第4部 『白銀の追憶と、神殺しの演算式(アルゴリズム)』 第1章:極北の再会、凍てつく幻影
大陸の最西端へ向かう魔導船の船室。
スカーレットは、古びた革表紙の手帳を開いていた。
それは、亡き父ガルド・フォン・ヴァーミリオンが遺した「研究日誌」だった。
『……親父さん、やっぱり只者じゃなかったんだな』
脳内で劉が感嘆の声を漏らす。
手記に記されていたのは、領地経営の記録などではない。
この世界の魔力分布図と、そこに生じている微細な「ほころび(バグ)」に関する詳細な解析データだった。
「ええ。お父様は武人としても一流だったけれど、それ以上に『解析』と『索敵』のスペシャリストだった」
スカーレットは懐かしむようにページを撫でた。
ガルドは気づいていたのだ。
この世界には、自然発生したとは思えない不自然な魔力の歪みが存在することに。
そして、それが何者かによって意図的に「操作」されている可能性に。
手記の最後は、走り書きでこう締めくくられていた。
『西の果て、霊峰「白銀の牙」に、この世界の理を歪める根源反応を感知した。調査に向かう準備を進める。……だが、誰かに見られている気配がする。空から、じっと監視されているような……』
その直後だ。ゲオルグ・ヴァン・バルカスが狂乱し、ヴァーミリオン家を襲撃したのは。
「お父様は、真実に近づきすぎたから消された。……『超越者』に操られたゲオルグの手によって」
スカーレットは手記を閉じ、剣を握りしめた。
「行くわよ。お父様が見ようとした景色の、その先へ」
†
そして現在。
万年雪に閉ざされた伝説の霊峰「白銀の牙」。
スカーレットたちは、吹雪の中に佇む「氷の神殿」の前に立っていた。
「……ようこそ、私の最後のステージへ」
神殿の入り口で、執事スミスが優雅に一礼した。
彼の背後には、無数の「影」が蠢いている。
それらはかつてネオ・イザムバードを襲った七つの影の強化版であり、一体一体が戦略級の戦闘能力を有していた。
「『超越者』様が用意したこの舞台で、貴女たちがどれほど踊れるか……楽しみにしていましたよ」
スミスが指を鳴らす。
影たちが一斉に襲いかかった。
雪崩のような質量と殺意の波。
だが。
「……遅い」
スカーレットが呟いた。
剣を抜く動作さえ見えなかった。
ただ、彼女が歩いた軌跡に紅蓮の線が走り、襲いかかった影たちが一瞬で両断され、蒸発していった。
「なっ……!?」
スミスの余裕が消える。
「次は私ね!」
マーガレットが笑う。
彼女は雪面を蹴ることなく、空間そのものを足場にして跳躍した。
「次元破砕!」
彼女の拳が空を叩く。
それだけで衝撃波が拡散し、後衛に控えていた数百の影がまとめて吹き飛んだ。
「お酒が冷えて美味しいですわね」
セレスティアは戦場の中央で、優雅に杯を傾けていた。
彼女の周囲には、見えない結界が張り巡らされている。
スミスが放った影の刃は、彼女に届く前にすべて「千羽鶴」へと変化し、空へと舞い上がっていく。
「呪法・【風流転化】。殺意を芸術に変えるエコな術式ですわ」
圧倒的だった。
かつて苦戦したはずの影たちが、今の彼女たちにとっては準備運動にもならない。
『スミス、チェックメイトだ』
劉の声と共に、スカーレットの切っ先がスミスの喉元に突きつけられた。
「馬鹿な……。わずかな期間で、ここまで成長したというのですか……!?」
スミスは後ずさる。
彼の「計算」では、この戦力差はあり得ないはずだった。
「アンタが『駒』として弄んでいる間に、私たちは『人』として生きた。それだけの違いよ」
スカーレットは冷たく言い放つ。
「消えなさい、三流のゲームマスター」
紅の閃光。
スミスの首が宙を舞った。
彼の身体は影となって霧散し、雪原に黒い染みだけを残して消滅した。
あっけない幕切れ。
だが、誰もが知っていた。これが本当の終わりではないことを。
ゴゴゴゴゴゴ……!
霊峰が鳴動する。
スミスの消滅した場所から、どす黒い光の柱が立ち昇った。
そして、空から「声」が響いた。
『……失望したよ、スミス君。やはり端末には限界があるか』
その声を聞いた瞬間、スカーレットの心臓が早鐘を打った。
聞き覚えのない声だ。
だが、その声色は、なぜか懐かしく、そして泣きたくなるほど優しい響きを含んでいた。
『まあいい。君たちの成長には敬意を表そう。だからこそ、次は「本気」で相手をしようじゃないか』
光の柱の中から、三つの人影が現れる。
それは怪物でも、異形の神でもなかった。
中央に立つのは、使い古された革鎧と大剣を背負った、豪快な笑顔の男。
「……嘘」
スカーレットの剣が、手から滑り落ちた。
カラン、と乾いた音が氷原に響く。
「……パパ?」
そこに立っていたのは、死んだはずの父――ガルド・フォン・ヴァーミリオンその人だった。
「よう、スカーレット。大きくなったな。だが、まだまだ未熟だ。……父さんが鍛え直してやる」
そして、その右隣には、白い道着を着た小柄な老人が佇んでいた。
『……師匠、なのか?』
劉が絶句する。
それは、前世での劉の育ての親であり、武の師であった元大悟。
十代でその実力を追い越してしまった劉にとって、超えるべき壁ではなく、守るべき恩義の象徴だった人物。
さらに左隣には、妖艶なチャイナドレスを纏った女性が立っていた。
「久しぶりね、老師」
彼女は艶然と微笑んだ。
その手には、かつて陳美麗(マーガレットの前世)に毒を盛った酒器が握られている。
「……紅蘭!?」
マーガレットが叫ぶ。
李紅蘭。
陳の弟子であり、相思相愛の恋人だった少女。
だが、金銭の誘惑に負け、愛する師を殺めた裏切りの徒。
絶体絶命。
超越者が用意した次なる端末は、彼女たちが最も愛し、恩義を感じ、あるいは愛憎に囚われた「故人たち」だった。




