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『紅の龍は、灰燼(かいじん)に舞う』 第3部:虚飾の理想郷と実体化する悪意 第1章:泥酔の賢者と七つの影

 都市「ネオ・イザムバード」。


 蒸気機関の白煙と、魔導灯の青い光が交錯するハイテク都市の片隅にある酒場で、その「事件」は起きた。


「見つけたわ……私の運命ターゲット!!」


 酒場の扉を開けた瞬間、マーガレットの瞳が怪しく輝いた。

 彼女の視線の先、カウンター席には、一人の女性が優雅にグラスを傾けていた。

 シルバーブロンドの髪、糸目のように細められた翡翠色の瞳。手元には度数90を超える「火龍の涙」のボトル。


 獲物を見つけた肉食獣の如く、マーガレットは地面を蹴った。


「お姉様ぁぁぁ!! 結婚してぇぇぇ!!」


 回避不能の超高速タックル(という名の求愛ダイブ)。

 だが、女性——セレスティア・フォン・アウローラは、グラスを持ったまま涼しい顔で、スッと左手を差し出した。


 合気。


 相手の運動エネルギーをそのまま利用し、円の動きで無力化する達人の技。


 触れた瞬間、マーガレットは宙を舞う——はずだった。


 ブゥンッ。


 空間が歪むような異音と共に、マーガレットの姿がブレた。

 セレスティアの手が、マーガレットの体をすり抜ける。いや、触れているのに「座標」が噛み合っていない。


「あら?」


 常に糸目のセレスティアが、一瞬だけ翡翠色の瞳を見開いた。

 合気をスカされたのだ。  マーガレットはニヤリと笑った。


(もらった! 次元位相をズラして、背後に回り込んでからの抱擁ハグ……ッ!?)


 しかし、次の瞬間。


「あ、あれ? ……止まらなぃぃぃぃッ!?」


 ズレた座標が元に戻らず、慣性の法則がデタラメな方向へ暴走した。

 彼女の体はコマのようにきりもみ回転しながら、制御不能の弾丸となって店奥へとすっ飛んでいく。


 ドガァァァァンッ!!


