第7章:檻の中の狼、闇に潜む龍
深夜。
幾何都市の中心にそびえるヴァレリウス伯爵邸。その広大な庭園に、一つの影が侵入した。
マーガレットだ。
彼女の着ている漆黒のレザースーツが、月光を吸い込むように闇に溶け込んでいる。
「へへん、警備がザルね。これなら楽勝……」
彼女が中庭に足を踏み入れた、その瞬間だった。
ガシャン!!
何もない空間から、幾何学的な光の檻が出現した。
魔法陣ではない。空間そのものを折り曲げたような、物理的な断絶。
「な、に……っ!?」
「ようこそ、可愛らしいネズミさん」
バルコニーから見下ろしていたのは、ワイングラスを手にしたヴァレリウス伯爵だった。
「侵入ルートの予測、確率98%。私の『戦術眼』のギフトに狂いはない」
「くっ、放せ! お前みたいな変態に捕まる私じゃない……きゃあ!?」
檻が収縮し、マーガレットの身体を拘束する。
彼女はそのまま、光に包まれて地下牢へと転送された。
*
地下牢。
冷たい石造りの部屋で、魔導錠によって手足を拘束されたマーガレットの前に、ヴァレリウスが優雅に歩み寄る。
「さて。誰の差し金かな? 王家の密偵か? それとも他領のスパイか?」
「ふん! 誰の命令でもないわよ。あんたが集めた女の子たちを解放しに来ただけ!」
マーガレットが吠える。
だが、ヴァレリウスは興味深そうに彼女の顎を持ち上げた。
「……ほう。強い瞳だ。それに、この筋肉の質……素晴らしい。凡百の女とは違う」
至近距離で見つめられる美貌の伯爵。
その瞬間、マーガレットの中で「何か」がショートした。
(……うっ、なによこの男。近くで見るとすごい色気……。陳美麗(前世)の人格は「男なんて汚らわしい!」って叫んでるけど、マーガレット(私)の本能が「アリよりのアリ!」って言ってる……!)
「ねえ、伯爵様ぁ♡」
マーガレットは一瞬で表情を変え、流し目を送った。
「私を捕まえてどうするの? 私、結構イケる口よ?」
「……ハッ」
ヴァレリウスは鼻で笑い、手を離した。
「媚びても無駄だ。だが、その身体能力は興味深い。……解析させてもらうぞ」
ヴァレリウスの目が青白く光る。 【解析眼】のギフト。
(……チャンス!)
マーガレットは心の中で舌を出した。
(あんたが私を解析している間に、私もあんたの「ギフト」の正体を暴いてやるわ。私の「野性の勘」を舐めないでよね!)
檻の中で繰り広げられる、視線による情報戦。
マーガレットはわざと隙を見せながら、相手の魔力の流れ、呼吸、筋肉の動きを読み取っていく。
*
一方その頃。
屋敷の反対側、書斎。
警備の兵士たちが地下牢の騒ぎ(マーガレット)に気を取られている隙に、スカーレットは音もなく侵入していた。
パンツルックの軽装は、こうした隠密行動において真価を発揮する。
(……マーガレットが捕まったことで、屋敷の警備システム(リソース)の6割があちらに割かれた。計算通りね)
『ああ。優秀なデコイだ。感謝してやるべきだな』
スカーレットは暗闇の中、ヴァレリウスの執務机を漁る。
目的は、彼が隠している「真の計画書」。
「……あったわ」
隠し金庫から出てきたのは、王国の地図と、膨大な軍事計画書。
そこに記されていたのは、単なる人身売買の記録などではなかった。
『……クーデター計画書か』
劉が唸る。
『現在の国王を「無能」と断じ、自らが王となり、国を富国強兵へと導く……。そのための資金集めと、兵士の強化(人体実験)か』
「正義感からの反逆……一番厄介なタイプね」
その時。 スカーレットの背後で、冷たい声が響いた。
「——やはりな。ネズミは一匹ではなかったか」
振り返ると、入り口にヴァレリウスが立っていた。
地下牢にいるはずの彼が、なぜ?
「……転移?」
「いいや。【並列存在】。私のギフトの一つだ」
ヴァレリウスは七つの指輪の一つを撫でた。
地下牢にいるのも彼。ここにいるのも彼。
「王家の犬め。私の崇高な計画を嗅ぎつけたか」
「誤解よ。私たちはただの通りすがりの……」
「問答無用!!」
ヴァレリウスの全身から、五色の魔力が噴き出す。
解析、戦術眼、並列存在……そしてまだ見ぬ未知のギフト。
「国を憂う私の志を邪魔する者は、誰であろうと排除する。 ——ここで朽ち果てろ、密偵共!!」
交渉決裂。
戦争の天才が、本気で牙を剥いた。
その刹那。
ヴァレリウスの放つ五色の魔力が、スカーレットを襲う。
炎、雷、そして重力操作。複数のギフトを組み合わせた波状攻撃は、まさに「一人軍隊」。
「くっ……!」
スカーレットは扶桑刀の鞘を払い、柳方流の剣技で炎弾を切り払う。
円を描くような柔らかい太刀筋で攻撃を受け流しつつ、鋭い踏み込みで間合いを詰める。
だが、違和感があった。
(……軽い)
確かに攻撃は激しい。技術も超一流だ。
だが、先ほど街で見かけた時に感じた、あの肌が粟立つような「底知れなさ」がない。
劉の演算が、冷徹な数値を弾き出す。
『スカーレット、深追いはするな。こいつの出力、想定の70%程度だ』
(70%? 手加減していると?)
『いや。おそらく【並列存在】の弊害だ。意識と魔力を、地下牢にいる「もう一人」と分割していやがる。だが、それでもこの強さだ。もし統合されたら……』
(……厄介ね。それに、ここは敵の腹の中。長居は無用か)
スカーレットは瞬時に判断した。
勝てない相手ではない。だが、手の内を全て晒してまで、今ここで戦うメリットはない。
「……残念だけど、ダンスはまた今度にしてあげるわ!」
スカーレットは懐から、劉が調合した「閃光玉」を取り出し、床に叩きつけた。 強烈な閃光と爆音が、書斎を白く染める。
「ぬっ……目くらましごときが!」
ヴァレリウスが腕で顔を覆う一瞬の隙。
スカーレットはその場から消えていた。
*
同時刻、地下牢。
マーガレットもまた、目の前のヴァレリウス(分身体)を見据えながら、鼻を鳴らした。
「……あんた、なんか『薄い』わね」
「何?」
「匂いが分散してるって言ってんのよ。本気じゃない男に抱かれるほど、私は安くないわ!」
マーガレットの全身から、爆発的な「氣」が噴き上がる。
魔力ではない。肉体の内側から生み出される、純粋な破壊エネルギー。
前世・陳美麗の絶技、【発勁・解錠】。
バキィィィン!!
本来なら魔法でしか解けないはずの魔導錠が、物理的な振動波によって内側から粉砕された。
「なっ……物理破壊だと!?」
ヴァレリウス(分身)が驚愕する。
「じゃあね、イケメン! 次会う時は、100%の愛(殺意)で来なさい!」
マーガレットは鉄格子を蹴破り、迷路のような地下通路を疾走した。
戦うのではない。
野性の勘が警鐘を鳴らしている。
「今は逃げろ、ここはお前の狩り場じゃない」と。




