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ウィル・ヒギンズの観察記録6

 ほんの意趣返し――

ナシュリー・ヘイワーズは上官であるウィル・ヒギンズに扮したワイト・ヒギンズの前ににっこりと微笑んで紅茶のカップを置いた。

 勿論、ウィル・ヒギンズはミルクも砂糖も使わないのだから、ソーサーの上には味気ないという理由だけでティ・スプーンのみ。

 なんといってもウィル・ヒギンズはどっかの誰かのように甘党ではないのだから砂糖など必要はない。


「どうぞ」

「――」

 

さぁ飲みやがれ。


 ぴくりと眉毛の辺りを一旦痙攣させ、けれどワイト・ヒギンズは慇懃な調子で「ありがとう」と返事をするとソーサーごとカップを引き取り、その香りを楽しむように胸元に運んだ。


 ナシュは内心でこれが逆ならば面白いのにと多少残念であった。紅茶はそのまま飲もうと思えば飲めるだろう。だが珈琲であれば違う。もしワイトが紅茶に角砂糖四ついれて飲む人間であれば、珈琲を砂糖、ミルクなしで飲むことはさぞ困難なことだっただろうに。


だが知るものか。

ワイト・ヒギンズ? そんなヤツは知らん。


「中尉」

 一礼してそのまま自分の席に戻ろうとしたところでワイトがゆっくりと声をかけた。

「なんでしょうか」

「……いや、いいんだ。すまない」

 砂糖が欲しいですか?

せめてあまったるくしたいですか?

むずむずと問いかけたいと口元が歪んだが、ナシュは平然と相手を見つめ返した。


相手はしばらくじっとナシュを眺めていたが、やがていつもの――ウィル・ヒギンズのように平坦な表情で紅茶を口元に運び、そしてもくもくと合同演習の為の資料に視線を戻してしまった。


 ほんの意地悪のつもりだったが存外楽しいものではなかった。

だが、その後二日の間ナシュは同じことを繰り替えした。すなわち、ワイトだと気付いていないフリを遣り通した訳だが、相手はそれを純粋に信じた訳では無かったようだ。


「中尉」

 かたりと紅茶のカップをワイト・ヒギンズの前に置くとワイトはじっとその紅茶のカップを見つめ、やがてゆっくりとした口調でナシュを呼んだ。

「なんでしょう」

「内密の話がある」

ちょいちょいっと指先で招かれ、ナシュは眉を潜めたものの大仰なテーブルをまわり、ワイトの横に立つと相手の囁きを拾う為に身を屈めて指示を待った。

「何か?」

「――そんなに私に構って欲しいとは、気付かなくてすまなかった」

 言葉にした途端、ワイトはぐっとナシュの襟首を掴んでその耳たぶに歯をたてた。

「つっ」

 小さな痛みに怯んだところで慌てて身を起こし「ワイトさんっ」と怒鳴りあげてナシュは自分の失態に気付いて呻いたが、あとのまつり。

 ワイトは一瞬つめたい眼差しでナシュを睨み上げ、ふっと口元に笑みをはいた。


「意地悪だな、ナシュ。私だと判っていてせっせと嫌がらせかい?」

「……」

「そんなところも可愛いね」

 ぶわっと鳥肌が全身を駆け巡り、ナシュは勢いをつけて飛び退ったが相手はどこ吹く風の様相で足を組みなおして命じた。


「珈琲」


 ゾーキン絞るぞこの野郎っ。

わなわなと小刻みに震えてぐるりと身を翻したナシュの背に、ワイト・ヒギンズは軽やかな口調で言葉を続けた。

「悪いがこれからは君が運んできたもの全て毒見はしてもらうつもりだ――おかしな小細工はしないように」


角砂糖二つ先に入れてやる!

甘さの前に敗北しろ。


***


 結論だけ言えば、ワイト・ヒギンズの舌は馬鹿に違いない。

角砂糖6つも溶けた――というか底のほうなどどろりと微妙に溶け残っている――珈琲をまったく気にせず飲んでいた。

 あの男の血はきっと砂糖成分でできている。

蟻にたかられてしまうがいい。


「どうかしたかね、中尉」

 しばらくぶりでウィル・ヒギンズを目にしたナシュは自分の目頭が熱くなる程嬉しかった。

 朝、ウィル・ヒギンズの執務室で一礼し、上着を受け取りながら大きく安堵の息をつく。その吐息が気に掛かった様子で、ウィル・ヒギンズは眉間に皺を刻みこんだ。

「いいえ。このところお忙しそうでしたが、お元気そうで良かったです」

 詳しく尋ねてはいないが、今回数日にもわたって入れ替わっていたのは軍内部の内部調査の為だとワイト・ヒギンズが口を滑らせていた。そんな極秘裏の仕事をこなしているからこそ、この双子が入れ替わっていることを上層部は黙認しているのだ。

 ウィル・ヒギンズはじっとナシュの胸元を見つめているが、そんなこともまったく気にならない。この数日のワイトとの微妙な空気を思えば何のそのだ。


 ワイトはまるで擬態したイキモノのようだ。

静かにもくもくとウィル・ヒギンズを完璧にこなしているというのに、時折思い出すように自分はワイト・ヒギンズだという存在を知らしめる。

 うっかり気を抜いてウィル・ヒギンズに対するようにすれば、途端に足元をすくおうと動くのだ。

 何がしたいのか判らない――

どんな時も気が抜けないというのが数日続けば、この慇懃な上官が戻ってくれた事実は実にありがたい。

 ナシュは満面の笑みを浮かべて、

「紅茶をいれましょうか」

と、上着をハンガーに掛けてくるりと振り返ると、思いのほか近い場所に未だウィル・ヒギンズが立っていてナシュは思わず「うっ」と呻きそうになってしまった。


 ウィル・ヒギンズの手がするりと腰に回り引き寄せる。

とんとんっと肩甲骨の辺りを軽くたたき、ウィル・ヒギンズは低く耳元で囁いた。

「君には本当に苦労をかける。すまない」


 礼を言うのはいい。

その気持ちを表すのは結構なことだ。

だがそこまで大げさにする必要は絶対に無い。

 自分とウィル・ヒギンズは上官と部下に過ぎない。そうだ、そうだろう。それ以外の何ものでもない。

 硬直するナシュを手放し、ウィル・ヒギンズはさっさと自分の席に戻っていった。

まるで何事も無かったかのように。


いや……そうだ。何事も無かったに違いない。

今のは上官が下士官を労う極一般的な抱擁――ハグだ。ウィル・ヒギンズとハグ! なんとも滑稽な気がするが、これは一般的なことだ。

 ただの(ねぎら)い。それ以上でも以下でもない。

「中尉? どうかしたかね」

「……いえ。いいえ、何もございません」

 そう、何もない。

ナシュはいつも通りの微笑を浮かべ、一礼してその場を離れた。


まったく問題ナシ。

そう、まったく問題はない。



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