第6章:時計塔の支配者、逆流する刻(とき)
ネオ・イザムバードの中央にそびえる「セントラル・ギア・タワー」。
都市の全機能を制御する中枢であり、巨大な時計塔でもあるこの場所は、夜明け前だというのに不気味なほどの静寂に包まれていた。
カチ、コチ、カチ、コチ。
巨大な秒針の音だけが、侵入者たちの心臓を叩くように重く響く。
「……嫌な音ね」
スカーレットは塔の入り口で眉をひそめた。
「まるで、私たちの寿命をカウントダウンしているみたい」
「第四の影、『時の亡霊』」
スミスが重厚な扉を押し開けながら解説する。
「ここ数日、塔の整備士たちが次々と『神隠し』に遭っています。彼らは消える直前、無線でこう叫んだそうです。『時計が逆回りしている』と」
塔の内部は、無数の歯車が噛み合う巨大な迷宮だった。
床も壁も天井も、大小様々な真鍮の歯車で構成されており、それらが重々しく回転している。
『……おい、気をつけろ』
劉の鋭い声が響く。
『空間の歪みだけじゃない。ここ、時間の流れ自体が狂ってやがる』
その時だった。
頭上の巨大な歯車から、黒い「何か」が滲み出し、滴り落ちてきた。
ボタボタボタッ!
黒い液体は床に落ちると瞬時に凝固し、歯車を取り込んで人型を形成していく。
頭部は古時計の文字盤。両腕は鋭利な長針と短針の剣。そして胸部には、狂ったように回転する砂時計が埋め込まれている。
「ギギ……ギ……時間ヲ……ヨコセ……」
機械的なノイズ混じりの声。
第四の影が現れた。
「速攻で決めるわよ!」
スカーレットが地を蹴る。
瞬速の踏み込みからの抜刀。柳方流・『燕返し』。
神速の一撃が、影の胴体を両断――するはずだった。
キィィィィン……。
奇妙な逆再生音が響いた瞬間。
スカーレットの体が、不自然に後ろへと引っ張られた。
「なっ!?」
気づけば、彼女は「抜刀する前」の体勢に戻されていた。
目の前の影は無傷のまま。
「……巻き戻された?」
スカーレットが驚愕する。
「お姉様、私が!」
マーガレットが飛び出し、必殺の拳を放つ。
ドゴォォン!
影の顔面を粉砕――したかと思った瞬間、再び逆再生音が響き、マーガレットは殴る前の位置に戻っていた。
「ギギギ……無駄ダ……」
影が長針の剣を振り上げる。
スカーレットたちは回避しようとするが、体が重い。泥の中を動いているようだ。
「体が……動かない!?」
『くそっ! 俺たちの時間だけが遅く(スローに)されてやがる!』
影の剣が迫る。
回避不能。
その時、横合いから銀色の閃光が走った。
ガキンッ!!
影の剣を受け止めたのは、仕込み傘を抜いたスミスだった。
「……お下がりください」
彼は冷や汗一つかかず、人間離れした膂力で影と鍔迫り合いをしている。
「こいつの能力は『局所的な時間操作』。攻撃が当たる『結果』をキャンセルし、自分に都合の良い『過去』へ巻き戻しているのです」
「反則じゃないのよ!」
マーガレットが叫ぶ。
「どうやって倒せばいいのよ!?」
「理屈の上では無敵です」
スミスは淡々と言った。
「ですが、時間を操作するには膨大なエネルギーが必要です。奴の胸の砂時計……あれが力の源泉かと」
「あそこを壊せばいいのね! でも近づけないわ!」
近づけば時間を戻され、離れれば遅延をかけられる。
完璧な防御システム。
だが。
「あらあら、時間の迷子さんですか」
セレスティアが、ふわりと前に出た。
彼女の手には、酒瓶ではなく一枚の式札。
「時間を戻せるのは、あくまで『起きた事象』に対してだけ。……なら、『起きなかったこと』にすればいいのですわ」
セレスティアは札を放り投げた。
それは影に向かってではなく、あさっての方向――天井の巨大な歯車の隙間へ。
「呪法・【因果崩落】」
彼女が指を鳴らす。
パチン。
天井の小さなボルトが一つ、弾け飛んだ。
たったそれだけのこと。
だが、その小さな歪みは、隣の小歯車を狂わせ、中歯車を止め、そして――。
ガガガガガガガッ!!
轟音と共に、天井を支えていた巨大な主軸歯車が崩落した。
数トンの鉄塊が、影の頭上へと落下する。
「ギ……ッ!?」
影は反応した。時間を巻き戻そうとする。
だが、戻せない。
なぜなら、これは「攻撃」ではないからだ。
セレスティアは影を攻撃していない。ただ「天井のボルトを外した」だけ。
落下してくる歯車は、影にとって「無関係な事故」であり、因果関係が遠すぎて巻き戻しの対象として認識できなかったのだ。
ズドォォォォォォンッ!!
巨大な歯車が影を押し潰す。
胸の砂時計が砕け散る音がした。
「今よ、スカーレットちゃん!」
「ナイスよ、セレスティア!」
時間の呪縛が解けた瞬間、スカーレットは疾走した。
劉の演算が、崩落する瓦礫の隙間を縫う「最短ルート」を導き出す。
「時間は待ってくれないわよ!」
紅の斬撃一閃。
瓦礫の下で再生しようとしていた影の核を、スカーレットの剣が貫いた。
「ギャァァァァァ……ッ!!」
断末魔と共に、影は黒い霧となって消滅した。
「……ふぅ。一時はどうなることかと」
スカーレットは剣を納め、汗を拭った。
またしてもセレスティアの規格外な術に助けられた形だ。
「風が吹けば桶屋が儲かる、ですわ」
セレスティアは悪戯っぽく微笑んだ。
「お見事です」
スミスが傘を閉じ、拍手をする。
その隻眼は、瓦礫の山となった時計塔内部を見渡し、微かに細められた。
「これで四つ。……ですが、妙ですね」
「何が?」
「この時計塔は、都市の魔力制御も兼ねています。これほどの騒ぎがあれば、管理者であるアレクセイ公爵が感知しないはずがない」
スミスは天井を見上げた。
「公爵からの通信もありません。……まさか」
不穏な空気が流れる。
その時、塔のスピーカーからノイズ混じりの放送が流れた。
『……ザザッ……聞こえるか、英雄たちよ……』
アレクセイ公爵の声だ。だが、苦しげに途切れている。
『……罠だ……この依頼は……私が……頼んだものでは……』
『グッ……逃げろ……スミスは……奴は……!』
プツン。
通信が切れた。
全員の視線が、一点に集中する。
そこには、今までと変わらぬポーカーフェイスで佇む、執事スミスの姿があった。
「……どういうことかしら、スミスさん?」
スカーレットが剣の柄に手をかける。
スミスはゆっくりとサングラスを外し、その隻眼を露わにした。
そこには、これまでの恭しい従者の色はなく、冷徹な狩人の光が宿っていた。
「……バレてしまっては仕方ありませんね。もう少し、データを集めたかったのですが」
彼は優雅に一礼した。
「アレクセイ様は少々、お喋りが過ぎたようです。……ええ、第五の影は、他でもない」
スミスの影が、足元から肥大化し、巨大な怪物の形をとった。
「この私ですよ」
衝撃の事実。
案内人こそが、敵の本体だった。
「さあ、始めましょうか。『影』の討伐……最終フェーズです」




