はろうぃん
突然首の裏、襟の辺りをつままれてあたしは「うなぅっ」と鳴きながらじたばたと足を動かした。
「とりっく・おあ・とりぃぃぃと」
うふぅっと謎の吐息を落としつつ、ぶらりとぶらさげた白猫相手ににんまりと笑ってみせる黒紫の巻き毛のアンニーナに、あたしは思い切り顔をしかめた。
「何してんの、アン?」
「いやぁね、ハロウィンに決まってるでしょ」
って、いつもと同じ格好だから決まってるって言われても判る訳がない。しかも、レイリッシュのように三角帽子をかぶって黒いドレスを着ている訳でもないアンニーナときたら、一見すればただの娼館のねぇちゃんに見える。
ふわふわの巻き毛――魔法でセットするのではなくて、いちいち自宅にいる色男下男にきっちりと巻かせるらしい――に胸元を強調する真っ赤なドレス。サイドにはスリットが入り、絹の靴下やら生足かってくらいのバリエーションのみ。
「どこがハロウィン仕様?」
「馬鹿ねぇ。私は魔女なんだから、どんな格好していようと魔女なのよ。それに、あんたは観察眼が駄目ね。そんなんじゃあたしの男にはなれないわよ」
いや、なんであたしがあんたのオトコになんなきゃいけないんだよ。
何故か胸を張るアンニーナは片手で自分の耳に下がるピアスを弾いてみせた。
……かぼちゃ。
金色のかぼちゃのデザインのピアス。
言っとくけどね、そのピアスでハロウィンって気づくような男はあたしの周りには居ないと断言してやってもいい。絶対に大雑把なロイズは気づかないだろうし、エイルなんて気づいたところで無視するだろう。
「それに、今日のネイルはハロウィンカラー」
「はいはい」
あたしはげんなりとしつつ、ぶらんっとぶらさげられている現状がイヤでぶるりと身震いするようにして人の姿へと変化した。
途端にいつも居るんだかいないんだか判らないうちの蝙蝠が追従するかのように変化し、ぼわんっとあたしの背に張り付いた。
「あら、あんたの蝙蝠ってばまだ魔導師の顔じゃないの。あんたも好きねぇ」
「いやいや、好きでその顔させてる訳じゃないってば」
何よりその話題は駄目だ。
魔術を紐解くだけなのだから、本来であれば大元の顔を忘れたところで問題が無い筈だというのに、あろうことか――なんか微妙に違うのだ。違和感ばりばり。
もっとのほーんっとした、もしくはのぺーんっとした顔だったと思うんだけどね。色々いじくっていたら、のっぺらさんになってしまったのでシュオンは相変わらずエイル仕様だ。
「あ、でもそれっていいわよね」
ふいにアンニーナはにんまりと唇をゆがませ、あたしの背後に張り付く似非エイル――三割増しアホ増量をじろじろと眺め、ぱちりと指を鳴らした。
「いやぁん、似合うわ魔導師」
「何するんですかぁっ」
シュオンがわたわたと慌てているが、あたしはべりりとシュオンを自分から引き剥がし、ふむっとその姿をじっくりと観察してしまった。
はっきりいって趣味がおかしいアンニーナにしては上出来の部類だろう。
エイル吸血鬼バージョン。
蝶ネクタイに真っ黒いマントといういかにもわかりやすぅい感じの吸血鬼。
「ってか、考えてみればシュオンってもともと蝙蝠じゃないの」
「でもぼく血ぃ吸い系じゃないですしぃ」
そう、シュオンは蝙蝠だけれど血は吸わない。
フルーツを主な主食としているのだ。魔獣、もしくは使い魔としての自覚が足らん。気合で血ぐらい吸ってみろ。
「マスター、マスター、似合います?」
ばさばさとマントを羽のように広げてみせるシュオンに、あたしはいつもと同じように「はいはい」と適当に相槌を返してやった。
途端にシュオンの顔――三割り増し残念エイルが破顔する。
うおっ、なんかキショイ。
思い切り鳥肌がたってしまった。
あああ、早くコレの顔なんとかしないと。もういっそのことそのへんの村人Aさんとかを見本にしちゃえばいいような気がするけどね。
「ブランっ、お菓子要らないからさ、ちょっとコレ貸してよ。なんなら、うちの鷹貸してあげるから」
「あー、別にいいわよ。でも鷹ってちょっと怖いし、なんならうちの蝙蝠永久――」
「ひどいっ、ひどいですよっ。ぼくは身も心もマスターのものなのにっ。勝手にやりとりしないでくださいよぉぉぉ」
びゃんびゃんうるさい蝙蝠をアンニーナに押し付け、あたしは「そかー、今日はハロウィンだっけ」とにんまりと口元を緩めた。
魔女にとってはやっぱりハロウィンってのは特別なお祝いよね。
何より、「悪戯されたくなければお菓子をよこせ!」なんて、なんて素敵なフレーズ。勿論悪戯だってやりたいし、お菓子だって大歓迎だ。
あたしはとんっと床板を蹴った。
勿論――こういう時にからかう相手は決まっている。
***
「つーまーらーなーいぃぃぃぃ」
あたしはがっくりとうなだれた。
現在絶賛仕事中であるロイズ・ロックときたら、あたしが突然その背後に現れ、定番の台詞を口にした途端に菓子をひょいと出した。
バスケットひとつ分。
「ほら。ちゃんと座って食べろ。飲み物は果実水がいいか? 紅茶?」
「……いや、んー……お菓子は嬉しいんだけどね」
この反応がつまらんわー。
もっと嫌そうな顔したりさ、追い出すような素振りとかされたら面白いのにさぁ。この準備万端待ってましたっていう感じはどうなの?
