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第2章:鋼鉄の執事と憂鬱な朝

 ガンガンガンガン……。


 スカーレットの頭の中で、小さな人が工事をしていた。


 それも、ただの工事ではない。スチームハンマーを使った大規模な解体工事だ。


「……うぅ……」


 スカーレットは重い瞼を開けた。

 視界がぐるぐると回る。喉がカラカラだ。


 昨夜の記憶は断片的だった。


 セレスティアに捕まり、逃げようとしたところを式神(式子ちゃん)に羽交い締めにされ、そこからは延々と続く「女子会」という名の地獄。

 記憶にあるのは、セレスティアの笑顔と、次々と空になっていくボトルの山、そしてマーガレットの奇声だけだ。


『……生きてるか、相棒』


 脳内で、劉の声が響いた。

 彼もまた、心なしか疲労困憊しているように聞こえる。


「……劉、私の頭をかち割って、中の小人を追い出して……」


『無理言うな。俺も精神的に二日酔いだ。あのアマ、本当に底なしだぞ……昔より酷くなってやがる』


「器の問題かしら……」


 スカーレットは呻きながら、自身のこめかみを揉んだ。


「私の体能は、当然劉の生前とは違うわよね。でも、その中で劉よりも『柔軟』に技が使える感覚があるの」


『その通りだ。お前さんの柔軟性は、ガチガチの武人だった前世の俺をはるかに超えている。魔力回路の質もな。だが……』


 劉は悔しげに続けた。


『肝臓のスペックだけは完敗だ。たぶん、器たるセレスティアはオリハルコン並みの鋼鉄の肝臓の持ち主なんだろうよ』


 スカーレットがよろよろと上半身を起こすと、ベッドの足元でマーガレットが大の字になって爆睡していた。


 そして、部屋の隅にあるソファでは、セレスティアが優雅に紅茶を飲んでいた。


 涼しい顔だ。二日酔いの欠片もない。


「あら、おはようございます。龍姫様。良い朝ですわね」


「……おはよう……ございます……」


 スカーレットは力なく返した。


 昨夜の宴席で、劉が「転生してから何をしていたんだ」と尋ねた時のことを思い出す。


 彼女が語ったのは、極寒の地での魔獣討伐や、古代遺跡での呪法決闘など、手に汗握る大スペクタクルの連続だった。


『……あの武勇伝の数々。それでついた二つ名が「暁の魔女」とは恐れ入ったよ』


「あら、『紅の龍姫』の方がかっこいいわよ?」


 セレスティアはクスクスと笑い、紅茶を置いた。  その時だった。


 コンコン。


 控えめだが、芯の通ったノックの音が響いた。


「はい……?」


 スカーレットが答えると、鍵がかかっていたはずのドアが音もなく開いた。


 そこに立っていたのは、一人の男だった。

 黒の燕尾服に、白の手袋。

 背筋は定規で引いたように真っ直ぐで、ロマンスグレーの髪を綺麗に撫で付けている。

 そして何より奇異だったのは、その目元が細めのサングラスで覆われていることだった。


「お目覚めのところ、失礼いたします」


 男は流れるような動作で一礼した。その角度、完璧な四十五度。


「当都市の領主、アレクセイ・フォン・イザムバード公爵の名代として参りました。私の名はスミス。以後、お見知りおきを」


 スカーレットは眉をひそめた。

 転生者である彼らにとってサングラス自体は見慣れたものだが、ここは「貴族社会」の規律が残る世界だ。

 初対面、しかも公爵の名代として部屋に入ってきて、目元を隠しているのは無礼にあたる。


「……スミスと言ったかしら。公爵家の使いにしては、随分と礼儀を知らないようね」


 スカーレットはあえて貴族然とした冷ややかな声を作った。


「淑女の寝室に踏み込むこともそうだけど、人に会うときにご自分の目を隠すとは。無礼ではありませんか?」


 場が凍りつく。

 だが、スミスは動じることなく、申し訳なさそうに眉を下げた。


「これは失礼いたしました。無礼を働くつもりは毛頭ございません」


 スミスはゆっくりとサングラスに手をかけた。


「ただ、少々目自体の機能が悪く、日の光が苦手なものでして……不快に思われたのなら、外しましょう」


 彼がサングラスを外した瞬間、スカーレットは息を飲んだ。

 現れたその素顔。

 片方の瞼が、古傷のような深い刃物の跡によって縦に裂かれ、硬く閉ざされていたのだ。

 見るからに痛々しい、古戦場の傷跡。


「あ……」


 スカーレットの言葉が詰まる。


 光が苦手というのは、この傷のせいか。

 礼儀を咎めるつもりが、相手の身体的な事情を無神経に暴いてしまった形になった。


「……申し訳ありません。事情も知らずに、立ち入ったことを」


