Scene 3 幕間:解析者(デバッガー)
北方の要衝、バルカス公爵領。
その居城の地下深くにある石造りの安置室は、季節を問わず冷気に満ちている。
氷の保存術式が施された石台の上には、一人の男の遺体が横たわっていた。
つい先日、任務に失敗し、物言わぬ肉塊となって帰還した「影」のリーダーである。
「…………」
その遺体を見下ろす男がいた。
ゲオルグ・ヴァン・バルカス公爵。
四十代後半という年齢を感じさせない引き締まった長身に、知性を冷徹に研ぎ澄ませたような銀縁の眼鏡。
領民からは「北の賢公」と慕われる名君だが、この地下室における彼の瞳には、慈悲の光など欠片も宿っていない。あるのは、壊れた玩具の故障原因を探る技術者の目だけだ。
「報告書には『一太刀』とあるな」
バルカスは、白手袋をはめた指先で、遺体の首筋にある切断痕をなぞった。
綺麗だ。あまりにも。
骨を断ち、気管を裂いているにもかかわらず、肉が乱れていない。刃こぼれのような微細な抵抗が一切感じられないのだ。
「物理防御障壁の展開痕なし。魔力による強化も最低限。……それでいて、この切断面」
バルカスの脳裏で、高速の演算が走る。
この世界の剣術は、基本的に「出力」と「魔力」の掛け算だ。だが、この傷は違う。
相手の防御、筋肉の収縮、呼吸の切れ目――すべての変数を入力し、防御力が「ゼロ(Null)」になる瞬間の座標へ、最小のコストで刃を滑り込ませている。
これは「暴力」ではない。「演算」だ。
そしてバルカスは、この演算式を知っている。
遠い記憶。前世の故郷――扶桑国の祖父の道場で嫌というほど叩き込まれた、あの感覚。
「……『水鏡』か」
バルカスの口から、懐かしい単語が漏れた。
柳方流剣術奥義。
相手の力をそのまま返し、水面に映る月を斬るが如く、抵抗なく命を刈り取る魔剣。
「……ふっ」
バルカスは短く笑った。
この辺境の、しかも十代の小娘が、独学でこの境地に達する?
あり得ない。
猿がタイプライターを叩いてシェイクスピアを書く確率よりも低い。
ならば答えは一つだ。
(この娘は……私と同じ、「外部ライブラリ」を持ち込んだ人間だ)
転生者。
自分以外にも、この世界に「あちら側」の人間が混入していたとは。
バルカスの眼鏡の奥で、瞳が妖しく光った。
恐怖はない。あるのは、予期せぬバグを発見した時の苛立ちと、それを解析したいという歪んだ好奇心。
「公爵閣下」
背後に控えていた側近――感情を削ぎ落とされたような顔つきの男が、恐る恐る声をかける。
「次の刺客はいかがなさいますか。騎士団から選抜チームを……」
「無駄だ」
バルカスは冷淡に切り捨てた。
相手はシステム(世界)の理を理解している管理者だ。既存のNPC(騎士)をいくらぶつけたところで、経験値稼ぎに利用されるだけだろう。
「予定を変更する。対象『スカーレット・フォン・ヴァーミリオン』の脅威レベルを、DからSへ引き上げろ」
「え……S、ですか? たかが没落貴族の娘に?」
「娘ではない。『ウイルス』だ。放置すれば、私の計画を根幹から書き換えかねない」
バルカスは遺体に背を向け、歩き出した。
その足取りは、もはや領主のものではなく、冷酷な支配者のそれだった。
「『処理班』を起動せよ。試作段階の『改』型だ」
「し、しかし閣下! あれはまだ寿命の問題が……稼働させれば、一週間ともちません!」
「構わん」
バルカスは立ち止まり、振り返らずに言い放った。
「使い捨て(ディスポーザブル)でいい。最高出力で叩き潰せ。……同郷のよしみだ、私の作った最高傑作で葬ってやろう」
重厚な扉が閉ざされる。
冷たい地下室に残されたのは、首のない死体と、新たに書き換わった「処刑命令書」だけだった。




