第2章:改良された毒華、慟哭の剣
極寒の霊峰「白銀の牙」。
その氷原は、いまや三つの異なる死闘の舞台と化していた。
マーガレットは、かつての恋人・李紅蘭と対峙していた。
「……久しぶりね、紅蘭」
マーガレットは、チャイナドレスのスリットから覗く白い脚を惜しげもなく晒し、独特の構えを取った。
彼女の背後には、金色の闘気が揺らめいている。
「あの時は、随分と熱烈な『お別れのキス(毒酒)』をくれたじゃない」
李紅蘭は、艶然と微笑んだ。
その美貌は生前と変わらない。
妖艶で、どこか危険な香りを漂わせる「毒の華」。
「あら、美麗老師。まだ根に持っていらしたの? 貴女ほどの達人が、あんな子供騙しの毒で死ぬなんて……私の方が驚いたのよ?」
「うふふ、言い訳はいいわ。……身体で払いなさい!」
ドンッ!! マーガレットが雪原を蹴った。
音速を超える踏み込み。単純な直突きだが、その拳には空間を歪める「次元干渉」の魔力が乗っている。
だが、紅蘭はそれを紙一重で躱した。
柳のように体をしならせ、マーガレットの腕に絡みつくような動きで力を流す。
「相変わらず、直線的で愛らしい拳ね」
「ハッ! 褒め言葉として受け取っとくわ!」
ドガガガガガガッ!! 氷原に衝撃波の嵐が吹き荒れる。
マーガレットの剛拳と、紅蘭の柔拳。
同門であり、師弟であり、かつて肌を重ねた恋人同士。
互いの手の内は知り尽くしている。呼吸のタイミング、癖、思考のパターンまで。
(……ああ、これよ)
拳を交えるうち、マーガレットの瞳孔が開いていく。
脳髄から快楽物質が溢れ出す。
愛する者と殺し合う背徳感。
そして何より、自分と対等に渡り合える「強者」との命のやり取り。
彼女の中の「陳美麗」という人格は、生粋の武人であり、戦闘狂だった。
前世での死因は毒殺だったが、もしあの時、毒ではなく真正面からの戦いを選んでいたなら、自分は喜んで紅蘭に首を差し出したかもしれない。
それほどまでに、この瞬間は甘美だった。
「いいわよ紅蘭! 最高よ! 私の動きに付いて来れるのは、世界でお前だけ!」
マーガレットは恍惚とした表情で拳を振るう。
次元破砕の連打。空間ごと相手をミンチにする絶技。
紅蘭は舞うように回避し、隙を見て鋭い掌底を打ち込んでくる。
楽しい。
永遠にこのまま踊っていたい。
マーガレットが陶酔の極みに達しようとした、その時だった。
ズンッ。
重い一撃が、マーガレットの鳩尾に突き刺さった。
「が……っ!?」
呼吸が止まる。
速い。あまりにも速すぎる。
自分の「次元干渉」による防御障壁を、物理的な速さと貫通力だけでブチ抜かれた?
マーガレットは雪上に吹き飛ばされ、数回バウンドして止まった。
「……かはっ、げほっ!」
口から血を吐き出す。
何が起きた? 紅蘭の技量は知っている。彼女は「柔」の使い手だ。
あんな岩盤を砕くような剛拳は、彼女のスタイルじゃない。
顔を上げると、そこには涼しい顔で佇む紅蘭の姿があった。
息一つ乱していない。汗一つかいていない。
(……変だ)
戦闘狂の熱が冷め、冷徹な分析思考が戻ってくる。
生前の紅蘭は、確かに天才だった。だが、陳美麗より強くはなかった。
技術では拮抗していても、身体能力と魔力量の総量では、圧倒的に自分が上だったはずだ。 なのに、今の彼女は――。
「……お気づきになりましたか?」
どこからともなく、声が響いた。
不愉快なほど礼儀正しく、粘着質な男の声。
執事スミスだ。
先ほどスカーレットに斬首されたはずの彼は、紅蘭の影から、あるいはこの空間そのものから「音声」として語りかけてきた。
『彼女は、貴女の記憶にある「李紅蘭」のオリジナルデータ(・・・)を元に再現された端末です』
「……だから何よ。幽霊ごっこは趣味じゃないわ」 『ですが、ただの再現ではありません。我々「運営」の手によって、最新のバランス調整が施されております』
スミスの声が、楽しげに弾む。
『筋繊維密度300%増強。
反射神経速度500%向上。
魔力回路は「超越者」様の直結ラインにより無限供給。
さらに、貴女の「次元拳」への対抗アルゴリズムもインストール済みです』
紅蘭が、無表情に構え直した。
その動きからは、先ほどまでの「人間味」や「感情」が消え失せ、精密機械のような冷たさだけが漂っていた。
『つまり、彼女は「李紅蘭」であって「李紅蘭」ではない。
貴女の知る愛弟子よりも、遥かに強く、遥かに完成された……上位互換モデルなのですよ』
マーガレットの視界が、絶望の白に染まっていく。
†
一方、その数メートル先では、紅蓮の炎と鋼鉄の嵐が激突していた。
ガキィィィィィンッ!!