「いいえ、お気になさらず。顔の傷は男の勲章とも申しますし、慣れておりますから」


 スミスは穏やかに微笑んだが、その隻眼せきがんはスカーレットを射抜いていた。


 謝罪を引き出した。


 その一点において、この執事は精神的優位マウントを取ったのだ。

 スカーレットは背中に冷や汗がつたうのを感じた。


『……おい、スカーレット。気をつけろ』


 劉の声が鋭くなる。


『こいつ、ただの執事じゃない。今のやり取り……お前の罪悪感を一瞬で利用して主導権を握りやがった。それに気配が全く読めねえ。……かなりの手練れだぞ』


 スミスは表情一つ変えずに懐から一枚の封筒を取り出した。


「我が主、アレクセイ公爵が、皆様との面会を希望されております。特に――『紅の龍姫』スカーレット様、ならびに『暁の魔女』セレスティア様。お二人の来訪を心待ちにしておられます」


「……私たちを? なぜ私たちがここにいると?」


 セレスティアが目を細める。


「当都市の情報網を甘く見ないでいただきたい。……それに、昨晩の酒場での『盛大な宴』。あれだけの騒ぎを起こせば、公爵の耳に入らない方が不自然かと」


 スミスは口元だけで微かに笑った。

 反論できない。


「この都市の『影』に関する情報。それをご提供できる用意がございます」


 その言葉に、スカーレットたちの空気が変わった。


 影。

 

 それは、彼らが追っている「悪意の真実」の手掛かりかもしれない。


「……わかったわ。行きましょう」


          †


 身支度を整え、一行は部屋を出た。


 しかし、一人だけ使い物にならない荷物がいた。


「うぅ……頭が割れるぅ……気持ち悪いぃ……」


 マーガレットだ。


 顔面は蒼白、足取りは千鳥足。とても公爵に謁見できる状態ではない。


「ちょっとマーガレット! シャキッとしなさいよ! これから領主に会うのよ!? あなた、一応は男爵令嬢でしょう!?」


 スカーレットがたしなめるが、マーガレットはゾンビのように呻くだけだ。


「もう……置いていくわよ?」


「あらあら、可哀想に。よしよし、痛いの痛いの飛んでいけ~」


 セレスティアが微笑みながら、マーガレットの背中を優しくさする。

 すると、死にかけていたマーガレットの表情が、一瞬でとろけた。


「はうぅ……♡ お姉様の介抱……幸せぇ……もっとぉ……」


「甘やかすな! 立つ!」


 スカーレットの怒声が廊下に響く。


 先導するスミスは、そんな一行を背中で感じながら、無言で歩を進めていた。


          †


 スミスの案内で通されたのは、都市の中央にそびえ立つ巨大な尖塔――「セントラル・ギア・タワー」の最上階だった。

 エレベーターを降りると、そこは壁一面がガラス張りの広大な執務室だった。


「ようこそ、英雄たちよ」


 部屋の中央、巨大な革張りの椅子に座っていた男が、ゆっくりと振り返った。


 アレクセイ・フォン・イザムバード公爵。

 四十代半ばだろうか。厳格そうな顔立ちだが、その瞳には少年のような好奇心が宿っている。


「私の名はアレクセイ。この『歯車都市』の管理者だ。単刀直入に言おう。君たちに依頼したいことがある」


 彼は一枚の写真をテーブルに放った。

 そこには、路地裏の壁に残された、奇妙な黒い染みが写っていた。


 スカーレットは写真を手に取り、息を呑んだ。

 写真からでも、嫌な気配が漂ってくる。


『……スカーレット、この染み。ただの汚れじゃない』


 劉の声が緊張を帯びる。


『これは「残穢ざんえ」だ。かつてゲオルグから引き剥がした「悪意の真実」……あれと同質の、高密度の悪意が物理的に焼き付いた痕跡だ。間違いない。俺たちが追っている「奴」の仕業だ』


「被害者は皆、優秀な技術者や魔導研究者ばかり。そして、彼らが消える直前、目撃者たちは口を揃えてこう言うのです。『影が動いた』と」


 アレクセイが深刻な表情で告げる。


「君たちの力があれば、この不可解な事件を解明できるのではないかと」


 スカーレットは顔を上げ、アレクセイに向き直った。


「引き受けます。……その依頼」


「おお! 感謝します!」


 アレクセイは破顔した。


「報酬は後で結構です。今は情報が欲しい」


 スカーレットの瞳に、戦士の光が宿る。

 二日酔いは、いつの間にか消し飛んでいた。


「スミス、彼らに『七つの影』についての資料を」


「畏まりました」


 スミスが一歩前に出る。


 その隻眼が、怪しく光った気がした。

 新たな戦いの幕が、この機械仕掛けの都市で上がろうとしていた。


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