第9章:進化する悪意、覚醒する混沌
幾何都市の中枢、軍務局。
その地下深くにある研究所は、悲鳴と怒号に包まれていた。
「逃げろ! 檻が開いたぞ!」
「誰か! 助けてくれぇ!」
スカーレットたちが解放した被検体たちが、パニックを起こして逃げ惑っている。
機械化兵士とは違う。ここでは薬物と魔導操作による、より生々しい「生体強化実験」が行われていたのだ。
「ひどい……。人間の尊厳なんてあったもんじゃない」
マーガレットが、薬漬けにされた少女を抱き起こしながら顔を歪める。
「……感傷に浸っている暇はないわ。来るわよ」
スカーレットの警告と同時に、研究所の鋼鉄の扉が吹き飛んだ。
ドォォォォォン!!
粉塵の中から現れたのは、軍服に身を包んだ「戦争の天才」。
ヴァレリウス伯爵だ。
「……私のモルモットたちを逃がすとは。躾が必要なようだな」
その全身からは、先ほどとは桁違いのプレッシャーが放たれている。
100%。
統合された意識と魔力。七つのギフトがフル回転している。
「躾けられるのはどっちかしら!」
「行くわよ、お姉様!」
開戦。
スカーレットの「柳方流」神速の剣と、マーガレットの「羅王拳」破壊の拳。
二人の息の合ったツープラトン攻撃が、ヴァレリウスを襲う。
個の力ではヴァレリウスが勝る。だが、二人の連携は計算を超えていた。
スカーレットが魔法を弾き、その隙にマーガレットが懐に入り込む。
柳方流の「後の先」と、龍形遊身八法門の「円」、そして羅王拳の「直線」が複雑に絡み合い、天才の計算式を崩していく。
「ぐっ……!? 貴様ら!」
ヴァレリウスが初めて後退する。
勝てる。
そう思った瞬間だった。
『……力を、貸してやろうか?』
ヴァレリウスの脳裏に、甘く、粘着質な声が響いた。
以前のような機械的なノイズではない。知性と自我を持った、人間のごとき囁き。
「……【悪意の真実】か」
ヴァレリウスはニヤリと笑った。
「封印が解かれたことは知っていた。……あの愚かな王家が隠していた『禁断の果実』。それを使ったのは誰だ? まぁいい」
彼は迷わず、虚空に手を伸ばした。
「よかろう。私の『ギフト』で、貴様すらも制御してやる。来い!」
ズズズズズ……ッ!
ヴァレリウスの身体から、漆黒の泥が噴き出した。
だが、ゲオルグの時のように乗っ取られるのではない。彼自身の五色のオーラと、黒い悪意が融合し、禍々しい鎧となって彼を包み込んでいく。
「……なによ、あれ」
マーガレットが後ずさる。
「大丈夫よ。劉、あれ(・・)をお願い!」
『……やれやれ。同じ手は食わんと思うがな』
スカーレットは自身の魔導回路を展開する。
ゲオルグを救った、対「悪意」用ワクチン・プログラム。
彼女は渾身の魔力を込め、その光をヴァレリウスに撃ち込んだ!
カッ!!
浄化の光が直撃する。
勝利を確信したスカーレット。
だが——
「……ぬるいな」
光が晴れた後、そこには無傷のヴァレリウスが立っていた。
黒い泥が、ワクチンの光を「捕食」し、咀嚼していたのだ。
「なっ……効かない!?」
「劉! なんでよ!」
スカーレットが叫ぶと、劉の気の抜けた声が返ってきた。
『……ほう。あやつ、進化しやがってる。抗体ができちまってるな。流石に打つ手なしだなぁ』
「感心してる場合じゃないでしょ!? どうすんのよ!」
『知らん。逃げるか? まぁ、逃がしてくれそうもないが』
「消えろ」
ヴァレリウスが手を振るう。
ただそれだけで、衝撃波が発生し、スカーレットとマーガレットは木の葉のように吹き飛ばされた。
「きゃぁぁぁっ!?」
「がっ……!」
壁に激突し、床に転がる二人。
力の差が歴然としていた。もはや戦術や連携でどうにかなるレベルではない。
「……終わりだ、ネズミ共」
悪意の鎧を纏った怪物が、トドメを刺そうと近づいてくる。
絶体絶命。
その時。
「……いっつつ……」
瓦礫を押しのけて、ふらりとマーガレットが立ち上がった。
全身傷だらけだ。だが、その瞳だけが異様に据わっている。
「……ねえ、お姉様」
「マーガレット……? 逃げなさい、もう……」
「私にもね、わかんないの。……この『三つ目』を使ったら、どうなっちゃうのか」
彼女は虚空を見つめ、自身の胸に手を当てた。
「でも、やるしかないよね」
ブォンッ!!
