第6章:神殺しの演算、雪解けの刻(とき)
氷原に、無数の拳の雨が降り注いでいた。
マーガレット(第三の魂)による『多次元同時攻撃』。
それは回避不可能な質量弾となって、李紅蘭の身体を容赦なく打ち据えた。
「がぁっ……あぁぁっ……!?」
紅蘭が悲鳴を上げ、地面に叩きつけられる。
彼女の完璧な演算機能は、3次元の理を超えた攻撃を処理しきれず、ショート寸前だった。
「どうした紅蘭! その程度か! 私の愛はまだ終わらないわよ!」
マーガレットが追撃の拳を振り上げる。
だが、その拳は振り下ろされなかった。
寸前で止まった拳の先で、ボロボロになった紅蘭が、虚ろな瞳で笑っていたからだ。
「……負け、ましたわ。美麗老師」
彼女の身体から、紫色の毒気が霧散していく。
「計算外……です。貴女が、理屈の通じない『怪物』になっていたなんて」
「怪物じゃないわ。愛の戦士よ」
マーガレットは拳を下ろし、ふんと鼻を鳴らした。
闘気が消え、いつもの少女の姿に戻る。
「……アンタがどんなに強化されても、魂が入ってなきゃただの人形よ。今のアンタの拳には、あの時の『毒』のような熱さすらないわ」
†
一方、スカーレットの戦場は限界を迎えていた。
「ハァ……ハァ……ッ!」
スカーレットは膝をつき、剣を杖にして辛うじて立っていた。
全身創痍。
魔法障壁は砕かれ、革鎧は切り裂かれている。
「立て、スカーレット!」
目の前には、無傷の父・ガルドが立っていた。
彼の表情は苦痛に歪んでいるが、その手は大剣を振り上げ、トドメの一撃を放とうとしていた。
「俺を殺せ! さもなくば、俺がお前を殺すことになる!」
横合いからは、元大悟が音もなく迫る。
「……終わりだ、玄雲。二つの魂を持て余したのが敗因よ」
必殺の掌底が、スカーレットの側頭部を狙う。
逃げ場はない。
防御も間に合わない。
スカーレットは死を覚悟し、目を閉じかけた。
その瞬間。
彼女の脳内で、劉玄雲の声が響いた。
『――待たせたな。計算、終わったぞ』
同時に、遠くで結界を張っていたセレスティアが、パチリと扇子を閉じた。
「解析完了ですわ」
カッ!!
スカーレットを中心に、幾何学模様の巨大な魔法陣が展開された。
それは攻撃魔法ではない。
劉の科学知識と、睡蓮の呪術理論、そしてこの世界の魔導技術を融合させた、対・超越者用の遮断プログラム。
「術式展開――【世界隔絶結界】ッ!!」
劉とセレスティアの声が重なる。
展開された結界は、霊峰だけでなく、この世界(惑星)全体を薄い皮膜のように包み込んだ。
それは物理的な壁ではなく、「通信妨害」の膜。
高次元から送られてくる超越者の干渉波を、完全に遮断する絶縁体だ。
ブツンッ。
世界から、不快なノイズが消えた。
「……な?」
ガルドの大剣が、スカーレットの鼻先で止まった。
元大悟の掌が、空中で静止した。
セレスティアと対峙していた童満の怨霊たちが、霧のように消え失せた。
「……身体が、軽い」
ガルドが剣を取り落とす。
カラン、と乾いた音が響く。
彼の瞳から、先ほどまでの殺意の光――超越者による支配の色が消え、本来の温かな色が戻っていた。
「成功したか……」
ガルドはその場に崩れ落ちそうになる身体を支え、目の前の娘を見た。
「スカーレット。……無事か?」
「パパ……!」
スカーレットは剣を捨て、父の胸に飛び込んだ。
温かい。
鎧越しに伝わる体温は、記憶の中の父そのものだった。
「見事だ、玄雲」
元大悟もまた、穏やかな顔で頷いていた。
「力でねじ伏せるのではなく、理を以て戦いを制するとは。……ワシが教えた以上の高みに達したようだな」
『……師匠。あんたにそう言われるのを、ずっと待ってた気がするよ』
スカーレットの口を通して、劉が感無量の声を漏らす。
干渉を断たれた「端末」たちは、その存在を維持できなくなっていた。
彼らの身体が、足元から光の粒子となって崩れ始めていく。
「お別れの時間みたいだな」
ガルドがスカーレットの頭を撫でる。
「泣くな。俺たちは幻影だ。だが、お前への愛だけは本物だった。……それだけは忘れるな」
「うん……うんっ……!」
スカーレットは子供のように泣きじゃくりながら、何度も頷いた。
遠くでは、紅蘭がマーガレットに微笑みかけていた。
「……今度こそ、さようならですね、老師」
「フン。地獄で待ってなさい。私が寿命で死んだら、また喧嘩しに行ってやるから」
マーガレットはそっぽを向きながら、流れる涙を拭おうともしなかった。
セレスティアの前では、童満が不満げに舌打ちしていた。
「ケッ、しらけるねぇ。……ま、次はもっとマシな地獄で遊ぼうや、睡蓮ちゃん」
「お断りですわ。貴方は一人で孤独に朽ち果てなさい」
セレスティアは冷たく、しかしどこか寂しげに見送った。
光が強くなる。
吹雪が止み、雲の切れ間から太陽の光が差し込んだ。
その光の中で、愛しい過去たちは優しく微笑み――そして、風と共に消え去った。
後には、ただ静寂だけが残された。
それは、長く苦しい戦いが終わり、新しい時代が始まるための、清らかな静寂だった。