 派手な破壊音と共に、マーガレットは店内の壁に突き刺さった。

 まるでコミックのワンシーンのように、壁に人型の亀裂が入っている。


「……いったぁ~……。次元の狭間って、意外と硬いのね……」


 壁からズルズルと這い出しながら、彼女は鼻血を垂らして笑った。

 その光景を見ていたスカーレットは、あんぐりと口を開けていたが、脳内の賢者は違っていた。


『……おい。今のは』


 劉の声には、呆れよりも戦慄が混じっていた。


『多次元機動……いや、「位相転換」か? あの馬鹿娘、幾何都市でのヴァレリウスとの決戦で覚醒した「第三人格」の技を、見様見真似で再現しやがったぞ』


「え? 今のが?」


『ああ。理論ロジックもなしに、感覚だけで……再現率は60%といったところか。制御できずに自爆したが、合気の達人の手をすり抜けたのは事実だ』


 劉は唸るように続けた。


『陳美麗……おっそろしい奴だな。あの一回の戦闘だけで、高次元のことわりを筋肉で理解しつつある。「こうすれば世界がズレる」という結果だけを本能で掴んでいやがる』


「……つまり、化け物ってこと?」


『武の化け物だ。今はまだお笑い草だが……もし完全にモノにしたら、俺たちの手に負えんぞ』


 スカーレットは改めて、鼻血を拭いながら「お姉様、今の見ました!? 私の愛の回避行動!」と叫ぶマーガレットを見た。


 ……見た目はただの変態だが、その中身は底知れない。


 一方、セレスティアは興味深そうに目を細め、氷をカランと鳴らした。


「あらあら。元気な子犬ちゃんね。……今のすり抜け、面白かったですわ」


『……そして、あっちもあっちだ』


 劉が呻く。


『その技……そして、その尋常じゃない酒の匂い。まさかお前、賀茂睡蓮かも・すいれんか?』


 劉の言葉に、セレスティアの手がピタリと止まった。

 彼女はゆっくりと振り返り、満面の笑みを浮かべた。


「あら、劉老師。お久しぶりですわ」


 その笑顔は、花が咲くように美しく、そして背筋が凍るほど底知れない。


「二日酔いは冷めまして? あの時は、たった『一斗いっと』飲んだだけで潰れてしまわれましたものね」


『げぇっ……!』


 劉がカエルの潰れたような悲鳴を上げた。

          †

 数分後。


 壁を修復代として金貨を支払い(スカーレットの財布から)、三人はテーブルを囲んでいた。

 テーブルの中央には、空になった「火龍の涙」のボトルが既に三本転がっている。


「……ねえ、劉」


 スカーレットは呆れたように脳内の賢者に問いかけた。


「前から気になっていたのだけど、『呪法』ってなんなの? あなたの知識ライブラリにはあるけど、イマイチ原理がピンとこないのよ」


 目の前のセレスティアから感じる気配は、魔術師のそれとは根本的に異なっていた。

 魔力特有の「波」がない。代わりに、もっと静かで、重たい「おり」のようなものが漂っている。


「マーガレットも言っていたわ。扶桑国の古い技術だって」


「ええ。魔法とは違った体系だった、くらいの知識しかないけどね」


 復活したマーガレットが、セレスティアの横顔をうっとりと見つめながら相槌を打つ。

 セレスティアは「うふふ」と笑い、新しいグラスに酒を注ぎながら口を開いた。


「私の前世、賀茂睡蓮の故郷は、中原国とは海を挟んでより東にある島国……『扶桑国』です。そこで独自に発達した、陰陽の気と天地の理から世界に『問いかける』術法。それが呪法ですわ」


「問いかける?」


 スカーレットが眉をひそめる。


「そこがよくわからないのよね。例えばこの世界ならば、魔力を魔導回路を通じて『ロジック(数式)』に変換し、自然界の法則に強制干渉して書き換える技術でしょう? でも、『問いかける』って……交渉でもするの?」


「近いわね、スカーレットちゃん」


 セレスティアは人差し指を立てた。


「魔法がハッキングによる『改竄かいざん』だとしたら、呪法は正規の手続きによる『嘆願ぺティション』かしら。 『精霊さん、鬼さん、ちょっとここを通してくださいな』と礼を尽くしてお願いする。……ま、断られたら力ずくで従わせる(呪う)んですけどね」


 笑顔で怖いことを言う。


「……ねえ、劉」


 スカーレットはふと思い出したように尋ねた。


「そういえば、あの戦いの最後、ゲオルグから『悪意の真実』を引き剥がすときに言っていたわよね。『ある面白い奴の構築した術式を参考にした』って」


『ああ』


「それって、彼女のこと?」


『その通りだ。あれは睡蓮の呪法ロジックを、俺が魔導式に翻訳したものだ』


 スカーレットはまじまじとセレスティアを見た。


「へぇ……てっきり男性だと思っていたわ。劉が『妙に気が合う』なんて言っていたから」


『ああ、睡蓮とは眞垣源信まがき・げんしん……ゲオルグの前世の祖父の道場で知り合ったんだ』


 劉の声に、微かな懐かしさが滲む。


『まさか、酒で潰されるとは思わなかったがな。だが、睡蓮は呪法だけじゃなく、武術の才にも恵まれていた。眞垣の柳方流りゅうほうりゅう剣術は免許皆伝。それ以外にも、「大東和流だいとうわりゅう武術」という技術も極めていた』


「大東和流?」


『ああ。技術の根幹に「合気」を使い、投げ・当身・固めという技術に優れた古武術だ。さっきマーガレットを投げ飛ばそうとしたのもそれだよ。……研究者としても武人としても、話が合う相手だった』


 スカーレットはニヤリと笑い、意地悪く聞いた。


「興味本位の質問だけど、恋仲にはならなかったの?」


『なるか』


 劉は即答した。


『その頃、俺は既に60を過ぎていたし、見て分かる通りただの蟒蛇うわばみだ。確かに、美人でスタイルも良かったが……言い寄る男は皆無だったな。命がいくつあっても足りん』