スカーレットの「柳方流」と、ガルドの剛剣が交差する。
父の大剣は、岩をも砕く重さでありながら、風のように速い。
「くっ……!」
スカーレットは父の剣を受け流しきれず、氷上を滑るように後退した。
手首が痺れている。 (……強い。記憶にあるお父様よりも、ずっと)
「どうしたスカーレット! 剣が軽いぞ!」
ガルドが笑う。豪快で、温かく、そして圧倒的な「父」の顔で。
彼は大剣を片手で振り回し、追撃を加えてくる。
「ヴァーミリオン家剣術・剛の型・三番――『崩山』ッ!」
上段からの唐竹割り。
シンプルゆえに回避困難な、純粋な力の奔流。
スカーレットは回避を選択するが、衝撃波だけで吹き飛ばされそうになる。
「……上手くなったな」
剣を収め、ガルドが呟いた。
その瞳には、娘の成長を喜ぶ確かな慈愛があった。
「俺が教えた基本を大事にしつつ、劉殿の技術も取り入れている。……いい剣士になった」
「……パパ」
スカーレットの胸が締め付けられる。
昔と変わらない。
頭を撫でてくれた、あの大きな手。
だが、その手は今、自分を殺すための凶器を握っている。
その時、スカーレットの耳に、先ほどのスミスの「ネタ晴らし」が風に乗って聞こえてきた。
『――上位互換モデルなのですよ』
スカーレットは息を呑んだ。
目の前の父を見る。
異常なほどの魔力出力。
老いを感じさせない肉体。
そして、こちらの動きを先読みするかのような反応速度。
「……パパも、そうなの?」
震える声で問う。
「パパも……紅蘭みたいに、アップデートされてるの?」
ガルドの笑顔が、ふっと翳った。 彼は大剣の切っ先を下げ、悲しげに眉を寄せた。
「ああ、そうだ。……情けない話だがな」
ガルドは自身の胸に手を当てた。
「俺が死んだ時のデータ、記憶、人格……そして魔導士としての全盛期の能力。それら全てをかき集め、さらに『超越者』の力で底上げされている」
「じゃあ……パパの心は?」
「ここにある」
ガルドは即答した。
「俺はガルド・フォン・ヴァーミリオンだ。お前を愛しているし、お前の成長が嬉しい。……だがな」
ガルドの腕が、勝手に動いた。
大剣が構えられ、殺意の魔力が膨れ上がる。
「同時に、俺は『端末』だ。この身体に刻まれた命令には逆らえない。
俺の魂が叫ぶほどに、俺の肉体はお前を殺すために最適化されていく」
ガルドの瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。
それは氷点下の空気の中で、瞬時に凍りついた。
「逃げてくれとは言わん。……超えてみろ、スカーレット。 愛する娘を殺したくないと泣き叫ぶ、この愚かな父親を……全力で叩き斬ってみせろッ!!」
慟哭と共に、ガルドが踏み込んだ。
それは、愛ゆえに殺し、殺すゆえに愛する、矛盾に満ちた絶望の一撃だった。




