第10章:0.01ナノ秒の因果、抹消される悪意
戦闘は続いていた。
いや、それは戦闘と呼べるものではなかった。
一方的な蹂躙だ。
怪物が歩くたびに、物質が分解され、都市が地図から消えていく。
その光景を、離れたビルの陰から見つめる男がいた。
執事スミスだ。
要塞の崩壊から辛くも脱出した彼は、ボロボロの燕尾服で口元を歪めていた。
「……『超越者』様が遣わした『真実』……ここまでの出力とは計算外でした。ですが、我々の目的――世界のリセットのためなら、多少の荒療治も必要ですか」
彼は冷徹に、都市の破壊を「必要経費」として切り捨てた。
廃墟は拡大していく。
逃げ惑う人々の悲鳴が、風に乗って聞こえてくる。
「お姉様方! このままだと私たちの戦闘に人々が巻き込まれるわ!」
マーガレットが叫ぶ。彼女の拳は震えていた。
「やせても枯れても貴族の娘ね。……でも、なんとかしなくちゃ!」
スカーレットが唇を噛む。守るべき民を犠牲にして、自分たちが生き残るわけにはいかない。
その時。
セレスティアが、静かに前に出た。
彼女の黒髪が、根元から白く変色していく。
「……寿命を削るのは、肌に悪いですけど」
彼女は微笑み、両手で印を結んだ。
翡翠色の瞳が、神気を帯びて輝く。
「呪法奥義・【八百万・神縛・現世固定】ッ!!」
世界中から光が集まり、巨大な鎖となって怪物を縛り上げた。
時間にして数秒。だが、絶対的な自由を謳歌していた怪物にとって、それは永遠にも等しい屈辱だった。
「……馬鹿な。下等生物の呪法程度で、私を抑えることができるだと?」
怪物の顔に、初めて焦燥の色が浮かぶ。
『実体化したのが裏目に出たな!』
劉が叫ぶ。
『実体化したため、お前もこの世界の物理法則(理)に縛られたのだ! 破壊可能なオブジェクトとしてな!』
その隙を逃す三人ではない。
マーガレットの背後に、巨大な阿修羅の幻影が重なる。
第三の魂が完全に覚醒したのだ。
「お姉さま方。最後の攻撃を行います」
第三の魂の声は、冷徹かつ自信に満ちていた。
「次元の狭間を作るので、ほんのわずかな時間ですが、『悪意の真実』の防御障壁を完全に無力化します」
「どの程度の時間?」
スカーレットが剣を構え直す。
「そうですね。……0.01ナノ秒ぐらいです」
「ふ、それだけあれば十分だ」
劉が不敵に笑う。
『スカーレット、覚えているか? 俺をお前が認識した時……俺たちが初めてリンクした時に伝えたロジックを』
スカーレットは目を見開いた。
あの時。異世界から来た老人の魂を受け入れ、二つの人格が一つのシステムとして同期した瞬間の感覚。
「え? あれって……ただの同期信号よ? そんなに攻撃力なんて無いわよ」
『いいんだ。完全無力化した相手であれば、あれ(・・)の威力で十分以上だ。物理的な破壊じゃない。システム的な「強制終了」を叩き込む!』
「……分かったわ」 スカーレットは剣を正眼に構えた。迷いはない。
「お願い、次元の狭間を作って!」
「ええ、きっかり2秒後に発動します。……タイミングを合わせて!」
第三の魂がカウントダウンを開始する。
2。 1。 0。
「今よッ!!」
マーガレットの拳が空間を穿つ。
一瞬、世界から音が消えた。怪物の周囲の空間防御が、強制的に剥がされる。
その0.01ナノ秒の隙間に、スカーレットと劉の魂が一つになった剣閃が滑り込んだ。
「「システム・オーバーライド(強制執行)……!!」」
斬撃ではない。
それは、存在を定義するコードへの直接干渉。
劉の演算とスカーレットの魔力が、怪物の存在維持プログラムに「否定」のコマンドを書き込んだ。
「ガ……ア……ァァァ…………」
怪物は叫ぶことさえできなかった。
その美しい肉体にノイズが走り、ガラス細工のようにヒビが入る。
爆発も、衝撃もない。
ただ、「悪意の真実」は、その存在の根底から削除された。
静寂が戻る。
朝日が、瓦礫の山を照らしていた。
その光景を遠くから見ていたスミスは、瓦礫の陰で隻眼を細めた。
彼は舌打ちをするどころか、どこか楽しげに口元を歪めていた。
「……超越者の演算を越えただと? そんな馬鹿な」
サングラスの奥で、彼の瞳が異様な輝きを放つ。
それは敗北の悔しさではなく、未知の変数を前にした科学者の歓喜に近かった。
「ふ、ふふふ……面白い。これは計画を最初から見直さなくてはならないじゃないか」
スミスは踵を返すと、影の中へと溶けるように姿を消した。
次なるゲームの盤面を整えるために。
†
スカーレットたちは、糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
泥だらけの顔を見合わせ、三人はどちらからともなく笑い出した。
ひとしきり笑った後、マーガレットがぽつりと呟いた。
「……あーあ。お腹空いたぁ」
緊張の糸が切れたせいか、お腹の虫がグゥと鳴く。
「同感ですわ。……美味しいお酒が飲みたいです」
セレスティアが虚空を見上げながら、うっとりとした顔で同意する。
「火龍の涙」のボトルが恋しいらしい。
「私は……お布団が恋しいわ」
スカーレットが深く息を吐きながら言った。ふかふかのベッドで、何も考えずに泥のように眠りたい。
三者三様の癒しを求めるその声は、朝焼けの中に溶けていった。
それは、ネオ・イザムバードに訪れた、本当の夜明けだった。




