第2章:狼は直線で駆ける
幾何都市クアドラ。
そのメインストリートを歩きながら、スカーレットは眉間の皺を深めていた。
(……気持ち悪い)
視界に入るすべての建物が、鋭角で構成されている。
本来なら曲線を描くべき装飾までもが、カクカクとしたポリゴンのように処理されているのだ。
生理的な拒絶感を紛らわせようと、路地裏に近い区画へ足を向けた、その時だった。
「おいおい、姉ちゃん。いい服着てんじゃねえか」
下卑た声。
ありふれたトラブルの気配。
スカーレットが視線を向けると、薄汚れた路地の入り口で、5人の男たちが一人の少女を取り囲んでいた。
(……チンピラね。この管理された街にも、こういう手合いはいるわけだ)
男たちは、いかにもガラの悪そうな風体をしている。
だが、スカーレットの目が釘付けになったのは、彼らではない。
囲まれている少女の方だ。
年齢はスカーレットより2つほど下だろうか。
栗色のショートヘア。
だが、その服装は先鋭的だった。
全身を覆うのは、漆黒のレザースーツ。
ボディラインがあらわになるほどタイトだが、関節の可動域には余裕があり、動きを一切阻害しない。一種の戦闘服とも言える機能美を持ちながら、どこか貴族的なしとやかさも兼ね備えている。
手には指ぬきのグローブ。素材はスーツより厚く、拳の部分はさらに強化され、強烈な打撃から拳を守るナックルガードのようになっている。
(……変わった服装。このあたりの流行り?)
スカーレットがそう思った瞬間、少女が男たちに向き直った。
重心を落とし、スッと構える。
その所作には一切の無駄がなく、背筋が伸びた美しい立ち姿は、洗練された舞踏のポーズのようでもあった。
(……!? この構え、ただの喧嘩慣れじゃない。それに、どこか品がある……貴族の令嬢?)
奇抜な服装からは想像もつかない優雅さが、その「構え」から滲み出ていた。
「こいつは高く売れそうだ」
「へへ、迷子の子猫ちゃん。一緒に遊びましょ」
チンピラの一人が、舌なめずりしながら一歩踏み出す。その瞳には、か弱い獲物をいたぶる嗜虐の色が浮かんでいた。美しい女性を見るや、恐怖で歪む顔を見たくてたまらないといった様子だ。
男たちが手を伸ばす。
普通なら悲鳴を上げる場面だ。
だが、少女は口の端を吊り上げて笑った。
それは、捕食者を前にした獲物の顔ではない。
羊の群れを前にした、狼の笑みだった。
「……触んなよ、三下」
ハスキーな、けれどよく通る声。
次の瞬間。
少女が踏み込んだ。
ドンッ!!
床石が悲鳴を上げ、爆発音が響く。
劉の使う「円」の動きではない。
最短距離を、最速で駆け抜ける「直線」の踏み込み。
少女の拳が、リーダー格の男の鳩尾に吸い込まれた。
「が、は……ッ!?」
触れた、と思った瞬間だった。
男の背中の服が「パンッ!」と弾け飛ぶ。
衝撃が体を貫通したのだ。
リーダーの体は「く」の字に折れ曲がり、砲弾のように後方へ吹き飛ばされた。
背後のゴミ箱に突っ込み、そのまま動かなくなる。
(……寸勁? いや、違う)
スカーレットは目を見開いた。
『ほう、俺の武術とは違った【理】だが、全身のバネを一点に集中させ、突き抜くような破壊力……。ふっ、中原武術の源流、「大往寺」に伝わる「羅豪拳」の派生武術のあれか』
脳内で劉が感嘆の声を上げる。そこには、ただの分析ではない、未知の強者に出会った武人としての昂りが混じっていた。
「あ、あにき!?」
「てめぇっ!」
残りの4人が色めき立つ。
だが、勝負は既に決していた。
少女は止まらない。
肘打ち。膝蹴り。掌打。
そのすべてが、無駄のない直線軌道を描き、男たちの急所を的確に撃ち抜いていく。
「吩、醒、撥!」
鋭い雷声と共に、岩を砕くような硬質の暴力が炸裂する。
舞うようなスカーレットの戦いとは違う。
瞬きをする間に、5人の男たちは全員、地面に転がっていた。
「……ふぅ。準備運動にもなりゃしない」
少女はパンパンと手を払い、乱れた前髪をかき上げた。
そして、ふと気配を感じたように、スカーレットの方へ顔を向ける。
視線が交差した。
その瞬間。
少女の目が、獲物を見つけた肉食獣のように細められた。
「……お姉さん、ありがとう」
彼女はスタスタと歩み寄ってくると、至近距離でスカーレットの顔を覗き込んだ。
「私は何もしていないわよ」
スカーレットが淡々と答える。
「ううん。お姉さん、私の後ろからものすごい『殺気』を飛ばしてくれたじゃない」
少女はにやりと笑った。
野性的だが、どこか人を惹きつける愛嬌がある。
「あれで、連中の意識が一瞬私から逸れた。おかげで得意技を叩き込めたのよ。だから、お礼」
「……気づいていたのね」
「伊達に修羅場は潜ってないわよ。それに……」
少女はスカーレットの胸元から腰のラインへ、無遠慮に視線を這わせた。
それは値踏みするような、それでいて熱っぽい視線。
(……なによ、この目)
スカーレットの背筋に、戦闘中とは違う種類の寒気が走る。
「お姉さん、すっごく綺麗。私のド真ん中」
「……は?」
「私、マーガレット。家名は名乗れないの。ごめんなさいね。でも、一応これでも男爵令嬢なのよ」
マーガレットと名乗った少女は、スカーレットの手を取り、その手の甲に唇を寄せようとした。
スカーレットは反射的に手を引っ込める。
「あら、つれない」
マーガレットは悪びれもせず、ウィンクを投げかけた。
「再会を祝して、食事でもどう? ここの近くに、ムードのいい店があるのよ」
「……初対面よ」
「運命の出会いってやつよ。ね、いいでしょ?」
グイグイくる。
物理的にも、精神的にも、距離の詰め方が「直線的」すぎる。
この少女には、他人との境界線という概念が存在しないのだろうか。
スカーレットは助けを求めるように内心で呼びかけた。
(……ちょっと劉、どうにかしてよ)
しかし、脳内の老賢者は、
『……くくっ、嵐のような娘だな。まあ、悪い人間ではなさそうだぞ』
と、楽しそうに笑っているだけだった。
(……この爺ッ!)
スカーレットの頭痛の種となる「新たなる苦難」は、この幾何学的な街の片隅で、唐突に幕を開けたのだった。




