第3章:七つの影と蠢く歯車
「『七つの影』……それは組織の名ではありません」
スミスは、革手袋に包まれた手で、一枚の都市地図を広げた。
地図上には、七つの赤い×印が記されている。
「この都市で囁かれる、七つの都市伝説。それが、我々が便宜上呼んでいる名称です」
スミスは淡々と説明を続けた。
「第一の影、『蒸気街の亡霊』」
「第二の影、『運河の人喰い鏡』」
「第三の影、『深夜の暴走列車』……」
列挙される名は、どれも三流小説の怪談のようだ。だが、スカーレットは笑わなかった。
地図上の×印から漂う「気配」が、尋常ではないからだ。
「これらが、失踪事件の現場と一致していると?」
「左様でございます。いずれも目撃証言は曖昧。共通しているのは、黒い不定形の『何か』が蠢いていたということのみ」
アレクセイ公爵が口を開いた。
「我々の科学捜査班もお手上げだ。魔力反応ゼロ、熱源反応ゼロ。だが、人は確実に消えている」
『……なるほどな』
劉が低い声で唸る。
『魔力でも熱でもない。「概念」として存在しているから、機械のセンサーには引っかからんわけだ。「悪意」そのものが質量を持った残穢……厄介な相手だぞ』
スカーレットは地図を指差した。
「まずはここね。一番被害が多い場所」
「……『第4工業区画』ですね。通称、スクラップ・ヤード」
スミスがサングラスの奥で目を細めた。 そこは、「第一の影」が出没するとされる場所だった。
†
第4工業区画。
そこは、華やかなセントラル・タワーとは対極にある、鉄屑と廃油の墓場だった。
空を覆う配管からは絶えず蒸気が噴き出し、視界は白く濁っている。
錆びついた歯車の山、廃棄されたオートマタ(自動人形)の残骸。
どこか物悲しく、そして不気味な静寂が支配していた。
「ふむ……いい匂いですわね」
セレスティアが鼻をクンクンとさせて言った。
「錆びた鉄の匂いと、オイルの匂い……それに、発酵した何かの匂い」
「最後のは生ゴミの匂いよ、セレスティア」
スカーレットは呆れながら、周囲を警戒する。
魔力探知を展開しているが、ノイズが酷い。この都市特有の蒸気機関が発する微弱な魔力が、探知を阻害しているのだ。
「あー! お腹すいたー!!」
突然、大声が響いた。
完全復活したマーガレットである。
さっきまで死人のようだったのが嘘のように、今は両手に屋台で買った謎の串焼き(歯車のような形をしている)を持っている。
「ちょっと、静かにしなさいよ! 隠密行動中よ!?」
「だってぇ、二日酔いが治ったらお腹が空くのよ、生理現象よ!」
『……たくましい奴だな、本当に』
劉が感心したように言う。
その時だった。
ピタリ。
マーガレットが、串焼きを口に運ぶ手を止めた。
その瞳から、変態特有の濁りが消え、鋭い「武人」の光が宿る。
「……来るわよ」
彼女が呟いた直後だった。
ギギギ……ガガガガ……。
蒸気の向こうにあるスクラップの山が、不協和音を立てて崩れ落ちた。
いや、崩れたのではない。
集まっているのだ。
廃棄された鉄パイプ、壊れた歯車、千切れた銅線。
それらが、見えない「接着剤」に引き寄せられるように渦を巻き、一つの巨人を形成していく。
その接着剤こそが、ドス黒い、コールタールのような「影」だった。
『出たな……! アレが「影」だ!』
劉が叫ぶ。
現れたのは、高さ3メートルはある鉄屑のゴーレム。
だが、通常のゴーレムとは違う。その中心核にあるのは魔石ではなく、蠢く「闇」だ。
ゴーレムの頭部――ひしゃげた蒸気機関車の前面部分から、人ならざる声が漏れ出した。
『……ニク……ニクガ……ホシイ……』
その声は、複数の人間の断末魔を重ね合わせたような、不快な響きを持っていた。
「ひゃあ! 気持ち悪い!」
「来るぞ!」
ゴーレムが右腕を振り上げる。そこには、巨大な削岩ドリルが取り付けられていた。
ブォンッ! 風を切る音と共に、ドリルがスカーレットたちを襲う。
「させないわよ!」
スカーレットは瞬時に反応した。
<炎よ、紅蓮の牙となれ>
無詠唱に近い速度で放たれた「火球」が、ゴーレムの肩に着弾する。
ドガァンッ!
