第4章:運河の鏡、映らぬ虚像
第4工業区画での戦闘を終え、一行は移動していた。
案内するのは、相変わらず表情の読めない執事、スミスだ。
「……ねえ、スミスさん」
歩きながら、スカーレットは背後から冷ややかに声をかけた。
「さっきの『最初からいた』という話だけど」
「はい、何か?」
スミスは振り返らず、一定のリズムで歩き続ける。
「私の索敵範囲は、半径500メートル以内のネズミの心音すら拾うわ。劉の『気配察知』も稼働していた。だというのに、貴方が瓦礫の上に立つまで、私たちは誰も気づかなかった」
スカーレットの言葉に、劉が脳内で同意する。
『ああ。気配を消す技術なんてレベルじゃない。まるで『石ころ』や『空気』のように、最初からそこに在ることが自然であるかのような……環境への同化だ。ただの執事が持っていていいスキルじゃねえぞ』
「貴方、本当にただの執事?」
スカーレットの問いに、スミスは立ち止まった。
彼はゆっくりと振り返り、サングラス越しにスカーレットを見据えた。
「……公爵家に仕える前は、少々『掃除屋』のようなことをしておりましたので」
隻眼の執事は、薄い唇を吊り上げた。
「主の平穏を乱すゴミを片付けるには、ゴミ箱の中で息を潜める技術も必要ですので」
完璧な答え。だが、その笑顔の奥には、決して踏み込ませない闇がある。
「さあ、着きましたよ。次の現場です」
スミスが示したのは、都市の地下を流れる巨大な排水運河だった。
†
第二の影、『運河の人喰い鏡』。
現場となった第7水路は、都市の生活排水と工場の冷却水が流れ込む、淀んだ場所だった。
蒸気と悪臭が混じり合う霧の中を、魔導ボートが進んでいく。
「くさーい! 湿気で髪が爆発するー!」
マーガレットが船縁で文句を垂れている。
「我慢なさい。……しかし、不気味な場所ね」
スカーレットは水面を見つめた。
油膜が浮いた黒い水面。
そこに映る自分の顔が、揺らめいて歪んで見える。
「……ねえ、劉」
『ああ。感じるぞ。さっきのスクラップ・ヤードとは違う、もっと粘着質な『視線』だ』
劉の警告と同時だった。
「あら?」
最後尾に座っていたセレスティアが、ふと水面を指差した。
「見て、スカーレットちゃん。貴女、いつから水の中で泳ぐのが趣味になりましたの?」
「は?」
スカーレットが慌てて水面を見る。
そこには――水面下からこちらを見上げる、「もう一人のスカーレット」がいた。
反射ではない。
ボートの上のスカーレットは驚いた顔をしているのに、水の中のスカーレットは、ニタニタと下卑た笑みを浮かべているのだ。
「なっ……!?」
ゾクリと背筋が凍る。
次の瞬間、水中の「偽物」が口を開いた。
『……ミツケタ……イイ器……』
バシャアアアアッ!!
水面が爆発した。
飛び出してきたのは、黒い液体で構成された人型。
だが、その姿はスカーレットそのものに変形していく。
紅い髪、黒いジャケット、そして腰の剣まで。
ただし、その全身はコールタールのように黒く、瞳だけが血のように赤い。
「シャドウ・スカーレット……!?」
スカーレットが剣を抜くより速く、影は動いた。
速い。
劉の体術と同じ速度だ。
影の剣が、スカーレットの首を狙って閃く。
ガキンッ!!
スカーレットは紙一重で受け止めるが、その重さに呻いた。
「くっ……! 筋力までコピーしているの!?」
『いや、違う!』
劉が叫ぶ。
『こいつ、俺たちの動きをコピーしてるんじゃない。俺たちの持つ『悪意(負の感情)』を増幅して出力してやがる! お前の中にある『破壊衝動』が形になって襲ってきてるんだ!』
「きゃああっ! 私もいるー!?」
マーガレットの悲鳴。
水面から、さらに二つの影が飛び出した。
一つは、筋肉隆々の黒いマーガレット。
もう一つは、だらしなく酒瓶を持った黒いセレスティア。
「ヒャハハハ! お姉様ぁ! 監禁してあげるぅぅ!」
黒マーガレットが、殺意全開のハグ(という名のボディプレス)で襲いかかる。
「あらあら、飲み比べ(殺し合い)かしら?」
黒セレスティアは、手にした酒瓶から毒々しい黒い液体を弾丸のように飛ばしてくる。
狭いボートの上での混戦。
スカーレットは自分の影と鍔迫り合いをしながら、活路を探した。
「物理攻撃は!?」
剣で影の腕を斬り飛ばす。
だが、斬った端から黒い液体が繋がり、再生してしまう。
「ダメね! さっきのゴーレムと同じ、核がない!」
「なら、私が!」
マーガレットが吠える。
「消えろ偽物! 私のお姉様への愛は、そんな薄汚い色じゃないのよッ!」
彼女の拳が唸る。
先程の「次元干渉」の再現か、空間を抉るような重い一撃が、黒マーガレットの顔面に炸裂した。
ドゴォォォォン!!