どうなのさっ。
警備隊の隊舎内――ロイズは自分の執務用の机に向かって本日の報告書に一枚一枚目を通していたようで、苦笑しながらあたしの頭をなでた。
まったく、いつまでたってもチビブラン相手にしているような態度ってちょっと腹立つ。
あんまり腹が立つものだから、あたしはぼふりと自分のサイズをチビサイズに切り替え、ロイズの膝に乗っかり嫌がらせ全開で菓子の包みを解き始めた。
「ブラン、ちょっと仕事ができない」
「しらなーい」
知るか、ボケ。
「職場なんだぞ、ここは」
「しーらーなーいー」
あたしは言いながら口の中にボンボンを放り込んだ。
熊は苦笑をひとつ落とすと、あたしの体をちょっとだけずらして自分の仕事をやりやすいようにと画策してみるが、当然そんなの許す訳がない。あたしは更に邪魔をしてやろうと、もうひとつ菓子の包みを解いてロイズに差し出した。
「はい、どーぞ」
ほら、どうだ。
こうなったらとことん邪魔してくれる。
悪い魔女ブランマージュを舐めるでないわ。こちとら嫌がらせのエキスパートですよ。
当初の――トリック・オア・トリートなどなんのその。菓子も悪戯もあたしの本領でございますよ。
親指と人差し指でつまんだボンボンをずいずいと口に押し付けてやると、実は甘いものが苦手なロイズが渋々という様子で口を開いた。
途端に、あたしはむぎゅりと口の中にぼんぼんを詰め込んだ。
ちょっと指先舐められたけど構うものか。
相手の嫌がることは大好物です!
「くそっ、職場で鼻血がでたらどうしてくれる」
ぼそりとつぶやく熊の言葉に、あたしは心の中で高らかに勝利宣言をしていた。
くははははは、ざまぁみろぉぉぉ。
「あのな、ブラン」
「んー?」
なによ?
機嫌を良くしたあたしがロイズを見上げると、ロイズはふいに眉間に皺を寄せた。
「――ハロウィンだから来たんだよな?」
「当たり前でしょ」
「じゃあ、もしかしてエイルのところとかも……いくつもりか?」
なんだか口調が固いが、あたしは顔をしかめた。
「もう行った」
「行ったのか?」
「それ以上聞かないでくんない? っとに、あいつってば腹たつぅぅぅぅぅ」
あたしはきぃぃぃっと怒りながら口の中に菓子を放り込んだ。
――トリック・オア・トリート。
あたしが言うより先にあのエロ魔導師ときたらさっさと口にした。
――トリック・オア・トリック。
本当に本当にほんっとうにっ、あのオトコときたらこっちの斜め上の思考回路をしくさってくれてむかつく。
絶対にいつかぎゃふんと言わせてやる。
ごめんなさいブランマージュ様って言わせてやるんだからっ。
覚えてなさいよっ。
「ブラン、えっと、エイルと何が」
「うーるーさーいぃぃぃ。御菓子がまずくなるっ」
あたしは真っ赤になりつつ、ばりばりと菓子の包装紙を破り捨てた。