Scene 2:死の包囲網と、戯(たわむ)れ
その瞬間、世界から音が消えた。
路地裏に踏み入ったスカーレットの周囲で、影が不自然に伸びたのだ。
――【影縫い(シャドウ・バインド)】。
闇魔法による物理的な拘束術式。影を踏まれた者は、金縛りにあったように動けなくなる。
「…………!」
スカーレットの足が止まる。
その刹那を、彼らは逃さなかった。
上空、背後、正面。三方向から同時に「影」が実体化する。
彼らが繰り出したのは、無音の刺突。しかも、切っ先には紫色の致死毒が塗られている。
連携に一ミリの狂いもない。
王国の精鋭騎士団長であっても、認識する前に絶命する「必殺の処刑台」だ。
(……ほう)
刃が喉元と心臓、わずか数センチに迫る。
普通なら、走馬灯を見る時間すらない絶体絶命の窮地。
だが、スカーレットの思考速度は、逆に泥のように重く、鋭敏になった。
(『影縫い』による物理拘束。三位一体の波状攻撃。速度、角度、殺気……)
スカーレットの紅い瞳が、冷徹に敵の技量を採点する。
(……この国の基準なら『達人』の域だな。合格点をやろう)
彼女の口元が、皮肉に歪んだ。
(――だが、俺(中原)の基準なら、赤子のハイハイだ)
スカーレットの全身から、爆発的な「氣」が噴出した。
魔法ではない。この世界を満たす「魔力」ですらなく、自身の内にある生命エネルギーを爆発させる、内家拳における【勁】の発露。
足元の影ごと石畳を震脚で粉砕し、物理的に拘束を解除する。
「なっ……!?」
影の一人が驚愕に目を見開いた時には、既にスカーレットの姿はそこになかった。
いや、いる。
彼女は、突き出された三本の刃の「隙間」――紙一重の空間に、軟体動物のように身体を滑り込ませていたのだ。
中原国武術【龍形遊身八法門】――『雲龍』。
触れれば死に至る猛毒の剣の間を、風のようにすり抜ける。
そしてスカーレットは両手の甲で、敵の剣の側面を軽く、しかし絶妙なベクトルで弾いた。
パパンッ! という乾いた音が響く。
それだけで、完璧だったはずの三人の軌道が狂い、切っ先が味方の急所へと向かう。
「しまっ……!?」
「引けっ!!」
さすがは精鋭と言うべきか。
彼らは寸前でそれが「味方への致死攻撃」になると悟り、筋肉が千切れるほどの負荷をかけて、強引に刃を止めた。
だが――止まってしまった。
無理な急制動により、彼らの体勢は完全に崩壊し、無防備な体が空間に晒される。
それこそが、スカーレットの狙い。
「判断は悪くない。……だが」
スカーレットは優雅にターンを決めながら、腰の剣をすらりと抜き放った。
「隙だらけだ」
閃光。
彼女の剣が描いたのは、防御不可能な一筋の線。
柳方流剣術奥義『水鏡』。
それは、相手が「斬られた」と認識するよりも速く、因果を断ち切る神速の魔剣。
リーダー格の男が、硬直したまま目を見開き――そのまま、音もなく崩れ落ちた。
首筋には、髪の毛一本ほどの薄く、あまりにも美しい切断痕。
残された二人は、腰が抜けたようにその場へへたり込んだ。
恐怖。圧倒的な生物的格差。
一瞬前まで自分たちが支配していたはずの空間が、たった一人の少女によって支配し返された絶望。
「ひ……ひぃ……っ!」
「あ、悪魔……!」
スカーレットは血のついていない刀身を一振りし、鞘にカチリと納めた。
怯える彼らに向ける視線は、もはや敵を見るものではない。庭先で騒ぐ子供をあしらった後のような、退屈そのものだった。
「勘違いするな。私が強いのではない」
彼女は冷ややかに言い捨て、背を向ける。
「お前たちが、弱すぎるのだ」
生き残った二人は、追うことすらできなかった。
ただ震えながら、紅の髪が闇に溶けていくのを見送るしかなかった。
その場に残されたのは、完璧に統率されたはずの暗殺者たちの敗北と、芸術品のように洗練された「一太刀の痕跡」だけだった。