黒い顔が四散する。
「やったか!?」
だが――散らばった黒い飛沫は、空中で静止し、ニタニタと笑う無数の小さな顔になった。
『愛? 欲望の間違いでしょォ? 独占欲、支配欲……全部あんたの本性よォ!』
精神攻撃までコピーされている。
「う、うるさいっ! 私は純愛だもん!」
追い詰められる一行。
スミスは船首に立ち、襲い来る影たちを最小限の動きで――手にした傘で弾きながら、冷静に分析していた。
「……ふむ。第二の影は『鏡』。対象の深層心理にある負の側面を実体化させ、本人を食らうことで入れ替わりを図る怪異ですか。自己否定が強い人間ほど、相性が悪い」
「解説してないで手伝いなさいよ!」
スカーレットが叫ぶ。
「いえ、これは皆様の『心の影』です。他人が手を出せば、影はさらに増殖しますよ」
スミスは涼しい顔で言い放った。
「くそっ……! どうすれば!」
再生する影。尽きないスタミナ。そして何より、自分の技で攻め立てられるという精神的負荷。
このままではジリ貧だ。
その時。 戦場に、場違いなほど穏やかな声が響いた。
「……皆様、少し静かになさって」
セレスティアだ。
彼女は黒セレスティアの猛攻(酒瓶爆撃)を、まるで舞うように優雅に躱しながら、懐から一枚の和紙を取り出した。
それは式札ではなく、ただの白い紙人形。
「自分を映す鏡なら、割ればいい。でも、水面の月は割れませんわ」
彼女は紙人形に、自身の唇を寄せた。
「だから、教えてあげましょう。『貴女たちは、そこにはいない』と」
セレスティアは、紙人形をボートの縁から水面へと落とした。
ポチャン。
小さな波紋が広がる。
瞬間、彼女の纏う空気が変わった。
酔っ払いのそれではなかった。
厳格で、冷徹な、神に仕える斎王の如き覇気。
「呪法・【水月・解題】」
彼女が柏手を一つ打つ。
パンッ!
世界が反転した。
ボートの周囲の水面が、一瞬にして「鏡」としての機能を失ったのだ。
水はただの透明な液体に戻り、そこには何も映らない。
光の反射という物理法則が、彼女の「嘆願」によって局所的にキャンセルされたのだ。
『ガ……ッ!?』
黒いスカーレットの動きが止まる。
『映ラ……ナイ……? 本体ガ……見エナ……』
「影は、光と反射があって初めて存在できるもの」
セレスティアは、黒い影たちに向かって扇子を広げた。
「映る場所を失った虚像に、存在権はありませんわ。……さようなら」
彼女が扇子を振るう。
それだけで、黒い影たちは断末魔を上げることもなく、蜃気楼のように揺らぎ、そして溶けて消えた。 後に残ったのは、ただの汚れた運河の水だけ。
「……はぁ、はぁ」
スカーレットは剣を下ろし、荒い息を吐いた。
「……理不尽ね、本当に」
劉も同意する。
『ああ。物理無効の相手に対し、映る場所そのものを無効化するとはな。相変わらず発想がデタラメだ』
「あら、褒め言葉として受け取っておきますわ」
セレスティアはいつものふにゃふにゃした笑顔に戻っていた。
スミスが、パチパチと拍手をする。
「お見事です。物理的な破壊ではなく、概念的な否定。……やはり『暁の魔女』の力は興味深い」
スミスは手帳を取り出し、何かをサラサラと書き込んだ。
「……ねえ、スミス」
スカーレットは執事に詰め寄った。
「貴方、知っていたわね? あいつらの攻略法」
「推測はしておりましたが、確証はありませんでした。私の仕事はあくまで『案内』と『記録』ですので」
スミスは悪びれもせず、サングラスの奥で微笑んだ。
「さて、これで二つ。残る影は五つですが……次は少し趣向が違いますよ」
彼は不気味に告げた。
「次は『深夜の暴走列車』。……この都市の大動脈、地下鉄環状線が舞台です」
「そこには、貴女たちの過去に関わる何かが待っているかもしれません」
スカーレットの眉がピクリと動く。
過去。それは、前世のことか、それとも――。
運河の霧が晴れていく。だが、彼女たちの行く手には、さらに深い闇が口を開けて待っていた。