爆炎が上がり、鉄屑が飛び散る。
だが。
「……嘘でしょ?」
煙が晴れると、ゴーレムは何事もなかったかのように再生していた。
飛び散ったパーツが、黒い影の触手によって引き戻され、再び元の形に戻っていくのだ。
『物理攻撃も、単純な破壊魔法も効かん!』
劉が分析する。
『奴の本体はあの「鉄」じゃない。鉄を繋ぎ止めている「影(悪意)」そのものだ! 物理法則を無視して事象を固定してやがる!』
「じゃあ、どうすればいいのよ!?」
「あらあら、困ったちゃんですねぇ」
焦るスカーレットの横から、のんびりとした声が聞こえた。
セレスティアだ。
彼女は優雅に歩み出ると、懐から一枚の和紙――「式札」を取り出した。
「物理がダメなら、理で説得しましょうか」
彼女はふわりと跳躍した。
重力を感じさせない動きでゴーレムの頭上に舞い降りると、その額(機関車のエンブレム部分)に、ペタリと札を貼った。
「『謹んで申し上げます。ここは貴方様の居場所ではありません。……お引き取りくださいな(・・・)』」
呪法・強制退去。
セレスティアが指をパチンと鳴らす。
その瞬間。
『ギ……ギャァァァァァァァッ!!』
ゴーレムの動きが止まり、絶叫が響いた。
黒い影が、貼られた札から逃げるように霧散していく。
接着剤を失った鉄屑の巨体は、ただのガラクタへと戻り、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
「……はい、お掃除完了です」
埃一つ被らずに着地したセレスティアは、ニコリと微笑んだ。
スカーレットは口を半開きにして見ていた。
「……ねえ、劉」
『言うな。……あれが「呪法」だ。魔法のように数式で現象を書き換えるんじゃない。「出ていけ」という概念(命令)を世界に押し付ける。……相変わらずデタラメな威力だ』
残されたのは、悪臭を放つ黒いシミだけ。
スカーレットがそのシミに近づこうとしたとき、背後から拍手が聞こえた。
パチ、パチ、パチ。
「お見事です。まさか、あの『蒸気街の亡霊』を一撃で沈めるとは」
振り返ると、そこにはスミスが立っていた。
瓦礫の山の上に、いつの間にか、音もなく。
サングラスの奥の隻眼が、冷ややかに光っている。
「……スミス? いつからそこに?」
「最初から(・・・・)ですよ。皆様の実力を拝見させていただこうと思いまして」
スカーレットの背筋が粟立った。
劉も、マーガレットさえも、彼の気配に気づいていなかった。
最初からいた? この戦闘の最中も、ずっと無言で見下ろしていたというのか?
「……悪趣味ね」
「執事たるもの、主のゲストの安全を確認するのは当然の務めですから」
スミスは慇懃に一礼した。
だが、スカーレットには分かった。
彼は「安全確認」なんてしていない。ただ「観察」していたのだ。まるで実験動物を見る研究者のように。
『……気をつけろ、スカーレット』
劉が警告する。
『あの「影」も厄介だが……この執事、もっと厄介かもしれんぞ』
蒸気の霧が濃くなる中、第一の影は消えた。
だが、スカーレットたちの戦いは、まだ始まったばかりだった。




