、それの補佐をするナシュリー。

 だがわずかに浮かんだ苛立ち。


ナシュリーがやんわりと微笑みを向けているのはウィル・ヒギンズに対してのものだ。


 何故か胸のうちでそんなことを呟いた気がする。

あそこに座っているのはウィル・ヒギンズ。いつもと変わらない自分。

ワイトは以前と同じように完璧にウィル・ヒギンズを演じている。何の問題はなかった。


「うちに連れてきなよ」


 あまったるい珈琲の入ったカップを手に、ワイトは悪戯をたくらむ顔で言った。

「何の話だ」

「中尉だよ。ワイト・ヒギンズに紹介してくれよ」

 馬鹿げた話だ。


 自分達が双子だと知られるのはどう考えても良くない。これからの仕事に支障がでるだろう。秘密裏に命じられている内部調査などもあるのだ。ナシュリーにばれるようなことなどできよう筈がない。

ワイトだとて理解しているだろうに。

眇めた視線で無視をした。

 ワイトが時折りふざけることは理解している。なんといっても母親の腹の中からの付き合いだ。きっと自分達を見極めることのできないナシュリーを前に新しい遊びでも思いついたのだろう。

 そんな兄をウィル・ヒギンズは無視することにした。


 そんな折りに数日の間二人で行かねばならぬ出張話が浮上した。

別段それは構わない――問題は、その日はワイトに以前から入れ替わろうといわれていた日だということだ。

 ワイトは確実にナシュリーで遊ぼうと思っている。それはひしひしと感じているのだから、そんなワイトと女性副官を二人で出張などさせて良いものか――無理だ。それでなくとも元々のワイトといえば女性に対して無礼な振る舞いをすることがあるのだから。


「この週末は入れ替わる約束だったろうに」


 突然予定をかえられたことにワイトは憤りを見せたが、なんとか説き伏せた。

翌日から入れ替わり、ワイトの仕事をこなし――そして出張の当日、朝っぱらからウィル・ヒギンズが知らされた「事実」はウィルの脳裏を真っ白に塗り替えるものだった。


――ナシュちゃんの処女はいただいた。むっちりおっぱいご馳走様。


 咄嗟に信じられないような悪態が口をついた。到底女性の前で吐き出していいような言葉ではないが、そんなこと頓着されるものではない。

 ぶわりと血が逆流するような気持ちと共に、その時にやっと……そうやっと。


――ナシュリー・ヘイワーズは自分にとって不可欠な存在だ。


そのことに気付いた。

 それまで意識していなかったのではなく、意識しないように勤めていただけだ。

部下なのだから。自らが庇護するべき相手であるのだから。極力見ないように勤めていただけに過ぎない。

 正面からはじめて見た途端、血が一点に集中してしまった。

意識した途端、もう視線を合わせることすら脅威となった。

ワイトがその場にいれば絞め殺してやったろう。

 だから咄嗟に言ったのだ。

「結婚しよう」と。

だが彼女はそれを受け入れはしなかった。「そんなことは何でもないことだ」と。

 憤りと吐き気とが自分の体内を巡り、その日一日最悪な気分でどうにも処理できず、相手にも優しい気持ちを抱くことはできなくなっていた。

 無理に馬を飛ばし、温和なナシュリーに諫められるまで彼女の身を気遣う気持ちさえどこか遠くに飛ばしていた。


――いいや違う。彼女を抱いたのはワイトではなく、ウィル・ヒギンズだ。

 そう結論づければ自分の内部が少しだけ落ち着いた。彼女が抱かれたのはワイトではなく、ウィルであった筈だ。ならば自らが責任という名のもとに彼女を引き受けるのは当然だろう。


――だが、結局それはただのワイトの悪戯であることが知れた。

 はじめてナシュリーに怒られたが、それはそれで可愛かった。

 

 意識してしまうと困ったもので、それまで胸に興味がなかったというのにワイトのおかげであの胸が気になって仕方なくなってしまった。

 視線を合わせることも出来ず、視線は下がってしまう。下がってしまうとあの胸があるのだ。

気にするなというのも無理がある。

これはつまりワイトが悪い。

そう、ワイトが悪いのだ。

 ワイトのおかげで自分の中でにわかに信じがたい程の独占欲が芽生えてしまった。



 相変わらずナシュリーはウィルの言葉に微笑みをくれる。

思い切って伝えた「専任でいて欲しいわたしだけのあなたでいて」という言葉は激しく勇気を必要とするものであったが、彼女は微笑んで受け入れてくれた。

君が足りない(さみしかった)」と伝えた時も宥めるようににっこりと微笑んでお茶をいれてくれた。

さすがに職場で押し倒す訳にはいかないが、そろそろ二人の関係を進展させる頃合だろう。


――さて、どうしよう。



 

 


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