 すると、セレスティアがグラスを揺らしながら、艶然と微笑んだ。


「あら、失礼ね、劉老師。……私は、どちらでもイケる口よ?」


 その瞳が、妖しく濡れた光を帯びてスカーレットとマーガレットを舐めるように見た。


 ゾクリ。


 スカーレットの背筋に、物理的な殺気とは違う種類の悪寒が走る。


「ちぇーっ、なんかズルい!」


 マーガレットが頬を膨らませてテーブルを叩いた。


「お姉様だけ、劉老師と前世での知り合いなんて! 私の記憶にはないわよそんなの!」


『ん? なにを言っている』


 劉が不思議そうに言った。


『俺は、お前の前世……陳美麗ちん・びれいとも知り合いだったぞ? 手合わせも何度かしている』


「えっ!?」


 マーガレットが目を丸くする。


「何!? ……やはりな。完全融合の弊害か」


 劉の声色が、研究者のそれに変わる。


『お前の場合、魂を混ぜ合わせすぎて、記憶のインデックスが破損(欠落)しているんだろう。「陳美麗」としての記憶のいくつかは、もう戻らんかもしれんぞ』


「そ、そんな……」


 マーガレットが愕然とする中、セレスティアは「あらあら」と微笑ましげに彼女の手を握った。


「可哀想な子犬ちゃん。記憶がないなら、これから新しい思い出を作ればいいじゃありませんか。……ね?」


「は、はいぃ……♡」


 一瞬で籠絡されるマーガレット。


 スカーレットは深いため息をついた。


「……ねえ、本当にこのメンバーで世界を救えるの?」


 その問いに答える者はいなかった。

 代わりに、強烈な音が響き渡った。


 ドンッ!!


 セレスティアが、新しい「火龍の涙」のボトルをテーブルに叩きつけたのだ。


「ひっ……」


 スカーレットの背筋に、物理的な殺気とは違う種類の、逃れられない悪寒が走る。

 本能が警鐘を鳴らした。この場にいてはいけない。

 この笑顔の美女は、底なしの沼だ。


「あ、あの……わたくし、ちょっとお手洗いに……」


 スカーレットは引きつった愛想笑いを浮かべ、席を立とうとした。

 だが、腰が浮かない。いや、見えない力によって座席に縫い付けられているかのようだ。


『……おい、嘘だろ』


 劉が戦慄した声で呟く。


『この女、無意識に呪法を発動してやがる……! 周囲の人間に対して「うたげが終わるまで席を立つな」という「嘆願ぺティション」を放っていやがるぞ。有無を言わせぬ強制力……これが天然の「強制参加(compulsory attendance)」かよ!』


 劉も気づいたようだ。

 この女は、酒豪だった前世の影響か、あるいはそれを遥かに超越する鋼鉄の肝臓を持つ現世の肉体によるものか……いずれにせよ、「恐怖の酒宴魔人」と化していることに。


 その呪法は、「式子ちゃんたち、この子たちとまだ飲みたいの~」という、可愛らしくも絶対的なお願いとして世界に干渉していた。


「さあ、湿っぽい話はおしまい! 今日は朝まで、女子会(と老師の説教タイム)ですわ! 逃がしませんわよ、龍姫様?」


「い、いやぁぁぁ! 帰らせてぇぇ!」


 スカーレットが悲鳴を上げるが、体が動かない。


 ふわり。


 スカーレットの肩に、何か温かいものが乗った。


 恐る恐る横を見ると、そこには半透明の愛らしい小動物――式神がちょこんと座っていた。


「あら、式子ちゃんも龍姫様と遊びたいみたいですわ」


 セレスティアが嬉しそうに目を細める。


 つぶらな瞳で「きゅう」と鳴くその顔は愛らしいが、その前足はスカーレットの肩をガッシリと押さえつけ、「まだ飲むよね?」と無言の圧力を放っている。


『……睡蓮の式神か、見た目は可愛いが、あるじの意志を汲んで酒宴の逃亡者を阻止する、タチの悪い代物だ。諦めろ小娘、こいつらに捕まったら最後、朝日を見るまで解放されんぞ』


 ネオ・イザムバードの夜は、まだ始まったばかりだった。


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