マーガレットの全身から、制御不能の魔力が噴出した。
それは彼女の魔導回路を無視し、無秩序に、デタラメに暴走し始めた。
『……ふむ。三番目の魂を覚醒させ、融合させるつもりか』
劉が興味深そうに呟く。
「何が起こるの?」
『サンプルが少なすぎてわからん。……だが、あの異質な波長。俺の前世の世界でも、この世界のものでもない』
マーガレットの姿が光に包まれる。
その光の中で、彼女のシルエットが変質していく。
少女の輪郭が溶け、より高く、より鋭く、より完成された何かへと作り変えられていく。
『ま、うまくいけばこの局面、打開できるだろう』
「なによ、無責任爺ぃ!」
スカーレットの怒声がかき消されるほどの轟音と共に、光が弾けた。
光の中、その「存在」は唇を開いた。
「@#$%%&……*+>_?」
誰の耳にも届かない、音階ですらない振動。
それは言語というよりは、高次元の座標データそのものだった。
空間がピリピリと震え、ヴァレリウス(悪意)ですら動きを止める。
数秒の静寂。
やがて、その瞳がカシャリと焦点を結ぶ。
「……学習完了。言語野との同期、正常」 「意思の疎通可能」
機械的な宣言と共に、眩い光が収束していく。
神々しい「銀髪の美女」のシルエットが霧散し、そこに現れたのは——見慣れた栗色の髪の少女、マーガレットだった。
だが、その立ち姿は以前とは別物だった。
背筋は凍るほど真っ直ぐに伸び、纏う空気は静謐。
まるで王族が下々を見下ろすような、絶対的な品格。
「……お待たせいたしました、お姉様」
マーガレットが、優雅にスカートの裾をつまんで礼をした。
その所作の美しさに、スカーレットは息を呑んだ。
一瞬だけ見えた「あの姿」の残像が、脳裏から離れない。
(……なんなの、今の美しさは。心が揺さぶられるような……)
「さて。……下品な泥遊びは終わりにしましょうか」
マーガレットは冷徹な瞳でヴァレリウスを見据えた。
「消え失せろ!」
ヴァレリウスが黒い衝撃波を放つ。
だが、マーガレットはその場から動かない。
彼女がスッと右手を掲げた瞬間——衝撃波は、彼女に当たる直前で「どこか」へ消滅した。
「なっ……!?」
「こちらの座標軸では、そう呼ぶのでしたか。……『多次元同時攻撃』」
マーガレットが指を鳴らす。
ドガガガガガガガッ!!
ヴァレリウスの全身が、見えない何かに殴打された。
前後左右、上下、さらには「数秒前の過去」や「数秒後の未来」からも。
三次元の概念を超越した、回避不能の連撃。
『グ、アアアアッ!?』
悪意の鎧が砕け散る。
「悪意の真実」ですら、理解不能な事象に悲鳴を上げる。
「……まだです。これでは決定打に欠ける」
マーガレットはふと、スカーレットの方を振り向いた。
その瞳には、隠しきれない熱情——三つの魂が重ね合わせた、巨大な「愛」が宿っていた。
「お姉様。私の『全て』を受け取ってください」
「え……?」
マーガレットの手から、虹色の光が放たれ、スカーレットを包み込む。
瞬間、スカーレット(劉)の脳内に、未知の感覚が流れ込んできた。
『……おいおい、マジかよ』
劉が絶句する。
『空間座標の概念が書き換わっていく……。これが、あいつの見てる世界か!』
スカーレットの視界が開けた。
敵の身体だけでなく、その周囲に重なる無数の「可能性」が見える。
どこから斬れば当たるかではない。
「全ての場所」から斬ればいいのだ。
「……ふふ。とんでもないプレゼントね」
スカーレットは剣を構えた。
マーガレットも構える。
「行きますわよ、お姉様」
「ええ。合わせなさい、マーガレット!」
二人の影が消えた。
いや、世界そのものがブレた。
【双龍・多次元連撃】
スカーレットの剣閃と、マーガレットの打撃。
それが、現在・過去・未来のあらゆる角度から同時にヴァレリウスを襲う。
『ギャアアアアアアアッ!!』
「悪意の真実」は悟った。
ここには勝機がない。未知の理には、未知の恐怖でしか対抗できない。
黒い泥はヴァレリウスの肉体を見限り、瞬時に霧散して床下へと逃亡した。
残されたのは、攻撃の余波を一身に受けた生身の伯爵のみ。
「が、は……っ」
ヴァレリウスは白目を剥き、どうと倒れ伏した。
完全なる失神。
静寂が戻る。
スカーレットの身体から虹色の光が消え、いつもの感覚が戻ってきた。
「……終わった、の?」
振り返ると、マーガレットはその場にへたり込んでいた。
「ふぅ……。疲れたぁ……」
顔を上げた彼女の瞳からは、先ほどの冷徹な光は消え、いつもの人懐っこい(そして少し残念な)色が戻っていた。
「お姉様! 今の私、かっこよかった!? ご褒美にチューして!」
「……はいはい。後でね」
スカーレットは苦笑し、気絶したヴァレリウスを拘束しに向かった。
その背中を見ながら、マーガレット(の中の誰か)は満足げに微笑み、深い眠りへと戻っていった。




